46、復讐者
直会には神前に供えた供物を、神からの下し物として神事の参列者皆でいただくという意味があります。
神事には直会が付き物で、この行事の背景には、神と人とが共に食事を摂って場を共有するという神人共食の思想があるとかなんとか。
キリスト教における聖体拝受もこれと同じようなものでしょうか。
「仇を討つことはお止めなさい。采弥殿は返り討ちに遭うでしょう」
「えっ……」
采弥さんの口から息が小さく漏れた。
座が凍り付いたように静まる。
驚き、そしてあやしむ表情の者が多い。
「どういうことですかっ!!」
短い悲鳴のような声。
采弥さんが叫んだまま固まっている。
その顔には困惑が浮かんでいた。
小さく身体を震わせて彼女は小さく肩を落とす。
「……では今の、仇討本懐の祈祷は何だったのです。私がまだ子供だから仇を討てないというですか」
采弥さんが低い声で小さくつぶやいた。
その在りようがあたしには必死に怒りを押さえ込んでいるように思われてならない。
ああ……、この人は大人であろうとしているんだ。
そんな采弥さんの様子を痛ましげに見つめながらも、神主さんは慎重に言葉を繋いだ。
「そのようなことではありません。
采弥殿は十八女彌重郎を怨んで……いえ、憎んでいますね」
「はい」
采弥さんが抑圧した怒りを絞り出すようにして答える。
「十八女彌重郎を怒り、憎み、怨むことは貴女の心の中に十八女彌重郎を迎え入れて住まわせることに外なりません。
その時、采弥殿は仇である彌重郎に己の心を支配されることになります。
心を支配された者が己の心を支配した者の心に打ち克てるでしょうか。憎しみでは人は斬れません」
采弥さんは下を向いて押し黙ったままだ。
心なしかその身体が震えているように思われた。
短い沈黙の後でゆっくりと口を開く。
「……では神主殿は私に仇を諦めろと仰るか」
「いいえ。それは違います」
神主さんははっきりとした声で断言する。
「彌重郎を斬り殺して怨みを晴らそうなどとは思いなさるな」
采弥さんに懇々と語り掛ける神主さんの声には温かみが感じられた。
「泉下の御父上が今、最も望んでいることは何であると思いますか」
「それは、仇を討つこと……」
「いいえ、違います」
思っていることを否定された采弥さんが動揺した眼差しで神主さんを見る。
「靱負殿が御望みは、ただひたすらに、采弥殿と浪江殿の倖せ。ただそれだけですよ。
子孫の幸福を願わない先祖など何処にもいませんから」
「――そのことを考えてみてください。
仇討はあなた方の人生の目的ではないのです」
「……では。……では。仇討はどうなりますか。
仇討は武士の子としての務め。
まさかこのまま彌重郎を野放しにしろとでも仰られるのですか」
「いいえ。天に向かって唾をすればやがて己に降りかかる。
これは天地を貫いている理です」
神主さんが采弥さんの両肩に手を乗せて諭す。
「いつか彌重郎にも己で蒔いた種を刈り取らねばならぬ時がやって来ます。
その時、それを果たすのがあなた達であるか否かは御身自身の心の在り様が決めることでしょう」
「―― 采弥殿。
仇討とはあなた方御自身の過去の清算でもあると思い知りなさい。
たとえできなくても、それでも、怨みを捨てて掛かるのです」
「……そうすれば子としての孝が果たせましょうか」
いつの間にか顎を上げた采弥さんが強さを秘めた視線を神主さんに向けていた。
「私心を去り、我の心を捨てて天地の理に則った時に必ずや。
天道に沿わぬ孝などありません。我の怨みを捨てて天地と一つになることです」
采弥さんが難しい顔になる。
期待通りの答えではないというところだろう。
神主さんもその意見には同意のようだった。
「勿論、私もそう簡単にできることではないと思います。
徐々に、徐々に、でいいのです。
それに采弥殿には弥栄殿という強い御味方がいるではないですか。
何も心配せずについて行かれませ」
神主さんが晶さんに目配せをする。
「うむ。武士の本懐は必ず遂げさせるゆえ、そう焦らずに、な」
ありがとうございますと采弥さんは二人に頭を下げた。
采弥さんから力が抜けて肩が下がる。
「そうなさるがよろしいでしょう。
弥栄殿も久しぶりのお出でですし、皆様で境内の力石に触れていかれませ」
「そうだな。そうすることとしよう」
晶さんが盃を傾ける。
良い酒だと彼女は云った。
直会を戴いたあたし達はお開きの後、神主さんの勧めに従って境内を散策した。
散会後も采弥さん姉弟と話し足りない幾人かが居残って社叢を歩いている。
神社の境内はちょっとした遊歩道になっていて、道沿いに立つ杉の巨木にはそれぞれ干支の書かれた板が巻き付けてあった。
氏子の人の話によればこれは縁結びの木だそうで、生まれ年の干支の木に抱き着くといいんだとか。
それを聞いて思わず生まれ年の杉に抱き着いてしまったあたしを晶さんがからかう。
「ほう。八兵衛も縁結びを願うか」
「縁と云っても色々とありますからね。
男女の縁に限らず、商いの縁や政についての縁など……正直なところ後の方のが大事だったりもしますしね」
「――それに『世の中に酒と女は仇なり。どうか仇にめぐりあいたい』と云いますからね」
あたしは有名な狂歌を口にした。
「酒」が「金」に置き換わっているバージョンは大喜利で何度も聞いて耳に残っているけどこの歌は誰の作なんだろう?
それはそれとして、この歌を聞いた晶さんは思わず吹き出した。
「なるほど。仇か。確かに仇には巡り合いたいものだな」
ふふふと苦笑を浮かべて二度三度うなづく。
そんなあたし達の背後では采弥さんが人の輪の中で談笑していた。
「……采弥どの。ここには儂らも居る。
息を抜きたくなったらいつでも戻って来るがいい。鳳も翼を休めることがあるからの」
「故郷ですねぇ……」
漏れ聞こえてくる彼らの遣り取りに思わずつぶやいてしまう。
この時、木々の梢の間から、「にゃあ」と鳴く烏の声が聞こえてきた。
あたしは晶さんと思わず目を合わせる。
物事の偶然とはじつに面白いもので、
青森大学忍者部の調査によって弘前市内に甲賀流に作られた忍者屋敷の存在が確認されたそうです。
見つかった忍者屋敷は津軽藩の忍者、早道之者の屋敷で弘前城の南東、濠っ端に近い場所に在ります。
そしてなんという偶然か、早道之者を組織したのは石田三成次男重成の実子杉山吉成で、以後、早道之者の組織統括は家老を勤める杉山家が代々受け継いできたというからびっくり。
ストーリー展開の都合から主人公の先祖を早道之者の長官に設定しただけなんですが、
まさかまさかこれが偶然とはいえ本物の史実だったと知った時にはさすがに驚きました。
津軽藩には他にも、未だに謎の部分が多々あるのでそれらを表に出していきたいなと思っています。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170826_23002.html




