18 死の匂い
建物の周囲を見て廻る為、出口のドアノブに手を掛けた『カウボーイハット』だったが、ふと嫌な予感を覚えて相棒の『小太り』の青年に釘を刺した。
「周辺の様子を見てくる。何かあったら、すぐに呼べ。
それと……念の為に言っておくが、余計なことはするなよ?」
「余計なことって何だ?」
憮然として応える『小太り』に『カウボーイハット』は顔をあからさまに顰めた。
「余計なことは余計なことだ……そういうところが、どうにも信用できん」
ぶつぶつと呟きながら扉から出て行った。
「……さあて、鬼が出るか、蛇が出るか」
唇を舐めた『カウボーイハット』は、何かがいると胸中で確信していた。
中古市場で買い求めたパーカッション式リボルバーを強く握り締めて、朽ちた車が並んでいるドライブインの敷地内を歩き出した。
銃身に赤い錆が浮かんだリボルバーは、撃芯や引き金などの各種部品が磨耗しており、何時、不発になってもおかしくなかった。
ガタの来たシリンダーには、ジャンク屋製の粗悪な弾薬が三発だけ込められていた。
パーカッションガンが設計されたのは、百世紀以上もの昔。一説に拠れば、地球は米国の西部開拓時代だといわれている。
再装填にも時間の掛かる骨董品だったが、『カウボーイハット』は凄腕の傭兵でもなければ、腕利きのハンターでもないのだ。
どうせ無駄撃ちできるほどの弾薬を用意できる訳でもない。
それでも拳銃の銃把のずっしりとした重みを手に感じることが『カウボーイハット』には随分と心強く感じられる。
崩壊世界の放浪者には、きっとお似合いの武器だろう。
微かに表情を強張らせながらも『カウボーイハット』は建物の安全を確認しようとドライブインの外周を壁沿いに歩き出した。
時計回りに各所の窓を覗き込み、時折は建物の内部に踏み込んで、なにかしらの異常がないかを確認していく。
見知らぬ建物を調査する際には、まず脅威の有無と安全の確保を行うのがティアマットにおける生存の為の鉄則その1だ。
埃の積もった床に全く動いた痕跡がないからといって、油断は禁物だった。
時々、こうした建物の物影や扉の後ろに、気配もなくゾンビや殺人機械が潜んでいることがある。
無人だと思い込んで廃墟に不用心に踏み込んだ迂闊なハンターやスカヴェンジャーが、数十年も身動きせずにいたゾンビに奇襲されて喰い殺されたという例も枚挙に暇がない。
動きは鈍くとも、人間を越えた怪力の持ち主を振り払うのは難しく、噛まれてしまえば、場合によっては体液がわずかに傷口に入っただけでも、同類のゾンビへと変わり果ててしまう。
ゾンビを相手取る際は、僅かな油断でさえ命取りと成りかねないのだ。
もっとも曠野や廃墟に徘徊する『人類の脅威』に、生易しくない相手など存在していないのだが。
常の探索であれば、危険の匂いを嗅ぎ取った場合『カウボーイハット』はとっとと逃げ出してきた。
倉庫を漁って手に入れる煙草のカートンや葉巻がいかに魅力的であっても、命には代えられない。
金は大事。命はもっと大事。それが廃墟を漁りつつも、長生きする秘訣だった。
しかし、此処の老爺とはそれなりに長い付き合いだった。
出来るなら安否を確かめるくらいはしておきたい。
それにこの先、ドライブインが今後も拠点として使えるようなら、抜け道も随分と使いやすくなる。
足音を殺しながら、まずは一通りドライブインの正面を横断し終わった。
「……異常はなさそうだ」
左右に視線を彷徨わせて足を踏み入れた駐車場を一瞥すると、『カウボーイハット』は、囁くように溜息を洩らした。
覚悟しているとは言え、どこに怪物が潜んでいるとも知れない敷地内や建物を一人で動き回るのは、緊張感を強いる厳しい作業だった。
いつの間にか喉はカラカラに渇き、その癖、冷汗が背中を濡らしていた。
野晒しになっている乗用車や赤錆の浮いたトラックの狭間を縫って、敷地内を半周。
『カウボーイハット』はドライブインの裏手へと回った。
ドライブインを見下ろす後背の急な斜面が灰色の建材で覆われているところを見ると、元は丘陵を削った造成地だったのか。擁壁の白いセメントコンクリートは蜘蛛の巣状に所どころひび割れて、下の土壌と草が顔を見せていた。
崩落したコンクリートの欠片が、地面の其処此処に転がっており、壁には深い亀裂が幾つも走っている。
「今にも全体が崩れてきそうだぜ……あの亀裂なんかかなりでかい穴みたいだな」
荒涼とした雰囲気の漂う静寂のさなか、ドライブインの本棟に視線をやれば、破損している窓ガラスからはガランとした店内を見渡すことが出来た。
