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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 すりんぐ編 A面
41/117

15 忍びの掟は厳しいのだ

 ギルド会館の殺風景な廊下には、安っぽいベンチが幾つか設置されており、数人のハンターたちが暇そうに油を売っている。

 ハンター協会の巨大な建物にあるロビーや食堂は、下級ハンターのたまり場で、手隙のハンターたちが常に数人は屯っていた。

 彼ら、もしくは彼女らが臨時の仲間を募ったり、他の徒党と情報を交換する姿もよく見かけられ、今も細長い廊下に散った十人弱のハンターたちが思い思いに顔見知りと挨拶を交わしたり、世間話に興じている。


 会館のロビーから食堂を繋いでいる廊下に、一人のハンターがふいっと姿を現した。

 茶色いポンチョを羽織った中年男。前歯が一本抜けているためか、どこか間抜けそうな印象を与える。

 背中に錆びの浮いた鉄パイプを背負っており、左右を見回しながら、廊下をひょこひょこと進んでいたが、顔見知りを見つけると手を振って挨拶した。

「よう、景気はどうだ?」

「……よかねえな。そっちは?」

 椅子から見上げて応えたのは、赤い鼻を啜っている毛皮帽子の男。

 こちらも、どちらかといえば冴えない風体の中年男で、前歯の抜けた男と同じくうだつの上がらないハンターの一人だった。


「聞いたか?例の話?」

 歯の抜けたハンターが口を開いた。

「うん?」と赤鼻が眉を上げる。

「知らねえのか?おめえ。

 世間じゃ最近、人喰いアメーバが増えてきたとかで、騒ぎになってるのよ」

「……アメーバぁ?すると、今朝の怪我人はそれか?」

「おう。担ぎ込まれた時には、全身の皮膚が溶けてもう手の施しようがなかったってな」

「人喰いアメーバか……おっかねえな」赤鼻は身をぶるっと震わせた。

「だけど、それだけに見返りも大きいぜ。一匹で一クレジット」

「景気のいい話だな」

 暇を持て余していたのか、赤鼻は噂話を歓迎している様子だった。

 腕のいいハンターやスカヴェンジャーが徒党を組めば、一度の狩りや探索行で30から50クレジット、時には100クレジット以上も稼ぐのも難しくないことは、歯抜けや赤鼻も伝聞として承知しているが、ろくな装備も持たない無名のハンターにとって1匹1クレジットはやはり大した金なのであった。


