14 蟻だー! ほ、ほぎー
フードを目深に被り、人目に付き難い物影や裏通りをこそこそと進んでいるうちに、やがて目当ての建物が見えてきた。
大崩壊前は市役所か、何らかの公的機関だったのだろうか。
町の中央に聳え立つ白亜のギルド会館は、一見してかなり大きな立派な建物であったが、見上げてみれば屋上の一部が無残にも崩れている。
壁に飾られている館内の案内図でも、五階までの絵図面が記されているものの、上階にはペンキで×印が記されていた。
使われているのはどうやら三階までのようだ。
この手のギルド会館の大半がそうであるように、ここも一階の真正面に受付があった。
ロビーには、どこか猥雑で荒廃した空気が漂っている。
襤褸のマントを羽織った荒んだ雰囲気の男女が入り口付近の階段に屯して何かを囁きあい、装甲をつけた服に身を包んだ目つきの鋭い一団が、足早にその傍らを駆け抜けていった。
(……ハンターギルドって場所は、何度来ても好きになれそうにないなあ)
鼻をざらざらした舌でそっと湿らせてから、ハンター協会に足を踏み入れる。
人が多い場所に足を踏み入れる時はいつも緊張感に襲われる。荒くれ者が多いハンターたちの拠点ともなると尚更であった。
フードを目深く被った人影に、ハンターのうちの数人が奇異の視線を向けてきた。
気づきながらもけして視線を合わせずに、足音もなく受付へと歩み寄った。
フードを目深く被った人影は、更に旧式のガスマスクを被っており、完全に人相を隠している。
旧国道沿いにあって人の往来が盛んな中継地点の町であれば、例えミュータントであっても、そうあからさまに迫害されることは滅多にない。
とは言え、ティアマットの何処を訪れようとも、ミュータントへの恐怖は今も人々の記憶に根強く刻まれて残っている。
曠野の彼方から不定期に襲来しては、集落の人々を殺し、或いは連れ去るミュータントの影は、東海岸の人々の間に根強い不安と恐怖を刻み込んでいる。
ティアマットの人々には、精神の深いところにまでミュータントへの拒否反応が染み付いている。
笑顔を浮かべている商人が、子の手を引く夫婦が、道行く老婆が。ミュータントと知った次の瞬間、恐怖や憎悪に悪鬼のように顔を歪めて口汚く罵りながら、石を投げつけてくる。
周囲のすべての人間が自身を敵と見做して害意を向けてくる。
それは、けして故なき疑心暗鬼や被害妄想ではなく、過去に心と体に刻まれてきた傷であった。
それは人間が大多数を占めている土地に生きる限り、半端者たちに影のように付き纏い続けて消えることのない恐怖と苦痛を伴う記憶であり、暗い現実であった。
かといって狂ったミュータントたちの元に行こうとも、殆どは他の種類のミュータントを仲間扱いする訳でもない。
結局は、怪物にもなれず、人間にも成れない半端者である。
ティアマットでは、よそ者が地元民に私刑されるのは非常にありふれた光景だった。
ましてミュータントの身である。人目が多い場所に踏み込むときは、いつも強い緊張を覚える。
多少、人間より強かろうが、そんなものは何の意味ももたらさない。
警戒の眼差し、恐怖に歪む顔、敵意を漲らせた視線、侮蔑に歪む口元。
何時まで経っても、向けられるのに慣れることはない。
慣れてたまるかという反発を覚える反面、慣れてしまえば楽だろうな誘惑に駆られる瞬間もある。
すれ違う者たちが時折、訝しげな視線を投げかけてくるも、黙視して足早に郵便係りの受付へと向かった。
職員の前に立つと、郵便マークが刻まれた首飾りを見せながら、すっぽりと被ったフードの下からくもぐった声で尋ね人の消息を問いかける。
「……レオという男……会う約束をしてる……居場所は」
低く擦れた声に顔を上げたギルド職員だが、フードを目深に被った正体不明の来訪者を見て、胡散臭そうに眼を細めた。
フードの奥に旧式のガスマスクを被り、人相は全く分からない。
郵便配達人が身分証明として持っているタグも、さして当てになる代物ではない。
盗難や偽造も容易だし、そもそもが悪用されることも珍しくないのだ。
「……レオねえ」
胡散臭い奴だとの思いを欠片も隠さずに呟きながら、ギルド職員は考え込んだ。
幸いというべきか。そのギルド職員は、有象無象も含めると百人近いハンターの顔と名前を覚えている。
おらが町の主な腕利きハンターは勿論、近隣の居留地や一時滞在しているハンターについても高名なら一通り把握していたし、死んだハンターや引退したハンター、新顔についても、できるだけ掌握するようにしていた。
そして職員が記憶している腕利きの範疇には、レオも含まれていた。
素直に応えてくれるならば、フードの男が質問する相手としては最適であっただろう。
怪しげな奴に教えていいものか。僅かに迷った末、職員は告げた。
「確か、毛皮を被った人だな……今日は見てないが」
俯いたフードからは、落胆したような気配が伝わってきた。
「……言伝を頼みたい」
「確かによく見かけるからな。用件があれば、言伝しといておこう。
さもなくば、其処の伝言板にメッセージを残しておくのもいいがね」
「……伝言板?」
戸惑いを見せているフードの男に対して、ギルド職員は身を乗り出した。
あんた。使ったことないのか。伝言板。
文字は書けるだろうね?よろしい。なら、其処のチョークを使ってくれ
ああ?使い方?
