4、八兵衛、御殿様に謁見する。(下)
日本の國歌である君が代は「国旗及び国歌に関する法律」によりパブリックドメインとなっていますので歌詞の全文引用は著作権侵害には該当しないと判断して引用しています。
門を出たあたし達は呂久之輔さんと共に上野の山を下り下りた。
この時代だと津梁院の前の道は西側が袋小路になっているから、東に歩いて山を下るしかなかった。
下りた道を更に行って広小路に出た所で呂久之輔さんと別れて本所へ向かう。
この当時にはもう、津軽家関連の江戸屋敷はすべて本所に集中していた。
ここにあと三か月ほどで吉良家の御屋敷も移ってくることになる。
津軽家の江戸上屋敷は両国橋を渡って国技館の先、江戸東京博物館より更に東に在った。
より正確には北斎通りの南側にある緑町公園から京葉道路の北側にかけての敷地一帯が津軽家の江戸上屋敷となっている。
あたし達は後世において拡幅され京葉道路となった、南側道路の南東角に面した正門へと向かう。
門番にあたしのことを紹介した晶さんが番人に通用門を開けて貰い、あたし達は中へ入った
玄関口で受付に来意を告げると程なくして応対の者が現れて奥へと通される。
屋敷に上がる際に、「この方が大石無人殿の御子息で用人の郷右衛門良磨殿だ」と晶さんが耳打ちをした。
――つまりは大石内蔵助殿が曽祖父の甥ということか。
郷右衛門殿の先導で進む。
ただ、廊下の床板を踏む足音だけが響いていた。
「殿はこちらにございます」
黙礼をした晶さんにあたしも倣い、謁見の間へと足を踏み入れた。
「……江戸表への長旅、大儀である」
礼式に則って、晶さんが江戸表への来着を報告する。
横で平伏しているあたしの耳に届いた御殿様の声には、何処か治世の疲れのようなものが潜んでいるように感じられた。
「……委細は国許を出る前に杉山八兵衛より聞いて承知しておる。
して、その方が八兵衛の縁者の石田八兵衛と申す者か。
直答を許す。面を上げて答えてみよ」
殿の声であたしが顔を上げると、そこには元禄大名七傑が一人と称された名君の残り香があった。
この御方が津軽信政公……
後世において中興の英主と謳われた四代目信政公に、かつてあった全盛期の面影は無く、ひそやかな老いがその背後に忍び寄っているようにあたしには感じられた。
「家老、杉山八兵衛の縁者で石田八兵衛多也に相違ございません」
云ってあたしは平伏する。
「……八兵衛より聞いておるが、今一度尋ねる。
本当にそのようなことになるのであろうか」
重たげに口を開いた御殿様の言葉には目には見えない倦みが絡んでいた。
三万人の餓死者が出た元禄八年(1695年)の大飢饉は為政者としてここまで信政公を打ちのめしてしまったのか……そうあたしは思わずにはいられない。
否定形の疑問文は肯定したい願望を含み、肯定形疑問文は否定したい願望を深層下に含むという。
あたしは何と答えたものかと一瞬だけ迷った。
「起きるか、起きないかなどはどうでも善いことにつき、答えを求めるだけ無駄かと」
「何と」
御殿様がついと腰を浮かしかける。
あたしはそれに待ったをかけるようにして言葉を畳みかけた。
「そも、この日ノ本は神代の初めより、地揺れに火山の噴火、大雨大水、津波に山津波、日照りにやませと天地荒ぶる土地柄。
こと災害の多さは唐天竺は元より南蛮などと比べましても遥かに勝っており、その酷さは論ずるべくも御座いません。
ゆえに、起きるか起きないかではなく『起きている』と考えるが肝要かと」
「うぅむ」と信政公が唸る。
「これははぐらかしでは御座いませぬ。
……このようなことを申すは、分を弁えぬ僭越かと存じますが、この日ノ本の國が家訓は何で御座いましょう?」
アメリカの諺に
The business of America is business.
とある。
これは第30代のアメリカ合衆国大統領だったジョン・カルヴァン・クーリッジJrが語った言葉の誤引用が人口に膾炙したものだった。
この言葉に接した時にあたしが抱いたのは、「では、日本のビジネスとは何だろう?」というたった一つの問い。
――そして、その答えをあたしが得たのは、この前の世界が死んだ時だった。
考え込む御殿様にあたしは自分の考えを告げる。
「浅学菲才の身で申し上げますならば、この日ノ本の國の家訓は『唯、生き延びること』」
「唯、生き延びること……」
御殿様が瞑目する。まるで何かを心に沁み込ませるかのように。
「左様に御座います。君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで」
「苔のむすまで……」
「御意。
帝を戴いたこの國がこの國として未来永劫生き延びてゆくこと、
これが、我が日ノ本の國の家訓であると私は考えます」
御殿様は黙想したままだ。
やめろという雰囲気ではないので、あたしはそのまま続けることにした。
「翻って我が家中を見た時に、
我ら津軽家の家訓も『唯、生き延びること』にあるのではないかと思います。
これは初代様の事績にもより明らかであるかと。
津軽家中が君民相和して津軽として生き延びていく。
栄耀栄華がその妨げとなるようならば、栄耀栄華もまた御家の敵と、どうか御心に御留め置き下さいますよう……
一時だけの栄えや覇権などは、此の日ノ本にも、津軽にも、決して不要のものに御座いますれば。
そしてただひたすらに家臣、領民、そして御家が生き延びられるよう、備えを厚く為されませ」
言い終えてあたしは平伏する。
無言で黙ったままの御殿様はややあってから口を開いた。
「相分かった。また何か問うこともあるであろう。
その際には直答を許すので存念を申し述べるように」
……こうして御殿様との謁見は終わった。
※元禄大名七傑
江戸の儒学者、角田九華の「近世人鏡録」による。
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