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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
☆ティアマット1年目 その2 ギーネ ティアマットの地を知るですぞ
25/117

ACT 24 白骨都市の決闘

今回は3話更新

 ホテルのロビーで、ギーネは落ち着きのない猫のようにフロントの前の通路をうろうろと行ったり来たりしていた。

 時折、入口の両開きの扉に視線を投げかけていたが、セシルが戻ってくる様子はない。

 ホテルのロビーで待ち惚けしているギーネたちだが、刻一刻と時刻は過ぎていく。

 決断を迫られている、とギーネは人差し指の関節を軽く噛んだ。

 自分たちだけで奴隷商人のアジトに乗り込もうか。否、無謀である。

 時間を浪費してもセシルを待つか。戻ってくる保障がない。

 或いは、当てにならないと言われる保安官たちに事情を話して助力を求めるか。

 首を振ったギーネは、股肱の臣であるアーネイへと視線を移した。

「折角、ティナの手掛かりを掴んできたのに、セシルの奴は何処で油を売っているのだ」

 苛立たしげに呟いているギーネを宥めるように、アーネイが穏やかな口調で肩をすくめた。

「町から離れるルートを張っているんでしょう」

 

「ぬぬぬ……ようやっと、人攫い共のアジトを突き止めたというのに」

 厳しい表情で吐き捨てたギーネは、フロントを指で叩きながら呟いている。

「……他に当てになりそうな人物はいましたっけ?」


 考え込みながら話し合っているギーネとアーネイを露骨に無視して、フロントの少女はやってきた客に愛想を振りまいている。

 昨夜からセシルとギーネたちが協力して動き回っていることは察していたが、関わり合いになるつもりは毛頭なかった。

 先刻から、我関せずと帳面をつけている。例え人助けであっても、危険なことに巻き込まれるのは御免であった。

 

「セシルの伝手で人手を集めて乗り込むつもりでしたが、よく考えたら、そもそもあの子に他に頼れるハンターの知り合いはいないのかな?」

 ぼやいたギーネだが、すぐに思い直した。

 ティアマットは、文明の荒廃した余裕の無い社会である。

 セシルに知り合いが多くとも、ただ働きする奇特な人間は少ないに違いない。

 そもそも移民である自分たちを頼らざるを得ない時点で、色々と推して知るべきだろう。

 

 ロビーに居合わせたハンターたちにとっても、人攫いの動向は他人事ではない。

 自分たちが狙われることもあるから、ギーネの愚痴に聞き耳を立てていた。

 中にはセシルの知己で助力を仰がれた者や事情を薄々、察している者もいたが、しかし、彼ら彼女らは全く力を貸すつもりは無さそうであった。

 

 ティアマットは、誰もが生きるのに必死な土地であった。だからこそ助け合う者たちも当然いるし、善良な人格の持ち主も当然いたが、しかし、顔見知りでもない相手を救う為、旧市街に乗り込むのは躊躇するのが当然であろう。

 ギーネにしてからが、ティナが知己だからこそ危険を侵している。

 顔見知りなら兎も角、見ず知らずの少女を救う為、碌な報酬もなしに人攫いのアジトに乗り込む奴なんている筈ないとギーネは思っていた。

 

 実のところ、こんな世紀末の世界ではあるが、見知らぬ少女の為に命を懸けても良いぜ!と考えるお調子者とも善人とも付かぬハンターは一定数いたのだ。

 しかし、荒廃したティアマットにそんなお人よしがいる訳無いと自分基準で決め付けていたギーネは、セシルの帰還を待ち侘びながらも、ハンターたちに事情を説明して助力を求めようなどとは考えもしなかった。

 

 田舎町でうだつの上がらぬ下位ハンターとして、野犬やお化け鼠、角兎や変異蟻なんかを狩りつつも、心の何処かで一度でいいから怪物や賞金首と戦ってみたい。人々から賞賛や憧れの目を向けられたいと常々、思っているような善良且つちょっと夢見がちな連中だったから、声を掛けたらきっと二つ返事で了承したに違いない。

(なんか物騒な会話をしているな)

(人狩りとか、奴隷商人とか単語が出ていたな)

(女の子が浚われたのか、助けが欲しいのかな……恐いな、だけど)

(俺に声を掛けてこないかな、俺に)

(今日こそヒーローになってやる……いや、やっぱり明日だ。明日やってやらあ)

(何時死ぬか分からん人生だ。どうせなら誰か助けるのに命を賭けてもいい)

