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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
☆ティアマット1年目 その1 ギーネ ティアマットの地に降り立つですぞ
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ACT 04 ギーネの野望 失敗編

 前回までのあらすじ。

 母国アルトリウス帝國で革命軍にコテンパンに負けて領地から逃げ出した貴族のギーネ・アルテミスとお供のアーネイ・フェリクス。

 安全な帝都に逃げ込んだとしても、他の大諸侯から嘲りを受けるのは避けられないだろうと脅えたギーネは、今の帝國が色々ときな臭い事もあって、しばらく国外でやり過ごそうと結論。

 一旗あげるべえと異世界アウター・ワールドの一つ、廃棄世界ティアマットへのゲートを潜ったものの、移住先の都市がなぜか引っ越し一日目にして廃墟と化してしまった。

 崩壊する都市から命辛々逃げ出した後、着の身着のまま辛うじて田舎町にたどり着いたギーネとアーネイ。

 同郷からの移民夫婦に出会うと、此れ幸いと図々しくも一家のアパートに転がり込んだ。

 

 

 

「ふふん、中々に美味であったぞ。褒めてつかわす!」

 湯気を立てていたホワイトシチューを平らげたギーネ・アルテミスが、ぽこんと膨らんだお腹をさすりながら、満足げに椅子に寄りかかっていた。

「全く、お腹一杯になると直ぐに調子に乗って。済みません。連れが失礼なことを」

 ご馳走になった同郷の一家に対して、アーネイは謝意を現した。

 アルトリウス系移民の婦人が上品な微笑みを向けながら、食卓に食後のお茶を入れていく。

「いいえ。お貴族さまのお口に合うかどうか、不安でしたが、喜んで食べていただけたようで」

「げふぅ……ほら、こう云ってるではないか……遠慮は無よぬぎゅあ!」

 隣席で傍若無人な言動を全く慎もうとしない主君の頭を、いい加減、頭にきたアーネイの手のひらが鷲づかみに掴んだ。

「ぬおおっ……いっ、痛い!止めてください!アーネイ!」

「……社交辞令って言葉、知ってます?」

「生まれながらの支配者であるギーネさんの辞典にそんな項目はふよっ……ふよよ!12氏族の直系にして、帝國最高の知性の持ち主と謳われたギーネさんの貴重な脳細胞がッ!……いまッ!!家臣のアイアンクローによって一秒ごとに死滅していくううう!!」

 冷たく囁いているアーネイの腕を、何とか外そうと試みるギーネだが、もがいても身を捩っても鋼鉄のような指は外れない。それどころか、益々、頭に食い込んでくる。

「済みません。偉そうに振舞って……本当にこいつは三杯もお代わりして置きながら」

 謝罪するアーネイの真横で、ギーネが本気で泣き叫んでいた。

「はっ、離してください!アーネイ!ミシミシって、聞こえちゃいけない音がしてきたあ!」

「大丈夫、大丈夫。ナノマシンでどんな重症も治るんでしょう?」

「死んだら、命は返ってこないんですよ!」

「大丈夫、大丈夫。知ってますか?人間の頭って大体、南瓜と同じ硬さだそうですよ?

 割れる訳ないじゃないですかあ」

「貴女、そもそもサイボーグでしょう!青竹を素手で割れるのに、そのゴリラみたいな握力を人間に向けていいとおおお!つよ!つよまったぁああ!リミッターを外しちゃ駄目ェええ!そろそろ本気で……洒落にならな」

