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英雄志願者 第二次面接

 遅かった……遅かった遅かった遅かった遅かった遅かった遅かったッ!


 大領主グラダンの筆頭騎士コンプレが首なし騎士を追いかけ野営地だった(・・・)場所に駆け戻った時、あらゆるものが失われていた。


 天幕と共に焼ける戦利品の数々。

 物言わぬ躯となった誇るべき同胞たち。

 転がる首級は――ようやく成人を迎えた愛しかった息子。

 コンプレが数十年の生で築き上げてきたものがほんの僅かな時間で消えた。


 奪ったのは夜よりなお暗い闇を纏った首なしの騎士。

 人の背骨を模した柄に三日月の刃という不気味な大鎌を携えたあの世の使者。

 コンプレが、戦士が、騎士が、英雄が討つべき怪物。


 だがコンプレの心と魂は別のものに奪われていた。


 愛するものたちを喪失した悲哀の嘆き。

 憎き仇への燃え盛る報復の怒り。


 それら筆頭騎士として父として抱くべき思いが根こそぎ引き抜かれてしまっていた。


「なんと……なんと美しい……」


 惚けた声でどうにか思いを言葉にする。


 美であった。


 月明かりを炎で熔かし編んだような銀の髪は淡い燐光を放ち、千年寝かせた蜂蜜酒より深く濃い瞳は彼を静かに見据え、艶やかさと清楚さを併せ持つ唇は優しく微笑んでいる。


 自分たち生者と同じ世界にいるとは信じられない、儚く美しい娘が戦馬車に腰掛けていた。

 髪と眼に合わせた銀の腕輪と琥珀の胸飾りは清楚な蒼い衣を彩り貴ぶべき血を感じさせる。

 はるか昔に常若の国に去ったと教えられた妖精とはこのような容姿をしていたのだろう。


 無念の表情で転がる息子の首級さえ目に入らない。

 掴んでいた槍が手からこぼれ落ちそうになる。

 コンプレはただ、ただただその美に酔いしれた。


 暫し……矢を天上に放ち地に堕ちるほどの時が過ぎたころ、彼と愛しき姫が闇に遮られる。


 首ない騎士が差し出した大鎌だった。

 それがコンプレの意識をこの世に戻した。

 血に汚物、肉が焼ける臭い視覚により誤魔化されていた不快な現実へ。


「何をするッ!!」


 姫への慕情に同胞と息子の死に対する怒りと悲しみを奪われていたコンプレは、視界から姫の姿を隠されたことでようやく彼の至高の時を邪魔する存在――首なし騎士への憎悪を抱く。

 だが怒鳴りつけながらもコンプレは首なし騎士の行動の動機を理解していた。


 ああ、あんな、あんなにも美しいモノを持っていれば隠したくもなる。


 コンプレはこの島の男子として『女は男の所有物』という考えを持っている。


 ――羨ましい。


 当然、戦馬車に乗せられた娘は首なし騎士が所有していると判断したのだ。


 ――妬ましい。


 首なし騎士に関する伝承なども知っていたが、あの美しい娘なら首なし騎士すら首を刈らずに愛すだろうと疑念すら抱かなかった。


 ――奪いたい。


 故に……コンプレは静かに槍の穂先を闇の騎士へ突きつける。


「我が名はコンプレ! ベルフォーセット王国大領主グラダンの筆頭騎士コンプレ! 我は首級を枕に眠り。あらゆる戦にて勝利の杯を掲げた。名も知らぬ首なしの騎士よ。麗しの姫のため! 天地を脅かす災禍終わらせるため!! 我が槍で汝を討ち果たさん!!」


