ヒロトカゲ〜腐れかけの肉〜
行き過ぎた科学を人は〃魔術〃と呼んでいた
業深き〃魔術〃を〃呪い〃と忌み嫌った
〃進化の指針〃
彼のものからの
堕落故にと
知る由もなく
ただただ怯えボクらは〃呪い〃を拒み続けている
たった一つの外典
〃呪われぼっち〃を除いて―――
〃SALVATION〃
闇に魅せられたときに呪われて
抜け出すなんて一人じゃできず
彷徨い続ける道は孤独な日々
きみの視線、妙に気になって
煩わしい日々の中
雑音に笑えるのは
絆の糸、紡ぐから
縋り付くみたいに
傷ついて、涙、溢れたって
きっとかまわない
魂の叫び、渇れ尽きるまで進もう
目の前に光明、もっと光明
罪に溺れずに
この先に望みえる空、蒼天
That I am of the tribe.
腐れかけの肉
1
「ただいまぁ」
「おかえりっ―――てなにその荷物っ!?」
買物から帰ってきたオレと隆盛。
居間で寛いでいた凪紗と風音は隆盛の抱えている荷物の量に仰天する。紙袋六つに箱が数個。
「大智はぁプチ買物依存症だぁ」
戯けているがどことなくため息混じりに云う隆盛。
「いいじゃん。自分で稼いだ金なんだし」
「そりゃそうだけど、一日で三0万以上使う高校生ってどうよ」
『三0万……』
見事にハモる双子。
うぅ……そりゃさ。自分でもちょっとは異常かなぁとか思うけど、でも月に一回だけって決めてるし、頑張って日々生きてるご褒美だもん。
「あっそうだ。二人にお土産買ってきたんだよ」
唖然としている双子に、取り繕うようにオレは云う。
「えっ!お土産?いいの!?」
「ありがとうございます」
二人は驚きつつもとても嬉しそうだ。
よかった土産買ってきて。こんなに感激してくれたら、こっちも嬉しくなる。
「ありがとうっ……て―――」
渡した紙袋を開け、その中身を見て凪紗は絶句する。
「このジ―ンズ―――ドル○バ……」
そして凪紗は風音の方を見て、
「○―ラのスカ―ト―――二つ合わせたら十万くらいするんじゃ……」
「えっそんなにっ!?」
姉の言葉に風音も驚愕する。
「そんなにしてねぇって。安売りしてたから二つでせいぜい五万くらいだろ」
「ごっ五万―――」
「二ヵ月は生活できますね」
う〜みゅ。どうも金銭感覚のずれが―――。
「うれしいけど―――」
「いんですかね」
戸惑う二人に、
「いいの、いいの。大智は買物してぱぁって金使うのがストレス発散なんだから」
と隆盛。まぁそれはそうなんだが、お前の科白じゃねぇだろうよ。
「でも、ほんと。気にしないでいいぜ。恐縮させるために買ってきたんじゃねぇし」
オレの言葉にそれでも渋い顔をしてる凪紗と風音。
う〜値段なんか見ずに適当に買ってきたんだが失敗したかな。
「そうはいってもねぇ。ただでさえ、法師さまには居候させてもらってるわけだし」
「それに隆盛さんのお父さまには私たちの後見人にまでなっていただいて―――至れり尽くせりって感じで申し訳ないです」
「いいの、いいの。ととさまは不破家の雇われ弁護士だぜ。黎須さんの遺産ふんだくってんだから」
「………………」
恐縮する双子に隆盛はカラカラと云い放った。
それでオマンマ食わせてもらってんだからちっとは謙虚に生きろよ、隆盛。
「でも、まぁホントありがとね法師さま。それにしてもサイズぴったしだけど、よくわかったね」
「ああ―――なんか隆盛が知ってた」
「えっ?」
隆盛に疑惑の目を向ける凪紗。隆盛はピ―スをして云い放つ。
「はっはっはっオレの眼力も伊達じゃねぇ。二人とも上から80・58・84だ」
「なっ!?」
飛び出してきた数字に風音はきょとんとなり、凪紗は顔を紅潮させ怒鳴る。
「何を根拠にっ!風音はどうかしんないけど私はもっとあるもん」
何が?
