01 英国式本土決戦用兵器
ティアマットの天空を、相も変わらず薄い曇り空が覆っている。
その日、帝國からの亡命者であるI級ハンターのギーネ・アルテミスは、お供のアーネイ・フェリクスと連れて、移住した田舎町の青空市場を巡っていた。
「うー、リボルバー、リボルバー。
リボルバーを求めて町のマーケットを彷徨っている私は、ギーネ・アルテミス。
母国アルトリウス帝國でも、尤も優秀な頭脳と最高の美貌、そして比類なき名門の血を引く平凡な女の子。
ちょっと変わったところをあげるとしたら、女の子に興味が有るっていうところかな」
「何をぶつぶつとおっしゃっているのですか?お嬢さま」
隣を歩いている赤毛の女性はアーネイ・フェリクス。代々、アルテミス侯爵家に仕えてきたフェリクス一族の娘さんで、私の乳姉妹兼お供である。
これでも帝國騎士。
本当はギーネさんのことを大好きな癖に、つれない振りをするツンデレ属性の持ち主なのだ。
最近、ますます立派になってきた形のいいあの乳は、きっと私を妊娠させる為のものに違いない。
「ふふっ、アーネイ。その乳で私を妊娠させるつもりですね?
主君をお嫁さんにしちゃうんですね?ベッドの上で下克上ですね!構いませんとも!」
いきなり興奮して抱きついてきたギーネの頬に掌を当てると、アーネイは嫌そうな表情で主君を引き剥がした。
「……なにをどうしたら、乳で妊娠するんですか?
朝っぱらから、酒も飲まずに酔っ払って結構なことですが、今日は寝不足で辛いです。
少しテンション下げてください」
「はぁい。つれないのだ」
ギーネはそれでもちゃっかりアーネイに腕を絡めると、雑多な人種が行き交う市場の雑踏をぷらぷらと歩き出した。
「リボルバーが欲しいですぞ。357マグナムとか贅沢は言いません。
この際、コルトSAAとかでも文句はないのだ」
コルトSAAは、命中率、故障の少なさ、使い易さと三拍子揃った、回転式拳銃の歴史に残る傑作である。
かなり贅沢な水準の要求をほざきながら、ギーネは様々な露店を見て廻っていた。
楽しげな表情を浮かべたまま、屋台を覗き込んでは大げさに驚愕したり、屈託なく笑い転げている主君は、傍目から見れば悩みなど無い生き物にも見える。
乾いた砂塵を孕んだ冷たい風に混じって、家畜の体臭や溝に捨てられた糞尿に反吐の匂い。そして町特有の鉄の錆びたような仄かな刺激臭が、独特の奇怪な匂いを大気に滲ませている。
空気の淀んだ狭い路地などでは、食べ物の屋台から漂ってくる匂いを含んだ湯気と混合して、えもいわれぬ臭気が蟠っている。
行き交う者は人種も元の国籍も様々で、時に種族すら異なる者さえ見かけられた。
角と牙を生やした緑の肌の屈強な男が路傍の椅子に座って酒を煽っている。
青く輝く鱗を持つ子供たちが泥水の上ではしゃぎまわり、フードを被った女たちの一団とすれ違い様、その下の触角や第三の目がギーネたちを伺うように蠢いていた。
突然変異なのか、それとも、地球人とは元の起源からして異なる種族なのか。
明らかに人類ではない者も町には見かけられた。
直立歩行した爬虫人類は、道行く人々から警戒の視線を投げかけられつつも、衣服を着込んで眼鏡を掛けているところから避けられてはいない。
次元世界の吹き溜まりといわれるティアマットの、それでも田舎町にしては、通り過ぎる人々の外見はやたらと多様性に富んでいる。
普段は見慣れぬ彼らはきっと旅人であり、目当ては恐らく南からやってきた『船』への搭乗なのだろうとアーネイは当たりをつけた。
南方からの『船』が『港町』へとやってくるこの時期、旅人や商人が近隣の街道を盛んに往来し、また彼らを狙う物取りや奴隷商人が出没して一帯は何かと物騒になると人々は口々に噂をする。
道行く中には、ターバンやマスクで顔を覆っている者も多く見かけれた。
ティアマットの貧弱な日差しを遮る為の道具ではなく、有害な物質や微量の放射能が含まれた砂塵を防ぐ用途であろう。
隣を足早に通り過ぎて行った男は、細かい咳を繰り返している。
最近、胃を中心に僅かに体調不良を覚えているアーネイは、小さい呼吸を繰り返して、呼気を整えていた。
