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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 ライオット
83/117

痩せ犬

 外郭地区には住む者もいなくなった無人の廃墟が墓標のように聳え立っている。

 暗いビルの谷間を冷たい風が吹き抜けていった。

「糞、寒いな」

 端が擦り切れたコートの襟を立てながら、路地裏を歩いているジョン・ドーカーは口の中で毒づいた。

「何だって、こんなに寒いんだ。

 酒が飲みてえ。あったけえのをよ、一杯」


 陽光は分厚い灰色の雲に遮られて、僅かな薄明が彼方の荒野を照らしていた。

 吐き捨てたドーカーの視線の先では、道端の屋台で労働者らしい男女が美味そうに湯気の立ったコップを啜っていた。

 カウンター型の屋台には、水&酒と書かれた看板が立っている。

 小鍋に入っている透明の液体は、温めた酒か。或いは、僅かに生姜や砂糖を混ぜた白湯だろうか。

 ティアマットでは、汚染されていない水は、人々の憧れる贅沢品であった。

 綺麗な水など、もう何年も口にしていない。

 ごくりと喉を鳴らした初老のドーカーは、ジャケットのポケットを探って指先で小銭を数えてみた。

 水を飲むには足りないが、質の悪い合成酒くらいは買えるだろう。


「一杯、やっていかねえか」

 屋台に目を向けながら、ドーカーは連れ合いに誘いをかけた。

 痩せた中年男が薄暗い眼差しに苦笑めいた柔らかさを浮かべて、言葉を返してきた。

「肉を喰いなよ。爺さん。肉を。

 酒ばっかり飲んでたら、体に毒だぜ」

 嗜めるような言葉は、どうやらお気に召さなかったらしい。

 誰かと一緒に飲みたいという気分に水を差されたドーカーは、不機嫌そうに乾燥してひび割れた唇をへの字に曲げた。

「けっ、今さら養生してなんになるってんだ。

 あと何年生きられるかも分からねえってのによ」

 吐き捨てたドーカーは、背を丸めると幾度か苦しげに咳き込んだ。痰に血が混じっていた。


 陰鬱な曇天の空の下。海の彼方から、骨まで凍り付くような冷たい風が砂塵と共に吹き付けてくる。

 冷え込みは厳しく、真昼にも拘らず気温は上がる気配を見せない。

 近くの路地には酩酊した薬物中毒者が転がってブツブツと何かを呟いていた。

 狩りに失敗し、不具となったハンターが松葉杖を抱えて酒場の入り口に座り込んでいる。

 傍らでは、痩せこけた老女が小さな身体を抱えながら力なく壁に寄り掛かりながら涙を零していた。


 なるほど、確かにティアマットの小さな居留地の片隅で、ハンターとして虫けらのように地べたを這いずり廻っている男たちにとって、養生ほど縁遠い言葉など無いに違いない。

 明日をも知れぬ老ハンターの頬は、まるで陶器のようにひび割れていた。

 得体のしれぬ風土病に罹患し、表皮の一部がガラスのように硬質化しているのだ。


「酒こそが俺の薬よ」

 ドーカー老人はそう嘯きながら、屋台で買い求めた質の悪い合成酒をこれ見よがしに煽った。

 老人の割れた頬のひびから僅かに茶色い酒の雫が漏れているのを目にした中年男は、胸糞の悪さと先行きの不安を鎮める為に己も合成酒の小瓶を買い求める。


「それより、おめえ。【痩せ犬】よう。どう思う」

  空を流れていく灰色の雲を眺めながら、それがハンターとしての通称なのだろう。

【痩せ犬】と呼び掛けられた中年男が眉を潜めた。

「なにがだ」

「雷鳴党の連中が通達よ」とドーカー。

「ハンターの追跡、か。雷鳴党には逆らねえだろ」

【痩せ犬】が顎を撫でて応える。


 つい先刻。【町】の大手クランの双璧である雷鳴党が、本拠の廃ビルに伝手のあるハンターたちを招集した。

 集められたのは、大半が雷鳴党と関わりのあるチームであり、或いは、その日の糧にも事欠くような食い詰めハンターや貧しい自由労働者たちだった。


 突然の呼び出しに戸惑う彼らに告げられたのは、ひとつの依頼だった。

 雷鳴党と揉めたハンターの追跡と、可能ならば身柄の確保。