チョークで黒板に自分の名前とあて先、それに用件を書き残すんだよ。
持ち逃げするんじゃないよ?ギルドの貴重な備品なんだからね。
フードの来訪者がチョークに手を伸ばすと、ギルド職員はぎょっとしたように身を引いた。
マントの影から伸ばされたのは、人間ではありえないほどに毛深い腕だった。
灰を被ったような獣めいた腕の長毛に斑に散る黒。
完全に毛に覆われた掌に生え揃った鋭い爪。
フードの奥底から漂ってくる、汗臭さの入り混じった獣のような異臭。
そういう毛皮の服を着込んでいるのか。いや、恐らくは……
「……ミュータントか」
聞き取りづらい声で返答をぼそぼそと呟きながら、フードは肯いた。
「なるほどフードを被ってるのは……それでか」
体の一部が変異した程度であるなら兎も角、全身が劇的に変異したミュータントに対しては、露骨に忌み嫌う者も少なくない。
過去にミュータントに襲われた居留地などで迂闊に出歩けば、無関係であってもミュータント嫌いの住人にリンチに掛けられることもある。
小さな居留地になればなるほど、生き残るために住民たちは閉鎖的でよそ者に対して疑い深くなる。
感情の沸点も民度も高いとはいえないティアマット世界で、外見を隠すフードだけが己を守る手段だった。
「レオ……泊まってると聞いた……場所を知りたい」
ぼそぼそとガスマスクの下から呟いているフードの来訪者が差し出されたメモには、ホテル・ナズグルの名前と部屋番号が書かれている。
ギルド職員は、僅かに躊躇した。
客層が上等な高級ホテルになると、ミュータントお断りの看板を掲げていることは珍しくない。
土地によっては、門前払いどころか、近づくだけでガードマンによってライフルで頭を吹っ飛ばされることさえある。
ナズグルは町では一番のホテルであった。
僻地に比べれば、旧国道沿いに作られた町である。
まだ偏見は少ないとは思うが、ホテルの経営者が如何な経営方針を取っているか。
多種多様なミュータントのうちには、変異した際に理性や善性を人格から揮発させて人を襲うだけの怪物になってしまった者も少なくない。突然変異は伝染すると恐れる人々もいて、実際にウィルスを媒介とする一部の変異が伝染したりもする。
大崩壊直後には、新世界を創るなどと称して、上水道などにミュータント化を引き起こすウィルスを混ぜたテロリストも存在していて、ティアマットにおけるミュータントへの激しい恐怖と嫌悪への根底にはそうした過去も影響しているのだろう。
ギルド職員は椅子に腰掛けたまま、仮面めいた無表情で訪問者を見上げる。
ミュータントへの嫌悪感と同情心が僅かに鬩ぎあってから、眉を微かに上げて返答した。
「ナズグルは宿泊施設としては町一番だね。
……あそこなら、ミュータントだからといって門前払いされることはないとは思うが」
言葉を濁しながら、人を捜し求めてロビーを見回したギルド職員は、目当ての人物を指差しながら訪問者に肯きかける。
「そうだな。あそこにいる女の二人組。分かるか?
彼女たちも確かナズグルに泊まっていた筈だ。
あの二人についていけばいいと思うよ」
礼を言った訪問者が振り返ると、女性の二人組は会館地下へと続く階段を降りていく途中であった。
「ティアマットでは帝國と図書棚の整理区分が違うのだろうか?それとも物臭なだけか?
