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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 すりんぐ編 B面
51/117

25 生還

 町の門を潜った瞬間『服屋』が弾けるように叫んだ。

「ひゃっふー!本当に生きて帰ったぜ!凄えぞ!畜生!人生ってのは素晴らしいなあ!」

 どこにそんな元気があったのか。小太りの肉体で飛び跳ねると、腰を機敏に動かして踊りだした。

「尊敬してもよろしいのですよ。そして礼金を弾むのです」

 ギーネが胸に手を当てながら、偉そうに宣告している。


 黄昏が迫りつつある中、城門の前で快哉を叫んでいる『服屋』たちを眺めて、門前にある商店の者たちや門を守る数人の自警団員が苦笑を浮かべている。

「五月蝿い奴だな」

 やや不快そうに吐き捨てて、口頭で注意しようと『服屋』に向って歩き出した若い団員を、顔に傷の刻まれた年嵩の団員が軽く嗜めた。

「放っておいてやれ。俺にも覚えがある」

 廃墟や曠野から危機一髪のところで生還したハンターや旅人が、門を潜った瞬間に喜びを爆発させるのは珍しい光景ではない。

 あまり長期間、騒ぎ続けるようなら兎も角、暫くの間、喜びに浸っているだけならば、邪魔するのも野暮だろう。

 ハンター兼業の先輩団員にそう説明を受けて、若い団員も肯くと踵を返した。


 近隣に住まう通行人たちにとっても、叫んでいる男の姿は、珍しい光景ではなかった。

 奇異の眼差しを向ける者もおらず『服屋』の雄叫びに驚いた者も、苦笑を浮かべるか、すぐに興味をなくしたように視線を逸らしてその横を通り過ぎていった。



 一帯の地形を図上に描いて、旧住宅地から『町』に至るまでを直線で結ぶと、中ほどには旧市街地の廃墟が横たわっている。

 通行の困難な廃墟エリアを大きく迂回する為、老人のドライブインから『町』まで、通常は半日は掛かるだろう道程を辿らなければならない。


 口先だけのハンターも多い中、ギーネとアーネイは、廃墟を横断することで半日は掛かるだろう道程を僅か二時間半まで短縮してみせ、落日の三時間前には、四人揃って『町』の門内を踏むことが出来た。

『服屋』と『煙草屋』を救出したこの二人組は、確かに旧市街地一帯を知り抜いていた。


 安全な門の内側に踏み込んだ瞬間にある種の解放感が伴うのは、ハンターでも否めない。

 アーネイも、肩の荷を降ろしたようにホッとした様子となって一息ついていた。

『煙草屋』は顎を撫でながら、近寄ってきた。

「……助かったぜ。生きて帰れたのは、全くあんた達のお陰さあ」

「感謝してます?」首を傾げつつ、ギーネが横から口を挟んできた。

「ああ、してるさあ。してるとも」


「ふっふっふ、感謝されるのは気分がいいですぞ。カルマが上昇する気分です」

 肯いている『煙草屋』の言葉に、満更でもなさそうな表情を浮かべるギーネであったが、汗をかきつつ、やっと落ち着きを取り戻した『服屋』が余計な一言を付け加えた。

「俺もだよ。本当は大丈夫かな、こいつって思った時もあったけど。

 口だけじゃなかったんだな。尊敬しちゃうよ」

「……ぬう、ちょっと失礼なことをほざいていますね。

 ですが、まあ許してやりましょう。今のわたしは、寛大な気分なのだ」

 厳かな口調で、ギーネは『服屋』の無礼を不問にとしてやった。


 アーネイが、咳払いして場を仕切りなおした。

「で、礼金ですが……」

 赤毛の帝國騎士が具体的な事項を話し出そうと切り出した瞬間、『服屋』が目に苦悩を浮かばせながら、言葉を遮ってきた。

「遮って悪いが、ちょいと待ってくれ。

 そのこと含めて、色々と話し合う前に俺の荷物を確認したいんだ」



 手近で休憩を取れる空間と言うことで、ハンターギルド会館まで場所を移動したアーネイと『服屋』は、ロビーの長椅子に座っていた。

 口火を切ったのは、会話の主導権を握って値切る心算か。或いは、泣き落としにくるかなと若干、警戒していたアーネイだが、小太りの行商人は、少なくとも逃げ出す心算はなさそうであった。体を休めるようにだらしなくベンチに腰掛けている。


