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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 すりんぐ編 A面
42/117

16 黎明

 

 彼方の地平線が茜色に輝いていた。黄金の曙光が東方の稜線に広がっていくにつれ、徐々に夜の闇が西の山脈の果てへと追い払われていく。

 差し込んできた柔らかな日差しに、カウボーイハットを顔の上に被ったまま寝ていた人物が目を覚ました。


 もぞもぞと身じろぎをしつつ、面倒くさそうに目を薄く見開くと、寝入る直前まで傍らで燃え盛っていた炎も消えかけている。

 岩陰に毛布を地面に敷いただけの粗末な寝床から身を起こし、朝の冷気に身を震わせてから、腕を軽く屈伸させ、首を左右に動かしてコキコキと鳴らした。


 毛布が敷かれていたのは、なだらかな丘陵の勾配だった。少し窪んでいる地面と覆いかぶさるようにして聳え立っている巨岩の陰で、周囲からの視線と吹き付ける風が遮られている野営地は、中々に悪くない寝心地だった。

 軽く肩を動かしつつ起き上がった後、周囲に油断ない視線を走らせつつ、腰の水筒を取り出した。


 軽くうがいして一度、地面に水を吐き捨てた後、口元を袖で拭ったのは、焦茶色のカウボーイハットに古びたシャツの痩せた男であった。

 西部劇でよく見られるような毛織の茶色のポンチョを地面から拾い上げて体に纏う。

 伊達にしているのか。馬にも乗っていないのに、ジーンズの上には乗馬用の脚絆チャップスを履いている。


 腰に巻き直しているガンベルトには、古い年代物のパーカッション式拳銃を吊るしていた。

 こけた頬に短い無精ひげ、細い目つきは、あと十年も経れば渋いと評される日が来るかも知れないが、今がまだ貧相なだけと言うのが、酒場の女たちが口にする彼の風貌についての品評だった。





 カウボーイハットの男は、大きな欠伸をしつつ、枕代わりにしていた鞄から固形物を取り出した。

 直接放り込むことで、長時間、炎が勢いよく燃え盛る固形燃料は、一見、灰色の粘土そのものに見える。

 幾つ使うか悩んだが、有り触れた品とは言え、旅の身空では節約に越したことはない。

 小さな塊を千切って二つ投げ込んだ後は、そこら辺に落ちている木切れを放り込むだけに留めた。

 炎が勢いを増したと判断してから、ブリキの鍋に水を入れて火にかける。


 お湯が湧くまでの間、黄金の曠野に目を細めて見入っていた男だが、やがて視線を転じると、さほど離れていない斜面には、骸骨にも似た痩せたミュータントが死体となって転がっていた。

 ミュータントは、一見するとゾンビに似ていたし、『ロッティングコープス』と呼ばれるゾンビもどきのミュータントにも似ていたが、しかし、痩せてはいたものの皮膚は腐ってはおらず、無数の乱杭歯と鋭い鉤爪は、元が人間であろうゾンビやロッティングコープスには持ち得ない特徴だった。


