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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 すりんぐ編 A面
38/117

12 ぺちーんぺちーん

 埃っぽい風が吹きすさぶ街路を足早に歩きながら、バットを背負ったカイン少年は己の左腕を眺めてみた。

 今朝取り替えたばかりの包帯に早くも微かな血が滲んでいるのを見て、舌打ちして天を仰いだ。

 ミュータントに食い千切られた左腕の傷が、じくじくと鈍い痛みを発している。

 かなり深い痛みだった。骨に近い箇所まで熱に疼いている。

 医者の言によれば、後遺症も残らない。三週間もすれば治って、動きに支障もないとのことだが、酒に溺れた挙句、診療所を失った酔いどれ藪医者の見立てだ。

 どれだけ信用できるかは分からない。

 それに、三週間もじっとしている訳にはいかない。

 カインはそっとぎこちなく左腕を動かしてみるが、鈍い痛みと共に軽い痺れが走り抜け、すぐに動きを止めた。

 額に吹き出た冷や汗を拭いながら、苦い表情で考え込んでいる。

 これじゃあ、蟹虫と戦うのだって無理だな。だったら、どうする?どうすればいい。

 

 蟹虫。ハンター協会が間引きを推奨し、買取も行っている怪物のうちで、尤も弱く、組し易いと言われている変異生物だった。

 大した武装のない素人でも相手取れる類の怪物として知られている蟹虫であったが、実際のところ、けして侮っていい相手ではない。

 成人男性のハンターでも、一瞬の油断から喉を食い破られたり、太い血管を切られて失血死する事例は消して珍しくない。

 素人や女子供であれば、万全の準備を整え、人数を揃えて挑むのが推奨されている。

 

 人間より弱いと評されていても二匹、三匹で不意を突いてきたら、不用心な素人など簡単に返り討ちにする怪物なのだ。

 地下水路には、蟹虫の棲息するエリアが存在している。

 常のカインであれば、一対一なら狩れなくもない相手だったが、負傷した今ではどうだろうか。

 地下水路の入り口へと通じる三叉路の中心に立ち止まったカインは、己の戦闘能力に冷静な評価を下した。

 ……この怪我じゃあ、蟹虫を狩るのはとても無理だ。だったら、どうすればいい。

 今の俺にできることがあるとしたら、それはなんだ?

 数瞬考え込んでから、防壁の外へと向かう路地をまっすぐに歩き出した。

 

 防壁の外に広がる不毛の曠野の一角、水草や常緑樹が豊かに生い茂っている緑の庭園が用水路に続いているため池の周囲を鮮やかに彩っていた。

 町の周囲に張り巡らされた用水路へと水を流し込んでいる溜め池には、小動物が数多く棲息している。

 壁外区画に住んでいる子供たちなどは、水棲の両生類や虫などを捕まえてはその日の食事にしたり、市場に売って口を糊しているのだが、その溜め池に水を補充している壁の巨大な排水溝もまた、地下水路に潜ることを生業とする者たちを惹き付けて止まなかった。


 迷宮のように町の真下に広がる地下水路網から、浄化システムを経た排水を流し込んでいる排水溝には、人が入り込めるくらいの大きさがあって、耐えることなく単独や二、三人で入り込んでいく連中の姿が見かけられる。

 

 地下水路へと潜っていくハンター志望の若者たちをカインは改めてじっと見詰めた。

 ……俺と同じくらい歳の連中も多いな。

 マギーのお供でついてきても、今まではよく見た事もなかった。

 ……あいつらは、どのくらい稼いでいるんだろう。

 その気になれば、I級くらいならすぐに慣れると思っていた。

 だけど、それはただの思い上がりだった。

 ミュータント相手に何もできず、怪我を負ったカインである。

 不甲斐なさに苦い思いを抱きつつも、忙しく水路を動き回って食べられそうな虫を探す。

 

 見たところ、十二、三歳の少年少女から十七、八歳の青年たちまでが多いように思えた。

 気心の知れた仲間内でチームを組み、或いは顔見知りに誘いを掛けて、排水溝に潜っていく彼らの背中を、カインはどこか羨ましそうに眺める。

 

