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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
☆ティアマット1年目 その2 ギーネ ティアマットの地を知るですぞ
21/117

ACT 20 嘆きの夜

2014年 01月23日 少し改変しました


 セシルは、闇の中に生まれおちた。

 親の顔も知らない。身内と言えば、妹のアーシェ一人である。

 物心つくか、付かないかの頃には奴隷であった。

 どこかから浚われてきたのかも知れないし、或いは生まれた時から奴隷だったのかも知れない。

 幼年期から少年期にかけては、奴隷商人たちの元で育成された。

 多分、かなり大きな組織だったと思う。

 だが、その割りに知られていないのが不思議でもあった。

 或いは、小さな組織だったが、職人芸を持っていたのだろうか。

 名前も、詳細も、今に至るまで殆ど分かっていない。

 戦闘用、護衛用、暗殺用の奴隷なんてものを顧客の注文に合わせて育てるくらいに狂気に捉われてもいた。

 幼少時には、同じ奴隷仲間と殺し合いをさせられた。睡眠の最中にも、食事中にも、教官たちのサディスティックな襲撃に晒されてきた。

 それでもセシルたちはマシな方で、特上の素体と見做されていた子供のうちには、浚ってきた女や子供を解体させられていた少年少女もいた。

 戦闘奴隷として、銃とナイフの扱いを叩き込まれ、姉妹揃って訓練課程を修了し、良質な商品となったセシルとアーシェは、やがてギュネイと言う地主の老人に買い取られた。

 酷い女好きで、大勢の愛人がいたが、セシルはただの戦士として扱われた。

 その頃のセシルは、少年に似た痩せた陰気な子供だったので、手を出す気にはなれなかったのだろう。

 もう少し年がいってたら、手を付けられていたかも知れない。

 老人の所有する畑や農場を荒らす変異生物やミュータントに、幾らでも使い捨ての効く駒としてぶつけられた。

 

 ミュータント相手の闘争は、人に対するそれとはまるで勝手が違った。

 数発。質の悪い銃や弾丸では、数十発の弾丸を当てても、ミュータントたちは平然と反撃をしてきた。

 当然、他の奴隷たちは容易く死んでいったし、戦闘訓練を受けてきたセシルたちでさえ、幾度となく危うい場面があった。

 元はハンター。それも文字通りに怪物を狩る狩人だったという奴隷監督官に手ほどきを受けて、ミュータント相手の血みどろの闘争になんとか生き延びる術を学びながら日々を越えていくうちに、やがて監督官の推薦で助手へと昇格した。

 僅かながらに給与も貰え、自分の身代を買い戻せる可能性も出て来た時に、ギュネイが病気にかかってあっさりと身罷った。

 ギュネイが病気で身罷った後、使用人たちは金目の物を持って屋敷を出て行った。

 ミュータントが攻めてきた混乱と、主の死による混乱のうちに奴隷たちが大勢脱走し、何時の間にか妹もいなくなっていた。

 セシルたちも財産の一つだったが、遺言で自由になったのは、きっとギュネイの生涯では唯一の善行に違いない。

 優しさではなく、不仲の息子に財産を渡したくなかったのだろうと監督官は笑っていた。

 いきなり自由になって戸惑いながらも、元監督官の勧めでハンターになることにして、それから色々あった。

 彼方此方を彷徨い、この町に流れ着いて、同じ年齢の少年少女と知り合い、チームを組んで色々な冒険や狩りを重ね、しかし、リーダーの少女の死と共にチームもばらばらになった。


 町の中心にある大きな建物は、元は何らかの宗教の寺院だったと言われていたが、特徴的な三角錐の屋根を持つ建築物がかつて如何なる神を奉じていたのかを知るものは、もはや町の古老にもいなかった。