「ははっ見た目はな。そりゃあパットを二つも―――」
「他人のトップシ―クレットをっ!」
凪紗の放った右ストレ―トが隆盛の顎にクリ―ンヒット。
「妙なスキルで曝すなっ!」
「うげぇ―――うげぇ―――うげぇ―――」
おおっ!!長淵キックの嵐っ!!自業自得だ、隆盛!
「それで大智先輩は何をお買いになったんですか?」
「っ!?」
風音、自分の姉が繰り広げる目の前の惨劇を無視して別の話題に移るかよ!
まぁ気持ち分かるけど。このさい、オレも風音に乗っかって脳内から排除しよう、このドメスティク・バイオレンス。
「ん〜とゲ―ムとぉ―――『世界●車窓から』のDVD‐BOXにぃ―――」
「『世界の●窓から』の―――そっそんなものが……?」
「冬物の服いっぱいにぃGパンでしょ」
「ほんとにいっぱいですね」
「あっほらほら見て見てっ!ク○ム・ハ―ツの新作ブレス」
「へぇ意外。法師さま、そんなのいつもしてるっけ?」
いつのまにか暴行が終了していて、話に加わってくる凪紗。
よっよかった……。また、この家で人死にが出るかと思ったぜ。
「大智は買った端からすぐに飽きて人にやるからな」
ホント頑丈だなぁ隆盛。ケロっとしてやがる。
オレだったら最初の一撃で三途の川を飛び越えていただろう。
「それはそうと大智。明日、体育祭の全体練習だからな。体操服ちゃんと用意しろよ」
「……体育祭の練習……」
「ああ。それなら私が洗って干しときましたから」
風音が云う。
「そうそう、体操服を洗濯機から出したときにですね、すごく小さかったんで一瞬縮んでしまったのかと思って焦ってしまったんですよ。でも、よくラベルを見たらあのサイズで良かったんですね」
「………………………………」
「ははっ大智の体操服姿はそりゃ可愛いのなんのって」
「でしょうね」
「…………………………」
あ〜あ……せっかく買物していい気分だったのに―――。三0万以上かけてストレス発散したのに―――。
『体育祭の練習』
その一言で全てが台無しに。
あ〜……ユウウツ………。
◆◇▲▽*△▼◇◆
この世界は呪われている
どこもかしこも黒で溢れている
古ぼけた電車のホ―ム
事故の多い交差点
夜な夜な何かが徘徊する神社の境内
墓を除けて建てたデパ―ト
滅多に使われない教室
人の心
触れては染まり、退いては消える淡い闇
でも、ほらそっと背中を押せばそこは深淵
藻掻け、苦しめ、抜け出せず
掴んでは切れる糸を求めて
呪われろ―――呪われろ―――呪われろ―――
「お早よう!ヒロくん」
ホ―ムル―ムが始まるか始まらないかの時間、前の席の御陰勇太が登校してきて僕に声をかけてくる。
久しぶりに彼の顔を見た。一週間くらい病気で休んでいたのだ。永久に来なくていいのに。
僕は腹の内をこれっぽっちも曝さず御陰勇太の挨拶に応じた。
「お早よう勇太くん。なんか病気みたいだったらしいけど、もう大丈夫なの?」
「うん。ありがとね。心配してくれて」
この顔だ。まるで処世術かのように愛らしさを研ぎ澄ましたこの笑顔に無性な厭らしさを感じる。それなのに御陰勇太はやたらと僕にかまってくるから始末に負えない。
「ねぇねぇ、実はねボクただの病気じゃなくて呪われてたんだよ」
「えっ!?呪いっ!」
呪い。その単語に僕は過剰に反応してしまった。御陰勇太はニコニコ顔のまま続ける。
「うん。それでね、けっこう危なかったらしんだけど、近所の寺のお兄ちゃんが助けてくれたんだぁ」
「へぇそうなんだ」
ちっ!よけいなことを―――。
それに付けても、御陰勇太に関わりたくない一心で情報収集を疎かにしたのは失敗だったな。せっかくこいつの深淵に苦しむ様が拝めるいい機会だったのに。
「近所にお祓いとかできる人がいたんだね」
本心から出た言葉だった。そんな奴が近くにいたんじゃ目障り極まりない。
「なんかねぇ、呪われ屋とか云ってたよ」
「ふ〜ん」
呪われ屋ふぜいか……なんとか粛清できたらいいけど。
