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首なし騎士 修行中

「ようやく見つけたぞ首無しの怪異よ!

 僕の名はソパ=デ=アポデュリエ。

 イパニアの地に名高いアポデュリエ家に生まれ変幻自在なるアラクネーの神技を極めし騎士。

 海神の誘いを断り、迷いの小路を抜け、詩人の導きを得てここに至った。

 さあ! この世ならざる闇の騎士、貴殿が攫いし乙女が涙するのは今日限りだ」


 陽光降り注ぐ温かな昼下がり。

 髭の一本もはえたことが無いだろう若い騎士が天よ照覧あれと名乗り、針のように細い剣の切っ先を突きつけている。

 騎士の鍛えられた肉体を覆うのは動きやすさを重視したのか鮮やかに染められた衣と僅かな皮鎧のみ。

 炎のように波打つ金の髪は嘗め回したくなるしなやかな首筋を美しく飾っている。


「……」


 だが対する首無しの怪異――デュラハンは上物の首級を前にしても岩に腰掛けたまま微動だにしない。


 イパニアは確か大陸の何処かの地方名だったなとか、アクラネーって蜘蛛の怪物だろとか、あの小娘は父親が死んでも涙なんて流さないぞ……などなど。


 日の光を反射して十字の輝きを放つ細剣に焦点を合わすでもなく習慣から騎士の解析をのみする。

 身体は傍らに立てかけた大鎌を握るでもなく彫像のように動かない。

 ひらひらと肩に蝶々が止まる。


「おい! 無視するな」


 焦れた若騎士が針の先を震わす。

 怒りで身体の制御ができていないわけではない。

 アクラネーの動きを模したという剣術――その流派に伝わる幻惑の技だな、と観察はしつつも相変わらずデュラハンは肘を脛についたまま。

 揺れる切っ先と反射される光で敵を惑わし急所――首筋、脇、手首――を刺し貫くのだが首なし騎士が反応しないため折角の技も無意味だ。


 攻めあぐねる若騎士。


 その姿を未熟と思ってからデュラハンは俺が言えたことではないか、と唇を歪める。


 ――数日前、小娘の掌中に落ちようとしていた自身を思い返す。



 

