ACT 18 廃墟の子供たち
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迷宮のように入り組んだ町の街路を、まるで春一番のように勢いよく駆け抜けていく少年と少女。
曲がり角で出会いがしらに男とぶつかりそうになった少年が、すばやく横に飛んで身を躱すとせせら笑うように言い捨てた。
「気をつけろよ!おっさん!」
「こらぁ!」怒鳴りつけた男に、少年の連れの少女が振り返りながら叫んだ。
「ごめんなさいー!」
「……廃墟の餓鬼共め」
少年達の背中を忌々しげに睨みつけていた男も、舌打ち一つして早朝の雑踏へと消えていった。
少年と少女は、街の防壁の外に広がる廃墟地区に無許可で棲みついている子らのうちの二人だ。
廃墟の子供たちには、当然のように頼れる家族もおらず、決まった家もなく、大抵の子供は町外れの溜め池や曠野で獲った食べられる小動物を売りに来たり、簡単な仕事をして口を糊しているが、性質の悪い子供の中には窃盗を行う者もいて、町の大人には嫌っている者もいた。
勝手知ったる抜け道を越えて塀を乗り越え、階段を踏み越えて、屋根から屋根へと小路を飛び越える際には、路地のゴミ箱の上で休んでいた猫がびっくりしてひっくり返った。
木製の看板を出している石造りの建物の表に辿り着くと、少年たちは息を弾ませてドアの前に立ち止まった。
壁の向こう側では、人の気配が動き回っており、少年が二、三度、ドアをノックをすると早朝にも関わらずすぐに扉が開いて、中年の男が姿を現した。
「ヴァルターさん!おはようございます!」
「おはようございますー」
店の痩せたバーテンダーは元気よく挨拶をする少年達を目に留めると、無愛想に首を癪った。
「……お前らか。裏に廻りな」
告げてから、店内に振り返って声を張り上げた。
「おい!リッカ!お前の客だぞ!」
子供たちが駆け足で路地裏に廻り、待機していると、すぐに酒場の裏手のドアが開いて若い娘が姿を見せた。
二人と同じ廃墟の子供の出で、今は酒場に勤めているリッカだった。
「あんた達か、今日の獲物は?」
「これー!」
リッカの問いかけに、少女が得意げに袋を差し出した。
町外れの溜め池で食用になる小魚や虫を獲るのが子供たちの生業で、溜め池で獲った魚や虫は、食べる分を除いて売り払う。
袋を覗き込んだ若い娘は、青白い小魚や白い無脊椎動物に肯きながらも注文をつける。
「悪くないね。出来れば、軟体アメーバのぬめぬめした中核も欲しいけれども」
「この時期は、子供のぷよぷよアメーバは滅多にいないんだ。知ってるだろ?」
少年の言葉を耳にしたリッカは目を瞬いた。
それから何がおかしいのか腹を抱えて笑い出した。
「あはは!忘れていたよ。そうか、そうだったねぇ……随分と昔だから、忘れていた」
云いながら、リッカは子供たちの差し出した袋の中身と、幾ばくかの小銭を交換してくれた。
「ありがとう!」
「ありがとー、リッカー」
「ああ、ちょっと待ちな」
駆け出そうとする子供たちをリッカが呼び留めて店の中へと姿を消した。
すぐに戻ってきたリッカの手には、布で包まれた小さな包みが抱えられていた。
「ほら、これも持っていきな。昨日の余り物だけど」
受け取った子供たちは、笑顔になって唱和する。
「リッカ姉ちゃん!すげえ嬉しい!」「きゃー、リッカー!愛してるー!」
「調子がいいんだから……もうっ」
鼻で笑ったリッカが踵を返した時には、子供たちは手に入れた小銭と食料を握り締めながら、目当ての露店が出ている市場へと真っ直ぐに向かっていた。
「ようやくある程度、溜まったぜ!これなら買えらあ!!」
「今日のリッカは機嫌よかったねー」
「あれが軽かったんじゃねーのか?」
「すけべー!きっと、何かいい事あったんだよー」
軽口を叩きつつ、屋台や露店を巡りながら、子供たちは手頃な部品を見繕っていた。
屋台の隅に転がる切れ味の良さそうな刃を見つけて少女が目を輝かせて手に取った。
「これなんか、どうかなー」
