ヒロトカゲ〜消える僕〜
1
目が覚めると本堂に横たわっていた。
起き上がると思ったより体は軽く、幾分爽快でもある。本堂の戸を開けると、太陽はもう西に傾きかけていた。
「大智」
自宅に戻り居間に顔を出すと、凪紗と隆盛が座っていた。
そして思い出す。なにがあったのか。そして、自身が血塗れであったと。
西日で……気付かなかった。
「大智先輩大丈夫ですか?」
台所から現われた風音が呆然となっていたオレを案ずる。
「今、お風呂沸かしますから」
そう云って彼女は風呂場に向かった。
「お茶飲む?」
凪紗が訊いてきた―――ので頷き、オレは上座に腰を下ろした。
「隆盛―――」
恐い……だけど、訊かないわけにはいかない。
「勇太くんと和毅くんは?」
恐る恐るした問いかけに隆盛は大きく頷く。
「安心しろ。勇太は命に別状ないし、和毅の方も傷ついたのはほとんどゴ―レムの腕だけで、本人はゴ―レムがくっついてた部分の薄皮が剥がれた程度で大事ないから」
「そうか」
それを聞いて少しは救われた。
「はい、お茶。熱いから気をつけて」
「ありがとう」
凪紗が湯気の立った湯呑みを目の前に差し出してくれる。
「ねぇ訊きたいことがあるんだけど、あそこに篭もってる間って、まぁ食事は取らないにしてもトイレとかどうすんの?」
確かに気になることだろうな、それは。
「あそこにいるときは代謝力落とせるからする必要なくなるんだよ。冬眠してるのと同じ感じになるんだ」
「くっはっはっは」
行き成り隆盛が笑いだす。
「なんだよ?」
「くっくっ十回くらいおもらししたことあるよな」
「ばらすなよっ 」
くっそ〜隆盛めっ!凪紗も思いっきり笑ってくれるし。
「しかたないだろ!前の日、水分取りすぎたりして突如、仕事が舞い込んできたときとかだったんだから」
「ふはは、で?今回は大丈夫だったの?」
「ああ、寧ろ喉カラカラだ」
そう云ってオレはお茶を啜った。
「そりゃそうでしょうね。丸一日篭もってたら」
「丸い一日っ 今日は何日だ?」
てっきり数時間だと思っていた。オレは慌てて訊ねる。
「二十四日ですよ」
風呂場から戻ってきた風音が答えた。
「明後日はいよいよ体育祭ですね」
体育祭なんてどうでもいい。
二十五日、明日は―――。
「親父の命日……」
風音と凪紗がはっとなる。
「じゃっじゃぁお墓参りに―――」
「オレ、行ったことない―――墓の場所も知らねぇし」
関西のどこかの寺にあるらしいが……。行く気になれない。まだ、気持ちの整理がつかない。
「大智」
隆盛は月命日さえも、学校を休んで墓参りにいっている。
「オレ、今回はやめとくよ。お前のことが心配―――」
「行けよ」
「でも―――」
「行けばいいだろっ!」
「…………………」
また、あの笑い方 忍びを幸とするような。
「ちっ」
くそっ!
気が付けば目の前の湯呑みを引っ掴んで隆盛に投げ付けていた。
ばしゃ―――ジュウ―――
「きゃ」
凪紗の悲鳴。
「お前のそういうところが大嫌いだっ!」
仁王立ちして隆盛に罵声を浴びせ、オレは逃げるように自室に引っ込んだ。
「うぅ」
蹲ると血で黒ずんだシャツが目に入る。
「ちくしょう、ちくしょう……」
苦しい―――悔しい―――。湧き出る感情をどうすることもできずに、オレは畳の床を殴り付けた。
「くそぅ」
「大智先輩、入ります」
風音の声。そして彼女はオレの部屋に入ってくる。
「………………」
顔を上げることもできず、オレは床に縮こまり続ける。
風音は何も云わない。その代わりに彼女がオレの横にそっと腰を下ろす気配が伝わってきた。
「隆盛は悪くないのに―――」
オレは懺悔でもするかのように呟いた。
「オレが弱いから、勝手にイライラしてるだけなのに―――」
そう、八つ当りだ。
「大智先輩……」
「オレ、強くなりたい。誰にも迷惑かけないように。誰の力も借りずに、しっかり生きていけるように」
風音の手がそっとオレの背中に触れる。優しく、包み撫でるように。
「もし、そうなったら寂しいですね」
「えっ?」
ぽつりぽつりと風音は云った。
「だって好きな人から頼りにされなくなるのは、きっと悲しいことだから」
「……………………」
「私も姉も隆盛さんも大智先輩のこと好きだから―――支えられたり、支えたり、ずっとしていきたいんです」
「かざ―――」
オレは顔を上げ風音を見上げる。風音はそんなオレに微笑みかけてくれた。
「そして、それは不動尊さまと共に先輩のこと見守っくださっている黎須さまも同じような考えでいらっしゃると思いますよ」
「親父……」
父さんが今でもオレのこと―――。
「くっぅ―――」
ごめん、父さん。オレ、まだ父さんの死を受け入れることができない。だけどもし、みんなに支えられ少しだけ強くなって、いつか乗り越えることができたら、そのときはちゃんと挨拶にいくから―――それまで待っていてください……。
◆◇▲▽*△▼◇◆
「これか……」
パソコンに向かいながら僕は呟いた。
第二次性徴不全―――今は幻の人工細胞〃キザン〃を生み出した故ト―ル=シンラ博士がかかっていたと云われる原因不明の奇病。とかく細胞の異常活性に伴う成長プログラムの逸脱が起こり、見た目にそぐわない筋力を持つ、大人になれない人間が誕生するらしい。中には脳の活性も起こり、博士の天才ぶりをそれに位置付ける説もあるが―――あのバカそうな呪われ屋を見たかぎりでは眉唾だろう。
「よもや霊力失陥だとはな―――」
原因不明だというのも頷ける。
今の科学技術で霊的構造を認識するのはまだ難しいだろうからな。
「しかし、自分も呪われている人間が呪われ屋とは―――」
風邪ひきの医者に風邪を見てもらうような滑稽さがある。
恐らく普段は別の霊力で封印してあるのだろうが―――。
〈YuA〉はもっと詳しく知っているだろうか?
近況報告がてら訊ねてみるか。
「メ―ルしよ―――ん?」
突然、パソコンがフリ―ズした。
「ハングアップ!?」
そして次々とファイルが開いていく。まるで、何かを探しているように。
まさかハッキング?ファイアウォ―ルを突破したのかっ!?
「くそっ!電源を―――切れないっ!ステルスが潜伏していたのかっ!?」
目的は―――僕のパソコンからメ―ルが送信される―――〈YuA〉かよ!?
ハッカ―は〈YuA〉のパソコンに侵入するために僕経由でハッキングしているのだ。
「バッテリ―を―――」
プスン
ディスプレ―がブラックアウトする。
「クラッキング……」
システムがほぼ全滅した。
しかも〈YuA〉からの攻撃で―――。
〈YuA〉がウイルスを送り付けてきたのだ。ハッカ―諸共心中するように。
まさに蜥蜴の尻尾きり。僕を切り捨てた。
真っ黒になったディスプレ―にカチカチと文字が浮かぶ。
《a parting ×××》
別れのキス―――捨て科白のつもりか。
「うぬあああ」
バキっ!
