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ヒロトカゲ〜生える腕〜



   1


 登校中、突然凪紗の足が止まった。不審に思い振り返ると彼女は下を向いてなにやらぶつぶつ云っている。

「どうした?凪―――」

「うるさいっ!」

 オレの呼び掛けに俯いたまま怒鳴る凪紗。風音の問いにも、

「どうなさったんですか?お姉さま」

「ほっといてっ!」

 癇癪に答えた。よく見ると凪紗の体は小刻みに震えている。根源的な絶望に曝されながら、それでも押し潰されまいと耐えているかのように―――。

 いったいどういうことだ?

「大智、これは……」

「ん?―――ああ、そうか……」

 隆盛の指摘にオレは気が付く。

 この辺り、かなり微弱ではあるが邪気の気配がする。それに触発され凪紗の中の呪いが爆発的に増大したのだ。

「おん あぼぎゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま―――」

 オレは光明真言を唱え周辺の邪気を浄化する。

 すると凪紗は正気に戻ったらしく、

「わっ私―――」

 顔面蒼白になってオレの顔を見た。

「ごめんなさい―――私―――」

 声が震えている。呪いの責任まで自ら背負いこもうとして―――。

「私……ごめん―――」

「お前が謝る必要ない」

 オレは凪紗に寄り彼女の震える手を取る。

「お前が悪いことなんて一つもない」

 恐らく凪紗の方が風音より繊細なところがあるのだろう。だからこそ呪い封じに綻びが起こりやすい。たった二人だけの家族、その姉としてのプレッシャ―からか―――。

「ここにいる全員、凪紗が頑張ってることちゃんと知ってるから」

「うん」

 凪紗は小さく俯いた。

「今日はもう帰って休もう」

 オレは護法天童を出してから、そのまま凪紗と二人で寺に引き返す。

「……………………」

 それにしても最近なにかおかしい。

 呪いの吹き溜まり、邪気、負の霊力の淀みとでもいうのか、そういった場所は昔からあったが、最近それが急増している気がする。

 小学校でのこともそうだ―――。

 高橋千佳子を言葉巧みに誘導したという子供の声。

 御陰勇太。偶然か?それとも―――。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


「なるほど―――これならどうにかできるかもしれない」

 僕は〃YuA〃からの返信メ―ルを読んで呟く。

 そして、僕も相手にメ―ルを返す。

《いつも、ありがとう。ほんとうに感謝しています》

 文字ではいくら返しても足りないほどに。

 僕は〃YuA〃が何ものかは知らない。一年くらい前、見ず知らずの彼女から僕にメ―ルが届いた。

 それは僕の力の使い方を教えてくれた。そう、今日の僕があるのは彼女のおかげ。僕に生きる希望をくれた。

《いいんだよ。私もヒロ君からの感謝、うれしい》

 少しだけ胸が疼く。

《どうして、僕にこんなに親切にしてくれるんですか?》

《そんなの決まってるよ。ヒロ君だから……それが一番の理由だよ》

《僕だから?》

《そう―――じゃあまた何かあったらメ―ルちょうだいね!×××》

《ええ、必ず》

 静かにパソコンを閉じる。

「ふふ……」

 そして僕はバケツいっぱいに入った御神木の残骸の一片を手に取った。

「神の亡骸。たとえ霊力を失っていても依代としては十分ということか」

 待っていろ御陰勇太。すぐに貴様を地獄の底に叩き落としてやる。


       2


 数日後。

「なっなんじゃこりゃぁ!?」

 美術の時間、オレの喫驚が教室中に響き渡る。

 課題を提出するように云われ、収納式の画板から絵を取り出したのだが―――。

「………………………」

 いったいぜんたいこれはなんなのだ?たしか、課題は自画像だったはず。なのに画用紙には黒い線みたいのが所狭しと描かれているだけだ。

 ここのところなにかと忙しくて、護法天童の奴に任せていたのだが―――。

「ああ、それか。なんか『眉毛のドアップでちゅ』とか云ってたぜ」

 後に座っていた隆盛が教えてくれた。ご丁寧に護法の声真似までして。

「眉毛のドアップ」

 オレは今一度、画用紙を食い入るように見つめた。

 たしかに、この靡いてるような黒い線は見事なまでに毛の質感。しかも、オレの体に生えているこんな短い毛は眉毛でしかないのだが……。

「う〜ん、これだとチン―――」

「死ねっ!」

 オレの放った画板ハリセンが隆盛を黙らせる。

 みなまで云うな!こいつといい、渡部りか子といい、どうしてみんなで品を下げるようなことをっ!? 

「どれ、見せてみろ」

 美術教師の相原がオレの眉毛画を手にとって見る。

「左眉だな」

 区別が付くのか?

「先生」

 画板攻撃にもびくともしなかった隆盛(ホント無駄に頑丈)が相原に告げる。

「そいつはシュ―ルレアリズムの極致ってやつだぜ」

「ほう」

 出たよ、シュ―ルレアリズム。なんか変なものをとりあえずシュ―ルと云って誤魔化そうとするこのご時勢。芸術の冒涜じゃねぇかよ?

「自画像という課題に対して、あえて被写体の特徴から外れた箇所をクロ―ズアップして描く。つまりこれは、外面的表現をとっぱらい、より深い内なる自己を表現しようとした大智の渾身の作だ」

 ものは云いようだな、おい。

「ふむ、たしかにシュ―ルレアリズムと呼べなくもない。いや、寧ろアバンギャルドと云うべきか?」

 なんか納得してるし相原。

 そんな大層なもんじゃないだろ、それ。

「先生、描き直したいから少し提出期限待ってください」

「なんでだ?」

「だってぇ―――」

 こんなもので評価点付けられてたまるか。オレは不器用ながらも美術だけは頑張って5を取ってきたんだ。2とか3とかが並ぶオレの通知表の唯一のオアシスを護法の奴のせいで枯らされてたまるもんか。

