首なし騎士 告られる
兜だけ被り剣を掴んだ戦士がいる。
鎧を着ける間を惜しんで馬に乗る騎士がいる。
槍と盾以外何も纏わず天幕から飛び出す全裸がいる。
夜目の利く首なし騎士の瞳には戦いの準備を始めた戦士たちの姿にがはっきりと映る。
そしてデュラハンは自身が二重の罠に掛けられたことを悟っていた。
押し殺した声でしかし怒りを隠すことなくデュラハンはルフェイを睨む。
「こっ、小娘、貴様は?」
「何かな?」
だが何百何千いう人命を刈り取ってきた殺戮者を前にして齢十四、五歳の少女は恐れることも怯むこともない。
寧ろその激情が心地よい良いと言わんばかりに邪悪に微笑んだ。
「それより騎士殿の叫び声で不運にもベルフォーセットの戦士たちに気づかれてしまったよ。どうするんだね?」
「ルフェイ! 謀ったな! ルフェイイイイイイイ!!」
憎いほど厚かましい様子でデュラハンを責めるルフェイに冷静を尊ぶあの世の御者も身上を忘れそうになる。
この小娘――ルフェイは自らの言葉でデュラハンを翻弄して声を上げさせた。
てっきりデュラハンをからかってその様を楽しむだけだと思っていたが、真の目的は常夜の森の外で野営する戦士たちを誘い込むことだったのだ。
何故か?
簡単なことだ。
「小娘、貴様。俺に親の仇を始末させる気だな!」
ルフェイは先日父親を戦で失っている。
殺したのは徐々にこちらに歩みを進めるベルフォーセット王国の戦士たち。
一年後自身を殺すと予告した首なし騎士と父親の仇に殺し合いをさせ算段だったのだ。
どちらが勝っても――デュラハンが負ける可能性は絶無だが――ルフェイに損は無い。
「何のことだい?」
だがルフェイは金色の雪が降る宝石の瞳を瞬かせ今度こそ歳相応に困った顔をする。
あまりにも嵌った仕草にまた演技かと思い首筋に目をやる。
首は口ほど物を言う――首なし騎士業界に伝わる言葉だ。
熟達の首刈り職人でもあるデュラハンは首の血色、発汗、香り、角度などから獲物の心理状態ぐらいなら判る。
表情や声は誤魔化せても血流や付随筋――自らの意思で動かせない筋肉――は誤魔化すことは基本的にできない。
ぐいっと左腕――顔を小娘の首筋に近づける首なし騎士。
「おや?」
驚いたように首を傾げるルフェイ。お陰で見分がしやすくなった。
誰も足を踏みこんだことのない聖域に積もった初雪の如き肌――血流に変化なし。
当然ながら雪解けは遠く――冷や汗もかいてない。
香りは羊の乳に似ただが僅かに清々しい匂いが混ざり合っている。首飾りの琥珀の香りだろうか――偽りの匂いはない。
角度は真後ろから見るより髪が耳に掛かる程度の斜めからが好ましい――もう少し髪の生え際を剃るべきかもしれない。
概ね満足。
やはりこのデュラハンの目に狂いはなかった。
これほどの首は千年に一度であろう。
眼福眼福と極上の首を味わった首なし騎士は深く頷き身を正す。
「……騎士殿。なにが……?」
首筋をじろじろ見られ嗅がれたことに訳が分からず戸惑う小娘。
普段の狡猾さに比べ察しが悪い。
それにしても小娘の首には嘘をついている様子はなかった。
念のためと口に出して確認する。
「小娘、貴様は親の仇を討ちたくはないのか?」
「仇? ……ああ、そうかそうか。いやいや誤解だよ騎士殿」
ようやく合点がいったと頷くルフェイ。
いつもの不遜で悪辣で喜悦に満ちた顔に戻る。
「私は父上の仇討ちなんて望んでいないよ。戦に出た以上死ぬこともある。まあ、モルガーナ家のためになるなら始末するのもやぶさかではないが……既に乗っ取られしまったからね」
人間の感情を真の意味では理解できないデュラハンでも分かる。
この小娘はどこもかしこもおかしい。
あの世の使者に対する態度はもちろんだが、この世の生者に対しても異常なのだ。
「だいたい、だいたいだよ。あれだけ年中戦ばかりしてたんだ。その内誰かに殺されることぐらい予期していたさ。できればもう三年ぐらい生きていてくれればよかったんだけどね」