 地下水路には、人食いアメーバや蟹虫などといった怪物も数多く徘徊している。

 かなり危険な賭けではあるが、しかし、排水溝近くの一帯には、物陰やじめじめしたトンネルやらが縦横に入り組んでおり、子供程度の大きさの地下鼠やら、掌大の肉食甲虫などが豊富に徘徊して、それらの肉は、虫や蜥蜴などよりよっぽど高く売れるのだ。

 

 地下鼠も、肉食甲虫も、獰猛な生き物で、獲るにも多少の危険性はあった。

 とは言え、蟹虫よりもずっと安全な相手であり、数を取ればそれなりの実入りもあるから、ハンターを挫折しつつも、地下水路でこれらを採ることで暮らしている者も一定数、存在している。

 

 蟹虫もそうだが、よほどの大物でないかぎり、ギルドで卸すよりも、店に持ち込んだり、自由市場に持っていって自分たちで売ることの方が高く売れる。

 獲った獲物は市場だけで売るハンターも少なくない。

 中には、定期的に鼠を狩って焼肉の屋台を経営している子供たちもいるという話だ。

 

 元気があって無鉄砲、或いは勇敢な子供は、排水溝へと潜ることが多いようだ。

 対して、溜め池近くで小動物を採ることに専念しているのは、小さな子供たちや老人、女性の姿がどうしても多い。

 口を糊する為なら、何でもするさ。

 そう心に決めて、膝まで水に浸かりながら水辺を動き回るカインであったが、同じ年代の連中が意気揚々と地下水路へ挑んでいく中、女子供に混じって虫や小魚、蜥蜴などを追いかけるのは、どこか気恥ずかしかった。

 

 それにしても、怪我をした体はどうにも動きが鈍く感じられる。

「糞ッ、全然、取れない」

 水中を泳ぐ虫や魚、両生類は、手を伸ばしても素早く逃げ去ってしまう。

 やっと一匹捕まえて額の汗を拭っているカインを尻目に、広大なため池の水辺で僅かに水草が生えている場所に踏み込んだ見ず知らずの少女が、ひょいひょいと小魚を捕まえては、腰につけた袋へと入れていく。

 

「上手いもんだな」

 カインが低く呟いた瞬間、掌の中にいた水蛇もどきが激しく身を捩って掌から抜け落ちた。

「……しまっ!」

 水中に落ちた水蛇は、水上に波紋を残しながら素晴らしい速度で泳ぎ去っていった。

 逃がして舌打ちしたカインの横から、弾けるような笑い声が響いた。

 睨み付けてやると、見ず知らずの少女が笑っていた。

「……糞」

「ああ、御免ね。でも、そっちは下手だねえ」

 自覚はしていても、他人に指摘されると腹立たしい。

「……本業じゃない」

 手についた水蛇の粘液をズボンで拭いながら、カインは言い訳するように呟いた。

「本業?」首を傾げる少女。

「……俺は見習いハンターなんだよ」

「えええ。ハンターなの?」

 大げさに驚いた振りをする少女だが、ふふふ、とおかしそうに笑っている。

「信じてないな。まあ、いいさ。

 怪我をして、今は仕方なしに湖虫を採ってるだけだ」

 地下水路への入り口である排水溝へと視線を向けて、カインは背筋を微かに震せた。

 ……体が勝手に震えている。恐怖を覚えているんだ。

 だとしても、俺はいずれあそこへ戻る。そうやって生きると決めたのだ。

 