「まあ、悪くないんじゃないかな。値段次第だけど……」
何気なさそうに相槌を打つ少年。
嘘だ。少年も一目見た時からこれしかないと直感していた。
欲しくてたまらない。だけど、物欲しそうにすれば足元を見られる。
欲しくなさそうな素振りも、しかし、海千山千の行商人には見抜かれていたようで、値段交渉は、端から子供たちに不利だった。
足元を見て吹っかけてきた武器売りの屋台の親父に、結局、有り金の大半を取られてしまったが、何とか刃を購入することが出来た少年たちが笑顔を浮かべた。
ぎらぎらと光る重たいブレードを鞘に納めて、街路を遠ざかっていく子供たちの背中を見送りつつ、隣の屋台で焼き飯を作っていた太った商人が武器の露店を開いてる行商人に語りかけた。
「おい、おい。随分と物騒なものを売りつけたなあ」
隣の商人の懸念を、武器の露店の行商人は肩を竦めて笑い飛ばした。
「あいつらな、ハンターになるそうだ。
槍を作ってお化け鼠を狩るんだとよ。可愛いもんじゃねえか」
前から知った顔の子供たちである、焼き飯の行商人が子供たちの立ち去った方角に視線を送って呟いた。
「ハンター志望か。随分と時間をかけて貯めたんだろうな。少しは負けてやればいいものを……」
「バッカやろ。安値で譲ってやるだけが、あいつらの為じゃない。足元見るのは、今後は、もっと上手くやれよ、という叱咤激励も込みなのさ」
「激励される方は溜まらんぞ。自分も喰っていかなきゃならんと素直に言えよ」
親父の言うとおり、少年と少女は、町の地下水路や曠野に乗り込んで、軟体アメーバやお化け鼠を狩るハンターになる心算であった。
銃は高価であり、手が届かない。貴重品でもある弾を安定して入手する伝手もない。
なので剣や槍といった近接武器を使って、変異生物を狩るつもりであった。
今は槍一本分の材料がようやく集まったところだ。
お化け鼠や軟体アメーバなどの肉や皮、中核細胞は、ギルドや商店にそれなりの値で売れる。
特にギルドの依頼で地下の構造物や水路の怪物を討伐する業務は、間引きと呼ばれていて下位ハンターの重要な役割だった。
死人や怪我人も多いが、中には熟練して数十年と仕事を続けているハンターもいる。
人々を脅威から守り、休暇には羽振りのよさを見せ付ける腕利きハンターは、子供たちの英雄であり、偶像であって、中にはストリートチルドレンから、名のあるハンターに成り遂せた者も少なくない。
そうした彼ら、彼女らは、特に同じ境遇だったストリートや廃墟の子供たちの目標で、ハンターになれても、大抵は数年を待たずして地に屍を晒し、賞金首を狩るようなクラスEやFに到達できるのはほんの一握りだとしても、ストリート出身のハンターは彼らにとっての英雄で、何時の時代だって子供は素直に英雄に憧れを抱き、その背中を追いかけるものだった。
根城にしている廃墟に飛ぶようにして舞い戻った少年と少女は、槍を組み立てながら
「鼠やアメーバ狩ってもさ、精々H級だぜ。
ハンターならさ、やっぱり賞金首とか狙おーぜ」
時折、町を訪れるH級のチームに、自分たちと同年代の子どもを見かけたことから、そんな風に大言壮語する少年だが、実際には、ストリート出身でH級になれる者だってそうはいない。
曠野の野犬やお化け鼠などを主な狩りの獲物とするH級ハンターも、死傷率はかなり高く、長年続けるには、やはり慎重さやチームワークが求められる。
少年が馬鹿にしたような言い方をした同年代の子どもたちにしてからが、幼少の時分から親や師匠について、狩りのイロハを厳しく叩き込まれ、装備の使い方に習熟しているのだ。
銃や槍、剣などで武装した集団のそんなプロでさえ、巨体で飛び掛ってくるお化け鼠相手には、死人が出ることは少なくない。
少年の憎まれ口は、つまるところは嫉妬だろう。
一見、恵まれたように見える、生まれながらのハンターの子供たちを羨んでいるのだ。
他人の厳しい事情など知らぬが仏の少年が、槍を振り回しながら少女に振り返った。
「砂ジョーズ狙おうぜ!砂ジョーズ!
