4、八兵衛、仲間が増える。
「此度の道中の差配はすべてわたしに一任されておる。
この道行きも八兵衛、お前への鍛錬の一つと覚えておれ」
気温は肌寒いくらいだというのにもかかわらず汗をかきながら歩いているあたしのとなりで晶さんがそんな事を云う。
彼女はあたしの様子を見ながら歩くペースを上げたり下げたりしているのがわかった。
天魔舘を通り過ぎて七戸の宿まで歩く。
七戸の宿場町に入ると晶さんはあたし達に行った。
「ここで一休みだ」
近くの茶店で床机に腰掛ける。
「八兵衛、草履と足袋を脱いで足を見せてみろ」
あたしの前でしゃがみ込んだ晶さんに足の裏を見せる。
「どんな感じだ、八兵衛。肉刺ができそうか」
「はい」
あたしが答えると晶さんは足の裏に治癒魔法をかけてくれた。
「これでよかろう。
脚の方はこの前教えたように自身で揉み解しておけ」
そう云って晶さんは立ち上がるとあたしの隣に座った。
端坐して湯呑みを傾けている。
外から日差しが茶店の中に降り注いでいた。
店の中では三毛の猫が丸くなってまどろんでいる。
蘭さんが猫にちょっかいをかけたら「にゃぁ」と返事を返した。
隣に晶さんが居る。
何か話しかけようかと思ったところではたと気が付いた。
ここは他領でしかも南部の間盗役も一緒だ。
ちょっとした世間話ですら何らかのヒントを与えるおそれがある。
そう思って口を噤む。
そんなあたしを晶さんが見ていた。
ふっ、と晶さんの口許が緩む。
七戸宿を出たあたし達は奥州海道を南へ下り、三本木原の台地を歩いている。
三本木原はただただ茫漠とした荒地で、三本木の地名の由来となったシロダモの木が、
根元から株立ちして三本に分かれ、ぽつんと生えている以外には何もない。
そんな荒涼とした大地では放牧された南部駒が地面から生えた草を食んでいた。
小学生の頃に学校で配布された県の郷土史の副読本に「水の少ない三本木原」と書かれていたのを何故だか思い出す。
この頃の三本木は玉川上水ができる以前の武蔵野台地によく似ていて、水の手がない土地だったからただの荒地でしかない。
この火山灰の台地に人の手が入って人工河川の稲生川が開削され、のちの十和田市の原型が出来上がるには幕末まで待たないといけない。
だからこのままでいくと三本木原台地への入植が可能になるにはあと150年の歳月がかかることになる。
「風が強い日でなくて良かったな」
「そうだな」
女騎士の言葉に晶さんが同意する。
この元禄時分には開拓前だから防風林すらなかった。
群馬のからっ風ではないけれど、八甲田山から吹き下ろされる強風で砂埃が舞い上がり、酷いことになるのを指して南部の女騎士は云っているんだろうと思う。
「流石に津軽の間者だけのことはあるな。
ようもそこまで我が南部領のことには詳しいものだ。
……これだから津軽者は油断ならん」
「ところでお前は何処まで付いて来るのだ」
晶さんが訝しげに問う。
「知れたこと。南部家御目付様の御指示でお主達の道中を最後まで見届けさせて貰う。
我ら南部家の与り知らぬところで何やらちょろちょろと動いておるようだが、
お主ら津軽者の好きにはさせぬ」
「付いて来るな。と云ったらどうする」
「ふっ、その時はこっそりと後をつけさせてもらうだけのこと」
「――それにお主達の行き先も凡そのところ見当はついておる。
江戸を経て上方へ行く心算であろう。それくらいのことは察しがつく」
「なんでわかるんです?」
あたしは南部の女騎士に思わず聞いてしまう。
「御家の縁付いた先がどこかを見ればそれと知れることだからだ」
晶さんが答えた。
「うむ。津軽が御公儀に対して持つ伝手は今では細くなっているであろう。
以前は神君家康公が御養女満天姫様や天海大僧正殿が津軽のために動いておられたようだが、満天姫様も天海殿も今では居られぬ。
そのあとで御公儀への伝手となったのは四代将軍家綱公のご生母、宝樹院様の兄君である増山正利公であったが、
こちらも既に亡くなられておる今、津軽が頼れるのは黒石分家の筋で吉良上野介義央殿くらいなもの」
「――その頼みの綱の上野介殿がこうなられた以上、頼れる筋はない。
そこで関が原以前の伝手を頼ろうというのだろうが、そうそう上手くいくものかな」
「……何が言いたいのだ」
「なに、すこし手伝ってやろうかと思ってな。
豊臣家への伝手は我ら南部の方が強い」
「……その物言いには裏がありそうだな」
「裏なら幾らでもあるぞ。まず第一に、津軽の巻き添えは御免だからな」
晶さんの突っ込みに、南部の女騎士は笑って答える。
その様子を呆れながら見ていた晶さんが仕方ないといった風をする。
「勝手にするがいい。手助けはせぬ。ついて来るなら好きにせよ」
こうして同行者がまた一人、勝手に増えた。




