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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 ライオット
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ギーネの世界 

 数学的思考に優れた人間には、時々ある癖ではあるが、ギーネ・アルテミスの目にも、世界が普段と全く違う姿で映る時がある。

 世界は、数学と物理で組み立てられた情報の結晶で、意志と時間が左右する揺らぎの螺旋。色と音が織りなす幻影と幻想の空間であった。

 ギーネの脳内宇宙には膨大で多角的な思考が落ち重なって存在していて、それがギーネ・アルテミスという矮小な物質に宿っている。

 両方ともギーネ・アルテミスであり、融合した人格がギーネ・アルテミスなのかも知れない。

 自分は何者なのか。なにをもって定義するべきなのか。そんなどうでもいい思考に耽るのがギーネは好きだった。


 3年前、ギーネさんが革命軍に負ける要因は殆どなかった。にも拘らず、革命軍は、針の糸を通すような幸運を積み重ねて、帝國東方総軍を打ち破った。

 幸運?本当に?

 拉致、誘拐、拷問、買収、脅迫、洗脳、背乗り、浸透、偽旗作戦、人身売買、少年兵、バイオテロ。

 連中は権力を奪う為なら、手段を択ばなかった。

 そして私には甘さがあった。いかに共和主義者といえども、人類を捕食寄生する異界起源生命体と戦っているさなかに、帝國軍の背中を刺しはすまいと無意識のうちに考えていた。

 結果が、アルテミス侯国および東部中央域の失陥と数十万の犠牲であった。

 そして恐らく、帝國東部はこれから未曽有の混乱に巻き込まれ、その幾千倍もの犠牲者が出るかも知れない。

 いや、わたしだけの責任ではないな。思い込みとは恐いものだ。他の諸侯や領民たちも、人類種絶対家畜にするマンとの戦闘中に背中を撃たれることはないと考えていた。

 例え、共和主義者や資本主義者であっても、新参者であっても、人類共通の脅威である【ゾーン】に対する危機感は共有しているというのが常識だった。

 が、比較的、最近。正確には200年ほど前にアスガルドにやってきたリガルテ人の母世界には、人類はおやつ種族が存在していなかったらしい。少し、いや、かなり羨ましいことである。そんなリガルテ人は、母星では君主制諸国と厳しく対立していたらしく、彼らにとって封建制こそが唾棄すべき悪だったんだよ!な、なんだってー!?なんてオチは、流石にギーネさんも想像つきませんでしたのだ。イデオロギーが違うだけでそこまでやるなんて分かる訳ないのだ。分析を怠ったけど、そもそも帝國軍にはやるべきことは幾らでもあったし、後手に回って全てが崩れ去ったけど、これは狂ったわんわんに噛まれたようなものなのだ。仕方ないのだ。けしてギーネさんに責任がある訳ではないのだ。なので、辞任は考えておりませんのだ。より一層、職務(?)に精励することで責任を取りたいと思ってますのだ。


 兎も角も、連中は私を打ち破った。私は負ける筈のない戦いに負けてしまった。イスカンダルに敗れたダレイオス3世王のように歴史上では間抜けな敵役として語り継がれるだろうか。うぅ、いやなのだ。

 アスガルドを舞台に共和主義者がSLGゲームでも作ったら、序盤チュートリアルの敵役ですよ。きっと。

 癪に障るし、評価は二分されるだろうが、歴史上では革命軍を英雄とみる者たちも出るだろう。

 でも英雄?あやつらが?はて、英雄とはなんだ?

 善も悪も、決定的要因ではない。善悪など、立場によって異なる。

 人類の集合意識の必然?否。

 社会的条件が整った瞬間に居合わせた単なる代表者?留保。

 意志の特異点だろうか?或いは、無数に枝分かれしたただの結果?