しばらく、御陰勇太が引っきりなしに話し掛けてきて僕はそれを自動的に処理する。
そうこうしているうちに、チャイムが鳴り担任教師が教室に入ってきた。
「おうっ!勇太―――もう大丈夫なのか?」
「うん。もう、平気だよ」
担任の問いにわざとらしいゼスチャ―で応じる御陰勇太。
どうでもいいが、この若い担任、受け持ちの生徒たちのことを名前で呼んでいる。それで媚びているつもりなのか友好を誇示しているつもりなのか知らないが、吐き気がするほど欝陶しい。
「よかったなぁ。ヒロトも心配してたしな」
「ええ」
心配とかしてたっけか、僕。担任から何か云われたりして適当に対応したんだろうな、きっと。
なんか嘘をつきすぎたせいか、最近では口先と脳とが全然連動していないような気がする。それでも、うわの空とするには適切にコミュニケ―ションが取れているようで。まるで相手の言葉を処理する機関が脳とは別にある感じだ。
「ほんと!?ヒロくん?」
御陰勇太が嬉々として訊いてくる。そしてまた僕の口は勝手に動く。
「友達だもん。心配するよ」
「へへ」
僕の言葉にはにかむ御陰勇太。
端から見ればとても仲の良い親友同士に映るのか……。糞喰らえだな。
「綾菜とゆりが来てないな」
担任が出席を取り終え、まだ来ていない生徒がいるとぼやいた。
「誰かなんか連絡―――」
その折り、教室の後の扉が開いて問題の二人が入ってきた。
「どうした?二人とも」
「ごめんなさい。私が寝坊しちゃって」
古手川綾菜が申し訳なさそうに云った。担任は出席簿に何かを記入しながら云う。
「ん、まぁいいけど。二人とも罰として、今から先生と郷土資料室に行って次の授業で使う道具運ぶの手伝え」
「………………………」
担任の言葉に遅刻した二人は何やら云っていたが、そんなこと僕の耳には届いていなかった。
郷土資料室……。
あそこは確か―――。
「ヒロト。すまんがお前も頼む」
「ええ。いいですよ」
担任は案の定、学級委員である僕にも話を持ってきた。
なんという幸運だろう。
いつか何かの足しになるだろうと、面倒な役職を率先して引き受けていたが、本当によかった。
「はいはいっ!ボクもっ!ボクも手伝う」
溌剌と手を挙げる御陰勇太。
「おいおい、勇太。お前、病み上がりだし無理するなよ」
担任がそう云うと、御陰勇太は膨れっ面をして云い返す。
「え〜大丈夫だよ。ボク、ヒロくんと一緒にいきたいもん」
「はいはい、わかったわかった。べったりさんめ。あんまりはしゃぐなよ」
「は〜い。行こっ!ヒロくん」
「うん」
ちっ金魚の糞が。まあいい、お前も僕の快楽の糧となれ。
「他の奴は静かに待ってろよ。じゃ行くぞ」
担任の引率で郷土資料室へ向かう。その道中、古手川綾菜が僕に謝罪してきた。
「ゴメンね。縫取織くん―――なんか付き合わせちゃったみたいで」
「いいよ、気にしないで」
バカな女だ。担任は端から僕に手伝わせる気であって、お前が遅刻して勝手に巻き込まれただけだ。それにしても哀れだな、河原ゆり。友人の遅刻に巻き込まれた挙げ句、犠牲者一号の仲間入りになってしまったのだからな。ふふ、まぁどの道おそかれはやかれの問題にすぎないけどね。
「ねぇねぇみんな知ってる?」
御陰勇太が口を開く。少しでも黙って行動ができなタイプだな、こいつは。
「これ噂なんだけどね、郷土資料室ってなんかお化けが出るって聞いたんだけど」
「………………………」
そんな噂聞いたことがない。
そういった類の情報は聞き漏らさないよう神経を配ってるが―――こいつのでっちあげだろうか?それにしては偶然すぎる。
「なんか蜘蛛のお化けらしくてぇ」
「もう、やめてよ。今から行くのに」
「ええ、おもしろいじゃん。そういうの」
それぞれ、固有の反応を示す河原ゆりと古手川綾菜。それが愉快だったのか更に続ける御陰勇太。
「それでね可愛い子供に取りついて、ムシャムシャ食べちゃうって」
「もう。そういうの口に出したらホントになるんだよ」
「恐いって思うからいけないのよ」