 日当は、緑紙幣で1人頭2クレジット。捉えた場合の報償は、100クレジット。

 それが雷鳴党【サンダークラップス】が零細のハンターたちに廻してきた仕事の内容だ。


 またか、と【痩せ犬】は眉を顰めたものだ。

 反骨精神の強いタフガイ気取りや命知らずの荒くれ者は、何処にでも転がっている。

 半ば愚連隊である雷鳴党の連中が、恭順を良しとしないハンターと揉めるのは何時もの事だ。

 独立独歩の気風が強いのが流れのハンターの特徴で、揉める相手には事欠く事が無く、この手の仕事が無くなることは決してない。


 理由は知らないが、大方は雷鳴党に非があるに違いない。

【痩せ犬】達とて、好きで請け負う仕事ではない。

 かと言って何かが出来る訳でもない。

 何時もの事なのだ。

 相手にとっちゃ災難だなと思いつつも、仕事をこなす。

 依頼を断るには、【痩せ犬】も、ドーカーも雷鳴党に些か深入りしすぎていた。


 雷鳴党からは、割のいい小さな仕事を何度か廻して貰っている。

 大手クラン傘下に在る零細チームやソロハンターにとって、上部組織の通達は命令と同義だった。

 普段から世話になっておきながら、美味しいとこだけ食べて面倒事はお断りなんて真似は許されない。


 それに、ねぐらに踏み込んで女2人をふんじばり、突き出すだけの簡単な仕事だ。

 此れで大枚が入るなら、躊躇う理由など何処にもない。

 問題はただひとつ、他の連中も同じ手柄を狙っていると言う事だけだった。


 大手のチームが融通と圧力を効かせて小さなチームを事実上の傘下に収め、汚い仕事や危険な仕事の手伝いをさせる。或いは上前を撥ねることも在る。

 よくある話だった。だが、やらねば食っていけない。

 ドーカーや【痩せ犬】の代わりだって探せば幾らでもいるのだ。

 それが分かって向こうも仕事を廻しているのだが、首輪と引き換えの餌と分かっていても餓えた人間は喰らわずにはいられない。


 食い詰めたハンターなんて、今の世の中には掃いて捨てるほど転がっている。

 うだつの上がらない零細ハンターである【痩せ犬】たちに、断ると言う選択肢は最初から存在していない。


 雷鳴党に切られても、生きてはいけるかもしれない。が、間違いなく生活は苦しくなる。

 例え、他人を不幸にすると分かっていても、唯々諾々と従う他に道はなかった。


「……世知辛いぜ」【痩せ犬】は、口元を歪めて吐き捨てた。

「なんか言ったか?」

「いや、で、相手は誰だったか?」

 尋ねられたドーカーが、 懐を漁って手配書を取り出した。

 がさがさと音を立てながら広げると、目を走らせる。

「今回は、そこらの流れ者じゃねえな。最近、売り出し中のハンターらしい。

 元は帝國からの亡命者とかで……ひょう!こりゃ大した別嬪さんじゃねえか」

 チラシに印刷された顔写真を眺めて、感嘆の声を上げている。


「……妙な話だ。100クレジットだとよ。緑の紙幣※とは言え、大枚だぜ」

  首をかしげる痩せた【痩せ犬】にドーカーは口元を歪めた。

「相手は、それ以上に持ってるか、稼げるって事なんだろ?

 それを見通して雷鳴党が因縁つけたのかも知れねえが、あやかりたいものだぜ」

 けっけっと笑っている老ハンターの横で、【痩せ犬】が渋い表情で空を見上げた。

「……見せしめかね」

「殺すなって念を押されたな。女だからな。売りとばす心算か。

 或いは、肩に嵌めててめえのスケにするか、金を搾り取る気かもな」

 欲情を滾らせた目でチラシを見つめたドーカーが喉を鳴らした。

「こんな美人だ。追っかけたくなるのも分かるぜ。

 ほれ、何時かよ。ベンジーの旦那の依頼で旅人の女房を浚ったみたいに、袖にされた腹いせに狙ってるのかも知れねえな」


 ベンジーの名を耳にした【痩せ犬】が不快そうに唇を歪めた。酒場を複数経営している【町】の有力市民だが、従業員の女たちの大半は娼婦を兼ねている。件の旅人の女房を捕え、ベンジーに売りとばして賞金を受け取ったのが【痩せ犬】だ。女たちの中には、かなり強引な手を使って集められた流れ者なども幾らかはいるのだ。


