首なし騎士 嘆く
日の光挿さないはずの常夜の森奥深く。
日の光を浴びながら首なし騎士デュラハンは頭を抱えていた。
「ぬううううううううううううううううううううううううう」
普段から左手で抱えているのが今は両手だ。
直球で表現すると苦悩している。
何を悩んでいるかというと『常夜なのに日の光が挿す矛盾』。
……ではなく出先で問題が起きて予定を過ぎても帰れずおまけに問題解決の見通しが立たないことだ。
なお日の光の件は、デュラハンが森の外から魔女の庵まで邪魔なものを蹂躙走破したので傘となっている木々が折れてしまっただけである。自然破壊問題だが首なし騎士的に問題ではない。
「貧弱過ぎるだろう人間」
問題は”死の宣告”を刻んだ獲物が一年後どころか初日に死に掛けたことだ。
しかも戦馬車に乗せて走っただけで。
経験豊富なデュラハンとて経験したことが……
「……何度かあったな」
実は獲物の初日死亡は幾度も経験している。
首なし騎士業界入りした最初期は、どんな人間を獲物にすればいいか判らずに五十歳程度――エルランド島の人間としては長生き――の人間に”死の宣告”したら、それだけで脱魂昇天してしまうという失敗を犯したりもした。
当時その失敗を包み隠さず主に報告したら、とぐろを巻いていた御身を震わせ捻りのたうち最終的に猿のこぶし結びになってしまわれた。
猿のこぶし結びとは、何度か輪のように巻いた紐に垂直になるように輪を何度か巻き、最初の輪の内側で外側の輪に輪を巻くという面倒な結び方である。
それほどの怒りながらも主は大地を叩くように尻尾を振るった後『はやく下がれ』と許された。なんと寛大なことか。
もっとも暫くの間、謁見の度に何かを思い出しそして堪えるように腹を震わせておられたのだが……
「此度の件を報告したらどうなると思う?」
デュラハンは長年の仕事仲間である首なし馬――コシュタ・バワー達に意見を求めた。
だが庵の周りを散歩する六頭の首なし馬は、身を揺らしたり蹄で地面を蹴ったりするだけだ。
そもそも首から先が無いので返事があるわけ無い。
喋るどころか嘶きすら不可能。
そんなことはデュラハンにも当然判っていた。
だが獲物の治療を頼んだ魔女に庵を追い出された首なし騎士は何もできないが故に悪いほうへ悪いほうへと考えてしまう。
”死の宣告”を刻んだのに朝になってもあの世に帰れなかったことをどう主に説明するべきかを。
朝帰りならまだわかる。
『日が昇るぎりぎりまでいい首級を探してたんです』と報告できる。任務に時間を掛けているが良い結果を出そうという意気込みが伝わる。
しかし今回の件は『”死の宣告”刻んだ直後、獲物が殺されかけて更に戦馬車に乗せたら死にかけました』だ。
…………猿のこぶし結び以上に身を捻り絡まる主の姿が目に浮かぶ。いや、怒られる姿が目に浮かぶ。
しかも問題の解決が自身にできず他者に任せるしかないというのは納得していても、寧ろ納得しているからこそ誇り高いデュラハンの心を苛む。
「ぬううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう」
首なし騎士は再び頭を抱えて唸り声を上げた。
そんな本日十三度目になるデュラハンの奇行を余所にコシュタ・バワー達は散歩を続ける。
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「ぬううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう」
「煩いねぇ。静かにしな!」
デュラハンの苦悩が四十四を数えたときだった。
庵の中から魔女マーティスが現れる。
齢百歳及び徹夜明けなのにあの世の使者を罵倒するその声には力が溢れていた。
マーティスは久々に浴びる陽光に眩しそうに目を瞬かせるもフンと鷲鼻を鳴らしデュラハンを睨みつける。
「あんたが喚くとあのお姫様が目を覚ましちまうだろ。そんなことも判らないのかいこの首無し! ああ、知らないんだったねぇ。人を殺すことしかできない首刈り騎士はッ!」
恐怖と絶望の具現とまで語られる首なし騎士相手にここまで言えるのはエルランド島の人間ではこの魔女ぐらいであろう。
ちなみに人間以外なら妖精、巨人、獣人、竜などかなりいる。
ただし言えるだけで代償は払わされる。
「よく吼えた魔女! その暴言高くつくぞ!」
マーティスの暴言に一瞬で懊悩する勤め人から闇の騎士に相応しい風格と威厳を取り戻すデュラハン。
撒き散らされる死の気配に木々が獣が森に住まう全ての生命が魂を凍てつかせた。
首なし騎士が片手で大回転させるのは大鎌”忌わしき三日月”。
英雄どころか巨人や竜の首さえ刈り取ったことのある暗黒の刃が魔女の細首へと迫る。
「ああああああんんん? あたしを殺したらあのお姫様がどうなると思ってんだい! 昔かっら考え無しだと思ってたが本当に進歩が無いねぇ。この能無し、モノ無し、頭無しがぁ!! そんなんだから骨董品とかお笑い担当とか同僚に陰口叩かれんだ。あんたなんて××が**で##なんだよ!!」
「ゲハッ?!」