一攫千金だぜ。一匹で賞金1千クレジット!
それも緑の地方クレジットじゃなくて、銀色の中央クレジットで1千だぜ?」
逸話では、伝説的なハンターたちの誰もが駆け出しの時期に狩ったとされる砂ジョーズであるが、少年の提案を少女は一蹴する。
「死にたいならー、勝手に死ぬのー。でもー、あたしを巻き込まないで欲しいのー」
黙々とガムテープで補強していた少女が、間延びした喋り方をしながら器用に鼻を鳴らした。
砂漠や砂丘に棲息し、砂の下を自由に泳ぎ回り、年齢と共に際限なく成長する砂ジョーズは、そもそもが極めて危険な生物だが、交易路を脅かすなどの理由で賞金を掛けられるほどに成長した個体に至っては、クラスCハンターでやっと相手になると云われる半伝説的な怪物である。
ちなみにクラスCのチームとなるには、構成員にも高い練度が要求されており、小隊規模(30~50名)の武装盗賊団を討伐できる戦力が必要だと見做されている。
そうなるとハンターのチームも規模が大きくなるのが普通だが、それでもC以上のチームに所属するハンターは10人に1人もいないだろう。
「あーいう、いきなり戦車を手に入れて大活躍なんて御伽噺だけの出来事なのー。
駆け出しの癖にクルマを手に入れられる人なんて、ハンターの一万人に一人もいないのー。
きっとハンターへの憧れを煽る為の嘘か、ギルドが大げさに宣伝しているのー。
大抵のハンターは、弾薬代にもぴいぴいしてるのが普通だってお兄ちゃんが言ってたのー。まずは手堅くやって、ギルドの信頼を得てから弾薬を安く売ってもらえるようになるのが一番の近道なのー。お兄ちゃんが残した『立身出世プラン』にそう書いてあったのー」
「お前、ゆるい喋り方の割には、頭いいよな。
しっかりしているって言うか……うん、そうだな」
亡くなった少女の兄が、妹の面倒をよく見ていた出来た人物であったことは、少年もよく覚えていた。
『俺は一流ハンターになる!』が口癖の青年を少年もけして嫌っておらず、少女に悪戯する度に飛んできた口煩い説教も、今になっては懐かしく感じられるほどだった。
「お兄ちゃんは焦りすぎたのー。子供の頃からハンターに成りたくて、成り上がり計画とか練っていたのに、あたしがいたからー」
力なく呟いてから、少女は悲しげに笑っていた。
しんみりした雰囲気を変えるために、少年は明後日の方向を向きながら、うんうんと肯き出した。
「セシルさんでさえD級だもんな。変異熊とか蟹魔人とか1人で仕留めているのに」
憧れである凄腕ハンターの名前を上げて、少年はため息を洩らした。
「セシルさんはDでも、Cに近いDだってお兄ちゃんは評価してたのー。
多分、同じくらいの人たちと組んだら、チームでCになるのー」
少女の言に、思い出したように少年が口を尖らせた。
「あの金魚の糞の二人組はどうなんだろうな」
「金魚ー?」
「帝國人の二人組さ。見かける度にいつもセシルさんの後に付き纏っていてる奴ら」
「あの二人はIなのー。毎日、虫ばっかり狩ってるのー。
いい人たちだけど口だけなのー」
少女の評価は辛辣であった。我が意を得たりと少年は大きく肯いている。
「だよなー。なのにセシルさんを勧誘しようなんて図々しいぜ。
特にあの銀色の髪をした方。女の癖に、セシルさんを見る目が怪しいんだ!
