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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 ワタリガラス
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死への不感症

 建物の崩れ落ちる轟音が鳴り響き、それと共にわずかだが大地も揺れた。

 崩落と共に誰かの悲痛な叫びが上がった。

 一帯に土煙が舞い上がり、近くで見物してきたギーネや他の見物人たちの視界を塞いだ。


「……くっそ!無茶苦茶しますな」

 煙が押し寄せてくるのを嫌い、また建物の破片が飛んでくるのを懸念して、ギーネは少女を抱き抱えると其の儘、地面に低く身を伏せた。

 一方のアーネイは、腕で顔を覆いつつも目を細めて状況の推移を見守った。


「撤収だ!」

 土煙で何も見えなくなった路傍に、何者かが指示を下している大声が響き渡った。

 その大音声には、高位の軍人のような厳しい響きが込められており、命令を受けた黒影党員たちがまるで鞭で打たれたかのようにすぐさま撤退を始めるのを見て、アーネイは微かに目を見開いた。


 思ったよりも、ずっとよく訓練されているな。

 唇を舌で微かに湿らせたアーネイの耳に甲高い声が響いた。

「派手にやり過ぎよ!」

 舞い上がる土煙の中、木霊するように非難するその声が思春期の少女の物に聞こえて、少しだけ驚いているアーネイの視界の隅、大小2つの影が連れ立って逃げていくのがちらりと見えたような気がした。


 一帯は舞い上がる土煙で一面、なにも見えなかった。

 が、散発的な銃声がその場に居合わせた者たちの耳を打った。

 当初、それなりの距離があったが、集団の足音と共に徐々に近づいてくるのが分かる。


「じ、自警団だ!」

 雷鳴党員の一人が情けない表情で悲鳴を上げるのとほぼ同時に、カーキ色の制服を着た自警団員たちが抗争の現場となった広場に突入してきた。

「そこまでだ!動くな、屑どもが!

 全員、腹這いになれ!抵抗するものは射殺する!」

 空に向けて二、三発発砲しながら、先頭に立つ逞しい男がそう言い放った。


 建物が破壊されて、流石に放置しておけなくなったのか。

【町】の治安機関が漸く出張ってきたようだ。

「遅いお出ましなのだ。辺境では治安機関も動きが遅いですぞ。帝國警察ならば……」

 遠い昔の栄光を忘れられない老人のように、逃げてきた母国を引き合いに出したギーネがなにやら呟いている中、煙の中を激しく咳き込みながら立ち上がっていた雷鳴党の頭目らしき青年に自警団の隊長らしい大柄な男が大股に歩み寄っていった。


「……よくも、やってくれたものだな」

 苦々しげな自警団【隊長】の言葉に顔を一瞬、強張らせた青年だが、すぐに陽気な笑顔を浮かべた。

「隊長ぉー!よく来てくれた。聞いてくれ。黒影党の連中、俺たちの任された場所に出張ってきただけじゃなく、大暴れして建物まで壊しやがったぁ」

 先刻までと打って変わって低姿勢な態度で、自警団に黒影党の横暴を訴える青年だが


「ほう?全部、黒影党の仕業だと?

 此処にいるのは雷鳴党の隊員ばかりのようだが?」

 周囲を見回しながら鼻で笑う【隊長】に、青年がへらへらと笑いながら言葉を続ける。

「連中、逃げやがったんだよ。くそ。だが、そこら辺に二、三人はぶちのめした奴が転がっている筈だ。そいつらを締め上げてくれ」

 沈黙して目を細めながら青年の話を聞いていた【隊長】だが、ライフルを掲げると銃床を青年の懐に叩き込んだ。


 常人なら胃の腑が破れても不思議のない強烈な一撃。

 顔を苦痛に歪めながら膝をつきかけた青年は、一瞬、殺気立った目つきとなったが、すぐに媚を売るように、締まりのない陽気な笑顔となって立ち上がった。

「いてて……ひでえよ。隊長。悪かったと思ってるさ」

 敵に対する高圧的な態度とは裏腹に、笑顔を浮かべると意外と愛嬌があった。

「ふん……そこら辺の事情は、後でしっかりと聞いてやる

 当事者からだけでなく、目撃者からもな」

 隊長が一帯を見回すと、抗争の最中は、何処に隠れていたのか。物陰に身を潜めていたらしい行商人やら買い物客、それに浮浪者や乞食までが、恐る恐ると言った様子で路上に出てきていた。


 恫喝のつもりか。睨み付ける雷鳴党員がいたが、見咎めた自警団員に見つかって、警棒で肩を強く小突かれている。

「口封じなんかしたら許さんぞ。屑めが」



 ライフルで肩を叩きながら、怒れる熊のように歩き廻っていた【隊長】が、不機嫌そうに言い放った。

「お前ら、外縁地区の屑どもがどれだけ殺し合おうが一向に構わん。

 だが、貴重な建物をぶっ壊しやがって!