2
次の日、隆盛は早朝から墓参りに出掛けたらしい。
オレの方はなんとなく腐った気持ちをかかえ居間でずっとテレビゲ―ムをやっていた。
「あっ隆盛さんからメ―ルだ」
同じく居間でパソコン(隆盛のお古)を弄くっていた凪紗が云った。
「『お土産なにがいい?』だってさ」
「八橋」
オレの速答に凪紗は首を捻る。
「行ったの京都じゃなくて和歌山じゃなかったかしら?」
「和歌山?じゃあ蜜柑かなぁ」
「まだ早いわよ。収穫できるの」
「それもそうだな―――じゃあ、なんか他にあったか?」
「和歌山ラ―メンとかなかったかしら?」
「さぁ、あっても持って帰れねぇだろ」
「そうよねぇ」
二人で考え込む。めんどくせぇ。
「もう、なんでもいいよ」
「『なんでもいいです』っと―――」
メ―ルを返す凪紗。
「なんでもいいとかいってさ、ネ―ム入りのキ―ホルダ―とか買ってきたりして」
「うわっアレ貰ってもあんま使わねぇよなって―――もう、話し掛けるから事故っちまったじゃんか」
レ―スゲ―ムでコ―スアウトしてしまう。
「うわっ人のせい?」
「うっ」
「てか、法師さま朝からゲ―ムしすぎ。体に悪いわよ」
「凪だってパソコンずっとやってるじゃねぇか」
オレの指摘に顔を引きつらせる凪紗。
「……だって、今までずっと学校でしかやれなかったんだもん。せっかく隆盛さんに大ちゃん弐号機(パソコンの愛称)をもらえたし思いっきりできるから。この家が今だに光じゃないのが気になるけど」
「…………………」
嬉しそうにパソコンを撫で回しながら凪紗は語る。
「パソオタ」
「ムッ法師さまこそゲ―マ―じゃない」
『……………………』
沈黙。
「パソコンがそんなに面白いかね」
「ゲ―ムなんてガキくさいわよ。実際、小学生みたいだけど」
「何をっ!」
「何よっ!」
「ハイハイハイ」
睨み合うオレと凪紗の間にどこからともなく現われた風音が割り込んでくる。
「二人とも今からお掃除するので表で遊んできてくださいね」
『えっ!?』
菩薩のような微笑みにオレたち二人は家を追いだされてしまった。
「風音は家事オタクだな」
玄関前で佇んで呟くオレ。
「いやいや、それがね―――」
凪紗は声を潜めて云う。
「ほら、こないだ引っ越してきたときに、あの娘のダンボ―ル開けたんだけど、そしたら物凄い本がいっぱい入っててさ」
「もの凄い本?」
どんな本だ?
「うん。私の口からはちょっと―――」
思い出したのか顔を赤らめる凪紗。ますます気になる。
「あ〜そうねぇ……きっと、隆盛さんとは趣味があうだろうとだけ―――」
「みなまで云うな」
何となく想像がついた。
「あの風音が……趣味、疑うな」
「ねぇ」
秋風がどこか冷たい。
「これからどうする?」
「ああ、オレ病院行くかな」
「勇太くんたちのお見舞い?」
「ああ」
凪紗は少し考え込んでから云う。
「じゃあ私も行く。勇太くんにもう一度ちゃんと謝っておきたいし」
「そうか」
オレたちはとぼとぼと病院に歩きだす。
「見舞いの品、何がいいかしら?お花は買うとして、果物とか?」
そりゃ当然―――。
「ケ―キに決まってんだろ」
「自分が食べたいだけじゃ?」
「…………………」
ちっバレたか。
和毅の入院している病室を訪れる。彼は大部屋の一番端のベッドに座って窓から空を見上げていた。
「あっチビ太兄ちゃん」
和毅がオレに気が付く。
「チビ太云うな!」
「へへ、見舞いにきてくれたんだ」
「ああ」
和毅は思ったより元気そうに見えた。それでも両腕に巻いた包帯が痛々しい。
「こんにちは、和毅くん」
凪紗が挨拶する。すると和毅はにやけて訊いてくる。
「ういっスって、ねぇねぇ何?この可愛い姉ちゃん、彼女?」
「ちがっ」
オレが慌てて否定しようとすると、凪紗はしれっと云う。
「法師さまの嫁候補の一人よ」
「嫁っ!?」
「ちなみに、私の他あと二人いるわ。ああ、一人は婿候補だったかしら」
それはもしや隆盛のことかよ、オイ。
「なんだか知らないけど、兄ちゃんモテるんだな……以外と」
「………………………」
否定はしないがあまり嬉しくない。だってほぼ変態だもん、その人たち。自然と渡部りか子の顔が脳裏に浮かんでくる。
「お土産にケ―キ買ってきたわよ。お姉ちゃんが食べさせてあげるね」
「わお〜ラッキ―!あ〜む―――」
凪紗はフォ―クでショ―トケ―キを和毅の口に運ぶ。和毅は大口を開けてそれを頬張った。
「うっめ。しかも、こんな美人からのご奉仕って、たまには入院してみるもんだな」
ニコニコ顔で云う和毅。
今し方、独りで空を眺めていた表情とのギャップ―――なんかカラ元気みたいで複雑な気持ちになる。
「あんま、ムリすんなよ」
「ん?」
「だからさ、そうやって平気そうな顔するなよ」
「はっ」
和毅は失笑するように片方の頬を引き上げた。
「あん、男がぐだぐだ愚痴零したり、人前で泣いたりできるかよ」
「…………………………」
よく人前で泣いて、愚痴零してるオレっていったい……。
「だいたい、オレは腕なんかなくったってよかったんだ。まっ生えればめっけもんって感じで送られてきた薬付けてただけだし」
嘘だ。本当はそんな簡単な言葉で一蹴できるような思いのはずがない。
子供は子供なりのプライドがそう云わせているだけだ。
「寧ろ、オレの兄ちゃんの方が落ち込んでてよ。チビ太兄ちゃんからも励ましといてよ」
「ああ」
「あ〜む、むぐむぐ」
兄への配慮。そして和毅は嬉しそうに凪紗の手からケ―キを口にする。
頑固ものだな。潔すぎるほど。
いや、そうならざる得ないのだ。明るく振る舞って、人から嫌われないように。
それが和毅の生きる術。
ない腕の代わりに、人よりも多くの他人の手助けが必要な生き方をしなければならないものの。
たとえ屈辱に苛まれようと、平気な顔を貫く。それが自分の誇りなのだと云いきかせ。
強い。強くなければ生きていけないのか?
オレには―――オレだったら―――。
「もう、行くのかよ」
ケ―キを食べさせ終え、少しの間談笑してからオレたちは和毅に暇を告げた。
「ああ、勇太くんの方も見舞ってやらなきゃなんねぇからな」
「勇太か」
和毅の表情が消える。
「あのさ―――今度、勇太に会いにいくのにオレに付き合って欲しいんだけど」
目を伏せながら和毅は云った。
自分の意志ではないにしろ、勇太を傷つけてしまった罪悪感。一人で会いに行くには心細いのだろう。
「ああ、退院したらうちに来い」
オレの言葉に和毅はほんの少しだけ縋るような目でオレを見た。だがそれはすぐに強気なものに変わって、
「オレはチビ太兄ちゃんじゃなくて、凪姉ちゃんに云ったんだけど?」
とクスクス笑いながら云った。
「あっそ」
「へへ」
和毅は照れ臭そうに笑った。
どうやら口が減らないのも性分のようだ。
「あっ大智兄ちゃん。凪紗姉ちゃん」
勇太の病室を訪ねる。さすがに金持ちだけあってVIPル―ムと呼ぶべき個室だ。
「よく、風音と見分けつくな」
オレが感心して勇太に云うと、横にいた凪紗がジト目でオレを見る。
「法師さま、風音と私、見分けつかないんだふ〜ん」
「あっいや―――その―――」
見分けて欲しいならどっちか髪切れ、とは口が裂けても云えそうにない雰囲気だ。
「霊力の質は同じだけど、若干配分に違いがあるからね」
ほら、勇太も見た目じゃなくて霊視で見分けてる。ってか、そんな微妙な違いが分かるんだ、勇太。なんでオレの周りには、本業のオレよりも霊感が鋭い奴ばっかりなんだ?