「誰がゴリラです?」

「止めるのです!アーネイ!貴女を冥府から呼び戻した私に、サイボーグとしての力を向けるんです?」

「そもそも、私が一度死んだのは、共和派から逃げ遅れたお嬢さまを助けに戻ったからだと記憶しているのですが?」

「……われ……割れちゃうう!未来の全宇宙の支配者の頭蓋骨が……ギーガーのエイリアンみたいに変形するう!いやあああ!ご免なさい!本当に反省してます!許してええ!」

 アーネイの腕をぺしぺし叩きながら、ギーネが人としてしてはいけない痙攣をし始めた。

「あの……もう、それくらいで」

 主賓である婦人が、おずおずとアーネイを制止した。

「ですけど……」

「……死にたくない!まだ地球産の漫画とアニメをコンプリートしてないのにぃ!死にとうない!にゃあああん!」

 苦悶に悶えるギーネの真横で主君を解放するか躊躇っているアーネイに、婦人は言葉を重ねて説得した。

「いいえ。同じ帝國からやってきた人と久しぶりに話せて嬉しかったですし……」

「……分かりました」

 頭を締め付けていた臣下の鋼鉄のような指から、やっとのことで解放されたギーネ。

「あー、びっくりした。信じられない。こやつめ。主君に向かって暴力を」

 数秒間してはいけない痙攣を見せたギーネだが、ほんの数秒で完璧に回復を果たすと、涙目になりながらもぶちぶちと文句をつけていた。

「だいじょーぶーかー?」

 真横に立った少女が、亡命貴族の頭を撫でながら心配そうな様子で首を傾げていた。

「あー、痛かった。おぬしはこんな暴力的な牝ゴリラになってはいかんぞ」

 年端もいかない少女に慰められて立ち直ったギーネが、一家の主らしい初老の男と婦人、そして少女の顔を見比べた。

「……ところで、お前たちは家族なのか?似てない家族であるな……ヒッ!」

 アーネイに強い力で肩を掴まれたギーネが、脅えたように身を竦めた。

「ど、ど、同郷の者が、身を寄せ合って暮らしているのか聞こうとしただけなのだ!」

 

「サビーネは私の娘です」

 皿を片付けながら、婦人が説明してくれた。

「もしかして、お二人の出身地は属州ローディスですか?」

 立ち上がったアーネイが、片づけを手伝いながら尋ねかける。

「ええ、分かりますか?」

「発音で。内乱初期に革命軍が席巻した土地ですね。

 革命軍には共和主義者だけではなく、ソルダ共和国やカレヴ連邦からの傭兵も混じっていたそうですから。よく無事で」

「私たちの住んでいた町が革命軍に襲われた時、郷土防衛隊の兵士だったハンスさんが助けてくれて、そのままティアマットへ移り住んだんですよ」

 黙って食事をしている初老の男に優しい眼差しを向けながら、婦人はやわらかく微笑んだ。

「何の伝手もなく、縁もなかった私たちを、ハンターという危険な仕事までして養ってくれて。

 サビーネも、実の娘のように可愛がってくれて」

「ほう。このような可愛らしい婦人を捕まえるとは、ハンスも罪な男であるな!」

「あら、まあ。お世辞でも嬉しいですわ」

 あくまで物凄く偉そうな態度を崩そうとしないギーネに腹を立てた様子も見せず、微笑んだ婦人が穏やかに受け答えをしているのを尻目に、寡黙な初老の男は黙ってシチューとパンを口に運んでいた。

 