 今の住人たちは、荒れ果てた建物の一部を改装して使用しているが、家主であるブレインは応接間として使っている庭に面した部屋で旧知の知り合いと会っていた。

 窓の外からは、庭を元気よく駆け回っている子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。

 子供たちの楽しげな声に耳を欹てていたブレインは、来客に向き直った。

「いくらお前さんの頼みでも、こればっかりはな」

 友人の言葉をセシルは無言で聞いている。

「うちも既にギリギリなんだ。子供一人養うだけでも、金も食料も馬鹿にならないほど掛かる」

 渋っているブレインの言い分は尤もだった。悪人の多い土地で善人が善人のまま生き抜いていくには、周囲の数倍の狡知と用心深さが必要とされる。

 身寄りのない子供を無償で引き取って世話するような男だけに、ブレインの見極めは冷静且つ正確なものだった。

 ブレインは意志の強さと賢明さを兼ね備えた人間だろうが、それでも、セシルは交渉の門扉を開かねばならなかった。

 渋い表情を浮かべて手を振っているブレインに対して、頭を下げて懇願する。

「無理を承知の上で頼んでいる、ブレイン。何とかならないか?頼れるのは貴方だけなんだ」

 ため息混じりに首を振るってセシルの頼みを退けているブレインも、けして隔意を持っているわけではない。可能な限り事実しか口にしない類の人間である。ブレインが余裕が無いと言うならば、それは本当に余裕が無いのだ。

 

「大体、今までずっと顔を見せなかったのに、急にやってきて子どもを引き取ってくれっといわれてもな」

 渋っていることを隠そうとしないブレインの言葉に、セシルはばつの悪そうな表情を浮かべた。

「すまない。ブレイン。だが、金なら幾らか払える」

「金の問題じゃない。新しい寝床だって必要だし、食い物や毛布、薪の手配だってある。手に職つけてやる必要もある。今いる餓鬼共の面倒を見るだけでも手一杯なんだよ」

 そう言うブレインの口調にも、けんもほろろと言うには突き放す鋭さは欠けている。

「頼む。いい子なんだ」

 言ってからポケットに手を突っ込んだセシルが取り出したのは薄い封筒だった。

 封筒に包んだギルド紙幣の束を取り出すと、机の上にそっと差し出した。

「ここに50ある。引き取ってくれたら、近いうちにもう30都合する」

 セシルの懇願を込めた口調と眼差しに、参った様子でため息を洩らしながらブレインは椅子に深々と腰を埋めた。

 ちょっとした大金にも拘らず、ブレインは冷たい眼差しで封筒を眺めていた。

「……身寄りのない子なんてこの町だけで大勢いるんだぞ。セシル。それに……」

 言いよどんだブレインだが、旧友のセシルの頭から足まで鋭い視線を走らせると唇を舌で湿らせた。

「言いたくはないが、お前。弱くなってるんじゃないのか?」

 かつての仲間の言葉を受けたセシルは、ハッと息を飲んだ。

 

「最近、飲んだくれてばかりだろう?昔みたいな腕はもうないんじゃないのか?」

 口調こそ辛辣ではなかったが、それだけにブレインの言葉はセシルには響いた。

「……そんなことはない。それに当面の世話をしてくれたら、あの子は自分の食い扶持は自分で稼げる娘だ」

「そんな娘なら、なおさらだ。態々、俺たちの家にやってくる必要はないだろう」

 首を横に振っているブレインの言葉をセシルが遮った。

「だが、今は時期が悪いんだ。廃墟地区には置いておきたくない」

「……訳ありなのか?」

 胡散臭そうな表情をしたブレインに、セシルが身を乗り出して囁きかけた。

「町外れに奴隷商人が出た。少なくとも、連中がうろついている兆候がある。

 子供が姿を消していた。あの子も目をつけられるかも知れない」

 セシルの言葉を聞いたブレインが、目つきを鋭くした。

「人狩りだと思っているんだな?」

 セシルが肯くと、しばらく考え込んでいたブレインが肯いた。

「……分かった。連れてきてくれ。はぁ、それにしても、エミリーになんて言われるやら」

「感謝する。恩に着るよ。ブレイン」

 ぎこちなくとは言え、ようやく微笑んだセシルに、立ち上がりながらブレインは手を振った。

「そう思うなら、たまには顔を出せよ。俺はまだお前の友だちの心算なんだ」

 ブレインの言葉に苦笑いを浮かべて、セシルも立ち上がった。

「ああ、そのうち必ず」

「そのうち……か」

 

 セシルをしげしげと眺めたブレインは、少し躊躇してから口を開いた。

「セシル。ミリアのことは、あまり気に病むな。昔のことだ」

 あからさまに顔を強張らせているセシルに向かって、ブレインは考えながら淡々と言葉を紡いだ。

「仕方なかった。俺たちは餓鬼で、皆が調子に乗っていた。

 足元が見えてなかったんだ。

 失敗は誰の責任でもないし、敢えて言えば全員に責任がある」

 友人の心の重荷が少しでも軽くなるといいんだが。

 そう思ってセシルに語りかけたブレインだが、返答がないので気まずそうに顔をそらせた。

「少なくとも俺とエミリーはそう思っている。また、顔を出してくれ」

「……ああ、また顔を出させてもらうよ。近いうちにね」

 擦れた声で呟いたセシルの表情は、顔を伏せていた為にブレインには窺えなかった。

 