 分からない。答えなんかないのか?特異点は存在しているだろう。多分、きっと。

 ギーネさんは脳内宇宙から知識を引き出せるし、より拡大・発達させることも出来るけれども、これは特異点とは少し違う気がしますのだ。

 それだけなら、ただ頭がいいだけです。高性能コンピューターとさして変わらない。

 ティアマット社会のサンプル解析は、ある程度、目途がつきましたのだ。

 時間の経過とともに、我が意志の及ぶ範囲を拡大させることが出来る可能性は高いですぞ。


 人の意志の力を知りたいのだろうか?

 私は、どうして帝都に向かわなかった。

 自分でもよく分からないのだ。

 なにを考えて、廃棄世界に逃げ込んだのだろう。

 危険を冒して、何故こんな辺境の片隅の廃墟で人間の屑たちと殺し合っているのだろう。

 敗れて、脳内宇宙が失われる可能性も、捕まってくっ殺される可能性もあるのに。

 四肢切断と化されたり、脳味噌爆弾に変えられたら、流石に詰んでしまうかも知れないのに何故、意地を張ってこんな冷や汗掻いて戦っているのだ?

 わたしはもう亡霊なのだろうか?


 データー全体を俯瞰して適切な戦略を取りつつも、百戦錬磨なギーネは、想定外のことも起こりうると知っている。予想を超えてくる敵は常に存在しうる。データーが間違っていることや、欺瞞や隠ぺいに引っかかっているかも知れない。想定をはるかに超えた戦力や卓越した戦術家、幸運が味方した人物には敗れることも当然に有りうる。

 それでもギーネは戦闘を続行していた。自分でも理解できない理由によって。今も戦い続けている。



 脇腹からの出血は止まる様相を見せない。

 投石器の弾は腹部を斜めに貫通したのだろう。フォコンは、掌で左の後背を抑える。

 ぬるりと指先が濡れた感覚に、大きくため息をついた。


「……銃か。いや、音がしなかった。投石器。あんな代物でなぁ」

 それだけ呟いた。

 隣りで頭蓋を打ち砕かれたマスケット持ちの青年が崩れ落ちた。

 まるで防ごうとするかのように顔の前に掌を掲げた中年女の指がはじけ飛んだ。


 フォコンは、苦笑いを浮かべて、投石器を振り回しているギーネ・アルテミスを見た。

 仲間たちは、既に銃を狙って当てられる状態ではない。


 威力のでかい投石器へと切り替えている。此れほど卓越した投石器の使い手には、出会ったことがなかった。砂漠の何処かに、投石器を使う盗賊たちがいて恐れられていると聞いたことがある。たかが石ころと馬鹿にしたが、なるほど。普通に人体を貫通してくるとは思わなかった。砂漠の野党どもとギーネ・アルテミス。どちらが上だろうか。


「撤退しろ!」

「開かない!」

「どけ!」

 背後で銃口が鳴り響いた。

「……!溶接されてる!」

 叫んだハンターが崩れ落ちる。

 首を鉛の円錐弾が貫通していた。

 どこに受けても、体にめり込む。恐ろしい威力だった。


 死に物狂いの表情を浮かべ、必死になって非常口にバットを叩きつける仲間を見ながら、フォコンは苦笑した。次いでギーネをじっと眺める。


誘い込まれていたわけか……誘導して。俺たちを必殺の交戦地点まで誘導して。最初から……

腹を抑えたまま、フォコンは膝をついた。穏やかな笑みを浮かべている。

視界の先のギーネを、まるで眩しいものを見つめるかのように目を眇めて仰ぎ見ていた。


戦場を設定して……なるほどな。まいったね。世の中、凄い奴がいるもんだ。

……素人じゃ勝てないな。プロの軍人ってのは、こんな

 レンジャーみたいだな。とフォコンは思った。

 ずっと不思議に思っていたのだ。大して変わらない装備でありながら、レンジャーたちは怪我人も出さずに、強力な火器で武装した略奪者どもをあっさりと片付けてのける。無学な自分には理解も出来なかったその強さの秘密に、一端ではあるが確かに触れたと確信を覚える。