金もないのにリッカ姉ちゃんに言い寄ってくる酒場のスケベ親父たちと同じ目だぜ!」
ここぞとばかりに力説する少年。憧れの女性に馴れ馴れしく近づいてくる帝國人貴族に対して、どうやら危機感を抱いているらしい。
「……セシルさんに相応しいのはさ。
やっぱ、賞金首ハンターとか、それくらいの凄腕だよ。
俺も早くランクを駆け上がってC級ハンターとかになって。
そしたら、セシルさんに……えへへ」
何を思い浮かべたのか。照れたように相好を崩す少年に少女がきつい目を向けて、手元の箱を握った。
「男は狼なのー!あの人に何かしたら、許さないのー!」
空の木箱を振り回して、ポカポカと少年に叩きつける。
「待て!待て!待て!痛い!痛いってばッ!」
ブレードの接合部をしっかりした木製の棒に嵌めこみ、鉄製の螺子で数箇所を固定した。
「大分、形になってきたのー」
後は鍛冶屋に頼んで、接合部を強化してもらえば立派な槍の完成である。
「ああ。これなら行けるぜ。ぷよぷよアメーバくらいなら一撃だぜ!」
槍を振り回しながらの自信ありげな少年の態度も、根拠がない訳ではない。
目の前でハンターたちが軟体アメーバを狩る光景を何十度となく目にしてきた。
幼生のアメーバを狩って、その弱点や習性も熟知している。いけると確信していた。
「油断は大敵なのー。でも、いいと思うのー」
少女も肯いている。
少年たちは、秘密の隠し場所である寝台の上の天井裏の穴に槍を仕舞い込んだ。
ハンターに憧れる子どもは大勢いて、彼らが獲物を見つけたら、喜んで持ち去るだろう。
世知辛いが、知恵を絞って隠し場所を考えるしかない。
「……最近、妙な連中もうろついているからな。用心しねえと。
お前も気をつけろよ?」
小銭をコンクリートの瓦礫の裏に隠しながら、少年は少女に忠告する。
「妙な連中ー?」
間延びした喋り方で訊ねた少女に、少年は肯き返して説明する。
「すっげえ太った女とか、見たことのない連中さ。
何日か前も家の前に立ち止まって、俺のことを変な目でじろじろ見ていきてさ」
ふーん、と肯いてから、少女は立ち上がった。
「そろそろ帰るねー」
少年も立ち上がって別れの挨拶をする。
「じゃあな!ティナ!」
「じゃあねー!ロブ。また明日!」
「おう!また明日」
翌日の早朝。セシルが防壁の外にある溜め池に行くと、ティナは仕事を休んで潅木の根元へと腰掛けていた。
小魚を目当てに排水溝にたむろしている子供たちを尻目に、どこか呆然とした表情で、途方に暮れたように立ち尽くしていた少女は、訪れたセシルを目にした瞬間、顔色をかけて駆け寄ってきた。
「どうした……どうしたんだい?ティナ」
腰に抱きついてきたティナをセシルが抱き上げると、少女は涙に濡れた眼差しでセシルを見つめてきた。
「ロブがいなくなっちゃったのー」
ロブとは、ティナと仲の良かった『廃墟の子供たち』の一人である。
「一緒にハンターになるって言ってたのに……」
朝起きていたら、家族や友人が戸締りした筈の家から姿を消していた。
それ自体はティアマットでは、けして珍しいことではない。
眼差しを鋭く細めたセシルが、ティナをじっと見つめた。
「取り敢えずは、案内してくれるか?ロブの家にさ」
途方に暮れている少女を伴って、セシルは取り敢えずロブのねぐらだったという廃墟を訪れてみた。
頻繁に会いにくるD級ハンターに対して、ティナは完全に心を開き、頼りにしているようだった。セシルの腰にしがみついて、付いてきている。
愛用のライフルを油断なく手元に構えながら、廃墟の床にしゃがみこんだセシルは、埃の積もった床に複数の大人の足跡の痕跡を確認する。
一瞬、瞳を険しく細めたセシルは、しかし、眼差しとは裏腹に穏やかな声で傍らのティナへと訊ね掛ける。
「……最近、ロブの周囲で何か変わった事はなかったかい?」
首を傾げたティナが、何か思い出して肯いた。
「何日か前に、変な人たちを見たって言ってたー」
「どんな人たちか分かるかね?」
「あのねー。凄く太った女の人ー。樽みたいなお腹した横に広がったのー」
こう手を広げているティナを見つめていたセシルは、ホッとしつつ抱きしめた。
「ティナ……町で暮らさないか?」
「町でー?」