 

「……ネイ、アーネイ。もう夕刻ですよ?」

 優しい声と共に肩を揺すられて、アーネイは意識を覚醒させた。

 目を開けてみれば、世界は地平線の彼方まで茜色に染まっている。

 隣ではギーネが楽しそうに微笑んでいた。

「……あ、申し訳ありません」

 眠り込んでいたのに気づいたアーネイが慌てて立ち上がると、背中に掛けられていたギーネのジャケットがずり落ちていった。

「ふふふ、構いませんとも。アーネイの可愛らしい寝顔を堪能できましたから」

 ギーネは瞳を細めて、アーネイに微笑みかけた。

 男女を問わず、女性を愛する嗜好の持ち主が見たら胸を高鳴らせるに違いない美麗な笑顔も、しかし、アーネイには暖かな好意と感謝の気持ちを抱かせただけで終わった。

「ジャケット……有り難うございます」

 穏やかに微笑み返してきたアーネイに、ジャケットを手渡されたギーネはほくそ笑んで独り言を呟いた。

「ふふっ、またアーネイフラグを一歩積み上げたのだ。そろそろ攻略ルートに入ってもおかしくありませんぞ」

 不審そうに首を捻っているアーネイに、ギーネは労りの言葉を掛けた。

「……疲れていたのですね。無理もありませんが。

 もう少し休んでいても構いませんが、ここは風が強いです。下へ下りましょう」

 

 階段を下りたところに、ティアマットの町並みには珍しい街路樹が聳えていた。

 梢の下には木製のベンチが設置されており、街路を挟んだ屋台では町の労働者が湯気の立つ飲み物を飲んで体を暖めていた。

 

 ベンチに腰掛けたアーネイは、まだ眠気が覚めない様子で、眠そうにしている家臣の為に立ち上がったギーネは、自分の方が家来みたいにそそくさと屋台に歩み寄って飲み物を買い求めた。

「ダージリンを二杯。オレンジペコで」

 キリッとした表情で注文したギーネに屋台の親父は胡乱な目を向けた。

「ここはコーヒーしか売ってねえよ。馬鹿」

「じゃあ、それでいいのだ」

「ミルクと、砂糖は?」

 差し出されたブリキのカップに沸騰するほどに熱いコーヒーを注ぎながら、親父が尋ねてきた。

「砂糖は両方少なめで。一杯はカフェオレ。一杯はブラック」

 チョコレートや紅茶が見当たらない割りに、町の市場ではコーヒーや砂糖を手頃な値段で味わうことが出来た。

 大量生産も、大量輸送も困難であろうティアマットの地で、如何にして庶民にも気軽に楽しめる価格でコーヒーと砂糖が流通しているのかはギーネにも分からない。

 茶葉の方がコーヒー豆より輸送しやすいだろうに。と思うギーネであった。

 

 熱いカップを二つ、両手に持ってベンチに戻った亡命貴族は、ブラックコーヒーを眠気の冷め切っていない家来に差し出した。

「コーヒーですよ」

「……有り難うございます」

 息を吹きかけながらコーヒーを啜るアーネイと肩を寄せ合い、ギーネは相貌を崩していた。

 ……ええ匂いですわ。うぇひひ、これは辛抱溜まらん。

「おい、そこの不審者」

 無防備になってる家臣の髪の匂いを嗅いでいる最中、背中から突然に呼びかけられたギーネは、喉から心臓が飛び出すかと思うほどに驚いて飛び上がった。

「ふわっ!」

 

 慌てた表情で背後に振り向いたギーネが、声を掛けてきた人物を見て眉を顰めた。

「なんだ、女衒ではありませんか?何の用ですか?」

「はっは。言われて驚くってことは、一応の自覚は在るんだな」

 ニヤニヤと笑みを浮かべた女衒のマケインが、ギーネたちに対して挨拶してきた。

 眠たげに目を擦りながら、アーネイがマケインに返事を返した。

「あら、マケイン。また散歩ですか?」

「そうだ、そうだ。何時、仕事しているんです?

