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箱庭プリズナー  作者: 雨宮万里
本編
8/24

幼馴染は共犯者 - 2

 とはいえ、考えなしに家を出たところで、すぐに見つかり捕まってしまうだけだ。そう主張する涼に従い、ひとまず今夜は部屋に戻ることにした。

 涼の部屋の扉を閉めると、途端に静寂が久美を襲う。久美は眠りにつく前に水を飲もうと、坂田の部屋を通り過ぎて階段へ向かった。

 踊り場に設けられたガラス張りの窓から、雲に覆われた朧月が顔を覗かせる。微かな月光に照らし出された影は不安げに歩き出し、急かされるように階段を駆け下りた。


 十分に喉を潤し自室へ戻った久美はそのままベッドに横になったが、中々眠気は襲ってこない。彼女の凝り固まった脳は、一日分の記憶を抱え込んだまま睡眠することを許してくれないようだ。久美は眠る努力を諦め、先ほどの出来事を思い返した。

 思わぬところで協力者を得た。久美は涼が協力を申し出たとき、驚きながらも内心ほっとしていたのだ。幼馴染の色眼鏡を外して見ても、彼は頭の回転が早く有能だと断言できる。彼が味方に付くことになったのは嬉しい誤算だ。

 しかし、だからといって油断してはいけない。これが失敗したとき、久美自身はともかく涼がどうなるか、想像するだけで苦虫が口に入ってきたような気分になる。きっと隆志はこれを口実に彼を解雇させるのだろう。それだけはなんとしても避けなければならない。

 とにかく、万全の体制を整えなければ――久美は布団に包まれたまま目を固く閉じた。


  * * *


 張り詰めた緊張の中、放たれたナイフが風を切る。一直線に横切ったそれは一瞬の迷いもなく的に刺さった。

 しかし、ナイフは中央の円を僅かに逸れていた。それを視認した涼は溜め息を吐いて的まで歩き、ナイフを抜く。

 そのまま無言で手元のナイフを見つめていると、重い音と共に扉が開いた。涼は思わず顔を上げる。

「見ないと思ったら、こんなところにいたのか。何をやってんだ?」

 屈強な体はラフなシャツに包まれていても見て取れた。無駄のない引き締まった肉体は、実用性のみを意図して完成されたものだ。ホルスターには彼愛用の銃がささっている。

 練習ですよと涼が返すと、坂田は目を丸くし、不思議そうに尋ねた。

「なんでナイフの練習なんかしてるんだ?」

 自らの銃を取り出し、手入れをし始めた彼に、苦笑と共に言を投げる。

「たまにやりたくなるんですよ」

「ナイフも使い勝手がいいけどな、やっぱり俺はこれだな」

 坂田はそう言いながら、手入れの行き届いた銃身を撫でる。

「俺だって銃の方が好きですよ。ただ、銃は近距離戦に向いてないんで」

「お前、近距離戦をする都合でもあるのか?」

 気を抜いて話していると、つい言うべきでないことまで口にしてしまう。突然核心を突いた質問を投げ掛けられたが、涼は努めて平静を装った。大丈夫だ、まだ勘付かれたわけじゃない。

「お嬢様を近くで守れたらいいのに、と思ったんです」

 嘘ではない。公式の場で久美の近くにいることが出来るのは、ボディーガードと呼ぶのに相応しい男ばかりだ。彼らはナイフを体の一部のように扱い、巧みに不審者から彼女を守るのだ。

 射撃に特化している涼は久美とは離れた場所で不届き者を狙う必要がある。消音装置を付けているとはいえ、銃声が完全に消えるというわけではない。社長令嬢の隣からそんな音が聞こえたとあっては大問題だ。

「それならナイフの腕を磨くより体を鍛えないとな。大体、お前は射撃が得意なんだからそれを活かす方がいいと思うぞ」

 適材適所だと快活に笑う坂田を見ていると、たしかにそんな気もしてくる。涼はこんなことで悩んでいる自分が恥ずかしくなった。久美に頼られたことで必要以上の責任感を感じていたのかもしれない。

「そうですね」

 彼はナイフをしまい、銃を取り出して軽く握り直す。そしてそれもまたジャケットの内側にしまい込んだ。

「では、そろそろ失礼します」

 涼は来たときよりもずっと清々しい気持ちで射撃場を後にした。背後から聞こえる銃声はとても耳に心地よかった。


  * * *


 遠くで鳥が鳴いているのが聴こえる。ベッドの傍らから「起きてください」と言われているような気がして、久美は目を開いた。

 誰もいない。カーテンの向こう側から降り注ぐ日差しの明るさからすると、随分と寝てしまっていたらしい。

「あー……」

 大きく伸びをしてベッドから這い出る。寝ぼけた頭をはっきりさせようと洗面所に向かうと、既に先客がいた。

「今田さん、おはよう」

「おはようございます。社長出勤はご令嬢でも有効なんでしょうね」

 彼はこの家で最も新しく入った使用人で、久美にとっては最も心象の悪い相手だった。今田は表立って悪口を言うわけではないが、一人きりで会ったときには何かしら当て付けてくるのだ。最初は彼女もむっとして抗議したのだが、隆志いわく彼は有名大学の医学部出身で有能らしく、手元に置いておきたいのだと言っていた。納得はしかねたが、それ以上言うと涼の件について言及されると察し、諦めざるを得なかった。

 ただ、他の人の話を聞くうちにその態度が彼にとって自然なものだと理解してからは、今田の嫌味もさほど気にならなくなった。彼の左手にある指輪に気付いてからはなおさらだ。

 久美はにっこりと令嬢らしい笑みを浮かべた。

「私は無職だから心配ご無用よ」

「私はあなたと違い、親の脛はかじれないので羨ましい限りですよ。仕事がありますから、これにて失礼いたします」

 彼はすれ違いざまに久美に舌打ちをし、階段を上っていった。

 隆志は基本的に家で仕事をするという、社長の割りに珍しいスタンスをとっている。彼の手足となる社員は本社で働いているが、自身はそこから数百メートル離れた自宅で職務をこなしているのだ。一階がスカイルナの店舗でもある本社には百数十人が勤務している。

 久美は顔を洗い自室へ戻った。クローゼットからシンプルなワンピースを選び、薄い上着を羽織る。髪はあえて結ばない。

「いってきます」

 小さな声で呟き、久美はドアを開けた。その途端に太陽が玄関に差し込み、一瞬の目眩を感じ目を細める。そして、彼女は外へ出た。

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