ティナは目を瞬いた。
「うん。君みたいな子供の世話をしている、小さな互助会があるんだ。
何人かのハンターが集まって、衣食の面倒を見ている。
昔の仲間が顔役の一人でね。この間、君の事を話したら是非、会ってみたいと……どうかな?」
「ほんとー?」
少女は、信じられないといった表情で目を見開いていた。
「ああ。本当だ」
「うん。でも、ロブがー……」
セシルは微笑を浮かべると、友人が心配そうなティナの唇に人差し指を当てて言葉を遮った。
「ロブは、私が探すから……ね」
「う、うん」
「此れから仕事があるけど、今日の夕方には終るから。
帰ってきたら、すぐに迎えに来るから……何時もの場所で待っていてくれるか?」
「お願いしますー」
「いい子だ」
かいぐりかいぐりとセシルに頭を撫でられたティナは、嬉しそうな微笑を浮かべてはにかんだ。
ホテル『ナズグル』正門前の大通り。年の頃は15から16歳ほどの娘二人が、人待ち顔でホテル入口付近の街路に佇んでいた。
やがて待ち合わせの相手が駆け足で姿を見せると、少女たちは些か緊張した表情で歩み寄っていった。
「おはよう、サラ……そっちの人が?」
やってきた相手も若い娘であった。挨拶をしながら探るような視線を投げかけてくる。
「うん。この娘が誘ってくれた人」
「シャルといいます」
二人の娘。サラとシャルが初対面の相手に対して交互に挨拶を交わした。
「レーゼです。サラの知人です」
レーゼも緊張した様子で、シャルたちに自己紹介をする。
「で……では、これからお願いします。レーゼ」
「はい、よろしく」
「うん、お願いします」
少女たちは互いに性格や狩りの腕を推し量るような視線を投げかけつつも、それぞれに差し伸ばされた手を堅く握って笑顔で挨拶を交わした。
眠気覚ましに入れてもらった暖かい蜂蜜入り湯冷ましのカップを二つ抱えながら、毛布を羽織ってホテル入り口付近のロビーをうろうろしていたギーネ・アルテミスが、丁度、少女達の待ち合う光景を目に留めて微笑ましそうに瞳を細めた。
「おや、シャルは仲間を見つけたようですね」
「……先輩ハンターたちに、教わったところがあるんだ。
旧市街の下水溝口に蟹虫がよくいるらしくて」
言いながらシャルは、簡単な地図を取り出した。
コンパスと共にそれを他の二人に見せながら、場所を説明する。
「町が此処。山が此処で。あっちに歩けばいいんだね」
「歩いて三十分くらいだって」
「大丈夫かな?」
「やるしかないよ」
顔を見合わせて肯きあっている三人とも、腰にバットや木刀を括り付けていた。
どれだけ効くかは分からないが、レーゼはパチンコも腰のポーチに入れている。
「蟹虫を退治したら、あったかいご飯を食べられるんだよね?」
「三人で二匹も獲れたらね」
「じゃ、行こう」
元気よく歩き出した三人の少女の背中を見送って、ギーネは上機嫌で肯いている。
「聞きましたか。アーネイ。先輩ですって、先輩。くふふっ。
見てくださいよ。あの子たち、手を繋ぎあって、仲睦まじいですね」
「まことに」
毛布を羽織ってるギーネが手にしていた湯冷ましを一つ受け取りながら、アーネイが肯いている。
疲労が溜まってきた為、今日の二人は狩りを休んでいる。
とは言え、完全な休日という訳ではない。市場を巡って袋などの備品の買い付けや、被服など装備品の細々した修繕、ギルドなどでの調べ物など、やらなければならない用件も幾つかはある。
「これから未知の領域へと踏み込むことへの緊張と躊躇いに、生まれたての小鹿のように震えながらも、胸は期待に高鳴っているのですね。わたしにも覚えがあります。
出来るなら、わたしが一からあの小鳥たちを手ほどきしてあげたいくらいです」
忍び笑いしているギーネの傍らで、アーネイが天を仰いだ。
「うわあ、なんと言うことでしょう。
言ってることはまともな筈なのに、お嬢さまが言うと変態が邪な欲望を赤裸々に口走っているようにしか聞こえません」
「それは聞く人の心が汚れているからです」
厳かな口調で断言したギーネは、一転、微笑を浮かべてアーネイの顔を覗き込んできた。
「例えば、本当は女の子同士の恋愛に興味津々な癖に、無理して無関心を装うから心が歪むんですね?