 お店の経営は、大丈夫なのか?潰れる前に今すぐ仕事に戻るべきなのだ」

 邪魔者を追っ払おうとする意図を隠そうともしないギーネの言葉に、マケインは喰えない笑みを浮かべて返答した。

「大丈夫、大丈夫。腕利きのスタッフがいるからね。俺がいないほうが仕事がはかどるの」

 

 話し掛けてきたマケインの背後には、大柄な男性と痩せた老人が佇んでいた。

 ここまで一緒に連れ立って歩いてきていたらしい。二人とも昔の西部劇の登場人物のように強い日差しを遮る鍔付きのカウボーイハットを深く被っている。

「おい、マケイン。俺はもう行くぞ」

 ギーネたちに訝しげな視線を向けてから、声を掛けてきたのは大柄な男性の方であった。

 男たちの胸には、それぞれ金色と銀色の星型のバッジがついていた。

 格好通りに保安官なのだろうか。曇天の日が多いティアマットの天候にカウボーイハットが必要とは思えないが、一種の様式美なのかも知れない。年季の入った帽子の醸し出した雰囲気が、渋い男振りに何とはなしに似合っていた。

「ではな、旦那」

 マケインの挨拶に手を振って答えると、カウボーイハットの男は踵を返して歩き出した。

 

「ん……アーネイ。あの人、ちょっと格好良くありませんか?」

 立ち去っていく保安官の横顔に一瞥くれたギーネが囁くと、アーネイも深々と肯いていた。

「わあ、渋い殿方」

「アーネイ!わ、わ、わ、私というものがありながら!」

 自分で言い出した癖に涙目になったギーネが慌てていると、亡命貴族の美貌をしげしげと眺めながら、マケインが嘆息した。

「なんだ、お前さん。やっぱりレズだったのか。勿体無いな」

 ギーネが憤懣やるかたないといった口調でマケインの言葉を否定した。

「違います。どいつも、こいつも。わたしはノーマルですよ」

 アーネイが目を丸くした。

「別に女性が好きな訳ではなく、好きになった相手の性別に拘らないだけです」

 ギーネは説得力の欠片もない言葉を力強くぬかした。

「それはレズとは違うのか?」とマケイン。

「大違いですとも」断言された。

 首を傾げつつ、アーネイも主君に問いかけてみる。

「では、美少女見ると騒いでいるのはなんなんですか?」

「……綺麗なものを愛でるのは、べ、別腹ということで」

 アーネイは匙を投げた。

 

「まあ、心配は必要なさそうだな。お前なら」

 ギーネに対する態度が、心なしかぞんざいになってきているマケインである。

「なんですか。心配って、思わせぶりに」

 ギーネが眉を上げてマケインを見つめる。

「最近、可愛い娘さんが急に姿を消す事件が増えていたから、心配していたんだよね。

 まあ、取り敢えずおたくらが元気そうで俺も安心だよ」

 

「……女の子が?」

 アーネイの声を受けて、マケインは背後に視線をやった。

「この娘らはハンターなんだ。それなりに目端が利く。事情を話していいかな?」

 カウボーイハットの老人は肯きながら近くのベンチに腰掛ける。

「このお人は、マッケンジー氏。町からちょいと南にいった小さな村の保安官でな。

 村から町へ買い物にやってきて、行方不明になった娘がいるそうだ。

 で……態々、村からやってきて何とかしてくれと」

 ギーネとアーネイは、ベンチに座っているマッケンジー保安官に視線をやった。

 老保安官は、疲れた表情を浮かべて額の汗をハンカチで拭っている。

「で、奴隷商人の犯行の恐れもあるもんで、過去に遡って調べてみたが『町の市民』の間に、それらしい怪しげな行方不明者は出ていない。それで捜査は打ち切り。悪いな。本当に」