 連鎖する難題による思考の混乱を突かれルフェイに呑まれんとしていたデュラハンを救ったのは長年の相棒による乱暴極まりない一撃だった。


 戦馬車を曳いていたコシュタ・バワーが急停車を強行したのだ。


 戦馬車に限らないが馬車が急停車するには車軸を固定する以外に慣性を殺すため車体を斜めにする必要がある。

 急激に傾く車体。

 並足程度の速さでも御者台で虚脱状態だったデュラハンがどうなったかは言うまでもない。

 小娘曰く『兜がほうき星の如く地の彼方へ飛んでいった』、髭の詩人が『身体は巨人が蹴り飛ばしたように吹き飛んだ』と評する大事故。

 御者の精神状態を『あ、これはやばい』と察した上での行動だろうが不死身を謳う首なし騎士が腹の鈍痛を忘れるほどの衝撃だった。

 更に着弾地点に駆けつけて蹴り飛ばす相棒によりデュラハンの魂は救われ――意識を刈り取られた。


 尤も健全な身体は意識を即座に覚醒させる。

 重要なのは衝撃の余韻とそれが消える開放感により精神が正常状態に調整されたこと。

 デュラハンはコシュタ・バワーとの友情の力によりルフェイのよこしまな企みに打ち勝ったのだ。


 妖しい雰囲気を消し飛ばされたルフェイも『いやいや、将を射んと欲すれば先ずは馬を射よだったか……幸運だったね騎士殿』と一旦は引いた。


 だが乙女の顎門(あぎと)から逃れたデュラハンが感じたのは安堵――ではなく更なる自己嫌悪だった。

 頼もしき相棒たちが蹄で踏みつけてくるのに応えるでもなく文字通り大地に沈み込んだ。

 首なし騎士の中でも卓抜した実力者のつもりだった自身がここまで無様を晒す現状。

 たとえ獲物が不良物件を通り越す加害物件だったとしても正当化できない。

 人間に対する知識不足やこの世の理不尽などの浅い問題で済ませてはならない。


 デュラハンの魂が弱かったのだ。


 首なし騎士は己の修練を決意した。





 そんなこんなで適当な川原にてとりあえず岩の上に座すこと三日。


「止めておけ小僧」


「む」


 傍らで午睡を楽しんでいるルフェイを起こさぬよう注意して若い英雄志願者を静かに諭す。

 デュラハンの心は殺戮の丘――その昔、虹の騎士が四十九人の戦士を皆殺しにした広大な丘――のように穏やかなのだ。

 下手に小娘を起こしたら何といわれることやら、とへたれている訳ではない。


「この小娘は放置しても勝手に衣食住を確保する」


「は?」


「助けてやろう守ってやろうなどは慢心だ」


「いや、何を……」


「見た目に騙されるな中身は最悪だ」


「そうじゃなくて僕は貴様を倒して身を……」


「己が剣も定まらぬ未熟者には無理だ」


「な――……!」


 若騎士に小娘を害する気配が無いため、デュラハンは――彼にしては――丁寧に教えてやる。

 その言葉は過去の己への断罪だ。

 思い返せば失敗を糊塗しようとばかりしていた。

 一年間、たった一年間小娘の悪罵に耐える覚悟さえあれば醜態を晒すこともなかった。

 たとえこの島の全てが小娘の命を狙おうと全て刈り取ればよい。

 首なし騎士の誇りを圧し折ろうとする加害物件に比べれば些事にすぎないのだから。

 だって精神修練を開始したら鼠をいたぶる猫みたいに眺めたりするんだぞこの小娘。


「馬鹿にするなッ!」


 馬鹿にしたつもりは欠片もないのに未熟な騎士が正面から切り込んでくる。


 そう。馬鹿にも蔑ろにもしない。


 いつぞや魔女マーティスが人は麦穂ではないと言っていたがそれは過ちだ。

 どちらかというと人間で言うところの果実や蜂蜜など嗜好品に近いだろう。

 それも主であるクルアハに捧げる供物だ。

 馬車一台単位で扱われる麦穂ほど軽くは無い。


 まあ、この小僧は青すぎるがな。


 この小僧が極めたと言っていたアラクネー――人の上半身に大蜘蛛の下半身を持つ怪物――の動きを模した剣術は針のように細い剣と軽装により変幻自在な動きを旨とする流派だ。

 敵を中心に周囲を巡る神の円舞と呼ばれる脚運びと手首だけで振るう斬撃を何十と放ちそれを隠れ蓑に本命の一撃を撃ち込むのが攻め筋である。

 並の流派より激しく動く必要があるため武器も防具も軽くし牽制に隙の少ない手法を選ぶのは人間の好む剣理という概念にも適っている。


 ただし――あくまで対人間用の剣術。


 デュラハンが岩の上に座したまま動かないのは、活動を制限することでルフェイに付け込まれる隙を減らすという己でもそれはどうかという理由以外にアポ何某に毛一本ほども脅威を感じないためだ。

 流派の起源に相応しい死という毒を撃ち込む針がデュラハンの兜、その赤い眼を穿つ。

 いつぞや屈強なる騎士に鋼の穂先で突かれれも傷一つ負わなかった同じ場所を。


 紛らわしい全身同じ強度なのに甲冑着てるデュラハンにも非があるのだろうが……単純過ぎないか人間よ?


 当然、人の指より遥かに細い剣はその刀身を二つ折りにするほどたわみ――


 パンッ!


 と弾ける。


「ちっ!」


「ほう」


 潰れた切っ先を一瞥し舌打ちする若騎士と細剣が折れなかったことに感心する首なし騎士。


 デュラハンに反撃の姿勢がないにも関わらず、若騎士は全力の攻撃を選択しなかったのだ。

 もし全力で突いていれば今頃強度に劣る細剣は砕けていただろう。

 更に刃が刺さらないと感じるや剣を折る寸前に引く決断も下した。

 一足飛びに踏み込みつつ片足だけで瞬時に後退する脚力も中々良い。


 デュラハンが精神的引篭もりに挑んでなければ思わず首を刈り取っていたかもしれない。

 しかし今のデュラハンは寛大だった。


「小僧、人の武器を人が人の技で振るっても俺には届かん。去るがよい」


 無害な小動物を駆除せず追い返す優しさ。

 うっかり小娘を起こすような大声も上げない。

 これぞ心の余裕、精神修練の成果。


「くっ……」


 屈辱に震え身を翻す騎士を生暖かい目で見送ることのなんと心地よいことか!


 だが清々しい時間は長くは続かない。


「『若き騎士は怒りを胸に背を向け走り出す。その怒りは嘲笑する敵へのものかはたまた弱き己へのものか?』……また見逃されたのですかな首無し卿。器が大きいというかルフェイ嬢に毒されたというべきか性格変わられましたな」


 無駄に良く通る声を上げ望んだ訳でもない旅の同行者が帰ってきたのだ。

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