「それで、さっきよう。アメーバの細胞を十何個も受付に持ち込んできた連中がいたぜ」

 歯抜けが言った瞬間、隣のベンチに寝転がっていた人影が、苛立たしげな舌打ちをした。

 聞こえよがしな舌打ちに眉をひそめたものの、歯抜けは気にせずに話を続けた。

「へえ、大したもんだな」

「それがよう。驚いたことにたった二人。それも女よ」

「へえ、そりゃすげえ」

 歯抜けの話に、赤鼻はただただ相槌を打っている。

「しかも、どっちもいけてる女でな。

 あんな女たちとチーム組めたら人生楽しいだろうな」

 悩みのなさそうな表情で鼻の下を伸ばした歯抜けの隣のベンチで、不意に人影が立ち上がった。

「けっ。ちっと運がいいだけの連中がよ」

 頬にはまだ雀斑の残っている若い男。いらだった様子を隠そうともせず、話し込んでいた歯抜けたちを険悪な表情で睨みつけると、足音も荒々しく立ち去っていった。

「なんでえ?あいつ」

 呆気に取られた歯抜けだが、赤鼻は手を振った。

「ほうっとけ。気にすんな。それより話の続きを聞かせてくれよ」

「お、おう」

 急かされた歯抜けは、気を取り直したように明るい声で言った。

「まあ、美女を両手に華とは言わないけど、景気の良さそうな徒党もいるぜ。売り込むチャンスだべな」

「よせやい。どうせ入れても、下っ端は囮や盾役がいい所だぜ」

 赤鼻は再び掌を振った。

「俺らにゃ、遠い話よ。大人しく芋虫やミュータント鼠狩ってようぜ」

 身の程を知っている友人の言葉に、歯抜けも肯いている。

「違いねえ。命あっての物種だあな」


 背後で響いた笑い声を耳にして、雀斑を残した若いハンターは床に唾を吐き捨てた。

 うだつの上がらない三流ハンター共が、何が面白いのか。

 他人の幸運を話の種にしてへらへらと笑ってやがる。

「……俺はあんな負け犬共と違う。必ず成りあがってやる」

 毒づきながら、擦り切れたポケットから合成酒が入った小瓶を取り出して一口煽った。

 自分と関係ないところで景気のいい連中がいる。

 それだけでも若者には腹立たしく、また妬ましく感じられた。

 口元の垂れた安酒を拭いながら、荒んだ目つきでロビーの方角を睨みつける。


 成功している他人を毒づきながら、かといって己の野心を滾らせるでもなく、他人の幸運を祝す訳でもなく、ただ嫉みだけを胸中に滾らせてぶちぶちと罵りながら廊下をふらふらと進んでいった。


「……どいつも、こいつも馬鹿にしやがって」

 何もかもが面白くなかった。思うようにならぬ日々にただ苛立ちばかりが募っていく。

 吐き捨てている若者は、地元の生まれではない。物資も乏しく、娯楽が古いレコード程度しかない小さな居留地に生まれ育った若者は、何もない故郷に見切りをつけて友人と共に近隣で一番大きな町までやってきた。


 町にやって来た直後は違った。希望に溢れていた。

 金、女、地位、名誉。いずれは、市民権だって手に入れてやろうと意気込んでいた。

 だが、現実は厳しかった。協会の認定ハンターとしては尤も低ランクであるI級になるのさえ、思うようにはいかなかった。

 手始めに蟹虫を狩ろうとするも、意外と素早い動きに翻弄され、また硬い甲殻は生半な打撃を通さない。

 切り傷や刺し傷が手足に増えていく中、やっとI級ハンターになったある日、蟹虫を狩っていた友人が太い血管を食い千切られてあっさりと死んだ。

 出血を抑えながら助けを求めてくる友人を前にして、若者は何も出来なかった。


 それ以降、若者は滅多に狩りに出なくなった。

 相棒の残した金と貯めた金を合わせて手に入れたクロスボウで、地下鼠やら、肉食の甲虫やらを仕留めては小銭に買え、反吐みたいな粥や石みたいなパンで食い繋ぎながら、なにをするでもなく、ただ日々を生きている。