大丈夫。あなたの問題は私が解決する方法を知っています。
遠慮せずに愛する人の胸に飛び込んで、素直な気持ちを打ち明ければ、目くるめく百合の楽園へと至ることができるのですよ?」
何かを期待するかのようにアーネイを見つめながら、両手を広げて待ち受けているギーネから視線を逸らすと、アーネイは疲れたようにふうっとため息を洩らして、去って行く少女たちの背中をじっと見つめた。
「恋愛観は自由ですが、まだ少女といっていい娘たちに性癖を歪めるような手ほどきは、どうかなさらないでください。ただでさえ寄る辺のない弱い立場の子らなのですから」
「……なんですか。人を色魔みたいに。
穢れのない乙女であるところのギーネさんに対して、あまりにも無礼ですぞ」
「……穢れのないねえ」
含みのある口調にギーネがムッとした様子でアーネイに噛み付いた。
「なんですか。その疑うような目。私は正真正銘の乙女ですよ?
それに先刻から、やたら突っかかってきてませんか?
幾らアーネイでも、ちょっと許せませんよ?」
何かを我慢できなくなったアーネイが一瞬だけ睨み返し、それから視線を逸らして吐き捨てた。
「……人の従妹に手を出した癖に、よくもまあ偉そうに」
露骨に動揺するギーネ・アルテミス。
「なっ、何故、知って……ち、ちが、あれは違うのだ……クラウディアがホラーを見て眠れないからって一緒に寝ただけなのだ!」
「二人とも裸で?あんな年端もいかない子に手を出して?」
冷ややかに追及する家臣の声と視線に、ギーネは焦りと狼狽を隠しきれなかった。
「と、当時は16歳と14歳ですぞ!子供に手を出すという言い方は、ごっ、語弊が」
「……そんな頃から淫獣だったのですか?」
「暑かったから!夏だから!誘ってきたのは向こうなのだ!ちょっとした若気の至りの甲子園だったのだ!」
「若気の至りで甲子園に行ってどうするんですか。レズ淫獣め。それを言うなら好奇心でしょう」
「……ひうッ」
「あいつ完全に染まっちゃって叔母夫婦には愚痴られるし、説教しようと部屋に踏み込んだら隣家の幼馴染と全裸で抱き合っているし、嗜めたらお姉さまも共に至高たる百合の楽園へと至りましょうとか言い出すし、やはり貴様の仕業だったのだな」
可愛い妹分として自身の背中を追いかけてきたクラウディアが、今は尻を追いかけてくる状況の情けなさに、涙が止まらぬアーネイ姉ちゃんであった。諸悪の根源が、目の前にいる累代の主君と思うと尚更である。
「返してよ!純粋で可愛かったクラウディアを返せよ!」
ギーネは暫しアーネイを見つめていたが、やがて口元にふっと哀しげな笑みを浮かべた。
「アーネイ……人とは変わるもの。誰もが大人の階段を昇っていくものなのです」
「良いこと言ってるつもりか!きさまぁ!」
「ひああああっ!」