【痩せ犬】が強く舌打ちしたが、ドーカーはニヤニヤ笑ったまま、チラシに印刷された帝國人たちの顔を指先で撫でている。

「へっへっ、災難だねぇ、この姉ちゃんたちも」

「……気が進まねえな。どうも」

【痩せ犬】は鼻を鳴らした。


 雷鳴党は、黒影党に並ぶ【町】の大手クランの双璧だった。

 総力を上げれば、動かせる人数も十や二十では効かない。

 中世の動乱期にも似て、人命が酷く安く、その癖、土地の養える人数が極めて乏しいティアマット世界。

 人口が先細りに減少しつつあるこの奇妙な惑星世界で、統制がとれた三十人の武装集団とは、力そのものだ。

 小さな居留地であれば、そのまま制圧して支配することさえ不可能ではない。


 人海戦術が有効なのは、相手が何処に逃げ込んだか分からない、或いは、逃げ道に網を張らなければならない時だ。

 相手のいる場所が特定できてるなら、さっさと踏み込めばいい。

 雷鳴党は、さほど無理をせずとも十人からを動かせる集団なのだ。

 そんな連中が態々、ドーカーや自分のようなソロに手を借りる理由が【痩せ犬】には分からなかった。


「で、連中は何処に逃げ込んだんだ?」

【痩せ犬】が暖かい合成酒を啜りながら尋ねる。

 刺激的な悪臭が鼻腔を不快に刺激するが、しかし、熱い酒は冷え切った体に一時的にでも熱を与えてくれる。

 ドーカーが記憶を思い起こすように鼻に皺を寄せた。

「郊外の廃墟だそうだ」


「……妙な話だぜ」

 用心深げに囁いた【痩せ犬】が少し考えてから、訥々と言葉を続けた。

「女どもの腕が立つとしても、てめえらだけで片付けるには充分な筈だぜ?

 それに賞金も多すぎる。捕まえたら、100クレジット。何処の一級賞金首だ?」


「逃げ込んだ場所が割れてるんだろ?てめえらで捕まえれば、賞金を払う必要もねえ」

 雷鳴党の思惑が読めない。そこに不気味さを感じている【痩せ犬】だったが、ドーカーは単刀直入に聞いてきた。

「やらねえのか。俺はやるぜ。なにしろ100だ。半年は喰える」

「……やらねえとは言ってねえさ」

 渋々、呟いた【痩せ犬】とて、仕事を断る訳にはいかない理由が在った。

「女房と餓鬼を食わせてなきゃならねえ」


 なにより【痩せ犬】の娘もまた、ドーカー老人と同じ風土病を患っていた。

 今はまだ初期症状だけで進行は進んでいないが、徴候の軽いうちに治療できなければ、いずれ老人のように白皙の陶器のような肌に白ずんでいくに違いない。

「……ああ、畜生。金が欲しいなぁ。青のクレジットがほんのちょっとでいいんだ。

 ほんのちょっとあれば、治療薬でも、医療用ナノマシンでも、買ってやれるって言うのに」

 全てが入り混じった遣る瀬無さに身体を震わせてから、中年男は歯を食い縛って空を見上げた。

 刺激臭ばかりが強く漂う合成酒は、苦い絶望の味がした。



※緑紙幣は【町】が発行した食料兌換紙幣。

フードクレジット。

【町】と近隣の村や農場でのみ、価値が保障されている。

青紙幣が全国的に展開している組織【ハンターギルド】の【有力な地方支部】が発行している信用通貨。

ギルドで様々な物資を購入することが出来る。

当然、青紙幣の方が遥かに信用が高く、州内は勿論、東海岸の他州の一部でも使用可能。

この他に銀紙幣が在り、ギルドの本部が発行している。

ノエル大陸のほぼ全域で流通しており、何処でも使用可能。

『中央政府』を名乗る勢力の『中央銀行』が発行している大陸紙幣もあるが、いずれにしても、ティアマット経済の脆弱さから、異世界との貿易決済などには使われず、次元世界列強の貨幣に比べるとローカルに過ぎない。

アルトリウス・£(ポンド)などは、ゲートで隣接する複数の次元世界において使用できる。


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