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一生の友達

作者: 獅々原サク

 靴箱を開けると、ガササッと手紙が落ちてきた。意味ありげな薄桃色のもの、可愛くハートのシールがつけられたもの、一方で業務的な茶色のもの――合わせて十は軽く越えるだろう。ため息混じりに鷲掴みながら、そっと靴箱を閉じて、階段へ向かう。気まぐれに封筒を選んで、段に足をかけながら開いた。

 ひらり、と封筒から滑り出てきたのは、印刷された写真である。写っていたのは、見知らぬ赤ん坊の死体であった。見るなり、すぐさま封筒に戻したが、内臓が引きずり出されていたような……。

(ネットから引っ張ってきたんだろうけど、こういう画像を一々用意するなんて、よく気が狂わないよねぇ……あぁ、元から狂ってるのかな)

 踊り場に設置されたゴミ箱に全ての封筒を捨てて、とりあえず第一関門突破。

 一定のリズムで階段を上がりながら、教室は一体どうなっているのだろうと考える。少しげっそりした。

 

 三階の、自分の教室に入る。教室の中にはちらほら人がいたが、みんな私を一瞥したきり、絶対にこちらを見ようとしなかった。クラスメイトのことはすぐに脳内から追い出し、真っ直ぐ教室を突っ切って、窓際の席に近づく。

(うわ、今日もひどいなー)

 机の上に黒いペンで、何やら言葉がたくさん書いてある。ブスだのデブだの、死ねだの、そんな言葉ならまだましだと思うのだが――いやそれも十分酷いけども――書き殴られている言葉はひどいと言うより、目も当てられないくらい下品だった。

(女子特有の下ネタというか……あぁいうのって、場合によっちゃ男子より下品だよねぇ)

 はぁぁ、と溜め息を吐きながら、持っていた鞄からスプレーを取り出す。臭いが比較的弱く、それでいて効果の高いスプレー。いくつか試しているうちに、このスプレーが一番良いことに気がついた。少しお値段が高いのが、玉に傷だ。

 しゅわーっとスプレーを吹きかけて、同じく鞄から取り出した布で威勢良く落書きを拭き取っていく。

(おーおー、綺麗にとれる綺麗にとれる)

 落書きされたストレスを落書きを消す事で解消する。何ともおかしな話だ。

(向こうは、落書きを消されたストレスを落書きすることで解消してるんだろうなぁ……)

 綺麗に拭き取れた後は、別の布で乾拭きして完了だ。

(第二関門突破……と)

 ざっと机の回りを確認したり、椅子をくまなく見てみたりしたが、他に変わった様子はない。

(今日はこれだけか)

 ほっとして息を漏らす。日によっては、まず机が教室になかったり、上靴が水浸しだったりするから、今日はずいぶん軽い方だ。

(今日は向こうも時間なかったのかな)

 犯行は先生の少ない、七時半過ぎ辺りまでに終わらせなければならない。学校が開くのが七時からだから、多くても使えるのは約三十分間だけだ。

(これだけのために無駄な早起きして……ご苦労様だよホント)

  一方でこちらが学校へ来るのは七時半過ぎ。先に述べた通り日にもよるが、大抵三十分も要らずに元の状態へ戻せる。自宅も比較的近いので、この作業が終わった後家と学校を往復する、なぁんて事をしても余裕で始業の時間に間に合うのだ。

(自分達が疲れるだけ、とか思わないのかなぁ)

 ちらっ、とクラスメイトを見渡す。

 見られても気付いてないのがただの傍観者で、身を竦めたり睨み返してきたり仲間内で笑っているのが加害者たちだ。後者の方が圧倒的に多い。

 私はさっと目をそらして、何気なく鞄から携帯を取り出した。

(メッセージ? ――ありさからだ)

『まゆ、今日寝坊しちゃいました……! ごめんね! 一時間目間に合うかわかんないよーっ』

 泣き顔の顔文字を見ながら、ふっと微笑んでしまう。

(珍しいね、頑張って間に合わせなよ……っと)

