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ヒロトカゲ〜尊き樹〜


  1


「あふぅ―――」

 オレはだるい体を引きずるようにして本堂から這い出る。辺りは暗かった。夜目を凝らしながら自宅へ戻り居間にどてんと寝転がる。

「う〜と―――のうまく さんまんだ ばざらだん かん」

 小声で真言を唱えると、それに誘われるように護法天童が居間にやってくる。

「お疲れでちゅ。ご主人ちゃま」

「今、何時だ?」

「一時くらいでちゅよ」

 丸一日とちょっとか―――。弱かったものとはいえ三人分を一気に引き受けたんだから上出来と云えるな。

「何か変わったことは?」

「え〜とでちゅね。今日、凪紗しゃんが体調悪いって学校休んでたでちゅ」

「凪紗が?」

「うん。でも、あれたぶん仮病でちゅ」

「……………………」

 仮病か―――しょうがないよな。

 まだ……恐くてたまらないんだ。いろんなことに。時間がかかる。

「お風呂、入ろ」


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


 なんて哀れだ御神木―――。

 数百年もの間、この地の人間のために御身を捧げてきた優しい優しい国つ神。それが人間たちによって汚されるなんて―――。

「くっはははは―――」

 思わず笑いが込み上げてくる。寝静まった神社の境内に僕の笑い声が響いた。

「おっと―――ここは私有地だったな」

 住人に目覚められては面倒だ。

「さて、解放してあげよう御神木―――」

 僕は汚された神の木に手を延ばす。ぶっとい幹、いっぱいに黒い靄が、深淵の源がつまっている。

「呪え、お前の苦しみに気付かなかった全てのものを―――なにっ!?」

 争うか―――この僕に……。

 黒い靄を奥底から引き出すことには成功した。だがそれを御神木から抜き出すことができない。

 まぁいい。そんな、汚れきったその身でどこまで耐えられるか、見物だな。


       2


「そういえばさぁ」

 昼休み。鬼灯姉妹と隆盛とオレの四人で学食を囲んでいると、凪紗が思い出したように口を開いた。

「不動尊寺って、寺でしょ?なんで、階段下に鳥居とかあんの?」

「……………………」

 凪紗の問いにオレは言葉を失った。

 そういえばそうだ。うちって一応、寺なのになんで石段の下に鳥居があんだろ?あそこもオレんちの敷地だよな、確か。

「大智、知らなかったのか?」

 と隆盛。

「なっ?じゃあ、お前知ってんのかよ!?」

「知ってる。てか、小学校の頃、不思議に思って黎須くろすさんに訊いた」

「………………………」

 つまり、今まで不思議に思わなかったオレは小学生以下と?

「普通の人なら疑問に感じますよね。口に出すか出さないかは個人差ありますが」

 くそぉ風音―――折目正しく追い打ちかけてきやがる。

「で?なんなわけ?鳥居の理由」

「え〜と、たしかなぁ―――」

 隆盛はおやつのフランスパンサンドを頬張りながら答える。どうでもいいが、その前に四人前の定食平らげといてよく入るな。

「廃仏毀釈って知ってっか?」

「ええ、まぁ」

「それほど詳しくはありませんが」

「……………………」

 なにそれ。知らない。

 オレが黙っていると、

「たしか日本史で習いましたよね」

 おのれ風音―――生温い笑みで優しげにバカの烙印押し当ててきやがる。

「みゅ〜う」

 オレが打ち拉がれていると、横の隆盛がオレの頭をポンっと叩いて云う。

「風音ちゃん……ほら、大智だし―――」

「そ……ですね。大智先輩ですし」

「知らなくてもしょうがないよね」

「………………………」

 なんだよそれ。その人だからしょうがないって、どんな理屈だよ。

 うぇ〜ん―――みんながオラをバカにするじょ〜。

「………………………」

 いじけてテ―ブルに『のノ字』を書いていると隆盛が優しく頭を撫でてくる。

「いじけるなよぅ。お兄ちゃんが掻い摘んで教えてやるけん」

 カカン(拍子木)

 また、人のこと子供扱いするし。てか、拍子木どこからだしてきた?

「Anno・Domini1868/黒船来航より十五年―――」

 渋い声だして語り始める隆盛。なんか、アニメのオ―プニングみたいだ。

「世は徳川体制より明治という新しい時代へと移り変わっていた。そんな中、維新政府の内部に天皇親政・祭政一致を主張、神道の国教化をはかる動きが生じ、神仏分離令が出される。これは、それまで神仏習合―――つまりほぼ仏教とごちゃ混ぜのような状態だった神社から仏教色を取り除くようにとの命令だったのだが、地域によっては曲解がなされ寺院・仏教的文化財などの破壊運動が勃発してしまう。これが世にいう廃仏毀釈であった」

「……………………」

 うっわ〜、話難しすぎて途中で眠ってしまうかと思ったぁ。それにつけても、隆盛なんかすごすぎくない?

「でっ鳥居は?」

 凪紗の催促にがらりと雰囲気を変えてくる隆盛。

「さぁてさてさて、お立合い」

 なんか、紙芝居屋みたいだ。

「そんな時代の烈風に、我らが不動尊寺も例外はなく巻き込まれようとしていた次第でありまして(カカン←拍子木の音)時の和尚はどうしたものかと考え込んで、坊主頭に人差し指クルクル……ポクポクポクポクチ〜ン」

 一休さんかよ!? 

「しかし、何にも思いつかない。そこに和尚の幼なじみサヨちゃん登場」

 だから、一休さんかよ!? 

「『あはん、寺がダメなら鳥居を立てればいいじゃない!?』」

 サヨちゃん―――何故、ちょっとマリ―アントワネット風?

「かくして、サヨちゃんの助言に従い和尚は鳥居を立て『ここはスサノオを祭る神社だ』と云い張りことなきを得たそうな―――チャンチャン」

「なんか、すごいんだかアホなんだか分からない話ね」

 アホなのは隆盛の脚色のせいでは?