「ボク、可愛いから心配だな。もし襲われたらヒロくん助けてね」
「ハハ……」
ふん、寧ろ化物の加勢してやる。
「おい、お前ら。まだ、ホ―ムル―ムやってるクラスもあるんだから静かにしろ」
「は〜い」
そうこうしているうちに、郷土資料室に到着する。
そして、扉が開かれた。僕にとっては享楽の―――即ち奈落の扉が……。
「うわっ」
河原ゆりが鬱気を洩らす。
「やっぱ、お化けがいるかもねぇ」
もちろん、そんなものいるわけない。そんなものはいないが―――。
「バカ云ってないで、さっさと入る」
担任に急かされ僕らはそこへ足を踏み入れる。
「埃っぽ」
「それにカビくさい」
「日当たり悪いせいだね」
たしかにそこは御陰勇太の話を裏付けるかのごとく陰気な部屋だった。
見るものによっては怖気を誘う土器や土偶などの郷土品。
微かな日光に垣間見られる塵芥の舞い。
目に見えないところで大量に蔓延っているのであろうカビの臭い。
だが、それだけではない。
僕には見える。この部屋に確かに存在する深淵の源が。それはまるでどす黒い水蒸気のような―――煙よりも重く霧よりも大きな
呪われた証し。
僕以外、誰も気付いていない。だから平気で深淵の中に身を置ける。ドブ川に潜り込むようなこの情況で、正気を保てるのはこの僕一人だけだ。
「先生どれ運ぶんですか?」
人が動けば深淵にも流れが生まれる。まとわりついては離れ、口から入れば鼻から出ていく。即ち触れては染まり、退いては消える淡い闇。
でも、ほらそっと背中を押せば―――。
「フフフ―――」
僕は手を延ばし、黒い靄を鷲掴みにする。
そして塗りたくろう。
僕の周りにいる愚かな輩に。
僕の快楽の餌たちに。
さあ、深淵の宴が始まる。
藻掻け、苦しめ、抜け出せず。
掴んでは切れる糸を求めて。
呪われろ―――呪われろ―――呪われろ―――。
2
「うぐぅ―――」
暑い、きつい、だるい。
なんでこんな炎天下の中、運動場でずっと体操座りなんぞさせられなならんのじゃ。
体育祭とかなくせぇ、バカ。
護法天童に任せようと思ったのに、『運動不足だからちったぁガンバレ』とか云われて隆盛に護符を奪われるし、いいかげんキレるぞ、オレ!
「先生っ!」
オレは立ち上がり挙手して叫んだ。それを聞き付けた担任の堤が、急いでオレに駆け寄ってくる。
「どうした、不破?お前は選手宣誓じゃねぇだろ?」
「ちげぇよ」
確かにそんな感じに見えただろうけど。
「オレァぶちキレたぜっ!きつい、暑い、喉渇いた。木陰で見学するからなっ!?もう」
「おい、まだ練習始まって一時間も立ってないぞ。喉渇いたんなら水飲んできていいからもう少し頑張りなさい」
諭しに入ってくる堤。うるせぇ、こちとらもうそんな段階すぎてんだよ。
「いやだっ!休むっ休むっ休むっ!!」
「我侭云うな みんなだって我慢してるんだぞ!」
「うぃ」
怒鳴り付けられて、思わず涙が出そうになる。うぬぬぬぬ。
「だってさぁ。ホントに暑いし、きついし、オレチビだしぃ」
「チビは関係ないだろ?」
「関係あるもん。さっきさぁ、下級生に『あっ小学生が紛れ込んでるんじゃない?かわゆい!!』とかバカにされたんだぞ」
「そっそれは……気の毒だと思うが―――」
「うぇ〜ん、スネ毛も生えてない男子高生の気持ちなんて誰も分かんないんだぁ。うぇ〜ん」
「その態度が小学生並みだぞ、不破」
地団駄を踏むオレに全校生徒の白い目が突きささる。
「くぅ、こうなったらぁ 死なば諸共、全員くたばれっ!のうまく さんまん―――」
「うわぁ、止めろっこの腐れ坊主っ!!」
不動金縛りを使うため、印を結ぼうとするオレの腕を羽交い締めする堤。
「放せぇっ!逆鱗に触れたてめぇらが悪いんだ」
「誰かぁ実行委員の上条呼んでこいっ!?」
「はいっ!」
(間)
「こらっ大智!ちったあ我慢しろ。つうか素人に術使おうとするなっ!!」
くっ保護者を連れてきたか―――。だが、そんなことでオレの我侭は止められねぇぜ!