 適当に顔文字をクリックして送信する。あんまり可愛くないやつを選んでしまったが、まぁ仕方がない。

 携帯の電源を落とし、鞄の内ポケットへ滑り入れた。


                       *


「おはよ! いつもお待たせ、まゆ」

「おはよー」

「あら? 機嫌悪いの?」

「ありさぁー、ちょっと聞いてよ」

 むぅぅ、と頬を膨らませながら、ありさと共に学校へ歩き出す。

「お母さんが、あんたの成績が悪いのは携帯のせいだ、あんたは携帯依存症なんだ! ……って禁止令出してきやがったの」

「ふふっ、大変ね」

「笑い事じゃないよ! 私、別に携帯ばっかしてるわけじゃないし!」

「でも、目の下のクマ、ひどくない?」

 ありさは細い指を伸ばして、私の右目の下を軽く撫でた。

「夜更かしして、何のアプリやってるの? 今ウワサの、パズルゲーム?」

 首をかしげながら、彼女は白い歯を見せた。

「そんなのしてないもーん」

「どうだか。最近体調も優れない……ってこないだ言ってたわよね? 駄目よ、睡眠は大事なんだから」

「わかってるよ。ありさこそ、寝てるの?」

「ええ、ぐっすり」

「そりゃ良かった」

「良くないわよ、あなたもちゃんと寝なさいっ」

 言いながら、ありさは私の頬に指を弾いた。朝方で冷えた肌への刺激は、いつもより痛い。

 ヒリヒリする頬を押さえながら歩いている隣で、ありさはしばらく楽しそうに笑っていた。

 今日の朝ごはんは何を食べたとか、昨日のテレビは何が面白かっただとか、そういうたわいもない話をしているうちに、すぐ学校へ着いた。

 門で声を張り上げている先生に会釈しながら、昇降口にある靴箱へ向かう。

「そーいえば、あの先生、ありさに気があるらしいじゃん?」

「堂田先生? そんなわけないじゃない」

「隣のクラスの人が喋ってるの、こないだ聞いたんだ。気をつけなよ?」

「今のご時世、手出しなんて出来ないでしょ。ま、嫌われるよりは好かれた方がまし……ってことにしておくわ」

「美人は大変だねー」

 言いながら靴箱を開け、上靴を乱雑に取り出し、それを履きながら靴を放り入れる。ありさの方は爪先を扉側に向けながら靴を片付け、扉を閉めていた。

「今日、一時限目何だったかしら?」

「サイアクなことに数学でございます」

「あぁ、そうだったわね。あたしは数学好きだから、別にいいわよ」

 二人並んで階段に向かう。

 一定のリズムで段を上りながら、溜め息混じりに尋ねる。

「ありさ、嫌いな教科あるの?」

「えぇ、体育」

「……じゃ、何系統が好きなの?」

「座学かしら」

「こんな変人の隣歩きたくないよ!」

「失礼ね」

 言い合いながら、踊り場を通過する。一瞬、視界の端にゴミ箱が移ったが、そっとありさに視線を集中させて、無理矢理意識から追い出した。

 ありさは手すりを掴みながら、ぎゅうと眉を寄せていた。

「最近運動不足で、たった三階上がるだけでも疲れるのよね」

「椅子に座って勉強ばっかりしてるからだい」

「別にそんなことしてな――まゆ!」

 ――段を踏み外した。

 ぐらっ、と傾いた身体を、慌ててありさが支える。しかし彼女の細腕は、私の重みに耐えられなかった。恥ずかしながら、私はちょっと……ほんのちょーっとだけ、肉付きがいいから。

「いってててて……」

 三段ほど落ちて、踊り場に尻餅をついた。大慌てで降りてきたありさが、私の背中に手を回す。

「大丈夫!?」

「大丈夫、大丈夫……うー、久々にドジ踏んだぁ……」

「あなた、最近よくつまずいてるわ。寝不足で頭がしっかりしてないんじゃない?」

「違うって、私がドジなのは昔から!」

 すくっ、と立ち上がって見せるが、ヒリヒリと打ったところが痛い。

(アニメだったら、お尻が真っ赤っ赤に表現されてるに違いないよ……とほほ……)

「大丈夫? 歩ける?」

「歩けるよー、たった三段だもん」

「そう、よかった」

 ありさは花が咲いたように、ふわっと微笑んだ。うん、とても可愛い。その笑顔だけで元気が沸き起こってくると言うものだ。

「よし、今日も一日頑張るぞーっ」

「やだ、何いきなり張り切って」

「何でもない、はい、さっさと教室向かおーう! 数学の予習でもしちゃおっかなー!」

「急に機嫌良くなったわね……腰を打って目が覚めたのかしら」

「はいっはいっ、行こ行こっ」

 そしてありさを急かすようにして教室へ行き、自分の机に落ち着いて、気付いたらお昼休みだった。

 数学どころかホームルームの記憶さえないとご飯を食べながらありさに言うと、昼休み丸々、いかに睡眠が大事かの説明で潰れてしまった。


                        *


「お母さん、携帯返して! ありさに連絡するのっ!」

「お母さんがしておくから、あんたは寝てなさい。高熱なのよ、ほら、じっとして、ちゃんと寝なさい!」

「でも……ううう……」

 とほほ……じゃ済まないことである。

 昨日は散々ありさに説教されたので、夜九時に布団に入った。しかし、慣れない事をしたせいか、最早手遅れだったのか、朝起きた途端吐き気と頭痛に襲われた。そして、朦朧としながら熱を測ると、三十九度という驚異的な数字が出たのである。私は学校に行きたいと主張したが、母にベットに押し込まれてしまい、今に至る。


