姫 蕩ける
首なし騎士殿が、あの世の騎士が、ルフェイの騎士が庵の外で高笑いをしている。
その嬉しそうな笑い声にルフェイ=モルガーナは、つい騎士殿を責苛む手段を妄想してしまう。
騎士殿の過去の女――魔女マーティスとの思い出話から騎士殿は斬ったり突いたりしても反応が薄いだろうということが判明した。
やはり精神的にからかうのが一番効果的の楽しめそうだ。
愛らしい微笑を浮かべる少女はその胸をよこしまな気持ちでときめかせていた。
ルフェイ=モルガーナは、十四年前大領主ルーサー=モルガーナの長女として生を受けた。
翌年弟が生まれたこともあり領主家のため政略結婚の駒としてどこの囲炉裏を任されても――囲炉裏を任せるとは嫁になること――いいように育てられる。
人質か和睦の証かそれとも褒美か、送り先は王家か敵国か他の領主……どんな状勢で送り込まれても家のために暗躍できる精神。
詩歌・算術・薬学・読み書き・姦計・裁縫・医術・卜占・歌舞・測量・暦学・料理・幾何・扇動・毒見他もろもろの教養。
家長であるルーサーが戦でほとんど城にいないこともあって家内の差配をしていたルフェイの母は、男子の仕事――戦と宴――を除いて考えられる限るの学習をルフェイに課した。
もしかするとルフェイの母は自身が亡くなった時に備えて戦馬鹿の補佐をできる者を育てたかったのかもしれない。
事実、母が亡くなっても家内及び領地の運営はルフェイが遺漏無く代行した。他領との交渉も手紙や代理人を通じて対処した。
美の女神にも愛されたモルガーナ家の娘らしくたぐい稀なる銀髪に宝石のような瞳そして初雪の如き白い肌をもったルフェイは、美と知を兼ね備えた最高品質の駒と成った。
…………とある嗜好を除いて。
それは聡明な母すら気がつかなかったある意味子供らしい嗜好。
幼い時よりルフェイは騎士の訓練を眺めるのが好きだった。
武器を受け損ねた騎士が上げる苦鳴に胸の高鳴りを感じた。
幼い時よりルフェイは決闘を見物するのが好きだった。
敗者が命も名誉も財産も全て失う瞬間の顔に感動した。
”他者が苦しんでるさま”に充足感と爽快感を覚える。
簡潔に言うと――加虐嗜好と呼ばれるものだ。
どうしてと理由を聞かれたらルフェイは血筋だ、と答えるだろう。
彼女の父”美丈夫”ルーサーは戦場を愛した。
戦友を愛した
勝利を愛した。
首級を愛した。
名誉を愛した。
そしてなにより敵を敗者にすることを愛した。
自らの嗜好に疑問を感じたルフェイに『なにも問題ない。私も敵の絶望に染まった顔を真っ二つにする時快楽が全身を貫く』と父は笑顔で語ってくれた。
…………母が聞いていたら全力で父を殴り倒していただろう。
幸いなことに父と違ってルフェイは直接手を汚したりはせず、領民を虐待したりもしなかった。
誰かの所有物――女や農民――に興味はなく地位や立場の高い者が苦しむことがルフェイ的に重要なのだ。
またモルガーナ家にとって不利益なことはしないという義務感もあって、つい昨日まで本人その快楽を久しく忘れていた。
そう”忘れていた”だ。
謀反人に城を奪われ今まさに殺されようという時、首なし騎士からの熱烈な告白。
――『十の月が巡りし夜、汝の命を黒き三日月に捧げる』――
どうしようもなく”思い出して”た。
あれは傑作だった。
いやいやそれはないだろうあの世の使者と本気で呆れ。
左手の薬指に伝承のとおり”死の宣告”が刻まれていて目を疑い。
あの世の神に仕える騎士は宮廷道化師と兼業なのかと益体もないことを考え。
このまま私が殺されたらこの首なし騎士はどんな反応をするのだろうと想像したらもう止まらなくなった。
まあ、殺されてしまったら見れないのだが。
思い出すだけではしたなく喉が鳴ってしまう。
思い出すだけで両手両脚全身が震える。
思い出すだけで胸が一杯になる。