「勇太くん……体、大丈夫?―――私―――」
凪紗は謝罪の言葉を選んでいる。大変なことをしてしまったという自覚があるからこそそう軽々と言葉が出てこないのだろう。
「もう、気にしないで凪紗姉ちゃん」
「えっ?」
勇太が凪紗の言葉が出るより先に柔らかに許容を示す。
「僕もママももう凪紗姉ちゃんのこと悪く思ってないから」
「でも……」
戸惑う凪紗に勇太は首を振ってみせる。
「人が人を傷つけるときって、無知すぎることと追い詰められてしまって思わず行動してしまうときとに原因があるもんでしょ?」
そうかもしれない。
無知だと人の気持ちを計りかね、知らず知らずに誰かを傷つけることがある。感情を操作する方法を知らないということも。
そして心身に余裕がなくなれば、おのずと何かを攻撃してしまうものだ。
「前者は無知の知を怠ることに、後者は追い詰められた情況によりよい回避行動をとろうと努力しないことにその罪がある。でも、凪紗姉ちゃんは無知の知を知らないほど愚かではないし、苦境に耐えようと必死で努力してきた。僕はそんな情況で過失を犯してしまって、それを後悔して懺悔している人を責めれるほど偉い人間じゃないもの」
「…………………」
大変感動的で素晴らしいお話ですが、
「勇太くんホントに小五かよっ!?」
オレは思わず思いっきりつっこんでしまった。
「へへ、前世の記憶かもねぇ」
へらへらして云う勇太。冗談に聞こえねぇよ、おい。
ん〜……この子、やっぱり怪しいよな。
「なぁ勇太く―――」
ガラガラ
オレの言葉にかぶって病室の戸が開く。ランドセルを背負った男の子(でも、やっぱりオレと同じくらいの背丈)が入室してきた。
「ヒロくん、お見舞いに来てくれたの?嬉しいなぁ」
「うん」
勇太にヒロくんと呼ばれた子は柔和に微笑んで頷く。凄く優しそうな子だな。
「こんにちは」
ヒロくんと目が合いオレは彼に挨拶する。
「はじめまして」
ヒロくんは丁寧にお辞儀をしてきた。なんだろう、気品があって、勇太とはまた一味違った人を引き付ける魅力がある子だ。
「…………………」
あれ?でもなんか……。
「呪い……」
凪紗が搾り出すような声で呟いた。
やはり、そうだ。この子、呪われてる。
「ごめん、今日はもう帰る」
「ちょっまっ―――」
ヒロくんはそう云うと引き止める間もなく慌てて病室から出ていった。
「勇太くん、今の子―――」
「ヒロくん?僕の友達だよ」
「呪われてたけど知ってた?」
「うん」
平然と頷く勇太。
「いつから?この間、キミのクラスの子が呪われたときに見落としてた?」
「ううん。もっと前からだよ」
「じゃあ、なんでオレに教えてくれないんだよ。友達なんだろ!?」
「う〜ん」
オレの問いに考え込む勇太。
「なんだろ。呪いって云っても誰かに攻撃受けてるんじゃなくて、邪気にあてられてる感じだし、それにさヒロくんあの情況を甘んじてるんだよね」
「甘んじてる?」
「そう、好きで呪われてるんだ」
「そんな奴いるわけないじゃないか!?」
好きで呪われてる奴なんかいてたまるか!
「だからね。え〜と……そうっ!リストカット症候群―――そんな感じ!!」
「リス―――?」
なんだ、それ?
「手首を切ることが快感でやめられない人のことよ」
凪紗がオレの心の声を聞いたがごとく説明してくれる。
「自殺願望者ってことか?」
「いや、そうじゃないのよ。自傷行為っていうの。自分がね今生きてることとか、自分と世界の関係とかが実感なくなって―――痛みとか流れる血とかで、自分取り戻せた気になったり―――どうしょうもない破壊衝動を人にぶつけてしまうんじゃないかって恐くなったりしたときとかにやったり―――血が抜ける感覚とか、首閉めて血が頭に上っていく感覚とかが気持ち良くなって癖になったりするの」
「そんな奴―――」
いるのか?そう続くオレの言葉。だが、凪紗のその口から出てきた言葉に絶句する。
「私もそうだったから」
「っ!?」
「私も風音に呪いを移そうと決意するまで、どうしょうもなくてやってたから―――」
胸がざわざわする。心が感情で押し広げられて破裂しそうだ。
「今は―――」
恐い。
「今は違うんだろ?」
肯定してくれ!
「大丈夫よっ!今は違うわ!今は辛くてもその気持ち分かってくれる人たちがいるから」
「…………………」
ほっとした。安心と脱力が同時に訪れる。
「ほら、健全じゃないから―――治さなきゃならないことだろ?」
「そう?」
聊か責め立てるように詰問するオレに逆に勇太は訊きかえしてくる。
「そんなに健全じゃないこと?」
「だってそうじゃないか!」
「でもさ、そう決め付けられるほどみんな健全なの?」
「えっ?」
「たとえばさ、携帯電話を忘れてしまって、いても立ってもいられなくなる人とか結構いるでしょ?『キミがいなくちゃ生きていけない』とかプラトニックかさにきて、恋人に依存する人とか。夫に相手にされなくなってドロドロに子供にかまってダメにする青い鳥症候群。ゲ―ムとか漫画とかにはまって現実見ようとしない人。そうそう、買物依存症とかもあるよね」
「っ!?」
『大智はぁプチ買物依存症だぁ』―――隆盛の言葉が頭に響く。
「そういうのってさ、人口比率の問題とか、折り合い付けてなぁなぁでなんとかやっていくとかさ、みんなそうやって生きていってるんじゃない?健全じゃないとか〃病気〃とかレッテルはってさ、そんなに傲慢になれるほどみんなちゃんと生きてるの?」
「そう―――だけど―――」
そうかもしれないけど。
◆◇▲▽*△▼◇◆
思わず逃げ出してきてしまった。
「……………………」
どうせもう御陰勇太には僕のことは見透かされている。逃げる必要はなかったようにも思えるけど……。
「アイツの前で醜態はさらせない」
御陰勇太にみっともないところを見せるわけにはいかないんだ。
「待って!」
病院を出てトボトボ歩いているところに、背後から声をかけられる。
振り替えるとあの呪われ屋が僕の方へと走ってきた。
「…………………」
改めてみると奴は凄い霊力を纏っている。神々しく黄金に輝いて見える。だが、それは奴の本来の霊力ではない。どこからかその荘厳な霊力を調達し、自身の呪われた霊力を押さえているのだ。
他の霊力を取り込み操る、そういった意味ではこの呪われ屋と僕は似ているのかもしれない。ただ、その使い道も、その必然性もまったくもって別のところにあるが。
「はぁはぁ―――キミに……キミとちょっと話がしたいんだ」
呪われ屋が肩をぜいぜいいわせながら僕に云った。
「話ですか?」
「うん」
どうせくだらない話だろう。
でも、気晴らしにはなるかもしれない。
この似非坊主に人の心と向かい合うことがどういうことなのか、存分に教えてやる。
◆◇▲▽*△▼◇◆
勇太の言葉に空恐ろしくなった。
呪い―――それが人の中に渦巻く感情の産物であり、自分を支配する精神の脆さの証明なのだと改めて気付かされる。
オレは爆発しそうな感情を行動に代え、勇太の病室を飛び出してヒロくんのもとへと走っていた。
「いいですよ。そこのベンチでお話しましょうか」
「ありがとう」
よかった。
ヒロくんは快く承諾してくれた。
「オレ、不破大智ってんだけど―――」
「縫取織ヒロトです」
なんだろ。
凄く聞き取りやすいっていうか、この子の声を聞くと、さっきまで動揺していた気持ちが落ち着いてきた。
確かにこの子の体の中に邪気の坩堝を感じる。それでも不安定の中の安定というか、ぐちゃぐちゃに積み上げられた荷がかえって均衡を保っているような、そんな高揚する感覚を覚える。
やはり勇太の云う通りなのか?
