8、八兵衛、一目惚れしたダークエルフのくノ一にしごかれる。(上)
早道之者の修練場は富田村の寺沢あたりにあった。
21世紀の弘前市で云うと弘前城から見て西南にあたる、りんご公園の周辺といったところかもしれない。
ご先祖様と面談した翌日からあたしは連日、修練場に連れてこられて木刀を振り回している。
筋肉痛になる度に回復、治癒魔法で無理矢理癒されては再度走り込みと素振りを繰り返す。
再生治療まで可能な魔法があるおかげでかなり無茶な鍛錬をさせられる羽目になって、ちょっとした地獄をあたしは味わっていた。
この鍛錬に関しては
「士分になったのだから、武士として一揃いのことはしておくべきであろう」
とのご先祖様からのお言葉を頂いた。
「ほら、気を抜くんじゃない!」
黄色い声と共に竹刀でお尻をぽんと叩かれた。
稽古をつけてくれているのは中川様の御息女で名を「晶」という。
中川様は彼女をあたしの大坂までの道中の守り役にすると云った。
彼女は治癒魔法の使い手でもあるほどのすごい人だ。
いや、いっそ稽古の鬼かもしれない。
早道之者の隠れ家に連れて来られた最初の日に囲炉裏端にいたのが彼女だった。
あたしにとってはもう過去の世界となった、21世紀の日本風に直すと中川晶子ってことになるんだと思う。
この時代に21世紀日本と同じ竹刀があることには驚かされたけど、それを言ったら彼女に「なんで?」って表情でこう返された。
「鉄砲避けの竹束が弾除けになる仕組みをよく観察したら、そこからの類推で発想できるだろう?」
あたしと正対した晶さんはまるでどこぞの学校の女子剣道部員のような出で立ちだった。
面を着けていない彼女の後頭部では一本に結わえられた長い金髪のポニーテールがふるふると揺れている。
春の日差しを浴びている彼女の肌はエルフ特有の抜けるような白さが際立っていた。
肩に担いだ竹刀をあたしに向けて彼女が告げる。
「もうそろそろ素振りだけでは飽きてきただろう。わたしが稽古の相手をしてやるから有難く思うがいい」
凛とした表情であたしを見つめる彼女は袋竹刀をすっと正眼に構えた。
彼女の碧色の眼がすっと細まる。
「八兵衛、面を着けろ」
お晶さんは面を着けないんですかと聞くと竹刀でぽかりと打たれた。
「お晶さんではない。お前はご家老様の縁者ゆえ晶と呼び捨てでいい。
お寺の坊さんじゃあるまいし……」
彼女の最後の言葉は小声だった。
「お主のようなど素人の打ち込みなどわたしには当たらん。安心して打ちかかってくるがいい」
面を着けたあたしが竹刀を構えると彼女はそう言い放った。
「では遠慮なく……」
竹刀を上段に構えて打ち込んだ瞬間、首に衝撃。
脳が揺らされる。
意識が一瞬飛んで、気がついたら身体が後ろに吹っ飛んでいる最中だった。
何が起きたのかわからない。
茫然として視界を流れていく景色を眺める。
ひょっとして、首がもげて頭部だけが宙を飛んでいるのではないのか?
そう錯覚させられた。
背中から床に落ちる。
バウンドした。
魂消て動けない。
良かった。首はもげてない。安心した。
「さる仏典でお釈迦様が弟子にこんなたとえ話をしている――」
正眼に構えたまま晶さんが話し出す――
「――ある高名な大泥棒の元に弟子入り志願の若者がやって来た。彼はどうしも泥棒になりたいと言う。
彼の熱意に根負けした大泥棒は忍びの技を伝授することにした」
「――大泥棒は若者を伴って、深夜、とある大金持ちの屋敷に忍び込む」
「――忍び込んだ瞬間、『泥棒がいるぞ!』と師匠の大泥棒が大声で叫んだせいでとその家の家人達が騒ぎ出した。
びっくりした若者が周囲を見回すと大泥棒はどこにもいない。既に大泥棒は逃げ出した後だったのだ」
「――しばらくの後、這う這うの体で帰ってきた若者は師匠の泥棒に『ひどいじゃないですか!』と言ったが、師匠はそれに取り合わずに『あの後、お前に何が起こったか話してみなさい』と言うのみ」
「――仕方がないので若者は答えた。
『あの時、家人達が騒ぎ出した時に私の中で何かが動きました。
私は思わず「泥棒はあっちに逃げたぞ」と大声で叫んでいました。
あとは、私は私の中の何かに従って逃げてきただけです』と」
「――これを聞いた大泥棒は満足そうに頷いた。
お前の中に忍びの技は最初から在ったのだ、人に何かを教えることはできない――何故なら既に最初から在るからだ、と。
『お前には既に忍びの技は授けられている。生死の境涯においてお前の中の鍵は解かれたのだ。伝授は初めから既に了わっている』」
「さあ、今、立て!」
晶さんの声が飛ぶ。