 視線を再び逸らした男は、隣で寝ていた相棒の下に向うと、枕代わりにしている鞄をブーツの先でやや乱暴に小突いた。

「おい、起きろ。朝だ」

「お、おう」

 足元で呻き声を上げつつ、乱暴な起こしかたに不満げな表情で起き上がったのは、『カウボーイハット』とは対照的にやや小太りの体格をした男であった。

 チェックのポロシャツにサスペンダー、下半身は動きやすいズボンを履いている。

 どこか子供じみた印象を与える服装に、腰に結んだ色褪せた青の上着は、大崩壊前は東海岸でも屈指の規模を誇った運送会社の制服だった。


「湯を沸かしてる。コーヒー飲むか?」と『カウボーイハット』

「まだ、あったっけか?」『小太り』が眠たげな声で応えた。

「最後のだ」

『カウボーイハット』はガラス製の瓶を背嚢から取り出して振った。

 頑丈なブリキの鍋でお湯を沸かし、同じブリキのカップに粉を注いでインスタントコーヒーを造る。


 コーヒーのいい香りが漂ってきて『小太り』は鼻を蠢かした。

 惜しむように一杯のコーヒーを味わっている二人の年齢は、揃って二十代の半ば。

 ティアマット各地を巡る行商人であった。

 東海岸を放浪しては、古い自販機を探し回って略奪を免れた煙草を漁ったり、廃墟に残された服飾店から、衣服などの残骸を回収しては補修して売買するのを生業としている。


 コーヒーと炒った豆、パンで軽い朝食を取った後、背嚢を枕代わりに細巻きを吸いながら『小太り』は空を見上げていた。

「そろそろ柔らかなベッドが恋しくなってきたよ。今日中には町に入りたいな」

「まあ、明日の昼頃といったころだな」

 朝の習慣で拳銃の整備をしながら『カウボーイ』が呟いた。

「……もうじき高架橋の入り口が見えてくるはずだ」

 赤錆の浮いている年代物のパーカッション式リボルバーを分解し、綺麗に磨いてから組み立てると、ホルスターへとしまう。

『カウボーイハット』の愛銃は、装薬と弾頭を詰めることも出来るし、金属製の薬莢も込められる両用式の拳銃であったが、今のところ、組み込んだ六発入りシリンダーに弾薬は込められていなかった。


 リボルバー式拳銃のうちでも、弾倉シリンダーを横にずらすだけで装弾できるスウィングアウト式や中折れ式の回転拳銃に比べて、一々、弾頭と火薬、雷管を別々に装填しなければならないパーカッション式回転拳銃は、弾込めにひどく手間がかかる代物であったが一つだけ利点があった。


 ティアマットでは、弾薬は総じて高価で、それ以上に貴重な代物であった。

 日常的に使用した場合、金属製の弾薬は勿論、紙薬莢の弾薬でさえ馬鹿にならない弾代が掛かる金食い虫であるが、パーカッション式拳銃で使用する弾頭や火薬なら、伝手によってはかなり安く入手することが出来た。


『カウボーイハット』にしても、パウダーが劣化しやすいパーカッション式の弾薬を普段から装填しておけるほど手持ちに余裕がある訳でもない。

 それでも、いざという時に銃という切り札を切れると思っているだけで、危険な曠野を旅するには随分と気持ちが軽くなった。


 そもそも大崩壊後の東海岸地域には、銃弾の原材料であるニトロセルロースを生産できる施設自体がほとんど残されていなかった。

 辛うじて壊滅を免れた軍工廠で製造された軍用規格の弾薬も、在るには在るが土地の有力者の私兵や軍閥のエリート部隊などが独占している。


 各地の工房や職人が、僅かに品質に劣るニトロセルロースを材料に製造した民生用の一級品も、ハンター協会や自治体の治安関係者などに優先して廻されており、品質の劣る二等級の弾薬でさえ信用できる武器商人や工房、職人への伝手やコネがないと入手するのは難しい。


 大地は枯れ、資源の採掘も困難。工業が壊滅した東海岸では、他世界や遠来の地との貿易も断絶しており、結局のところ、大半のハンターや一般人に手に入るのはさらに粗悪な手製の弾薬だけであった。

 よくて大手商会が売ってる工房で生産された弾薬。悪くすればそこら辺の屋台や怪しげな露店で販売している再生品や、流れのジャンク屋が売りつけるスクラップから造ったジャンク弾を使わざるを得ない。

 火薬の品質が悪ければ、比例して弾薬の威力も低下する。だが、そんなジャンク弾でも、人間相手には十分な威力を発揮している。


 元が大型の肉食動物であった変異生物の中には、軍用規格のライフル弾を数十発喰らおうともビクともしない怪物もいるというのに、人間は僅か数発のジャンク弾を食らっただけでも瀕死となり、急所に当たれば一発で死ぬ。人間が脆弱なのではなく、怪物の体組織や生命力が強靭なのだが、それでも、生き残ったティアマット人たちの大半は、生き残る為、人も殺せない銃で、時に軍用ライフルでも殺すのが困難な怪物たちの群れに立ち向かわざるを得なかった。


 ジャンク屋が売っている安売りの弾には、不発であったり、銃のシリンダーを破裂させてしまうような不良品も少なくない。

 パーカッション式の回転拳銃は『カウボーイハット』が手持ちの予算で購入できる最良の武器であったが、いざという時、装填は早いが信頼性に欠けるジャンク弾を使うか、手間隙は掛かるが信頼できるパーカッション式の弾薬を使うか。状況によって使い分ける必要もあった。

