首なし騎士 仄暗い川の底から
『首なし騎士に追われたら川を渡れ』――それはいつのころからか人間たちの間に広まる噂話。
何故なら首なし騎士の乗る戦馬車やそれを曳く首なし馬は水の上を走れないから、と。
実際、噂を信じ川を渡ることで首なし騎士の”刈り取り”から逃れた獲物多い。
ただデュラハンに言わせれば『馬が水の上を走れないのが当たり前だろ』となる。
水の上を走れる馬なんて海の妖精王マナンの持つ海馬ぐらいだ。
首なし騎士が川で獲物を逃す原因は他にあるのだ。
まず戦馬車が渡れる橋が少ない。
首なし騎士の機動力を支える首なし馬コシュタ・バワーと戦馬車、疲れ知らずでちょっとした塁壁や門扉なら軽く蹂躙できる破壊力を持っているが欠点もある…………単純にでかいのだ。
新米首なし騎士とかは一頭の馬に直接跨るのでつり橋なら渡れる。
しかし二頭立てや四頭立ての戦馬車を駆る中堅首なし騎士以上になると石橋でもなければ川を渡れないのだ。
そして橋が架かるような川はそれなりに幅と深さと流れがある。
馬車を降りて川を渡ろうとしても完全重武装の首なし騎士は溺れるのだ。
下手すると流される。
そもそも川とは――海や湖もだが――ある種の異界。
あの世でもこの世でもない。
どちらかというと妖精たちの領域になる。
遺憾ながら首なし騎士――正しくは首なし騎士の創造主クルアハと妖精は仲が悪い。
渡河中妖精に足を掬われ海の藻屑になった首なし騎士もいる。
首だけ流され退職した同僚も多い。
首を求めて数千年海底を彷徨うというのは、冗談でもなんでもない首なし騎士業界で語られる恐怖譚だ。
川をなんとか渡れても受難は続く。
片手に首、片手に得物を持つ首なし騎士は土手をよじ登ったりということができない。
歩いて上がれるような川原でもないと立ち往生してしまう。
まごまごしているうちに獲物は遥か彼方へ……
昇る太陽に照らされながら川原を探して彷徨うのはとても虚しい。
以上のことから浅い小川を除けば、川とは首なし騎士に対して一種の長城となる。
『首なし騎士に追われたら川を渡れ』というのはそんな首なし騎士業界の逃れえぬ宿業を人間が経験から導き出した法則なのだ。
ただしそれは必ずしも首なし騎士が川を渡れない、もしくは川を潜ったりできないということではない。
そう、例えば自身の獲物を狙う賢者崩れを殺すためなら半日水中を這って川を遡るぐらいはしてしまえるのだ。
具体的には今、川面を割って大鎌を振り上げるデュラハンのように。
「え――?!」
川を背に戦馬車に気を取られていた若造が水音に驚く。
暢気な奴だ、と呆れながらあの世の使者は右手を振り下ろす。
呆れ――間違っても奇襲が成功した喜びなどではない。
こんな経験も警戒も能力も機転も首筋も何もかも足りない害虫を駆除するために半日も川の中を這うはめになったのだ。
纏わりつく水流に滑る川底、首を落とさないように研ぎ澄まされる精神的労力。
労苦と対価が吊り合わない。
灰色の外套を纏う妖精臭い人間がようやく身を震わせ振り返ろうとしている。
既に大鎌の先端が首筋に触れようとしているのに。
この程度ならここまで慎重にしなくても良かったか? と己の判断に疑問さえ覚えてしまう。
半日前、この若造――賢者の成り損ないの情報を得たデュラハンは即行駆除を決断した。
理想は相手に反撃をさせる間もなく首級を刈り取ることだが二、三問題があった。
賢者の知恵と獣――猟犬の存在だ。
賢者という人種は何かしら策や奥の手を好む。
更に英雄の危機を『こんな事もあろうと』『秘蔵の』『とっておきを見せてやるぜ』と救ったりもする。
そんなご都合主義を何度も経験したデュラハンとって賢者とは余計なことをする前に真っ先に始末すべき対象となっていた。
だが今度は犬が邪魔になる。
フェイクトピアから目撃証言も得た犬――その鋭敏な鼻は、死臭に塗れた首なし騎士の不意打ちを許さない。
結果、最も信頼する相棒コシュタ・バワーに大事な獲物――ルフェイを預けての単独潜水任務をこなす羽目になったのだ。
川に潜むことで犬の鼻を誤魔化せるし、首なし騎士の知識を持つものほど川を利用した奇襲に弱い。
賢者の気配が川の傍に陣を張っていることも奇襲の成功を確信させた。
これはデュラハンが学んだ経験則だ。
尚、この駆除計画に最も難色を示したのはルフェイだ。
小娘曰く『川底を這いずり屈辱に震える騎士殿を観賞できないじゃないか』……首なし騎士も吟遊詩人も二の句が継げなかった。
などということを思い返しながらデュラハンが振り下ろした刃は、ロインの皮を裂き、肉を断ち、血の道を破る――ことなく空を切った。
「ゲギョ!」
血管の膜一枚残して致命傷を避けた賢者崩れの若造が肺を潰され蛙のように鳴く。
自身の意思で避けたのではない。
物理的衝撃により強制的に鎌の間合いから突き飛ばされたのだ。
賢者を救ったのは夕日の如き紅蓮の塊。
「グウウウウウウウウウウウウウウウウウウウラッ!」
吼えるのはフェイクトピアに聞いていた猟犬だ。
随分荒っぽいが人より優れた知覚と反射神経で主を助けたのだろう。
デュラハンとしても妨害は予想はしていた。
それでも追撃で仕留めればよいと思っていたのだが……
いまだ賢者の首は繋がったままだ。
「ガルウウウウウウウウウウウウウウウウウウグゥ!」
呻るはデュラハンの腕に噛み付き追撃の刃を封じる澄んだ闇の体毛に包まれたもう一頭の獣。
二頭いるとは聞いてないぞあの吟遊詩人め、罵るデュラハン。
赤と黒見事な毛並みの二頭の猟犬が、咳き込む賢者を守るように立ちはだかった。