「しかし、ほんとにそんなことで難を逃れられるもんなんでしょうか?」

 たしかにかなり胡散臭いな。

「まぁ百年以上も前のことだからなんとも云えねぇが―――ともあれ、その後政府は国民教化に失敗、運動の嵐が去るも『まぁ、鳥居もめでてぇもんだしそのままにしとくか』と今日に至ると」

「嘘臭い話ねぇ」

「今思うと黎須さんに担がれたのかもな、オレ」

 だろうな。たまぁに虫も殺さぬ顔して、冗談云ったりするから始末に終えなかったもんなぁ―――父さん。

「それにしても、紛らわしいですよね」

「いんじゃねぇの」

 オレは食後のアセロラジュ―スを啜りながら云う。

「日本人なんてほとんどが無宗教みたいなもんなんだし……願いが通ればなんでもいいみたいな―――」

「けしからんっ!!」

 突然、背後より怒鳴り声がする。振り向くと知らない女生徒が一人、怒りの形相で立っていた。

「それが仮にも聖職者の言葉かっ!?」

 長身で、少しきつめだがかなりの美人。故に見下ろされているだけで萎縮してしまう。てか、なんでオレ、見ず知らずの人から怒られてんの?ぶっちゃけ、いじめ?

「不破大智―――よもや、貴様のような軟弱そうな男とは……」

「あのどちらさんで?」

 オレは、二個目のフランスパンサンドに熱中している隆盛に助けを求めるべく、彼の肩を突っ突く。隆盛はパンを啣えたまま振り向き(認めたくないが、座高が恐ろしく違うためフランスパンはオレの頭上を掠める)、

「うおぉっ、C組の高橋千佳子じゃん」

「知ってるのか?」

「ああ。ほら、近所にある玉串神社の娘」

 口の中もぐもぐさせながら説明する。

「神社の?」

 神社の娘だからオレのこと怒鳴るのか?これもさっき云ってた廃仏毀釈の一種?(←百年以上前の話というのを忘れている)

「いやぁ〜近くで見ても美人なのな。巫女さん姿が萌えるって評判で」

「貴様っ!私を愚弄する気かっ!?」

 隆盛の言葉に牙を剥く高橋。

「してない、してない。綺麗だって讃めてんだよ」

「それが愚弄してると云うのだっ!未熟なれど神事に仕える姿を美人だの萌えるだの綺麗だのとっ!!」

 怒っている割に隆盛の賛辞を全て記憶しているとは、あながち満更でもないとみた。

「貴様のような不良にそんな目で見られると思うと虫酸が走る」

「不良?……オレ、不良かな?」

 不安気に訊いてくる隆盛。

 不良の定義はよく分からんが、まぁ事情はどうあれ刺青してる高校生は世間一般では不良だろうな。普段はテ―ピングで隠してるとはいえ。それに―――。

「銀髪っ!カラコン!不良以外のなにものでもなかろうがっ!?」

「いや、これ自前……」

 隆盛はハ―フ・アンド・クオ―タ―(バタ―入りマ―ガリンのことではない)。母親がどっかの白人種で父方の祖父もロシア人だったか?顔はほとんど日本人だからよく誤解されるが、銀の髪も青い瞳も昔から。

 因にオレは純粋な日本人だが不動尊の封印が解けて自身の霊力が解放されると、瞳が赤く光って瞳孔が変形するらしい(もしかして先祖が妖怪とかだったりなんかして……)。

 そう云えば鬼灯姉妹も茶髪で色白だけど、出生はさすがに訊きずらいな。

「おまけにチャラチャラ飾りつけよって」

 それは父さんの形見……。

 オレは隆盛に目をやる。

 彼の顔が―――。

「校則違反以前に―――」

「ほざいてんじゃねぇぞっ!」

 ガシャン

 ブチキレました……オレ―――。

 目の前にあったトレイやらなんやらを弾みで床にぶちまける。飲みかけのアセロラジュ―スが零れ床に広がっていった。

 赤色―――オレの怒りみたいに……。

「人の事情も知らねぇで―――」

「……………………」

 高橋千佳子が表情を崩さずオレを見下ろしている。隆盛は目を伏せた。

 辺りが静まり返り、他の奴らの視線が集まる。

 居たたまれない気持ちになって、オレは走ってその場を後にした。



 放課後。

 その日の午後は体育祭の練習だった。実行委員の隆盛とはあれっきりで―――。

「大智。おいてくなよ」

 下駄箱で下履きに履きかえていたら、隆盛が駆け寄ってくる。

「お前、実行委員があるんだろ?」

「式神代行ぶっちぎりっ!」

 腰に手を当てふんぞり返る隆盛。何を、威張ってるか知らないが、だめだろそれは?

「いいのかよ?」

「いいの、いいの!やるべきことは全部すましたし。ハッ!オレってばもしかしてスペシャル優秀なのではっ!?」

「はいはい」

 オレは適当にあしらい歩きだす。隆盛は慌てて靴を履きかえ後に続いた。

 しばらく沈黙が続く。よそよそしい空気が流れていた。あるいはオレ自身が壁を作っていたのかもしれない。

 人通りが途絶えたところで隆盛が口を開いた。

「ありがとな。大智」

「…………………………」

 ざらっとした気がした。

 背中越しから聞こえてくるそれは本心からのものだと伝わってくる。

 お前にそんな言葉、貰う謂れはない。

「何が?」

 わざとらしく云ってみせた。

「さっきのこと……オレのために―――」

「自惚れるなよ」

 オレは早口で答えた。

「あれはオレんちの法具をあの女がバカにしたからであって、断じてっ―――うわっ!」

「うん?」

 隆盛の方を向こうとオレが振り替えると、問題のあの女、高橋千佳子がこっちに近付いてきていた。

 高橋は身を退く隆盛の横を通り越しオレの目の前にやってくる。長身美人なだけあってやっぱりちょっと恐い。

「なっなんなんだよ?」

 さっき怒鳴った仕返しにきたとか?

 オレは怯えながらも必死に虚勢を張る。

「あれはお前が―――」

「悪かったな」

「へっ?」

 突然の謝罪。表情は堅いままだけど。

「すまなかったと云っている。さっきは少々頭に血が上がっていてな、愚かしい発言をしたと反省している」

「……………………」

 なんか―――すごいぞ、この女。普通、自分が間違っていたことに気付いてもこんな風に撤回できるものではない。オレ、謝ることすら苦手だし。君子なんたらかんたらってこいつみたいなことなのか?

「お前の云うとおりだ。事情も知らずに見た目や表面だけで判断するべきではなかった」

「はあ、まぁいいけど―――」

「そっちの―――えっと―――」

 高橋は隆盛の方に向き直り、暗に名を訊ねる。

「隆盛だ。上条隆盛―――」

「そうか。すまなかったな、西郷どん」

『………………………』

 一瞬固まるオレと隆盛。

 ギャグのつもりか?それにしては、無表情だし。いや、でも……。

「あっえっと、気にしてないでごわすよ」

 隆盛の中に流れるお笑いの血(?)が辛うじてノリで応える。

「ふっ」

 鼻だけで笑った。やはり、ギャグだったかよ。なんか、すごいぞ高橋千佳子。

「えっとそれで、なんか用なのか?」

「私の父がお前に用があるそうだ」

「父?」

 玉串神社の娘の父となると―――。

「神社の神主だ」

「神主がオレになんの用?」

「仕事の依頼だ」

「えっ?」

「呪われ屋―――それがお前の仕事だろ?不破大智」

 そう云うと、高橋千佳子は歩き始める。

「ついてこい」

「あっああ」

 神社の神主が寺の坊主に仕事の依頼?