「オレ、こう見えてお坊さんの端くれでさ」
「ええ、知ってますよ。勇太くんに聞きました。呪われたときに救ってくれたって」
「うん……それで、云いにくいんだけど」
「僕の呪いが分かるんですね」
核心をつかれどきっとする。
「勇太くんが何か云ってましたか?」
「あっえっと―――」
なんって云ったらいんだろう?
「その―――キミが呪われている情況に甘んじているって」
「その通りです」
爽やかに首肯するヒロくん。
「あの、今はキミに特別な症状は出てないみたいだけど」
「ええ、僕は周囲の霊力を取り込む体質なんですよ。最近は正常な霊力のところって少ないじゃないですか。だから自然と邪気が体に溜まるんです。でも、抵抗があるからか、多少ストイックになる程度ですんでます。寧ろ精神安定に役立ってるように思うんですよ。そういうの共生っていうんですかね。ほら善玉菌みたいな感覚ですか」
「…………………」
邪気を逆に利用―――もしそれが本当だとすればそれほど悪い情況ではないのかもしれない。だけど―――。
「うん。キミの云ってることは分かるんだけどね―――。霊力の制御って結構大変なことだろ?だから、今はよくても急に豹変して大事になるかもしれないから……オレの云ってること分かる?」
「ええ、分かります。僕のこの呪い、お兄さんがどうにかしてくれると」
「そうなんだ!やっぱり危ないから」
理解してもらえた。勇太があんなこと云うから心配してたけど、ちゃんと話せば分かるじゃないか。
「お兄さんは優しんですね」
「えっ?いやそんな―――」
讃められた。なんか嬉しい。
「でも余計なお世話です」
「っ!?」
「さっきも云ったけど僕はこの情況を甘んじているんです。後の災いが心配されても、僕はこの状態が気に入ってるんです」
「だけど―――」
オレは狼狽える。分かってもらったと思った矢先のこれ。やっぱり一筋縄ではいかないのか?
「気に入ってるかもしれないけど、危ないのに何もしないのは間違ってるだろ!?」
「お兄さんは潔癖性なんですね。それはとてもいいことだと思います。でも、僕はきれいなものだけを糧としていけるほど恵まれてないんです」
「どういうこと?」
「呪い―――好きなんです」
ヒロくんは変わらずの笑みで囁いた。
「好き?」
「狂ったもの、醜いもの、呪い―――好きなんですよ、僕」
「………………………」
ほんの少し恍惚を顕にするヒロくん。
「狂ったものが好きって―――あの、オレ分からないけど……それはなん―――?」
疑問が次々浮かんでるのに言葉にすることができない。
「気持ちがいいんです。そういうの肌で感じると」
「気持ちがいい?」
どういうことだ?わけが分からない。
「お兄さんには理解できなくて当然です。可哀相に」
可哀相、オレが―――?
「ふふ、第二次性徴不全―――これがお兄さんの体を支配している呪いの名前です。ご存じでしたか?」
「第二次性徴……」
「まさか自分の体が正常だなんて思ってないですよね?」
それは―――!
「ふふ、その年にもなってマスもかけないくせに、自分が不能だと気付かないはずがありませんもんね」
「今、そんなこと関係ないだろっ!?」
怒鳴り声を上げてしまう。
恥ずかしかった。なんで、会ったばっかりの子供に人のそんな体のことまで―――。
「関係ありますよ」
「っ!?」
「お兄さんはこの呪いのために大人になれない体です。つまり、一生快楽というものに無縁です。そんなお兄さんに僕の気持ち、悦を手放せない人間のこと、理解できないでしょう。そして、人の性癖を他人にとやかくいわれるとどういう気分になるか、これで分かったでしょ?」
顕になる敵意。近くを通る車の排気ガスが妙に鼻に付く。
あれ?なんでこんなことになったんだ?頭がごちゃごちゃして、気持ち悪い。
◆◇▲▽*△▼◇◆
ふん、滑稽だな。
呪われ屋のくせに、僕が言霊にのせてお前を呪っていることも気付かないなんて。
「ああ―――」
呪われ屋は文字通り頭を抱えている。いいざまだ。
「呪われてるのを助けたいのに―――助けたいだけなのに―――なんでこうなるんだ?」
ふん、お前のような弱者が軽々しく僕に触れようとするからだ。
「そもそも、なんでオレの体のこと―――」
「和毅さんの一件ですよ。あなたのあの異変を見て気付いたんです。過去に症例がありますからね」
「あっそっか」
「さて、ここからが問題です。僕があの事件の被害者でもなければ、目撃者でもないとすれば―――」
「勇太くんを呪ってるのはお前か……」
呪われ屋は驚愕というより、自身で云っていることの半分も理解していない感じで呆然となっている。
「ご明察―――といっても、これだけヒントを出して気付かない方がおかしいですけど」
「間違っている」
呪われ屋は声を震わせて云う。
「こんなの間違っている」
「いいえ。間違ってませんよ。なぜなら人を呪ってはいけないという法律はないんですから」
「法律?」
「ええ。四年前、この国で爆発的に特殊能力を持つものが増える事件がありました。それから呪いは抽象的な恐怖から、現実の驚異となった。でも、この国を動かしている薄鈍の大人が危機感を覚えて、法ができるのは恐らくあと数年はかかるでしょう」
「そんなことじゃない、モラルの問題だ」
呪われ屋は心の苦痛に顔を歪めながら、それでも僕を説き伏せようとしてくる。案外しぶとくていじめがいがあるな。
「じゃあ、訊きますけどなんで人を呪ったらいけないんですか?」
「人を傷つけることも、自分を危険に曝すこともよくないことだろ!?」
「そうですか?では、あなたは人を傷つけたことはないんですか?」
「それは―――」
顔面蒼白にして口篭もる呪われ屋。
「あなたは今生きている情況に誰一人として犠牲を出していないのだと、胸を張って云えますか?」
「それは―――それは云えないけど。自分から傷つけようとか思ってるわけじゃなくて……だってそれは―――」
「そう、故意じゃない。不可抗力というやつです。でもそれは未必の故意を誤魔化している言い訳にすぎないでしょ?」
「未必の故意?」
今日々の高校生はそんなこともしらないのか。
「ええ。罪を意図的に望まないにしろ、自分のしたことからなにか問題が発生するかもしれないと思いながら、そうなっても仕方ないと認めて行動する心理状態のことです」
「…………………」
「分かりませんか?つまり、人は理想を語りながらも、生きるために何かを犠牲にしなければならないと認めている。その諦めが社会に不協和音を生み出し、罪と呼ばれる事象が発生していることも知っている。そう犯罪は発生しても仕方ないとみんな思っているんですよ。社会の歪みをどうにかできるほど人は強くないから」