 ロビーにいる英雄志願のハンターたちはちらちらとギーネに視線を送ってきているが、気ばかり焦っている亡命貴族は他人の思惑に気づきもしなかった。

 精々が奴隷商人の動向に興味があるのだろうか、と思った程度であった。

 ハンターたちも、小耳に挟んだだけの話に自分から声を掛けるほどには積極的な性格ではなかった。

 大体、こうした状況で自分から声を掛けられる奴だったら、下位ハンターとして燻ってなんかいない。

 本物のハンターや賞金稼ぎになるか、或いはとっくの昔に死んでいただろう。

 

 

 崩壊世界の住人の癖に引っ込み思案だったり、気が弱かったりする連中は、そんな訳で勇士になれる絶好の機会を逃がしてしまった。

「お嬢さん方。その話、詳しく聞かせてもらっていいかね」

 途方に暮れていたギーネの背後から歩み寄ってきて、そう声を掛けてきたのは、カウボーイハットを斜めに被った初老の男性で、その胸には金色をした星型のバッジが輝いていた。

 厄介ごとに自分から首を突っ込む奇特な人間に興味を覚えたのか。振り返ったギーネは老人の顔を見て目を瞬いた。

「……マッケンジー保安官?」

 ギーネの呟きに、アーネイが思い当たったのか「ああ」と肯いた。

「マッケンジーさん。確か、どこかの村からやってきた」

 ギーネとアーネイの洩らした呟きに、老人は怪訝そうに片方の眉を上げた

「何処かであったかな?」

「保安官やマケインと連れ立っていた時。あなたは疲れきった表情で樅の樹の下にあるベンチに腰掛けていた」

 ギーネの言葉に思い出したのだろう。マッケンジー保安官は大きく肯いた。

「あの時のお嬢さんたちか。そう、確かに一度、紹介されたな」

「『ナズグル』に泊まっていたのか、なんて奇遇な」

 呟いたアーネイだが、すぐに思い直した。

 人口千人足らずの町で一番ましなホテルだから、別に奇遇でもなんでもない。

 いや、偶々、ロビーに居合わせたことを考えれば幸運かも知れないが。

「マッケンジーさん。私はアルテミスです。こちらはフェリクス。

 旧市街で人攫い共の拠点らしき場所を見つけました。

 私たちの知り合いの少女が浚われて、残された足跡が旧市街へと向かっていました。

 私たち自身、その近くで襲われたことがあった為に付近を探っていたのですが、其処でかつて襲ってきた無頼漢の一人を見つけて捕縛したところ、人攫いの一党が旧市街の奥にアジトを構えていると分かりました。

 アジトに残っているだけでも、悪漢は七人だそうです。

 拉致された者たちがまだいるかは分かりません。

 今は仲間を待っている状況ですが、或いは連中が察して逃げ出すかも知れません。案内したら付いてきてくれますか?」

 ギーネは端的に状況を説明すると、真剣な表情になって聞いていたマッケンジーは、即答した。

「よし、直ぐに行こう」

 アーネイは、老保安官の腰につけたベルトを目にして顔を顰めた。

「……リボルバー一丁で、十人近い敵がいる悪漢共の巣窟へと乗り込むんですか?

 保安官の応援は頼めませんか?」

 内心、保安官への伝手を期待していたアーネイだが、マッケンジーは深い皺の刻まれた顔に渋い表情を浮かべて首を振った。

「その少女が町の正式な住民でない限り、連中は指一本動かさんよ。

 保安官が戦うのは、税金を払ってくれる市民の為だけだ」

「……なるほど」

 さしてやる気のなさそうにアーネイが呟き、完全に目算の狂ったギーネが呻いている。

「見通しが甘かったぁ」

 

「よし、行こう」

 マッケンジー保安官が張り切って号令すると、慌てたギーネが冷や水をさすように告げた。

「念の為に言っておきますが、今回は偵察で、私たちも道案内だけです。

 状況が状況ですので、アジトの存在を確かめたら、人手を集める為にもう一度、戻ってきますぞ」

 老保安官は沈黙したまま、ギーネを見つめていた。

 むう、なんか頑固そうな雰囲気の老人ですぞ。何を考えているのか全く分からんのだ。

 危機感を感じたギーネは、マッケンジー保安官に言葉を重ねて説明する。

「私たちは、たったの三人です。

 悠長かも知れませんが、此処で焦ってミイラ取りがミイラになる訳にもいきません。

 銃もないのに……いや、あっても悪漢が待ち受けている拠点に突っ込む気はしませんぞ」

 一応は肯いたマッケンジーだが、どこか上の空にも見える。

 思いつめたように硬質の光を湛えている老人の瞳を見て、ギーネは胸の奥底に微かな不安を覚えた。

 