「まぁ、待ってやらんこともないが」

「ホント?」

「その代わり条件がある」

 条件だと?なんだ?これが渡部とかだったら『私と○★□して』とかとんでもないこと云いだすんだろうが。

「放課後オレのとこ来い。話はそのときだ」

「みゅ」

 オレは不安を覚えつつ返事をした。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


「いい天気だねぇ」

「秋雨前線はもう南下したらしいからね」

 休み時間、特にすることもなく外をぶらついていた僕。そして、いつものように御陰勇太が僕に付きまとっている。

「あっ和毅くんだ」

 御陰勇太は校庭の隅で絵を描いていた相原和毅を見付け彼に駆け寄る。相原和毅は一学年上だが御陰勇太と家が近所で仲がいいらしい。

「ん?おう、ゆうはか」

 相原和毅はそう云って口に加えていた絵筆をパレットの上に置く。

 彼には両腕がない。

 幼い頃、事故にあって切断してしまったらしい。だからこそ彼は往年の芸術家がそうしたように、口に絵筆を加えて絵を描いているのだ。

「相変わらず凄いねぇ和毅くん。ボク普通に描いたってこんなに上手に描けないよ。ねぇヒロくん?」

「うん。真の天才はハンデなんて関係ないんですね」

「はは、そりゃ讃めすぎだって」

 そう自嘲気味に笑うと、相原和毅は立ち上がり足を使って器用に道具を片付け始める。

「もう、やめちゃうの?」

「あ〜なんか最近調子悪くてな。ブランクって奴かな?」

 相原和毅は画板や道具を、残った短い腕の脇下に挟んだ。

「まっ芸術家にはつきものだ。それより、今日お前んちに遊び行っていいだろ?格ゲ―の新作やらせろよ」

「うん」

「じゃあ、後で」

 相原和毅は教室に戻っていった。そんな彼の背中を見送りながら御陰勇太は語る。

「ホントに凄いんだよ和毅くん。足でコントロ―ラ―操作してるのに、ボクいっつもゲ―ムで負けちゃうんだ」

「へぇそれは―――」

 たしかに凄い。

「大したもんだね」

 しかしそれは彼が望んで得た力ではない。不遇のため自然と身についたもの。身につけなければならなかったもの。

「ほんといい天気だねぇ」

 御陰勇太は呑気そうに蒼天を仰ぐ。

「うん」

 本当に雲一つない空だ。吸い込まれそうなくらい深い青がどこまでも広がっている。

 相原和毅はそれを画用紙に収めようとしていた。どんなに欲しくて手を延ばしても、掴み取ることはできないものの象徴を―――。

 そう人は家にある鳥なんて望まない。科学で作れる花ならば思い描くこともない。

 もっと別の―――夢想の中にあるもの。ありえない願望に苦笑しながら、それでも虚しさは拭うことができず。

 だからこそ、付け入る隙ができるんだ。

 そうだろ?相原和毅よ。


       3


「で、条件ってなんっスか?」

 放課後、絵の提出期限を延ばしてもらう条件を聞きに職員室の相原のところまでおもむいた。少し不安感があったので隆盛にもついてきてもらっている。

「実はな―――」

 相原は腕を組んで話しだす。

「ここのところなんか変でな。べつに体の調子は悪くないんだが、家に帰ると異様なほど早く眠くなるし寝起きも悪くなって―――」

「更年期じゃないですか?」

「んな歳かよ!」

 こりゃ失敬。

 相原はまだ二十代後半くらいである。

「それで病院に行ってみたんだがどこも悪くないって云われて―――で、今日通り掛かりの一年の生徒に呪われてるかもしれないからお前に見てもらえと、なぜか怒鳴られるように云われてな」

「通り掛かりの一年?」

「ほら、最近転校してきた双子の―――」

 凪紗か―――。

「確かに凪ちゃんが云うなら呪いかもな。凪ちゃん敏感みたいだし。どれどれ」

 そう云って隆盛が相原を霊視する。

「ふむ、たしかになんか感じるな。なぁもしかして調子が悪いの先生だけじゃねんじゃねぇの?」

「ああ、なんか家族全員同じ感じでな」

 相原の答えを聞き得意げに頷く隆盛。

「やっぱな―――恐らく家自体が呪いの影響下にあるんだ」

「どういうことだ、隆盛?」

 隆盛にオレは問う。

「遠距離型の呪いには二通りあるのはお前も知ってんだろ?」

「ああ、そうか」

 そこまで聞いてオレも納得する。

 一口に呪いと云っても種類も意味も様々だが、術執行者が誰かを遠距離から呪う場合、隆盛の云うとおり大まかに分けて二通り存在する。

 一つは対象者の縁のものを手に入れたりして、霊力の感知、怨念を送るル―トの確保、目標の絞り込み(たぶんこの間、話題に出てたESPだとか霊感だとかが関係するんだろう)そういった手順を整えた上で相手に術を叩きつけるという方法。これはまさに遠距離用の戦闘術であり、凪紗などのよほど強い霊力とセンスを持ったものにしか成功不能なものだろう。

 それよりは比較的簡単な方法として、依代を用いるものがある。怨念を込めた依代を相手に送り付けるなどし、その依代のテリトリ―内のもの、あるいは条件をクリアしたものに対して無差別攻撃をしかける呪いだ。依代にしたものがある程度霊的効力を持つものなら成功しやすく、効果範囲が広いためかなり質が悪い。

