10、八兵衛、芝居をする。
重大な過誤があったので修正。
修正箇所については後でネタとして作中で採り上げます。
「それで大石どのはどちらまで行かれますのか」
「行方定めぬ遊山旅なので何処へ行くとは決めておりませんな。
風の吹くまま、気の向くまま。明日は明日の風が吹く。といったところでしょうか」
晶さんの突っ込みに大石無人――大石五左衛門良房殿は空っとぼけた。
そこから大石無人と晶さんの間でしばらくの間、無言のやりとりがあった。
二人とも口から一言も発しないで黙っている。
その後――
「おおっ、そうであった」
さも、今思い出したといわんばかりの態度で晶さんが袂から切り餅を二つ取り出した。(切り餅:一両小判25枚を和紙で包んだ物)
「御家老様からこれを預かっておった。いかぬ、いかぬ。危うく渡しそびれるところであった」
大石無人殿が切り餅を恭しくしく受け取る。
「今一つ、御家老様から言伝がある。
遊山旅で困ったことができたら江戸は上野の津梁院を訪ねよとのことだ。
それとこの切り餅は旅の路銀の足しにするようにとの御家老様の仰せである」
晶さんがそう伝えると無人殿父子はその場で弘前の方に向き直って深々と頭を下げて立礼のまま、しばらくの間じっとしていた。
二人の口から自然と言葉が紡ぎ出される。
「……この御恩は決して忘れません」
「戻るぞ、八兵衛」
「はい」
晶さんの言葉であたしは大石父子から離れる。
しばらく歩くと晶さんがあたしに擦り寄ってきて耳元でささやいた。
「八兵衛、大石どの父子は奥州海道を往く。あの目は遊山旅をする者の目ではない。
我らは浜海道で遠回りをしよう。久慈どのの前でごねてくれ。わたしが適当なところで話しを纏める」
晶さんの言葉はちょうどそこで途切れた。
それというのも南部の女騎士があたし達に駆け寄ってきたからだ。
「お前達、探したぞ。私を置いて勝手にいなくなるな」
「おお。すまんな。道に迷っておった」
女騎士は「うそを言うな」という目で晶さんをにらんでいる。
「そういえば、腹が空いたな。戻って夕餉にしよう」
「本陣への近道はこちらだ。ついてこい」
女騎士はぶっきらぼうに言い捨てると歩き出した。
花巻宿の本陣に戻ると本陣の主があたし達を出迎えてくれて、ちょうど今、夕餉の用意が出来たところだと云った。
下女の人達がお膳を持って部屋にやってくる。
あたし達の前に並べられたお膳は、まあ……、典型的な武家の夕餉だったことに平成でのホテル飯との違いを如実に感じてしまった。
せめて「わんこそば」でも……とは思ったけど、そういうのは一切出てこなかった。
盛岡冷麺は第二次大戦後に在日朝鮮人が盛岡で始めたものだから、
この時代には存在しないのは知ってるけど、わんこそばはいつごろからなんだろう?
テレビの「水戸黄門」をよく見ていたせいか、漫遊途中で南部領に立ち寄るたびにお供の八兵衛がわんこそばを食べ過ぎて腹痛で倒れるイメージがあったけど、これって史実と違うのかなと思った。
そういうわけで武家らしいまことに質素な食事を武家の作法で、合掌して「いただきます」とか余計なことをせずに、黙って膳に手をつけて食べた。
客が殿様でもないただの役人風情ってこともあるからかどうかは知らないけど、香の物と湯漬けと味噌汁とかそんなの。
心持ちがどことなく弛緩する食後のひと時、晶さんがあたしにさりげなく目配せをした。「ごねろ」と晶さんの目が告げている。
「なんだか、山の物にもいい加減飽きてきました。お魚が食べたいです」
「八兵衛、急ぐ旅ではないが我儘はいかんぞ。
我らがこうして食べていけるのもすべて民百姓が働いてくれているからだ。少しは堪えよ」
あたしが口火を切ると、晶さんがたしなめるように言う。
でも晶さんの目は「もっとやれ」と云っていた。
「だめです。我が家では先祖からの遺言で海のお魚を食べないといけない家訓があるんです。
海のお魚を食べつけていないと遺命に背くので、それでは御先祖様に顔向けができなくなってしまいます」
「……ぶっ」
音がした方を見ると、蘭さんが吹き出していた。晶さんまで無理矢理笑いを噛み殺しておぐらみのある表情を作ろうとしていたけど、それは見事に失敗していた。(おぐらみ:威厳のある)
「だから海の物を食べないと駄目なんです。このままだと御先祖様の位牌の前で一命を以って御詫びせねばなりません」
「もしかしてその位牌には八兵衛と書いてあるのではないのか」
高座に座ったつもりであたしが決然と言い放つと、堪えた笑いのせいで身体を震わせながら晶さんが聞いてくる。
その声は無理矢理押し殺したかのようにとてつもなく低い。
「はい。そうです」
「仕方が無い。御先祖様よりの遺命とあらば、武門の意地に懸けてもそうするよりほかにはなかろう」
「ありがとうございます」
「まるで河原者のようなことをしおって……」
そんなあたし達を見て女騎士がぼそり。