「殊勝な心がけだな。少女とその一家よ!わたしが本土に捲土重来を果たした暁には、我が領土に召使い付きの屋敷を建ててやろう!」

「ほっほっ、楽しみにしておりますよ」

 ギーネの大言壮語を聞いて、婦人はころころと笑っている。

「……なにが捲土重来ですか。家臣団も散り散りになって、財産も無くしたこの状況でよくそこまで楽天的に大口を叩けますね。まずは明日のご飯を心配するべきでしょう」

 ぼやくアーネイの言葉を、だが、ギーネは聞いていない。

 右から左に受け流して、椅子に立ち上がると怪気炎をあげつつ拳を振りかざした。

「この前は不覚を取ったが、次に出会った時こそぎゃふんと言わせてやりますぞ!革命軍め!」

「ぎゃふんといわせるぞー!」

 意味が分かっているのか、いないのか。無邪気に少女が唱和していると、食事を終えてビールを飲み干したハンスが、酒気混じりの息を漏らしつつ吐き捨てるように言った。

「……俺は貴族は好かん」

「あら、あなた。お貴族様に向かってそんな言い方をしては駄目ですよ」

 嗜めるように云う婦人に、ハンスは鋭い目つきを向けた。

「……ここはもうアルトリウスじゃないぞ。メアリー」

 困ったように微笑んでいる婦人に見つめられるうち、初老のハンスは気圧されたのか。

 居心地が悪そうに身じろぎしてから、舌打ちして立ち上がったハンスにアーネイが声を掛けた。

「壁に飾ってあるのは、AK47突撃銃ですか。頑丈で壊れにくい、良い銃です。

 あれは郷土防衛隊に志願した時に、支給されたのですか?」

「……ああ」

「なるほど」

 薄い微笑みを浮かべてから、アーネイは食器を運んで洗い物を手伝い始めた。

 奥の部屋へと下がっていくハンスの背中を見つめながら、ギーネが瞬きをしていると、メアリー婦人が穏やかな口調のまま、取り成すように口を開いた。

「寡黙ですが、悪い人ではありません」

「……ふむ。安心するがよい!ハンスが私を嫌っても、そういった者も含めて庇護するのが帝國貴族の責務であるからな」

 呆れたアーネイは、大言壮語する主君を眺めて、ため息を漏らした。

「庇護も何も、本貫地を失ってあなたねえ……」

「……い、今は臥薪嘗胆の時節だから!いずれギーネさんの逆襲が始まる予定ですぞ!……多分」

 

 

「単体でみれば個体進化は生存に有利であるけれども、集団としてみた場合は、多様性に欠ける側面がある。種としては世代交代のほうが強靭になります」

 手にしたモップを動かして、道端に転がっている糞をバケツに入れながら、ギーネは説明していた。

「ふむふむ」

 相槌を打ったアーネイが先を促がすと、ギーネは淡々とした口調で言葉を続ける。

「もう一つ。老いのメカニズムについてだが、個人的な見解を述べると、人間は衰えるからこそ向上心を持つのだと思うのです。

 個体進化を選び、老いを捨て去ったアルトリウス人が言うことではないが、成長と衰退は表裏一体」

 シャベルを手にしたアーネイが、地べたに落ちている牛の糞をバケツに投げ入れた。

「普通の人間は、前者に本能的な歓びを、後者には本能的な恐怖を覚えるものですね」

 

 道路をモップで磨く手を休めて、ギーネはアーネイに肯きかけた。

「シュメール神話のギルガメシュが友人であるエンキドゥの喪失により初めて己の死を認識したように、不老不死の種族は死に対する意識が根本的にどうしても薄い。裏返せばそれは成長への意欲に掛けるということでもあります。これは、例えば他者などへの恐怖で補うことも可能ですが」

 

「不老長寿の存在の己が死への認識の弱さ、成長への意欲の弱さを此処では仮にギルガメシュ・コンプレックスとでも名付けましょう。もっと適当な名前をSF作家なり、学者なりが付けているとは思いますが……」

「……それで?」

「もしかしたら、数億年から数兆年後には他の種族が進化の果てに上位種族へと進化して宇宙に君臨し、今は強力を誇る不老不死のアルトリウス人が時の流れから取り残された猿とかミジンコ扱いになっている可能性もあるのです。

 進化の収斂とか速度の変化が起これば、もっと早いスパン。数千年から数万年で置いていかれる可能性もあります」

 ここで言葉を切ったギーネ・アルテミスは、瞳を憂鬱そうに伏せてから言い難そうに下を向いた。

 

「兎に角、引退した老人とか相手にして、絶対に美容調整いけると思ったのだ。

 遺伝子の持つ可能性のうちから、最上に近い容姿に調整しつつ若返らせる。

 年を取る種族にとっては垂涎の技術ではないですかね?アーネイ君。

 特に自前の遺伝子の醸し出す自然な雰囲気とか、そこらへんの擬体や整形なんぞ話にならない水準であるし、金持ちのジジババなら絶対に乗ってくるとか思ったのですよ。わたしが老人なら確実だもの」