 カインの真剣な表情を見て、少女は笑うのを止めた。

「何を好き好んで、また危ない稼業を……男の子って憧れるものなのかな」

 知り合いにハンター志望者でもいるのか。

 ぽつんと呟いた少女は寂しげだったが、カインにも他者の事情を詮索する趣味はない。

 ただ己の動機のみを短く語ってみた。

「儲かるからな」

「……儲かる?ハンターってぼろぼろの服を着ている人も多いよ?」

「蟹虫を一匹獲れば、半クレジット。人食いアメーバなら1クレジットだぜ」

「代わりに長生きできそうもないよ」

 名前も知らない少女は、忙しく手を動かしながら、また一匹捕まえている。

「だけど、下層民だってG級ライセンス取れれば市民権をもらえる。

 壁の中に家を買って、家族を養うことだって夢じゃなくなる」

 そう、家族を養う。その為に大人になろう。

 爺さんの言うとおりだ。今の俺たちが家を持っていても害になる。

 だけど、いつか必ず取り返してみせる。

 淡々と告げたカインの言葉に、少女は手を止めた。

 なにやら想い馳せているように遠くを見る眼差しをしている。

 カインは構わずに近くを泳いでいた虫に手を伸ばしたが、捉えたと思った瞬間、指先からすっと逃げ出した。

「駄目だ」

「あはは。そりゃ、そうだよ。ここにいる皆、何年もこれをやってきたんだもの。

 昨日今日やってきて上手くいく筈ない」

 無邪気に笑う少女の言葉は正論で、カインは特に腹を立てることはなかった。

 苦笑を浮かべて場所を変えようと歩き出した時、排水溝の近くで歓声が上がった。

 

「……なんだ?」

 怪訝に思って視線を向けると、年少のハンター志望者たちが一組のペアに群がっている。

「おお!」

「地下鼠か?」

「違う。化け鼠だ」

「すげえ!」

 一抱えもある巨大な鼠の首を槍の穂先に括りつけて、意気揚々と凱旋したのは、年端もいかないように見える少年少女の二人組みだった。

 下位ハンターだって簡単には狩れないお化け鼠。

 その猛獣めいた巨大で醜悪な首を、ぎらぎら光る銀色の槍の先端に掲げて、誇らしげな表情を浮かべて胸を張っている。

 

「……凄いねえ。あんな子供なのに……化け鼠を狩るなんて」

 カインに話しかけた名も知らぬ少女が、きょとんとしたように目を瞬いた。

「あれ、あんた。なんで泣いてるの?」

 知らず、熱い涙がカインの頬を滑り落ちていった。

 今日はこれ以上、続けられそうになかった。

「……何年もか。俺は、H級ハンターに手ずから何年も仕込まれてきたんだ」

 傷が癒えたら、もう一度、地下水路に潜る……その時は、もう、あそこにいる誰にも負けない。

 

 

 

 

 

 狙い澄ましたスリングショットの鉄球の一撃が、狙い余さず人食いアメーバの脳であり、生命維持に不可欠な中核細胞を貫いた。

 人間大の不気味な怪物が、甲高い悲鳴を上げながら水分を撒き散らして地面でしおれ、朽ち果てていく。

 

「命中!これで12匹目です。ふっふっふ、自分の才能が恐ろしい!」

 誇らしげに胸を張ってるギーネの傍らで、ホームガードパイクを構えたアーネイは、新手の気配がないか、さりげなく周囲へと視線を走らせていた。

 やがて他に敵がいないと判断したアーネイは、大振りのコンバットナイフを脇の下の鞘から引き抜くと、地面に倒れた人食いアメーバの半透明の肉体に刃を入れた。

 中核細胞と呼ばれる円形の部位を丁寧に切り取って鞄へと仕舞い込むと、そろそろ潮時かと考えながら、腕時計に目をやった。

 

 ギーネ・アルテミスとアーネイ・フェリクスは、その日も二人で町の南西に位置する自然公園跡地を訪れると、人食いアメーバを標的とした狩りに励んでいた。

 

 ギーネたちは、あっさりと倒したように思えるし、実際に全く苦戦してないが、本来の人食いアメーバは、大方のハンターに取って警戒に値する強敵であった。

 一瞬の油断が死を招くとまでは言わないが、力は強く、急所を貫かねば中々に死なないタフさを有していることから、接近戦では気の抜けない相手であり、一般人に毛が生えた下位ハンターでは、敬遠するのが妥当な判断だろう。