 ミステリアス―――これも、廃仏毀釈の一種か?(←意味不明)



「ご苦労でした。千佳ちゃん―――もう下がっていいですよ」

「はい」

 高橋千佳子に案内され、神主さまが待っていた客間に通される。娘は深々と頭を下げ部屋を後にした。

「さて」

 この神主さま、高橋千佳子の父とするにはずいぶんお年を召しておられるような気がする。養子縁組か何かなのだろうか?

「ご足労頂いて誠に申し訳ありません、法師さま。恐れながら、私が当神社の神主、高橋十蔵と申します」

 神主さまは控えめな、それでいてはっきりと耳に届く声で云った。しかも、オレの目を見て。初対面で隆盛とオレとを間違われないのは珍しい。

 まあ、この神主さまの霊力を考えれば見分けがついて当然といえば当然だが  こうして面と向かっているだけでこの人が徳の高い祠官だということが分かる。

「自分は不破大智です。不動尊寺の管理をしておりますが、正式な仏門というわけではなく、一介の呪われ屋です。こっちは助手の上条隆盛」

「ど〜も」

 隆盛はさっきからそわそわした感じで、気の抜けたあいさつをかます。

 神をも恐れぬ奴め!

「本来なら私から出向くのが礼儀―――」

 申し訳なさそうに云う神主さまにオレは手で制する。

「いえ、今云ったとおり自分はそんな立派なものではないですし―――それに仕事ならどんなところでも出向きます」

「恐縮です」

「それをふまえて申したいことが―――お見受けしたところ、神主さまのお力は自分より優れていらっしゃるかと。果たして自分が役に立つかどうか―――」

「御謙遜を―――」

 そう云うと、神主さまはおもむきある皺の一本一本を柔和に深める。

「力の量、重さ、各々違いはあれど、上質なるは得難く尊きもの」

「…………………………」

 まぁ、そうかもしれないけど―――讃められちゃった? 

「それで十蔵さん、用向きはなんです?」

 きょろきょろしていた隆盛が本題を催促する。なんか、不躾な感じ。

「この神社で御祭神とさせていたただいております真榊の尊―――つまり、御神木の榊が枯れてしまったのです」

「なっ!」

 驚愕する隆盛。

「いつですか?」

「今朝、娘が発見しました」

「まさか―――」

 何をそんなに驚いてるんだろう。

「もう、秋ですし―――少し気が早くて枯れたんじゃ―――て……」

『…………………………』

 神主さまと隆盛が絶句している。

 あれ?オレ、なんかまずいこと云っちゃった?

「あっあの―――」

 神主さまの額に脂汗が―――。

「大智……」

 隆盛が小声で云う。

「榊ってのは常緑樹―――つまり一年中枯れない木の総称だ」

 マジ?

「アハハハハ、冗句です冗句!イッツア仏門冗句なんちって」

「さっき自分で仏門ではないとか云ってただろ?」

 黙れ、隆盛。

 くそぅ〜、またしても赤っ恥を―――。普通知らないって、そんなこと。いいじゃん、知らなくても生きていけるしさ。

 生きることは恥をかくことだ!(大智、魂の言い分け)

「そっそれで―――枯れたって云うのは病気とか寿命とかじゃなくて?」

「はい、ご覧になってください」

 そう云って神主さまは立ち上がった。



「こっこれは―――!」

 オレは驚愕で思わず後退りする。

 オレの両腕なんかじゃ到底足らない巨大な幹。元の姿はさぞや立派な御神木だったのであろう。それが今やみるも無残に枯れはてている。

 そして強大で悍ましい邪気が蠢いている。辛うじて、御神木の霊力でそれは押さえこめられているようだが―――。

「こんなもの、もはや呪い云々の騒ぎじゃないですよ」

 オレは呟いた。

「こんなもの一朝一夕でできる代物じゃないはず。気付かなかったんですか?」

「お恥ずかしながら―――今日、この枯れはてたお姿を拝見するまで……」

「たぶん、御神木そのものが邪気を封じてるからだ。だから、大智だってこんなすげぇ邪気があるのに目の前に来るまで気付かなかっただろ?」

 そう云うことか。隆盛は恐らく薄々感じていたんだ。だからこそ、さっきからどうも落ち着きがなかった。

「いったいどうして?」

「近付くなっ!」

 原因を探るべく御神木に寄ろうとしたオレを隆盛が制する。

「あてられるぞ」

「でも―――」

「オレが調べる」

 そう云って隆盛は二の腕のテ―ピングを剥がし、真言の刺青を曝す。

 そして右手を翳した。

「光明真言五色光印か……」

「おん あぼぎゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」

 隆盛の霊的防御力がどんどんと高まっていく。凄いぞ―――これも刺青の効果なのだろうか?

 隆盛はじりじりと御神木に近寄っていく。

「くっ」

 途中、隆盛の顔が苦痛に歪んだ。高度な結界並みの防御力を発揮していても、この邪気を完全に防ぐことができないのか?

 隆盛が御神木の幹に手を触れた。ジュッと何かが焦げるような音がする。

「無理するな隆盛!」

「しっ!」

 隆盛は空いた手で黙るよう口に手を当て、徐に顔を幹に近付ける。

「これかっ!?」

 そう唸ったかと思うと、バックステップで御神木から飛び退く隆盛。

「大丈夫か?」

「原因が分かった」

「なに?」

「本当ですか?」

 オレと神主さまの問いに隆盛は重厚に頷いた。

「ああ、原因は丑の刻参りだ」

「なんだって!?」

 丑の刻参り―――丑の刻に五寸釘で藁人形を打つ。あるいは日本で最もポピュラ―な呪いの方法かもしれない。

 それがどう関係しているのか。

「この御神木で恐らく万に匹敵するほどの丑の刻参りが行なわれている。釘穴があった」

「なっ!」

「お前も知っての通り丑の刻参りなんてそうそう成功するもんじゃない。だが、微かなりとも怨念だけは釘なんかに込められているわけで、その念が少しずつ少しずつ蓄積していってこんなことになったんだ。これまでは御神木の霊力で押さえられていたが、なんらかの理由か―――あるいは御神木そのもののキャパを越えたかで―――」

