43、八兵衛、鬼怒川におどろく。
ギリギリすべり込みで七夕更新達成。
今週は平日の日刊更新を目標にしてましたが達成できず……。
「では采弥どの、道案内をお願いする」
「……はい。皆様、こちらです」
采弥さんの案内で神社を出たあたし達は元来た道を取って返し、船生の宿場町に戻ってきた。
今度は小川に架かった橋を渡って西に進む。途中の茶店で握り飯を買って水筒に湯冷ましを入れてもらう。
宿場の街並みを見物しながら、体感で十分弱歩いた頃合いだと思うけど、それくらいの距離で海道が二つに分岐していた。
路傍に佇んでいる標柱を読むかぎりでは、ここが西へ向かう日光北海道と南へ向かう船生海道の分岐点らしい。
采弥さんは南を目指して進む。
あたし達はそのあとについて船生海道に足を踏み入れた。
十分ほど歩いたあたりで、道のはるか前方右手に屋敷林が見えてくる。
この屋敷林を通り過ぎてちょっと歩くと十字路があり、海道はその交差点で西へと折れていた。
あたし達は西へ折れずにまっすぐ南下する。
あたし達が進む方向からは武芸の鍛錬の折に出す気声が聞こえてきていた。
声の方に向かって采弥さんは進む。
後ろに続くあたし達の目には武道場が映っていた。
「こんな所に道場が……」
農村部にしては珍しい光景にあたしは目を奪われてしまう。
「野盗や無宿人などから身を守るために、関八州の村々では剣術が盛んなんです。
野良仕事の合間で手の空いたお百姓さんにこの道場で剣術の稽古をつけるのが父の仕官前の仕事でした」
懐かしそうな顔で采弥さんが語る。
その表情には過ぎ去った幼き過去を懐かしむ色がありありと浮かんでいた。
思い出の眩しさに身を震わせて采弥さんは吐息を漏らす。
そんなあたし達の遣り取りに道場の入り口を箒で掃いていた門人が気付く。
「……先生ッ」
玄関先にいた道場の門人は采弥さんの姿を目にすると大慌てで中に戻っていった。
中からは道場の門人が師範を呼ばわる声がする。
「なんだ騒々しい……ッ」
門人の声にうながされて玄関先に出てきた道場の師範は若い男で、最初は胡乱げな目であたし達を見ていた。
師範の視線が采弥さんへと動いた瞬間、表情を変える。
「お美代坊じゃないか。大きくなったなぁ……」
采弥さんを見るなり相好を崩した道場の師範はいきなり彼女に歩み寄ると武骨な手で采弥さんの頭を撫で始めた。
「あっ……」
幼少時からの付き合いなのだろう、馴れた相手に頭を撫でられて采弥さんは大人しくしている。
「久しぶりだなぁ。どうだ、元気だったか」
笑顔で采弥さんに話しかける師範が視線だけをあたし達に向けて彼女に問う。
「それでお美代坊、こちらの方々はどういった人達なんだい」
「この方達は私共姉弟を供に加えて下さった方たちです」
「……何やら仔細がありそうだな。
丁度稽古の方も手が空いた所だし、お前さん方、喉を潤していったらいい。ついてきな」
采弥さんの受け答えに何事かを感じ取ったらしい道場の師範は一瞬だけ目を細めるとあたし達を道場へと誘った。
「うむ。失礼させてもらうとしようか」
「ああ、そうしてくれ」
晶さんの言葉に道場の師範は素っ気なく返して先を歩いていく。
あたし達も玄関で草履を脱ぐとその後に続いた。
「……お美代坊。それで何があった」
采弥さんは岩戸別神社の神人に話したのと同様のことを、剣道場の若い師範にも話す。
話を聞いているうちに道場の師範は次第に厳しい表情になり、最後には怒りで震えていた。
「……とんでもない野郎もいたもんだ。
その十八女彌重郎ってのは一体なんなんだ。信じられねぇ」
「――だが、悲しいかな、ごらんの通りの貧乏道場じゃぁ、討手の助っ人を出せるだけの余裕がねぇんだ。
そういうわけでいま出来ることといったら、お美代坊たちの仇討本懐を祈ることくらいできしかねぇ。
お美代坊、本当にすまねぇ……」
道場の師範が座敷で采弥さんに畳の上に手をついて謝る。
「そのお気持ちだけでも嬉しいです。
明朝、岩戸別神社で私共姉弟の仇討本懐の祈祷を頼んでありますので、良かったら一緒に祈ってくださいませんか」
「分かった。明朝だな。必ず行くから、
こっちの方からも云うけど、お美代坊からも親父に声かけてやってくんねぇか。祈るなら大勢で祈った方がいいからよ」
采弥さんの言葉に顔を上げた師範がそう云って断言した。
「……では明朝に」
師範に見送られてあたし達は道場を出た。
門人の休憩時間が過ぎたのか、道場の中からは再び稽古の声が聞こえだしている。
誰かのお腹がぐぅ……と鳴った。
「そういえばそろそろお昼ですね。晶さん。どこかで休みませんか?」
「あっ、私、いい所知っています」
あたしの声に采弥さんが反応する。
「じゃあ、そこへ行きましょうか?」
「八兵衛、采弥どの、任せた」
あたしの問いかけに晶さんが同意する。
剣道場を出たあたし達は四つ角まで戻ってくると船生海道を西に進んだ。
海道はすぐに小さい山に突き当たって南へと折れている。
そのまま道を進んでいくと鬼怒川に行きあたって再び西へと折れていた。
その折れる手前に小さな鳥居がある。
鳥居脇の石柱には琴平神社と刻まれていた。
「……こちらへ」
采弥さんが指し示した鳥居の先を見ると、山の斜面に沿って、石段のない地面が剥き出しとなった参道が小山の上へと続いている。
浮き上がった木の根を取っ掛かりにして采弥さんは器用にも斜面を登って行った。
その様子を見てあたし達も後に続く。
坂道を登ると平坦な広場に出た。
その右手には寂れた様子の神楽殿がある。
広場の奥にある石段を上った先は山の稜線になっていて、大人がかがんで入れる高さの小さな小屋の中に、神社の本殿が鎮座していた。
小屋の中、本殿の前には賽銭箱があり、その上には徳利が載っている。
誰かが御神酒を奉納したんだろうか、なんとも云えぬいい香りが漂っていた。
本殿に参拝を済ませたあたし達を采弥さんが促して、本殿の左手奥へと誘う。
奥は断崖になっていて、三メートルくらい手前に小さな祠が在った。
たぶん、この神社の奥の院は此処なんだ。
「これです」
采弥さんが誇らしげに胸を張って云った。
その言葉につられてあたし達も断崖の上から見える景色を目にした。
「……すごい」
あたしの口から息が漏れる。
眼下に見える鬼怒川は晩春の日の光を浴びて白く輝いていた。
岩盤の露出した川床がまるで一枚岩のようになっていて、乳白色の美を見る者の心に焼き付けている。
「川なのにここから見ているとまるで南国の白い砂浜が向こうの川岸まで続いているよう……」
「幼いころから私はこの景色が好きでした。
道場の行き返りに、父にせがんで何度も連れてきてもらったものです」
あたしの感嘆に、我が意を得たりと思った采弥さんが嬉しそうに話す。
神楽殿が在る、下の広場では晶さん達が昼食に入ろうとしていた。
ここから見える鬼怒川の景色を主菜にしようという魂胆らしい。
「お主達も来い」
晶さんの呼ぶ声がする。
「はい」
あたしより先に答えたのは采弥さんだった。