「おそいっすねー」ぼやいていた『服屋』だったが、アーネイが入り口に視線を移した。

「来ましたよ」

 仲間たちを待ち侘びていた二人の視線の先、夕食代わりのサンドイッチを買い付けてギーネが駆け寄ってきた。その後ろには『煙草屋』も続いている。

「待たせました。はい、此れがアーネイの分です」

 フィッシュ&チップス……いや、虫の白身肉の揚げ物なので、バグ&チップスと呼ぶべきか。露店の食べ物を家臣に手渡すと、ギーネはサンドイッチの包みを開いている。

「また、ジョーのお店のサンドイッチですか?」

「うむむ。相変わらず不味いのに妙に癖になる味ですぞ」

 ギルド会館前の路地に並んだ屋台で売っている、『町』の周囲で収獲される砂麦のパンに正体不明の肉。瑞々しいが変な味のする野菜を挟んだだけの、ありふれたサンドイッチであった。



「ほらよ、お前の好物だ」

 見るだけで食欲を削ぐような不気味な紫色をしたブロック型カロリー・バーにバターをかけたものを『服屋』に手渡すと、『煙草屋』は蛇肉の串焼きに齧り付いた。

「荷物は確認しましたか?」

「今からだよ」

 長いため息を洩らした『服屋』は、命懸けで執着していた荷物を確認しようと手を伸ばした。背嚢に刻まれた数箇所の切り口からは、真っ白な綿や布切れが覗いている。

「さてと……どうなってるかなあ」

 まずは状態を確かめようと、固く縛った背嚢の紐を解いていく。

「……あああ。こりゃ酷い」

 ずたずたになった中身を前にして、『服屋』は膝から崩れ落ちた。

 すんすんと鼻を鳴らした『服屋』が、背嚢に手を突っ込んで取り出したのは、蟻の牙で刻まれたかつては服だった布切れや、中身の綿をはみ出した重症の人形たちであった。

 広げた衣服は、いずれも大穴が空くか、真っ二つに切り裂かれている。


 サンドイッチを食べ終わったギーネ・アルテミスが、対面のベンチに腰掛けたまま、興味津々で訊ねてきた。

「なんです、それ?雑巾ですか?」

「ちがぁう!これシャツ!こっちズボン!これもシャツ!俺の商売道具!」

 次に取り出したのは、目が飛び出て、白い綿を臓物みたいにはみ出させている擬人化された動物の人形であった。

「むむ、此れは分かりますぞ。呪いの人形ですね。さもなくばゾンビ人形!」

 胸を張って断言したギーネを前にして『服屋』が切れている。

「女の子向けの可愛いお人形さんだよ!」

「……ゾンビごっこの好きな女の子?」

「ゾンビから離れろよ!」

 ギーネは、不思議そうに首を傾げている。

「では、黒魔術?やはり呪いの人形か」

「人の顧客を勝手に怪しい人物にしないでくれよ!

 そっちの赤毛のお姉さん!このお嬢さんは、俺をからかってるの?それとも天然なの?

 いくら命の恩人でも、切れちゃうよ?

 今の俺には、もう失うものなんかないんだからね?!」


 ……なんで、この人たちは『町』に着いて早々、漫才を始めているのだろう?

 疑問に思いつつ、アーネイは「そうだ。放っておこう」と思い立った。

 関わり合いになるまいと露骨に視線を逸らしている。


 アーネイに続いて、相棒の『煙草屋』も顔を背けた。

「……俺を巻き込むなよ」

 相棒に切り捨てられた形となった『服屋』は、他人なんて当てにならないもんだなとつくづく思い知らされつつも、気を取り直して商品の確認作業に戻った。


「糞……もう、相手にしないぞ。

 せめてチッチちゃんが無事なら……チッチちゃん」

 不気味な顔のネズミの着ぐるみを取り出して、悲鳴を上げた。

 彼方此方を切り裂かれて、その上にプラスチック製の目が飛び出している。

「あああ、なんてことだ。チッチちゃんが……! もう駄目だ!」

「え?なんで、着ぐるみが切り裂かれただけでそんな絶望に嘆くんです?