 主君と保安官のやり取りを横合いで聞いていたアーネイが口を挟んだ。

「一応、行く先だけでも保安官か、セシル宛に、地図を書いたメモを残しておいた方が……」

「何のために?」

 マッケンジーは、首を傾げてアーネイに尋ねてきた。

「万が一、我々が捕まったり、やられた時の為に」

「誰が動いてくれるんだね?」

 本気で不思議そうに呟いているマッケンジーの言葉からすると、祖国のアルトリウスと移住先のティアマットでは、治安関係者の意識の差はかなり大きいようだ。

 

「……ここか」

 古びたリボルバー一丁の老人に、バットを持った女が二人。

 あの後、旧市街に向かった三人は、鉄の扉の向こう側へと踏み込んだ。

 途中、ギーネは買い求めたスプレー缶で矢印を書き残してきている。とは言え、セシルなり、保安官なりが救援に来てくれるとは限らない。

 見回りに出た悪漢共に接近を気づかれる可能性もあるので悩みもしたが、フロントに残したメモと共に、打てるだけの手は保険として打っておくことにした。

 曲がりくねった細い路地を進み続けるうち、人の声が聞こえてきたので忍び足でぎりぎりまで近づいて曲がり角から覗き込んでみた。

 通路の先は、コンクリート製の建物と建物の狭間にある小さな空き地へと繋がっており、三人が息を潜めて覗き込んでみれば、壊れかけたバスケットコートの下で皮服に釘バットや鉄パイプを背負った男たちの三人組が屯していた。

 

 退廃した雰囲気を漂わせた三人組は、コンクリートの段差に腰掛けてぼそぼそと会話を交わしていた。

 仲間が一人帰ってこないにも拘らず、油断しているようにも見えて、ギーネは小さく肯いた。

「……さて、どうしますか」

 小声での呟きに老保安官が反応する。

「よし、捕らえるぞ」

「向こうは男が三人。ちょっと無茶ですぞ」

 険しい目をしたマッケンジー氏が、小声で囁き返してきた。

「此の侭、黙って見過ごせと言うのか?」

 この期に及んで臆病風に吹かれたのだろうか。ギーネが芋を引き始めた。

「本当に応援を呼ぶべきですよ。だって、銃は貴方のそれ一丁だけですよ?

 此処は、にげ……転進するべきです」

 

 小声で言い争っていると、空き地に面した扉の一つが軋んだ音を立てて開き、裸に近い格好の娘が酒瓶を抱えて現れた。

 三人組の男たちが立ち上がると、半裸の娘を取り囲むように近づいていった。

「ふむ。やはり、奴らは悪漢のようです。確証が取れた今……ごっ、ご老人?」

 微かに狼狽しているギーネの目の前で、すたすたと歩いて悪漢達の前に姿を見せたマッケンジー保安官は、腰溜めに構えたリボルバーを発砲した。

 

 

「どうしてこうなった!」

 路地の脇に設置された鉄製の大型ゴミ箱の横に隠れて、ギーネが泣き言を洩らしていた。

「お嬢さま!頭を伏せてください!」

 リボルバーを片手に持ったアーネイが、叫んでいる。

 上や横から空気を切り裂いて絶え間なく銃弾が叩き込まれる。迂闊に顔を出すことも出来ない。

 隣では、肩を撃ち抜かれたカウボーイハットの爺さんが呻いており、半裸の少女がタオルで出血箇所を抑えながら、老人を抱きかかえていた。

 狙い定めて応戦するアーネイだが、敵は遮蔽を取っており中々に当たらない。

 手にしたリボルバーの残弾は、僅か七発。

 起きてしまったことは変えられない。弾を喰らって呻いているマッケンジー氏を責めはしなかったが、愚痴の一つくらいは洩らしたかった。

 

「出て来い!糞野郎共が!ぶっ殺してやるぜ!」

 人攫いが怒鳴り、銃声が鳴り響き、撃ち込まれた弾丸に鉄製の大型ゴミ箱が振動した。

「なんと言うことでしょう。絶対絶命のピンチですぞ」

 不幸中の幸いというべきか、悪漢達にとっても銃弾は貴重品らしく、滅多矢鱈と撃ってくる訳ではないが、代わりに矢やクロスボウのボルトも容赦なくゴミ箱に突き刺さってきている。

