辞め賢者 愚痴る
「この歌はなんだ! これではまるでウーザー様が端役ではないか!!」
レンスター王国の北部、モルガーナ家の治めるある小さな村。
昨今流行の未だ名も無き英雄譚を耳にした男たちが怒声を上げ吟遊詩人に詰め寄っていた。
男たちは皮鎧に半裸など装いは様々だが腰に剣を佩いていたり背中に槍を背負っている――戦士の証だ。
戦士たちは他の聴衆がざわめくのも気にせず怒鳴り吼える。
「どうかされましたかのぉ戦士の方々? 何か私の歌に何か?」
筋骨隆々たる体躯と猛牛のような顔をした戦士の集団に詰め寄られた老詩人は、慌てず騒がずなにか問題がありましたかな、と聞き返した。
エルランドの地では吟遊詩人は敬われる立場にあるとはいえ何事にも例外はある。
酒に酔った戦士に絡まれる、自分の英雄譚を捏造して広めろと強要されるなどなど。
それに比べれば強面の戦士に囲まれるぐらい些細なことなのだ。
またか、という感情を隠し微笑む詩人。
「何か、じゃねえッ!? なんでウーザー様のことを謳わねぇてっ言ってんだよ!! 首なし騎士より先に元凶であるウーザー様を讃えろよ!!」
「はあ……? ウーザー様、ウーザー様……ああ、なるほどぉ」
詩人は戦士たちが興奮している理由に思い至った。
ウーザーとは、未だ名も無き英雄譚で琥珀の君を追い出した小悪党。
そしておそらくこの戦士たちの主なのだろう。
詰め寄る戦士たちはこう言いたいのだ。
『どうして自分たちの主である大領主ウーザーが英雄譚の好敵手でなく端役なのか』と。
確かに未だ名も無き英雄譚では、琥珀姫を追い出した謀反人ウーザーは端役だ。
誉れを何より重要と考えるこの地では屈辱的扱いに他ならない。
これが簒奪者として悪行を唄われればまだ面目が立つ。
男たちも端役よりましだと納得しただろう。
この島では英雄の好敵手として名が残ることもそれはそれで誉れなのだ。
「そうだ! ウーザー様だ! 大領主ウーザー=モルガーナ様こそ簒奪の業を唄われるべきだろ」
「ええ、それはまあ……」
猛烈に自分たちの主を押してくる筋肉津波に一応の同意を示す吟遊詩人。
だが内心では、簒奪ぐらいじゃ最近の英雄譚で敵役張るのはちょっとね、と扱き下ろしていたりする。
弱いことは罪であり奪われることは悪である、という考えがまかり通るこのエルランドの地。
大陸からは蛮族の巣だの修羅の巷だの言われるだけあって、やり過ぎる悪徳領主が現れては英雄に討たれるのが常だ。
今更、簒奪や謀反程度で聴衆の関心を得ることはできない。
英雄の試練としても首なし騎士から姫を助け出す方が箔がつく。
「ウーザー簒奪……苦労譚として唄いなおせや!! 最近はますます負担が増えて髪が髪がと夜な夜な嘆かれて……」
もう琥珀姫関係ないじゃん、という主張を酒臭い息とともに吐く戦士。
詩人に詰め寄るというこの島では失礼を通り越して自殺行為に近い暴挙に出た理由も判った。
酔っている。それも凄く。
吟遊詩人としては断わりたいが断わると何をされるか判らない。
英雄譚を創作するためなら命を賭けるてもよいが、こんなどうでもいい話で殺されたら流石に損だ。
さてどうしたものか、と帽子の位置を直しつつ時間を稼ぐ青の詩人。
たださほど時間を稼ぐ必要は無かった。
救援が現れたのだ。
「皆さん、落ち着いてください。青き旅人に礼を失することなかれ、ですよ。戦士としての矜持を忘れてはいけません」
その救援は戦士たちの肩を優しく叩き、柔和な笑みと小さなそれでいて心に残る声を以って場の空気を変えてしまう。
そして猛っていた戦士たちの間を流水のようにすり抜けたのは二十歳を過ぎた程度の若い男。
理知の光を青い瞳に秘めたやや童顔の青年であった。
「詩人様、僕の供回りたちが申し訳ない。平にご容赦を」
「ロイン様!」
戦士たちが驚くのも気にもせず青年は詩人の前に膝をつき鳶色の頭を下げる。
戦士たちを供回りと言う青年は、騎士であるはずなのだが鎧ではなく灰色の外套に身を包んでいる。
両手の平を上にして――敵意悪意は無く敬意を持ってると示す精錬された作法は騎士というより寧ろ……
「まさか……賢者……?」
「慧眼恐れ入ります。ただ確かに僕は、一度は賢者の谷に身を置きましたが俗世に舞い戻った未熟者でございます。どうぞそのままで」
賢者見習いを前に身を正そうとする老詩人へその必要はないと微笑む青年。
年齢を考えれば二倍以上詩人のほうが上だがこの場を支配しているのは既に若者のほうであった。
戦士たちも他の聴衆も若者の一挙手一投足に目を奪われている。
「僕の名はロイン。俗世に戻り来てモルガーナ家の筆頭騎士を拝命しております。…………なにとぞ従者たちのご無礼を……」
繰り返し謝罪する賢者に等しい若人に老詩人は謝辞を受け入れ宴は再び平穏を取り戻した。
宴も終わり老詩人も退席して暫し後。
「さて、皆さん。僕は言いましたよね~え。『酒、食は慎み身を清めよ』と?」