「黙れ隆盛!金縛るぞ、こらぁ」
「ちっちっちっオレに術はきかんぜよ」
「くっ」
そうなのだ。隆盛の奴、昔、オレの父さんにもらった法具やら、いつの間に彫ったのか二の腕入れてある光明真言の刺青(普段はテ―ピングで隠してある)やらで、やたら霊的防御力が高いでやんの。
ちっ、こうなったら別の方法をとるまで。
「だってさぁ」
オレはしゅんとなってみせる。
「日焼けしたくないんだもん」
『そんな理由かっ!』
オレの言葉が聞こえたほぼ全員が罵倒してくる。
違うよ。でもこう言えば隆盛は―――。
「おおっ!白いのがいいぜ、大智は!!」
ほらね。
「つうわけで大智を医務テントに運びます、先生」
『はっ?』
周囲が唖然となる。
カッカッカッ!隆盛を操るなんざ朝飯前だぜ。
「ほら、おぶってやる。行くぞ、大智!」
「ハイド〜隆盛!」
運動場を隆盛の背中に乗って駆け抜ける中―――、
「このバカコンビがぁ」
担任・堤教師の憤りとも嘆きとも取れる叫びが背後でこだました。
「ほらっもうすぐつくぞ、大智」
「おう」
「きっと、りか子ちゃんもお待ちかねだぜ」
「げっ」
忘れてた。あのハレンチ教師、渡部りか子は医務班担当だったんだ!
「ちょっ止めろ」
「車は急にぃ止まらない〜!」
「いや、ちょっと―――まずいって―――」
あの女に体操服姿なんて見られた暁には、確実にハラスメントだよ。セクシャルな方向にっ!
「やだやだやだ」
隆盛の頭をボコボコ殴っていると、ピンポンパンポンと校内放送が鳴り、
『二年D組の不破大智くん。至急校長室まで来てください』
と呼び出しがかかる。
「なんだろうな?」
「なんにしてもラッキ―。隆盛、そのまま方向転換」
「ラジャ」
渡部りか子を回避でき、オレは隆盛の背中でほっと胸を撫で下ろした。
しかしそれが、これから起こる辛辣な事件の開幕ベルとは夢にも思わず。
あたかも、呪いの真意を思い知らされるかのような悲劇の―――。
◆◇▲▽*△▼◇◆
「いいか。これがそれまで使われていた風呂鍬で、ここの木の部分を―――」
一時間目の社会の授業がつつがなく行なわれている。担任が郷土資料室から運んできた道具やらを掲げて、その説明をしている。
もっとも、僕から言わせれば異常は着実に進行している。即ち、資料室に共に向かった四人に擦り付けた闇の靄が彼らの中で膨れ上がっていく。
「これが江戸時代に農業技術の―――」
ふふふ。それにしても、学校、教室とはなんと都合のいい空間だろう。
昼間にありながら静寂が生まれえ、また単独の声が大勢の耳に届きうる。意識の一点集中。黒板に。白墨に。教師の声に。
それは力場の形成や、儀式の遂行にも似ていて―――。
「それでこっちの備中鍬を初めとする農具が開発され―――」
「あっ」
僕の前の席に座っている御陰勇太が小さく声を洩した。彼の体が傾ぐ。
そして派手な音を立て、御陰勇太が椅子から転げ落ちた。
「どうした勇太―――」
担任が御陰勇太に駆け寄ろうとした瞬間、
「うっがぁ―――」
彼は胸を押さえて倒れこむ。
「うぁああああ―――-」
続く河原ゆりの絶叫。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
河原ゆりの狂ったサイレンのような叫び声の中、古手川綾菜がビクンっビクンっと体を痙攣させながら床に落ちた。さながら、陸に打ち上げられた魚のごとく。
「いっいや―――」
誰かが呟いた。教室中に恐怖が蔓延する。
こうして闇の感染が始まった。
あるものは床を転げ回り、あるものは河原ゆりと同じく咆哮を上げる。
「ぎゃああああ―――」
泣き叫ぶもの。
「あえっあえっ―――」
立ち上がり、首を一八0度回転させんが勢いで体を捩り始める女生徒もいる。
教室が黒い靄で包まれている。郷土資料室よりも、より深い深淵。呪いの連鎖。
もはやまともなのは僕一人のみ。
「―――――――――――――――」
くっはっはっはっ―――。
最高だ!最高だぁ
もっとだ。もっと―――狂え!苦しめ!僕のために!