 指先が冷たくなってきた。視界が闇に包まれる中、フォコンは笑った。

 ここまで徹底して……次に戦うときがあれば……俺もまだ……学べ


「死体を積み上げろ。防壁にするんだ!」

 ハンターたちの切り替えと判断の速さは驚くべき程だった。

 判断に当たっての柔軟性。手持ちの札から最適解を導き、非情に徹して素早く対処する冷静さは、賞賛されてしかるべきかもしれない。

 しかし、結果としてみれば、それは彼らの破滅を僅かに先送りにする程度の効果しかなかった。


 ハンターたちが死体を積み上げ始めると、まだまだ有効であったにも拘らず、ギーネは紐付き投石器をあっさりと手放した。

 其の儘、土嚢に立てかけておいた斧を手に取った。防災用具の頑丈な斧をしっかりと握りしめると、鼻歌を歌いながら、生き残りのハンターたち目掛けて疾走を開始する。


「……接近戦を挑んでくるつもりか!」

 いち早く気づいたのは、赤毛をポニーテールに結んだ若い娘だった。

 既に本来の持ち主が絶命したマスケット銃を構えて、しかし、すぐには発射せずに待ち構える。

「来い!相手になってやる!」


 駆けてくるギーネを慎重に狙うポニーテール娘の額を一筋の汗が流れ落ちた。

(空中で狙う!回避できるなら、やってみろ!)

 ギーネ・アルテミスの異常なまでの運動能力からして、真正面からの一撃は回避されかねない。

 それ程の怪物であった。故に亀裂を飛び越えようと、飛び跳ねたその瞬間を狙う。

 ハンターたちの移動を制約した亀裂が、今度はギーネ・アルテミスの行動を縛るのだ。


 ギーネの運動は狙撃手の想定をはるかに越えていた。

 ゴム毬のように斜めに跳んだ直後、壁を蹴り、反転した姿勢で天井を足場に加速、軌道修正してから娘の目前に着地した。


「……え?」

 想定を越えた運動能力からの、想定以上の速度と予想外の機動は、完全に射撃のタイミングを逸してしまう。


「……は?」

 戦闘中にも拘らず、硬直してしまう。ほんの一瞬であったが、至近のギーネは勿論、その意識の空白に遠慮なく付け込んだ。

 予想外の機動を取ったギーネが腕を一振りしてすれ違う。振り向こうとした若きハンターは、鮮血を吹き出し、胸から腹までを切り裂かれた傷口から臓腑をまき散らして崩れ落ちる。


 バットを片手に飛び掛かった大男が、打撃を斧で弾かれる。

 ここで仕留めなければ、もはや後がない。そうと悟ったのか。間髪入れず、槍を持った女が鋭い突きを放つが、腕を斬られた。僅かに怯んだ瞬間、喉を狙って斧がうなりを上げるが、鉄パイプを持った仲間がカバーに入って攻撃を凌いだ。


 数に有利の白兵戦で、しかし、ハンターたちは押されていた。運動の基となる身体能力が桁違いだった。人の形はしていても、野生動物でさえ不可能であろう異様な機動と身体制御が、まるで理不尽な刃の嵐となってハンターたちを蹂躙した。

 途切れることなく攻撃を繰り出しながら、ギーネ・アルテミスは、まるで息切れの様子を見せない。常人の倍近い膂力となにより雷のような反射神経から繰り出される致命的な速度の鉄の刃は、軽く見えても深々と手足を抉る。本気を出せば、人間の腕くらいは容易く切断してなお止まらない。繰り出される一撃一撃が致命的なのは、ギーネ・アルテミスの技術の熟練以上に、牽制やフェイントを行う必要もないほどに、白兵戦での力量の差が大きかったからでもある。


 咥えて、ハンターたちの肉体は疲労の蓄積によって反応速度が劣化し、恐怖と混乱によって頭脳の性能は大幅に低下している。はじめは武器とそれを握る腕を傷つけ、出血で消耗を促し、次いで太い血管を攻撃し始める。一度、均衡が崩れ始めれば、後は早かった。絶叫と悲鳴。床に血と肉と骨と臓腑がシャワーのようにまき散らされる。