 

 垂直にしたモップの柄に、形のいい顎を乗せながらギーネは大きく溜息を洩らした。

「ちょっと遠くても、惑星デラスのノートン共和国辺りに売り込みに行けばよかった。映画の都リトヴィアの辺りとか……」

 主人の言葉を受けて、アーネイは意外そうに首を傾げた。

「ノートン共和国は、リベラル色の強い議会制民主主義国家ですよ」

「うむ、王制のアルトリウス人とか嫌われるのではないかと思って、ティアマットの統合府を選んだらこの様ですよ」

 

 大きく溜息を洩らしたギーネ・アルテミスが天を仰いで無念の呻き声を洩らした。

「うぬぬ……あの時、惑星デラスへのゲートを行き先に選んでいれば……

 今頃、リトヴィアの美人女優の担当医とかになって、彼女たちの身体を弄繰り回している未来もあったかもしれないのに。

 何をどう間違えたのか。ティアマットの田舎町で道端の牛の糞を拾って乾燥させる仕事をする羽目になろうとは。

 日々を善良に生きてきた私に対して、ノルンよ!何ゆえに斯様に過酷な運命を下されるのですか!」

 天を仰いで、運命を司る三女神に文句を言う主人を眺めてアーネイが呟いた。

「……邪心に満ちているお嬢さまを反省させる為ではないでしょうか?

 とりあえず、お嬢さまが医者になってはいけない人種だとは分かりました」

「疚しい気持ちがある訳ではないぞ。あくまで純粋に学術的に、それにわたしは綺麗なものを創りたいのと見たいだけです」

「美人女優……例えばミナ・ハサウェイとか、レオナ・ウェリントンの裸体を観賞できたかも知れないですね」

「ミナ・ハサウェイもレオナ・ウェリントンも、レズだって噂でありますが、何故、その二人の名を上げたのでしょうか?」

「おや、お分かりにならない?例えですよ」

「例えですか。人選にそこはかとない悪意を感じるのですが」

 

 バケツとシャベルを道の片隅においたアーネイが、どんよりとした曇り空を仰ぎながらわざとらしく嘆息した。

「大体、私たちがこんなことになったのも、お嬢さまがティアマットで一旗上げようなんて言い出すから……」

「亡命先のゲートを選んだのは確かに私だが……」

「それにしても、凶運もいよいよ本格的になってきましたね。異能生存体みたいです」

故郷くにで内戦に巻き込まれたのも、統合府に蟲が襲ってきたのも、私の責じゃないぞ。共和派ってやつが全部、悪いんだ!」

 ギーネがさすがに不機嫌そうになってアーネイを見つめた。

「兎に角、明らかに選択や対処が誤っていたのなら兎も角、偶発的に起きた事象に対してまで責められるのは酷いし、嫌な気分になります」

「あっ、それは申し訳ない」

「それにしても……まさか、私たちが訪れた次の日に滅んでしまうとは。教授の紹介状も、無意味になってしまった」

 恐らく百万人以上が死んだ災厄ではあるが、ギーネとアーネイにとってはどこか他人事だった。

 現実味が薄いのもあるし、内戦のアルトリウス東部で生き延びてきた二人は、一部の感性が磨耗しきっていて見知らぬ他者の死に対して不感症になっている部分がある。

 あの蟲たちが牙を剥けば自分たちも一巻の終わりだろうなと、

 自分たちの所業には関係ないところで生死を握られる状況に、やりきれない諦念を抱きながらも、取り敢えずは今日を懸命に生きようと結論付けていた。

 