ティアマットは危険で不愉快な世界だが、しかし、お嬢さまはこの状況を楽しんでおられるようだ。
遺伝子調整された帝國人の肉体は、人類種族のうちでも比較的、長い寿命を誇っている。
放射能などに対する耐性も抜群で、肉体の絶頂期も長く維持されるアルトリウスの民だが、長い寿命も良し悪しであろう。
或いは百年後、二百年後も、底辺ハンターとして砂塵に塗れたこの町の物影を這いずり回っているかも知れないのだ。
ふと、そんなことを思い浮かべて、憂鬱になったアーネイは微かに体を震わせた。
あまり気持ちのいい予想ではない。
暗鬱な想いに沈んでいるアーネイだったが、何時の間にやら、主君のギーネが立ち止まった。
「辛そうですね、アーネイ」
傍らから家臣の顔を覗き込んできている。
「最近、すこし憂鬱そうです。少し酒量も増えています」
「別に……そのような事は」
困惑しつつ否定したアーネイの表情を見て、何を感じ取ったのか。
何かを言い掛けたギーネは、一度躊躇い、それから再び顔を見上げて肯いた。
「今は、確かに未来への展望が見えない厳しい時期です」
主君の呟きに戸惑ったアーネイは、目を細めて静聴の姿勢を取った。
「ですが、約束します。必ずまっとうな生活基盤を築いて見せます。
それは、帝國時代のようにはいかないでしょうけど。
もう一度、まともな生活を取り戻しましょう。
だから、それまでは己を大切にしてください。捨て鉢にならないで」
幼馴染でもあるギーネが、己を心配している心情を感じて、不意に色々な感情がこみ上げてきたアーネイは不覚にも泣きそうになった。
少しほろっと来た。鼻の奥にツンとした痛みが走る。
無表情を保ったまま、主君を見つめて、アーネイはやっと低い囁きを洩らした。
「……お嬢さま」
「なんです?惚けたように?
もしかして、ギーネさんの美貌に見とれてしまいましたか?構いませんよ?」
「ふふっ、なんでも有りません」
どことなしか晴れやかになった家臣の笑みに、ギーネは感極まったように掌を口元に当てた。
「おお……フラグを積み重ねて苦節二十年。もしや、ついにデレ期突入ですか?」
「それはない」
一言に断言されてへこんでいるギーネを後ろに引っ張って、アーネイは何かいい武器でもないかと屋台や露店を廻ってみるが、碌な武器が売っていない。
フレームのガタガタになっているオートマチック拳銃。不安でとても使いたくない。
昔のマカロニ・ウェスタンに出てくるようなパーカッション式リボルバー拳銃。
ティアマットでは銃に塗るグリースすら貴重なのか。それとも持ち主が怠惰だったのか。銃身に赤味の錆が浮いた粗末なライフルなど、骨董品や時代物めいた銃器を幾点か目にしたのみであった。
日用雑貨や飲食の屋台が並んでいる青空市場中心の広場に通りかかった時、ギーネが突然に立ち止まった。
広場の一角をまじまじと見つめると、まるで己の目を疑うように何度も目蓋を擦り出した。
「……エ、エンジョイ&エキサイティング?」
「……は?いきなり、なにを言われたのですか?」
呆気に取られてるアーネイの横で、ギーネが興奮した様子で家臣の袖を引っ張った。
「アーネイ、アーネイ。あそこのベンチに座っている毛皮の人が見えますか?」
熊めいた生き物の毛皮を頭から被り、腰から大鉈をぶら下げた逞しい大男が広場の片隅の一角で焚き火に当たっていた。
豚の成獣より二回りほども巨大な肉食獣めいた怪物が傍らで解体されており、肉の炙られているいい匂いが二人のところまで漂ってきていた。
アーネイは頬を引き攣らせて言った。
「なんですか、あれは?牙一族のコスプレですか?」
「どちらかと言うと、北海のヴァイキングな人とかにも見えるのだ」
「……どちらにしろ、お近づきにはなりたくない人種に見えますが?」
「……私の目の錯覚でなければ、あの人。火縄銃を担いでいるように見えるのだ」
ギーネは戦慄しながらも、否定して欲しいのか。
アーネイに縋るような、救いを求めるような視線を向けてきた。
どうしろというのだ。アーネイは苦い表情で頭を振った。