やれやれと首を振る仕草がやけに様になっている。
首筋を再度覗うが嘘の気配は皆無。
残念だと思っているがそれは親愛の情からではなく別の……より実利的な理由しかないのだ。
「それにあんな英雄志願者たちの破滅なんて興味すら湧かない。今の私は騎士殿一筋だよ」
トドメは吟遊詩人唄う恋歌に出てきそうな台詞。
恋愛譚に造詣の深くない首なし騎士にでさえ伝わるものだった。
しかし小娘の表情は恋する乙女というより蜂の巣を目の前にした熊か蛙を見つけた蛇。
これでは千年、いや六千年の恋でも実るまい。
渾身の告白をしたつもりのルフェイと世にも稀な珍獣を発見してしまった感のあるデュラハン。
二人は星も翳る夜の森で静かに見つめ合う。
「「…………」」
「あ、あのーいちゃいちゃしているところ非常に心苦しいのですが。よろしいですかな?」
おずおずとした声に自分たちだけの世界――喰うか喰われるかの熱い世界から城なし姫と首なし騎士は帰還する。
いちゃいちゃとはどんな意味だと訊ねる前に、吟遊詩人のフェイクトピア――胡散臭い中年親父が、らしからぬ控え目な態度で続ける。
「お邪魔して申し訳ないッ! 我輩としましてもあのままじっくりねっとりたっぷり楽想を満たさせていただきたかったのですがこちらの方が急を要しますので……」
「なんだ言ってみろ」
「なんだと言いますか。……逃げるとかしなくてよろしいので?」
俺が何故逃げねばならん、と言いかけたデュラハンは兜を手の平で一回転。
英雄志願者―‐ベルフォーセットの戦士たちが向かってきていたことを思い出す。
視線を向けるまでもない。
草を踏みつける革靴の音がかなり迫っている。
戦士たちの先頭に立つ騎士は既に森と野営地の中間地点を越えていた。
松明を供回りに持たせ用心深く進む様は緊張と慣れを適度に保ち恐れもない。
良い騎士だ。”刈り取り”のときにこんな騎士がいれば真っ先に首を刎ねるだろう。
デュラハンの中にある考えが浮かぶ。
……いっそこいつらにこの小娘を渡したらどうだろうか、と。
女は男の所有物として扱われる。
あの容姿ならば大事にされるはずだ。
更に今なら一年後に首なし騎士の襲撃というおまけ付き。
化け物を退治して英雄譚に謳われんとする男たちにとっては王位に匹敵する餌。
なによりルフェイを狙う謀反人とやらも敵対するベルフォーセットにまで刺客を送り込むことは不可能なはず。
いざ具体的に考えてみるといいこと尽くめの考えだ。
だが首なし騎士の浅はかな企みは足の一歩、指の一本、動かすことなく潰える。
「そうそう騎士殿。……私をあいつらに押し付けようとしたら舌を噛むよ。流石に父上の仇に一年間玩具にされるのは御免被る」
そう忠告したルフェイの琥珀の瞳は澄み切っていた。
宝石のように輝いてた双眼はあらゆる命の消えた湖の如くただただ虚。
コイツハキットヤル……
考えが読まれていたことへの驚きより確信があった。
疑う気持ちは生まれる前に二つの虚に消えた。
「……俺は任務に不確定要素は持ち込まない」
貴様の恫喝に呑まれたのではなく、戦士たちが小娘を乱暴に扱う可能性があると答えて押し付け計画を破棄するデュラハン。
ということで森に迫る戦士たちは利用もできず任務遂行の邪魔にしかならないという結論が出てしまった。
首なし騎士は大鎌を振るい後方に控えている相棒たち――コシュタ・バワーに合流を命じた。
即座に二十四個の蹄が木々を蹴倒し前進を開始。
樹齢百年を越える大木が次々と折れ森が悲鳴を奏でる。
突如の轟音に英雄志願者たちが武器を構え警戒を高めた。
未知の異変に逃げ出さないとは勇敢なことだ。
デュラハンとしては”刈り取り”以外で騎士や戦士の首を刎ねるのは本意ではない。
立ち去るならば――任務の邪魔にならないならば見逃してもいいとさえ思っていた。
しかし月下に轟く戦馬車の蹂躙音を耳にして、なお誉れを求めるならば無碍にするわけにもいかない。
「丁重にもてなしてやろう」
闇の騎士は獰猛に笑った。