 頭を抱えているギーネのすぐ横の地面に矢が突き刺さった。

「ひぁああ!」

 ギーネたち四人の隠れている路地に面した建物。ゴミ箱の真上にある窓から身を乗り出して弓を撃ってきている男がいた。

 アーネイがリボルバーで反撃した。

 叩き込んだ二発の弾丸が男の頭蓋を砕いて、ゴミ箱の上に亡骸が落下した。

 これでアーネイの残弾は、残り五発である。

 アーネイが最後の弾薬をリロードしている。

 そろそろと手を伸ばして弓と矢筒を取ったギーネが、ゴミ箱の陰からそっと顔をのぞかせる。

 腹ばいに近い姿勢から器用に狙いを付けると矢を放った。

 何故か鉄パイプを握って柱の影で叫んでいた男が、首筋に矢を刺してぶっ倒れた。

「ふっふっふ、見たか。これぞアルテミス流弓術……ひあああ」

 得意げなドヤ顔を晒したギーネが顔色を変えて頭を引っ込めた次の瞬間、すぐに猛反撃が襲ってきた。弾薬が鉄製のゴミ箱を激しく撃ち続け、激しい雨が地面を叩くような音が狭い路地に響き渡った。

 泡を喰ってるギーネの横でアーネイが厳しい表情で舌打ちした。

「もう、なにをやってるんですか」

 ギーネはゴミ箱に寄りかかったまま、アーネイに訊ねた。

「アーネイ、弾は後何発ありますか?」

「……五発です。連中の弾は尽きる様子が見えませんが」

 

 沈黙したアーネイが声を低くして主君に尋ねた。

「逃げますか?」

「あのテンションでは、しつこく追ってきそうなのだ」

 ギーネが苦笑を浮かべると、アーネイは瞳を細めて手負いの老人と抱きしめている娘を見つめた。

 冷たい眼差しだった。

「私たちだけでも逃げるのには苦労するでしょう。まして此方には爺さんがいます。

 一本道とは言え、この娘さんもかなり弱っていますし」

「参ったな。全員は助からんぞ。これ」ギーネの呟きに、娘が肩を震わせた。

 敵の性質と自分たちの置かれている状況を冷静に分析したギーネは、いっそ無造作にも思える口調で戦況の不利なることを認めていた。

 ギーネも、アーネイも幾度となく死線を越えてきている。

 基本的に善良な性格ではあるが、場合によっては冷酷さも発揮される。

 

 事実と認識した情報を付き合わせて答えを導き出す時、二人の解答には若干の希望的観測も、敵の力量に対する予断も含まれてはいない。真実を真実と認めた上で、優先順位を定めた後、取りうる中で最良の策を模索し始めている。

 

 この状況で望みうる最高の結末は、四人で撤退すること。敵に打ち勝つのは難しい。

 最低条件は、ギーネとアーネイが逃げ延びること。

 この状況で撤退を選べば、足の遅い二人を置いていくことになる。

 名も知らぬ娘と保安官を助けたいが、助けるのは難しい。

 ギーネとアーネイは、互いの眼差しのうちに暗黙の了解を読み取っている。

 

 言うべきではないと思いつつも、アーネイは小声で訊ねた。

「……爺さんを置いていきますか?」

「こうなっては已む無いかもしれません」

 気が乗らない口調で、ギーネがぼそぼそと囁き返してきた。

 二人とも性格の甘さを自覚しつつ、しかし、敗走という選択肢を選ばざるを得ない事に苦さを覚えている。

「置いていったら、きっと保安官は嬲り殺しですよ?」

「とは言え、連中の仲間を七人ほどぶち殺しました。

 謝っても許してはくれないでしょうね」

 地べたにへたり込んだまま、ギーネはゴミ箱の向こう側を親指で示した。

 地面に倒れている悪漢のうち、二人はバットで頭を砕かれていた。

 最初の奇襲で老人が一人を射殺し、合わせて(仕方なく)飛び込んだギーネとアーネイがバットで二人を倒している。

 その後の撃ち合いで更に四人まで仕留めたのは、正しく奮戦と言っていいだろう。

 七人もの悪漢が物言わぬ躯となって地面に屍を晒しており、しかし、奴隷商人のアジトには、少なく見積もってもその倍の人攫いが潜んでいたようだ。

「ぐぬぬ、あやつめ。何が八人だ」

 ギーネが歯軋りして文句を言うが、拷問されても正確な情報を洩らさなかった捕虜は中々に根性が座っていたらしい。

 或いは、状況が変わっただけかも知れないが、いずれにしてもギーネたちは窮地に陥りつつあった。

 