 列強の兵士を恐怖させてきた帝國騎士の真価を、ハンターたちは、今まさに目の当たりにしようとしていた。


ギーネ・アルテミスが美しい声で歌いだした。殺戮にはまるで不似合いな美しい旋律が廊下に響き渡った。


 イスカンダルか、ヘラクレス。

 ヘクトル、或いはリュサンダル。

 史上に勇者は数あれど、擲弾兵は比類なし

 擲弾兵は比類なし


 昔の勇者は大砲知らぬ。

 全て砕きし火薬を知らぬ。

 擲弾兵は恐れを知らぬ。

 大砲恐れぬ擲弾兵。

 いざ、呼びかけよ

 恐れを知らぬ擲弾兵


 防塁砕けと命令下し

 先陣切って隊長進む、

 擲弾持って勇士ら従う。

 擲弾投げて敵怯ませよ!

 さあ、呼びかけよ

 恐れを知らぬ擲弾兵


 古代地球は英国擲弾兵の歌だった。


(オリジナルは著作権消滅)

(※作者のかなりいい加減な意訳)



1 閉所に誘導し、敵戦力の撤退と機動を封じた。

2 精密さと速射に優れたスリングショットで敵の火力投射能力の精度へ打撃を与える。

3 敵の火力投射能力を一定値無力化してから、打撃力の大きな投石器へと武装変更。

4 敵個体のうち、勇敢ならびに近接要警戒な個体を無力化。

5 心理的衝撃によって敵に思考麻痺が発生。間髪入れずに近接戦闘に移行。混乱及び恐慌に陥った敵を 立ち直らせず、波及している敵を一気に殲滅する。


 何故、不利に陥ったか。何故、負けているのか。

 この期に及んでも、ハンターたちには理解できなかった。

 幾人かは、誘導されたことを薄々、理解している。当たりにくい場所に陣取られて撃ち合った際、多少の手傷を与えられた。投石器で数名が死傷したのは確かに痛かったが、まだ戦える。その筈だった。

 その後、白兵戦に突入してから、突然に流れが変わったようにしか思えない。

 強力な火器であるマスケットが四丁。クロスボウもあるし、手斧やマチェット、槍の使い手もいる。

 撃ち合いでも白兵戦でも負ける筈が無いのに、現実は一方的な殲滅戦。兎のように狩られている。

 理不尽だと絶叫し、絶望しながら、ハンターたちはなぎ倒されていった。

 想定外の事態が多すぎて対応できない。初見殺しの罠と戦術、能力に対して、為す術無く命を散らしていく。

 対してギーネは、敵の有利な要素を解析し、逃げ惑いながら戦力と戦術傾向を分析していた。

 一つ一つは対処するのも不可能ではない簡単な罠を連動して発動させ、自らの有利な条件を有機的に繋げることで、多重の致命的な死の鎖を作り上げ、詰将棋のように戦力の差をあっさりとひっくり返した。


 火力にしろ、白兵にしろ、ハンターたちが真正面から戦えば、十分に勝算はあった。

 が、ギーネは端からまともな勝負に付き合うつもりなど欠片もない。


 14階西棟廊下以外にも、有利な交戦地点は複数設置してあった。

 仮に現戦場で不利な状況に陥り、身体能力が損なわれても、安全な退路は確保してある。

 ギーネの見えている世界。脳裏に広がるホテル・ユニヴァースの俯瞰図では、回廊や廊下、階段の一つ一つに無数の書き込みがなされている。

 数多の罠が有機的に連動して、分析された敵戦力を無力化する幾万、幾億、幾兆の作戦を瞬時に組み立てられる。

 同じ光景を見ていても、拾っている情報が違う。見えている世界が違う。費やした時間とそれに伴う『蓄積された情報と思考』が違う。戦術のパターン数が違いすぎる。


 一定以上に発達した人間社会と動物の群れが争いにならないのと同義で、ギーネ・アルテミスとハンターたちでは闘争にならない。

 準備した戦場で、同程度の敵戦力。初見であれば、仮に百回戦ってもギーネは勝てる自信があった。

 数千年に渡って異星種族と凄惨な闘争を繰り返してきた戦士貴族の待ち受ける拠点に、時間を与えてから普通の人間がのこのこ乗り込んだ時点で、勝ち目は万に一つもなかったのだ。