「そんなっ!神主さまは、丑の刻参りが行なわれているってことをご存じでらしたんですか!?」

 オレが詰問すると神主さまは眉間に皺を寄せ目を瞑る。

「お恥ずかしいかぎりです。丑の刻参りが頻繁に行なわれていることは薄々感じておりました。ここも、身内でやっているような小さな神社ですので夜警にそれ程尽力を注げず。警察の方々に警邏をお願いしたのですが、それでも後を絶たなかったようで。しかし、まさかこんな自体を招くとは―――」

「………………………」

 神主さまは苦虫を噛み潰す。

「たしかに丑の刻参りでこんなことが―――」

 もともと神社は鳥居などの結界がある故、丑の刻参りなどよほど戦闘に特化された霊力を持つものでないと成功しないだろう(真に正式なやり方の文献なんかほとんどないだろうし)。それでもまことしやかに語られている伝説が人々の怨念を駆り立て御神木を枯らしてしまうはめに―――。

「くっなんてことだっ!こんな立派な―――何百年もみんなを見守ってきた御神様が……」

「大智―――こいつはいくら何でも無理だぞ」

「分かってる!」

 こんなもの呪咀移しなんかしたら、呪い封じをする間もなく一瞬でオレなんか命を落としてしまう。いや、それだけで済むならまだいい。下手をすれば、怨念がオレの体を食い破って町中に広がってしまうかもしれない。

「…………………」

 なんとかならないのか―――。こんな素晴らしいものが朽ちるのを黙って見てるしかないのか?

 降魔の利剣で―――いや、駄目だ。アレは邪気だけでなく不動尊以外の霊力なら全て喰らい尽くす代物。斬ったら御神木の霊力も根こそぎ喰らってしまう。

「…………………」

 どうにもならないのか―――。

「隆盛―――」

「この御神木はもう駄目だ。徳の高い祠官を集め然るべき儀式、更に結界を何重にも張り燃やしてしまうしかない」

「そのようにさせて頂きます」

 神主さまは深々と頭を下げた。オレもそれに倣う。

「お役に立てまぜんで―――」

「いえ、こちらこそ不快な思いを―――」

「結局、役立たずか?」

 高橋千佳子だ。

 制服から巫姿になっている。少し離れたところから蔑みの視線をオレに向けていた。

「ふん。呪われ屋などと大層な名目もただの大風呂敷」

「千佳ちゃん、失礼ですよ!」

「ちっ」

 高橋千佳子は舌打ちをして走り去っていった。

「申し訳ありません」

「いえ」

 彼女の云ったことは本当のことだ。

「あの娘にとってこの御神木さまは親のようなものでして、それを失うことに混乱を押さえきれないのでしょう」

「親ですか?」

「はい。……お察しの通り、私は千佳子の本当の親ではありません」

 思った通りか。

「千佳子は今でこそ普通に暮らせるようになっておりますが、子供の頃は持って生まれたESPを制御する術を知らず―――」

「……ESP……」

 PSPはプレイ・ス●―ション・ポ―タブル。GPSはカ―ナビ。

「大智」

 隆盛が腰を屈めて耳打ちをしてくる。

「ESPつうのは超感覚的知覚―――テレパシ―とか霊感とかのことだ」

「………………………」

 大きなお世話、ありがとう。

「その能力のため、両親から遠い血縁である私どものところへ―――」

 捨てられた子供か―――。

「気を付けて接していたとはいえ、本当の両親がいない寂しさはなにものにも代えがたいものなのでしょう。その寂しさをこの御神木さまが語りかけて慰めてくれるのだと―――」

「そうですか」

 胸が潰れるような気がした。



「さっきの話、本当かな?」

 帰り道。先を歩いていた隆盛の背中に訊ねた。隆盛は立ち止まり振り返る。

「話って?」

「木が親―――語りかけて慰めてくれる」

「う〜ん」

 隆盛は少し考え込んでから云う。

「色んな可能性があるが、最近の研究では植物にも感情があるっていうし、あれだけの霊力を持った御神木だ。知慧があっても不思議じゃない。千佳ちゃんは特殊なESPがあるわけだし、その声を聞き取ることができるんだろ?まぁたぶん、そう云うのが神様とかシャ―マンとかの正体ってことだろうさ」

 だったら―――。

「親だな―――それは……。親なら救いたいだろうな。何に代えても。どんな代償を払っても」

「……………………」

 隆盛は応えない。ただ真っすぐオレを見下ろしている。

「優先順位とか云うのか―――そういうの」

 いっときの静寂。

 やがて、隆盛が口を開く。

「何かをすれば、誰かはそれに共感し、誰かは反感を覚え、誰かは何も感じない」

 当たり前のことだけど―――。

「真理だな……」

「人はみんな大人になる。大人ってのはそういうことを考えながら選択して生きていく。たとえ後悔しても、どれが後の最善なのかを考え続けて―――」

 オレは隆盛から目を逸らした。そして、相手に聞こえるか聞こえないかの小声で呟く。

「お前は何よりもオレの最善を選んでる。自分のことよりも―――」

「……………………………」

 それは何より父さんの意志を尊重しているということ。

 オレの意志よりも―――。


       3


「………………………」

 何もできないのか?何かないのか?あの御神木を救う方法が―――。

 眠れない。

 オレは深夜テレビを付けっ放しで、居間の畳の上に寝転がっていた。

「うん?」

 誰か二階から下りてきた。居間にやってきたが、こいつはどっちだ?さすがは一卵性、見ただけじゃあ区別つかない。

「あら法師さま、まだ起きてたの?」

 凪紗か―――。

「お前こそ」

「ちょっとお腹空いちゃって。夜食作るけど法師さまも食べるでしょ?風音のよりはあれだけど、それなりに美味しいわよ」

「ああ」

 生返事する。

 ほどなくして、凪紗が焼きうどんを作って持ってくる。それは、彼女の云う通りそこそこ美味しかった。

「ご馳走様」

「御粗末さまです」

 凪紗は皿を流しに持っていくと、また戻ってきて居間に座り込んだ。

 いっときの間、二人でテレビを眺める。

 そして番組の切りがいいところでオレはテレビを消した。

「眠れないのか?」

「あ〜……まぁ―――ね」

 オレの問いに濁したように答える凪紗。

「辛いのか?」

「ふふ」

 凪紗は自嘲気味に笑って、

「まぁ―――布団に入ってね、目瞑って、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさして、みんな同じよねとか強がったりして、がんばらなきゃって前向きになって、どうすればいいのか途方に暮れて、風音はとてもいい娘だなとか、法師さまには感謝してるとか―――」