「黒色火薬のマスケットなのだ。ナポレオン以前の銃器なのだ。
所持品や怪しげな生き物の毛皮を羽織っていることから、猟師かも知れませんぞ」
歩みを再開しながらのギーネの嘆きの声に、アーネイは暫し絶句せざるを得なかった。
「……確かに劣化した工業力でも造れると言えば造れるでしょうが……マスケットですか。
文明崩壊前の銃器は、貴重品なのかも知れませんな」
深刻な表情で結論したアーネイに、ギーネは力なく肩を落とした。
「規格品の銃は、貴重品ですか……地下鉄を舞台にしたロシア製ゲームでもあるまいに」
何気なく呟いたギーネは、自身の言葉に不吉な想いを抱いてしまい、眉を顰めた。
「それにしても、まともな銃が売ってないのだ。
まさか、良質な銃は遺跡っぽい廃墟から発掘して自分で手に入れるしかないとか?」
「……それこそ、どこの戦車RPGですか?」
これ以上、驚かされることはないと思うたびに、予想を裏切るティアマット文明の後退を目にして、二人は暫し貝のように言葉が出てこなかった。
世界の荒廃っぷりは予想以上であるが、何とか気持ちを立て直すと、武器を売っている屋台を冷やかして廻ってみる。
「こんな土地でもマシンガンくらいは手に入ると思っていたのだ。
紛争地区の第三世界の鍛冶屋さんだってAKを創れるのだから。
それに異世界からの輸入品だってある筈ですぞ」
繋いだ両の掌を裏返しにして、ゆっくりと伸ばしながらギーネが言うと、アーネイは首を振るった。
「……工作機械だって、メンテナンスは大変ですよ?
資源が完全に枯渇して、技術も工業力もない世界に、武器のブローカーが売りに来ますかね?」
むう、とギーネは呻くような声を洩らしつつ、市場に並んでいる品々に目を走らせる。
「或いは、銃器そのものよりも、むしろ弾薬が貴重品かも知れませんね」
屋台や露店で売られている弾薬や薬莢は、いずれも数が少なく、値段もかなり高めに設定されていた。
アーネイも残念そうな表情で首を振った。
「何処の店を見てもそうですが、弾が高すぎます。これでは滅多に銃を使えません」
二人の見るところ、狩りに使うとしたら、銃器以上に弾薬の値段がネックであった。
商人たちの言い値で買っていては、よほどの銃の名人でも、到底、採算が取れないだろう。
歩きながら話しているうちに、二人は何時の間にか市場の外れまで辿り着いていた。
買い物を終わりにするか、それとも市場に戻ってもう少し見て廻ろうか。
思案しているギーネの傍らで、アーネイが主君に向かって低い声で呼びかけた。
「なんですか?」
「シャルがいますよ。そのお友だちも」
アーネイの視線の先を追ってみれば、市場の外れの先。古い建物と建物の狭間となった箇所に小さな屋台が開かれており、ギーネたちと顔見知りの底辺ハンター、シャルが熱心に商品に見入っていた。
「あんなところに屋台があったのか。気にもしてなかった」
市場からも表通りからも大分外れた寂れた路地には、人通りも殆どない。
目を瞬いたギーネは、さして期待できまいと思いつつもシャルの覗いている屋台の品揃えを冷やかしてみることにした。
歩み寄ってみれば、シャルが物色している屋台はハンターの装備などを主に扱う店のようだ。
小さいながらも綺麗に整理された屋台の商品台には、ロープやザック、ポーチ、ゴーグル、ブーツなどの他。バットや鉄パイプに並んで、片手で扱えるだろう小型ボウガンや鉄パイプに銃剣を溶接した即席の槍などが並んでいる。
「どうやら武器も扱っているようですね」とアーネイが低い声で囁いた。
歩み寄ってきているギーネとアーネイに、手持ち無沙汰に冷やかしの客たちの相手をしていた店主の若い男が素早く視線を走らせた。
ギーネたちの服装は、動き易く工夫された革のジャケットとズボン、軍用のブーツ。
いい靴を履いているなと店主は思った。ハンターにしては服装も清潔で気を使っている。
背負ってる武器はバット。安物ではあるが、使い込まれている。そこそこの小金は持っていそうだ。
目の前でずっと冷やかしている癖、買う様子も見せない免許外ハンターたちよりは、良さそうな客だ。