 もしかして着ぐるみが恋人とか……」

 余りと言えば、余りの侮辱であった。

『服屋』はしばし呆然とし、次の瞬間、猛烈に抗議した。

「おい、この野郎。変な誤解しないでくださいよ?」

「……人の業のなんと奥深いことか。

 崩壊世界でも、大きなお友だちは滅びていなかったのですね

 ですが、わたしは個人の趣味にケチをつけるほど狭量ではありませんぞ。

 恋人が傷ついて苦しい気持ちはよく分かりますのだ」

「ちげえよ!穏やかな顔つきして人を変態認定するなよ!

 普通に女が好きだよ!おっぱい好きだよ!」

 亡命貴族は困惑したような表情を浮かべつつ、家臣に話を振った。

「アーネイ。どう思います?

 知り合ったばかりの女性の前で、大きな声でおっぱいと力強く叫ぶ男の人。

 わたしはちょっと遠慮したいのだ」

「俺だってお前さんみたいな女は御免ですよ!」

 落胆していた『服屋』だが、取りあえず元気は取り戻したようだ。


 笑いすぎて激しく咳き込んでいた『煙草屋』が、説明してくれた。

「そのネズミの着ぐるみは、チッチちゃんさ。知らないか?チッチちゃん?

 大崩壊前のTV番組で、変なダンスを踊っていた人気キャラクターだよ」

「なんで、ほぼ初対面の姉ちゃんにからかわれなきゃならんのだ?

 ……もう雑巾にもならねえや」

 不気味なネズミの着ぐるみの損傷具合を確認した『服屋』は、巨大蟻に台無しにされた商品を前にがっくりと膝をついている。

「……ふむん?幾らで売る予定だったのですか?」

 半死半生の熊の縫い包みを取り上げて、亡命貴族は尋ねてみた。

「……それは4、5クレジット。こっちのネズミだと、ゼロが一つ多くつくけどね」

「高ッ!」

 驚くギーネ。帝國でも比較的、豊かな領邦の専制君主であったのに、すでに庶民感覚となっている。

「崩壊前の限定商品なんだよ。価値の分かる人はそれくらい出す。無傷なら……」

 言いかけた『服屋』は頭を掻き毟って呻いている。

「ゾンビ彷徨う商店街から、やっとの思いで取ってきたのに……あんまりだぁ」

 蹲って頭を抱えている『服屋』の傍らで、ギーネが腰に手を当てながら無慈悲な宣告を通告する。

「ですが、礼金だけは払ってもらう」

「そんな!」


 知り合ったばかりなのに、ノリのいい連中だ。

 そう思う『煙草屋』であったが、あまり係わり合いになりたくないので、アーネイに向って切り出した。

「で、具体的な金額だが、いくら支払えばいい?そちらの要求は?」

「30ギルドクレジット。勿論、一人頭です」

「……大金だな」眉を顰める『煙草屋』

 上を見れば際限ないが、独り者なら一ヶ月を暮らせる金額であった。

 とは言え、一概に法外な要求とも言えない。

 廃墟に取り残された仲間の救出をハンターに依頼するには、20から50クレジットというのが相場であって、二人を救出した上、町までの案内を勘定に入れれば、妥当なところかも知れない。


「俺、もう無一文ですよ。そんな大金、払えないぜ!