 そこに欲する女がいるならば己が武で奪い取れ。


 この島の男子として悩みも躊躇もせず首なし騎士へ名指しの決闘を挑むコンプレ。

 ただの化け物ならば退治し討伐すればいい。

 しかし相手の所有物を欲するなら決闘を挑む必要がある。

 化け物相手には過ぎたる礼だと思いつつもコンプレは名乗りも挙げた。


 名乗りとは、決闘前に己が正当性を述べ戦意を高めることと名を知らしめること二つの目的が存在する。

 幸いそこかしこに吟遊詩人の気配が――戦馬車の陰にも――あった。

 彼らは首なし騎士を討伐すれば、娘の所有者はコンプレだと証言してくれるだろう。


 なおコンプレの名乗りにあった『首級を枕に』とは数多くの決闘をし勝利したという意味で、他にも『首級を股に挟んで』『首級を抱きしめて』など定番の台詞がある。


 決闘の形式は整った。

 後は首なし騎士が承諾すればよし、もし承諾しなくても決闘を申し込んだという事実さえあればよい。


「…………」


 だが首なし騎士が決闘に応じるように身構える寸前、


「御名乗りいただきありがとうござます。コンプレ様」

 

 戦馬車の上で微笑んでいるだけだった少女が、遥かなる草原のように起伏のない胸元で両手を重ね合わせ貴人としての礼を取った。

 幼くも耳に甘く溶けていく声は続ける。


「私の名はルフェイ。ルフェイ=モルガーナ。レンスター王国のルーサー=モルガーナの長女……分不相応に”琥珀姫”と呼ばれておりました。コンプレ様との月下の出会いを運命の女神に感謝いたします」


 騎士の決闘に女が割り込むな、という考えすら浮かばない。

 女と少女の狭間をたゆたう不思議な響きに股間から脳天へと何かが噴出しそうになる。

 姫の愛らしい声音は、伝説の詩人が銀、銅、鋼、鉄――いかなる弦を張られた竪琴を爪弾いても敵うまいと感じられた。


「あ、ああ、我も我も運命の女神、感謝する。感謝している。姫よ」


 琥珀の瞳に見詰められ心を高鳴らせつつも騎士として女神を称え応じる。

 ぎりぎり無様にはならなかったはずだ。

 だが姫の御言葉に、コンプレは頭の中で僅かな引っ掛かりを覚えた。


 モルガーナ……琥珀姫……戦争……決闘……首級……


「本当に運命の女神は悪戯が好きなのですね。コンプレ様、是非お聞きしたいのですが…………最期ルーサーは笑っていたかい?」


 妖精の囁きがよこしまな道に足を踏み外した狡猾な賢者を思わせるものへとがらりと変わる。

 深酒で酔った様な頭の中でとある騎士の笑顔と姫の笑顔と重なった。

 己の最期まで楽しむルーサーのおぞましき顔と父親の最期さえ微笑んで訊ねるルフェイの顔が。


 ルーサー=モルガーナ、先の戦争にてコンプレが討ち取った騎士の一人。

 今もその首は油壷に沈み燃える天幕で転がっているはずだ。


 つまりこの姫は父親を殺され、殺した相手は――我。



「お、おおおお、おおおおおおおおおッ!!」


 運命の悪戯に腕が震えた。



 これこそが運命(・・・・・・・)と。


 まるで虹の騎士の物語の如き愛しい姫との関係にコンプレの心は生涯最高の高みへと登りつめた。


 かつて大英雄クランは四十九人の妻たちを娶る時、その父や兄を決闘で討ち取ったと伝わっている。


 全てを失った英雄と自身が殺した騎士の娘との出会い。

 コンプレの人生も先の戦争も首なし騎士を討つことも今宵この瞬間のため。

 永遠の英雄となるべくして己は生きてきたのだ。



 幼き頃から英雄に憧れ、騎士となってからも様々な物語を嗜んだコンプレは、エルランドに生きる騎士の一典型だった。

 伝説の英雄たちの苦難と自身のそれを重ね合わせ、身も心も一体となったと考える英雄願望を持っている。

 最もそうでもしなければ正気を保てない状況でもあるのだが。



「愛こそを尊び! 我信じるままに貫かん!!」


 この場に相応しい流派の”誓約”を叫びつつコンプレは栄光へと踏み出す。


 強く握り締めた槍の柄は太く頼もしく……だがじとりと汗で濡れていた。

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