一瞬で纏った威厳は一瞬だけしか持たなかった。
密かに気にしていた首なし騎士業界の裏で語られる評価にデュラハンが膝を突く。
その後も続くあの世の使者ですら聞くに堪えない容赦ない罵倒。
「フン。あたしに勝とうなんて六十年遅いんだよ」
六十倍以上の年齢差がある相手の誇りを徹底的に破壊して勝利宣言をする魔女。
腰に手を当てて胸を張る姿が様になっている。
その眼前で地を這う首なし騎士へ中天に昇った陽光が一筋。
敗者という言葉以外に今のデュラハンを表現する言葉存在しないだろう。
勝敗が決着するまで安全な位置で待機していたコシュタ・バワーが近寄ってくる。
大切な主人の身を案じ、
ボス……
蹄で肩を踏む。
馬なのでめり込ませるだけしかできない。
それは奇しくも昨晩の再現。
こんな短時間で二連敗していいのかあの世の騎士、と励ましているように思えなくもない。
敗北した首なし騎士とそれを勇気付ける首なし馬の麗しき友情がそこにあった。
「……だ、そうだなコシュタ。この程度あの、海妖精との戦いに比べるべくもない。俺は負けない」
厳しかった過去の戦いを思い出し立ち直るデュラハン。
魔女の悪口と比較された海妖精――珊瑚の兜と三叉の矛を装備した若戦士――が好敵手の復活に笑みを浮かべてるような気がした。
「で、だ。魔女よ。あの小娘――ルフェイはどうした。大丈夫なのか?」
ただし舌戦の続きではなくルフェイの容態へと話を逸らす。
海妖精の戦士のことは忘れた。
ときには戦略方針の変更も必要だ。
無駄な戦い――戦とも呼べない一方的な結果だが――より職務に忠実なのだ。
「フン。当たり前だろう。あたしを誰だと思ってるんだい」
謙遜の欠片もないがそういえるだけの実力と自負が魔女にはあった。
あの世の使者が頼ったことも示しているが人間は当然として竜や巨人さえ彼女の知恵を借りに来ることがあるほどの傑物なのだ。
もっともそれが原因でこんな魔境に住むことにもなったのだが。
「では早くあの娘を渡せ」
「断わる」
所有者として当たり前の要求は腕を組んだ魔女に却下された。
「何故だ魔女!」
「あんたが首なし騎士だからさ」
この返事は魔女の個人的な種族差別や嫌悪だけではない。
人を癒すことを生業にしている魔女としてはあの世の使者に生者を渡すなんて承諾できるはずがないのだ。
更に首なし騎士に娘を預けられない理由もある。
「あんたに預けたらあの娘は三日も持たずに死んじまうよ!」
「ぐっ……いや、今度はもっとゆっくり走れば」
「話にならないねぇ」
魔女の見立てでは娘――ルフェイの体調は最悪を少し脱した程度。
十分な睡眠、滋養のある食事そして山より高く海より深い愛――具体的にはマーティスの献身的な看病が必要なのだ。
子供を育てたことのないマーティスだがこの全身を隅々まで清めてあげたいとか抱きしめてくんかくんかしたくなるこの感情こそ母性愛なのだろうと考えていた。
幸か不幸か、いやそれは邪念ですと指摘するものはここにいない。
「それに心のこともあるからねぇ」
「こ、こ、ろ?」
意味がわからない首なし騎士。
首級さえ手に入ればよいデュラハンにとって獲物の心など関心の対象外だ。
今回のような異常事態を除けばだが。
「体の不調は心にも影響するんだよ。死にかけたりすれば前後の記憶が曖昧になったり酷い時は数年間ぶんの記憶が消えちまうことさえある。そうなったら人格が変わることさえ……」
「人格が変わるだとっ!」
魔女が話す深刻な内容に主の救いかとばかり歓声を上げる首なし騎士。
昨日から娘の言動に胃の痛くなるような思いをしてきたとはいえ露骨である。
騎士として問題があると言われても反論できないだろう。
いや、デュラハンをからかうことに楽しみを見出すルフェイのほうがおかしいのだ。
『普通ここは白馬の王子様の出番だろ。配役と出番の両方を間違っていないかね、首なし騎士殿?』
『この状況で一年も生きれるわけないだろう。その兜の中はからっぽかね?』
『はて? 騎士がお姫様を助けるのは当然のことだろう。ああ、感謝の証は少し待って欲しい。流石の私も心の準備がだね』
首なし騎士に対する畏怖とか皆無。淑女としてせめて『きゃー』の悲鳴ぐらい上げるべきではないだろうか。
貴様こそ配役を間違ってると言いたい。
その人格が変わるかもしれない。
「……素晴らしい」
「なぁにが素晴らしいだい!」
あまりに不謹慎な首なし騎士に怒声を上げる魔女。
再び一方的舌戦が開始されようとした瞬間。
「いやいや。私のことで争ってくれるのは嬉しいがもう少し静かにしてもらえないかね。それとも『やめて、私のために争わないで』と指を組んで懇願したほうがいいかな?」
デュラハンが三度目の敗北を向かえるのを止める声。
丁寧に編まれた銀髪を揺らし蒼い衣を纏った少女が庵から歩み出てきた。
琥珀の瞳を輝かせ、みずみずしい唇に笑み浮かべるルフェイには魔女が心配していた――デュラハンが期待していた――精神面の後遺症はみられなかった。
出会ったときと変わっていない。
「…………クルアッハ」
あの世の使者は三度大地に膝をつく。




