青空市場の午後
青空市は、連日【町】南西にある街区の一角で開催されている。
この青空市では、市場を取り仕切る顔役の商人たちに幾ばくかの場所代を支払うことで場所を割り振って貰い、誰でも露店を開いて物資や情報、修理の技術などを売買することができる。
町の周囲に点在する砂麦や芋の農場に食用イグアナや豚を育成する牧場から、日々、運び込まれる食料品の他にも、外来の隊商や旅人が交易でもたらす嗜好品。外来の缶詰に高級な煙草や酒。加えて、流れのハンターたちが銃器弾薬や様々な発掘品を持ち込んでくる為、市場の仮設建築物や廃屋の軒先に開かれた出店には、数多の品物が雑然と並べられているが、古参の市民は余りこの催しを好んでいないのか。この区画に寄り付くことは滅多にない。
市民で顔を出すのは、掘り出し物を探す職人や技術者、ハンターを除けば、珍しいもの好きの蒐集家か、新参に近い一部の中流層くらいだろうが、それでも安定して大量の水と食糧が供給される、この時代には稀な土地柄もあって、近隣の居留地は勿論、ファジサーやモレガノといった遠来の土地からの利用客も引きも切らない。
外縁区画に居住している庶民や【町】に属する農場や牧場の労働者。近隣の居留地や開拓村からの住人。そして滞在しているハンターに自由労働者たちで、青空市は大変に賑わっている。
常日頃は【町】と没交渉な廃墟居住者や放浪者。そして半ミュータントや不法滞在者でさえ、市場で物々交換することくらいは目こぼしはされている。
そうした理由で属している母体や文化を問わず、様々な年恰好の老若男女がモザイクのように青空市場を賑やかしていた。
酒場の軒先で囁き合っている西部劇から出てきたような格好の男女の目の前で、全身を黄ばんだ布で覆っている砂漠地帯の謎めいた遊牧民たちと、くたびれた海軍制服を着こんでいる海洋民の一団が、南方産の煙草の葉の値段を巡って交渉をしていた。
まるで紀元前の蛮人のように手製の毛皮服を着込んだ荒野の放浪者の一団が、それだけは似つかわしくない19世紀型のエンフィールド銃を誇らしげに背負いながら通りを闊歩している。
傍らの屋台では、ぼろ布やすり切れたつんつるてんの服を体に巻きつけている廃墟生活者たちが悪臭漂う肉めいた何かを貪っていた。
いつ来ても猥雑な、よく言えば活気に満ち溢れている【町】の青空市場の喧噪ざわめく雑踏を踏みしめながら、ギーネ・アルテミスが愚痴をこぼした。
「あー、びっくりしました。
生身で空を飛んだのは、ギーネさんも初体験でしたぞ」
「貴重な体験をなさったようで、ようございましたな」
傍らを歩いていたアーネイ・フェリクスが、微笑みながら慇懃に祝ってくれる。
「お蔭で滅多にできない体験をさせてもらいましたのだ。
20メートルくらいお空を飛びましたよ?」
睨み付けてきた主君の大仰な物言いにアーネイは鼻で笑い飛ばした。
「そんなに投げてません。精々15メートルですよ」
「言質を取りました。犯人は貴様です。
ところで、アーネイや。
主君を15メートルも投げ飛ばす家臣がいるらしいですな。どう思いますかな?」
「気に喰わないなら、いっそ懲戒免職にした方がお互いの為にも宜しいかと存じ上げますね」
「ぬぬ、こやつめ。つけあがりおって。
例え、15メートルだとしても尋常では有りませんよ。
幾ら、帝國貴族の肉体が戦闘調整されているとは言え、完全にやり過ぎなのだ。
下手したら、死んでますのだ」
プンスカと抗議するギーネ。
「ちゃんと砂場に着地なさったじゃないですか。お尻から」
言ったアーネイは、堪え切れないようにくすくすと笑った。
「アーネイは酷い奴なのだ。軽いスキンシップをしたくらいで病人に暴力を振るうのだ」
「お嬢さまの軽いスキンシップは、百合侵略の前兆と言うか、橋頭保でしょう。
知ってるんですよ。何年、あんたの行動見てきたと思ってるんですか?」
「酷い言い方なのだ。好意の現れと言って欲しいですぞ。
でも、ちょっと気持ちよかった?」
首を傾げて覗き込んでくるギーネの顔を、アーネイは力強い掌で押しのけた。
「アーネイは照れ屋さんなのだ。愛とはいいものですぞ?」
「欲情の表層に愛と言う言葉を塗りたくってデコレートするの止めなさいよ。
騙される子が可哀想です」
「ちぇー、イケずです。アーネイはもう少し素直になってもいいと思いますのだよ?」
「素直な気持ちで言わせていただきますが、私はお嬢さまの愛人になる確率は0で御座いますね」
「せ、正妻にしろと?」頬を染めたギーネが、首をふるふるした。
「何故、そうなる」
解せぬとでも言いたげに主君を眺めて、心底、不可解そうな表情を浮かべるアーネイ。
「本気で戸惑わないで欲しいのだ。傷つきます」
拗ねるように呟いたギーネに、アーネイは苦笑を浮かべた。
「ところで、お嬢さま。
先刻から何をお探しかは知りませんが、目的の品は見つかりましたか?」
ここ数週間。青空市場を訪れるたびに、ギーネは屋台や露店の軒先を巡って何かを探していた。
質問されたギーネは、少し考え込んでから通りを外れた場所にある、石造りの段差に腰を下ろした。
「んむー。中々、手頃な品がありません。
値段が折り合うとか、状態の良い悪い以前に、そもそも品薄なのだ」
疲れたように瞼をこすりつつ、ため息を漏らしている。
「そもそも何をお探しになっているのですか?」
乾いた空気に喉が渇いてくる。
ギーネの傍らに立ったアーネイは、腰からスキットルを取り出して、喉の渇きを癒しつつ、市場の品揃えに視線を走らせた。
色とりどりの店舗に並んでいる銃弾やら缶詰。食肉に毛皮、香辛料。
種々の薬品に銃器、刀剣、ナイフに棍棒。被服や履物。謎めいた合成食料に機械類。
サッカーボールや野球のバット。椅子や机に懐中電灯やバッテリーなどの電化製品。
色とりどりの布や看板が屋台の軒先で風に翻っている。
廃棄世界独特の荒廃した空気に影法師のように滲んでいる人々の姿は、いつか見た異国の風景を思い出させた。
「にゅふふ、知りたいですか?でも秘密ですぞ!」
勿体つけている帝國貴族だが、本当は聞いて欲しかったらしい。
「だけど、アーネイがどうしても知りたいと言うのなら、教えて差し上げないこともないのだ」
知りたい?知りたいですか?知りたいですよね?