兎に角、資料室と名づけるからには、もうちょっと利用者が使い易いように整理しておくべきだと思いますのだ。常識的に考えて」
本の山をひっくり返しながらギーネがぶつぶつと文句を言っている。
その横で積もった埃を吸い込んだアーネイが鼻にハンカチを当てて、くしゃみを連発していた。
ハンター協会では、規定の料金を払うことで資料を閲覧することが可能である。
ギーネとアーネイは『大繁殖』という単語に関して調査しようと、ハンター協会地下にある資料室に篭って資料などを漁っていた。
機密事項に指定されて奥の保管庫に仕舞い込まれた書類や、廃墟から回収されたばかりで未整理の書籍なども多かったが、棚に収納された書籍や書類に当たるだけでもさしあたっては充分だろう。
閲覧室では地理と歴史の本が一緒くたに放り込まれており、一方で生物については生態、繁殖方法と家畜としての有用性、身体能力などの区分で仕切られている。
社会で必要とされる知識が変遷を辿ったことによって、利用者が使い易いように整理気分や置き場所も変わって来たのかも知れない。
書籍の山からそれらしい題名の本を手にとっては、ぱらぱらと捲っていたアーネイが声を上げた。
「在りましたよ。大発生に関して書かれたおよそ20年前の書籍です。
まあ、対象は蟻ですけど」
適当に書棚を漁っていたギーネも手を休めると、とととと歩み寄ってきた。
「『人類の危機。君は狙われている』……ミンメー書房?
……怪しげな本ですぞ。信用できるのですか?」
「さあ?大発生について多少でも詳しく書いてある本は、他に見当たりません」
本を捲りながら、アーネイはふむふむと肯いている。
「……この本によると、地底の奥深くに潜んでいる女王蟻は、惑星全土に網の目のようにトンネルを広げており、ある日、地上に対して一斉攻撃を行う心算だそうですよ?
人類も機械もミュータントもすべて排除する機会を狙っているとのことです」
「……どうせ、とんでも陰謀説の類でしょう」
蟻の生態について調べていた本を流し読みしたアーネイだが、主君の表情が其処はかとなく強張っているのに目ざとく気づいたので、少しだけ詳しく説明してあげることにした。なんとも忠実な家臣である。
「いえいえ、この著者。国防省の諮問委員会に招かれたそうです。
それでですね。ある種の蟻は、知らないうちに他の生物に卵を産み付けて、ある日、突然、一斉に孵化するそうです」
ギーネが喉をごくりと鳴らした。
「何気なく過ごしていた人々の顔の皮がずるっと剥けて、その下からは肉体を乗っ取った昆虫の顔が……ほぎぃいいい!」
図書室では静かにするべきだが、他に利用者も見当たらない。
「ひぃあああ!
や、や、止めなさい!主君を脅かして何の心算です!
意趣返しの心算ですか?」
普段なら『恐がらせて、一緒にベッドに寝ようって誘い込む為の高等テクニックですね?』とか言い出す筈が、小さく悲鳴を洩らした当たり、ギーネも相当に余裕がないようだった。
「おやおや、返されるような意趣に心当たりがおありですか?
これでも、心配しているんですよ?」
「嘘です。絶対、嘘!アーネイは意地悪です!」
涙目になって小さく拳を握るギーネ・アルテミスの姿に、アーネイの溜飲も多少は下がるというものだった。
二人は三十分ほど資料室でそれらしい本を探したが、さしあたってそれ以上の収獲らしき収獲は見つからなかった。
いや、探せば見つかったかも知れないが、ギーネが気が乗らない様子であったので、二人は調査を打ち切って帰途についた。
埃っぽいティアマットの街路を歩きながら、アーネイは周囲に視線を走らせていた。
「……油断してはなりません、お嬢さま。
ティアマットに暮らす以上、いつ何時、蟻が襲い来るかも分かりません。
次の瞬間、隣にいた人がほぎぃー!とか叫んで襲ってくるかもしれませんよ?」
爪をわきわきさせながら楽しげな笑顔を浮かべている家臣を、ギーネは叱り飛ばした。
「な、な、何言ってるのですか?つまらぬ心配をするのは止めなさい!
そもそも蟻んこたちは、A級やB級ハンター風情に追い返されているんでしょう?
ならば、この私が不覚を取ろう筈ないではありませんか!」
力強く断言するギーネ・アルテミス。何が『ならば』なのだろうか?
