首なし騎士 疑う
空が闇から紫へそして白へと変わっていく。
夜明けだ。
川原に流れ込んでくる草原の風が夜の残り香さえ奪う中、首なし騎士は顔を顰めていた。
あの世の存在にとって不快な時間が始まからだ。
この世の責め苦を耐え忍ぶため僅かな癒しへと視線を落とす。
「ん……うんん」
どこかから聞こえてくるフクロウの鳴き声に寝返りをうつ若い乙女――その首筋へと。
うなじから襟元へ銀糸の髪が人形のように白い肌に散る。
もし吸血鬼がいたならば陽光に焼かれたとしても牙を突きたてただろう。
黄金の輝きを秘めた琥珀色の双眸が瞼に隠されているせいか、起きているときとはまた違った趣のある美を生み出している。
狼眼石に似た小娘の瞳は、その例えに相応しくどうしても獲物を狙い弄る稚気が漂うのだ。
「おはよう騎士殿。乙女の寝姿を見詰めるのはあまり良い趣味とはいえないね。それともこうして侮蔑されるのが目的なのかな?」
そうこんな風に。
「黙れ小娘。……趣味ではない。首なし騎士が美しい首を眺めることはあの世の摂理だ」
目を開いた途端、挨拶と共に憎まれ口を叩く城なし姫へ、個人の趣味ではなく首なし騎士全体の習性というか習慣だと告げるあの世の使者。
首なし騎士業界で働く全ての同胞にあらぬ冤罪を押し付けるデュラハンだが自覚はない。
残念なことに一般的首なし騎士は、デュラハンほど首筋やうなじに拘らないとをルフェイに教える者はいなかった。
「…………美しい、ね? まあ、褒め言葉として受取っておくよ」
朝からいい気分だ、と身支度を整えたルフェイは、いつもよりあっさりとデュラハンで遊ぶのを切り上げ朝食の準備を始める。
少女は焚き火の傍で寝こけていた吟遊詩人を丁寧に起こし、水を汲み、焚き火の下に埋めていた拳大の丸くて黒い物体掘り出して齧り出す。
「…………やはり奇異なものだ人間の食事は」
ルフェイが皮を剥いて食しているのは芋。
デュラハンの目には丸い木の根っこにしか見えないが、この島では豆や麦に次ぐ食料。
長い時間かけて温めると軟らかくなり甘くもなるらしい。
食感や味覚に縁が無い首なし騎士にはおそらく永遠に理解できない感覚。
それでもルフェイが芋を抱え少しずつ齧る姿は、別の小動物――栗鼠みたいであり、えも言われぬ情動がデュラハンの胸に湧き出てくる。
不思議だ、奇妙だと思うのだがそれとは別のじわじわとした何かが腹と胸間で蠢くのだった。
首なし騎士が謎の感覚に身を焦がしているうちに城なし姫は食事を終えて戦馬車へと戻ってきた。
そして開口一番、
「寝顔ばかりでなく食事まで見詰め続けるなんて……もしや! 首なし騎士には視姦の業でもあるのかね?」
わざとらしく驚くルフェイ。
デュラハンを弄ることに余念が無い。
旅に出て魔女の目が無くなったからか徐々に過激になっている気さえする。
こちらの気持ちも知らずに、と臍を噛むデュラハン。
実は首なし騎士は昨晩の発生した予定外というか想定外の問題に悩んでいた。
ギャザ騎士団の一件ではない。
小娘を謀反人から守るため誰かに保護させるという方針自体に関わる問題だ。
「……頭が痛い」
「おやおや……反応が悪いね。もしかして釣った獲物には餌を与えない派かい? いけないないけないな。背後から短剣で刺されるよ騎士殿」
「…………黙れ」
「うん…………昨晩なにかあったのかな?」
小娘の目が獲物を弄る目から獲物を狩る目へと変化する。
兜と面頬によりデュラハンの表情の分からないはず。
しかしルフェイはあの世の使者の内心を声音だけから読み取ったようだ。
「…………」
デュラハンはルフェイに応えず黙り込む。
昨晩、見逃した小娘の追手らしき人間たちが赤帽子を撃退したことを伝えるのを躊躇している――――訳ではない。
英雄の卵程度の実力があれば人間でも赤帽子は倒せる。