 それ以前にこれからどうやって生きていこう!」

 商売道具を失ったばかりの『服屋』が悲鳴を上げている。

「法外な値段ではない筈ですが……」

 アーネイが片目を瞑って、考え込んでいる。

 確かに相場を大きく越えてはいないが、大金であることに代わりはない。

 行商人であるなら適切な金額だと踏んでいたが『服屋』は哀れっぽく懇願している。

「払えない。いや、マジで無理。美人のお姉さん、まけてちょうだい」

 しかし、ギーネ・アルテミスは渋かった。

「んー、駄目駄目。閃光弾だって使っています。

 何より、私たちの仕事は其処まで安くありません。

 お金がないなら、体で返してもらうしかありませんね」


 未練がましく手に取ったチッチちゃんを眺めていた『服屋』だが、諦めたのだろう。

「体で払う……俺には、心を決めた人がいるんだぜ」

 冗談に紛らわせて返すと、ギーネが沈痛な表情を浮かべた。

「チッチちゃんですか。お気の毒でしたが、死んだ人は帰ってこないのだ」

「……なんて憎たらしい女なんだ。この野郎、もう勘弁ならねえぜ」

 吐き捨てた『服屋』が、ついに切れた。

 いきなり、ポッと頬を染める。

「……そこまで言うなら、仕方ない。喜んで体でお返しするぜ!この野郎!」

 悲壮な表情を浮かべつつ、素早くシャツを肌蹴てぷよぷよした胸板と締りのないお腹をギーネに見せ付けてくる。

「さあ、好きにして!」


「ひああ!このデブ、いきなり脱ぎやがった!」

 殿方の裸体を目にして、自称・清純な乙女であるところのギーネ・アルテミス士爵は恥じらいの悲鳴を上げた。

「清らかな乙女に向かってこの野郎。なんてものを見せつけるのだ!」

「君、デブは嫌いかね?喰わず嫌いはよくない」

 汗ばんだ贅肉を見せつける『服屋』と嫌がっているギーネ。

 巨大蟻を殴り殺せる超人相手に、いい度胸をしていると『煙草屋』は思わず感心した。

 もっとも、調子に乗って忘れているだけという可能性も濃厚にあった。

「頬を染めるな!」

 妖しく踊る汗ばんだデブに迫られ、追い詰められたギーネがついに断を下した。

「ぬぬぬ、一国の元首に対して不埒な振る舞い。もう許せませんぞ。

 アーネイ!この無礼者の首を撥ねい!」

 威厳たっぷりな主君の命を受けて、帝國騎士が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「時間の問題とは思っていましたが、ついにポンコツから暴君にクラスチェンジしましたね?ところで知ってますか?

 お嬢さまの好きな戦国期の武士って、主君を自分で選んだんですよ?

 その程度の危機も自力で乗り越えられない者など、我が主君足るに相応しくありませんなあ」

「さっ、最悪のタイミングで見捨てられたあ!?」

 愕然とするギーネ・アルテミスに、小太りの『服屋』が暑苦しい求愛の舞いを踊りながら間合いを詰めていく。

「さあ、愛の劇場の幕開けだよ。子猫ちゃん」

「やっ、やめるのだ!」


 もう少し放置しておきたいアーネイだったが、焦りを見せるギーネに後で怨み言を言われるのも御免であったので、自業自得だ。ざまぁ、と思いつつ、仕方なく間に割って入って助けてやる。

「はいはい、そこまで」


 ふふっ、何だかんだ言っても、絶対に味方してくれるのだ。

 アーネイはやっぱり私を大事に思っていますぞ。

 我が最終的な勝利アーネイ・エンディングを迎える日も、そう遠くない。

 そう確信しつつ、感謝の眼差しを向けてきたギーネに対して、アーネイは冷たい眼差しを投げかけた。


「乙女はともかく、清らかですかね?

 帝國にいた頃は、女の子食べまくってたじゃないですかー?」

 皮肉っぽく口元を吊り上げたアーネイの言葉に、ギーネはあからさまに狼狽をした。

「た、食べまく?違うのだ。誤解ですぞ。わたしはアーネイ一筋なのですよ?」

 必死に訴えかけるギーネだが、説得力の欠片すら存在しない。


 そもそも、一度ならず、妙齢の娘さんが主君の毒牙に掛かるまでを目にしてきたアーネイとしては、自分もハーレムの一員になることなど絶対に考えられない。


 先日まで幼馴染と初々しい雰囲気であったアーネイの知人が、想い人との一寸した喧嘩を切っ掛けにギーネに付け入られた挙句、同衾していた光景を見たときは開いた口が塞がらなかった。

