36、八兵衛、赤穂藩士の寺坂三五郎と出会う。
棟打ち(むねうち)はいわゆる峰打ちのこと。
天蓋とは虚無僧が被る深編笠のことです。
「皆の者遅くなってすまぬ」
晶さんが一声かけてからお堂に入る。あたし達もそれに続いた。
お堂の中には破落戸が数人、泡を吹いて倒れている。
「用は済んだ。出るぞ」
「この者らはどうするのだ」
「かまわん。捨てておく」
呂久之輔さんの問いに晶さんは事もなげに答える。
仙台城下へ戻る途中の茶店で浪江さんをあたしの膝の上に乗せて一緒に団子を食べたら、浪江さんは終始上機嫌だった。
姉の采弥さんがちょっと難しい顔をしていたから、どこかでフォローの必要があるとは思う。
「……しかし八兵衛、笹かまぼことは考えたものだな」
「仙台名物と云ったら真っ先に思いつくのがこれですから……」
あたしの答えを聞いて晶さんはさも面白そうに笑う。
「八兵衛の生きてきた時分にはあったのかもしれないが、今はまだ無いぞ」
「えっ?
笹かまぼこってずっと前からあったんじゃないんですか?」
「伊達家の家紋は笹だからな、領民にとっては畏れ多いことだろうて」
「それで誰も思いつかなかったんですね」
「まあここから先は献上品を受け取った伊達候の考え次第だろうな」
翌朝、仙台を発ったあたし達はこんなのんびりとした会話をしながら海道を南へと下った。
途中、岩沼と白石に宿泊して伊達家の領境に差し掛かる。
「……てっきり関所があるものだとばっかり思ってたんですけどね」
「うむ。実のところ関所がない方が多いのだ」
「そりゃまたどうしてです?」
あたしは晶さんに尋ねた。
「村の支配が旗本と大名と御公儀で入り乱れているなどよくあることで、そのような所に一々関所など置いていたら逆に面倒。
そういうことから、仲の悪い大名家同士の境などを除けば関所などないことの方が多いのだ」
「じゃあ南部領と津軽領、南部領と伊達領の境目に関所があるのは……」
「まあ、そういうことだな」
晶さんは苦笑する。
「先ほど通った越河の宿が伊達領最後の宿場だ。
この先の狭間を抜けた貝田の宿からは徳川将軍家の御領に入ることになる」
前の方を見ると晶さんが云うように、海道の両側から山が張り出してきて隘路が形成されていた。
幸いなことに海道自体にはアップダウンはない。
隘路の手前で、いきなり晶さんが足を止めた。
半蔵さん達に目配せをする。
蘭さんと牛若さんがあたし達を引っ張って後ろへと下がった。
雰囲気で何かを察したのか、呂久之輔さんは刀の柄に右手を添えて軽く腰を落とす。
人の群れが押し寄せる足音があたしの耳に入った。
「八兵衛。決して前に出るな」
前を見据えながら晶さんがあたしに厳命する。
あたしが「はい」と云う間も晶さんは視線を外さない。
こちらに押し寄せる人の群れは斬り合いをしていた。
二十人ほどの虚無僧が一人の侍に襲い掛かっている。
侍は駆けながら時折牽制の軽い斬撃を放つ。
人の群れが押し寄せる。100メートル。
50メートル。
20。
10。
晶さんは動かない。
半蔵さんは横にずれる。
侍は二十人と斬り合いながらちらとこちらを見た。
晶さんは立ちつくす。
侍は息も乱さず虚無僧と斬り合っている。
侍は晶さんに向かって声を張り上げた。
「そちらは小隼人殿ではござらぬか。
某は赤穂浅野家家臣、寺坂三五郎。
無人殿より後から来る小隼人殿を頼れと」
「無人どのがか」
「そうでござる」
「相分かった。こちらへ参れ」
「忝い。恩に着る」
駆けだした侍に斬りかかろうとした虚無僧へ晶さんが小柄を打った。
投げナイフの要領で小柄が喉に刺さると虚無僧は前のめりに斃れる。
刺客の一人が吹き矢を放つとそれを見た晶さんが手首のスナップだけで小柄を押し出した。
キンッ!