若人――モルガーナ家筆頭騎士ロインは供回りの戦士たちを恨めしげな顔で見回しどんよりと陰に篭った口調で詰問する。
そこに先ほどまであった賢人の立ち振る舞いはなかった。
ただし戦士たちはその落差に驚くより先に弁解に勤しむ。
なにせ賢者の怒りは神の怒りに等しい。
それが賢者になり損ねた自称未熟者であってもだ。
「ロ、ロイン様それはあの詩人が……」
「詩人様に喧嘩売るな馬鹿か!」
「せっかくの宴なんだし酒ぐらい……」
「てめえ僕たちの仕事忘れたのか! 暗殺だぞ暗殺!! 騒いでどうする?」
「腹いっぱい飯喰いたいです坊ちゃん」
「僕が食べれないのにお前等だけ食わせるかばーかばーか! 後、坊ちゃん言うな!」
騎士には見えない若騎士と百戦錬磨ぽい従者たち。
彼らは数日前にモルガーナ家の新家長つまり大領主ウーザー=モルガーナより領主代行だったルフェイ=モルガーナの暗殺を押し付け、もとい命じられた一団だった。
ただし先に放たれた三度の暗殺とは大きく違う点がある。
モルガーナ家の直属の騎士や戦士ではなく傘下の領主家から集められた者たちなのだ。
「たく、ウーザーのおっさんも面倒なこと押し付けやがって」
「ロイン卿、あまり滅多なことは……」
「面倒は面倒だろ。小娘一人始末できずに僕たちに泣きついてくるなんて」
そのため忠誠心もまちまち。
中でも最も忠誠心がないのが一団の指揮官でありモルガーナ家の筆頭騎士を無理矢理拝命させられた青年ロインだったりする。
「明らかに失敗する要素しかねーだろ。あの禿げ頭め」
腕を頭の後ろで組み寝転がるロインは不平不服をぶちまける。
そんな横柄な態度にしかし戦士たちは顔を見合わせるだけで何も言わない。
それにはロインの特異な経歴が関係している。
彼はモルガーナ家の筆頭騎士ながら剣才は皆無でありここにいる戦士たちの誰よりも弱い。
出身も小領主ヨウトン家の三男で高いともいえない。
しかしロインは齢五歳にして賢者の谷へ招かれた神童であり、十九年に渡る修行を治めた紛れもない賢者――になり損ねた男なのだ。
そう……なり損ねたのだ。
後一年で修行を終え賢者と認められる二十年目を目前にしてヨウトン家の家長と後継者が戦死するという予想外の出来事のせいで。
戦死したのは主家であるモルガーナ家の前家長ルーザーの供回りとして出征した戦争でだ。
「ルーザーの戦馬鹿がいなけりゃ今頃は真理の探求に耽溺していたのにいいいッ!」
後はもう転がり落ちるようにロインの人生は狂っていった。
まだギリギリ還俗可能な修行中だったロインは、賢者の谷から強引に連れ戻されヨウトン家の家長に就任。
翌日には主家であるモルガーナ家から筆頭騎士になれとのありがたくない辞令。
即日、前領主の娘の暗殺を拝命したのだった。
「馬鹿じゃね! 筆頭騎士になれそうなのが僕しかいない状況で子供の暗殺に一団差し向けるとか耄碌するの早すぎるだろウーザーの禿め」
ロインは暴言を吐いているがその頭脳には賢者として多くの知恵と知識が詰まっている。
”やめ賢”のロインを筆頭騎士にするのは戦争の敗北と暗殺失敗でまともな指揮を取れる騎士が枯渇したということだ。
経験の浅い騎士や実力のある戦士はいるだろうが、傘下の領主家から集めた戦士を纏めるだけの”箔”が足りないのだろう。そもそも他の家から戦士を集める時点で駄目駄目な状況だと喧伝してるのだから。
そこで選ばれたのが”やめ賢”でヨウトン家の家長になったロインだ。
領主という地位に賢者の谷で学んだという権威。
後は筆頭騎士の看板もおまけで付けたというわけだ。
その知性を利用しようという魂胆もあるだろうが……
「やば過ぎる! やば過ぎるだろモルガーナ家! 明らかに捨て駒じゃん僕ら!!」
正直、姫君の暗殺なんてやらずに谷に返りたい、というのがロインの本音だ。
だいたいほっとけば標的――ルフェイ姫は首なし騎士に殺されるはずだ。
態々刺客を送る必要性は低い。
だがウーザーは暗殺を急ぐ。
非常に低い可能性だが、万が一首なし騎士が倒され姫が英雄の手に落ちたら……次はウーザーの禿親父が狙われる。
それをウーザーは恐れているのだろうとロインは推測していた。
魔物を退治し姫を救い、領主の地位を簒奪した謀反人を討って領主に納まるなんて英雄譚の典型だ。
――実際はルフェイ本人を恐れてのことだがロインはそのことを知らない。
「吟遊詩人どもめ余計な唄広めやがって」
確かに王に継承の許可も得てないし前領主ルーザーの遺児を始末しようとするのは――これには命令を受けたロインも若干不満がある――やり過ぎかもしれない。
だが問題視される前にすべて処理してしまえば王も追認する程度のこと。
それが首なし騎士が首を突っ込んできたせいで島中の注目を集める簒奪劇になってしまった。
「切札かなんだか知らないけど。あんなものまで持ち出しやがって」
ロインが見詰めるその先には、
「ぐうううううううううううううううううううううううううううううううう」
鎖で何重にも巻かれたが赤と黒の獣が唸り声を上げていた。