「……つまらない町だぜ。糞がっ!」

 壊れた自販機の傍らに設置されたゴミ箱に蹴りを入れた。

 廊下にガンという騒音が鳴り響くと、近くのベンチで食事を取っていた三人組が手を止めて非難がましい視線を送ってきた。



「……何を見てやがる」

 若者が睨み返すと、女たちは視線をゆっくりと逸らした。

 三人とも若い女だった。恐らくは同業者だろう。

 バットだの、鉄パイプにナイフをつけた奇妙な槍だのを傍らに置いている。

 まるで誰もいないかのよう振舞いながら、何事もなかったように食事を再開する。

「……けっ」


 舌打ちした若者が立ち去ろうとした時、横合いから笑い声が聞こえてきた。

 ベンチの横に寝そべっていた大柄な男が半身を起こし、ニヤニヤと笑いながら話しかけてくる。

「おい、そこの若いの」

 年の頃は、五十も半ばか。大柄な男の髪には、白いものが混じり始めていた。

 岩のような相貌に刻まれている傷跡や落ち窪んだ荒々しい眼に、内心、やや怯みながら若者は向き直った。

「なんだよ、お前」

「いい目をしてるな。いい目をしてやがる。」

 大柄な男は、獰猛に笑っていた。

「元気のいい奴だな。どうだ。おまえ。うちで働いてみないか?」

 漆黒の革ジャケットを羽織り直しながら、大柄な男が立ち上がった。

 まるでミュータントのように逞しい巨躯の持ち主であった。

「……黒影党」

 大柄な男の肉食獣を思わせる獰猛な視線に射すくめられて、若者はやっとそれだけ口にした。


 ハンター稼業の利点は、コツさえ掴めば単独でもやっていけるところであろう。

 ソロであれば稼ぎも独占できる。それでも他人と組むハンターはけして少なくない。

 勝ち目の見えない怪物相手に、チームで当たれば無傷で完封することも珍しくない。

 狩れない数の蟹虫や人喰いアメーバでも、複数人で当たれば容易に狩れることもある。

 稼ぎは人数分で頭割りとなるが、一人でやっていけない腕前のハンターでも、集団では上手く役割分担をこなすことで一人前以上の能力を発揮することもある。


 一人で狩りを行える腕を持っていても、危険を下げる為、ペアやトリオ、カルテットなど、気心の知れた少人数のチームで行動するハンターは多かった。


 一方で、そうした中には人数を増やし続け、徒党と呼ばれるのが相応なまでに大きくなった集団も存在している。

 黒影党もまた、ギルドやクランなどと名乗っているそうした大規模な徒党の一つであった。


 仲間をあくまで少数に留めているチームも少なくない。

 気心の知れた仲間であれば、分配で揉めることも滅多にない。

 しかし、大人数なりの利点もまた多い。

 装備の整備や宿泊施設を共用することで経費を抑えることも出来る。

 しかし、大きな徒党であれば、下っ端が食い物にされることも珍しくない。リーダーや会計が金を使い込んだり、持ち逃げすることもある。

 貧弱な装備でも人数を揃えて大物を狩れると思い込み、危険な相手に挑んで大半が返り討ちにあった徒党も存在している。

 入ったばかりの新入りが、肉の盾や囮にされるのも珍しいことではない。



 大柄な壮年と若者は暫くの間、何かを話しこんでいたが、やがて話が纏まったのだろう。連れ立って何処かへと姿を消した。


 はた迷惑な若者がギルド会館の廊下から立ち去った後、近くのベンチで食事を取っていた三人組のうち、中央のリーダーらしい娘が口元をハンカチで拭いながら呟いた。

「最近、増えてるね。黒影党」

 傍らにいた栗毛の娘も、嫌そうな顔をして相槌を打っている。

「今も性格の悪そうなのを勧誘していたしね」

「あれだけ評判の良くない徒党に、今さら所属する奴がいるなんて……意外なものを見たよ」

 若者達が出て行った裏口に視線を送りながら、娘たちは口々に囁いている。


 大抵の大きな徒党は、相互扶助組織としての顔を持っている。しかし、一方では、多かれ少なかれ、身内を食わせる為に赤の他人に割りを食わせる側面を持っていた。

 最近になって勢力を伸ばしつつある黒影党は、中でも特に悪評が際立っている徒党であった。

 人数を頼んで強引に狩場を独占し、或いは他人の取った獲物を横取りするなど、傍若無人な振る舞いが多いと囁かれている。


 と、濃紺の髪色をした背の低い娘が、食事の手を休めて仲間たちを見つめた。

「……ん。連中。おのぼりさんっぽい駆け出しハンターによく声を掛けている」

 蟹虫の燻製肉を挟んだパンを頬張りながら、小柄な娘は町中で見かけた光景について説明すると、中央の娘は目を細めてなにやら考え込んだ。


 新人のハンターは知らないことだが、大きな徒党への所属は利点ばかりではない。

 組織の方針に従って行動を制約されもするし、共済費を徴収されるチームや危険な役割を割り振られることも少なくない。

 人数が増えれば、仲間内で割れることもあるし、他の徒党との軋轢も生じ易くなる。

 横暴に振舞って町の者たちに憎まれた挙句、治安機関やハンター協会によって殲滅された徒党さえ世には存在している。

 町で住んでいる者たちならば、一度は耳にする話であった。


「……町の事情に詳しくない駆け出しハンターなら、大手に誘われれば乗る奴もいるかな」

 中央の娘は、狡猾だな、と低く吐き捨ててから水筒で喉を潤した。


 傍らにいる栗毛の髪をした娘は、遠い眼をして俯いている。

「黒影党か。……悪評を受けても、餓えるよりはマシなのかな」

「あれ?入りたいん?レーゼ?見たところ、女の団員もそれなりにいるしね」

 金髪の娘に言われて、レーゼは苦笑しながら首を横に振った。

「ちがう。ただ、人数多いから、狩場に割って入ってこられても文句が言い辛い」

 レーゼの言葉を聞いた紺色の髪の娘が意味深な微笑を浮かべる。

「んん。そう思ってるのは私たちだけじゃない」

 レーゼも深々と肯いた。

「最近、いい噂をあまり聞かないよね、あいつらは」

「……目障りだよね。黒影党」


 黒影党に連れられて出て行った若者とは対照的に、中心の娘は何処となく垢抜けた雰囲気を纏っている。

 似たような衣服を着ながらも、動き易いようにリボンや紐で寸法を調節し、色合いや素材を揃えたり、或いは映えるように結び方を変えている。

 地元出身か、さもなくば其れなりに大きな町の出なのか。町中で生き抜く為の不文律や約束事については、仲間二人よりもずっとよく熟知していた。


 大きな徒党というものは、基本的に相互補助の側面が強い。

 最初は見知った者が寄り集まって結成され、その気風が大きくなっても存続することは珍しくない。自然、似たような出身や背景を持つ者たちが寄り集まることが多く、黒影党もその例外ではなかった。

