51、八兵衛、切支丹対策を考える。
今回はアメリカのカントリー歌手、ジョニー・キャッシュが出演した日本映画「海嶺」(1983年)のラストシーンのイメージがちょっとだけ入っています。
「あとは切支丹の動きをどうやって見極めるかじゃな……」
ここで再び煮詰まる。
議論の中で色々と案はでるけどこれといったものがない。
けどそれは仕方のない話で、地下に潜った集団を捕捉するのには大きな困難が伴う。
現実に起きた事件を例にすると、国内に浸透してきた十五人の外国工作員を完全に摘発するためには軍と警察併せて延べ百五十万の兵員と四十九日にわたる山狩りを要したという事例があったりするくらい。
そんなわけだから、すぐに効果がでる手法などあるわけがなかったりする。
「……さて、どうしたものか」
晶さんがちらりとあたしを見た。
何かないのかと瞳で語っている。
煮詰まった時には原点に返るのが鉄則だと思い、あたしは口を開いた。
「抑ももの話なんですけど、奥羽に流した切支丹への監視はその後もちゃんと続けているんですか?」
「えっ」
南天さん達が呆気にとられる。
「……まさか、してないんですか?」
「そ、それは、まぁ、その……なんだな」
「信じられない……」
道理で切支丹が水面下で増殖していったわけだとあたしは呆れてしまう。
もしもその後も動向の監視を続けていたなら維新直後の時期に奥羽の各大名家の家臣団からの大量入信など起こっているわけがない。
諜報は大事だというけれど、防諜はもっと大事なはずなのに、天下泰平となった江戸初期も半ばを過ぎたあたりから、
全国の諸大名が忍者組織を予算の無駄であるとして続々と廃止していっているあたりは日本の伝統芸たる平和惚けなんだろう。
そういう天下の趨勢に反して津軽家が創設した早道之者は諜報よりも防諜に主眼を置いた組織だったから、明治まで廃止されずに運用が継続されたわけで、
こういう事実を見ると津軽家中が自家の生存にどれだけ危機意識を働かせていたかが嫌というほど見えてくる。
……結果として切支丹の津軽家中への浸透を防げなかったけども、そういう目線で御公儀の切支丹対策を見ていると目の粗い笊であるなと。
「まさかオランダ以外を追い出して通交先を制限したから大丈夫……とか?」
「うっ……」
「南蛮人が密かに入ってきても見た感じが違うからすぐに露見すると思っていたんでしょうねぇ」
「ま、まぁ、我が国は四方を海に囲まれているからのぅ……」
ここまで云って、晶さんを見ると彼女は何も言わずに黙っている。
止める気配が無さそうなのであたしは続きを口にした。
「向こうにその気があれば海に出た漁師を拐かして呂宋の拠点でバテレンに仕立て上げて日本に送り返すくらいはするかもしれませんね。
そういうことをしつこく延々と繰り返されると、御禁令により国の外に出た者は罪人となりますから、漁師など誰もやりたがらなくなるのではないかと」
「――かといって御禁令を無くすこともできないでしょうから、これはもう、八方塞がり。
沖に入り込んできた外国船を打ち払らおうにも御公儀や諸大名の持つ軍船では船足が遅く、追いつけないのでは?
大体において船の数も大砲も無い以上、手も足も出ません。
国交も無いので抗議もできませんし、海の彼方の本国に軍勢を送って討伐できるかというとこれも無理です」
「……じゃがそんなことは起きてはおらん」
「ええ。今の所は、ですが。
彼らが次々と手に入れている土地を自領に組み込み、自らの手足としていった先において、我が国の海は彼らの船だらけになるでしょうね。
今のところは彼らにそこまでする余力が無いのだと思います」
「なら、今はいいじゃろう」
「ええ、あと百年ほどは何とか……」
理不尽なことだけれども、政治とは常に生贄を必要とするもののようだとあたしは思う。
未だ起きていない危機に対処することを主張しても、未だ起きていない危機だからこそ犠牲は出ていないから無駄と断罪される。
発生していない危機に未然に対処するコストと発生していない危機がもたらす損害額との比較は難しい。
下手をするとタダのバラマキと批判されてしまう。
百年に一度起こるか起こらないかの大災害に備えるのは予算の無駄と主張して事業仕分けをしてみたら、
百年に一度の災害が連続して来てしまいましたけど予算がないのでどうにもなりません。とかそんなの。
斯様なことから現状では御公儀も動かないだろうと思う。
危機が予想されても対処のしようがない場合には見て見ぬふりが政治的には次善の策にあたるというのはどうかとは思うけど、こればっかりはどうしようもない。徳川宗家独力で日本の海防を行う力が無いからには。
なので「どう対処するのか?」と問われたら、何もしないというのが取り敢えず正しい。
犠牲となる方達には申し訳ないとは思うけども、犠牲となる方達だって自分達がその立場になかったならやっぱりそう思うだろう。
何と不人情で冷酷な、といわれればまさにその通りで言い訳のしようなんかありはしない。
いちども他者を排除したことの無い者のみが排除の論理を批判する資格を持つとイエスキリストなら言うと思う。
「……今すぐに手を付けられないことは棚に上げておくとして、出来ることを挙げるとすれば、
これから百年ほどは切支丹集落の監視を続け、集落の村人及び出入りの人間すべてに昼夜問わずの監視を付けることですかね。
そうして切支丹の集落からの人と物と金の出入りを丹念に調べ上げて、横と縦のつながりを丸裸にしたまま、対策が固まるまで泳がせるんです」
「そういう地道なやり方しかないか」
南天さんがつぶやく。
「ですが、一番効き目があるのもそれですね」
「そうじゃろうのぅ……」
「それに伊賀甲賀の仕事が増えれば、向こうも余計な事に手を出してくる暇が無くなるでしょうから」
それを聞いて晶さんがにやり。
作中冒頭で言及した事例は以下:
https://ja.wikipedia.org/wiki/江陵浸透事件