「あぅっ」
やっと理解したか、この脳●りん。
「自分たちを脅かす犯罪者は、過去や現在や未来、人類の未必の故意のツケだということですよ。これこそ呪いの連鎖とは思いませんか?」
「呪いの―――連鎖……」
「こういうことありますよね。一つ大きな事件が起きると立て続けに同じような事件が起こるなんて。アレはね、メディアという媒体が誰かさんの背中を押しているんですよ。自分と同じような境遇の人間を知って、感染してしまうんです、心が。そう、テレビや新聞やネットが呪いの依代となっているんです。自殺者や犯罪者を助長させる呪い」
「はぁはぁはぁはぁ」
呪われ屋の息遣いが荒くなっていく。壊れるがいい。脆弱な人間の癖に僕に楯突いたことを悔やみながら。
「あぁ―――」
「そうだ、テレビといえばなにか大惨事が起きたとき、片方の脳では被害者を哀れみながら、心のどこかで死者の数がどんどんとカウントされていくことに少なからず興奮を覚えることありませんか?酷いとか口では云いながら、自分より可哀相な人たちを見て高揚する。そういう感覚に近いと思うんですよ。僕が感じている気持ち」
「うぐぅ」
呪われ屋は吐き気をもよおしたように口を押さえる。
「同情と哀れみは優越を得るための糧であり、奉仕と救済は支配を得るための手段です。人は善という行為を以て他者を掌握し、愛という甘美な言葉で他人を縛る。教育は洗脳、執着は暗示の賜物。それが呪い。そう、この世界は呪いに満ちている」
「呪いに……満ちてる?」
「そうです。霊力の多い少ない、故意か未必の故意かの違いはあっても、誰しも呪いに手を染めている。なのに何故、その情況を楽しんでいるという理由だけで僕が間違っているんですか?」
「僕が……間違っているんですか……」
呪われ屋は鸚鵡返しに僕の言葉を反芻すると、がっくりと項垂れた。
「…………………」
ふふ、落とせた。が、これは一時的な衰弱で終わるだろう。僕の力だけではこれが精一杯だ。黄金の霊力がギリギリのところで防いでいるしな。
でも幾分憂さ晴らしにはなったかもしれない。
僕はベンチから立ち上がり、
「もし、僕の問いに納得の行く答えを返せたときは―――お兄さんの救い手に……素直に応じましょう」
「…………………」
答える気力も失った呪われ屋を残してその場を後にした。
3
箸が進まない。風音の作ってくれた料理は今日も絶品だというのに。
「……………………」
オレは二・三口大根の煮付けを口に運んでから、銜え箸で固まっていた。
「あの、お口に合いませんか?」
風音が心配そうに訊いてくる。
「あっいや、そうじゃなくて―――ちょっと食欲がないんだ」
あの子の言葉が全身にこびり付いている。食道を塞ぎ、胃を縛り付けているみたいだ。
「何かご心配なことでも?」
「いや―――」
なんでもない―――そう言い掛けると、
「法師さまっ!!」
凪紗が箸をテ―ブルに叩きつけ怒鳴った。
「ウジウジするくらいなら、言葉にしてよ!吐き出さなきゃ溜め込むタイプでしょ、法師さまは!?」
「ごっごめん」
あまりの迫力にオレはたじろぐ。
「どうせあの子になんか云われたんでしょ?あの後からだもん。法師さま沈んでんの」
「うん」
「何、云われたの?」
こんなこと、凪紗に云うべきだろうか?でも、オレ適当に誤魔化すとかできないし。
「なんで人を呪ったらいけないのって訊かれた」
「っ!?」
「あの子だった。和毅くん呪って勇太くんを殺そうとしたの」
「そうだったの」
そう驚きを洩らす凪紗の顔が見れない。
「オレ、人を傷つけるのはよくないだろ?って云ったんだ。そしたら―――」
「そしたら?」
「そしたら、あんた人のこと傷つけたことないのかよって云われた」
「……………………」
「その後、色々なんか云われて、全然わけわかんなくなって―――あの子が云うにはみんな多かれ少なかれ呪ってるって……それなのになんで自分だけが間違っているんだって―――オレ、答えられないよぉ」
涙が止まらない。
和毅は男は人前で泣いたりできないと云った。
自分でも薄々気付いていたけど―――今日、きっぱりとあの子に『お前は大人になれない可哀相な人間』なのだ宣告されてしまった。
オレは大人に―――男になれない。
だから、ずっと弱いままなのか?
「うっぐ―――うっ―――ぐす―――」
食卓に響くのはオレの嘆きだけ。
ときが死んだような時間が流れる。
「私は―――」
やがて凪紗がときを復活させる。
「私は―――私も、なんで人を呪ったらいけないのかとか分からない」
凪紗は喉を震わす。
「決して呪いを肯定するわけじゃないけど。でもね、もしあのとき風音のことを呪わないで、一人でずっと悩んで苦しんで、行き着く先が自殺とかだったりなんかしたらって思うと」
凪紗は涙を呑んでいる。自分が泣ける立場ではないと。
「凪」
姉が妹を呪った。凪紗はそのことをずっと悔やみ続けている。だがもし、凪紗が苦しみの末に自ら命を絶っていたとしたら、それは風音にそれ以上の嘆きと罪の意識を背負わせていたことだろう。
「私はすごくいけないことをした。いくら懺悔してもそれは償いきることはできない。だけど今、そう思える自分は誇りたい。私がこんな風に思えるようになったのは法師さまに出会えて、法師さまが私を救ってくれて、今このときも私の横に座っていてくれるから。それだけは決して揺らがない真実だから」
「うっくぅっ―――」
毎日、毎日、生きてて不安で―――自分のやってきたことが正しいのか分からなくて―――これから先、どうなっていくのか全然見えなくて―――それでも、そんな言葉を貰えるオレは―――。
「うぐっ……それが―――ひっ……オレの答えだ……」
ああ、オレはあの子を―――ヒロくんを救いたい。ただ、それだけ。
「姉さん、大智先輩―――ありがとうございます」
風音が深々と頭を下げた。
◆◇▲▽*△▼◇◆
壊れたパソコン―――自らの拳でひしゃげたディスプレイの前に佇む。
何もすることが思いつかない。
夜が……長すぎる。
「くそぉ」
〈YuA〉―――世界で唯一信用がおける人間だと思っていたのに。
《突然だけど、こんにちはヒロくん。私はYuA。特殊な霊能力を持つキミにプレゼントをあげるね》
彼女からの初めてのメ―ルを思い出す。
《キミは選ばれた人間だから―――》
彼女はいつも僕を讃えた。
《ヒロくんには私がついてるよ》
いつも優しかった。
《大好きだよヒロくん》
僕を必要としてくれた。
《恐がらないで。キミの気持ちを世界中に分けて上げてるだけだから》
なのになんでっ!
「…………………………」
苦しい。もう、この手があなたに届くことはない。
「ちくしょう」
呪われろ、呪われろ、呪われろ!