 ベットにぐったりと横になりながら、ギャアギャアと喚いてどうにか携帯を取り返そうと試みるが、このままじゃ多分無理だろう。

(動けたらなぁ……お母さんに飛び蹴りでも食らわせて奪い返すのになぁ……)

 飛び蹴りどころか、ちょっと寝返りを打っただけで泣きそうなくらいの頭痛がする。というか、だらしなく号泣している。

 流石に憐れみを覚えたのか、母も優しい言葉に切り換えて慰めてくれたが、携帯を持ってきてくれる様子は少しもない。

「お母さぁん……ありさに連絡したぁ……?」

「したわよ。今日は一人で行ってね、って」

「なん……行かせちゃ駄目でしょ! 私が連絡するから携帯返し――あいだだだだだ……っ」

 飛び起きようとするが、無理だった。

 あまりの頭痛にどわーーっと滝のように涙を流していると、ついに大きな溜め息を着いた母が、携帯を持ってきてくれた。

「連絡したら寝なさいよ、近所迷惑なんだから……」

「へい……」

 死にそうな返事を返しつつ、揺れる視界の中で急ぎありさの電話番号を打つ。電話帳から引きずり出してくる手段は頭の中になかった。今は、もう、シンプルな動きしか出来ない。

 聞き慣れた、プルルルルという音が聞こえる。それさえも頭痛を喚起している気がして、危うく携帯を投げ捨てそうになった。しかし、そもそも投げる体力もなかった。

「うー……頼むー間に合えー」

『……もしもし?』

「あっ、ありさ!?」

『まゆ? どうしたの? 今日は休むってお母さんから連絡は貰ったわよ。それより、凄い熱らしいわね。無理しないでしっかり休んでね。睡眠がいかに大事か、わかったでしょ?』

「……じゃなくて、ありさ。ありさも、ありさも休むでしょ? 今日」

『……』

「ずっとそうしてきたよね?」

『……あたし、行こうと思う』

「え」

『最近いじめに遭わないし、もう大丈夫だと思うの』

「ありさ……」

『多分、みんなあたしをいじめるのに飽きたんだわ。だから、きっと、大丈夫……ね、安心して? まゆ』

「……あの、違うの、ありさ」

『ごめんなさいまゆ、もう学校の近くなの。切るね。帰り、家寄るから……』

「待って、ありさ、待って」切れた。「待って! 行かないで! 学校に入らないで! ありさ! ありさ!」

 掌からスマフォが滑り落ちていく。

「……帰ってきて」

(お願い――)




 目が覚めた。いつのまにか、眠っていたらしい。身体を持ち上げるが、頭痛はしなかった。ほっとする。

「……起きた?」

「うわっ」

 慌てて見ると、私の椅子にありさが腰かけていた。

「気分はどう?」

「……朝よりは大分まし」

「そう、良かった。……聞いたわよ」

 ありさはゆっくり立ち上がった。

「あなた、毎日、朝早く学校へ行って、あたしに向けられた嫌がらせの痕跡を全部消してから、何事もなかったようにあたしとの待ち合わせ場所に来てるんですってね」

 自分の浮かべていた笑顔が、引きつるのがわかった。

「やだ、そんなこと、誰が言ったの……?」

「クラスの人たち。たくさんの。立ち竦んで動けなかったあたしに、そう言ったわ」

 ありさは首を振った。長く、黒い髪が弧を描く。

「馬鹿ねあたし。何がいじめは終わった、よ……あなたがこっそり助けててくれただけじゃない」

「違うよ、ありさ。私がそんな事するわけないじゃん。嘘だよ、それ、嘘嘘」

「嘘のことと本当のことくらい、あたしにもわかるわ」

「……」

「――二度としないでいいから」

「え?」

 ありさはそっぽを向いていた。白い頬しか、私には見えなかった。

「二度とやらないで。いい?」

「あり……」

「もうあたしを助けないでいいの――あたしに関わらないで!」

 雷に打たれたようだった。

「ありさ……」

「帰るわ」

「ありさ、待って、どうして怒ってるの? それだけでも聞かせて? ありさ?」

「……」

「ありさ!」

「気持ち悪いのよ!」

 今にも出ていこうと背中を向けていたありさが、唐突に振り返った。その両眼に、今にも溢れ落ちそうなほど雫が溜まっているのが見えた。

「何が携帯依存よ! あなた、あたしに依存してるんじゃない!? 小さい頃から、いつでもあたし優先で――気持ち悪いの! あんたは親じゃないしあたしも子供じゃない。あんたはただの――赤の他人でしょうが!」