「……マッケンジーさん」

 アーネイが声を掛けると、老保安官が苦しげに瞳を開いた。

「覚悟はしていた。すまん。この娘を連れて逃げてくれ」

 苦しげな息の下で声を振り絞っている。

「銃を返してくれたら、足止めはしよう」

 厄介なことを頼まれたが、ギーネは肯いた。

「最善は尽くすよ」

 震えている半裸の娘は裸足であった。足も萎えている。

 しかし、手負いのマッケンジー氏と違って走るくらいは出来るはずだ。

 ギーネの弓矢で追っ手を牽制しながら、廃墟のいずれかに逃げ込めば、何とか目もあるだろう。

 マッケンジー氏に拳銃を返す前に、アーネイは主君の耳元にそっと口を寄せて囁いた。

「……このまま敗走して、下手すれば私たちの顔と名前も割れます」

「最悪、町から逃げ出したら、村に匿って貰う心算だったがそれも駄目だな」

「仕方ありません。此処まで劣勢な状況では、私たちが逃げ延びるのも辛いかも……」

 

 苦い表情で首を振ってから、ギーネはアーネイと娘の顔を見つめて宣告した。

「逃げますよ。私たちの後を付いてきなさい」

 娘は脅えていたが、唇を固く結んで肯いてきた。

 勇気付けるように、ギーネは娘の肩を優しく叩いた。

「大丈夫。幸い、連中の使っているのはさほど強力な銃ではありません。

 一発や二発喰らっても、まず死なないでしょう」

 鉄製のゴミ箱を貫通できないことから、悪漢たちが使用しているのが口径も小さく、火薬も劣化している粗雑な弾薬だと分かる。

 市中の露店を見て廻った時に目にした粗雑な銃器や弾薬を思い出しながら、ギーネは言葉を続ける。

「連中は、銃の腕も大したことは在りません。

 私たちが良いというまで、絶対に足を止めないでくださいね」

 重要な臓器や太い血管のような急所に当たらなければ、さほどの脅威にはならないと割り切っていた。

 

 

 ギーネが立ち上がろうとした時、重い銃声が路地裏に響き渡った。

「音が変わった。幅が広く、腹の底に響くようなこの銃声。

 ライフルを持ち出してきたか?」

 顔色が変わったアーネイだが、ギーネが目を瞬いてから首を振った。

「いや、奴らの銃声が一つ止んだ」

 

 悪漢たちが甲高く叫びながら、銃を乱射している。

 再び、重たい銃声が鳴り響いた。

 重たい何かが地面に倒れる音が聞こえて、ギーネはそっと顔を覗かせて様子を窺う。

 先刻まで此方をクロスボウで狙っていた悪漢が、脳天を撃ち抜かれて死んでいるのが見えた。

「どこだ?どっから狙ってやがる!」

 叫びながら銃を乱射していた悪漢が、三発目の銃声と共に沈黙した。

 あっという間に三人が倒されて士気を挫かれたのか、残った悪漢たちが算を乱して逃げ出した。

「……騎兵隊の到着だろうか」

 用心しながらも、ギーネは立ち上がった。

 

 と、空き地の奥で建物の中へと逃げ出した奴隷商人の一人が、再び顔を出した。

「ひひひ、セシルだな!お前が俺たちを探しているってことは、分かってたんだ!」

 叫びながら、子供を盾に抱きかかえつつ悪漢が姿を見せた。

「この牝餓鬼がほざいていたからな!セシルが助けに来るって!