 市民様にどうやって言い訳しろって言うんだ。くそ!」

 吐き捨てるように吼え散らかしている【隊長】は、市民権は所持していない。

 が、祖父の代から正式な居住許可を有していた。


 祖父以前に遡れば、さらに二代前から【町】に暮らしている隊長の家系は、町に流れ着いただけの一介の自由労働者から親子5代の時を掛け、ようやく自警団の隊長を任されるほどに社会的な信用を獲得してきた。

 我が子の代なら、市民権にまで手が届くかもしれない。

 が、居住許可だけを与えられている【庶民】の地位は、そこまで安定している訳ではない。

 失態を繰り返せば、居住許可とて取り消さることも在り得るのだ。

 そうなったが最後、自分や妻は勿論、幼い我が子とて容赦なく安全な防壁の中から放り出され、一家共々に不毛の荒野へと逆戻りである。

 祖父の代からの苦労も台無しだ。苦虫を噛み潰したような【隊長】は、建物の残骸と雷鳴党員をいっそ憎々しげに交互に睨み付けた。


「……ひでえよ。俺たちは被害者だぜ。死人まで出ている。

 それにあんなバラック、すぐに立て直せるじゃねえか」

 ぼやいた雷鳴党員に自警団員が近寄っていって、胸ぐらを掴みあげる。

「馬鹿が!そのデカい頭は、空っぽなのか?

 今の時代、木材やコンクリートが湧いて出るとでも思ってるのか?

 建物ひとつ建てるのに、どれくらい資材を調達する必要があるかも知らんのか!

 覚えておけ!チンピラが。お前らの命なんぞよりも、ずっと価値があるんだ!」

 屈強な体格の自警団員に散々、揺すられてから突き飛ばされた雷鳴党員が地べたに尻持ちをついた。



 ようやくだが土煙がある程度は収まってくると、辺りの様子が一望できるようになった。

 街路の其処彼処そこかしこには、壊れた屋台が横倒しになっている。

 地面には、土に汚れた衣服や食料などが散らばっており、踏みにじられて泥にまみれたパンなどは、流石の廃棄世界であっても、もう売り物にはならないだろう。多分。


「……酷いものですな」

 呟いたギーネの腕の中で、抱き寄せていたフードの少女が小さく震えていた。

 一体、何に脅えているのか。暴力の気配は消え去ったが、刻まれた惨状は消えていない。

 それでも、抗争はもう終わりを告げたようで、今なら出ていっても安全だろうとギーネは判断した。

「もう大丈夫ですよ。出ていっても安全でしょう」

 そう耳元で囁いて少女を立ち上がらせたギーネだが、少女はいやいやと首を振って近くにある壁の窪みの中に蹲ってしまった。

 不安そうな瞳でギーネをじっと見ているが、流石にもう何もしてやれることもないので軽く手を振って別れを告げてから、アーネイは大丈夫かなと、傍らにいる家臣の姿を探し出す。


 果たしてアーネイは、壁に寄りかかりながら、路上の様子を窺っていた。

 その眼差しは、何かを考え込んでいるように沈み込んでおり、何故か、防壁で遮られている筈の廃棄区画の方角に視線を送っていたが、己を注視する主君の視線に気づくと肩を竦めてから恭しく肯いた。

「マイロード。ご無事で何より」


 酷い目に在ったのは、卵屋の爺さんである。

 地面にへたり込んで絶望の呻きを上げていた。

 彼が店を開いていた辺りでは、幾つかの屋台がひっくり返っており、荷物を持って逃げることもせず、また商人が踏みとどまって商品を守ることもしなかった露店の商品は、悉くが地面に散らばるか、抜け目のない買い物客らに根こそぎ略奪されて消えていた。


