首なし騎士 まだまだ弄られる
「あ――?!」
驚愕と唖然。
海神の腕が起こした小津波――逃げる場所の無い広範囲攻撃にデュラハンは呑み込まれた。
その威力は堪えるとか踏ん張るとかそんな生易しいものではない。
踏みしめた地面ごと水平に押し倒され土砂とともに上下感覚が無くなるまで掻き混ぜられる。
――不快! 不覚! 何たる無様! 一番警戒すべきことを忘れるとはッ!
為す術も無く濁流に弄ばれるデュラハンは、六千年前の屈辱的敗戦からこの広範囲攻撃を予測できたはずと己を罵る。
首なし騎士に溺死はないがこのまま川に引きずり込まれれば後は相手の思うがままだ。
何かにつかまり流されないようにと思うも……両手が塞がっている。
右手に握る大鎌”忌わしき三日月”は、主から授けられた祭器であり手放すことはできない。
左手に掴はデュラハンの頭部、本体とも呼べるそれを捨てるなど不可能。
これは拙い、と焦る首なし騎士を二度目の衝撃が襲う。
ゴボンッ! と空気が抜ける音と浮かび上がる泡、沈む大地と入れ替わりに消える浮遊感。
突然津波が勢いを失い地面に放り出されたのだ。
混乱し泥塗れになり土砂の上を転がったデュラハンは、滑る足場に四苦八苦しながらも状況把握のため身を起こす。
まず川原の様子は一変していた。
津波で砂礫とその下の土まで混ざり合い標的だった賢者の姿も殺した戦士たちの亡骸も見分けがつかない。
だがその中でも最も顕著な変化。
「……なるほど落とし穴か」
海神の腕が起こした濁流が途切れた理由を首なし騎士は察した。
川を除く三方の地面、戦場を囲むように賢者たちが造った罠だ。
首なし騎士とその戦馬車を阻むため広く深くつくられた長大な落とし穴。
殆んど野戦築城の堀となっていたそれに水が流れ込み威力を失ったのだ。
更には落とし穴自体も偽装を剥がされ岩や土砂で埋まりその役割を果たせなくなっていた。
危機が転じての僥倖。
川に聳える海神の腕から逃れるならこの好機を逃す手はない。
標的だった賢者もどっか流されたようだしな、と任務以外には拘らない首なし騎士はだが、
「いやいや、泥遊びとは意外な趣味だね? おままごとで遊んであげようかい騎士殿」
聞こえてはいけない声を聞いてしまう。
つまりそれはここ最近聞きなれた甘い嘲りの蜜をたっぷり含んだ声であり。
信頼すべき相棒であるコシュタ・バワーに預けていた今年の獲物の憎まれ口。
「新郎役がいいかい? それとも旦那様? お父さん役には……子供役が足りないね」
幻聴は幻覚まで伴っていた。
申し訳なさそうに首(の断面)を逸らす六頭の首なし馬と戦馬車の御者台からこちらを見下ろす銀髪の少女だ。
「…………」
一度目を閉じ幻覚よ消えろと願い開く。
だがコシュタ・バワーも、戦馬車も、銀髪の小娘――ルフェイ=モルガーナも消えることはない。
「なんだいその視線は……この仔たちに子供役をしてもらうかい?」
「ああ! 分かってた! 現実だって! 貴様何故ここにいる!? 近づくなと言っただろう小娘」
賢者たちの意識を川から逸らすため安全な距離で囮役をしたら離脱しろと命令しただろ、と叫ぶ。
「判らないのかい? この仔たちが心配そうにしていたから、それを口実に騎士殿が苦戦しているのを期待して見物に来たんだよ。思った以上に無様で私は大満足さ。この胸の高鳴りは……愛?」
「貴様馬鹿だろ小娘!! 『愛?』じゃない!?」
頬を赤くし琥珀の瞳に瞼を伏せて恥らう清楚な乙女の姿と切り出した果実のように瑞々しい唇より紡がれる狂った物言い。
あまりの差異の激しさにデュラハンの精神は瞬間的に磨耗していく。
理解できない。
理解できない。
理解できない。
理解できない。
理解できない。理解できない。理解できない。理解できない。
出会ったときから異常だと感じていたが本気でこの小娘はおかしい。
これまでも無謀な行動はあった。
しかしそれはデュラハンの力でどうにでもなる範囲でだ。
今は人間同士の戦争――おもちゃみたいな鉄器を振り回す戦争ごっこではないのだ。
天災と呼ばれるような力がぶつかり合う本当の戦場に自ら足を運んでいるのだこの馬鹿娘は。
人間基準で考えれば首なし騎士と馴れ合う時点で異常。
デュラハンはあの世基準でもルフェイがぶっ飛んでいることに今更ようやく遅ればせながら気がついた。
「で、どうするんだい騎士殿? あちらの水柱殿はまだやる気のようだが……逃げるのかい?」
齢十数歳の人間の小娘は実に厭らしい笑顔を自らの騎士へ送る。
首なし騎士の心中など知らないという態度。
海神の腕を一瞥し傲慢にも水柱と言い切る。
――この世を舐めているのかあの世を軽んじているのか…………
あの世の騎士の兜の中でカチン、と火花が弾けた。
「はっ! 逃げるだと? この俺が逃げるわけあるまい!」
首なし騎士は大鎌を回転させ水柱に向かい合う。
馬鹿娘の狂気が伝染した――訳ではないただこの小娘の観ている前で逃げ出すのが非常に非常に非常に癪に障る。
それだけだ。