「慰めていたんですぞ!」ベッドの上で見苦しく言い訳してくるスッパ主君を前に、途方に暮れた記憶をアーネイは今も鮮明に覚えている。


「……で、どうなさるんですか?」

 話題を変えたアーネイに、ギーネが精々、厳かそうに肯いてきた。

「……流石に事情を鑑みて、支払いは待ってやってもいいです」

「本当ですか。是非、お願いします!」

 半裸のままの『服屋』が、態度を掌を180度反転させて媚びてきた。

「その贅肉、とっと仕舞いなさいよ。売ってもキロ10ペンスにもなりそうにないのだ」


 どこか不満げに呟いているギーネで在ったが、すぐに機嫌を直したようだ。

「それにしても……くふふふ、力なき者を助けるのは、高貴なる貴族の責務ですぞ。

 我が身の危険を顧みず、衆生を救うとは」

 バッと振り返って、偶々、通りすがった人にびしっと指を突き出した。

「なんと高潔なのでしょう!そこの庶民!貴方もそう思いませんか?」

「しょ?しょみ……あ、うん」

 指名された見ず知らずなお姉さんハンターが曖昧に肯いた。

「宜しい。非常によろしい。もっと、褒め称えてもよいのですよ?」

 そこはかとなくポンコツ臭を濃厚に漂わせながら、腰に片手を当てて誇らしげに胸を張っている。


「今なら、サインしてあげてもいいんですよ?将来、プレミアがつくこと間違いなしです」

 言い張ってるギーネに『服屋』がいそいそとペンと痛みの少ないシャツを取り出した。

「日付もお願いしますね」

 名のあるハンターのファングッズとなると、それなりの値で売れたりする。

 見込みは薄いが損にはなるまい。

 そんな打算を抱いている『服屋』の魂胆を知ってか、知らずか。

「ほう、見る目が在るようですね。よろしい。

 ギーネさんファンクラブの、ティアマット支部第一号に任命してやらんこともない」

 悪用されようがない崩したサインを、上機嫌に見えるギーネはTシャツの生地にでかでかと記してやった。


「んー。では、わたしのファンという誼に免じて、金額も25クレジットに負けてあげましょう」

 ……俺はファンじゃないんだが。

 思いつつ『煙草屋』は、もう一声値切ってみようと試みる。

「20クレジットにまからんか?それなら手持ちですぐ払える」

「貴方の命の値段は、20クレジットですか?」

 あっけらかんと訊ね返してきたギーネだったが、眼差しの奥に厳しい眼光を読み取って『煙草屋』は肩を竦めた。

 さすがに譲れない一線はあるらしい。

「……俺の命の値段か」

 皮肉っぽく苦笑した『煙草屋』に、ギーネはせつせつと言い聞かせる。

「こっちだって色々と装備を使ったのに、余り値切られては困りますぞ。

 女の子を哀しませたら、あなたのお母さんだってきっと嘆きますのだ!」

「確かにあまりごねるのも、男が廃るかな」

 呟いた『煙草屋』の隣で『服屋』が嘆いている。

「それにしても25ギルド・クレジットかあ。どうやって用意しよう」


 ティアマットの物価や通貨の価値を、先進国でのそれと正確に比較するのは難しい。

 粗悪な合成アルコールなら1クレジットでお釣りも出る。

 食事を砂麦のパンや粥のような貧民向けの安い食糧で済ませ、簡素寝台に寝泊りすれば、崩壊前の小銭数枚で一日過ごすことも可能だが、ちょっとマシな食事を取れば、一人前で2、3クレジットは取られるし、手間の掛かった料理屋に行くか、輸入品の酒を購入すれば、5クレジットでも足が出る。


 定価らしき概念もあるが乱高下が激しく、個人的なコネや伝手、売り手と買い手の力関係に大きく左右されてしまう。

 町の顔役の保安官なら輸入物のバーボンを8クレジットで買えるが、流れ者なら足元を見られて同じ商品に15クレジット出さないとならない。


 富の格差は大きい。日に半クレジット未満で暮らす家族もいれば、一回の買い物で100クレジットを散財する有力市民もいて、しかし、ハンターギルドや各地の居留地、商会などが保障している紙幣とて何時、紙切れになるか分かったものではない。

 老いも、若きも、男も、女も、富む者も、貧しき者も、須らく不安の中に生きている。

 居留地の発行する通貨などには、食料や日用品とは交換できても、幾ら貯めようが不動産や機械部品には使えない限定紙幣なども存在しているが、発行元の商会や居留地がミュータントやバンデットの攻撃で没落してしまえば、その瞬間から価値が無となってしまう。