 遠い目をしてぼつぼつ語る。

「まっ何にせよ、がんばらなきゃね」

「ゆっくりでいいからな」

「…………………………」

「走ったところで着くのがいいところとは限らない。歩いていれば、綺麗な景色を見ることだってできるかもしれない」

 都合のいい云い分―――。自分は走り続けなきゃ潰れてしまいそうで怯えてるくせに。

「自分のペ―スでがんばれ。お前たちがオレに嫌気がさすまでは面倒見てやるから」

「ありがとう」

 凪紗は俯いて囁いた。

「ねぇ、ついでに訊いてもいいかな?」

「ん?」

「云いたくなかったらいいんだけどさ―――今日の昼休み……どうしてあんな風に怒ったのか」

「どうして?」

「法師さまはさ。正直我侭だけど、いつもどこかギリギリのところを弁えてる気がする。それでもあんな風に怒ったのはホントに辛かったんだろうなって思うから―――」

「…………………」

 オレは逡巡する。

 そして、意を決して口を開いた。

「隆盛が付けてる装飾品、オレの親父の形見だったから。それに、アレはあいつの霊力過敏症の保護のやつだし。そういう、人のデリケ―トなところを刺激することに頭きた」

「そう」

 凪紗はほんの少しだけ寂しそうに頷いた。

「…………………」

 違う。それは建前だ。

 凪紗はそれに気が付いてる。

「嘘だ。ホントは違う」

「…………………」

「ホントはあの時の隆盛の顔にすげぇムカついたから」

「うん」

 凪紗は頷いた。今度はほんの少しだけ嬉しそうに。

「分かってたのか?」

「まぁ。だって隆盛さん―――普通の人はあんなとき、あんな風に笑わないもの。ちょっとだけ寂しそうで、なのに自尊心で満ちたみたいな。その後すぐだったから―――」

「……………………」

 隆盛があんな顔をする理由は知っている。というか、癖みたいなものだ。ホントに辛いくせに、我慢ができたからオレの父さんがきっと讃めてくれているのだと思い描いているのだ。

 父さんの口癖―――『大智を頼むぞ、隆盛』それを聞くたびに隆盛は嬉しそうに頷いていた。父さんの信頼を得ている隆盛にオレは嫉妬している。

 父さんが生きてた頃も、今も、隆盛は心底オレのために生きている。父さんの信頼を得るために。父さんにもオレは嫉妬している。

「…………………」

 ガキだ、ホントに。

「う〜みゅ」

 オレは食卓に顔を突っ伏せた。

「時間がかかるよな。オレも」

「ふふっ」

 凪紗は心底可笑しそうに笑った。

「お互いこれからみたいね」

「はぁ」

 ホントにその通りだ。

 もうすぐ、父さんの命日がやってくる。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


 深夜、巫女姿の女が朽ちた御神木の前に佇んでいた。

「どうして―――」

 巫女は茫然と苦境を口にする。

「こんなことに―――」

 この巫女、少し変わった霊質をしている。これなら使いものになるかもしれない。

 まだまだ、僕もつきに見離されていないようだ。

「もう、どうにもならないのか?」

「そうとも限らないよ」

「えっ?」

 巫女は驚きを洩らす。彼女からしてみれば突然、人の声が聞こえたように感じたのだろう。僕が御神木の幹を挟んで彼女の反対側にいるから。

「誰だ?」

 彼女はきょろきょろと声の所在を探す。

「僕が誰かはそう問題ではないよ」

「何?」

「ふん、問題なのは僕がこの御神木の救う方法を知っているかもしれないということじゃないか?」

「救う方法だと?この私を謀るつもりか!?」

 さっきまで打ち拉がれていたくせに、人がいると分かったとたん冷厳となるか。ずいぶん勇ましい巫女だな。

「だとしてあなたに何かデメリットがあるのか?」

「何だと?」

「だってそうでしょ?この御神木は何もしなくとも、もう朽ち果てるのみなんだから」

「…………………」

 何かを考えるように沈黙する。

 そして、

「どんな方法だ?」

 ほら、乗ってきた。

「教えてやってもいいけど―――」

 僕は少しだけ焦らしてみる。交渉においてすぐに要求に応じるのはかえって相手に不信感を抱かせるから。

「何か望みがあるのか?」

「いや、べつに。ただ、覚悟があるのかと思って」

「覚悟だと?」

 ふふ、半端にプライドが高そうな奴は操りやすいな。

「そう、覚悟―――。何かをなすにはそれなりの代償が必要でしょ?」

「…………………………」

「こと今回のように大変なことになると、やっぱりそれなりの代償が―――あなたにその覚悟があるのかと思ってね」

「侮るな!不肖、この高橋千佳子、もとより半端な覚悟など持ち合わせてはおらん」

 ほらね。

「ならいい。方法は簡単なことだよ。あなたがこの呪い、祓えばいいだけのことだ」

「ふん、何を云いだすかと思えば―――」

 巫女は嘲る。

「未熟を盾にするのは恥ずべきことだが、これだけの邪気を浄化するだけの力を持っているのなら最初からやっている」

「誰も浄化しろとは云ってないよ。ただこの御神木から祓えばいいと云っているんだ」

「な!?」

「あなたはどうやら、かなり優れた精神感応能力を持っているようだね。それを応用すれば、この御神木の意識にアクセスして邪気を封じるのを止めてもらう。それで自然と邪気は外に流れ出て御神木はいずれ自然治癒するだろ?つまり救われるってことだ」

「バカなっ!これだけの邪気が放出されれば下手をすれば町中が呪われてしまうぞ」

 どうやら知識がないわけではないらしい。

「ははは」

「?」

「そう、もしかしたら町中が呪われる」

 なんて素敵なことだろう。

「色んな人が傷つき、大勢の人々が不幸になるかもしれない―――」

「……………………………」

「さぁ選択の時間だよ。あなたの大切な御神木を見捨てるのか―――代償を払って救ってみせるのか―――」

 夜の闇はいろんなものを鈍らせる。

 そう、意志薄弱に選択を―――。

「覚悟を見せてみせてみるがいい」

「うっぐ……」

 巫女の体は震えている。この闇の中において見えるわけないが、空気を伝ってありありと感じることができる。

 それだけ悩んでいる。悩んでいるということは、交渉の仕方によってはどうとでもなるということだ。

「やはり悩むか。まぁそれが普通だね」

「……………………」

「猶予はある。明日の三時までに決めてくれればいい。覚悟ができたら、そのとき儀式をやってくれ」

「三時?なぜそんな昼間に」

 食い付いてきたか。ほぼ、交渉成立だな。

「僕にも色々事情があるんだ。ギブアンドテ―クっていうだろ?情報提供料と思ってくれたらいい」

「しかし、そんな時間だと家のものに止められる」

「大丈夫。僕、眠り香を持ってる。あの神主さまには眠ってもらおう。なに、心配はいらないよ。お香はそれほど害はないし、神主さまほどの霊力があればこれだけの邪気にあてられても死にはしないだろう。きみはどうかは知らないけど―――それは覚悟の問題だからねぇ」