 武装の強力さも、人数も、有機的に活かさなければ大した意味を成さない。

 それらは決定的な要因ではなく、意志の統一と明確な戦略を欠き、心理的状態が数を頼んで勝利を確信するような慢心した時点で、逆転の条件は既に整っていたのだ。


「ジル!マリー!助太刀してくれ!」

 仲間の一人が叫んでいたが、皆殺しも時間の問題だと、ジルは見て取った。

 助けるどころではない。妹のマリーは、歯の根も合わないほどに怯えている。

 生意気盛りな妹であるが、まだまだ子供っぽいところも残っている。

 こんな地獄に連れてくるのではなかった。微かに後悔を覚えつつ、妹の腕を掴んだジルは周囲を見回した。

 降伏は無意味だろう。許されるとは思えない。愚連隊に一方的に賞金を懸けられ、追い掛け回されたのだ。ジルであれば、許さない。

 鉄の防火壁はジルの手持ちでは破れない。回廊の両脇には、ホテルの部屋が並んでいる。

 手ごろなドアの一つの前に立ち止まってから、ジルは壁に備え付けられていた斧を構えた。

 全力でドアに叩きつける。扉は鉄製だった。ろくに傷つかない。斧では無理だ。

 妹のすすり泣く声が聞こえた。歯を食いしばったジルは、床に転がっているマスケットを拾い上げて、見様見真似で装填しようとする。

「……火薬。火薬は?それから弾を」

 古い映画で見たようにドアノブに向かってぶっ放すと、跳ね返った破片が顔に少し突き刺さった。

 ドアノブを見る。ねじ曲がって内部機構が露出している。あと少しで取れそうだった。

「間に合え!……間に合って!」

 祈るような気持ちで銃床を叩きつけているが、壊れそうにない。

 もう一度、マスケットを装填し始めるが、仲間たちの悲鳴と叫び声が恐怖に濁った絶叫に変わりつつあった。

 もう長くは持たない。あの化け物が此方へとやってくる。

 狙いもつけずにぶっ放し、ドアノブまるごと吹っ飛ばした。


「入って!早く!」

 カルカで弾込めをしながら、妹に向かって叫んだ。


 仲間たち。ハンターたちの僅かな生き残りが満身創痍で転がり込むようにして後退してきた。

 歌を口ずさみながら歩み寄ってくる女に、ジルは銃口で突きつけた。至近距離で発砲。


 ギーネ・アルテミスは、あっさりとマスケットを躱してのけた。

「only human」

 訳の分からない言葉を楽しげに呟いたギーネ・アルテミスが人差し指を一本立てて、ゆっくりと左右に振った。

「お気の毒ですが、たった1丁のマスケットでは、帝國騎士には通じませんのだ。銃口と射角から、躱すのは容易ですぞ」


「……化け物!化け物が!畜生!」

 吐き捨ててジルは後退った。ギーネは移動中も、戦闘中も、自身を狙える狙撃可能な位置を全て把握していた。視界の端から『オウル』に狙撃された時も、射角から軌道を割り出し、最適な位置に移動して躱してのけている。