テーブルや椅子が転がり、カウンターには観光地向けのペンダントやポスターが置かれて、土産物屋を思わせる造りとなっている。
ゆっくりと裏口の扉を開けると、ドアの上に備え付けられた鈴が小さく音を鳴らした。
「こっちも……人の気配はないな」
店内を見回してから、ほつれて剥げかけている床のカーペットを踏みしめる。
「引っ越したのかな。本当に誰かいないか?」
声を掛けてみるが、店内はしんと静まり返ったままだった。
爺さんは見つからない。だが、異常もなかったな。半ば途方にくれ、一方で心の隅では安堵しつつ『カウボーイハット』は、緊張を解いて大きく息を吐いた。
戻る前に裏手を一瞥した『カウボーイハット』だが、ドライブインの本棟からいくらかも離れていないところにコンクリート製の離れがあるのに気がついた。
「小さいな……あそこは物置か?扉が開いているように見えるが……」
独り言を呟きながら離れに近づくと、開いた鉄の扉の中から明かりが漏れていた。
ドライブインは顔見知りの住処で、幾度となく訪れている。
とは言え、大まかな内部構造を知っているだけで、敷地内の細かな配置までは通じている訳でもない。
足音を忍ばせながら離れに歩み寄ると『カウボーイハット』は、そっと鉄の扉を開いてみた。
鉄の扉は、大きく軋んだ音を響かせた。
胸のうちで心臓が大きく音を立てて鼓動した。
緊張に冷汗が噴き出たが、何かが飛び出してくる予兆も、蠢いているような気配もない。
幸い、離れには何者も潜んでいなかったようだ。
「なにか、気配がするんだがな……俺の勘違いか?」
額の汗を拭ってから『カウボーイハット』は狭い室内を見回してみる。
隅に設置された大型の機械が僅かに振動を発していた。
「……発電機にも特に異常はない」
これ一基で建物の電気を全部賄える。
大崩壊後の世の中では、発電機や動力炉の類はかなりの貴重品と見做されている。
大型の発電機。しかも、稼動するとなれば、今の世の中では人一人の命よりも高価な代物で、馬鹿な略奪者でも滅多に壊したりはしない。
二百年前から現存している機械は大抵、どこか調子が悪いものだが、修理しようにも部品も簡単には手に入らない
同型の機械から共食い整備するか、都市部や工業地帯の廃墟に赴いて必要な部品を探さなければならない。
爺さんが何処と取引して手に入れたのかのは分らないが、殺風景な壁際の棚には、目利きの略奪者ならけして見逃すはずのない機械部品や工具が並べられており、貴重品が放置してある以上、バンデットに襲われたとは考えにくかった。
しかし、発電機が動くとなると、爺さんが自分でこの家を捨てるなんてことも、やはり考えにくい。
やはりただ遠出しているだけなのか。だが……どうにも、それだけとは思えない。
難しい表情を浮かべた『カウボーイハット』が舌打ちして踵を返したとき、本棟の方から甲高い悲鳴が響いてきた。
暫くの間、テーブルに座って、相棒が偵察から戻ってくるのを大人しく待っていた『小太り』だが、やがて唐突にのそりと立ち上がった。
「……水を入れてくるか」
水筒を振った『小太り』だが、『カウボーイハット』に比べて危機感が薄かった。
楽天的な性向に加えて廃墟を探索した経験もあり、悪い意味で危険に慣れていた。
熟知しているドライブインで、早々、危険な目に会うとは思っていない。
其れでも、多少は相棒の忠告を気に止める用心深さは残っていたらしい。
降ろした背嚢からバットを取り出すと、重さを確かめるように片手で二、三度、振った。
「よし」
なにが『よし』なのか。肯くと『小太り』は悠々と廊下を歩き出した。
相棒の忠告を軽視した『小太り』の、ホラー映画なら自滅間違いなしの単独行動にも、一応の理由はあった。
ドライブインの調理場は、食堂のすぐ傍に位置している。
綺麗な水が補給できる場所は多くない。
特に此処二日は歩き詰めで、疲労も蓄積している。
いそいそとした足取りで『小太り』は調理場へと一直線に向った。
勝手知ったる古馴染みの家である。危険があるとも思わなかった。
廊下を進んで行く途中、食べ物の滓が落ちており、ネズミが夢中になって赤黒いなにかを貪っていたが、人の気配に気づくと慌てて逃げた。
内側に向って倒れていた勝手口の扉を通り過ぎると、恐れる様子もなく短い通路の突き当たりにある扉を開けようとして、ドアノブに触れてから不快感に眉を顰めた。
「……うえ。なんだこれ」
糸を引く半透明の粘液がドアノブにへばり付いていた。