 徒党の中核からして小さな集落出身との噂で、他にも町に馴染めない者たちへの勧誘が主なように見える。

 それは取りも直さず、百とも二百とも付かないハンターたちが犇めき合う町での法律や更には暗黙の了解などに対して疎い者ばかり集まっているということでもあった。

 とは言え、現段階では、狩場などで割を食った小さなパーティーの幾つかが不満を洩らしているだけで、今はまだ、そう深刻な問題とはなっていない。


 それでも、金髪の娘が見たところ、黒影党の先はそう長くはないように思える。

 性質のよくないハンター崩れを引き込んでいるし、その癖、あまりに人数が増えすぎている。

 かなりあからさまに増長の傾向を見せ始めているから、保安官たちが目をつけるのも、時間の問題ではないかと睨んでいた。


「まあ、連中は些か暴れすぎだよね。

 それほど遠くないうち界隈にいられなくなっても不思議じゃないよ」

 中央の娘がそう告げると、二人の仲間は眼を瞬いて顔を見合わせた。

「希望的観測?」とサラ。


「まあ、黒影党は論外だとしても、うちのパーティーもうだつが上がらないし。

 他所のパーティーに移籍するのは悪くない選択肢かも」

 そんなことを言い出しながら、栗毛の娘がけっけっと笑っている。

「だ、駄目だよ、レーゼ!困るよ」

 慌てる金髪の娘に、栗毛のレーゼはにやりと笑いかけた。

「ならば、給料を上げてくれ。リーダー」

「わあ!なんて無茶な要求!既に三等分なのに!」

「上げないと他所に移っちゃうかも」

 脅迫する栗毛の娘を睨み付けると、食事用のプラスチックフォークをすいっと構えながら中央の娘が唸りを洩らした。

「……むむむ、我がシャルロッ党を辞められるのは、死人だけです。

 レーゼよ。我が団を抜けるであれば、命捨てるべし」

「……お頭。我が前に立ちはだかるか?良かろう。もはや是非もなし!」

 レーゼも食事用のプラスチックナイフを横に構えた。

「シャルロッ党の名も此処で費える。

 今宵この時よりレーゼ団の恐怖の伝説が始まるのだ」

「小癪な、小童め。貴様が徒党に名前を冠するなど百年早いわ」

「……二人とも、ネーミングセンス最悪」

 ちっちゃなナイフとフォークでちゃんばらごっこしている二人を他所に、サラは最後に残ったサンドイッチに手を伸ばした。

「サラ隊長のティアマット遊撃隊……いい名前。ふふっ」


 町で唯一の郵便局は、ハンター協会会館に併設されている。

 此処数日、レオはハンター協会に日参を続けていた。

 一日29時間のティアマットで日に二回。

 郵便局員も朝と夕に必ず姿を見せる毛皮の大男の顔と名前をすっかり覚えてしまったようだ。

「ああ、あんたかね」

 受付で書類を書いていた老局員が老眼鏡をかけ直しながら、大男を見上げた。

「……引き受けてくれる人は?」

 この質問も毎日のことだ。そしてその度に郵便局員からは同じ答えが返ってくる。

「いないねえ、もう少し報酬を上げると出るかもしれんが」

「……そうか」

 郵便局を兼ねているハンター協会会館には食堂も併設されている。

 落胆したレオは、其の侭、リサと連れ立って食堂へと向った。


 テーブルに着いた二人のところに、三十路のウェイトレスがやって来て注文を訊ねる。

「虫の肉団子とパン、野菜のスープ。四人前」