「………………………」

 うまくいった。

 人の心―――中々、おもしろいものじゃないかよ。


       4


「じゃね、法師さま」

「それじゃあ」

 鬼灯姉妹と下駄箱で別れる。

「ふわ〜あ」

 オレは大きな欠伸をした。

「なんだ大智、寝不足か?」

「うみゅ」

「寝不足はお肌によくないぜ」

 人の美容にまで気を配らんでも、隆盛。

「あはん?」

 こっこの声は―――。オレは恐る恐る振り返る。

 出やがったな!変態ボディコン女教師・渡部りか子っ!![セクハラは愛のワン・ツゥ―レッスン](←キャッチコピ―?)

「おほよう、りか子ちゃん」

「おはよう上条くん。おはよう、不破大智くん?」

「……………………」

 なんでオレだけフルネ―ム―――どうでもいいけど。

「ふみゅ〜あ」

 オレは挨拶する代わりに大きい欠伸をしてみせた。

 見るがいい、この崩れた間抜け面をっ!そして、幻滅しろっ!

「ふふっカワユイ欠伸ぃ」

「ああ、可愛さMAXだぜ」

 くっ隆盛まで!

 恐ろしや、痘痕も笑窪―――こうなったら、鼻糞弄ったり屁をふったりしてみるか?

 いや。こいつらなら、だらしないところも素敵とか、フロ―ラルの香りがするとか云いだし兼ねない。

 あきらめよう。

「寝不足?ちゃんと寝ないとお肌に響いちゃうぞ!?」

 隆盛と同じことを―――。こちとら御神木のことが気になって眠れんかったんじゃ。

「しかし、あれだな。りか子ちゃんはいつも元気っつうか―――教職とかけっこうストレス溜まんじゃねぇの?」

「まぁね」

 体をくねらせ肯定する渡部。

 はい、嘘。この女にストレスがあるなら、日本全国のサラリ―マンの方々はすでに胃潰瘍で絶滅しているはずだ。

「たしかに、家に辿り着いたときはもうクタクタで死んじゃうって感じだけど」 

 死んどけ。

「半身浴して、歌うたったり、ワイン飲んだりしたら干乾びてた心もプルプルリン、生き返っちゃうのよ?」

 干乾びときゃいいのに―――。生き返んなよな、たく―――ん?

「生き返る?」

 オレはぼそりと呟いた。

「?」

「大智?」

 二人が怪訝そうに見下ろしてくる。

「生き返らせればいいんだよ、隆盛!」

「はっ?」

「だから、御神木の霊力を高めてやるんだ。そうすれば、御神木自身があの邪気を浄化できるかもしれない」

「まあ、理屈じゃそうかもしれねぇけど実際どうやるんだ?」

 当然の疑問を口にする隆盛。オレはピ―スをして云う。

「オレが小さいころな―――」

「今も十分ちっさい」

 下からチョップ!

「うげっ」

「黙って聞け!」

「はい」

「オレが小さいとき、熱とか霊力が激減したときとか親父がまじないをしてくれて、それがすっげぇ効果あったんだけど」

「ほう―――どんなのだ?」

 オレは目を瞑り記憶の糸を手繰る。

「う〜ん、詳しいやり方は忘れたけど、たしか複雑な印を結んで、レンコンゲンテンリテイなんたらかんたらって呪文を唱えてたような」

「おい、それて伏犠の―――」

「知ってんのか?」

「いや―――まぁ―――」

 歯切れの悪い隆盛。

「ただそれって道教の秘術だったような」

「道教?中国の?」

「ああ、でもなんで道教の秘術なんかを黎須さんが?分けわかんねぇぞ不動尊寺―――」

 たしかに。修験道とかなら密教と道教が交ざってるって聞いたことあるけど、父さんが葬られてるのって密教家だったよな。ほんと分けわかんねぇな、うちの寺。

「とにかく、救える可能性が出てきたんだ。家に帰って文献とかないか調べるぞ」

「ああ」

 戻ろうとするオレたちに渡部が、

「二人とも帰っちゃうの?授業は?」

 と聞いてきた。まだいたのかよ。

 オレは懐から護符を取り出し、

「のうまく さんまんだ ばざらだん かん―――っと」

 護法天童を出す。隆盛も同様に。

 それを見た渡部は吃驚喜ぶ。

「きゃっすごい!?」

 カッカッカッ、尊敬しろ。尊敬して跪いて消え失せるがいい。

「いいなぁ。ほしいなぁ〜。この●ッチ・●●フ」

 だっ―――己れ、この淫乱。神聖な護法天童おぉ!!てか、抱き付いてんじゃねぇ!

「お胸、大きくて気持ちいいでちゅ」

 護法―――貴様ぁ!