 複数の銃口の十字射撃に対して回避となると急激に難易度が上昇するが、たった一丁であれば、容易に回避可能であった。


 いずれにしても、ギーネと同じ空間で、逃げ場が塞がれたジルが詰んでいるという事だけは確実だった。

 仲間を見捨て、背中を見せてジルは駆けだした。背後で絶叫。断末魔の悲鳴が上がった。苦悶のうめき声。それもすぐに消える。


「お姉ちゃん!恐いよ!お姉ちゃん!」

 廊下に蹲ったマリーが泣き叫んでいた。

「馬鹿!足手まとい!立ち上がりなさい。立て!」

 マリーの手を掴んで部屋に駆け込み、扉を閉めると傍らにあった小さな棚や椅子を無理矢理に倒して、後退った。


 幸いというべきか。扉の内側には、ドアノブとは別にロック機能がついていた。

 急いでロックする。一瞬遅れてドアがガタガタと揺れたが、流石にロックされては手も足も出ないようだ。

 荒い息で食い入るようにドアを見つめていたジルも、ため息をついて髪をかき上げた。

「助かった……けど、此処からどうやって逃げ出すかな」

 呟いた次の瞬間、

「北欧神拳!カイザーパンチ!」

 轟音と共に鉄製の扉が一撃でへこんだ。

 冗談のような光景を目にして、ジルの目がピンポン玉のようにひん剥かれた。

 が、鉄の扉は持ちこたえた。


「いたた。ギーネさんの高貴なる拳が!む、無機物の分際で生意気な!」

 何か叫んでいるが、追撃の来る様子はない。破れないことで諦めたか。そう思った瞬間、まるでマシンガンの連打のように凄まじい勢いで連続してドアに衝撃が叩きつけられ始めた。