一瞬で値踏みを終えた商人は、新しい客に向かって愛想よく笑顔を浮かべた。
「……ううん、どうしようかな」
手元の商品を熱心に眺めながら、シャルはあれこれと目移りしている。
「どう見ても子供の玩具だよ、リーダー。
こんなの買うなら、お金貯めて釘買おうよ。それで釘バットにしてさ」
「いやいや、釘バットは磨耗早いし。それに結構、馬鹿にしたものじゃないって」
ギーネは音もなくそっとシャルの背後に歩み寄ると、耳元に吐息を吹きかけるようにして話しかけた。
「ごきげんよう、シャル」
「あふっや!……あ?ご、ごきげんよう!」
耳元を押さえながら振り返った若い娘に、ギーネは恭しく挨拶を送った。
「武器を見繕っているのですか?良さそうな品はありましたか?」
びっくりして困惑しているシャルに馴れ馴れしくぺたぺたと触れながら、ギーネは並んでいる商品に視線を走らせた。
「ほう。中々の品揃え。まあ、他の店に比べればですが……」
言い掛けたギーネが、商品の一角に視点を止めて微かに瞳を細めた。
「……ぬう!まさか、あれは!伝説のホームガード・パイク!」
※パイクとは英語で槍、或いは矛槍の一種を指す。
驚愕の声を洩らしたギーネに対して、アーネイが問いかけた。
「知っているのですか!お嬢さま!」
「うむ。大日本帝国の竹槍に並ぶ、英国の本土決戦用兵器ですぞ。
時は第二次世界大戦。フランス降伏の直後。
ダンケルクの脱出の後、兵員は救出したものの、大陸派遣軍の武装を悉くを喪失してしまった英国政府が、ドイツ軍による英国本土上陸作戦を睨んで民兵隊に配備した伝説の武器があれなのだ。
既に工業力が軍事力を決定的に左右する重要なファクターとなる時代に入っていたこともあり、支給された民兵からも不満の声が上がって、直ぐに配備は中止されたものの、対人用としては充分な殺傷能力を有しています。
一説では、このホームガード・パイクの配備が、彼のヒトラーをして英国国民の士気を知らしめ、英国上陸作戦を躊躇わせて連合軍を救ったとも言われています。
ぬう……まさか、このようなところで目にしようとは」
シャルはギーネ基準で中々の美少女であったのでしっかりと腕を絡めたまま、ギーネの額を一筋の汗が流れ落ちていく。
「……へえ。そんな大層な由来が」
屋台の武器商人もびっくりしていた。
「倉庫に眠っていた銃剣を鉄パイプに溶接しただけの代物なのに」
溶接技術は存在しているのだな。思いつつ、ギーネは感嘆の声を洩らした。
「うむ。まさしくホームガード・パイク!
是非とも記念に一本買っておくのだ。幾らですか?」
値段交渉してから、ギーネは使い道も考えていない槍を22クレジットで購入した。どうやら、売れ行きが余り芳しくないらしく、多量に余っているとのことでおまけしてくれた。
「いいなあ」
屋台の前に佇んでいたシャルは手持ちが乏しいのか。
ギーネに手渡されたホームガード・パイクを、羨ましそうに見ている。
「ところで、シャル。何を見て悩んでいたんですか?」
「あ、これですよ」
とシャルが指差した先に置かれているのは、Y字型のプラスチックと金属の本体に伸縮性ゴムの威力で鉄球を飛ばす武器、スリングショットであった。
「スリングショット?パイクやボウガンなら兎も角、スリングショット?」
ギーネは困惑の態を見せた。その真横でアーネイが目を輝かせる。
「ん……これで怪物と戦うのですか?」
「ですよねえ」
仲間からは正気を疑うような眼差しを向けられて、シャルも動揺を隠し切れなかった。
「へ、変ですかね?」
口篭ったシャルの代わりに、店主が口を挟んできた。
「倒せるさ。人喰いアメーバなんかなら場合によっては一発だよ。
腕がいい奴が使って中核を貫ければね」
断言した店主に胡散臭そうに鼻を鳴らしてから、シャルの仲間らしき栗毛の娘は疑わしげな眼差しでスリングショットを見つめている。
スリングショットを手に取った店主は、客の態度に気を悪くした様子も見せずゴムを伸ばして狙いを付けながら淡々と説明する。