「あ……」

 ありさは扉を開けた。

「さよなら、まゆ。絶交しましょう」

 そして、扉は勢い良く閉められた。

 手を伸ばす。閉められた扉へと、その先へ消えた人へと、手を伸ばす。

「……りさ」

 しかし、伸ばした手を掴む人はいない。

 宙ぶらりんになった手を引っ込めて、そのまま両手の平で顔を覆った。

(私、どこで間違えたんだろう――)


                         *



「う」

 靴箱を開けると大量の手紙が落ちてきた。まゆに二度とするなと告げた日から、どんどん量が増している気がする。あの日からもう一週間がたった。まゆは、あれきり学校へ来ていない。

(ちょっと言い過ぎたかな……弱っているところだったのに……)

 上靴を抜き出そうとして、手が止まる。踵がこちらを向いているのだ。

(……あたしはこんな入れ方しないわ)

 恐る恐る引き出すと、上靴の奥に画鋲が入っているのが見えた。大きく息を吐き出しながら、靴をひっくり返してその場に落としきる。

(古典的だけど、残酷ね……)

 手紙を抱えたまま、階段に向かう。

 踊り場のゴミ箱に全て捨ててしまって、またそこで一息吐いた。あの日から、ずっと溜め息の数が増えた。

 上がりたくない、帰りたい……足が重い。一歩踏み外せば泣き出しそうな心をぐっと堪え、平常を装って階段を上る。

 教室に入ると、珍しく、自分の机が正しい位置に置いてあった。

(戻すのも大変だけど、動かすのも大変でしょうしね……あら?)

 机の上に異物が見える。

 今日はどんな嫌がらせがしてあるのか、色々予想しながら近付いていって――そのどれもが見事に外れた。

「何よこれ……」

 雀の死体。

 真ん中を杭で刺され、机に固定されている。

 よく見ると、近くに落書きもあった。

 『ありさ』と、雀に向かってやじるしが描かれている。

(――残酷にも程があるわ……)

 肩から鞄が滑り落ちた。

 落書きがよく落ちると評判なスプレーを買った。手頃で清潔な布もたくさん用意した。ゴミをまとめて捨てるための袋もある。軍手も、本当に小型のゴミばさみもある。机を彫られたときの応急措置に、瞬間接着剤も筆箱に入れてきた。それからそれからそれから――頭が真っ白になる。

(この可哀想な雀をどうしたらいいの……)

 鞄がずっしりと重くなるくらい道具を詰めてきて、やっと嫌がらせに完璧な対応が出来ると思ったのに、それらは何の役にも立たなかった。いかなることをされても平然と対処しようと決意して家を出たのに、こんな雀一匹で、あたしは動けなくなっている。

(ゴミ箱に――捨てるの? 紙や空き缶とかと、おんなじように? 雀の死体を? この可哀想な雀を?) 

 そんなことをして、いいわけがなかった。とある命を、弄んだ挙句に、ゴミ箱に捨てるだなんてことを。

(でもそうするしかない)

 膝を床に着く。絶望したわけではない。床に落ちた鞄から、軍手を取り出した。素早く装着して、立ち上がろうとした――立てなかった。両膝に力を入れた。しかし、どちらの膝も楽しそうにブルブル震えるだけだった。

(やだ)

 立ち上がれば、雀の死体をもう一度見ることになるから。

 理性は仕方ないと訴えかけてくるのに、本能は首を振っていた。

(立ちなさいありさ……釘を引き抜いて、雀を布でくるんで、ゴミ箱に捨てるのよ)

 じわ、と涙が溢れた。

(私のせいで死んだ雀を、ゴミとして捨てなさい、ありさ)

 瞬きをして、手の甲を瞼に押し付けて、何とか涙腺を押し止めようとする。

(私こそ布でくるまれてゴミ箱に捨てられるべきね)

 しゃくりあげそうになるのを、すんででこらえる。クラスメイトの視線が、自分の背中に突き刺さっているのがわかった。

(泣くな――泣くな!! 泣くのだけはやめろ!!)