この僕を楽しませるためだけに呪われろっ呪われろっ呪われろっ!!
「やはり、肉は腐りかけが最も美味しい」
思わず本音が出た。
「まぁ果実もそうだけど。今はそんなこと云ってる場合じゃないよね、ヒロくん」
「なっ!?」
突如、背後で声がする。驚いて後を向くと御陰勇太が怪訝そうに立っていた。
バカなっ!どうして?こいつは最初に落ちたはず。
しかし、御陰勇太の中の靄はすでになくなっている。
「勇太くんは大丈夫なの?倒れてたけど」
「う〜とね。消しゴムが落ちて拾おうとしたら転んじゃって、頭打っちゃった。たんこぶちゃん」
「………………………」
なんてことだ。御陰勇太は端から呪いにかかっていなかった
まさか、一度呪われたら耐性とかできるのか?或いは、先の話に出た呪われ屋がなんらかの処置を?
いずれにせよ、なんて体たらくだ!こいつを誰よりも優先して、突き落としたかったのに……。
「うわっひっどいねぇ」
御陰勇太は教室を見回し言葉を洩らす。
どういう意味だ?まさか、僕がやったことがバレてるのか?
「なんでボクたちだけ平気なんだろね?」
「さっさぁ」
素っ頓狂な御陰勇太の雰囲気。
思い過しか?
そうこう、杞憂していると教室の扉が開き隣のクラスの教師が入ってくる。
「どうしたんだ?いったい」
その教師は倒れている生徒たちに駆け寄り僕らに訊ねてくる。
「さあ、突然みんなが―――」
僕は怯えたように答えた。しかし御陰勇太は、
「先生、これ呪いかも」
平然と口に出す。
こっこいつ
「呪いだと?」
「うん、でもそんなことより早く救急車と人手を―――」
「あっ―――そうだな。呼んでくる。ちょっと待ってろ―――」
そう云って教師は職員室に向かう。携帯電話を持っていなかったのか?それとも気が動転して忘れているのか?
慌てている教師の背中に、
「あと、真鍮高校に電話して不破大智っていうお坊さんに来てもらった方がいいよ」
そう御陰勇太は告げた。
不破大智。そいつが例の呪われ屋の名か。
まぁいい。呪われ屋ごときにこの巨大な深淵が払えるのか、見物だ。
「なにこれ?」
いつのまにか廊下に野次馬ができていた。隣のクラスの生徒たちだ。
「うげぇ」
「気持ち悪っ」
きゃつらの中に不安が騒めく。
いい感じだ。教室中に溢れる靄が野次馬たちにも触手を伸ばし始める。じわじわと、和紙に垂らした墨のように―――。
ふふ。これでもっと大きくなる。
「らっらっらっらん らっらっらっらん」
「?」
なに?
突然、御陰勇太が歌を歌い始める。なんのつもりだ
「思いっきり駆け出してぇ♪大きく手を振ってぇ♪」
場にそぐわない、稚拙で明るい歌声。
「どこまでも広がる道はぁどんなところだろ〜う♪」
「―――――――――――――――-!?」
―――嘘……だろ。
僕は愕然となった。
靄が、野次馬たちに侵入しようとしていた靄が退いていく。それだけじゃない!教室中を支配していた深淵が少しずつ、少しずつ薄らいでいく。
「―――バカな―――」
僕は渇いた声を洩らしていた。
せっかく―――せかっく僕がお膳立てした享楽が―――奈落が―――呪いが―――消えていく。
「悩んでてもつまらない思い切ってみよう♪」
こんなくそガキに。アホ丸出しで、人に媚を振り撒くしか能のない腐れに!