少なくとも首なし騎士を相手にするほど絶望的な力の差ではない。
そんな、追手が人間としては強者の部類なのは些細なことだ。
問題は……
「小娘、貴様なにか禁忌を犯したか?」
「なんだい騎士殿、突然――」
「いいから答えろ。禁忌と定められた何かをやらかしてないだろうな」
「禁忌ね……ふむふむ」
デュラハンが強い口調で詰問するとルフェイはああなるほどね、と言わんばかり頷き返す。
「昨晩、夢の中で雷鳴を聞いた気がしたんだけど気のせいじゃなかったわけだ。まさか賢者様が御出でになられるなんてね……」
ルフェイはデュラハンの問いから逆に昨晩起こった出来事を推理してみせた。
いっそ楽しげな小娘に首なし騎士が確信する。
「貴様なにをやらかした?」
エルランドにおいて雷を――常若の国へと去った妖精の助力を得られるのは賢者のみ。
そして賢者は時に、王以上の権威を持つ。
王の選定や祭儀、裁判などを行うがそれだけではないのだ。
私財の所有制限――大きな土地や農民などを持たないよう自らを戒める気高き賢人たちは言わばこの島の良心。
王や領主が領民の無差別殺害、重税を課す等、禁忌とされる悪行を諌める立場にいる。
支配者がその諫言に聞く耳を持たず暴走を続ければ、賢者たちは合議の元『汝、王に足らず』と王の廃位を宣言することさえできる。
これは新米首なし騎士でさえ知る常識。
その後はもうお約束の展開だ。
人の身でありながら巨人や竜と同じ”倒すべき悪”と断じられれば最後、島中から集った英雄志願者に袋叩きにされる。
賢者を敵に回すということは、それだけでこの島に生きる人間として致命的なのだ。
「いやいや。決めつけは良くないよ。騎士殿を退治するために賢者の谷よりおいでになったのかも」
別の可能性を述べてお姫様を攫った首なし騎士――”倒すべき悪”に微笑む城なし姫。
無駄に愛らしい笑顔に首なし騎士は一瞬意識を奪われかけるが克己心を総動員して耐える。
厄介なのは小娘の言い分もある意味正しい点だ。
デュラハンは、これまでにかなりの数の賢者を殺害している。
数十年前には賢者を含む討伐隊を百名近くを惨殺したばかりだ。
吟遊詩人が監視している以上、六頭曳き戦馬車と三日月型の大鎌という特徴は時間差無く拡散されたはず。
デュラハンを退治するためだけに賢者が出向く可能性は高い。
しかし賢者が本気でデュラハンを退治するつもりなら昨晩の雷鳴が道理に合わない。
首なし騎士に賢者の存在を気取られ警戒心を強めるだけだ。
大事の前の小事――赤帽子相手なら毒の霧を呼び出す等、静かに始末する方法あるのだから。
ならば昨晩の集団は何者か?
「ああ、だから私が禁忌を、か」
デュラハンが己の考えを伝えるとなるほどね、と納得するルフェイ。
繰り返すが賢者はこの島の良心だ。
簒奪者や謀反人に協力して成人もしてない少女を殺害したりはしない。
寧ろ諌めるか反対する。
なのに昨晩の雷鳴。
ルフェイが領主代行していた際に禁忌に触れるようななにかをやらかしたのではないか?
そしてそのため追手に賢者が同行しているのでは、と首なし騎士は考えているのだ。
実際は追手の指揮官――賢者に成り損ねた青年が咄嗟に最強の術をぶっ放したのが真相なのだがデュラハンもルフェイも知るはずも無い。
猜疑の眼差しが乙女を貫く。
「そんな…………私が禁忌を犯すような人間に見えるかい? 心外だね。騎士殿」
疑われのは心外だとばかりに大げさに顔を振るルフェイ。
銀髪が揺れ仄かに甘い香りが拡がっていく。
しかしデュラハンの目は捉えていた。
ルフェイの首筋を伝う一滴の透明な雫を。
猜疑が確信へと変化する。
「――見える」
”やめ賢”ロインの放った雷は、意図せずに元々無かったデュラハンとルフェイの絆へ大きな楔を打ち込もうとしていた――