『小太り』は、指先をズボンにごしごしと擦り付けて粘液を拭い去ると、今度こそ扉を開け放った。
建物に入ってすぐの食事処にも後ろの土産物売り場にも面している真ん中の調理場には、奥まった位置に冷蔵庫が設置されていた。
冷蔵庫に真っ直ぐ向って、動力が働いていることを確認し、中身を確かめる。
「おおっ、溜め込んでいるな」
冷蔵庫には、缶詰や食べ物の包みが無造作に積み上げられていた。
異次元世界からの輸入品に地元の燻製肉、大崩壊後も辛うじて存続し続けている地元会社の製品も見つかった。
元々、大崩壊前のティアマットは高度な建築技術で知られており、自己修復機能を伴ったインフラは、惑星間戦争に備えて兎に角、底抜けに頑丈に設計されていた。
大崩壊から二百年。曠野に張り巡らされたインフラのかなりが未だに生きており、各地で生き残った人類に水道や電気を提供している。
水筒に水を入れてから『小太り』は食料に視線を移した。胃が音を立てて鳴った。
老人には、後で代金を払えばいいだろう。
ウィンナーやベーコンを勝手に取り出すと、ビニールを剥いて軽く炙り、すぐに齧りついた。
テーブルの上に冷蔵庫から持ってきた食べ物を乗せると、一人で食べ始める。
美味い、美味い。クラッカーか。此れも美味い。チーズも乗せよう。
こっちはなんだ?鮭の缶詰か。始めて喰うな。爺さん秘蔵の燻製。美味いんだ。これが……へへ、鬼のいぬまになんとやらだな。
「俺、ここに住んじゃおうかなあ」
テーブルに山のように積んだ食料に手を伸ばすと、椅子に座り込んだ『小太り』は遠慮仮借なく食料をむしゃむしゃと腹に詰め込んでゆく。
ふと顔を上げて凍りついた。すぐ目と鼻の先、壁から顔半分を出して、禿頭の老人が笑顔で覗き込んでいた。
「うおう!そんなところで、何していていたんだ!」
驚きに小さく悲鳴を上げる『小太り』だが、爺さんはじっと見つめ続けてきている。
口元は歪んでいて、笑っているようだが、手には猟銃を抱えていた。
「爺さん。これはだな。その……」
何時から見ていたのかは分からないが、咳き込みながらも行商人は必死に言い訳を口にした。
「水を分けて貰いたいと思って冷蔵庫を空けたらな。食べ物たちが俺に食べて欲しいって……金は払うし、そう恐い顔をしないでくれよ!」
老人は相変わらず笑顔を浮かべたまま、じっと見ている。
ようやく違和感を覚えて『小太り』は目を瞬いた。
「……爺さん?」
目の前で手をひらひらと振って見せるが老人はぴくりとも動かない。
その開いた眼の上を、季節外れの蝿が這っていった。
緊張に喉を鳴らして椅子から立ち上がった『小太り』は、老人に近寄ってみる。
『小太り』の口から、食べかけのベーコンが落ちた。
壁の向こう側に在ったのは、顔半分と下半身が綺麗に喰われた死体だった。
爺さんの半分欠けた頭の大穴から、何匹もの虫が湧き出して逃げ出していった。
白い骨。体は粘液によって真横の壁にへばりついており……
真っ黒な眼窩がぽっかりと虚ろな視線を……
体表は溶かされて……
キッチンから見える残りの部分が眠っているように穏やかな表情でありながら……
まるで生きているような……
無事に残っている半分。
大きく喘ぎながら『小太り』は数歩を後退った。
気を失いそうだった。だが、ここで失神したら、自分は確実に死ぬ。
そんな奇妙な確信がなぜか脳裏に芽生えて、かろうじて『小太り』は正気を保った。
奇妙なぜいぜいという耳障りな呼吸音が耳を打っている。
怪物の吐息か。
びくりと脅えて体を震わせてから、ようやく其れが自身の喉から発せられている喘ぎだと気づいた。
『小太り』は臆病ではない。それでも声を出そうにも喉から出てこない。
へばり付いた粘液が『獲物』を保全する役割を果たしているのか。老人の残った半分が生きているような顔色なのが、尚更、見るものをゾッとさせる。
全身が石の彫像と化してしまったかのように体が動かなかった。
声を出さないと。体を動かさないと。
それだけを考え、『小太り』は必死に意志力を振り絞った。
「きああああ!」
絞殺される豚みたいな悲鳴を上げながら、しかし、見つけた食べ物を慌ててポケットに詰め込むことだけは忘れずに、その場を慌てて逃げ出した。
「おい、デブ!無事か!襲われたのか!」
食堂に駆け込んできた『カウボーイハット』は、待機しているはずの相棒を探して叫んでいた。
『小太り』の姿は消えていた。荷物もない。
襲撃者が連れ去るついでに持ち去った?それとも持ち主が荷物ごと何処かに移動した?