 巨体のレオを見つめてから、ウェイトレスは納得したように肯いた。

「はあい、四人前ね」

 椅子の背もたれに寄りかかりながら、レオが背伸びをすると体重に耐えかねた椅子がみしみしと音を立てた。

「さてなあ……こうなると俺が村まで出向くべきだな」

 ぼやくように言った毛皮の男の真ん前で、所在投げに俯いていたリサが唇に指を当てて訊ねてきた。

「……何をそんなに急いでいるの?レオ」

 年齢の割には長身なリサだが、偉丈夫のレオの前とは随分な身長差があった。

 渋い表情を浮かべたレオは、首をかしげてリサを見下ろした。

「俺だって、何時までもお前たちだけに掛かりきりという訳にもいくまいよ。

 だが、子供だけで暮らすには、スラムは余りにも酷な環境だ」

「……自力で暮らしている子も多いわ」

 首を振りつつ、張り詰めた硬い声音でのリサの抗議も説得力が薄かった。

「……メルを廃墟の子供にするのか?」

 一言で返されて沈黙するリサに、レオは顔を覗き込みながらとくとくと解いた。

「……婆さんにな、お前らを引き取ってくれるか、頼んでみようと思ってる。

 ハラバの村には、祖母さんとお前の一族がいるんだ」

 リサは首を振った。一度も在ったことのない親戚たちに加えて、今とまるで異なる環境で暮らせといわれても、素直には肯けない。

「でも、私……お祖母さんとは、一度の面識もないのよ」

 仮に親戚達がリサを受け入れたとしても、メルやカインに対してはどう思うだろう。

 リサが共に育ってきた兄妹同然の二人も、親戚からすれば何処の馬の骨とも知れない孤児に過ぎない。そして、メルやカインも他所での生活をどう思うだろう。


 リサが語った考えを、レオはただ聞いていた。

 肯くでもなく、否定するでもなく、無骨な表情に優しげな眼差しで少女を見つめている。

「答えがどうだろうが、取り敢えずは知らせを送らんとな」

 不安そうに呟いているリサを勇気付けるよう、不器用に笑みを浮かべて見せる。

「暫くはちょくちょく顔を見せるさ。お前らが落ち着くまでは」

「ありがとう……それに、エルミナも喜んでいるでしょうね」

 食事が運ばれてきた。

 沈み込んだ様子のリサだったが、口と手は休ませずに三人前の食事をあっという間に平らげる光景にウェイトレスは眼を丸くしていた。

 レオも食事を食べ終わった頃、老局員が食堂へと駆け込んできた。

 食堂を見回して二人を見つけると、足早に近寄りながらハンカチで額の汗を拭いとった。

「ああ、おったか。いた、引き受けてくれる人が来たぞ!」

「本当か?」

 朗報に立ち上がったレオたちを前に郵便局員は肯いた。

「引継ぎの職員が先刻、休憩から戻ってきたんじゃ。

 おぬしを訪ねて人がやってきたそうだ。

 きっと、フリーのポストマンじゃろう!」

 怠惰だと思っていたが、意外と仕事熱心なのか。

 それとも此れでレオに日参されないで済むと思ったのか。

 嬉しそうに語る局員を前に、レオとリサは顔を見合わせた。

「あんたの宿泊しているホテルへと向ったそうです」



 急遽、ホテルに戻ったレオとリサだが、ホテルのフロントでは、何故か居合わせたギーネ・アルテミスが、巨大な猫のお腹に抱きついて顔を埋めていた。傍らでは例によって家臣のアーネイが何かを諌めている。