「呪い……そうだ、今日奴の見舞いに来ていた女」
あの女の体、どす黒い靄で渦巻いていた。御神木の呪いには劣るものの、あれを僕が有効に使えば大量の人間を呪うことができる。
「ふふ―――」
僕は机の引き出しを開け、通販で手に入れたスタンガンを手に取る。
ジィ
迸る閃光。
誰にも僕の呪いを否定なんかさせない。させるものか。
4
「オッハ―!今日は運動会日和だな」
隆盛がハイテンションでオレのことを迎えにきた。
「お前、実行委員なんだから先に行かなくていいのかよ?」
「式を先にやってるから全然オッケ〜!それより土産買ってきたぞ。これで機嫌治せ」
「これはっ!?」
「まさかっ!!」
隆盛から手渡された土産を手にし驚愕するオレと凪紗。
『ペナントっ〜!』
そう、三角形で和歌山とか刺繍されてあって壁に飾る代物。
予想を遥かに超えた〈貰っても微妙な気分になる土産物〉を拵えてきたよ、この男。
「さすがね、隆盛さん」
「ああ一筋通った変態だ、こいつは」
オレと凪紗がぶつくさ云っていると後ろで見ていた風音が感嘆の声を上げる。
「うわぁ素敵なペナント。ちょうど居間の壁が寂しいと思ってたんですぅ、助かりましたね」
心底目を輝かしている風音。
てか、飾るんだ―――コレを。
「そうだろ、そうだろ」
風音のコメントに大きく頷く隆盛。
「ほら、この蜜柑の刺繍がまた秀逸で」
「ええ、ホントに。そうだっ!柑橘系の香水を染み込ませてみたらいいかもしれません」
「おおっそいつはエレガントだな!」
なんか二人で盛り上がってるし……。
そうか……隆盛と風音―――二人は周波数が同じなんだな、電波の。
『ただ今より、第四十九回・真鍮高校体育祭を開始します』
ポンポンと打ち上げられた花火の音。古くさいスピ―カ―からパチンコ屋の開店したときよろしく派手な曲が流れ、運動場に集う生徒や観客の拍手が鳴り響く。
「…………………」
そんな活気ある情景をオレはテントの中から眺めていた。
連日の疲労を考慮に入れ、結局オレは医務用テントで見学することにしたのだ。
それはつまり、
「ふふ、ラッキ―ね!キミと一緒に過ごせるなんて。不破大智くん?」
渡部りか子が一日横にいるという情況なわけで。
「いいか!?」
「?」
早くも躙り寄ってこようとしている渡部にオレは凄む。
「オレに指一本でも触れてみろ!絶対、スクハラで訴えるからな!?」
「スクハラ?」
「校内でのセクハラだっ!今、結構問題になってるんだからな」
「うん。スク―ル・ハラスメント(学校内での嫌がらせのこと)でしょ。知ってるけど、まさかキミのお口からそんな高等な単語が出てくるなんて……」
首を捻る渡部。くそっバカにしやがって。
「上条くんの入れ知恵ね」
「うっ」
その通りだったりなんかして。
「ビンゴだよ〜ん。りか子ちゃん」
隆盛がピ―スしながら医務テントにやってきた。渡部はいい年こいて膨れっ面して、
「もうっ!いけずぅ」
今にもプンプンとか云いそうだ。
「はっはっはっ目が届かないところでオレの可愛い大智にちょっかい出されてもかなわんからな」
「誰がいつお前のものになったんだよっ!」
「このぅ照れ屋さんめ」
隆盛が椅子に座っているオレの頭を撫で繰り回す。ああ、もう欝陶しい。
「何しに来たんだよ、お前」
「ああ、そうそう。走ってるときとかにさ、邪魔になるから法具を預かっててもらおうと思って」
そう云って隆盛は手にしていた法具を外した。
「大事に―――」
キィ―ン
「ん?」
派手な音を垂れ流していた運動場のスピ―カ―がハウリングを起こしたと思うと急に音楽が止んだ。その代わりにジィ―ジジッとノイズが入り始める。
「変だな?」
「ああ、妙―――うっ!!」
突然、隆盛がうめき声を上げ頭を抱えて膝を付く。
「どうし―――っ!?」
「うっ―――うあが―――ぐぅ―――」
訊ねる間もなく隆盛は地面に崩れ落ちた。
「どうしたんだよ、隆盛っ!?」
ジィ―ジジッ
ノイズが頭蓋に響く。
「うっ」
頭が微かに痛い。
ガタッ
「渡部っ!」
渡部が椅子から崩れ落ちた。気絶したようだ。いや、渡部だけじゃない。視界に映る人間全てがバタバタと倒れていく。
「くっ」
この感覚。以前体験したことがある。
「……凪……」
◆◇▲▽*△▼◇◆
「うっうん?」
女が目を覚ます。
「こっここは?」
「体育館倉庫の中ですよ」
声を掛けると女は斜め前の跳び箱に腰掛けている僕を見上げる。
「あなたは?」
「動かないほうがいいですよ」
チリチリ
立ち上がろうとする女にスタンガンを見せ付けた。
「……………………」
「それにしても、都合よく一人きりでいるところに出くわせてよかった」
僕は女に近付く。彼女は怪訝そうに僕の顔を見上げるだけに止まっていた。怯えているのだろうか?
「うん?おかしい」
黒い靄が見えない。昨日は確かにこの女から溢れんばかりの邪気を感じたのに。
「あなた、昨日呪われ屋と一緒にいた人ですよね?」
「それは私よ」
「っ!?」
背後から声がした。振り向くとここにいる女と同じ顔をした女が入り口に立っている。
「お姉さまっ!」
「姉?双子か―――」
「そう。あなたが用あるのは私の方でしょ」
確かに。昨日、見かけたのはそっちの女の方だ。辛うじて押さえられている邪気が今にも溢れださん勢いで体の中に渦巻いている。
「妹は放してくれないかしら?」
「そうですねぇ」
僕は姉の方を警戒しつつ、妹にスタンガンを押しつけて思案する。
「さっさとしなさいよ」
「っ!?」
「あんたに協力してやるから、妹を放せっつってんでしょうが!」
ほう、意外なことを云う。
「あなたには僕がして欲しいことが分かってるんですか?」
「呪いたいんでしょ?私の呪いを使ってみんなを呪いたいんでしょ?勇太くんの前に法師さまのことをどうにかしたいから」
「………………………」
大した霊感だ。全てお見通しか……。
「あなたはそれでいいんですか?呪いに利用されて」
「はん。可愛い妹に二度もそんなもの喰らわせられるよりましでしょ?火傷とか残んないでしょうね?」
「服の上からでしたから、それは大丈夫と思いますけど……」
この女、妹のために僕の呪いに加担するというのか。
「本当にいいんですか?」
「いいって云ってるでしょ。あんたさ、私が勇太くんのこと呪ったから、それに触発されて勇太くんのこと狙い始めたんでしょ?」
「っ!?」
こいつが先に御陰勇太を呪った張本人?
ほんとかっ!?
厭、これだけの霊力があれば確かにあいつにも通用する呪いをかけられたかもしれないが。
「さんざん失敗していい加減ストレスたまってんでしょ。だから、お姉さんが協力してあげようって云ってるのよ」
「お姉さま」
妹が心配そうに声を洩らす。
そういうことか。
「あなた、あのバカな呪われ屋がなんとかしてくれると計算してるんですね?」
「はん、カスが」
視線を逸らし毒突く姉。分かりやすい。
「ふっ強がって―――あなたが奴のことをとことん信頼しているのは分かりますよ。でも、あなたと僕の共同の呪いをどうにかできるほど果たして彼は強いですかね」
「さぁどうかしら?ただね、法師さまはあなたのことを救いたいのよ。あの人はね呪われた人も呪った人も両方救いたいっていうとんでもないお人好しだから」
ただのバカだと思うが。
「で、あんたのこと救うためには、あんたが全力出しきって、それを法師さまが受けとめるしかないと思うわけ」
「一利ありますね」
面白い。ほんとに面白い。
あの糞弱い呪われ屋がこの僕を受けとめられると?