「そんなこと思ってて今日も眠れない♪」
御陰勇太が目を細めた。
勝ち誇っているように感じた。
「――――――――――――--」
僕はなりふりかまわずその場を後にした。
3
なんでも、近くの小学校で呪われごとが起こったらしい。それで、オレに来るよう要請があったとか。
オレは隆盛に負ぶわれたまま、小学校へと向かった。
現場の教室に着くと、子供たちが泣き喚いたり震えたりしているのを大人たちが懸命に宥めていた。
「あなたが呪われ屋の?」
白衣を着た女性が近付いてくる。恐らく養護教諭か何かであろう。
「私は校医の隅田です。たまたま、学校に用があっていたんですが―――」
例によって隆盛に云ってるし。
「呪われ屋はオレじゃなくて、負ぶってるのがそうだよ」
「えっ?」
毎度毎度、懐疑的な目が向けられるし。
「ごめんなさい、てっきり息子さんかと」
『息子さん?』
これは少なからずオレだけじゃなくて隆盛にも打撃を与えたようで。
「こんなでかい息子がいる年に―――」
「けっけっけっ老けてんだよ、てめぇは」
ちょっぴり愉快。それにしても、二人とも体操服姿なのにとぼけた医者もいるもんだ。
「さてと」
オレは隆盛の背中の上から教室を見回す。
「そこの藻掻いてるおっさんと、真ん中で叫んでる女の子と、その横でピクピクやってるのが呪われてるだろ?」
「ああ、あとの子はたぶん三人の呪いにあてられて暗示にかかったか―――とにかく、三人とも不動尊寺に運べ」
「はい」
隆盛が周りの大人に指示を出す。
「あの、暗示って集団ヒステリ―のようなものですか?」
と隅田女医。
「たぶんな」
「そうですか―――そうかもしれませんね。話によると、正気だった生徒が歌を歌ったらみんな少しずつ正気を取り戻していったって聞きましたし」
「歌?」
偶然か?それはある意味で、適した応急処置といえるかもしれない。
歌なら恐怖や苦痛に集中する意識を分散させられるだろうし、もともと言葉には力があって更にそれにメロディ―やリズムを付けた歌には霊力を行使する力があるともいわれてる。
「誰がそんなことを―――」
「ボクだよん」
後から声がして振り向くと、そこには先日呪いから救った御陰勇太が立っていた。
「おはよう。大智兄ちゃん、ヨッ●ィさん」
「ちっちっちっ、○ッシィじゃなくて、チョ●ボだぜ。S級海チョコ○」
「……………………」
オレはいつまでも隆盛の背中に乗っていることが急に恥ずかしくなって、いそいそと下りる。
「あの勇太くんどうしてここに?」
「だってボクのクラスだもん」
「………………………」
ここは五年生の教室―――オレ、てっきり勇太は一年生くらいかと思ってた。
「勇太くん。お兄ちゃんとミニマム同盟を組まないか?」
「はは。いいけど、数年後には脱退かな?」
ちっ。暗に『ボクはこれからが成長期なのだ』と主張しやがって。
「それより勇太、なんで歌ったりした?」
隆盛が訊ねる。勇太は首を傾げとぼけたように云う。
「う〜ん、べつに。なんとなく。呪いだってのは分かったし、歌とか歌ったらちょっとはいいかなとか思ったのかなぁ?」
「……………………」
この子、霊力が強いだけでなくセンスもいいのか。
しかし、危ないのも確かだ。ここは霊能者先輩としてびしっと云わねば。
「みゅう、勇太くん。まぁ結果、助かったけど。あんま無茶するなよ。ほら、生びぃ―――生ば―――生ぶぃ……」
「生麦生米生卵?」
おお!勇太、早口言葉うまいな。
「じゃなくてだな、ほら―――」
「生兵法は怪我の基っていいたいんだろ大智は」
ちっ隆盛に云われてしまった。
今、云おうと思ったのに。噛んでたんじゃなくて、勿体振ってたんだい!グスン。
「玄人跣ともいうよね」
「うっ」
小学生に諺で返された。
「とっとにかく、危ないことしちゃだめ」
「は〜い。それじゃあ、ボクちょっと用事あるから行くね。呪われガンバッてね。バイビィ」
そう云い残すと、勇太はとっととどっかに走り去っていった。
「変な子」
オレが眉を顰めていると隆盛がじっと人の顔を見下ろしてくる。
「なっなに?」
「可愛さゴッツ(訳:二人とも同じくらい胸キュン )」
親指突き出してくるし。
「…………………」
こっこいつ、やはり変態か!?