 ギーネたちにしても接近戦主体で相手取る状況であったら、神経や集中力も削られて、これほど容易に早いペースで狩ることなど出来なかったに違いない。

 

 しかし、遠距離から容易く仕留められる威力の飛び道具と命中させる技量を持ったハンターにとっては、体が柔らかく、弱点むき出しの人喰いアメーバは、一転、手軽な獲物でしかなかった。

 安い弾薬を仕入れるか、再利用可能な弓などを使用するという条件付で、相性のいい飛び道具と技能を持つハンターにとっては、人食いアメーバの大発生は稼ぎ時となる。

 

 ギーネ・アルテミスは、スリングショットに関して百発百中に近い神がかり的な腕前を誇っており、その威力も人喰いアメーバの中核に当てれば一撃で屠るに足りた。

 六ミリの金属球は、入手が容易で品切れになることも滅多になく、極めて安価でお財布に優しいのも嬉しいところである。

 

 一人で十匹、二十匹を仕留めるハンターが、他にいない訳でもない。

 語り継がれる逸話のなかでは、一日で三百匹の人食いアメーバを仕留めた凄腕ハンターさえ公式な記録として残っている。

 とは言え、良質な装備と仲間を集め、大規模な生息地に慎重に練った計画に基づいた攻撃を仕掛けたハンターなどは話を別にして、スリングショットのような粗末な装備で連日、十数匹を仕留める者はやはり稀有な例に違いない。

 

「……お嬢さま、そろそろ潮時かと」

 公園で狩りを始めてから、三時間が経過していた。

 腕時計をちらと眺めたアーネイが、主君に撤退を勧告する。

「ふむ、まだ体力にも、集中力にも余裕があると思いますが?」

 首を傾げるギーネだが、早朝から公園で人食いアメーバを狩り続けている。

 夢中で狩りを続けるうちに、ハンター自身も気づかぬうちに体力や集中力、精神力を消耗している状況も少なくないが、ギーネの主観では消耗は軽微で、まだまだ余裕で行動できるように感じられた。

 アーネイも同感であったが、それでもなお撤退を訴える。

 狩場にしているアトラス自然公園は、町から歩いて一時間の距離に位置している。

 どうせなら、一端、引き上げて休息を取っても構わないだろう。

 安全な箇所での休憩は魅力的であった。

 結局、ギーネもアーネイに同意して、二人は素早く引き上げに掛かった。

 

 アメーバの中核細胞がぎっしりと詰まった鞄を背負うと、公園の出口へと向かう。

 周囲へ警戒の眼差しを投げかけているアーネイの傍らで、ギーネは悠然と歩いている。

「今回の獲物。アーネイは四匹。私が12匹。

 つまり、ギーネさんはアーネイの三倍強くて有能!」

 己が飛び道具を使用していることと、アーネイが接近戦主体であることを鑑みもせず、ギーネがのうのうとのたまった。

 さらに言えば、ギーネが現在、使用しているスリングショットは、元々はアーネイが目をつけたのを横から掻っ攫うようにして先に購入したものであった。

 

 アーネイがイラッとした表情を浮かべたことにも気づかずに、ギーネは恥じらいの表情を浮かべながら、そっと頬を差し出した。

「有能な私のご機嫌をとる為に、アーネイは頬にキスの一つでもしても罰は当たらないと思うのだ。ご褒美くれても、いいのよ?アーネイ」

 アーネイは、そっと主君の肩を抱き寄せた。

「あん」

 嬉しそうな雌の表情を浮かべて頬を赤らめているギーネに向かって、家臣はもはや無言で掌を降ろした。

 ぺちーん。

 気の抜けた音と共に軽く頬を叩かれたギーネが、アーネイに困惑の眼差しを向けた。

「……いや、あの」

 ぺちーん。

「欲しいのは、びんたではなくてね」

 ぺちーん。ぺちーん。

 