 通りの隅にへたり込んで駄弁っているギーネとアーネイは、此処数日でさらに薄汚れた感じになっている。

 同郷の夫婦に何かと世話になっているものの、面倒を掛け続ける訳にもいかない。

 日銭を稼げる仕事を探しているが、市場の雑用や町の掃除など割のいい仕事はすでに地元民に廻されていた。

 なので二人は、道路を歩く家畜の糞を運んで乾かし、燃料にする仕事についていた。

 臭くて少し汚いが、きつくはないし危険でもなく、ノルマをこなすのも楽である。

 とはいえその分、給料も安かった。

 日に二回。一番安い虫肉の団子と水の食事を取ったら、それで稼ぎは碌に残らない。

 外国人なので足元を見られているのもあるだろうが、本当に食べていくのがやっとである。

 新しい仕事を探さないとどうにもなりそうにない。

 

 アーネイに比べれば、ギーネはかなり手際が悪いが、それでもこうした時に家臣に働かせて、独りだけふんぞり返っている性格ではなかった。

 見知らぬ人間相手にはやや人見知りする上、雇われる立場になるのはあまり好まないと難儀な性格のギーネだが、雇用主は大雑把。よく言えば大らかな性格だったので、今のところは何とかなっている。

 

「それにしても、外部に対して閉じている市場なのに何故、こうまで雇用が存在していないのだろう?

 見たところ、物産に余裕もあるし、人口も限界に達しているようには見えないのに」

 道端の石の縁に腰を降ろしたギーネが、どうでもいい疑問をどうでもよさそうに口にした。

 

「流通している貨幣見ましたか?」

 アーネイの言葉にギーネが肯いた。

「硬貨と紙幣が数種類が混在していました。

 次元管理局のレンドルと見たことない緑の紙幣、それに帝国ポンドもあった」

 ギーネの返答に肯いたアーネイが、貨幣の話題を続けた。

 築き上げた推論を脳裏から呼び覚ましてみる。

「つまり、外国や外部勢力の紙幣が購買力を持っています。さらに、その緑の紙幣も、硬貨も、ティアマットのどこかで造られているようですが、町には発行権がありません。

 で、市場では物々交換の比重も大きいようですね。

 ですが、町などで貨幣を発行しようにも裏づけとなる物産の生産自体が思うようにならないようです」

「我々も、殆ど現物配給のような物だしなぁ」

 アーネイの説明に対して呟いたギーネは、手元の肉団子を見つめて、おにぎり食べたい。バターたっぷりのトーストにカリカリのベーコンも食べたいと感傷に浸っている。

「……ぼっ、僕はおにぎりが好きなんだな。おにぎりを食べたいんだな」

「わたしはニシンの塩漬けの缶詰が食べたいですねぇ。

 ウィスキーを飲みながら、薄く切った玉葱、チーズと一緒にクラッカーに乗せて摘まむと最高なんですが」

「ううむ。なんか空を浮かぶ雲がおにぎりに見えてきたのだ……梅干……おかか」

 

 空を見上げながら、涎を垂らしている美女二人。

 仕事のノルマはこなしたので、あとは夕刻になるまで此の侭ずっと道端にへたり込んでいる予定である。

 ティアマットも、生きていくだけなら思っていたよりは難しくはないようだ。

 報いるものは少ないとはいえ、楽と言えば楽な単純作業が多かった。

 割りと文明は発達しているのだから、少なくとも発達段階が中世な世界などに放り出されるよりはずっとましだろう。

 

 中央市場の周辺の店舗の軒先には、二人と似たような感じに日陰で寝転んだり、空を見上げているティアマット人労働者たちが屯していた。

 スラムは兎も角、町の中心は治安もよく、のどかな空気が流れている。

 昼休みが終わりを告げる頃になると、食べ終わった商店の店主や店員、労働者、用心棒たちが市場に立ち並んだ飯屋から立ち去っていくが、今になって屋台の椅子にやってくる者たちも多い。

 休みの時刻はばらばらのようだ。共同体が小さく、仕事にも精密なスケジュールを要求されないので、時間の利用については個人の裁量が大きいのだろう。

 そもそも腕時計を持っている人間自体が、町には殆ど見かけられなかった。

 