◆◇▲▽*△▼◇◆
「……………………………」
誰もいない廊下。僕は一人黙々と歩く。
騒ぎのため、こんな辺境に目を向けるものはない。幸いだった。
「ふん」
僕は郷土資料室の前で立ち止まる。
さっきまで怒りで興奮していた心も、今はすかっり朽ちていた。
僕は服の袖で拳を保護し、資料室の薄っぺらい窓ガラスを叩き割った。割り方に工夫したためそれ程音はしない。
框に残ったガラスを慎重に除き、内鍵を開けて部屋に侵入する。
「ああ」
僕はその場でへたり込む。黒い靄の中に体を埋める。
心地よい。
心が闇と同化する。世界と一つになる。
「そうだ、もっと集めなきゃ」
集めて、もっと多くの場所をここと同じにしなければいけない。
そして、あいつの―――御陰勇太のあの厭らしい笑みを消さなければ―――。
「もっとだ―――もっとだ―――」
床に這いつくばり靄を掻き集める。
「あえっ?」
闇が―――靄が僕の体に纏はり付いてくる。心に侵入してくる。
「うっ―――うぅ―――」
取れない―――取れないよぅ―――。
「ぁあ―――うぁ―――」
呪われる―――僕が呪われちゃう。
「はぁ―――はぁ―――はぁ―――」
気持ちが―――いい……。
「ぁん―――はぁん―――ああ―――」
腐れちゃう―――心が―――。
「もっとぅ―――うはっ―――もっとぉ―――」
呪われろ―――呪われろ―――呪われろ―――。
たとえ腐れても、それが当たり前だと思えるほどに―――。
僕自身が呪われて―――僕が全てを呪ってやる。
「アハハハハハハ―――」
この心地よさ、みんなにも分けてあげるから。
シ―ケンス
呪うのが先か、呪われるのが先か―――。
快楽にのたうち回りながら深淵に落ちていく少年を、隣の棟の校舎から見下ろす視線があった。
「アハっ」
御陰勇太はその愛くるしい顔に不似合いな笑みを浮かべる。
「ヒロくん―――ボクがキミに付きまとうのはねぇ」
勇太は舌舐めずりをした。
「ヒロくんが呪われてるからだよ。ずうっと昔からね―――アハッ」
唇に付いたお気にいりのアイスでも拭うように。
その日の深夜。
御陰邸の住人はすでに寝静まっていた。ただ一人、御陰勇太を除いて。
勇太は電気を消した暗い自室で、パソコンに向かっていた。
『乾闥婆〉―――という話。どう?おもしろかった?』
『夜叉〉人を呪わば穴二つって奴?』
『天〉なんかそれダサくねぇ(笑)』
『乾闥婆〉ううん。ある意味では夜叉くんの云うとおりなんだ。ただ、順番が逆』
『天〉つまり人を呪う奴は端から呪われていると―――』
『乾闥婆〉そう。もっと大きく云えばこの世に呪われていない人なんていない。命が誕生した時点で赤ちゃんは母親に括られる。質や量はまちまちだけどね』
『緊那羅〉さすが乾闥婆さま☆サイコ〜』
『天〉ふ〜ん。そんなもんかね。まっいいけど、それよりなんで乾闥婆さまは祓ったりしたんだ?やっぱクラスメ―トは見捨てられない?』
『乾闥婆〉はは、手厳しいな。確かに趣味じゃないってのもあるけどね。ただ、まだ<金剛切り金剛>を見るにはヒロくんに分があったから。それに、量より質』
『緊那羅〉祓えば確実にそのヒロって子の心は軋むし呪いは進行する。乾闥婆さまはじっくり一つを育てて吟味するですね』
『乾闥婆〉そう。アハッ、やっぱ肉も果実も腐れ掛けが一番美味しいもんねぇ』
『天〉うわぁ〜エグ―――』
『乾闥婆〉アハッ、おやすみ』
勇太はそこでパソコンを閉じ、ベッドに身を沈めた。
「闇に染まりて闇を斬る呪われぼっち―――闇に染まりて闇を振り撒くヒロくん―――楽しいなぁ」
そして、陽気に歌を口ずさむ。
「そんなこと思うから今夜も眠れない♪てか」
つづく―――