「アーネイ!これ、飼いたい!飼っていいでしょう!きちんと世話するから!」

「駄目です!誰がどう見たって面倒見切れないでしょう!大体、食費どうするんですか!」

 叫んでいる主従の傍らで、キジ猫がギーネの手にしたガスマスクに向って手を伸ばしていた。

「マスク、返すニャー。猫扱いしないで欲しいにゃー」

「駄目です!その可愛い顔を隠すなんてとんでもない!」


 なんだ、これ?

 直立歩行の猫が喋っている。

 東海岸の彼方此方を歩き回った熟達の狩人レオも、喋る猫なんて代物を目にするのは始めてであった。

 その余りといえば余りのシュールな光景に思考停止したレオの傍らで、リサが眼を輝かせている。

「かわいい!なにこれ!」

 絶句しているレオの目の前で、巨大猫は困惑したようにギーネを見下ろした。

「……離して欲しいニャー」

「だが、断る」

「……いい加減に離れなさいよ、嫌がっているじゃないですか」

 キレ掛かっているアーネイ。

「迂闊にあちしに触れると後悔するにゃよ?」

 抱きついているギーネと引き剥がそうとしているアーネイをずるずると引っ張ったまま、灰色の猫がレオの前に立った。


「……も、もしかして郵便配達人ポストマンか?」

 レオが口ごもりながら、猫に訊ねる。

 動揺したレオの姿をリサが見たのは、後にも先にもこの時一度きりだった。

 くりくりした可愛らしい緑色の瞳を向けて、灰色に黒の入り混じったキジ猫が肯いた。

「あちしがロングポートの方に行くよ。手紙を預かってもいいにゃ」

「猫に上着と靴だけ。なんてあざとい……でも、似合っているのだ」

 猫にしがみ付きながら唸っているギーネを引き剥がそうと、アーネイが必死に主君を引っ張っていた。

「お嬢さま!子供ではないのですから!獣臭ッ!(帝國語)」


「声がおっさんなのだ。どういう骨格をしているのだ?声帯は?

 筋肉の付き方も気になる。この毛皮は本物なのか?動くのかな?

 よもや、背中にジッパーはあるまいな?」

 可愛いものへの欲望と知識への渇望が入り混じって、手の施しようがなくなっている亡命貴族ギーネ・アルテミスは、勝手にぺたぺた触りまくった挙句に尻尾を掴んだ。

「わあ、いきなり尻尾に触るなんて。なにするにゃ!」

 猫が腕を振ってギーネをぺちんと叩いた。

「うう、愛でてやろうというのに、爪を引っ込めた肉球でパンチされた」

 叩かれた頬を撫でている銀髪の亡命貴族を、赤毛の家臣が心配そうに見つめた。

「当たり前です。宗教上や習慣上の禁忌が合ったらどうする心算ですか!」

「でも、ご褒美です。OK?ふふふ」

 含み笑いしている主君を前に、アーネイは天を仰いで嘆いた。

 駄目だ。もう手遅れだ。本当に手の施しようがない。

 どうしてこんなになるまで放っておいたんだ。いや、教育したのは私だったか。


「もふもふさせて欲しいのだ」

 既に勝手に抱きついてもふもふしているような気がしないでもないが、亡命貴族が事後承諾でお願いすると猫は諦めたように肯いた。

「仕方ないニャあ」

「本当に大丈夫ですか?声も渋いおっさんですよ」

 アーネイが諌めるも、長靴を履いた猫を前にギーネは止まらない。

「んー、たまらん。心が満たされる。今なら世界征服だって出来そうですぞ」


 長靴を履いた猫は、顔を洗いながらもギーネを見つめる。

「もふもふに触りたいのか。その奇妙な欲求。さては帝國人だニャ?」

「ぬぬぬ。帝國でも比類なき名門であるこのギーネ・アルテミスの正体を一目で見抜くとは、只の猫ではないな?