「……アーネイ。どうしよう。鼠肉のシチューがとても美味しそうに見えてきた」

 屋台の怪しい肉料理を食い入るように見つめていたギーネが、口の端から涎を垂らして呟いた。

 うわあ、だらしのない欠食児童の顔。女神に譬えられた美貌も台無しだ。

 主人を横目で見ていたアーネイも、しかし、胃の腑は音を立てて鳴っている。

「アメーバの中核細胞とか何かよく分からない食べ物ですが、あの男が食べているぬめぬめした串焼きもいい匂いがしますね」

 料理を凝視しているギーネとアーネイに気づいて、焼肉の屋台で串焼き肉を喰っていた若い男が歩み寄ってきた。

「姉ちゃんたち、美人だな。俺とお楽しみしてくれるなら、飯を食わせて寝床も世話してやるぜ」

「ううう、どうしよう。アーネイ!」

 誘惑に凄く露骨に動揺しているギーネ・アルテミス士爵。

 アーネイはそんな主人の姿を見とうなかった。

「お嬢さま、しっかりなさってください」

「だって、このところ蟹虫の団子と、苦い草とか変な芋虫とかしか食べてない。

 もう柔らかそうな潅木の若枝を探して砕いて食べるのは飽きたよう」

 二人の胃の腑に住み着いているナノマシンが、味は兎も角、大抵のものなら分解して栄養にしてくれる。

 まこと便利なアルトリウス製の軍事用サバイバルギミックであった。

 

「姉ちゃんたち。この町には着いたばかりかい。見れば分かるぜ、田舎ものだな。

 どうだい、人の数に驚いただろう。近隣じゃ一番でかい町なんだぜ」

 何か言いたげに沈黙した二人に対して、若い男はちょっと得意げに言葉を続けた。

「俺は、ジョン・マケイン。このペレスじゃちょっとした顔役さ。

 町の新顔に仕事を紹介してやってもいいぜ。姉ちゃんたちならクレジット紙幣をしこたま稼げるようになるはずだ」

「女衒ですね」とアーネイ。

「女衒だな」とギーネ。

「おいおい、お言葉だな。芋ねえちゃんをコーディネイトして、華麗な夜の蝶へと変えてやる仕事をしているのさ。

 女たちは飯と寝床が手に入る。おいらにゃ金が入る。

 見たところ、姉ちゃんたちは素材は悪くねえ。おれが磨けば、売れっ子になる事間違いないぜ」

 

 スカウトの男は、断った二人を強引に連れ去ろうともしなかった。

 表通りで人を浚おうとはしない。ティアマットが文明の崩壊した世界とは言え、町中の治安が完全に崩壊している訳では無さそうだ。

 二人が立ち去ろうとすると、別れ際に手書きの名刺を押し付けていった。

「仕事を探すなら、おいらに言うか、ギルドにいくんだな。

 間違っても、ベンジーの親父のところへいくんじゃないぜ。

 衣食住の世話代にとんでもない借金負わされて、何十年も働かされる嵌めになるからよ」

 それがマケインという男の別れ際の台詞で、お前のところも同じではないのかと思いつつも、二人はとりあえず名刺はとっておいた。

「……電話番号が書いてある。二桁だけど」

 ギーネの呟き。横から名刺を覗き込んでいたアーネイが町中に視線を走らせた。

「建物から建物へ電線が張り巡らされています。町中限定ですが電話が使えるんですね」

「交換手付きの電話が現役なんだな……とは言え、どうやって復元したのだろう」

 