 自称・中央政府を名乗る勢力や自称・中央銀行の紙幣なども中西部を中心に相当量が流通しているものの、此れは東海岸では信用が低く、額面よりかなり安い購買力しか持っていない。


 現状、ティアマットの市場では物々交換が大きなウェイトを占めており、同時に異界の『列強』の通貨。鉱山や畑、工場、油田などを所有する居留地や独立都市、地方政府などが発行する食料、塩、香辛料、燃料、メタルインゴットなどの兌換チケットや紙幣が何種類となく流通している。


 物々交換の主な品目としては精製された綺麗な水、チョコレートなどの甘味、煙草、外国産の酒類、弾薬、機械部品や工具、感覚を高めるある種のスパイスや薬品、そして宇宙港の切符や安全な異界へと通じる『門』の切符などが、信用の高い『通貨』とされていた。


「……大金じゃあないが、安くもない。

 まあ、一山幾らの行商人の身代としては妥当なところだな」

『煙草屋』は苦笑しつつ、帽子をかぶり直している。

「おれっちのお袋だったら、息子にそんな金は出さないだろうなあ。

 5セントだって怪しいもんだ。

 荷物全部失った上、救出代の支払いとくらあ。踏んだり蹴ったりだよ」

「元はといえば、お前が……」

 頼んだんだろう、と『服屋』に言いかけた『煙草屋』だが、流石に助けがなかったら切り抜けられなかったことに思い当たったのか。思い直して口を閉じた。


「注目。話はまだ終わってないです」

 ギーネが咳払いしつつ、注意を促した。

「まける代わりに条件があります。二人とも、帝國貴族であるアルテミス士爵に助けられたと知り合いに触れ回るのですぞ」

 言い聞かせるギーネ。

「へえい」気の抜けた返事をする『服屋』

 そんな条件なら喜んで呑む。懐が痛むわけでもない。

「ふふ、またしても人を助けてしまった。A級ハンターになる日も近いです」

 胸を張っているギーネに『煙草屋』が呆れたように言った。

「A級ハンター……本気か?」

 軽口として流してもおかしくない状況で、聞きとがめた『煙草屋』は、軽く目を瞠っていた。


 現地人にとって『A級ハンター』と言う単語は、それだけの重みがあるのかな?

『煙草屋』の示した反応を脳裏に記憶しつつ、アーネイは憮然として呟いている。

「うちのお嬢さまは本気かも……ま、兎に角、お二人共。いずれA級ハンターになれるかも知れないこともない、なんか英雄っぽい資質が見え隠れしてたらいいなあって思わなくもないギーネ・アルテミス士爵に助けられたと、きちんと宣伝してくださいね。」

「……なんです。それ?」

 不満げなギーネと、くすくすと笑っているアーネイ。


「……まあ、腕は確かだな」

 何か言いたげな『煙草屋』の視線に、ギーネは目ざとく気がついた。

「むむ、なんか痛い子を見るような眼差しを向けてきたな?

 25クレジットでも良いですが、貴方の支払いは待ってあげませんぞ?」

「今、支払うよ」

 苦笑した『煙草屋』は、毛織ポンチョの下からカートンを取り出した。

「これ一つで捨て値で30クレジットにはなる筈だ」

「んんー、どうしますかね」

 悪い取引ではないにも関わらず、意外にもハンターたちは渋ってみせた。

「そもそも、何処に売りに行けばいいのだ?」

 戸惑っている主君にアーネイが視線を投げかけている。

「……品の相場を知りませんしね」

『煙草屋』は肯きながら、カートンを引っ込めた。もっともな話だ。


 差し出された品の価値を、言われるがままに鵜呑みにする筈がない。

 相場を知ってるか、よほどの信頼がないと成り立たない取引だった。

「よし……なら、金を作ってこよう。もう少しだけ付き合ってくれるかね?」

「どこに?」

「勿論、怪しいところじゃない。行商人ギルドの事務所だよ」

「行商人ギルド……そんなのも在るのか!」

 興味を惹かれたのか。『煙草屋』の台詞にギーネが目を細めた。

「もし、知らんのなら、一度は見ておいて損はないと思うがね」

 考え込んでいるギーネは、首を傾げているアーネイと視線を合わせてから肯いた。

「それでは、付いていきますぞ」


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