「オレの顔してそんなこと云うな!」


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


 覚悟はできたか―――御巫女よ。その意志がこの僕に誘導されたものだと気付かずに。

「ベストポジションだな」

 僕はちょうど御神木が臨める位置にあるマンションの屋上から双眼鏡を覗いた。

 巫女は玉串を手に御神木の前。表情は険しいが、まぁ大丈夫だろう。

「後は御陰勇太がくれば―――」

 さっき奴の下駄箱の中に手紙を入れてあの神社に呼び出した。偽造のラブレタ―だ。ちゃちな手だが、あの万年脳味噌バラ色小僧なら有効だろう。

「ほらな―――」

 御陰勇太が嬉しそうにスキップなんぞしながら境内に入っていく。

「さて時間だ」

 巫女が動く。

 玉串を振りながら、祝詞を唱え―――。

「掛巻も畏き真榊の大神―――」

 僕は巫女の唇に合わせて口ずさむ。せめてもの弔いだ。優しい優しい国つ神よ。

「祓戸大神たちの大前に、高橋の巫女、恐み恐みも―――」

 さあ、祭りの始まりだ。

 祓い給え、清め給え、幸はへ給え―――。

 そして、

「呪い給え」

 この僕のために。


       5


「な〜まだかよ」

 文献や資料なんかを調べ初めてもう何時間も立つ。いいかげんムカついてきた。

「そう、急かすんならちったぁ手伝ってくれてもいいだろ」

「うっ」

 あははは、最初の内はがんばって調べてたんだけど、すぐにへばって隆盛にまかせっきりだったりして。

「だってぇ、オレ小さい字とか読んでると眠くなんだもん」

「はいはい―――ん?」

 隆盛が持っていた資料に顔を近付ける。

「あったのか!?」

「ああ、たぶんこれだ。先天八卦印―――八卦霊符などを用い、それに霊的な力を与え、災いを鎮めたり、身を守り、生命を保全する力を増大させたりすることができる―――」

「それだっ!」

 この秘術を使えば或いは御神木自体を復活させることができるかもしれない。

「しかし、いくら道教に仏教や陰陽五行などの流れを汲み取った部分があるとはいえ、外国の秘術が使えるのか―――よしんば、使えたとして道教の印は複雑だからな。よく調べないと」

「う〜みゅ」

 ごちゃごちゃ調べたりするの苦手なんだよな。う〜でもそんなこと云ってる場合じゃねぇか……。

「貸してみ。う〜ん、八卦ってことは方位とかも関係してくるのかな?」

「どうだろうな……ただ―――」

 隆盛の言葉が急に止まる。オレは怪訝に思い訊ねようとして、

「どうし―――なっ!?」

 オレも異変に気付く。

「邪気が!」

「ああ、これは―――」

 御神木の―――!?   



 突然、ものすごい邪気の気配を感じた。あの御神木の中で蠢いていたあの怨念の―――。

 オレたちは急いで玉串神社へと向かう。

「うっあ、これは―――」

 邪気が神社の境内いっぱいに溢れだしている。辛うじて鳥居などの結界に阻まれているが、いつそれが破られ町中に洩れ出すか分からない状態だ。

「とにかく行こう」

「待て大智」

 境内に侵入しようとするオレを隆盛が止める。

「気休め程度だが、結界を張る―――おん きりきり ばざら―――」

 なんだ?その印と真言……高度な結界なんだろうけど―――なんで、そんなの知ってんだよ、隆盛。

「正式な方法じゃないけど、ないよりマシだろ。オレからあんま離れんなよ大智」

「ああ―――」

 ほんとこいつなんでもありだな。腹立つの通り越して呆れるぜ。

「行こう」

 オレたちは改めて境内に侵入する。

「くっ」

 予想以上の邪気だ。心なしか体が重くなったような気がする。結界を張らなければ確かに危なかったかもしれない。

 御神木に近付くにつれますます邪気が強くなる。隆盛はさっきからなにかしらの印を結び真言を唱え続けている。

「あれは―――」

 御神木の前に高橋千佳子がいた。彼女はひたすら玉串を振り続け、その度に御神木から邪気が流れ出ている。ESPがどうのこうのと只者ではないと思っていたが、まさかこんなことをしでかすことができるまでの能力者とは―――。

「℃¥$¢£%#&*@§※∞☆◎♂―――」

「ん?」

 なんだ?どこからか、高橋とも隆盛とも違う声が聞こえてきた。

「ゆっ勇太くん!?」

 すこし離れたところに御陰勇太が立っていてなにやらぶつぶつ呟いている。

「どうしてここに?」

「☆※@▽§#£≠÷〜♂℃×」

 勇太はオレに気付いて、何かを口遊みながら(隆盛たちの声で聞こえない)ピ―スをしてきた。

「……………………」

 嘘っだろ?なんで勇太の周りだけ邪気がまったく通ってないんだ?数日前にあったときより更に霊力上がってるし。『男子、三日会ってなかったら目ん玉こすって見とけよ』ってんなアホな―――。

 いや、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。

「おい、止めろっ高橋!」

 オレの呼び掛けに、しかし高橋は一心不乱に玉串を振り、祝詞を唱え続ける。

「祓い給え、清め給え、幸はへ給え―――」

「高橋―――」

 汗だくになり、もはや周りの邪気にあてられボロボロになっているにも関わらずそれでも必死で御神木から邪気を祓い続けている。

「くはぁ祓い給え、うぅぁ清め給えぇ、幸はへ給えぇい―――」

 歯を食いしばり、気力だけで地面を踏みしめ、戦うために目を剥いている。

 救いたいんだ……何としても御神木を―――親というものを―――。たとえ、どんな犠牲を払っても―――たとえ、後になってどんなに後悔しても―――目の前の  たった唯一の存在のために―――。

「おっオレは―――」

 恐い―――。

 邪気塗れのこの空間の中で、何かに置いてきぼりに去れたような気持ちになって体が震えてきた。

 逃げ出したい。

「オレは―――」

 止められるのか―――。親を救おうと必死に戦っているこの女を止められるのか。

「何のために―――」

 オレは何のために戦ってるんだっけ?

「うぅぅ―――」

 頭が混乱してきた。

 邪気が―――邪気に―――。

「大智っ!!」

「えぁ!?」

 隆盛?

 〃どれが後の最善なのかを考え続けて〃

 〃自分が生きたいように生きろ―――〃

 〃オレはお前のこと思って云ってるって〃

 〃見守ってるからな、がんばって―――〃

 父さん―――。

「そう―――だった―――」

 〃お互いこれからみたいね―――法師さま〃

「全力を尽くすって―――」

 踏張らなきゃいけない―――明日の自己満足のために―――-!! 

「強くなるって決めたんだ!―――のうまく さらばたたぎゃていびゃく さらばぼっけいびゃく さらばた たらた せんだまかろしゃだ けん ぎゃきぎゃき さらばびきんなんうん たらた かん まん」

 火界呪の真言に伴い左手の金剛杵から青と黄、二本の紐状の光が飛び出してくる。

「羂索―――すげぇ具現化された不動金縛りかよっ!」

 驚嘆する隆盛。

「くっ」

 だが、力不足だ。本来なら青・黄・赤・白・黒の五本を撚った索条が具現化されるはず―――でも今のオレの霊力では二本が限界だ。

「のうまく さんまんだ ばざらだん かん―――我っあまねく金剛に帰依す。大憤怒尊よっ一切の禍を括り給えっ!」

 青・黄、二本の光が境内を駆け回り、邪気をオレの手元に収束させる。

「うっうぅ―――」

 邪気を縛り付けることに成功した。これで一時的でも邪気が町に溢れる心配はなくなったが―――。

「ちっ」

 駄目だ。縛るので精一杯で、身動きが取れない。

「隆盛!」

「ああ」

 邪気の蔓延がなくなり結界を張る手が空いた隆盛はオレの指示よりも先に動いていた。

「ちっと痛いが勘弁しろよ!」

「うっ」

 高橋千佳子の鳩尾に拳を打つ。高橋は気絶したのだろう、がっくりとなって隆盛に支えられた。

「なっ!?」

 高橋の祓を止めたのに、御神木から邪気が流れだすのが止まらない。

「慣性か!」

 隆盛が眉間に皺を寄せ呟く。

 慣性?勢いが付いてるからってことか?

