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箱庭プリズナー  作者: 雨宮万里
本編
19/24

追憶と終焉 - 2

 靴がコンクリートを打つ音が響いた。脇に並んだ男たちの間を一人の男がゆっくりと歩く。

「父さん……」

 久美は呆然と呟く。

 日頃の彼を見慣れている者にとっては、今の彼の姿はひどいものだった。平生は綺麗に撫で付けられている髪は見る影もなく乱れ、家にいるときでさえ常に新品のように着こなされているスーツは皺だらけだ。しかし、そんな姿でも隆志の足取りは悠然としていた。

 上に立つ者は、いかなる状況でも余裕を失うことはない。その姿を部下に示すことこそが長としての責務なのだ。しかし、それはあくまで社長としての姿だ。彼の歩みは、今にも駆け出してしまいそうなのを抑えているかのように不自然な緩慢さがあった。

 隆志は縄で縛られ地面に転がされた久美を見るなり瞳の色を変えた。今田の元へと猛然と走り寄る。

「おい、これはどういうことなんだ!」

 冷静さをかなぐり捨てた隆志は今田に掴み掛かった。しかし、その背後に控えていた男たちは俊敏に動き、彼を羽交い締めにする。隆志は抵抗を諦めて腕の力を抜いたが、その目にはまだ反抗的な鋭さが残っている。

 切れ長の黒い瞳はそれを見下ろし、凍った憐憫の視線で目の前の男を貫いた。

「何も知らずに人を傷付けるのは幸せだったろうな?」

「どういうことだ」

「俺は、絵梨の恋人だった男だよ」

「……何?」

 射殺さんばかりに睨み付けていた隆志は、そこで初めて表情を変えた。訝しげな顔で今田を見つめる。

「お前、どこでその名を……あいつは」

「絵梨は死んだ!」

 彼の問いは悲鳴のような今田の叫びに破られた。その声の大きさにか内容にか、隆志は抵抗を忘れて瞠目する。その様子を見て今田は嘲るように笑い、話を続けた。

 朗々と語られた話は、先ほど久美が聞かされたものとほとんど同じだった。しかし、今田が隆志を前にしているせいか、彼の口調には抑えきれない憤懣の色があり、それは胸に迫って聞こえた。


 その間、久美はどうにか拘束を外せないかと奮闘していた。しかし、側には金髪の男をはじめとした今田の配下がいるため下手な動きはできず、縄を緩めることすら叶わなかった。身じろぎする度に麻縄の毛羽が肌をなぶり、痛みを伴う不快感に眉を顰める。

 今田の話が終わった。誰も口を開かない。周囲にいる男たちの衣擦れの音がいやに大きく聞こえる。

 隆志は数度何か言いかけたが、それは言葉にならない。そのまま今田のネクタイと地面へ視線を往復させ、静かに口を開いた。

「そうか……すまなかった」

「すまなかった、だと? それで全てなかったことにする気じゃないだろうな」

 その言葉に今田は声を荒げる。隆志は顔を上げ、淡々と告げた。

「言い訳をするつもりはない。だが、こんなことをしてどうなるかわかっているのか。お前がやっていることはれっきとした犯罪だ」

「後ろ盾はある」

 今田はちらりと後ろに視線をやる。彼と目が合った金髪の男が頷いた。

「その代紋は柳城会か」

 男の襟には柳を模した丸い模様が縫ってある。それを見て彼は軽く溜め息をついた。

「そうか、なら好きにするがいい」

 彼は怯えるような素振りも見せず手を広げた。その様子に今田の口が笑みの形に歪む。しかし、一歩踏み出した今田を見据えた隆志の瞳に嘆願の色が走った。

「だから、久美には手を出すな」

 今田はその台詞に一瞬動きを止めた。そして、ふっと笑い声を漏らす。

「こいつぁいいな」

 彼は堪え切れないといった様子で喉の奥でくつくつと笑い、隆志へと踏み出した足の向きを変えた。そして、側に転がる久美の後頭部を蹴る。死角からの不意の痛みに、久美の意識は一瞬遠のく。

「お前!」

 隆志は腕を振り切ろうとしたが、男たちの拘束はその程度ではびくともしない。そのまま、彼らは縄で隆志を縛り付ける。

「なら、お前にとって一番辛いのはこのお嬢様が痛め付けられることか」

 今田の口が弧を描く。彼はゆっくりと銃を取り出すと、身動きが取れない隆志に弾を撃ち込んだ。それは左太腿を直撃し、彼は声にならない叫びを上げて床の上で悶絶する。

「簡単に死なせると思うなよ」

 氷のように冷たい声が隆志を射る。今田は縄と痛みで動くことのできない隆志から視線を外すと、その背後に控える男たちへと顔を向けた。

「東野」

 その声に例の金髪の男が前に進み出た。派手なピアスがじゃらりと音を立てて揺れる。

「この女、好きにすればいいぞ」

 男はにたりと唇の端を吊り上げた。

「へえ、つまりそういうことですか」

「ああ。この男に見せつけてやれ」

 男は下卑た笑みで久美を一瞥した。その視線を受け、彼女の肩がびくりと弾む。

 今田は隆志の背後に回ると、その顔を久美の方向へ向けさせた。

「可愛い可愛い娘が傷物にされるのを、しっかりと目に焼き付けるんだな」

 今田は体を強張らせた隆志の耳元で囁く。金髪の男は久美の全身を舐めるように見つめた後、背後に並ぶ男たちの一人に視線を合わせた。

「おい!」

 手招きを受け、呼ばれたのは喫茶店で会った男だった。相変わらず髪にワックスを塗りたくり、耳にセンスのないピアスを付けた彼は、最初に見たときと同じように小物としか思えない。しかし、今の久美は手足が不自由な状態だ。

「お前、この女に恥をかかされたんだろう」

 あのときと同じようにパフェを食らわせるような真似はできない。

「お前に先陣を切らせてやる」

 そして、相手もそれをわかっている。

 久美を向いた男は相好を崩す。しかし、その笑みは下心に満ちた鄙野なものだった。

「やめろ!」

 隆志が何事か喚くが、久美の耳には届かない。彼女の頭を占めるのはゆっくりと近付いてくる茶髪の男だった。

 久美は思うように動かない四肢を動かしながら後ずさる。しかし、男はすぐに彼女との距離を詰めた。肩を掴むと床に押し倒し、足の上に跨る。上に乗った体を跳ね除けようと試みても、華奢な体躯を押さえ付ける強い力に抵抗はかなわない。

 男は口元をだらしなく緩ませてベルトに手を掛ける。男の局部を覆う布が彼女の太腿の上に掛かり、久美は足を固く閉じ合わせて目をつむった。男が冷たいコンクリートに手を付いた瞬間、風を切る音がした。

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