「行っていいですよ」
僕は妹に押しつけていたスタンガンを離した。
「お姉さま……」
「何も云わないで、風音。あなたは法師さまのところへ―――」
妹はいっときの間、辛そうに姉を見ていたが、やがて小さく頷き駆け出した。
「さぁ始めましょうか?」
僕は女の黒い靄の中心、胸の中に右手を翳す。
「ええ、法師さまがきっとあなたを救ってくれるわ」
女はにっこりと笑って僕の頬をそっと撫でた。
5
「隆盛……」
「うがぁ―――」
隆盛だけ明らかに他の人間たちとは症状が違う。殆どのものが気絶しているにも関わらず、苦しそうに藻掻いている。
霊力過敏症か……くそっ!法具を外してしまっていたから。
「これしろ」
オレは隆盛の腕に法具を填める。
「はぁはぁはぁ―――すっすまん―――」
肩で息をして礼を云う隆盛。法具で防御力を高めても、一度起こった発作はすぐにはひかないか。
どうしたものか、この情況。オレも辛うじて防げているとはいえ、頭がチリチリしてるし。
「不破っ!!ここにいたか」
「高橋っ!」
高橋千佳子が生徒席の方からやってきた。
「なにごとだ、これは」
いつものように険しい表情で訊ねてくる高橋。
「呪いだ」
そう呪い。しかも、理由は分からないが凪紗の呪いが広域放射されている。
「それは分かるが―――」
「それよりお前はなんともないのか?」
高橋は偉く丈夫そうにしているが。
「あ?これは精神を蝕むタイプの呪いだろ?私は普段から、他人の心を覗かないように精神防壁を張ってるから防げているのだろう」
そうか、こいつ特殊なESPがどうのって云ってたな。
「とにかく呪いの根っこを探さねぇと―――」
「大智先輩っ!!」
風音が駈けてくる。
「風音っ!凪はどうしたっ!?」
「それが―――それが―――」
風音は泣きながら縋り付いてくる。
「落ち着けよ!」
「はい。私がスタンガンを持った少年に襲われて……それで、姉が身代わりに―――」
「スタンガンを持った少年?」
あの子か……。
「どこにいる?」
「体育館倉庫の中です」
「そうか。高橋、風音を頼む」
オレは辛そうな風音を高橋に預けた。
「もし、これ以上酷くなるようなことがあればお前は神主さまを呼びに行ってくれ」
「それはかまわんが……一人で大丈夫か?私にもなにかできることが―――」
高橋はあの御神木の邪気の中でも生き残れることができたほどの実力の持ち主だ。手伝ってくれれば心強いが。
「いんだ。あの子は―――ヒロくんはオレが救わなきゃ。きっと、凪紗もヒロくんもオレのことを待ってるだろうから」
「そうか」
高橋はほんの少しだけ頬を緩め頷く。
「お前、見た目と違って男らしいやつだからな」
男らしいか―――どうだろうな……。
「胸張って行ってこい」
「ああ」
そうだ。胸を張って―――オレはヒロくんを救いたい、それだけだって凪紗が気付かせてくれたんだ―――呪いに埋もれた二人のもとへ向かうんだ。
◆◇▲▽*△▼◇◆
「くっ」
この呪い―――頭が吹き飛びそうだ。
「はぁはぁはぁ―――」
女の呪いを僕の体を通して広域放射したのはいいが、呪いの威力が強すぎて、僕までおかしくなりそうだ。
この女は普段からこんな呪いを抱え込んでいるのか。
「はぁはぁはぁ―――けっこう……はぁ―――きついでしょ―――」
呪いを吐き出す感覚が快感なのか、女は悦びに顔を歪めながら囁いた。
「ふふ、こう見えて丈夫なんですよ」
「はぁ意地っ張り。はぁ……そういうところは法師さまと―――はぁいい勝負―――」
「凪紗っ!」
やっと来たか。
6
「はぁはぁはぁ―――法師さま―――はぁはぁ」
「ふふふ」
ヒロくんは薄笑いを浮かべ、凪紗の胸を鷲掴みにしている。凪紗は顔を赤らめて息を上げてるし。
「なんかエッチぃな」
「バカ云ってんじゃないわよ!!」
オレの素直な感想に怒号する凪紗。
う〜ん云い得て妙だと思うんだけど。
「法師さま―――はぁ―――後は―――はぁ―――まかせ―――た……」
「凪っ!!」
凪紗はがっくりとその場に倒れこんだ。
「ガス欠ですね。でも、これだけあれば十分だ。僕がしっかりとコントロ―ルすれば、学校中の人間の脳味噌を徐々に、しかし確実に破壊することができる呪いです」
ヒロくんは相変わらず穏やかな体で語っている。
「ヒロくん……」
「さて、お兄さん。昨日の僕の問いに、納得できる答えを用意してくれましたか?」
『どうして人を呪ってはいけないのか?』その答えを用意することはできなかった。
「オレ、頭よくないからキミを論破することはできないよ」
「でしょうね」
ヒロくんは嬉しそうに頷く。
「だったら僕は僕の道を突き進むのみです」
「ああ、オレもオレの道を突き進むのみだ」
「それでいい。これが正しいカタチです」
ヒロくんの目が剃刀のように鋭くなった。
「僕もお兄さんも大局に見れば間違っていない。だが決して相成れない。ならば真っ向から対立するしかないんです。そう、戦いこそ太古より培われてきた生命の掟。正義を計るための正当なる手段だ」
「いいや。それは違う」
「なに?」
オレの反論にここで初めて彼の歪む顔を見た。
「だってオレはキミと対立しているとは思わないから」
「それは面白い意見です」
「そうかな。キミはそうやって強そうな言葉を並べているけど、本当に強いんならそんな必要ねぇじゃんか」
「っ!?」
「理論武装するのはホントは繊細な証拠。キミが強がれば強がるほど、オレの目にはキミが『助けて、助けて』って云ってるようにしか見えないっ!!」
そうだ。あのとき勇太が云っていた。苦しみの末に人を傷つけてしまうと。だったら、人を傷つけてしまう人は、一番に助けを必要としている人のはずだ。
「助けてやるっ!ぜってぇヒロくんを助けてみせるから!!」
「そう―――ここまでバカとはね……」
そう呟いてヒロくんは両腕を上げる。
「自分の甘さを後悔して死んでください」
オ―ケストラの指揮者のように彼の腕が動いた瞬間、
「うがぁ」
周囲に立ち篭めた凪紗の呪いの邪気がオレに集って襲ってくる。
「あがぁ」
「ははは、痛いでしょ?苦しいでしょ?僕を救うなんてお兄さんにはできないよ」
ヒロくんの高笑い。頭が―――カチ割れそうだ。
「うぐぅああ―――」
「お兄さんの次は、御陰勇太だ。あの欝陶しいガキを血祭りに上げてやるから」
「うがぁ―――」
「あはははははははははははは―――」
目が霞んできた。意識が飛びそう。
「あはははははははははははは―――」
アレ?
歌が聞こえてきた……。
異様なほど勝ち誇った笑い声の合間を縫うように。
古びたスピ―カ―から―――頭の中に入り込んだ異物の芯から―――。
「あはははははははははははは―――」
男の子のか細い歌声が―――。
ブランコにさした―――
もっと小さかった頃、
友達の『バイバイ』が
とても厭だった
これはヒロくんの心か!?
あの日の夕日とか―――
レンジで暖める
ご飯が物凄く不味くて
これは凪紗の呪いの作用!?
帰り道に聞いた―――
むやみに笑い声が聞こえてくる
テレビにむしょうに腹が立った
流れてくる、奥底に眠っていた孤独が。
あの人の声―――
急に恐くなってお母さんに
『帰ってきて』って電話したら
謝られて電話は切れた
うぅ―――。
町に溢れてる―――
お母さんもお父さんも
家のロ―ンを払うために
遅くまで働いているらしい
涙が止まらない。
色も旋律も―――
でも僕は知ってる
お父さんは日曜日に
趣味のゴルフに行っていて
お母さんは臍繰りで
高いバックを買っている
寂しい、寂しいよぉ!
喜びと悲しみを―――
僕は家やゴルフやバックより
価値がない人間なんだと思う
違う!違うっ!!
僕にくれたの―――
四年前くらいから
黒い靄が見えだして
去年、あの人が
僕に力の使い方を
教えてくれた
呑まれる―――ヒロくんの悲しみに―――。
その戸を叩き―――
黒い靄を掴んで近所の犬に
塗りたくったのが最初だった
犬は数日苦しんで死んでいった
だめだっ呑まれちゃ!
帰らぬ、ただいま―――
最初は恐くて泣いたけど
落ち着いたら気持ちいい気がした
俺は今でも父さんに支えられている!隆盛に助けて貰ってる!