「わかったよ!もう!けちだな。アーネイは!」

 これ以上、はたかれては溜まらない。

 慌てて距離を取ったギーネが、家臣に抗議の眼差しを向けながら喉から唸り声を上げた。

 拗ねたアーネイが鼻を鳴らした。

「そうですよ。怠け者で無能で、おまけにケチなんです。

 悪かったですねー。使えない家臣で」

 掌をひらひらさせている赤毛の家臣に銀髪の主君が胸を張ってみせた。

「安心してください。ギーネさんは、寛大で優しい君主ですから、アーネイが使えなくても首になんかしたりしません!」

「さいですかー」

「ずっと使ってあげます!感謝にちゅうしていいんですよ!」

 懲りない君主を家臣は冷めた眼差しで見つめた。

 もひとつ、ぺちーん。

「あう」

 

 彼方此方がひび割れたアスファルトの地面を歩きながら、ギーネはぶちぶちと目の前を歩いているアーネイに向かって文句を投げかけていた。

「減るもんでなしー。今日の働き者へのご褒美の口付けとか位いいではありませんかー。

 旧ソ連ですら、職場で頑張った労働者には褒章とかが合ったというのに。けちー、けちー」

「減りますよ。羞恥心とか、自分の価値とか。貞節とか」

 振り返りもしないアーネイの返答に、足を速めたギーネが傍らに並んで顔を覗き込んだ。

「貞節といえば、ギーネさんって花も恥らう乙女なのですよ? 」

「……花と言えば、先日、人食い花というのを始めて目にしました。

 凄かったです。本当に人を丸呑みにしてましたよ。お嬢さまを気をつけてくださいね」

「心配してくれるんですか、くふふ。嬉しいなあ」

 憮然とした表情でアーネイは、てれてれしているギーネを一瞥した。

「人食い花とはいえ、変なものを食べて食中りを起こしては気の毒ですからね」

 

「照れないでもいいんですよ。ところでアーネイ。貴女は乙女ですか?」

「黙秘します」

「ちなみにわたしは、愛した人に過去に恋人がいても気にしません。よかったですね!知ってましたか!」

「そんなこと別に知りとうなかった。まあ知ってはいました。恋人がいるノーマルな女の子を寝取って修羅場ってましたものね」

 本気でぼやいているアーネイの横で、嬉しそうに肯いていたギーネが急に頬を染めた。

「おめでとう、アーネイ!また一つ、ギーネさんのことを深く知れましたよ!」

 何がめでたいのか本気で理解できない。

 頭の中身だろうか?まあ、深く考える必要もないだろう。

 

 

 はにかみながら濡れた瞳でアーネイをちらちらと眺めたギーネが、ほうっと熱いため息を洩らしている。

 ギーネ・アルテミスは、確かに絶世の美貌の持ち主であったから、女性を愛でる性癖が些少でも持ち合わせた人物であれば、性格の残念さを熟知していても揺れていたかも知れない。

 何かを言いたげにもじもじしているギーネの態度に、アーネイはいやな予感を覚えた。

 ……なにか碌でもないことを主君が企んでいる徴候であると、アーネイは長年の付き合いで熟知している。

「今度はなにを言い出すつもりですか?まあ、確実にろくでもないことだろうがな」

 主君に疑わしげな眼差しを向けているアーネイに対して、ギーネは出所不明の怪しげなぺらぺらのチラシをそっと差し出した。

「……女性同士で子供を作りたい人たちの為のふたなり形成外科?」

「今朝、ホテルの郵便受けに入っていたのだ!」

「また、怪しげなものを……で、これをわたしに差し出してどうしろと?」

 チラシに記されている住所は、通りかかっても無人としか見えない廃墟の一角の高層ビルであった。

「殿方のそれは苦手ですけど、愛する人が生やしてくれるならきっと我慢できます。

 ちなみにギーネさんの大切な初めては、初恋の幼馴染の為にとってあるんですよ?