「さすがにライフルではないから、鱗熊や巨大蜂なんかに通用するとは言わないさ。
しかし、弱っちいミュータントや野犬を追い払うくらいなら出来るし、実際、スリングショットで身を守っている旅人なんかも結構いるよ」
「そうなんですよ。これがあれば、非力な私たちも人喰いアメーバを狩れるかも」
スリングショットに熱い視線を注ぎながら熱弁するシャルだったが、仲間の栗毛娘は懐疑的な言葉を向けてくる。
「だからさぁ、狩れるかもなんて曖昧な言葉で動くのは拙いって。
買ったはいいけど簡単に使いこなせるの?それ?練習はしたことあるの?」
懐疑的な言葉を投げかけている。言い換えれば、冷やかしているとも言えた。
「そんな甘いものじゃないって。実際さぁ」
弁論家を気取っているのか。得意げな表情で得々と述べている栗毛娘だが、要約すれば発言の内容は出来っこない。諦めようである。
議論するならば、まずはメリットとデメリットの両方を上げればいいものを、端から否定だけに傾いているのだ。
言ってる本人は冷静な心算かも知れませんが、あれでは冷やかしにしかなりませんぞ。
狩りの頭数としては兎も角、相談とする相手としてはよくないのだ。
成功すればメリットは大きい。失敗しても、取り返しも付く範疇での機会なのだ。
まだ、若いのだから挑戦してみればいいものを。
だが、だからといってシャルが仲間選びに失敗したとも言い切れない。
この議論だけ見れば、足を引っ張られているようにも見えるが、しかし、変化を嫌う慎重さが、命を拾うことに繋がることもあるだろう。
あの娘とて、普段は役割を果たしているに違いないのだ。
どこか弱々しく尻すぼみになっていくシャルの態度を一瞥してから、ギーネは思案に耽った。
「ふむ、子供の玩具に見えますぞ?
人喰いアメーバ。こんな玩具で倒せるほど弱いのですか?」
ギーネたちのハンターとしての主な獲物は、蟹虫と呼ばれる甲殻を纏った節足動物であるが、巨大なアメーバも遠目に幾度かは見かけたことがあった。
ギルドで駆逐を推奨されている変異体の一種であり、中核の細胞は一つ1クレジットで買取されている危険生物であるが、こんな玩具で倒せるのだろうか。
あまり馴染みのない道具を手にとって眺めているギーネだが、アーネイはどこか懐かしそうに言った。
「いえ。このスリングショット。そう侮ったものでもありませんよ」
腕に装着させることで狙いを安定させる大型のスリングショット。それもぴかぴかの新品が置かれていた。
汚れの少なさから、恐らくは新品だとアーネイは推測する。
今のティアマットでも製造されているのか、未開封の古い品を今頃になってどこかの倉庫で廃品回収業者が見つけたのか。
店主もそう告げたが、ギーネは鼻を鳴らしてスリングを台に置いた。
「子供の頃に、それでよく遊んでいました。その大きさなら、護身用タイプですね。
当たり方によっては、人間を昏倒させたり、骨を折る程度の威力は持っています」
アーネイの説明にも、ギーネはまだ疑わしそうな表情を見せていた。
「10mくらいの距離なら、薄い鉄板くらいへこませますよ?」
アーネイの言葉に、シャルが我が意を得たりとばかりに肯いた。
「うん。使う人が使えば。これでアメーバやら小動物を狩る人も結構います。
買ったからといって、当てられるとも限らないですけど。
銃なんかよりは扱いも簡単そうだし、弾も安いから」
言ったシャルは、スリングショットの購入を決めたようだ。首元から紐で掛けた財布から、汚れた紙幣や小銭の山を出して数え出した。
「まあ、買うって言うなら止めないけどさ」
呟いている仲間の前でシャルが絶望の呻きを上げた。仲間の方に首を向ける。
「レーゼ……お金貸して!」
「えー、ヤダよ。リーダー」
「これで人喰いアメーバを狩れたら、利子をつけて返すって!お願い。足りない分だけ」
「馬鹿馬鹿しい。こんな玩具。お金の無駄だよ」
「……ふうむ、確かに金の無駄にしか思えませんが」
自分でもスリングショットを手に取ってためつ眇めつ眺めているギーネに、アーネイが声を掛けた。
「お嬢さま、飛び道具を欲していたでは在りませんか?