縋り付く―――
それが呪いだと気付かされ
みんな呪われればいいと思った
凪紗や風音はこんな俺のこと必要だって云ってくれた!
人形さえも―――
御陰勇太に懐かれるのは
本当は嬉しかったのかもしれない
でも、それを認めたら
僕がとても寂しい人間だと
気付かされるから
今度はオレが、こいつのことを―――!
壊して行ったの―――
だからいらない
惨めだとか、そんなの
厭だから
ブランコにさした
あの日の夕日とか
帰り道に聞いた
あの人の声
救ってやらなきゃ情けねぇじゃねぇかよ!!
町に溢れてる
色も旋律も
喜びと悲しみを
僕にくれたの
「あははははははははははははは―――」
「うっうぁああ」
歯食い縛ってでも、救ってやらなきゃ、俺を支えてくれてる奴らに申し訳ねぇじゃねぇかよ!
「なめんなぁ 」
絶対、救ってやるからな!
「くぉおおおおおお―――」
まだ何も見えない。それでも分かる。
その戸を叩き
返らぬ、ただいま
縋り付く人形さえも壊していったの
か細く啜り泣いてる子がいることぐらい。
「はぁぁぁ―――のうまく さんまんだ ばざらだん かん 我、金剛に帰依す。一切の禍を滅さんと、衆生の業を括り給え!」
邪気を括る。学校に犇めく邪気。そして、ヒロくんの中に混在しつづけた邪気を―――。
「うっうっうっ―――」
ヒロくんが小さく声を上げた。
「消える」
「えっ?」
「僕が消えちゃう」
どういう意味だ?
「僕が消え―――」
ヒロくんは何かを手繰り寄せるように天に両腕を翳す。
「いやっ消える、僕が―――」
爪先立ちになり、
「僕が消えちゃ―――」
やがて少年は崩れ落ちた。
「おん」
邪気を封じ、ほどなくしてオレの意識も消えていった。
8
目が覚める。辺りは暗かった。
空気に広がりを感じる。
ここは本堂だ。
「くっ!」
オレは慌てて本堂から出る。居間に灯る光を目指し駈けた。
「どうなった!?」
「大智」「大智先輩」
隆盛と風音が座っていた。隆盛はオレに疲れた笑みを見せて答える。
「ああ、体育祭は中止になったけど、お前のおかげでみんな助かったよ。凪紗は検査入院してるが―――」
「あの子は?ヒロくんは―――」
「あの子は―――」
隆盛はオレから目を逸らして口篭もった。その行動から吉報は期待できないと悟る。
「どうなった?」
恐る恐る訊ねるオレ。隆盛は深いため息を吐いて、
「あの子は今、意識混濁状態にある」
「意識……混濁?」
その意味が把握できなく聞き返す。ただ、よくないことだということは分かった。
「なんだよ、それ!?」
「昏睡まではいってないが、いまいち意識がはっきりせずに外界と交流できない状態になっている」
「どうして―――そんなことに……」
オレはその場に崩れた。
「大智先輩っ!」
オレの傍らに風音が寄り添ってくる。
「なんで―――」
オレ、また間違ったのか?救えなかったのか?
「まだ詳しくは分からないが、医者の話によると、或いはあの子は数年前からあの状態だったのではないかって―――」
「どういう―――?」
「これはあくまでオレの見解だが、あの子はとうの昔に心を閉じていたんじゃないかな。本当は鬱病だか統合失調だかの精神失陥によって脳の機能はすでに衰えていたんだ。そこにあの子の体質で邪気が寄せ付けられて、停止している脳に刺激を与えていたんじゃないだろうか?」
「じゃあ、あの子の人格と思っていたものは実は呪いによってできたもので、本当の人格はすでに壊れていたということですか?」
「人格という程でもなくても、脳機能の補正では大部分をしめていたんじゃないかな」
「……………………」
〃寧ろ―――役に立っているんですよ〃あの子の言葉を思い出す。
そしてあの〃僕が消えちゃう〃―――。
「もしかして、オレのせいで―――」
オレが彼の意識を支えていた邪気を取っぱらったから!
「そんなことないだろ?あの子は確実に歪んでたんだ。あのままだったらたくさんの犠牲者を出していたんだからな」
「じゃあなんでっ!?」
慰めてくれようとしている隆盛に激昂をぶつけてしまう。
「なんであの子はああなったんだよ!まだ、小学生の子供が心閉じちまうまでにっ!?」
「さぁな、それの答えを導きだすには情報が少なすぎる。ただ云えるのはあの子がもともと邪気にあてられやすかったことが要因の一つではないかということと―――」
隆盛は目を瞑った。心に蓋をして堪え忍ぼうとしているかのように。
「あの子の両親が病院で事情を聴いたとき、父親は『お前がちゃんと見てないからだ』と母親を罵り、その母親は『そんなはずない。ヒロトがそんなことするはずない。そんな子じゃない』と懇願するように周りに否定し捲っていた。ベッドの上で意識を朦朧とさせている息子を抱き締めることさえせずにな」
「ああ―――」
オレは頭を抱える。
あのとき流れてきた、あの子の感情。
寂しさで一杯だった。
とても頭のいい子で、周りの人間の情況をちゃんと理解していた。
それでも自分の感情を表に出す力が未熟すぎて、どうしたらいいか分からず藻掻いていた。
誰も気付いてやれなかった。
「うっくっ―――」
また涙が流れる。
救えない―――救えない―――力が……オレに力がないから。
「大智、あまり抱え込むなよ。お前はよくやった。なっ?」
「そうです。それに、あの子はこれからよくなっていくんです。その切っ掛けを与えた大智先輩は素晴らしいことをしたんですよ」
二人が寄り添ってくれる。
「…………………」
足りないんだ。力が―――時間が―――!
「それでも―――」
オレは握った拳に指がめり込んでいくほどに力を込めて床を殴り付ける。
「大智?」
「それでもオレは―――」
ありがとう。
今日は―――今だけは思いっきり泣いておこう。
明日からはまた、誰かのために―――、
「オレは呪われる―――」
〃人のカタチ〃
ブランコにさした
あの日の夕日とか
帰り道に聞いた
あの人の声
町に溢れてる
色も旋律も
喜びと悲しみを
僕にくれたの
その戸を叩き
返らぬ、ただいま
縋り付く人形さえも壊していったの
そばに寄り添った
脱け殻をとおし
遠くに置き去りにした
心が疼く
どうして僕なの?
キミに問い掛ける
背中にふれた唇
あなただから、と
その夜、夢見る
笑ってる僕の
明日、取れた人形の首を治そう
リバ―ス製作委員会/みゆ貴茂
シ―ケンス
『申し訳ありません、乾闥婆さま』
受話器ごしに聞こえる常磐刑事の声に勇太は軽い失笑で応える。
「はっ」
勇太の目は病室に設置されていたテレビに走った。
《先日、警視庁のコンピュ―タ―百三十二台がシステムダウンした事件で、今日警視庁はサイバ―テロの可能性も視野に入れ捜査本部を設置することを―――》
「いや、こっちこそ悪かったよ。大変そうみたいだけど」
『はい、防ぐ間もなくクラッキングされてしまいました』
「しょうがない、しばらくは様子をみよう。それじゃあ」
勇太は受話器を置くとクスクスと笑い始める。
「どうでもいいってね、そんなこと。僕は呪われぼっちとヒロくんの対決見れて大満足だし(病院抜けだして見ていた)、ああ早く腕治んないかな。みんなに報告したいよぅ」
ベッドで嬉々と足をばたつかせる勇太。
「まっこれでヒロくんもまともになるんだろうし、よっかったよねぇ〜そんなこと思ったらいつか夢の中へ〜♪」
つづく―――