英雄志願者 第一次面接
常夜の森が鳴動していた。
「ルダーナよ。我らに邪悪を貫く力を」
怪異を前にして全知全能の神ルダーナへと祈りを捧げる男は、ベルフォーセット王国大領主グラダンに仕える筆頭騎士”髭熊”コンプレ。
筆頭騎士とは領主に仕える騎士たちの中で最強騎士のことで家宰と並んで家臣の双璧であり、戦における最前線の指揮や代表者を出しての決闘を任せられる。
彼は久方ぶりに起こった国家間戦争への出征を終え帰国しようとしたところ、魔境である常夜の森に異変の兆しありと語る吟遊詩人に導かれた一人。
勝ち戦の余韻もあり見習い騎士の息子や供回りを引き連れ現場に向かいコンプレは歓喜した。
常夜の森に一本の道が出現していたからだ。
毎年英雄志願者が挑み戻ることのない魔境にどうぞといわんばかりに道ができていたのだ。
この島での戦士や騎士など戦いを生業とするものにとって渇望することがある――英雄譚に語られることだ。
王位を得ようが美姫を娶ろうが歌に謳われなければその生に意味はない。
しかし英雄譚に謳われれば永遠にその名を世界に刻めるのだ。
伝説の英雄である虹の騎士クランも言っている『俺は太く短く生きるんだよ』と。
王が戦争を起こすのも領主が隣の領主に喧嘩売るのも騎士が決闘大好きなのも全て英雄になるためとまで言われている。
コンプレは貧しい領主家の生まれながら、巧みな槍捌きで村々や領主間の戦で名を挙げていった騎士だ。
三十を超える頃には大領主家からぜひ筆頭騎士にと招かれ幾つもの決闘で勝ちを重ねた。
褐色の髪と豊かな髭から”髭熊”と呼ばれたのはこのころからか。
更に先日のベルフォーセットとレンスターの戦争――両軍合わせて千を越える戦士が参戦した――では領主の代理として三人の騎士を刺し屠りいよいよ永久の英雄への一歩を踏み出した。
誘われた魔境。
コンプレは確信した。
運命の女神は我を選んだ。
近隣で略奪に勤しんでる他領の騎士たちも徐々に集まっているが関係ない。
常夜の森の試練に挑戦し打ち破るのはコンブレなのだと。
そして今宵、一日掛けて拠点となる陣を張り明日には森に挑むという夜、森から謎の奇声が響いた。
動揺する息子に戦支度を命じコンプレは槍を片手に真っ先に野営地を飛び出す。
物見は戦の基本であり何が起きてるか判断できる者がするべというのが彼の持論だった。
四十が近づいても未だ衰えぬ筋肉を纏った身体は他の誰よりも早く異変の源へと彼を走らせた。
そして彼は試練に挑戦する権利を得る。
その試練は首なし馬に曳かれた戦馬車とそれを操る首の無い騎士の姿をしていた。
「首なし騎士ッ!!」
闇の騎手。
あの世の御者。
残酷な死の担い手。
幼き日に聞かされた御伽噺の悪夢。
この島に生きる人間なら誰でも知る最凶の化け物。
信じがたいことにその怪物は一抱えもある太さの木々を束にしてへし折り斬り飛ばしながら突っ込んでくる。
コンプレは己の顔が引き攣るのを感じた。
自分は今、笑っていると。
「最初の試練がよりにもよって首なし騎士とか魔境過ぎるぞ常夜の森よッ!」
怪物の出現に引き連れていた従者たちが松明を捨て慌てて武器を構える。
彼らは全員がコンプレが認めるだけの技量をもった戦士でもある。
だが指呼の間に迫る闇の戦馬車に対して愚か過ぎる行為だ。
「馬鹿者、逃げろ!!」
コンプレはそう叫ぶと首なし騎士が得物――大鎌を構える右腕とは逆の戦馬車の左側へと転がるように飛び込む。
大地が割れると錯覚するような轟音とともに漆黒の戦馬車がコンプレの側を駆け抜けていく。
瞬間、コンプレは首筋に寒気を感じ咄嗟に体を捻りもう一回転。
何かがうなじの毛を撫でた。
転がった勢いを利用し立ち上がった歴戦の騎士はしかし、
「ぬ、うあう……」
槍を構えたままあまりの惨状に声を絞り出す。
首なし騎士の大鎌に首を刎ねられたと思しき従者は首と胴が離れるだけですんでいた。
しかし六頭の首なし馬と巨大な戦馬車に轢かれた他の者は何人いたかすら分からない。
全員が赤い雨と肉片になって草原へ五体を散らしていた。
コンプレが生き残ったのはただの幸運。
首なし騎士が多くの人間を――固まっていた従者たちを殺すことを優先したからだ。
結果一瞬で十名近くいた供回りは断末魔も最期の姿も残せずにこの世から消えて失せた。
血に内臓や糞尿、人に詰まっていた全ての臭いが鼻だけでなく喉そして腹へと染み込んでくる。
並の戦士ならそれだけで腰を抜かす光景があった。
だがコンプレは込上げてくる吐き気を激情をもって押さえ更に怒りを戦意へと変える。
彼が修めたゴトン流剣術の”誓約”に『怒りをもって刃を振るえ、哀しみをもって刃を振るうな』というものがある。
多くの騎士や戦士は”誓約”を守るべき戒めと捉えて入るがコンプレにしたらそれは間違いだ。
”誓約”とは戦場の心得であり戦意を保つ術なのだ。
実際はコンプレは、この悪夢の光景を作り出した首なし騎士に怒りは感じても一切恐怖を抱いていない。
腰は萎えることなく駆け出し戦馬車――彼を無視して野営地に向かっている――を追いかけている。
「レジェ早まるなよ」
しかしコンプレは高まる戦意と別に野営地に残してきた息子の心配もしていた。
『愛こそ幸福なり』――男女愛、夫婦愛、親子愛、家族愛、同性愛あらゆる愛を慈しみ尊べというのもまたゴトン流にある”誓約”だ。
あの化け物が野営地に踊り込んだらどうなるか。
先の戦争でようやく初陣を飾ったばかりの見習い騎士が己を律することができるか。
大地をどすんどすん、と太鼓を打つように鳴らし駆けるコンプレ。
首なし騎士への怒りと息子への愛を燃料に戦意を燃え上がらせる。
しかし彼の足はあの世の首なし馬に比べあまりにも短くそして遅いかった。
黒い災いの影は天幕の壁を容易く抜き闇に明るく浮かぶ野営地へと入り込む。
不安と恐怖が怒りを上回る。
それでも槍を強く握り締めより一層の力を込めて”髭熊”の二つ名に相応しい猛獣の如き速さで駆ける。
無限にも感じるしかし実際は百を数える程度の時間でコンプレは追いついてしまう。
第二の惨劇の場へ。