空中で吹き矢と小柄が激突する。
「忝い。助かった」
「礼はいい。細かい話は後だ」
晶さんが侍の言葉を遮る。
「寺坂殿、まだやれるか」
「ああ、大丈夫だ」
「ならいい」
晶さんは薄く笑った。
「半蔵。寺坂殿。生かして返すな。返り血を浴びるなよ」
言い乍ら前に出る。
殺到する虚無僧とすれ違いざま、腕を取って転がすと胸の骨を踏み砕いた。
ごりっ、と鈍い音。
天蓋に赤い染みが広がる。
「ふ……」
晶さんが奪い取った刀を棟打ちに構えた。
敵が斬りかかる。
鈍い音とともに晶さんの刀が胸板にめり込んで虚無僧は倒れた。
背後から襲い掛かる白刃を弾いて胴を薙ぐ。
「(美しい……)」
細い肩が動くたびに虚無僧が次々と倒れる。
あたしは晶さんの動きに見とれていた。
白衣に包まれた肩口がまぶしい。
撫で肩のやさしい曲線が動くたびに彼女は剛となる。
晶さんによって突然の死が振り撒かれて、虚無僧集団は見る間にその数を減らしていった。
半蔵さんが最後の一人を斃すと静けさが戻る。
あたりに散らばる死体を碧さんは痛ましげに、采弥さんは無表情で見ていた。
浪江さんはただあたしだけを見ている。
「……それで寺坂殿、無人殿は何と言っておったかな」
手にした刀を適当に見繕った虚無僧に握らせると晶さんは尋ねた。
「はい。赤穂城明け渡しに際して某は末席家老の大野九郎兵衛より、津軽家中の大石無人殿にこれを渡すようにと仰せつけられまして……」
寺坂さんは懐中から取り出した包みを晶さんに手渡す。
受け取った晶さんが紐をほどくと布包みの中から現れたのは――
「御霊代であるな。
して、これは……」
目で問う晶さんに寺坂さんが答える。
「我らが赤穂城の館神、稲荷大神の霊璽にて」
「……それで無人殿は何と」
「はい。我らの後から来る中川小隼人殿にお預かり願えと申されました。
中川殿にならば善いように扱っていただけるだろうと」
「相分かった。わたしが預かろう」
了解の意を伝えて晶さんが御霊代を元通り油紙と布で包んだ。
紐で縛って懐中に忍ばせる。
「して、寺坂殿はこの後はどうされる御積りかな」
「某はこのまま津軽へ……」
「ならば待たれよ。お蘭、矢立と紙をくれ」
晶さんはさらさらっと一筆書き上げてそれを寺坂さんに手渡した。
「その書付を持ってお城に行き、早道御役取締りの中川小隼人を訪ねるがよい。
お主の事は小隼人がよきに計らってくれるであろう」
「……へっ?」
あたしが頓狂な声を上げた瞬間、寺坂さんも怪訝な表情になった。
「……あの、其処許が中川小隼人殿だと無人殿にはお聞きしたのですが」
「なに、今のわたしは弥栄大吉と謂うただの女浪人ゆえ、気遣いは無用」
そう言って笑う晶さんを見て寺坂さんは「そうですか……」と気のない返事を返すしかなかった。
何がなんだかあたしにもよくわからない。
よくわからないところで唸っていると、蘭さんがあたしをちょんちょんとつつく。
「……はっちゃん。
実はお嬢はね……」
「なんですか?」
「だーめ。おしえてあげないッ」
思わず聞き返したあたしに蘭さんはいたずらっぽく笑って答えた。
晶さんが……って何だろう?
寺坂三五郎と高山稲荷神社:
http://www.city.tsugaru.aomori.jp/kankou/teiki_kankoh/takayamainari.html




