24、八兵衛、船旅す。
出張行っていて遅くなりました。
「……それで、どうするんです?」
錦織の川港へと向かう道すがら、あたしは晶さんに尋ねた。
南へと下る道は歩みを進めるほどに陽気が強まっていく。
暦の上では初夏の筈なのに、それに反して麗らかな春の風景の中を歩きつつ、あたりの景色に目を遣りながらあたしは答えを待った。
話題の対象となっている碧さんは景色を見ながら蘭さんたちとのおしゃべりに興じている。
晶さんの唇がさりげなくあたしの耳のそばに添えられるのを感じた。
「碧どのに真実を教えて、
寺社と争わぬ、
尊王を旨とする切支丹の一宗を立てさせて
今まで切支丹の教えを上書きする」
晶さんの考えを聞いたあたしは一瞬、「そんな上手くいくのだろうか」と思ったけど、
平成日本にもそういうキリスト教の宗派が存在していることを思い出して口を閉ざした。
「碧どのは村人達に聖女と呼ばれるほどに穢れを知らぬ人だ。
そして『白』はどのような色にも染まる……」
晶さんの声音は随分と密やかだった。
あたしが晶さんの表情を見やると、彼女は真面目くさった顔をしている。
「色々な意味で碧どのにとっては辛いことになるとは思うが、まずは聖書を最初から最後まで吟味しながら読んでもらうことになると思う。
もっともこれは御公儀のお許しを得てからの話ではあるが……」
「――なので八兵衛、碧どのはとりあえず江戸へ連れて行くことになる。よいな」
晶さんの言葉にあたしは分かったと返す。
「それで親鸞ですか……」
「うむ」
晶さんがあたしの答え合わせに応じた。
そも、親鸞によって、本来は外来宗教であるところの仏教の日本化は達成されたと言ってもいい。
禁酒の戒律を「これは酒ではなく般若湯である」との方便によってすり抜けてしまうどころか、親鸞は坊主の妻帯すらをも受け入れてしまう。
「大体において、嫁も居らん独り身の坊主に他所の夫婦喧嘩の仲直りなどできるものか」
言われてみれば、とあたしは晶さんの言葉にうなづくしかない。
「己の救いを求めるだけの小乗ならそれでもよかろうが、
衆生を救う大乗の教えがそれではいかん。
人が夫婦となって生きていく中で悩み事を抱えた時に、
夫婦であることを身を以って知らぬ者に何ができようか」
一度言葉を切ったあとで、晶さんは続ける。
「これは切支丹であろうと同じこと。
日々の暮らしの中に道を見出していく神道とではその在り様が違いすぎる」
もっとも、親鸞だけではなく、江戸時代の檀家制度が仏教のローカライズに大きな役割を果たしていることはあたしも知っている。
世間では誤解があるようだけど、「わが家は代々〇〇宗だから……」というのの意味は江戸時代の檀家制度に由来している。
切支丹対策で檀家制度が導入された際に、町割りごとに担当する檀家寺を割り当てることとなり、檀家寺に割り振られた町の住民は全員、担当となった寺の檀家になった。
そういうわけで、代々〇〇宗というのは檀家寺が〇〇宗だったというのが起点になってのことで、江戸時代以前にその家の先祖が代々信心している宗派が何だったかということとはまったく関係がなかったりする。
で、檀家寺が管理していたのは宗門人別改帳というもので、明治になって戸籍制度が作られるまでは、檀家寺が人別帳で戸籍を管理していた。
明治以後においてはこれを過去帳とも云い、各区市町村役場に記録されている改製原戸籍では追えない明治以前の戸籍を調べるには、檀家寺の過去帳を見せてもらうことになる。
兎に角、こういった流れによって仏教寺院の果たすべき役割の中で、檀家信徒の先祖供養というものが大きな位置を占めていくのは自然な流れだった。
葬式仏教という言い方もあるにせよ、祖先崇拝が根本にある日本に仏教が土着していく過程で必然的に起こってきた変容と思えなくもない。
切支丹対策で始まった檀家制度によって寺が権力の一部を占めることになって生臭坊主が生まれ、その反動が明治期の廃仏毀釈として現れたのは歴史の皮肉としか言いようがないけれど。
「晶さんの狙いはわかりましたが、碧さんにできるでしょうか?」
「今まで見てきた限りでは役者不足ということはないようだな。
……八兵衛、人が何事かを為すためには人であることを捨てねばならぬ。
碧どのが聖女であるというのはそういうことであろうの」
「はぁ……。そう云うものですか」
あたしはため息交じりに云う。
「うむ。そう云うものだ」
三里強歩いて北上川に面した錦織の川港に着いた。
ここから川舟に乗って石巻まで出る、と云い置いて晶さんは川舟を捕まえに行く。
それを見送ってあたしは川面に目を遣った。
川舟がひっきりなしに行き交っている。
「……栄えてますねぇ」
蘭さんのつぶやきに呂久之輔さんが応えた。
「南部領の米や物産はこの北上川で石巻まで運ばれるからな……」
そんなやり取りを聞くとはなしに聞いていると碧さんがあたしのそばに寄って話しかけてくる。
「八兵衛さん。いきなりついてきてしまってすみません」
碧さんは申し訳なさそうに言った。
なのであたしも真面目に応える。
「それはいいんですよ。晶さんとの間でのことですし。
あたしが思っているのは……碧さんが一人で背負い込むことなのかな、っていうことで」
躊躇いがちにあたしは言う。
「それは違います。
背負い込むのではなく、求めているのですから」
碧さんは真摯さを瞳に顕わして答える。
何かがあたしをたじろがせた。
畏怖、とでも云ふべきものだろうか。
気を取り直して碧さんに向き直る。
「長旅です。
碧さん、よろしくお願いします」
「はい。八兵衛さん、よろしくお願いします」
碧さんと二人で頭を下げ合っていると、船方さんと話をつけた晶さんが戻ってきた。
岸で待っている川舟にあたし達は乗り込む。
川舟は北上川水運では一般的な平田舟だという。
米俵で450俵積めるとは呂久之輔さんの弁。
「今日中には石巻に着きます」
そう言って船頭さんは平田舟を川の流れに押し出す。
舟が水に押されて川を下っていく。
べつに晴れ男というわけではないけれども、ここまでの道中が晴天続きなことにあたしは感謝しつつ、川風に打たれる。




