47、八兵衛、コーヒー牛乳が飲みたくなる。
ビールでも良かったんですが……
「……それではお美代坊、元気でな」
途中まで見送りについてきた村の衆とは船生の町外れで別れた。
あたし達はそのまま日光北海道の西を目指して歩く。
海道の次の宿、大渡へは鬼怒川の対岸から渡し舟が出ていてそれに乗ることになった。
大渡宿を抜けて右手に見える富士山を通り過ぎると一里(四キロ)ほどで会津西海道に合流して大谷川へと至る。
川を越えて今市の宿の手前にある追分で日光海道に接続。
そのまま日光海道を西北に進んで日光山の門前町である宿場、鉢石に辿り着いたのは夕方遅くだった。
日が暮れかかった町の中を歩いて旅籠に着く。
宿で出された夕餉の膳を食べ終えて一息ついていると晶さんより声が掛かった。
「八兵衛、明日は日光山に参る。浪江どのと共に湯に入ってくるが良かろう」
「待ってました」
あたしはその言葉を聞いて湯の支度を始める。
確か日光と言えば温泉だったような……?
「……浪江さん、行きますよ」
浪江さんの手を引いて湯屋へと向かう。浪江さんはとことことあたしのあとをついてきた。
湯屋に入ると温泉の香りがする。
湯の中に手を入れるとちょうどいいくらいで、身体を洗い終えたあたし達はお臍の上あたりまで湯に浸かる。
時折お湯を手で掬って肩から掛けて温まっていると湯けむりの向こうから話しかけられた。
「ほう。珍しい湯の入り方をするものよのう」
声を掛けてきた耳の長い金髪少女が面白いものを見るような目であたし達を見る。
手拭で巻き上げた長い髪のおくれ毛が彼女にうなじにかかっていた。
「はい。肩まで浸かるのは心の臓にはあまりよろしくはありませんので」
「これはまた異なことを聞くものよ。その若さでは大したことではなかろうに」
「いえ、それがそうでもないんですよね。老若男女問わず胸まで湯に浸かるのは身体には良くないんです」
「じゃが水練では水に浸かるぞ」
「ええ、おそらくは熱い湯に浸かるかどうかも関係しているのだと思います。
湯に浸かると血のめぐりも良くなりますので、それだけ心の臓も働くからではないかと」
「……なるほど、そういう理屈か。ではワシもそうしようか」
言いつつ立ち上がった少女が湯船のへりに腰かけて「ふう」と息を吐く。
「肩まで浸からぬと湯冷めをするかと思うておったが、存外に温まるものよの。……これは意外であった」
二度三度と頷きつつ少女は独り言ちた。
そうして熱伝導で身体を温めることしばし、たわいない会話を金髪少女としつつ浪江さんをあやす。
「さて、ワシは上がるとしようかの」
どっこいしょと掛け声を掛けながら腰を上げた少女が湯舟を出ていく。
「――今日は面白い話を聞かせてもらった。礼を言うぞ。では御免」
そう言い置くとシルバーブロンドの少女は去っていった。
あたしはその後ろ姿を見送りつつ湯を掬って浪江さんの肩にかける。
肩から滴り落ちたお湯が浪江さんの白い肌に弾かれて軌跡を残しながら落ちていく。
浪江さんの薄茶色の髪の間に鼻を近づけて臭いを嗅いだ。
「もう一回洗った方がいいですね」
脱衣所で湯上りの身体を冷ましてから服を着る。
「……冷やしたコーヒー牛乳が飲みたい」
そんなことを思わず口走ったのは熱の湯に入った所為かもしれない。
前の世界は核の撃ち合いが黙示録の喇叭となり、もはや帰れない場所になってしまったというのにあたしは……
そんなことを思いつつ、采弥さん達と入れ違いに湯屋を出ると空には星が瞬いていた。
「……未練だな」
そんなことを思いながら宿へと戻る。
翌朝、あたし達は日光山に上った。
「どうして日光山へ?」とは思うけれども、奥州街道をそれてからあたしはそのことについて一切晶さんに質問してはいない。
なぜならスパイは自分が扱う必要のない情報は知るべきではないからだ。
知ってしまえばそのことが無意識下の行動となって現れてしまわないとも限らない。
そんなことを書いた本を以前に読んだ記憶があるし、良い兵士とは余計なことを質問しないものであるとも聞く。
碧さんや采弥さんも遠慮があるのかそういった問いかけはまったくしていない。
こんなわけで宿を出ると、日光山へと向かう参拝者の流れが出来ていたのであたし達もその流れに加わった。
大谷川に架かる朱塗りの神橋を渡って山内に入るとまっすぐに東照宮に向かう。
砂利道の参道を延々歩いて山門をくぐると晶さんはあたりを見回した。
境内の掃き掃除をしている巫女を見つけると晶さんは彼女の許へと近付いて何事かを問う。
掃き掃除の手を止めた巫女が指さす方を認めると、晶さんは礼と共にそちらの方へ歩きながらあたし達を呼び寄せた。
晶さんが進む方向に足を向けているとやがて五重塔が目に入る。
鬱蒼とした木々に囲まれた五重塔の前では巫女の集団が箒を手に掃き掃除をしていた。
集団の中で指示を出しているリーダー格の巫女に近づいた晶さんを認めると彼女もこちらへと歩み寄る。
「おお、久し振りじゃの。小隼人」
シルバーブロンドの巫女が長い耳を上下に動かしながら晶さんに話しかけた。
昔の日本は混浴が常識だったといいます。