これなら、ほら、鉄球100発入りの袋がついて15クレジットですよ」
「……プラズマライフルとか携帯用レールガンとかが欲しいのだ。
かつては異民族を震え上がらせたアルテミス候国正規軍(現在の総員2名)の主装備が、射程距離10mのスリング一個とか、情けなくて涙が出てきちゃいそうですぞ」
アーネイはやる気もなさそうな口調で、挫けそうな主君をすっごい適当な口調で励ました。
「お嬢さま、戦略SLG大好きじゃないですか。今こそ、その経験を生かすときです。
大丈夫ですよ。これからガンガン成り上がりターンですよ。頑張ってください」
そこはせめて一緒に頑張りましょうとか言って欲しかったなと思いつつ、ギーネは眉根を寄せた。
「現実がゲームみたいに上手く行く訳ないのだ。
辛いし、臭いし、痛いし、恐いし、疲れるし、哀しいし、絶望しそうになるのだ」
「仕事サボってゲームしてた時に、ゲームから学べることもあるのだって熱弁していたじゃないですかー」
過去の主君の発言への怒りと怨みも込めて、アーネイはギーネを激励した。
「……うう。過去の因果が巡りめぐって今になって私を苦しめるのだ。
それもこれも、私が偉大な英雄の宿命を背負っているからに違いない」
「はあ?何言ってんの?」
家臣に真顔の突っ込みを受けて、ギーネは泣きそうになって呻きを洩らした。
「アーネイが遠慮なくなってきたー」
主に自業自得の結果に恐れ戦いているギーネ・アルテミスを眺めて、屋台の商人が口を挟んできた。
「……で、買うのかい。買わないのか?」
手にしたスリングショットを眺めて首を傾げているギーネに、行商人は身を乗り出した。
「取り合えず、そいつはお勧め品だよ。本来15クレジットだが、あんたはパイクも買ってくれたし、12クレジットにまけておく。鉄球だって、また入荷するしな」
「それは本当?鉄球の値段は?」
興味をそそられた様子で食いついてきたアーネイに、商人はとびきりの愛想笑いを浮かべて見せた。
「100発入りの袋一つが5クレジット!安いだろ?」
「お嬢さまはいらないようですし、私が買おうかな」
他人が欲しがっているの見て、ギーネは即断した。
「むむ、アーネイが欲しがってるのだ。よし、残り一個だから買いますぞ。
ただし10クレジットで。駄目ならいらない」
「毎度あり!俺は、何時も此処に店を開いている。
鉄球の補充や代えのゴムなんかが欲しくなったら、いつでも来てくれ」
プレゼントしてくれるのかしらん。ちょっと期待して主君を見つめる家臣の眼と鼻の先。
行商人から購入したスリングを手に取ったギーネ・アルテミスは、アーネイの方を向いてにやりと微笑んだ。
それからスリングを掲げると、見るものの神経を逆なでするような珍妙な舞をアーネイの目の前で踊り始めた。
「いえー。アーネイが欲しがっていたから、目の前で先に買ってやりましたぞ。
これが最後の一個なのだ。ザマァああ」
「……てめえ」
「うわあ!先を越された!
酷い!酷い人だ!あんまりだ!
朝から足を棒にして探し回って、やっと良さそうな武器を見つけたのに!」
悲鳴を上げているシャルの叫びを、アーネイは素早く主君を攻撃する材料にし始めた。
「うっわ、ひど。本当に酷い奴ですね。お嬢さまは。なんていうか人非人?
なんで、そういう知り合いへの裏切り行為を平気で出来るんですかね?
平然と他者を踏みつけに出来るなんて、さっすが青い血の流れるお方は格が違った」
「……しょ、勝負の世界は非情なのだ。早い者勝ちなのだ。
巡ってきた機会をいち早く掴まなければ、幸運の女神はけして微笑んでくれないのだ」
口とは裏腹に焦りを隠せないギーネは、女の娘を泣かせたことに狼狽した挙句、慌ててその場を逃げ出した。
何故か、満足そうに微笑んだアーネイも、シャルたちに会釈してから主君の後を追って歩き出した。
踏んだり蹴ったりのシャルであるが、売れてしまったものは仕方ない。
天を仰いでため息を洩らしてから、せめて良さそうな物でも見繕おうと、商品の残り物に視線を走らせてみた。
「スリングショット、もう一つない?」
目の隅を泣き腫らした娘に見つめられた行商人は、肩を竦めた。
「悪いなあ。あれが最後なんだ。仕入れたら、お前さんのためにとって置くよ」
「うう」
「俺のお勧めを買わないか?気の毒だし、多少は安くしとくぜ」
心折れた顧客に、ここぞとばかりにホームガードパイクを売りつけようと目論む行商人。
「いらないよ!」
曇天の下、シャルの怒ったような叫び声が路地に木霊した。
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