『カウボーイハット』には、判断がつかなかった。
「……よくみりゃ、裏口も破壊されていた。
誰か……いや、何かが外から強引に叩き割って中になだれ込んだようにな。
糞!用心しろよ。バンデットか、ミュータントに襲われたのかも知れん」
独り言で自身に言い聞かせながら、気持ちを落ち着かせようと深呼吸する。
いや、違うか。銃を使う連中じゃない。壊された扉の上に埃が積もっていた。
襲撃自体はおそらく二週間以上前に行われた。
襲ってきたのがミュータントにしろ、バンデットにしろ、とっくに出ていった後だ。
カウンターの隅に置かれていた財布に今更気づいて『カウボーイハット』は頬を強張らせた。
財布には見覚えがあった。爺さんの持ち物の筈だ。
手に取った紙入れには、少なくない紙幣が入っている。
手早く中身を確かめてみる。
東海岸のハンター協会が発行しているクレジット紙幣に、南部連邦の食料兌換紙幣。
海洋船団のガソリンや塩のチケット。
三種とも、ほとんど何処でも使える価値の高い通貨だ。
バンデットなら見逃すことはまず有り得ない。襲撃者は少なくとも人類ではない。
それに拳銃の弾丸が包まれていた小さなメモ用紙。
押し入ったのがミュータントであろうと、知能がある連中なら武器は絶対に持ち去る筈だった。
「36口径……メモにもなにか書いてあるようだが……
取りあえず、こいつは在り難く貰っておくぜ。爺さん」
と、『カウボーイハット』は弾薬をガンベルトに差し込んだ。
36口径とは言え、パーカッション銃に合うかは分からないが、各地の軍閥や都市が発行している紙幣と違い、弾薬は何処に行っても通貨として信用されている。
額に吹き出した冷汗を片手で拭いつつ、慎重に四方に視線を走らせた。
拳銃で狙い撃ちしてくるバンデットやミュータント相手と、己が肉体を駆使して襲い掛かってくる獣や大蟷螂のような捕食者相手では、まったく異なる戦い方が要求される。
銃を構えたまま、出来るだけ部屋の真ん中に陣取り、遮蔽物から距離を取って、死角を作らないよう一歩一歩進んでいく。
一瞬で距離を詰めるような化け物には通用しないし、五感の鈍い相手であれば隠れる戦術の方がが有効な時もあるが、今は敢えて姿を晒していた。
物影から距離を取って敵襲に備えている。
勿論、相手の数や性質によって異なるが、銃を相手にするには全くの愚策が、物影に潜む動きの鈍い捕食者相手には最適解の戦術となることもあった。
それでも自身の取っている戦術が脅威に対して最適なのか。
『カウボーイハット』に確信がある訳ではない。
拳銃で狙い撃ちしてくるバンデットやミュータント相手と、肉体で襲い掛かってくる肉食獣や巨大昆虫相手では、まったく異なる戦い方が要求される。
銃を構えたまま、四方に視線を走らせつつ、死角を作らないよう一歩一歩進んでいく。
そっと踏み込んだ廊下で、壁の下の方に視線を移して目を見開いた。
粘液がべったりとへばりついている。
こりゃあ……さっきは気づかなかったが、まずい。
人食いアメーバの粘液だ。其れに、もしかしたらだが巨大蟻の痕跡もある。
確か、あいつらは通路を作る際、両脇に塵を積み上げる。
巨大蟻の習性を思い起こしながら『カウボーイハット』は深刻そうに舌打ちした。
気づかなかった。俺としたことが。
「最悪、縄張りになっている。早くここを離れないと本気でやばいぜ」
ごめんね!今回もおっさんなの!
次回予告
ピンチに陥ったオッサン二人の前に颯爽と現れた謎のハンター二人の正体とは!?