 部屋の中央で硬直したマリーが、手元に握ったマスケットの銃口を自分に向けようとして、姉に頬を張り飛ばされた。

 ベッドのシーツを切り裂きながら、ジルは妹を叱り飛ばした。

「結ぶ!急いで!結ぶの!」

 見る見るうちに鉄製のドアがひしゃげ、亀裂が入った。

 ホラー映画の登場人物のように、背後でマリーが恐怖に絶叫する。


 即席のロープを備え付けの机の足に固定してからジルは叫んだ。

「行って!下の階にはやく!」

 縄を伝い、窓から下の階へと向かった妹を見届けてから、ドアに向き直り、ジルは銃を構えた。

 マスケットを躱す怪物だ。クロスボウが当たっても倒せるとは限らない。


 亀裂から紫の瞳がのぞいた。間髪入れず、最高に集中していたジルは銃をぶっ放した。

 確かに当たった。目が砕け散った。

 が、亀裂から、再び紫の瞳がのぞき込んで、細められた。

「効いてない?!」叫ぶジル。

 実際には、手鏡を使ってドアの亀裂から内部を窺ったギーネが、歌うように囁いた。

「銃は全部で4丁。廊下に3丁」

 生まれた亀裂に指が差し込まれ、恐ろしい力でメリメリと穴を広げていく。

 薄い鉄板を組み立てた中空のスチールドアとは言え、信じがたい身体能力であった。

 笑顔がのぞいた。

「……シャイニング」

 訳の分からないことを呟きながら、ひしゃげたドアの穴から顔を出すギーネ・アルテミス。

 ジルは無言で睨みつけている。

「……ジャック・ニコルソン。知らない?」

 反応がないので困ったように繰り返した。


 次弾を装填しようと火薬を取り出した瞬間、重量のある鉄製の扉が轟音と共に、一瞬で突っ込んできた。扉を掴んだギーネが鉄の扉ごと勢いよくジルへと向かってきたのだ。

 一瞬の判断。マスケットを投げ捨てながら、ジルは窓の外へと飛び出した。

 僅かに遅れて、窓枠に鉄の扉が叩きつけられ、外れた窓枠が粉砕されながら空中に飛び散った。


「むう、逃がしたのだ」

 窓に歩み寄った帝國貴族は、そっと外を眺めてから口元を歪めた。 

「運がいい奴。偶々、真下はバルコニーでしたか」

 呟いてから、いや、運ではないかと思い直した。

「いや、迷いがなかった。あらかじめ見取り図を?あるいは、外部から外観を観察していたか?」

 目測を一歩間違えれば、地上へ真っ逆さまだが、いい度胸をしている。

「いずれにしても、現地人ハンターの実力を測ることも出来ましたのだ。中々に興味深いものを見せてもらいましたぞ」

 呟いてからドアから顔を抜こうとするが、引っかかって取れない。

「ん、むむ?むむむ?ぬおおお!いたた」

 体を揺らすが、現実は非情だ。

「……抜けない……誰か、助けて」


 一度は空中でロープを掴んでのけたジルだが、握力が続かない。

 僅かに落下速度を減速するも、吹き出した冷や汗と腕の苦悶に顔を歪めながらロープを手放した。

 舞い降りるように優雅にとは到底言えない無様な落下で床に叩きつけられるも、辛うじて受け身は取れた。

 数階下のバルコニーに広がる、緑広がる空間は空中庭園として設計されたのだろうか。

 曇天の下、見取り図が歩道脇に備え付けられ、美しい草花が広がっているも、床には雑草が膝まで繁茂していた。

 草花によって落下の衝撃が緩和されたのだろう。

 深々と呼吸して激しい痛みがないことを確認したジルは、よろよろと立ち上がった。

「……助かったのかな」

 周囲を見回すと、間近に座り込んでいたマリーが涙に濡れた顔を上げた。

「……生き延びた。お姉ちゃん」

 手を指し伸ばして、妹を立ち上がらせる。

「うちに帰ろ……疲れたよ」

「あはは。あはははは」


 笑い出した姉妹の後ろで何かが落下した音が響いた。

 追ってきたか!?

 恐怖に凍り付いた表情でジルは素早く振り返ったが、ギーネはいなかった。

 代わりに草地に落とされたのは、鮮血に濡れたフォコンの上着。 


「なに?」

 戸惑うマリーの傍らでジルが力なく呻いた。

「……そこまでやるか。くそ」


 上の窓から、バラバラになった人間の手足や臓腑が降ってきた。

 不気味なうめき声が耳に入った。仲間だったそれの放つ濃密な血と臓腑の匂いが空中庭園の階層を徘徊する住人達を呼び寄せたのだろう。

 四方八方の物陰や曲がり角から、歩く死人たちのうめき声が次々と響いてくる。


 最後に上を見上げれば、帝國貴族が冷たい目で姉妹を眺めていた。ジルと視線が合うが興味をなくしたように、踵を返し姿を消す。

 ゆらゆらと這いずるように足を引きずるような歩みで、しかし、着実に近寄ってくる数多の気配。

「……お姉ちゃん」

 レンチを構えたマリーがかすれた声で囁いた。

「……諦めるな」

 勇気づけるように妹に微笑んで告げたジルは、背中合わせになると太腿の鞘から大振りのナイフを引き抜いた。



 下の階から銃声が響いていた。残った狙撃手が、ゾンビと戦っているのだろうか。

 脱出を図っているのか。或いは、仲間を救おうとしているのか。

 合流を計った後は、果たしてどうするだろうか?

 切断した手足を窓から投げ終えたギーネは、ハンターが持っていた賞金首のチラシを眺めながら考える。

 ギーネとアーネイの首に掛けられた賞金は、200クレジット。

 殆どのハンターにとって命懸けでも挑戦する価値のある大金であった。

 仲間を失っても、まだ彼らは狙うだろうか?考えにくいが、念には念を入れて始末しておくべきか。

 小うるさく蠢動されても、少々、厄介なのだ。やはり、ここで追撃し、とどめを刺すべきだろう。

 しばし沈思したギーネだが、窓の外の風景に視線をやった後、微かに目を細めた。

「……新手ですか」

 ホテルに面した三叉路に、再び侵入者の一団が集結しつつあるのが遠めに見えた。

 どうでもいい残存兵力よりも、まずは組織だった新手に対処するべきであろう。

 それに実のところ、諦めない人間は嫌いではなかった。

「見込みのありそうな若者たちですけど、さて、あの状況で生き延びられるかどうか」

 不敵な笑みを口元に浮かべたギーネ・アルテミスは、傲慢に宣告して踵を返した。

「切り抜けられるなら、一度だけは見逃してあげます。

 再び挑んでくるとも思えませんが、復讐に燃えるならそれもそれで面白い」

 

文化的背景に関する文章はくどいので削除した。


あと戦列歩兵の歌は、著作権消滅で歌詞も作者の意訳だから、問題ない。多分。

急に消えたら済まんな。

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