熱く黒く甘い気持ち。
うんうん。もちろん一年後”刈り取り”があるということは理解している。
ただ騎士殿を弄って弄って弄って弄って弄って弄りたいだけなのだ。
嬲り殺しに合うところを助けてもらった恩もあるのでできるだけ穏便にじっくりと味わいたい。
モルガーナ家については……成人男子でなければ領主や家長を務めることができない以上仕方が無い。
淑女であるルフェイはこの島の常識を理解し割り切っていた。
もし弟が成人していれば弟を傀儡――もとい盛り立ててモルガーナ家の実権を握ろうとしただろう。
ルフェイも首なし騎士が気がついた”例外”は知っていたが危険が大きいと選択肢から除外している。
領地の安定を考えるなら謀反人――当然それなりの武力が前提だが――に暫く城を預けるのも悪くない。
それに弟が成人した時の布石は既に打ったからね。暫く乙女として熱い思いに身を焦がされてもいいはずだ。
理論武装を固めた城なし姫は、首なし騎士をどう苛むかだけに無駄な情熱を注ぎ込む。
「……いろいろ教えることはあるがまずは食事の準備かねぇ」
首なし騎士をどう苦しめる思案していたルフェイに魔女マーティスが提案してきた。
囲炉裏の鍋に薬草や芋を放り込む老いた魔女。
頭の中だけとはいえ騎士殿をもっと弄りたかったという不満を余所に勝手に口が手伝うことを申し出て腕が鍋をかき回す。
顔は笑顔のままだ。
本心とは別に体が相手の立場と状況に合わせて礼に適ったな対応をとってしまう。
これも母の情熱的教育の成果。
「一度に話すには何もかもが多過ぎるからねぇ。何から話そうかねぇ」
鍋が煮えるのを待つ間、魔女が語りかけてきた。
ルフェイもマーティスが首なし騎士を適当な理由をつけて追い出したのは理解している。
ルフェイも訊ねたいことがあった。
「なぜ私を助けてくださったのですか? その、魔女様にとって騎士殿は憎い方では」
過去の話を聞く限り魔女にとって首なし騎士は怨敵。
ルフェイを助けなければ首なし騎士の苦しむ姿を愛でることができた。
首なし騎士を甚振る機会を逃した魔女の行動はルフェイには理解しがたいものなのだ。
ルフェイとて人の善意というものを知らないわけではない。しかしより強い思いや感情があると考えている。
「あたしに見捨てられるわけがないだろう。”死の宣告”を刻まれた人間を。あいつもそれを理解しているからあらしのところに連れてくるのさ諦めるには惜しい首級を”刈り取り”まで生かすためにね」
どうやら本当に善意だけで助けてくれたらしい。
為政者嫌いで通っている魔女様は吟遊詩人の唄より慈悲深いようだ。
「…………そう、なのですか」
震えた声を零し瞳は潤ませる。
命を狙われていることに動揺している姫に見えたはずだ。
教育のお陰で偉大なる魔女へは正しい態度がとれたと思う。
「これまでも何度かあったよ。戦傷が悪化した英雄に病に侵された領主……あたしの警告を聞かずに真正面からあいつを迎え撃って首を刈られたのもいたけどねぇ。
今度はそんなことはあたしがさせないし許さない。
怯える必要はないよぉ。あたしに任しときなぁ」
私の怯えた姿に魔女殿のやる気が上がった。
しかししかし。この魔女殿はこうも言っているのだ『あたしのほうがやつのことを深く知っている』と。
魔女殿としてはそんなつもりがないことはルフェイにも判るがどうしても腹の奥で何かが煮えてしまう。
もしかしてこれが愛というものだろうか?
「これも運命だ。あたしの全てを教えてやるよぉ」
「はい。教えてください。騎士殿のこと、もっと全て」
寒さに凍えるように身を震わせた。
しかしそれは熱い熱い心の震え。
六十年の差は大きい少しでも騎士殿のことを深く濃く隅々まで知らなくては。
囲炉裏の火に薪がくべられる。
首なし騎士の兜をこの鍋で煮たらどんな悲鳴を上げるかな。