 褒美にギーネさんが捲土重来したら、屋敷の和室の炬燵に住みつく権利を上げるのだ」

「馬鹿な……我が国の評判は、既に其処まで斜め上に……」

 主君だけでなく、祖国の評判までもが手遅れだと知らされたアーネイが、よく分からない衝撃を受けて愕然としている。


 目の前で寸劇が延々と続けられる空気に、レオは耐えられそうになかった。

 足元で地面が崩れるような感覚が襲い掛かってきたので、近くの柱に手をついて歯噛みして必死に耐えている。

「で……ロングポートに荷物を届けて欲しいってのは、あんた達かニャ?」

 猫がレオに話しかけてくる。

「そ、そうだ……では、頼もう」

 財布を取り出しながら、気を失いそうになっていたレオが手紙を差し出した。

「料金は幾らくらいになる」

 訊ねると、猫はごろごろと喉を鳴らした。

「カツオブシ一本で請け負うニャ……スモークサーモンでもいいニャ」

「スモー……」

「冗談にゃ、こっちの用件のついでだから10クレジットでいいニャ。

 ただ、あちしが死んでしまう可能性もあるから、手紙なら他にも確実な郵便も出しといて欲しいニャ。早ければ10日くらいで帰ってくるニャ」

 外見に似合わずシビアな言葉を吐いた猫に、腰のところに抱きついているギーネが声を掛けた。

「ミケ!そんな寂しいことは言わないで欲しいのだ」

「ミケって誰ニャ?勝手に猫みたいな名前をつけないで欲しいニャ」

 言いながら猫が手紙を受け取った。

「見てください、アーネイ!あの肉球!ものを掴めますぞ!どういう構造?」

「いい加減、離れなさいってば……けふっ!この猫!猫なのに洗ってない犬のような体臭がします!(帝國語)」

「何か失礼なことを言われたような気がしたニャー」


 何とかギーネを引き離したアーネイだが、手を離した次の瞬間、まるで磁石のようにギーネは再び猫の毛皮へとひっついた。

「ああ、もう!このポンコツ貴族め!手間ばかり掛けさせる」

「やらせはせん!やらせはせんぞ!」

 帝國人主従を眺めた猫はしみじみとした口調で呟いた。

「二人とも、さっきは凄い剣幕で殺されるかと思ったニャー。

 ニャーが見た目プリティな猫じゃなくて、普通のミュータントだったら、どういう風に扱われたかを想像すると、懐かれることにも複雑な気持ちがするニャー」

「うーん、確かに外見が不気味だったら話を聞く気になったかわかりません。

 もしかしたら、口を割らせるため、多少は痛めつけたかも」

 唇に指をあてつつ、あっさりとのたまうギーネ・アルテミス。

「謝罪はしませんよ、後をつけてきた貴方も悪いんですから」

 アーネイも冷たい口調で告げた。


 咳払いしたレオがリサへと向き直った。

「……此れで用件が一つ片付いたな。俺は何日か、町を離れる。

 自分の食い扶持も稼がんといかん。が、すぐに顔も見せる」

「でも、レオ……本当に……おばあさんは私たちを……」

「ん、今すぐに答えを出せとは言わん。

 手紙が帰ってくるまでにな。色々と考えておけ」

 外見に似合わぬ優しい声で頭を撫でられ、リサは涙ぐんで肯いた。


 その背後では、ギーネ・アルテミスが自慢の銀髪を掻き毟っていた。

「ひああ!かっ、痒いのだ。助けて、アーネイ!」

「わあ、こっちこないでくださいよ!蚤が!でかっ!跳ねてる!」

 蚤を移されてはたまらない。アーネイは素早く主君を見捨てて逃げだした。

「……だから後悔するって云ったにゃあ」

 猫がぽつりと呟いた。


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