「依代を探しださなきゃなんないのか。結構めんどくさ」

「依代が目に見えるものとは限らないしな」

 そう、音とかに紛れてる可能性もある。サブリなんとか効果ってやつ。そんなんだったらお手上げかも。

「まぁ一つ頼む。ちゃんと報酬は払うから」

「いいです。安月給の教師に正規の報酬払ってもらうのは気の毒なんで」

「はっきり云ってくれるな……」

 苦笑いする相原。

 さすがに先生相手に成功報酬50万とか云えないって……。

「その代わり、提出期限延ばすのOKしてください」

「まぁべつにいいけど―――あの眉毛画でいいと思うんだがな」

「……………………」

 まだ云うか。



「ん?」

 相原に連れられオレと隆盛は彼の自宅を訪れる。

 そこは何の変哲もない中流住宅の一つ。しかし、玄関を潜ったところで妙な違和感を覚えた。

「フンフン、フンフン」

 オレは犬のように鼻から息を吸い込む。べつに特に変わった匂いがするわけではない。

 だけどなんか、

「どうした大智?」

「いや、なんか空気が気になるっていうか」

 どうにも云い表せない。

「ん?フンフン―――」

「なんか臭いか?」

 隆盛や相原もオレに倣う。

「これは―――」

 隆盛が何かに気付いたらしく目を見開いた。

「もしや―――おい、あんま吸うな。いったん外に出るぞ」

 そう云って隆盛はオレの手を引っ張って玄関から出る。相原も首を傾げながら着いてきた。

「どうした上条?」

「先生、この家の空気、毒で汚染されてるかもしれない」

『毒っ!?』

 隆盛のいきなりの発言に喫驚するオレと相原。

「どういうことだ隆盛?」

「ああ。呪いってのの大半は毒を使ったペテンだろ?でも、中には毒を巧妙に使った呪いというのも存在するんだ。例えば目標にまったく致死量に及ばない程度の毒を盛り、呪いでそいつの免疫機能を狂わせショック死させる。こうすれば死因を誤魔化せ確実に呪い殺せる。まぁ今回のケ―スが死に至るものかは分からないが、大智が空気に違和感を覚えたんなら毒が漂ってる可能性がある」

 確かにオレは不動尊の霊力が減って自身の霊力が増えてると細胞の異常活性が起こって感覚も鋭敏になるけど。

「でも、毒ってなぁ」

「いや、毒などそんなに珍しいものではないだろ」

 相原が云う。

「そこらに生えてるような植物だって根子に毒があって食べれば腹を壊すものもある。芳香剤の中には思いっきり吸い込めば頭がクラクラするものもあるし、シックハウス症候群などまさに毒の家だ」

「とにかくだ。依代がなんらかの毒を発しているとみて行動したほうがいいだろう」

 たしかに危険性があるんならそれを見越して行動したほうがいいけど。

「でも、どうすんだよ?」

「とりあえず近くのコンビニでマスクを買ってくる」

「マスク?」

 オレは隆盛の言葉に耳を疑う。

「コンビニで売ってるマスク程度でどうにかなるのかよ?」

「最近のマスクは性能いいんだぞ。それに先生が死んでないんだから、大丈夫なんでないの?」

 そう云い残し隆盛はコンビニに走って行った。

「上条は細かいのかアバウトなのか分からん奴だな」

「あいつ変態だから」

 昔から天才と変態のすることは常人には理解できないものだ。

 そうこうしていると、玄関の扉が開き一人の男の子が姿を現す。

「なんだ和毅、帰ってたのか」

「兄ちゃんこそ早かったんだね」

 中学生位だろうか?ずいぶん歳の離れた兄弟である。いや、そんなことより一瞬気付かなかったのだが、この和毅って子の両腕―――ない。

「…………………………」

 オレが放心していると相原弟はオレを見て相原兄に訊ねる。

「兄ちゃんこの子、誰?」

「オレの生徒だ」

「えぇっ 兄ちゃんって小学校の先生だったっけ?」

 ちっ毎度お馴染みの精神攻撃め!

「オレ、高校生なんだけど」

「えっ?小六のオレよりチビなのに?」

「………………………」

 くっ最近の小学生は発育がよろしくて恨めしい。

「こら和毅、人様のコンプレックスを抉るなよ」

「あっわりぃわりぃ」

 あんまり謝られた気がしないんですけど。

「兄ちゃんオレ、友達のところ遊びに行ってくるから」

「ああ。あんまり遅くなるなよ」

「うん」

 そして相原弟は去っていった。

「あんまり気にしないでくれ。ああ、あって気はいい奴なんだ」

「いいですよ。馴れてるし」

「ハハ……」

 相原は自嘲気味に笑う。

 そしていっときの沈黙が生まれた。

『……………………』

 やがて相原が口を開く。

「あいつの腕な。三歳の頃、事故でああなったんだ」

「そうなんですか」

「トラックの重荷が崩れてきて、その下敷きに―――」

「………………………」

 相原は目を瞑っていた。なにかを堪え忍んでいる顔だ。

 こういう時、なんて言葉をかけたらいいんだろうか?そういえば父さんは、救いを求めてきた人に対して『大丈夫だよ』と声をかけていた。するとみんな癒されたように泣いたり笑ったりしていた。でもそれは言葉の力ではなく、父さんの力だ。オレにはとてもできない。

 まただ……。なんか穴が空くような―――。

「お待たせ!」

 隆盛がマスクを持って戻ってきた。

 少しほっとした。

 それでも、いつまでもこいつに頼り続けている自分に嫌気もした。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


「あっ和毅くん」

 相原和毅が御陰勇太の部屋を訪れる。

「相変わらず広いなこの家は。玄関からここまでトメさんの案内がないと迷うぜきっと」

「はは」

「おっ今日は縫取織くんも来てるのか?」

「どうも―――」

 座椅子に座っていた僕を見て、相原和毅が声をかけてくる。

「お前ら学校ではいつも一緒にいるのに家に来たの初めてじゃないか?」

「そうなんだよ。ヒロくん誘っても来てくれないんだよぉ」

「ごめん、勉強とか忙しくて。でも、今日は気分転換しようかなって」

「ふ〜ん」

 ふん、今日はお前の観察だよ、相原和毅。

 そろそろアレの効果が出始める。それを見て最終調整をしなければならないからね。

「ねぇ早くゲ―ムしよっ!まずはボクと和毅くんね」

「ああ」

 相原和毅はスリッパを脱ぐとウエストポ―チから足でウエットティッシュを取出し足の指を器用に拭く。そして、床に置かれたTVゲ―ムのコントロ―ラ―に足を構えた。

「レディ―GO!」

 ゲ―ムが始まった。

 ほう、聞きしに勝るとはこのことか。足の指がちょっとした不器用な人間の手先より巧みに動いている。

 これほどの能力を持ちながらそれでも普通に憧れるか……。

 それが人の業。呪いそのものだな。


       4


「う〜」

 唸る隆盛。

 確かにこの家は呪われている。にもかかわらず小一時間も捜索しているのに依代を見付けだすことができない。

「法具を外して霊視するか……」

 隆盛のしている霊的防御力を上げる法具。逆を云えばその遮断作用が霊感を妨げることとなる。

 でも、

「やめとけよ」

 霊力過敏症―――外界の霊力に過剰反応してしまうアレルギ―症状。それが隆盛の霊感の高さの起因であり、霊的防御力を高める必要性を齎らすもの。

「気分悪くなるんだろ?」

「そうだが―――」

「他の方法を考えるぞ」

 そう云ってオレは通学バックを漁る。

「先生、家族何人ですか?」

「四人だが?」

 人数分のお札を取り出し、相原に渡した。

「とりあえず今日は帰ります。依代を見付ける方法を考えて改めて捜索を。その間はしっかり空気の入れ替えして、マスク着用。家にいるときはこのお守りをそれぞれ身につけていてください」