「それにしても、ギルド……ギルドねえ。なんのギルドなんだか」

 胡散臭そうにアーネイが呟いた。ギーネも首を捻りつつ、ぼやいていた。

「働き口を探そうにも、ろくに世情が分からないでは

 せめて公的機関なり、ネット……あっ!!そうだ。

 端末にティアマットの最新情報ダウンロードしていた!」

「えっ……あんた、そんな大事なこと忘れていたんですか?」

「色々あったんで、ちょっと忘れていた。しかし、思い出すとは、さすが私!賢い!褒め称えろ!」

「はい、はい。エライデスネー。」

「むうっ……気持ちが入っていない」

 二人は手近な建物の裏手に廻った。といっても裏路地に入りすぎず、人通りの絶えない大通りに面した物影に留まっている。

 ギーネが懐から、今のところ唯一の財産といっていい携帯端末を取り出した。

 一応、先進世界の産物なので、貧しい移民が所持しているのをごろつきなどに見咎められると厄介なことになりそうだと危惧しての行動であった。

 これだけは身につけておいて良かったと思いながら、人目を避けつつアクセスする。

「コンピューター。ダウンロードしたティアマット星観光局のガイドブックにアクセス」

 ギーネの言葉に応えて、携帯端末から美麗な音声が流れてくる。

『充分な資産がある人がティアマットで快適に過ごすには、北方統合府がお勧めです。

 ティアマットで、もっとも安全、克つもっとも豊かな都市。観光するにも移住するにしても、豊かな老後を過ごすに最適の文化的な……』

 ギーネが浮かない様子で端末に語りかけた。

「……条項・所有財産を、次元ゲート管理局発行の30万レンドル紙幣から0へと検索時に変更。場所は北方の文明圏から東海岸の低レベル無法地帯。アクセス」

 美麗な女性の音声から壮年男性の威圧的な塩辛声へと、携帯の音声が切り替わった。

『貴様ら、よそ者の不法移民や密入国者でも寛大なティアマット政府は一応、歓迎してやる。なにしろ、この土地には死が溢れているからな。

 貴様らのような無能な負け犬が過酷なこのティアマットで例え三時間でも生き延び……』

「仕事を探すには?」

『ギルドがお勧めだ。糞野郎。コンピューター様が喋っているのに遮るんじゃない。

 それと、言葉の最後にはサーを付けろ。あほったれ』

 

「なんともお上品な口の聞き方ですね」

 アーネイが眉を顰めるも、ギーネは無表情で端末を眺めていた。

 移民局のコンピューターが敢えて高圧的な荒っぽい口調を取っているのは、移民局が移民に対してポジションを有利に保つ為の駆け引きの一つである。

 それに加えて、敢えて無産階級向けの対応にコネクトして質問するような好奇心旺盛な外国人などは、乱暴な口調を却って面白がったりするものだ。

 だが、される立場になると不愉快どころではなかった。

『下水溝の入り口に生息する×××虫を取ってギルドなりレストランに肉を持っていけば、お前みたいに何の技能も持たない民族の失敗作、パパとママの恥さらしなベッドの染みでも日銭くらいは稼げるだろう』

 口の悪い移民管理局のコンピューターの解答に対して、ギーネは疑問を挟んだ。

「蟲?あんな戦車や戦闘機を食うような生き物をどうやって取るんだ?

 匂いかなにかで大人しくさせる方法があるのか?認識を誤魔化す方法?

 或いは知性を持っていて交渉が通じるとか?本体ではなく、留守の間に卵を取るとか?」

 

『蟲じゃない!虫だ!区別もつかんのか!このアホが!口から糞たれる前にそのチワワの糞よりも小さな脳みそを少しは働かせろ!お前が一日でもティアマットの曠野を生き延びられたら…… 』

「ありがとう、サー」

 発音同じで区別などつくかと思いつつ、ギーネは、うんざりした様子で端末を切った。

 映画で見る分には楽しい軍曹トークも、罵倒される当事者になるとたまらない。

 

「またギルドと言う単語が出て来た」

 片目を閉じたギーネが、携帯端末を顎に当てて考え込んでいる。

「うむむ……ギルド?職人?職工の組合?

 どうも分からないな。組合に行って職業紹介してもらうのか?」

「一種の職業紹介所ですかね。行ってみよう」


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