 ようやく立ち上がると、力のない足取りでよろよろと街路に進み出た卵屋の老人だが、彼の視線の先、例に漏れず、鶏たちの姿も消えうせていた。

 頭をかきむしって呻いている老人を気遣わしげに見つめたアーネイだが、してやれることなんて何もない。

 視線を外すと、己の荷物を持ち上げて路上を歩き出した。


 折れた足を抱え、苦痛に汗を浮かべている痩せた青年が道の真ん中に蹲っていた。

 その傍に、連れ合いだろうか。路傍に倒れている老婆の手を掴み、必死で呼びかけている老人の姿もある。


「ちょっと!どうしてくれるのよ!売り物が台無しじゃない!」

「知るか。腰の銃は何の為にあるんだ?自分で守ればよかったのさ」

 店先に展示していた服飾品を台無しにされた女商人が自警団員に喰ってかかっていたが、相手にされる様子はなかった。


「騒ぎを起こした馬鹿どもは全員、連行しろ。

 二十日ばかり強制労働の刑に処してやる」

【隊長】の言葉に、雷鳴党の若き頭目が顔を強張らせる。

「ま、待ってくれ。隊長。

 此処にいるのは殆ど、俺の仲間じゃないか。フェアじゃねえよ」

「知るか!貴様らは、少し派手にやり過ぎだ。

 西の地下鉱山送りにされないだけ有り難いと思え!」

 吐き捨てるように言い放った隊長に頭を下げながら、青年が必死に弁解する。

「俺たちが留置場に入れられたら、残った店や女たちも黒影党に好き勝手されちまう。

 後生だから……頼むよ。あんたは公正な人だ。俺が詰所まで行くからさ」

「当たり前だ!」

 睨み付けてくる隊長に、青年は媚を売るように笑顔を浮かべた。

「なあ、隊長殿。分かってくれよ。今までは、ずっと役に立ってきただろう?

 俺たちが望んでやったんじゃない。悪いのは黒影党の連中なんだよ。

 誓って、向こうが先に手を出してきたんだ。だって俺たちの縄張りでの抗争だよ?」

「自分で判事殿にそう釈明するんだな」

 雷鳴党の頭目は、財布から何かを取り出すと【隊長】のポケットにそっと何かを差し入れたが、相手は鼻を鳴らしただけだった。

「まあ、いい。強制労働だけは勘弁してやるよう、俺からも判事殿に言ってやる。

 だが、全員ではないぞ」

 それでも賄賂は一定の効き目を果たしたようで、隊長の態度も幾らかは軟化している。

 或いは、わいろを出さなければ、もっと手厳しい扱いをされたのかも知れない。


「……縄張りを荒らした黒影党の連中には、おとがめなしかよ?そんなのは、あんまりだ」

「後で連中にも事情を聴く。たっぷりとな」

 泣き言を言う雷鳴党員たちの主だったメンバーが手を後ろに廻させて手錠を掛けられる。

 自警団の【隊長】は周囲を見回して眉を顰めた。

「見たところ、怪我人に市民や他所からの大物は含まれてないようだが覚えておけよ。

 お前らの抗争で一人でも市民を巻き込んだら、その薄汚い頭を吹き飛ばしてやるからな」

 ここでいう【市民】とは、単に町の住人を示す言葉ではない。

 経済的政治的な街の支配階層である【町】の創立者直系の子孫【市民権保持者】のことであって、一山いくらの流れ者や移民などは含まれていないのだ。


 そっと路上に進み出た帝國人たちは、辺りに視線を巡らせた。

 隠れていたり、身を潜めていた行商人たちは、泥に汚れた商品を元に戻して売り込みの声を張り上げ、疎らだが戻ってきた買い物客たちも、冷かしたり、物珍しそうに眺めたりしながら、歩き出している。


 青空市場は、すでに活気を取り戻しつつあった。

 先刻までの修羅場が嘘のように賑やかな喧噪が戻ってきている。

 何ごともなかったかのように?

 いや、抗争の痕跡は残されていた。

 近くの箱に座って、一旦は逃げた顧客との値切り交渉を再開している老行商は、額に血の滲んだ包帯を巻いている。

 破壊された建物も残骸を晒しているが、使えそうなものを探しているのだろうか。みすぼらしい着古しを着た住人たちが幾人も崩れた酒場に蟻のように群がって、酒やグラスなど値打ちのある品を拾っていたが、駆けつけてきた雷鳴党員が火事場泥棒の尻を蹴りつけると、慌てて逃げ出していった。

 怪我人たちも、浅手の者たちはやや覚束ないながらも自らの足で去っていったが、重症を負った数名は、動くことも出来ずに移された掘っ立て小屋で呻いていた。


 ティアマットの住人たちはある種、逞しいと言えるのだろうか。

 それとも危険に慣れ過ぎて、感覚が麻痺しているのだろうか。

 ギーネにも、アーネイにも、分からなかったが、関係ない抗争に巻き込まれた挙句、地面に打ち捨てられたままの廃墟生活者と思しき亡骸には、多少のやるせなさを覚えた。

「……この世界は命が安すぎますな」

 髪をかき上げながら、亡命貴族は小さく吐き捨てた。



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