「わかった。すまんな手間をかけさせて」

 指示を聞き入れる相原。

 オレたちは適当な浄化処理をすませて暇を告げた。

「オレ、玉串神社に寄って帰るけどお前どうする?」

 帰り道、オレは隆盛にそう訊ねた。

「千佳ちゃんのお見舞いか?」

「ああ」

 御神木が崩壊してから数日。高橋千佳子は大量の邪気にあてられたため自宅療養している。正直、会いづらい。だからといって逃げるのはよくないと思う。

「そういえばESPの中には探査能力を持つものもいるらしいぞ。千佳ちゃんに訊ねて頼んで見るか?」

 どうだろ……。

「その時の雰囲気で―――」

「ケ―スバイケ―スか。よし、オレも行く」

「……………………」



 高橋の家に行くと神主さまが出てきて客間に通された。しばらく待っていると、巫女姿の高橋千佳子が茶請けの乗った盆を持って現われる。

「……………………」

 高橋は黙って台の上に盆を置いてからオレたちの正面に座る。菓子は美味しそうな興しだった。

「どうも」

 ペコリと頭を下げる高橋。オレはなぜか心臓がドキッとして慌てる。

「あの、その、えっとぉ―――」

「もう、体はいいのか?」

 オレがどぎまぎしていると、横にいた隆盛がさらりと加減を訊ねた。

「ああ、もう大丈夫だ。明後日は学校へ行こうと思う」

「よかったな」

「ありがとう」

 隆盛の笑顔に高橋もほんの少しだけ頬を緩めて応じた。

「…………………………」

 なんか居たたまれない。オレは思わず目の前の興しに目を落とす。

「口に合えばいいが―――」

「えっ?」

 一瞬だけ高崎の言葉の意味が分からなかった。少しして自分が興しを物欲しげに見ていると彼女に解釈されたということに気が付き恥ずかしくなる。

「あっいただきます」

 言い訳するのも却っておかしい気がしたので興しを口に放る。

「美味しい」

 甘さがサクサクと口に広がる。凄く美味しい。でもどこか今の気分とは違う気がした。

「そうか、よかった」

 何か云わなきゃ。

「あの―――」

「ん?」

「その、えっと―――」

 でも、何を云えばいんだろう?具合は今、隆盛が訊いたし、励ましは脈絡ない気がするし、ここは時節からか?なんか白々しい。

「不破大智」

「はっはい」

 高橋に名を呼ばれ思わず背筋を伸ばす。

「これまでの無礼、許してほしい」

「えっ?その―――」

 高橋はオレに深々と頭を下げた。

「その、やめ―――」

「……………………」

 彼女は頭を上げオレの目を真っすぐと見つめてきた。真摯な眼差し。オレは思わず目を逸らす。

「その―――オレ―――あの……」

「自分があれほどまでに弱い人間だとは思っていなかった」

「…………………」

「御神木が突然枯れ混乱した。救えるかもしれない法師がいると父に聞き嫉妬した。完全な八つ当りだ。自分が恥ずかしい」

「そんなことない!」

 思わず声を荒げハッとなる。

「そんな―――ことない……それだけ大切なものだったんだから焦るのは当然だ」

「すまない」

 高橋千佳子の顔が見れない。彼女はどんな顔でオレに謝罪しているのか。

「その―――ほんとに大丈夫なのか?もう」

 オレの問いに高橋は少しだけ考えてから口を開く。

「辛くないと云えば嘘だ。朝起きてもう二度と御神木を目にすることができないと考えると憂欝でしかたない。父にも心配掛けた。人を傷つけた。元に戻ることはない」

「…………………」

「それでもこうして自分の身を按じ見舞ってくれるものがいる。失ったものは大きくとも得るものも確かにあるのだと、そう自分を鍛え直そうと思っている」

 大丈夫なわけない。辛くて胸が張り裂けそうなのだと伝わってくる。それでも彼女の言葉に偽りはないと思った。

 結局、能力云々のことは訊ねられないまま神社を後にした。

「強いな、あいつ」

 帰り道、オレはポツリと呟いた。それを耳にした隆盛は少し考えてから云う。

「さぁな。ただ、そう見えるのは彼女がより強いなにかに支えられているからじゃないかな」

「より強い何か?」

「例えば神主の―――十蔵さんだっけ?あの人優しそうだったし、色々懸命になってくれたんじゃないか?」

「そうだな」

「それに大智だって―――」

 オレ?

「真実を告げないという選択で彼女を守ってる。もしかしたら救えたかもしれないなんて知ったらさすがに、まだ立直れてなかったかもしれない。そうやって人から守られて、見えない何かに支えられて、初めて人は強くなれるんだ」

 強くなる―――支えられて……。

「……………………」

 オレはいつのまにか泣いていた。隆盛が後からオレの頭を撫でる。

「大智。ごめん」

 顔は見えない。彼も泣いているような気がする。

「ずっと支えて上げられなくて。ずっと独りぼっちで寂しい思いさせて―――」

「………………」

 そんなの―――仕方―――ない……。

「謝んなよ。そんなのお前のせいじゃねぇじゃんか」

「……………………」

 雫がぽたりとオレの髪を濡らした。


       5


 父さんが死んだ後、隆盛の家の者がオレを引き取ってくれると申し出てくれた。そしてオレは一ヵ月くらいの間、隆盛の家にやっかいになった。

 なるほどと思った。隆盛という人間は、たしかにこの家で生まれ育ったのだと。

 暖かい、針の縫う隙間もないほど温もりで溢れている。おじさんもおばさんも優しく、兄姉たちも明るく接してくれた。悲しみを忘れていられる時間が多かった。

 あの日、オレが倒れるまでは―――。

 原因不明の意識混濁が続いた。結論としてオレが不動尊の霊力で自らの霊力を封印し続けなければならない体質なのだということに行き着いた。更に不動尊の霊力はオレや呪われた者には浄化作用として働くが、正常な人間が長く曝されると悪影響を及ぼすという事実も発覚する。