内心、首を傾げつつ、食べ物の屋台の前で立ち止まったアーネイ。
商人と交渉しつつ、落ち着かない様子の主君を一瞥する。
「おやおや。もしかして蟻が恐いのですか?
自称・未来の銀河系宇宙の支配者ともあろうお方が、顔色が悪いですよ」
「そ、そんな訳ないでしょう。
やがて全宇宙の絶対者となるこのギーネ・アルテミスが、あ、あ、ありんこなんか恐がるはず在りません。
ちょっとお腹が痛いだけです」
肩を竦めながら、アーネイはニヤニヤしていた。
「それにしても、手間の割には大したことは分かりませんでしたね」
「……時間の無駄でしたよ。全く」
歩きながらぶつくさ呟いているギーネ。その横で急にアーネイが立ち止まった。
「なんです……アーネイ?急に立ち止まって」
蹲っている家臣をギーネは心配そうに見つめた。
「……うぅ、皮膚の下で何かが蠢いている……助けてくだ」
「じょ、冗談ですよね?」
ほぎいいい。
顔を上げたアーネイの頭部は、巨大な蟻に変貌していた!
「ひあああああ!!」
「何てこともあるかも知れません、町中でもゆめゆめ油断なさらぬように」
しれっと言いながら、アーネイは蟻の仮面を外してみせた。
しかし、ギーネの反応は返ってこない。
「お嬢さま?……お嬢さま?」
肩を掴んで揺り動かしてみるが、ギーネは立ったままピクリとも動こうとしなかった。
口元を右手で覆いながら、アーネイは主君を見つめて呆然と呟いた。
「……死んでる」
廃棄世界物語 ギーネの冒険 完
「……死んでませんよ!ちょっとびっくりしただけです!」
忘却の河レテ(※)の手前寸前で息を吹き返したギーネ・アルテミスは、大きく胸を揺らしながらぜえぜえと深呼吸していた。
「衝撃で心臓が止まるかと思いました!
久しぶりに死んだお祖母ちゃんに会いました!
大体、そのマスク。何時、何処で買ったんですか?!」
「さっきの屋台で。食材です。巨大蟻の脳味噌。食べますか?」
ぬけぬけと言いながら、アーネイは蟻の頭に入ったどろどろの食べ物を指で掬って舐めとった。
「こ、こ、この……」
前を歩く二人組の娘は外国語で何事かを言い争いながら、路地裏へと入っていった。
後をつけていたフードの人影は、ちょっと迷ってから足を速める。
見失うのは拙い。道行く人に聞けば分かるとしても、風体の怪しさは自覚している。
出来るなら、誰にも話しかけずにホテルまで訪ねたい。
路地を曲がる。と、いない。其処は行き止まりになっていた。
「……いない?」
呟いた瞬間、背後から押し殺した声が聞こえてきた。
「我らになにか用でもあるのかな?」
慌てて背後を振り返ると、銀髪の女が腕を組みながら睨みつけていた。
「先刻から我々をずっとつけていたな。何の心算だ?そして何者だ?」
誤解を解こうと、慌てて近寄ろうとした時、上空から何かが降ってきた。
激しい衝撃と共に地面に引き倒された。喉元に大振りのコンバットナイフが突きつけられる。
「貴様、何者だ?奴隷商人共の手先か?それとも、共和派に雇われた密偵……」
押し殺した声で囁きかけてくる赤毛の後ろで銀髪が騒がしく喚いていた。
「蟻か!蟻の手先なのか!」
「……あれ?お嬢さま?本気にして?」
目深く被ったフードのさらに下にガスマスクを被って、追跡者は素顔を隠していた。
銀髪の亡命貴族は容赦なく喉元を右手で掴みあげると、ガスマスクに手を掛けた。
防ごうとするも赤毛は恐ろしく力強く、ミュータントの腕力でもとても対抗できない。
「地上征服の最大の妨げになるであろう人類最高の叡智の持ち主であるギーネさんをまず狙ってきたのだな。其れは完全に正しい」
「……お嬢さま。どれだけ自分を過大評価しておられるので?」
「正体を見せてもらおう!とりゃあ!」
旧式のガスマスクを剥いで露になった追跡者の素顔を眼の当たりに瞬間、ギーネたちは大きく息を飲みこんだ。
※レテ河
ギリシア神話の三途の川。冥界に流れており、その水を飲んだ人間は生前の記憶を失うと言われている。