 運任せとも言える。そこの判断も含めて、銃という武器は何とも堪えられないと『カウボーイハット』は面白みを感じている。


「飽きないな。銃を弄くるのはそんなに面白いか?」

 小太りが二つ目のパンに齧り付きながら、正確な動作で銃を分解しているカウボーイの手元を眺めた。

「ガンマンは、常に道具の手入れを欠かさないものだ」

 銃の引き金が正確に作動することを確かめながら、カウボーイは言葉を返した。

「ハッタリでモデルガンぶら下げていた奴が、何がガンマンだ」

「……餓鬼の頃の話を蒸し返すのは止せ。現に役に立っただろう?」

 丘陵の麓に転がっている骸骨のようなミュータントの亡骸に視線をくれた。


 昨晩、夜営の準備中に近づいてきたミュータントをあっさりと返り討ちにしたのは、『カウボーイ』の放った一発の銃弾だった。

『小太り』からすれば、友人が無駄金使ったと思い込んでいた骨董品からまともに弾が出たのは予想外で、しかも、その弾丸が一撃でミュータントを仕留めたのだから、驚愕を覚えている。

 ミュータントに襲撃を受けた際、大抵は必死に走って振り切るか、手持ちの鈍器を振り回して撃退するくらいしか対処法はなかったのだから、確かにいい買い物だったのかも知れない。


『小太り』は恐る恐るとミュータントの死体に歩み寄って覗き込んだ。

 陽が沈みかける直前で襲撃を受けたので、昨夜は検分する余地も無かった。

「額のど真ん中に穴が空いてる。おお。お前、口だけじゃなかったんだな」

「……当たり前だ。俺が幾つの頃から銃を弄ってきたと思ってるんだ?」

「どうせモデルガンだろ」

「親父の銃を借りて練習はしてきたさ」


 感心の呻きを洩らした『小太り』ではあるが、とはいえ、拳銃を購入したからと言って旅の相方に無闇やたらと好戦的になられても困るのだ。

 自信過剰な奴は、ティアマットでは長生きできないと相場が決まっている。

「……そもそもやり過ごせばよかったって気もするぞ。

 やっこさんはまだ気づいてなかった様子だったし、弾だって貴重品だろうに……」

 肥満体の相棒の言葉に『カウボーイハット』は肩を竦めただけだった。

「先手必勝さ。ミュータントの中でも、この『餓鬼』(スキーニィ)は、人間の肉が大好物でな。お前なんか食いでがあるからな。見たら、涎を垂らして襲ってくるぜ」


 やがてコーヒーを飲み終わり、煙草も吸い終わった二人は、休憩を終えると丘陵を後にして荒廃した無人の市街地跡へと踏み込んでいった。





 一年を通して気候の変動が大して見られない東海岸にしては、珍しく晴れ渡っていた。

 普段、空を覆っている薄い雲も見当たらず、大気圏内外に漂う細かな塵を除けば、地上に降り注ぐ陽光を遮るものは何一つない。

 強い熱気に照らされた枯れた大地の彼方では、朧な灰色の影が蜃気楼のように揺れている。


 無人の旧市街地に墓標のように聳え立つ高層建築の屋上。人の赤子にも、またある種の猿にも似た奇怪な頭部を持つ怪鳥たちが羽を休めている。

 呻き声とも、怨嗟の嘆きともつかぬおぞましい鳴き声を響かせながら、浚ってきたお化け鼠の幼獣を力強い爪で引き裂いては、鋭い牙で引きちぎり、湯気の立つ臓物を貪っている。

 とうの昔に住民が死に絶えた無人都市の狭間に全身を鮮血に染めた半人半鳥ハルピュイアたちの不気味な歌声だけが響き渡っている。

 と、唐突に半人半鳥の一匹が、食事の手を休めて皺だらけの醜悪な顔を上げた。


 眼下にある亡霊都市を朽ち果てかけた高速道路が緩やかに蛇行しつつ貫いている。

 巣窟としている高層建築の屋上から、怪鳥は黄土色の虹彩を眇めてじっと地平へと続く高架橋の彼方を見つめている。

 内陸より放射能の砂塵を含む埃っぽい風が吹きつけてくる中、コンクリートとアスファルトの混合物である高架橋の残骸を幾つかの人影が熱気に揺らめきながら此方へと近づいてくる。