 結局、オレは一人で生きていかなかればならなかった。

 それでも隆盛はオレのところに通い続けてくれた。限界に耐え、いつも長居しようとする隆盛をオレは半ば強制的に帰した。

 そして途方に暮れる。

 夜になると音が消える。たとえ聞こえたとしてもそれは遠鳴りか虫の声。それが余計に自分以外ここにいないのだと裏付けている気がした。

 眠れずに、長い夜が続く。

 意味もなくテレビを付けっぱなしにし、意味もなく部屋を徘徊する。

 護法天童に父さんの姿を求めるが出来損ないができるだけ。

 心配掛けてはいけない。

 そんなこと口に出せずに―――。

 寂しかったよ―――ずっと……。



「うわぁ上手ですね」

 空いた部屋で絵を描いてると、鬼灯姉妹がやってきて感想をくれる。

「なんか意外な感じ」

 凪紗の言葉にオレは皮肉を返す。

「不器用なほうだからな、オレは―――」

「失敬、ふふ―――」

 よかった。また彼女に笑顔が戻っている。昔の歌ではないが、後戻りしてまた進む。それが支えられているものの強さ。

「……………………」

 いや、違う。

 支えられているのはオレの方だ。利用しているんだ、この呪われている姉妹を―――。祓うことのできない呪い、この寺で過ごすのが最善だとか御託を並べて、自分の寂しさを紛らわそうとしてんだ。まるで、ペットかなにかを拾ったように……。

「ホントにそっくりですよこれは―――」

「どれどれ」

 風音の称賛。凪紗はオレと絵の中のオレを交互に見比べる。

「ふ〜ん、確かに―――」

「継続はなんたらってな。暇だったから、ずっと……」

 思い出した。一人でいるときに絵を描くことを勧めてきたのも、絵の描き方を教わったのも隆盛にだった。

「でもさぁ―――」

 凪紗がオレの両頬を人差し指でくいっと引き上げる。

「笑ってるほうがいいよ。法師さまは」

 絵を見る。画用紙の中のオレは死人のような顔をしていた。

「なぁ―――」

「ん?」

「やっぱいいや……」

 危なかった。もう少しで変なこと訊きそうになった。

 オレのこと好き?とか。

「よしよし、いい子いい子」

 凪紗がオレの頭を撫でてくる。

「子供扱いすんなよ。隆盛じゃあるまいし」

「ううん。法師さまはまだ子供よ」

 きっぱりと云われてしまった。

「私たちもね」

 自嘲気味に笑う凪紗。風音に目をやると、眩しそうに笑っていた。

「隆盛さんは子供らしくないですけどね」

「はぁ」

 ため息。見透かされてやんの。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


 思えば、どうして僕は御陰勇太に拘っているんだろうか?

 奴が特別な存在だからか?

 厭、違う。

 たとえ奴がどんな力を持っていようとも、世界の理に関わるものだとしても、僕はなんの興味もない。たしかに御陰勇太の力はすごいのだろう。でも、それがなんだっていうんだ。

 僕はただ、他人を呪い自分が呪われ続けていたいだけ―――奴に構う必要はない。

 なのになぜ?