 老保安官に気の毒そうな視線を向けながらマケインが説明してくれた事情に、アーネイは目を瞬いた。

「それでいいんですか?随分といい加減な」

 マケインは憮然として説明を補足してくれた。

「だって、お前。保安官は『町の市民』の税金で養われているんだ。よそ者の為には働かないよ」

「『公共の』ではなく『町の』保安官なんですね」

 合点がいった様子のアーネイに、肯きながらマケインは付け加えた。

「若い女の子のハンターにも、ギルドで一応、注意を呼びかけるってことになってね。

 さっきギルドを尋ねて、今、その帰りなのさ」

 マケインは、言葉を続ける。

「下位ハンターが未帰還とかね。それ自体は何時もの事なんだけど……どうにもね。

 浚われたとしても、よく在るっていえば、よく在ることだけど……人狩りだったら嫌だねえ」

 売春宿を経営している女衒は、町の顔役として治安維持にも幾らかは関わっているらしい。

 思っていたよりも大物のようですね。

 認識を新たにしたギーネの目配せにアーネイは肯いた。

「君らも口を開かなきゃ美人だから、精々、気をつけなよ」

 二人との別れ際に、マケインはそんな風に減らず口にも似た忠告を送ってきた。

 

 

 忠告の内容を吟味しつつ、市場を後にしたギーネたちは、暫しの間、無言を保っていた。

「……奴隷か」

 帰路の最中に、ギーネが洩らした微かな呟きにアーネイが視線を向けた。

「如何かいたしましたか?」

 人混みが行き交う雑踏に視線を彷徨わせたまま、ギーネは吐き捨てた。

「……こんな世界でも、奴隷制度があるのだと思うと、少し憂鬱になります」

 かつては仮にも高度な工業社会を築き上げていたティアマットが、いまや拉致された人間が奴隷として酷使される世界にまで落ちぶれた。

 栄華を極めた文明世界の転落を惜しむかのような主君の嘆きに首を傾げてから、アーネイは空を眺めながら首を振った。

「逆ですよ。こんな世界だからこそ、奴隷制度は復活したのでしょう」

 高度文明に至った一握りの先進工業国家や、よほどに優れた文化を持った社会でもない限り、奴隷制度は常に存在し、割に合うのだ。

ギーネたちの母国アルトリウスでさえ、本土を除いては奴隷制度は横行しており、属州や植民地の何処でも農奴や奴隷が当たり前のように見かけることが出来た。 

 

 二人は、ホテルに辿り着いた。其の侭、賃貸契約している簡易寝台へと直行する。

 借りている寝台に腰を掛けると、ギーネは靴だけ脱いで茶色い毛布を引っ被った。

「アーネイ。私たちが少女の頃、庇護を求めて屋敷に逃げ込んできた奴隷の一家がいました。覚えていますか?」

 甲羅に引っ込んだ亀のように、毛布の中から目だけを除かせて亡命貴族は家臣に話しかけた。

 

 急な質問に戸惑いつつ、記憶を探ってからアーネイは肯いた。

「外国人貿易商が所有していた一家でしたか?……確か、五年ほど前だったかと」

 肯いたのだろうか。亀ギーネが毛布に包まれた闇の中で目を上下に動かした。

「そう、ペルセテ人の主人の元から駆け落ちして、アルテミス候国に逃げ込んだ後、自由民を装いながら三人の子供まで生んで、しかし、腕利きの探偵に見つかったあの夫婦です」

「……主人は返還を求めてきましたね」

 アーネイの言葉を聞いたギーネから、何故か怯んだようにギーネが蠢いた。

「奇妙なことです……あれから内戦で何十人、何百人もが虐殺されたり、虜囚として蛮族に売買されている残酷な光景を幾度も目にしてきました。

 なのに、返還すると決めたあの瞬間こと、あの子供たちのあの表情が今も忘れられません。

 小さな子供もいました。私は裏切ってはならないものを裏切った。今でもそんな気がしてならないのです」

 毛布を被ったギーネが嗚咽するように声を震わせてから、途切れ途切れに言葉を続けた。

「……あの瞬間に戻りたい。買い取りたい。わたしは愚かで無力でした」

 当時のギーネは不意打ちに思考が麻痺してしまい、相手のペースに乗せられた揚句、思うが侭にことを運ばれてしまった。

 思い出す度、悔恨の記憶に身を焼かれる思いが蘇って、ギーネは苦痛に耐えるように拳を握りしめた。

 それっきり亡命貴族が嘆きの声を漏らすことはなく、毛布の塊はしんと静まり返った。

「……お嬢さまには非はありません」

 アーネイは囁きかけたが、その慰めをギーネが聞いていたかどうかは定かではなかった。

 

 二人のところにセシルが訪れてきて、ティナが行方不明となったと聞かされたのは、その夜の出来事である。


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