 それほどギーネさんの情は深いんです」

 頬を押さえて、照れたようにふるふると可憐に首を振るうギーネの傍ら。

 アーネイは本気で途方にくれていた。

「……私に生やせと申すか?」

 無表情で、怪しげなパンフを受け取ったアーネイ。

「ていっ」

 ちらしをくしゃくしゃと丸めると、其の侭、道端のゴミ箱へと投げ捨てた。

 ゴミ箱の中に見事に落下すると、からからと無人の町並みに音が響き渡る。

「お嬢さまの幼馴染って言うと、ペスとかですか?

 他人の性癖や恋愛に口を挟みたくありませんが……さすがに犬はどうかと思います」

 真剣な顔で首を傾げるアーネイに向かって、不満げな顔でギーネが抗議した。

「ペスってうちで飼ってたスコティッシュ・テリアじゃないですか!

 そんな趣味はありませんよ!」

「……そもそも、ティアマットの法律で犬と人間は結婚できるんですかね?」

「ペス前提で進めないでください!初恋の相手は、雌じゃなく女性!人間です」

 ご機嫌斜めになったギーネ・アルテミスを眺めてから、アーネイは主君を諌めるべく言葉の針を突き刺した。

「まあ、ペスの筈ありませんね。

 お嬢さまが世話をするって連れ出したのに結局、餌やりも散歩も半年で飽きましたから」

 後ろ暗い記憶を刺激されたギーネが一瞬口篭り、顔色を悪くしつつも反論を試みた。

「……ああう。……で、でも、猟犬の飼育係りに預けましたし!」

「その後、一度でも見に行きましたか?気に掛けたことは?」

「あ、ありません」

 形勢が悪くなったことに気づいたギーネは、早急にアーネイから距離をとろうとするが、家臣に強く手を握られていた。この状況では全然、嬉しくない。

「勝手ながら、ペスは私が引き取って、うちの実家に預けておきました。

 猟犬としての人生よりも、その方が幸せだったでしょう。

 うちの甥っ子や姪っ子たちに囲まれて暮らしていますよ」

「そ、それは良かった」

「良くない。それまでずっと猫可愛がりしていたお嬢さまに飽きた途端に捨てられて、どれだけペスが傷ついたと思っているんですか」

「ひうっ」

「産まれたばかりで兄弟から引き離されて、半年も優しく扱われてから猟犬の環境に戻って馴染めるとお思いで?」

「と、当時のギーネさんは5歳ですし。そこまで責任感を求めるのは……」

「3歳で反物質投射砲を組み立てた時には、私の知能は既に母国の全ての大人をも越えているのだとご自身で豪語されていたではありませんか?

 都合のいい時だけ、わたち、ごしゃいでしゅかー?」

 普段は大人以上の狡知を持って周囲を振り回しながら、都合が悪くなると『わたち、にしゃい。バーブー』などとほざいて逃げていたギーネ・アルテミス御幼少の砌、主な被害担当として後始末に駆け回ったのは、お付きであったアーネイとその祖父であった。

 

 今更、手遅れのような気もしないでもないが、少しでも主君を諭して真人間に近づけようと、アーネイは真剣な表情を湛えながら向き直った。

「犬でも、猫でも、相手の気持ちは感じ取れます。

 言葉で誤魔化せない分、ダイレクトに受け取れる場合もあります」

 真摯に語るアーネイに迫られ、冷や汗を流して視線を逸らしていたギーネだが、脳裏に起死回生の説得の言葉が閃いた。

「……子供というのは飽きっぽいものです。大人になって命の大切さを学んだギーネさんは、もう、けして自分への愛と信頼を裏切ったりはしないでしょう。

 しないといいな。多分、しないだろう。

 だから、アーネイ!安心して大人になった私の胸に飛び込んできてもいいんですよ!」

 無表情のまま、アーネイの額に太い青筋が浮かび上がると、さすがのギーネ・アルテミスも自分が地雷を踏み抜いたことを悟らざるを得ない。

 よっぽど憤懣が溜まっていたのだろう。ギーネは、帰りの一時間に加えて、帰ってからもさらに延長でお説教された。


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