「肉は腐りかけが―――」

 〃果実もそう―――ヒロくんと一緒―――ほんといい天気だね―――えへへ〃

「友達だもんか―――」

 そうだ―――奴が僕に構うから。奴が僕の心に触れようとするから。

 僕は一人で十分なのに。この腐れ切った世界に友なんていらないし、そんなもの存在するはずがない。ただの馴れ合い。それが分からないくずどもばかり。

 僕は呪いと共にいられればそれでいい。それだけで満たされる。

「御陰勇太」

 お前が僕を友と呼び続けるかぎり、僕がお前を殺す。

「待っていろ―――」

 もうすぐ完成だ。


       6


「ねぇ法師さま、起きて!」

 オレを呼ぶ声がする。

 うるさいなぁ。

「だから鮪にマヨネ―ズかけてもトロの味なんかしないって云ってんじゃん、パパ!」

「なに理由分かんないこと云ってんのよ 法師さまに電話が掛かってるから起きてって云ってるんでしょ!?」

「いてっ」

 頭に鈍い衝撃が走る。それで自然と目が開くオレ。目の前に凪紗が立っていて、オレになにかを突き出してくる。

「ほら―――電話よ。早く出て」

「ん〜、もしもしパパ?やっぱトロは本物がいいと思うんだけど」

『もしもし?お前、寝呆けてるな?オレは相原だ。美術の―――』

「あ〜そう」

『昨日のことなんだけどな、アレもういいから。なんか体調も戻ったし、たぶん呪いってのも大げさだろ?』

「みゅう」

『悪かったな、手間とらせてよ。あっ絵の方は今月中でいいから。じゃ』

「ん〜、胡瓜に蜂蜜でメロンだね。それはなんとなく許せる」

「ねぇどんな話だったの?」

 凪紗がオレに訊ねてくる。

「みゅう、親父がね。味伝説を試してみようって……アレ?」

 徐々に頭が覚醒し始める。

「え〜と、相原が―――昨日のこともういいって……どういうことだ?」

 オレは慌てて上半身を起こし、相原に電話しようとする。

 だが―――。

「オレ、アイツの電話番号知らねぇし」

「今どきナンバ―ディスプレ―じゃないもんねぇ、この家」

「うっ」

 だってさぁ、色々機能が付いたら訳分かんなくなりそうじゃん。

「ちっしゃあねぇ。ちょっと家まで行ってくる。留守番よろしく」

「分かったわ……って―――」

 ボクサ―パンツにTシャツにナイトキャップの寝巻スタイルのまま出掛けようとするオレを凪紗が制する。

「面白いほど、寝起き悪いよね法師さま」

「う〜みゅ」

 オレは赤面しながらナイトキャップを外した。



 相原の家に向かう途中、

「ん?あれは―――」

 公園で相原の弟の和毅を見かける。

 絵を描いていた。ない両腕の代わりに口や足を使って。

 オレは和毅がどんな絵を描くのか気になって近付いた。

「ほう」

 オレは和毅の絵を見て思わず感嘆する。

 空を中心とした風景画。画用紙はほぼ青一色で塗られていた。ただ、一言に青といってもその多彩さは舌を巻く程で、とても水彩絵の具だけで表現しているとは思えない。

「おあ」

 和毅はオレに気が付き口の筆をパレットにそっと置いた。

「チビ太兄ちゃんか」

「勝手なあだ名つけんなっ!?」

「へへ」

 和毅はニッと笑う。

 腹は立つがあまり憎めないのは―――。

「巧いな、お前」

「そう?」

「ああ、青一つでこんだけだせりゃ立派なもんだ」

「……………………」

 和毅は表情を消し自分の描いた空を睨む。そして首をゆっくりと上げ天を仰いだ。

「でも―――なんか違う気がする……」

 ボソリと呟く和毅。

 オレも和毅と同様に絵と空を見比べた。

「ああ、そうか」

「えっ?わかったの」

 オレの言葉に和毅は驚いた。

「今、ちょっと理由があって感覚が鋭くなってるから。これ真上を見て描いた絵だろ?」

「うん」

「だから中心が真上になるからここが一番青が濃いくなる。で、上に太陽があると仮定すれば上側が光で少し白っぽくなるとして、あとは外向きに青が薄くなっていくだろ?でもこの雲の描き方だと右側に太陽がある」

 和毅はオレの指摘にはっとなる。

「ほんとだ 気付かなかった―――」

「ほとんど空だけだと目を作りにくいし、こんだけ力入れて描こうとすれば時間が経過するからな。まぁ普通の絵だったら、こんなこと気付かないだろうけど、色の再現が半端じゃないから微妙な違いも気になってしまうんだろ」

「はぁ。なんかここんとこ調子悪くてさ、バカだよなぁ。集中できてねぇよ」

 和毅は呆れたように半分しかない腕を上げてみせる。まぁ、家族全員呪いのせいで体調悪いようなこと云ってたからしょうがないだろうけど―――ん?半分 

「腕が伸び―――」

 昨日見たとき、和毅の腕は半分もなかったような気がする。

「っ!!」

 和毅が顔面蒼白になる。

 そして、

「和毅くんっ!?」

 彼は画材道具を置いて走り去っていった。

 なんなんだよ、いったい―――!? 



「腕が伸びた?」

 わけが分からない。オレは混乱する頭で、隆盛の下を訪れた。

「ほんとなんだっ!!昨日は四分の一くらいしかなかったのに、今は間接のところくらいまであった」

「うむ」

 考え込む隆盛。

「腕が伸びる。つまり再生するということだろが、実際問題なくなった腕を再生させることは不可能だろう」

「でも―――」

「まぁ聞け。いいか、人間の細胞分裂ってのは胎児のときを除いて、指なら指に腕なら腕にしかならないもんなんだ。だから、もし腕の長さが変わっていたんなら、それは再生したというよりくっつけられたと―――胎児?そうか……」

「隆盛?」

 隆盛は何かを思いついたように立ち上がって、自分の部屋の本棚から分厚い本を引っ張り出してくる。

「これかもしれない」

「ゴ―レム?」

 隆盛から差し出されたペ―ジの頭の文字を詠む。

「ゴ―レムってドラ○エとかに出てくる土人形の?」

「ああ、そうだ。ゴ―レムの語源は胎児。ユダヤ教の尊師が使役する泥人形のことだが」

「おいおい、俺の見たのは泥なんかじゃなかったぞ」

「いや、ゴ―レムの起源は『旧約聖書』で神が楽園の泥から最初の人間アダムを創造したという逸話によるものだ。つまりアダムは神の分身―――それらを総合的に考えると、ゴ―レムとは子宮を必要としない即席クロ―ン人間の製造法。和毅とかいう子の場合、それを部分的に行なったとすれば―――」

 なんか話が誇大妄想っぽくなってきているような。

「クロ―ンだとか神とか、んな一昔前に流行ったSFじゃあるまいし」

 オレが呆れ果てていると隆盛は苦笑する。

「おいおい、霊能者ってのは魔術師の末裔だろ?魔術ってのは恐らく行き過ぎた科学のことだからな」

 魔法と一緒にされてもな。

「ここで議論していてもしかたがない」

 とにかく、オレたちは相原の家へ行くことにした。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


 さて、仕上げに入ろうか。

 昨日は誰かさんの作った護符のせいで予定外に術が発動してしまったが  まあいい、それもすでに修正済みだ。

「うっうぁ―――がぁああ―――」

 相原和毅は悶え苦しみながらどこぞの塀に凭れ掛かる。

「腕がぁ腕がぁ」

 相原和毅―――お前があくまでも失った腕を求めるというならくれてやる。

 だが代償はいただく。手にした腕を使って御陰勇太を抹殺しろ。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁ―――」

 ぐりゅぐりゅぐりゅ

 腕が生える。厭、正確に云えば僕の作ったゴ―レムが相原和毅の細胞を模倣して誕生しているのだ。

 後はゴ―レムに仕込んだ依代を通して、相原和毅―――お前を操り人形にするだけだ。


       7


 相原の家を訪ねるオレと隆盛。和毅の残していった画材と絵を相原に渡すと彼は苦笑した。

「あ〜あ、へったくそだなぁ」

「ええ、調子が良くないって云ってましたからね」

「…………………………」

 相原は絵から目を逸らし外方を向く。

「呪いです。その影響を一番受けているのは和毅くんじゃないですか?」

「……………………」

「黙ってればオレが気付かないとでも思ってるんですか 和毅くんの腕!昨日、何があったのか話してください」

 相原は口を押さえいっときの間躊躇していた。オレはそんな彼を睨み上げ、隆盛は後ろでなにやらぶつぶつ云っている。

「昨日の夜―――」

 やがて相原は観念したように小声で話し始める。

「お前から貰ったお札を和毅に渡したとたん和毅が腕が痛いと云いだして……そしたら、腕が生えてきて」

「…………………」

「和毅を問いただしたら、数日前に誰からか分からないけど『腕、欲しくない?』ってメ―ルがきて、『欲しい』って返信したら次の日塗り薬がポストに入ってて、それを腕に塗ってたらいずれ腕が生えるって―――」