 首を振って、何でもないふりをして、立ち上がろうとした。

 しかし、上手く力が入らない。身体全体が笑っている。

 情けなく後ろへひっくり返りそうになって――誰かが背中をそっと支えてくれた。

「え……」

「これはひどいね……」

 懐かしい声だった。

 振り返ると、まゆが私の肩口から顔を覗かせていた。危うく額がぶつかりそうになって、お互い仰け反りあう。

「ま、まゆ…!?」

「あはは……久しぶり、ありさ」

「久しぶり……だけど、そうじゃなくてっ」

「可哀想な雀だね」

 まゆはそう言って、静かに手を合わせた。それから、鞄の中から布を取りだし、おもむろに釘を引き抜くと、雀を布越しに持ち上げた。そして、丁寧に包み込む。

「埋めてくるね」

「埋めて……?」

「その間、ありさは机綺麗に拭いておいて。分担しなきゃ、ホームルームに間に合いそうにない。ほら、早く!」

「へ、ちょっと待って……」

「早くってば! わかった?」

「え、えぇ!」

 まゆはパタパタと走って教室を出ていった。言われたままに机を拭きながら、遠くの方で置き去りにされていた思考がゆっくり追い付いてくるのがわかった。

(まゆ……)

 ぽろぽろ、と押さえ込んでいた涙が溢れ出す。

 机の汚れを拭いているのか、机に落ちた涙を拭いているのかわからないまま手を動かしていると、まゆがいつのまにか帰ってきていた。

 しかし、お互いに何を言えばいいかわからなかった。

 あたしは使い終わった布をゴミ箱へ捨て、廊下に出て手を洗い、それからまた教室へ戻った。

 自分の机へ向かおうと思っていたのだが、教室に一歩踏み入れた途端、まゆが目の前へ飛び出してきた。

「……ありさ」

 まゆの真っ直ぐな眼があたしを見ている。

「……」

「私、間違ってた。一週間、ずっと考えたよ」

「……まゆ」

「睡眠はやっぱり大事だと思う」

「……」

「……」

「……そんなことを考えてたの?」

「冗談冗談!」

 まゆはパッとあたしの両肩を掴んで、うんうんと何度も首を振った。

 その誤魔化し方を見ていると、何だか腹の底がむず痒くなってきて、あたしはよくわからないままに頬を緩ませていた。

「で、本当は何を考えてたの?」

「私、ありさに依存していたなぁって」

 ちょうど扉の前にいると入ってくる人の邪魔になるので、あたしたちはそのまま、まゆの席まで移動した。

「ありさにガツンと言われて、ハッとしたの。私、ありさを裏からこっそり助けることで、優越感を得てたのかもしれない」

「まゆ……」

「信じたくないけど。自分がそんな醜い人間だって」

「まゆ、あのね、あたしがあの場で言ったことは、全部……」

「わかってる、ありさは優しいから」まゆは両手を顔の前で振った。「でも私はハッとしたんだよ」

「……」

「だから、じゃあもう、ありさを助けるのは止めよう、って思った」

 あたしは息を詰めた。

 真っ直ぐあたしを見ていたまゆが、少しずつ俯いていく。

 そして、ぽろり、と雫を零した。

「でも、私、ありさが一人で苦しんでる姿、見たくない、って思って」

「まゆ……」

「だから……だから、私、ありさと一緒に頑張りたいの」

 まゆはごしごしと両手で眼を乱暴に拭いている。それでも、涙はおさまらないようだった。

「ありさに言われて、自分の正しい気持ちにちゃんと気付けた。ありがとう……って言うのもおかしいけど」

「……」

「ありさ。私、ありさが傷つくのを見ているだけはイヤ。イヤだから、私は私のために、ありさを助けたい。ちゃんと、目の前で、ありさと一緒に、ありさを助けたいの。それが私の助けにもなるの」

 まゆは両手で顔を覆った。

「お願い、助けさせて、ありさ」

 視界が歪んだ。

 かぁっと目頭が熱くなる。

「まゆ」

 両腕を広げて、まゆを抱き締めた――強く。

「ありがとう、ありがとう、まゆ」

「ありさ……」

 まゆが戸惑いながら、それでも強く、抱き締め返してくれた。

「あなたみたいな友達に出会えて、本当に良かった……」

 まゆを抱き締めながら、そっと瞼を閉じる。

 彼女の優しい体温が、私を包んでいた。

「私こそ」まゆの、泣いているような笑い声が聞こえた。「ありさの傍に居れて、嬉しい」

 彼女は自分の、一生の友達になるだろう――あたしはそう直感した。

2013年書き納め!

ギリギリです!

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