 所々が崩落したコンクリートの橋上を歩いている旅人の一団に気づいた怪鳥の喉から、甲高い雄叫びが響き渡った。

 用心深い仲間に一匹によって警告の叫びが発せられると、残りの半人半鳥たちも食事の手を休めて、侵入者たちへと警戒の眼差しを向けた。


 怪鳥の喉から迸った、密林に住むサルの遠吠えにも似た不気味な吠え声は、いまだ遠方を歩いていた人間たちの耳にも届いただろうか。

 高架橋を進む二つの人影が、一瞬だけ足を止めて周囲を見回した。



 彼方の高層建築の崩れかけた屋上を根城に、羽ばたいている複数の黒い影を見て取って『小太り』が警戒の声を発した。

「おうい!ハルピュイアがいるぞ」

 集団で狩を行い、仲間との意思の疎通さえ可能にするといわれる半人半鳥たちは、元は遺伝子操作で禿たかの知能を高めた悪趣味なペットが野生化したものだとも、軍の施設から脱走した生物兵器の末裔だとも言われていた。


 大地に蔓延る変異生物の中でも知能はかなり高く、同時に鋭敏な感覚を持っているために危険度はかなり高い。

 元より人間よりも強力な肉体を持ち、さらに創造者たちを憎んでいる半人半鳥の縄張りを通り抜ける時には、武装した旅人でもかなりの緊張を強いられる。

 逃げ腰になった『小太り』を、ポンチョにカウボーイハットの痩せた男が鋭い声で制止した。

「待て!そう露骨に慌てたり、逃げようとする方がまずい」

「……?」

 制された『小太り』は、やや不審そうに『カウボーイハット』を眺めた。

「堂々と歩き続けるんだ。お前らなんか、目じゃないって態度でな。

 ……連中は馬鹿じゃない。武装した人間を襲っては来ない」

 不安と不満が入り混じった小さな唸りを洩らしつつ、『小太り』は同行者の言葉に従ってゆっくりと歩き出した。

 縄張りを横断する人間たちを忌々しげに睨み付けていた半人半鳥たちだが、カウボーイハットの言葉通りに最後まで襲ってくる様子はなかった。


 人間は非力で脆弱だが、同時に怪物たちから見ても、狡猾で油断のならない相手だった。

 特に銃を持っている人間は、総じて手強い。

 轟音と共に仲間を傷つけ、時に一撃で殺す銃器の記憶は、怪鳥たちは得体の知れない恐怖心に刻まれており、武装した人間たちへ向ける警戒心は強かった。

 楽に襲える獲物は、他に幾らでもいる。

 ならば、飢えてもいないのに武装している人間たちを襲う愚を冒す必要もなかった。


 損得計算の末、縄張りを通り過ぎる人間たちを手出しせずに見送った半人半鳥たちは、表情を変えぬままに顔を見合わせた。最後に一匹が喉からしわがれた声を発っした。

「……に、ん……げ……ん」

 それは奇しくもティアマット共通語であったが、人の声を出すのに適していない発声器官から無理矢理、言葉を引きずり出したような虚ろで歪な響きが込められていた。




 半人半鳥の縄張りを固まって通り抜けた『肥満の男』と『カウボーイハット』の二人組。

 なおも不安が拭いきれないのか。『小太り』は、時折、背後に聳え立つ高層建築を振り返りつつ、吹き出た額の汗をハンカチで拭っていた。


 やがて高層ビルの屋上が他の高層建築に遮られて視界から消える頃、『カウボーイハット』は一度だけ振り返ってぼそりと呟いた。

「前に通った時には、ハーピー共は巣食ってなかった。

 ……イヤな世の中だ。怪物の巣ばかりが増えていやがる」




 ※ 西部劇でよく見る唾付きの帽子 凸←こんなのだが 

 カウボーイハットという呼称。実は、米国では余り使われないらしい。

 普通は、テンガロンハットなどと呼ばれることが多いとか。


 ……まあ、こまけえことはいいんだよ!

 書いてんの日本人だし、読者も日本人だしな!

 万が一、米国人がいたら笑って許してね!



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