「それであんたはあの子の腕が生えるからラッキ―とでも思ったのか!?」

 相原はオレの言葉を受け目を瞑る。本当は耳を塞ぎたいのだと云わんばかりに。

「呪いって分かってたんだよな?危ないものかもしれないって分かってたんだよな?それなのにあんたは―――」

「しかたねぇじゃねぇかっ!!」

 相原の叫び声。オレは思わず体を硬直させる。

「あいつの腕が生えてくるんだ―――少しばかりのリスクがなんだってんだ」

「先生―――」

「和毅の腕は―――オレのせいでなくなったんだ!」

「っ!?」

「あいつの面倒を見てなきゃならなかったのに、友達と遊ぶのに夢中になって、ちょっと目を離したすきに事故に巻き込まれて―――」

 相原が頭を抑えて崩れていく。

 オレは今日、生まれて初めて大人を下に見たかもしれない。

「腕がなくて、惨めな思いもしただろう。どうしてオレだけって苦しんだだろう。だからあいつの腕がもとに戻るなら、オレは悪魔にだって―――」

「あんたそれでも大人かよっ!?」

 ちくしょう―――。どこの誰の呪いか知らないが、こんなの惨すぎる。人の心の傷を抉るみたいにして。

「あんたが罪の意識を感じるのは分かる。和毅くんが腕を欲しがったことも  どんな思いで、この青空を描いていたのかも」

 オレは地面に落ちた、和毅の描いたちぐはぐな蒼天を指差す。

「誰だってありもしない偶像に憧れることはあるんだ。それが手に入れることができなくて寂しい思いをすることだって!!だけどっ!たとえ、手を伸ばして青空が手に入らなくても、それでも心の中に青空を描けば空を飛ぶことだってできるんだって!それを子供に教えてやるのが―――そうやって励ましてやるのが家族ってもんじゃないのかよ!それが、大人の務めじゃねぇのかよ!?」

「うっうあぁ―――くぅ―――」

 噎び泣く相原。

「くそ」

 父さんのようにはどうしてもいかない。それでもオレは―――。

「なぁ大智。呪いの症状、眠くなるって云ってたな」

 それまで一人の世界にいた隆盛が、深刻な顔でオレに訊ねてくる。

「ああ、副作用かなんかか?和毅の腕に塗った薬が風呂に入ったときとかに気化して他の家族にも影響が出たか?」

「いや寧ろそっちがメインじゃないのか?」

「えっ?」

 隆盛の言葉にオレは混乱する。

「どういう―――」

「腕を餌にして―――しまった、ここ勇太んちの近くじゃねぇか」

「勇太くんは和毅の友達」

 と相原。

「どういうことだよっ隆盛!?」

「術者の目的は相原和毅を操って勇太を殺すことだっ!!」

「なっ!?でも、掲示板のアレはすでに削除したんだろ?」

 そう、凪紗の事件の後『勇太を呪う』よう掲示板に書き込まれていた文面は隆盛が管理会社と交渉して削除させていた。

「消す前に凪ちゃん以外の誰かが見てたか。いずれにせよ、アレを書いた奴が誰か分かってないわけだし、ネットの掲示板なんて世の中には五万とある。もしまだ勇太が誰かに狙われているとしたら―――勇太がここんとこやたらとお前の周りに現われることもこれで説明が付く」

「じゃあ―――」

 隆盛の言葉に息を飲む。

 勇太が危ないっ!! 


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


 もともとゴ―レム自体、僕の云うことを聞くようにできている。後は御神木を利用して作った依代を通して精神支配を強めれば、相原和毅は簡単に僕の操り人形と化した。

「ふん」

 もともと他の霊力を自由にできる能力を持つ僕にとってこんなことは朝飯前だ。

『よう、勇太』

 相原和毅を御陰邸に向かわせた。インタ―フォンで呼び出させると、御陰勇太はなんの疑いもなく玄関から顔を出してくる。

『どうしたの、和毅くん?』

 ニコニコ顔で相原和毅に近付こうとする御陰勇太。しかし、途中まで来て奴は相原和毅の異変に気が付き足を止めた。

『しまっ!?のうまく しっちり―――』

 遅いっ!

 御陰勇太は何かの術で応戦しようとしてきたがすでに後の祭りだ。

『ぐがぁ』

 相原和毅の放った跳び膝が御陰勇太の鳩尾に入った。

「首だっ!首を絞めろ!!」

 僕の命に従い胎児なる腕が御陰勇太の首を締め上げる。

『くぅあ―――』

 強烈な握力に顔をピクピクさせながら、それでも御陰勇太は何かの印を結ぼうと腕を動かそうとする。

 なんて奴だ。普通なら気絶してもおかしくないのに、逆に仕掛けてこようとするとは。

「腕を取れ」

 首を右手のみで握らせて、左手で御陰勇太の右腕を押さえ付けさせる。

『うがぁ』

 もう奴になす術はない。

「これで終わり―――あれは……」

 ちっ、いいところで―――。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


「和毅っ!」

 御陰邸のアプロ―チで和毅が勇太の首を絞めている場面に出くわす。

 やはり腕が完全に生えてる。おまけに隆盛の云う通りになってしまった。

「やめろっ和毅!」

「待ってください」

 和毅の下へ駈けようとする相原をオレは制止する。

「和毅くんは誰かに操られている。近付いたら危険です」

「どうする大智?」

 隆盛の問い掛け。

 依代を使った呪いを呪咀移しするのは難しい。依代を破壊するしかないのだが―――。

「取り敢えず不動金縛りで縛る」

 金剛杵がないのは痛いが、寺に取りに返っている時間はない。俺は代わりに羂索印を結んで真言を唱える。

「のうまく さらば たた―――うぐっ!」

「大智っ!?」

 体の力が抜ける。

 俺は思わず跪いてしまった。

「まずい」

 ここのところ術の使用頻度が高くて不動尊の霊力が足りなくなってしまった。このままじゃ―――。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


 呪われ屋の出現に、またも邪魔が入るかと焦ったがなんのことはない。呪われ屋は先日の御神木の件で力を使い果したのか、術を使えずにいるようだ。

「ふん。相原和毅、そのまま御陰勇太の首を折ってしま―――」

『うおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』

 なっ!? 