 まさか本当に来るとは思ってなかったぜ」

 

 ギーネが、音高く舌打ちした。

 柱の影まで出てきた悪漢が、人質にしているの知己のティナであった。

 少女は青ざめた表情で、ぐったりとしている。

「さあ、姿を見せろ!銃を捨てろ!餓鬼の脳味噌をぶちまけたいか!見たいか?ああん?」

 ティナの即頭部にぐりぐりと銃口を突きつけながら、悪漢は血走った目を周囲に走らせながら、唾を撒き散らして叫んでいた。

「ぬう、卑劣な」

 ギーネは眉を顰めたが、手の打ちようがなかった。

 悪漢は、相当に追い詰められているらしく、目が狐のように吊りあがり、震える指が拳銃のトリガーに掛かっている。

 

 空き地に女の声が響き渡った。

「……分かった。今、出て行く」

 セシルの言葉に、悪漢は早くしろと怒鳴り声を上げた。

 やがて空き地に面した建物の一つから、迷彩服姿のセシルが姿を現した。

「出て来たな。ようし……」

 舌なめずりしていた悪漢が、セシルの顔を見て凍りついたように動作を鈍らせた。

「そっ、その顔は」

 呆然と凝視していたが、気を取り直したように声を張り上げる。

「とにかく、まずはライフルを投げ捨てろ。こっちにだ!」

 セシルがライフルを地面の上に乗せて、悪漢の方へと滑らせた。

 

 こそこそと足音を忍ばせて近寄ってきていたギーネが、背後のアーネイに話しかける。

「アーネイ。銃が得意ですよね。私だって下手ではありませんが。狙えますか?」

「……いかんですよ、柱と射線が重なっている」

 首を振ったアーネイが、難しい表情でティナを人質に取った悪漢を睨みつけている。

「無理です。柱が邪魔で此処からでは当たりませんよ」

 ギーネが鼻を鳴らした。

「情けない。拳銃を借りますよ」

「ちょッ……何をなさる気ですか?」

 アーネイから無理矢理リボルバーを奪ったギーネが、銃を構えながら物陰から飛び出した。

「軍神シモ・ヘイヘよ。我を嘉し給え。必殺、十字撃ち!」

 ガガーンと銃声が鳴り響いて、男の顔面から大分外れた壁を軽く弾いた。

「ありゃあ、外れたのだ」

 ギーネの声に怒り狂った盗賊が人質の頭から銃口を離した。

「てめえ!こ、この糞女がぁ!」

 亡命貴族へと銃口を向ける。

「ひぁああ!」

 拳銃を空へと投げ捨てて、ギーネは慌てふためきながら物影へと飛び込んだ。

 

 と、運よく空中から落ちてきたリボルバーをセシルがキャッチした。

 其の侭、流れるような動作で狙いをつけて撃つ。

 ティナを抱きかかえていた悪漢が、体を痙攣させた。其の侭、ゆっくりと崩れ落ちて、地面に倒れた時は死んでいた。

 ティナは目を瞬いた後、ゆっくりと立ち上がって恩人に向かって歩き出した。

 

 悪漢を打ち倒したセシルは、緊張が解けたのか。

 大きくため息を洩らした。放心したように立ち尽くしている。

 と、空き地の奥の建物の扉の影に、僅かに人の動く気配が感じられた。

 瞬間、狙いも付けずにセシルは早撃ちした。

 残弾の三発を扉の奥の隙間へと正確に叩き込みながら、扉へと駆け寄った。

 手応えは返ってきたが、残されているのは床の僅かな血痕だけだった。

「……浅いか」

 建物の奥へと走り去っていく足音がして、扉を開き、再び閉める音がした。

 恐らくは、建物の裏口から逃げたのだろう。広大な旧市街を追跡するのは骨が折れる。

 悪漢の残党に己の名を知られたと悟りつつも、微塵の動揺も見せずにセシルは踵を返した。

 

「悪漢共。全然、大したことは在りませんでしたな」

 ギーネが大威張りしながら胸を張って空き地に立っていた。

「なにやってるんだ。貴方たちは?」

 呆れたようなセシルの声に、ギーネは不満そうにむうっと眉を顰めている。

 なにやら期待した反応と違ったらしい。

「どうして此処に?」

 アーネイの質問にセシルは肩を竦めた。

「メモを読んで……走って駆けつけてきた。最近、運動していないから疲れたよ」

 怠け者のような言葉を吐きながら、セシルが弾を撃ちつくしたリボルバーをアーネイへと手渡した。

 愛用のライフルを回収しようと、歩き出そうとしたところで

「セシルーーーーー!」

 セシルの背後から、凄い勢いで半泣きのティナが駆け寄ってきた。

 振り返って笑顔で手を広げたセシルの腹部に、全体重を乗せたティナが頭から突っ込んできた。

 と、臓腑を直撃されたセシルの顔色が急激に青ざめて、地べたに手を付くとしゃがみこんだ。

「……うげええ」


多分次回でティアマット1年目の章は完結

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