7、吉良の言い分(上)
多少の新解釈があるかもしれないです。
「と、それはそうと小隼人よ。お主の隣に座っておるのは誰ぞ」
御老人は問う。
「お、そうだったな。ここに居るのは石田八兵衛……」
「ということは筆頭家老杉山八兵衛殿の御縁者か」
「左様」
晶さんの合図であたしは頭を下げた。
「この度、我らの組に新しく入ったゆえ顔繋ぎに連れて参った」
「さよか」
……御老人のこの一言に晶さんが眉をひそめた。
「素っ気ないな」
「儂は昔からこうじゃ。小隼人、お主も知っておろうが」
「ああ」
晶さんが苦い表情を作った。
「……おおよその察しがついたわ。
世間ではお主が内匠頭殿を苛めたなどと云っておるがそうではない。
三郎、お前は口が悪い。どうせ内匠頭殿を怒らせるような云い方をしたのであろう」
「口が悪いのではない。わざとこういう云い方をしておるのよ」
老人はさらりと言ってのける。
これを聞いて晶さんは呆れたような顔をした。
「我らが家中の饗応を受けた時に『おかずは良いが飯がまずい』と云った憶えがあろう。
あれ以来、家中の者の中にはお主のことを快く思っていない者が多いのだ。
それに聞くところによるとお主は京の公家からも良くは思われてはいないそうではないか」
こう云って晶さんは嘆息するも、
さらに続けて綴られる晶さんの言を老人はどこ吹く風で聞き流した。
「吉良庄では名君と呼ばれているお主が……」
短い沈黙のあとで老人が口を開く。
「のう、小隼人。
聞く耳を持たぬ者の心に言葉を届けるには怒らせるのが手っ取り早い。
怒っている時には相手が云う事を細大漏らさず聞いて憶えようとするものだ。
『こんなことを言われた』とな」
これを聞いた晶さんの口が反射的に開いては閉じる。
その直後、晶さんの唇が動いた。
「三郎、お主、日蓮にでもなるつもりか」
「必要とあらばそうするに決まっておろうが」
さも当然と云わんばかりの目をした老人の姿に晶さんは息を詰まらせる。
「なっ……」
「我ら武家の礼は小笠原流。小笠原流はいくさ人の礼法。戦場とは常に動いているもの。
なれば武家の礼とは、臨んでは機に応じて変えるべきは変え、押さえねばならぬ所は決して変えぬ礼。儒者の礼とは違うのだ。
それを浅野殿ときたら『前回はああだった、あの時の儂の指図はこうだった』とそればかりでまったく聞く耳を持たぬ……」
吉良殿が疲れたような声で溜息を吐く。
「それで口の悪いお主の地が出たというわけか」
晶さんがなんともいえない顔をした。
「世間にはどこをどう取り違えたのかわからぬが、『小笠原流の礼を習って身に着けたから今度の弔いが楽しみだ』などとぬかす馬鹿者も居るでな。
弔いに呼ばれた先で小笠原流の礼法を披露できることを悦ぶようなのは礼でも何でもなかろうが。
大事なのは相手と今のこの時、それを忘れた礼は武家の礼法ではない」
吉良殿が憤然として言い放つ。
「それで強い口調で諫めた、と」
「そうじゃ。
世間ではどの様に言うておるかは知らぬが、吉良が浅野をいじめたなどとまったく馬鹿々々しい。
御勅使の饗応に粗漏があっては儂が責めを負わねばならぬというのに、浅野殿の足を引っ張って何になる。
小隼人、お主もそう思わんか」
同意を求めるように吉良殿の目が晶さんを射抜いた。
これに晶さんは苦笑しつつも同意するしかない。
多少は言いたいことを云って気が晴れたのか、吉良殿は足を崩して胡坐をかいた。
一息吐くと吉良殿は再び口を開く。
「何よりも上様は尊王の御心が並み外れて強い御方。これまでの源家や足利のどの将軍と比べても尊王の御心ではひけを取らんだろう。
そのような上様にとってあの場での御勅使とは帝そのもの。いや、お上……カミと云ってもよい。
カミは不浄を嫌い、清浄を喜ぶ。
上様はカミに御礼を奏上せんがため、入浴して身を清めておったのに、浅野殿はそれを血で穢した。
このことでの上様の御怒りはいかばかりであったろうな」
あたしは吉良様の物言いに少々面食らっていた。
その姿は、時代劇での悪役然とした有り様とは余りにも違っていた。
物事を見る視点が違えばこうも違ってしまうものなのか……
「だから切腹の御沙汰は浅野殿への恩情よ」
「えっ」
あたしは吉良様の物言いに驚きの声を上げた。
切腹が恩情とは一体どういうことなのか。
「杉山殿は縁者へのしつけが少々足らんようだな」
吉良様があたしを見て言った。
「よいか石田の八兵衛。武家は上様から旗本御家人に至るまで、すべて帝の臣。
帝在りせばこそ、我らは武士。武家の官位は帝からの賜り物であるのはこのため。
上様、譜代外様問わずみなすべて我らは帝の臣。帝なくして武家はない」
気迫の籠った二つの眼があたしを射貫いた。
あたしは思わず首を縦に振る。
「上様は殿中で刀を抜いたから御怒りになられたのではない。
御勅使という、我ら武士の真の主である帝が顕れた姿を前にして、
臣下としての弁えもなく、帝を顧みることなく私の心で刃を振るったことが上様の逆鱗に触れたのだ。
本来ならば打ち首獄門にされてもおかしくないのを、切腹に留め置いた。これを恩情と呼ばずして何と呼ぶのか」