 突然の呪われ屋の咆哮。

『大智っ!!』

 いつも呪われ屋にくっついている巨漢が奴を止めようと肩に手を当てる。だが、

『ぬん』

 呪われ屋の細腕が一振り、巨漢を後方に薙ぎ倒した。

 あれだけの体格差でこんなことが可能なのか?

 厭、それよりあの呪われ屋の瞳。

 燃えるような紅に、しかも瞳孔が野性の獣のごとく縦に潰れている。

「瞳孔を構成する虹彩は筋肉だ。なら、筋肉組織を急速に変質させる術……厭、まてよ。これはまさか―――」

 第二次性徴不全かっ!? 

 あの孤高の天才ト―ル=シンラ博士がかかっていたとされる、細胞の異常活性を促す原因不明の先天性失陥。  それなら奴の体が異常に幼いのも、突然の異変も納得ができる。

「だからといって奴の霊力は空のはず。この情況を打破する術なぞ使えないだろが―――」

『うあぉぉぉぉぉぉぉぉ』

 呪われ屋が相原和毅に体当たりする。相原和毅は吹っ飛び御陰勇太から離れた。

「力任せにきたか?よもや依代を―――」

 馬鹿なっ!?ゴ―レムの腕とはいえ、すでに相原和毅の肉体と同化を始めているそれをもぎ取るつもりかっ!? 「応戦しろっ!」


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


「大智、やめろっ!!」

 隆盛の悲痛の叫び。オレにそんなことさせたくなくて。

 でも、もうこれしかないじゃないか。

「うぐぁ」

 頭の中の血が巡りすぎて気がおかしくなりそうだ。

「つあぁ」

 和毅の腕が彼に馬乗りになっているオレの首に伸びる。

「ぐあ」

 物凄い握力。勇太はこれで首を―――。

 もう、方法がない。呪いの依代を―――この腕を―――壊すしか。

「ぐぅ」

 残酷かもしれない。痛いかもしれない。

 それでもオレは呪いを―――この子を救わなきゃ。それが、オレにできる唯一のことだから。

 みしめしみしめし

 オレの首を絞めているその腕を両手で掴み捩じり上げる。

「うがぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 和毅の絶叫が耳に―――。

 だめだ、力を抜いちゃ。今やめたってどうにもならない。

 ばきぼきば

 骨が砕ける音。

 ぐしゅ

『うああああああああああああああ』

 相原と和毅の声が重なって耳に届く。

 血の臭いが普段の何倍もの感覚を有するオレの嗅覚を貫く。それは工事現場の鉄渋のごとく。

「ああああ―――ああああ―――ああああ―――」

 もう一本の腕が失った腕を求め、オレの首から和毅の血塗れの腕に―――。

 和毅から切り離された腕は断末魔を上げているかのように、地面の上をびくびくと跳ね続けている。

 ごめん。せっかく生まれてきたのに。

「ぬあぁぁ」

 残った腕も……。

 みし―――ぼきば―――ぐしゅ

「あああああああああああああ―――」

 和毅の叫び。痛みか、それともせっかく手に入れたものを失った嘆きか。

 オレの意識は答えを出せぬまま急速に遠退いていった。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


「やってくれるじゃないかよ」

 武者震いが止まらない。

 呪われ屋、不破大智―――御陰勇太の前にまずは貴様をどうにかしなければならないようだな。



       シ―ケンス


 勇太の病室の戸が叩かれる。勇太に付き添っている母親が応対するとス―ツを着た男が入室してきた。

「警視庁の常磐というものです」

 男は名乗ると警察手帳を翳す。

「昨日の件でお話をお伺いしたいのですが、できれば息子さんと二人にしてもらえませんか?」

「えっ?ですが―――」

 刑事の唐突な要望に母親は戸惑う。

「大丈夫だよ、ママ」

 首に包帯を巻きベッドに横たわっている勇太が母親に進言する。

「なにかあったらすぐ呼ぶから」

「そっそう?じゃあ―――」

 母親は渋々病室を後にした。

「悪かったね態々来てもらって」

 勇太が刑事に云った。その声は喉を潰された後遺症のためか若干嗄れている。

「首より腕の方がいかれちゃっててさ、メ―ルうてないんだよ」

「乾闥婆さま、お労わしく存じ上げます」

 神妙な顔で勇太を気遣う刑事。それはまるで悠久に仕える主人を前にしているかのように。

「先日の呪われになったときも、心配で気が気でありませんでした」

「ありがと」

 勇太は屈託のない笑みで応じる。

「呪われぼっちに接触するためと、ヒロくんを挑発するために、掲示板に僕を『呪って欲しい』って書き込んだはいいけど、まさかあんなに強い呪いに襲われるとはね―――はは、最近の女子高生も侮れないよね。まっおかげでレベルアップできたけど」

「……………………」

「それに思ったとおり、ヒロくんはあの女と繋がっている。確信が持てなかったから泳がしていたけど正解だったみたいだね。ゴ―レムを作るためには人工細胞〃キザン〃が必要だ。今、純粋な〃キザン〃を保有している人間は限られているから」

 人工細胞〃キザン〃―――故ト―ル=シンラ博士が生み出したとされる、簡単な電圧操作でその遺伝子から細胞の形まで自由に想像することができる夢のような代物。かつてはそれを用いて人造人間を創造する構想まで持ち上がったが不幸な事故とテロ紛いの事件によって、人工細胞〃キザン〃表舞台から消失した。

「それでは―――」

「ふふ―――」

 勇太はほくそ笑む。

 〈YuA〉―――五年前、ウイルス性の〃キザン〃を散布し、この国―――いや、この世界にリプルリバ―スを―――未曾有の混乱をもたらした女。

「恐らく二人に直接の面識はない。パソコンだよ。ヒロくんのパソコンをハッキングしてそこからあの女の取り憑いた先を捜し出すんだ。彼女が自由に行動できる力を付けてしまう前にね」

「畏まりました、ではお大事に」

 常磐は勇太に丁寧にお辞儀をしてから踵を返す。

 勇太は彼に聞こえない程度の小声で、

「これで面目はたった。後は呪われぼっちとヒロくんの直接対決を好きなだけ観戦してもいいよね―――そんなこと思うから今日も眠れない♪っと」

 至福を噛み締めた。




つづく―――




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