「くっまずい」

 このままじゃあじり貧、いずれオレの霊力が尽きたらおしまいだ。

 御神木に押し戻してみるか?いや駄目だ。 ただでさえ御神木はすでにボロボロだったんだ。逆流なんかに耐えられるはずない。

『ありがとう……小さき法師―――』

「えっ?」

 隆盛に支えられてだらりとなっている高橋の口だけが動いた。

「まさか御神木―――?」

 御神木が巫女の体を介して語りかけているのか?

『私を救うために懸命になっていただいていること大変有り難いと思う。でも、もういいのだ。このままではたくさんの犠牲がでてしまう。私はもう十分に生きたから』

「なっ?なんでそんなこと―――」

 神様って云ったってもとは植物―――それなのに人間を庇おうというのか 

「どうして人間のために犠牲に?あなたをこんな風にしてしまったのは人間なのに。種族の違うもののためにどうして?」

 オレは御神木に疑問をぶつける。

『そう―――私は人間のためにこうなったのかもしれない。人間の弱さと強さが私を蝕んだのだ。それは心苦しい。でも、それ以上に私は人間に愛されてきた。ただの木でしかない私を神と崇めてくれた。私がこれだけの霊力と知慧を持てたのは人間が私を尊きものと祭ってくれたからに他ならない』

「真榊の尊」

『その名も人間が付けてくれた。何百年もその名で親しんでくれた。そしてこの娘。千佳子は父母とまで思ってくれた。この娘が私を守ってくれようとしたように、私もこの娘を―――この娘の未来を守りたいのだ』

「……………………」

 オレは唇を噛む。

 どれが―――どれが後の最善なんだよ!? 

「それはあなたの我侭だ。彼女はそんなこと望んでない」

『その通りだ。私の我侭―――聞いていただけるか?』

 くそぅ。

「おん」

 邪気を逆流させる。

 ピキピキピキ

 御神木に皹が入っていく。

「恐るべき大忿怒尊よ!我を喰らいて刃となせ」

 右手の金剛杵から刃が飛び出す。

「のうまく さんまんだ ばざらだん かん―――金剛尊よ!」

 これでいいのか?本当にいいのか?

『ありがとう』

 御神木の声。穏やかで、なんか父さんみたいだ。

「我が力を解き放て」

 オレは刃を御神木に突き立てた。

 ビシバシビキ

 邪気が消滅した。御神木の霊力も―――。

 ビシ

 縦に大きく皹が入り、やがて御神木はバラバラになって崩れ落ちた。

 すでに生命を保全する力は失われていたんだ。霊力だけでその身を支え続けていて、それも今、オレの手で消え失せた。

「……………………」

 木の破片が散乱する中、夥しい数の錆びた釘が姿を現す。

 これが、人間の犯した愚考の象徴。

 こんなもののために―――。

「ご―――御神木さまは……」

 高橋千佳子が目をさます。崩れ落ちた御神木を目に、彼女も同じように地面にへたり込んだ。

「うっ―――うう―――うわぁ―――」

 嘆き。予想していたこと。それでもオレの胸は潰れそうで……。

「ちくしょう―――うう―――ちくしょう―――」

 彼女の涙を前にして、『もしかしたら救える方法があったかもしれないのに』などとは口が裂けても云えなかった。


   ◆◇▲▽*△▼◇◆


「ちぃ」

 離れたマンションの屋上から全てを傍観していた僕は軽く舌打ちをした。

「まあいい」

 町中が呪われるという大望は消え失せたが何百年も生きた国つ神が呪いで朽ち果てる姿を拝むことができたのだから―――。

「それより問題なのは―――」

 御陰勇太。奴の霊力だ。

 あれだけ強大な呪いの直撃を喰らってもびくともしない防御を展開できるとは―――もはや呪いそのもので御陰勇太を葬るのは難しいか―――。

「厭―――」

 僕は崩れ落ちた御神木の残骸に着目する。

「あれを使えば或いは―――」

 フフフ、これからだ。待ってろよ、御陰勇太。

 呪われろ―――僕の快楽のために―――。



     シ―ケンス


 深夜の御陰邸。

 いつものように勇太の部屋にはキ―ボ―ドの音が静かに鳴り響いていた。

『乾闥婆〉ていう話。どう?おもしろかった?』

『夜叉〉御神木が自ら犠牲にしてねぇ。ちょっと感動かもね』

『緊那羅〉うんうん』

『天〉オレはどっちかっていうと町中呪われるってのが見たかったかな』

『乾闥婆〉まぁボクもそれはちょっと興味あったけどね―――さすがにあれだけの邪気が蔓延しちゃったら―――みんな粛正されちゃうだろうからねぇ。町ごと』

『天〉蝿の王に?それとも〃進化の指針〃かよ?』

『夜叉〉はっきり明記しないでくださいよ。恐れ多いですよ』

『天〉悪い悪い』

『乾闥婆〉まぁなんにしても、まだまだ楽しめそうだよねぇ。ヒロくんで―――それじゃあおやすみ』

 勇太は静かにノ―トパソコンを閉じた。

 そして、椅子の背にもたれ掛かり天井を仰ぐ。

「遊んでいるけど本懐をふざけているわけじゃないんだよ」

 独り言だが、まるで何かに語りかけているように勇太は云った。

「蝿の王は尻尾をつかませない。アシハラは香神と共に見事に裏切ってくれたし。黎須の息子にいたっては使いものにならないからねぇ―――。だからこうやって遊んでたら彼女の方からひょっこり現われるかも知れないだろ?」

 少しの間。まるで相手の応答に耳を澄ませているように。

「うん―――大丈夫。僕は裏切りはないから―――〃進化の指針〃―――金神さま」

 勇太は目を瞑る。

 しばらくして、

「う〜ん、まぁ呪われぼっちが使いものにならないってのは嘘だったりなんかして。そんなこと思うから今夜も眠れない♪」

 いつものように口遊んだ。



つづく―――





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