チラチラとアーネイを伺っているギーネの頬が嬉しそうに痙攣を繰り返している。
どうやら、教えたくてうずうずしているようだ。
「うざ……いえ、是非、ご教授ください」
行儀悪く口元の水分を擦り切れた軍用ジャケットの袖口で拭いつつ、アーネイはどうでも良さそうに呟いた。
「仕方ありませんな。
第一級の軍事機密ですが、アーネイには特別に教えてあげますぞ」
ギーネは、得意げに薄い胸を張った。
「局地戦向け人型戦闘マシーンを創ろうと考えていますのだ」
「局地戦向けの……人型戦闘マシーンですか?」
やや訝しげな表情を浮かべたアーネイ。唇に拳を当てて鸚鵡返しをする。
「うむ。給料も慰労もサボりも必要としない最強の兵士。そのプロトタイプです」
「そこは恐怖も疲労も油断もしないでは?」
「ふふっ。一指揮官と国家元首では、おのずと着眼点が異なりますのだ」
「はいはい。国家元首、国家元首」
「なんだよー、もう。必ず返り咲いてやりますのだから、見てなさい。」
拳をぶんぶん振って抗議してくる主君を微笑ましく見守りながら、アーネイは抱いた疑問をぶつけてみる。
「ですが、お嬢さま。
わざわざ、人を模した兵器を運用する必要があるのですか?
ハンター稼業であれば、ドローンに武器をつける方が効率が宜しいのでは?」
突風が強く吹いた。砂埃が目に入らないよう瞼に掌を翳しながら、アーネイとギーネは風の収まるのを待った。
「おっと、そいつは早計ですよ。
文明世界での最適解が、荒廃世界で通用するとは限りません。
工業や流通、インフラが壊滅しているティアマットでは、部品と資源の調達に難点があります。
外世界と繋がるゲートでも確保しない限り、使い捨ては愚策です」
「では、人を模す必要性は?
ロボット兵器を作るのであれば、アテナさまから頂いた設計図のあれでよろしいのでは?」
コスト的に見ても、性能的に見ても、ギーネ・アルテミスに悪友であるアテナ以上のロボット兵器を創れるとは、アーネイには思えなかった。
「愚かなり、アーネイ。
あんなロボット三等兵量産しても心の潤いがないでしょう?」
断言するギーネ・アルテミスに、アーネイは訝しげな視線を向けた。
「はぁ、潤いですか」
「そうですぞ。潤いのある軍隊は粘り強いのだ。心の力なのだ」
力強く断言する帝國貴族に、アーネイは生暖かい瞳を向けた。
「ああ、それで分かりました。外見は、美少女なんですね。
なるほど。うん。それで分かった。もう、何も言わないでいい」
「な、何が分かったって言うんですか。あ、ちょっと勘違いしていますぞ」
自身の発言を振り返って、何やら気づいたギーネ。
慌てだした帝國貴族を、憐れみの籠った眼差しで見つめる帝國騎士。
「言わずもがな。
自身の被造物による擬似ハーレムとはね。哀しいですな」
「ち、違いますのだ。誤解していますのだ。
いや、美少女はそうですけど、違うのだ」
露骨に動揺しつつ、わたわたと言い訳するギーネ。
家臣の誤解を解こうとして墓穴を掘った。
「こ、こ、このギーネ・アルテミスがそんな不純で破廉恥な動機で、次期主力兵器を決定する筈ありえないですぞ。
君、失敬ではないかね?アーネイは、ギーネさんをどんな人間だと思っているのですか?」
図星を刺されると、あからさまにキョどるんだよな。
幼少期からの主君の行動を脳裏にリフレインさせながら、アーネイは呟いた。
「はて、なんのことです?私はなんにも言ってませんよ?」
感想は毎回読んでます。