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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
☆ティアマット1年目 その2 ギーネ ティアマットの地を知るですぞ
18/117

ACT 17 恐怖の季節

「今日も一日、涸れた水路跡を歩いて虫を獲る仕事が始まるのか」

 言ってて情けない気分になったサラの頬を、思わず零れた涙の粒がほろりと滴り落ちた。

 早朝から憂鬱な気分で街路を歩いている少女の周囲も、同業の男女や少年少女の姿が力のない歩調で歩いていた。

 水路巡りは、食べていくのもかつかつの生業だが、取り立てて技能もコネもない村生まれの子供には、町に出てきても他に仕事なんてそうそう見つからない。

 

 村に帰って畑でも耕そうか。

 だけど、一家の末っ子だから碌に土地の割り当てもないし、食べ物もお余りだし。

 町に出てきて美味しいものの味を知ってしまったから、もう、牛の乳とお粥だけの毎日には戻りたくない。

 と、意気消沈しているサラの前方から勢いよく駆け寄ってくる足音がした。

 朝っぱらから元気のいい奴がいるな。町の『市民』の子供が遊んでいるのだろうか。

 そう思って顔を上げた時、駆けてきた人影はサラに突っ込んできた。

「探した!サラ!いた!」

 朝っぱらから大声でいきなり呼びかけられたサラは、びっくりした表情で目を瞬きながら相手を見つめた。

「んー?誰かと思ったら、シャル」

 年の頃は同じ程度だろう。同姓の友人シャルがサラの腕に抱きついてきた。

「朝から、なにをしてるんですか?」

「サラ!大事な話があるの!」

 シャルにきゅっと手を掴まれて、面食らったようにサラはうろたえていた。

「だっ、大事な話って言われても。まず仕事をしないと食べていけない。

 シャルだって弟がいるよね?」

 サラの言葉はシャルの耳の右から左へと抜けていった。

 シャルは真剣な顔をして友人の手を握り締めたまま、サラに向き直った。

「私と付き合ってください!」

 街路のど真ん中で告白してきた。

「え!ちょっ、ちょっと待って。こんな大勢の人がいるど真ん中で、そんな突然。困る!」

 及び腰になったサラにその分、シャルは詰め寄ってくる。

「私には貴方が必要なの!」

「はうっ!ほっ、本気で言ってるの!」

「こんなこと、冗談なんかで言ったりしない!」

 凛々しいくらいの口調でシャルは言い切った。

「へっ、返事は少し待って!私にとっても大事なことだから」

 うろたえているサラの妥協案に、シャルは迫りながら念を押した。

「何時まで?今日の夕方でいい?」

「……せっ、性急な。では、とりあえず夕刻に」

 

「お、女の子同士で困るよう」

 頬に手を当てたサラが、顔を真っ赤にして呟きながら走り去っていった。

「……男も女もないでしょうに」

 反応に面食らったようなシャルの独白を耳にして、周囲で一部始終を注視していた男女がもげろと舌打ちしたり、笑顔で口笛を吹きながら楽しげに会話を交えていた。

「凄いな。人前で。いきなり告白するとは」

「なんと言うか、若いなあ」

「かっこいいぞ」

「男らしいな……女の子に言うのは変な話だが」

 

 周囲の反応とその言葉に、先刻の自分の言葉を振り返ったシャルは、ようやく置かれた状況と受けた誤解を理解した。

 頬を見る見る染めると、シャルは慌ててサラを追いかけだした。

「ちっ、違うの!待って!サラ!話を聞いて欲しいの!」

 

 

 その日の狩りを終えたギーネは、アーネイを付き従えて町の防壁の外部に面した溜め池を訪れていた。

 防壁南端に接している溜め池では、今日も女子供が掌大の小魚や虫を目当てに集まってきている。

 溜め池へと向かうコンクリートのあぜ道を歩いている途中。アーネイは、道から少しばかり離れた、奇妙に白い潅木の下で、数人の子供たちが焚かれている炎を取り囲んで、獲ったばかりの魚や虫を煮たり焼いたり調理している光景を目にした。

 入れ替わり、立ち代わりに子供たちが焚き火に駆け寄っては、暫くしてまた溜め池に戻っていくのは、きっと水に浸かって冷えた体温を暖める為でもあるのだろう。

 

 やがて溜め池に近づいたギーネたちは、前方の路地に佇んでいる人影に気づいて挨拶を送った。

「おや、セシルさん」

 溜め池を眺めていたのはセシルであった。

 ギーネたちの接近に気づいたようだが、呼びかけられても無言でぷいっと顔を背けた。

 どうやら、先日の食堂でからかった一件が、いまだに尾を引いているようである。

「ちょっとからかっただけでは有りませんか?許してください」

「感謝しているのですよ。セシル」

 さすがに反省して謝り倒すギーネたちに、セシルがため息を洩らした。

「もういい。もういい。怒ってないさ」

 どうやらセシルは、基本的に怒りが持続する性質ではないらしい。

 

 ぶっきらぼうなようでいて優しいのかな。それに素直でもある。

 変な奴に引っ掛からないといいが、そう危惧するアーネイであったが、傍らではセシルに許されたギーネがニヤリと悪そうな笑みを浮かべていた。

 ふふっ、計画通り。ちょろい。ちょろいですぞ。ちょろい子ですぞ。

 ギーネさんが捲土重来を果たした暁には、言いくるめて帝國本土にお持ち帰りなのだ。

 

 また碌でもないことを考えているのが丸分かりな駄目主君の表情を眺めつつ、アーネイはもう幾度目かになるかも分からないため息を洩らした。

 やあ、この様子を見るに、どうもお嬢さまはセシルを気に入ってるらしい。

 まあ、お嬢さまも分かり易いし、セシルも大人ではある。

 まさか、このポンコツの毒牙に掛かったりはしないだろう。

 思いつつも、どこか一抹の不安が拭えないアーネイではあった。

 

「どうして此処に?」

 口を開いたセシル自身の理由は、恐らくギーネと同じだろう。

 セシルに尋ね掛けられたギーネは、優雅に微笑んでから溜め池へと視線を転じた。

「すこし気に掛かっていることがあるのです」

 ちょっとした仕草が、確かに絵になるだけの外観の持ち主ではあったが、惜しむらくは誰も亡命貴族に注目していなかったことだろう。

 

 傍らに並び立ったギーネを一瞥もせずに、セシルは彫像のように佇んだまま、独白のように呟いた。

「子供たち。ああして一日を働いて、やっと小銭数枚を手にする」

「蟹虫を狩るような認定外ハンターでも、比べれば随分とましなんですね」

 低い声で呟いたアーネイの言葉に、身につまされたものがあったのだろうか。

「一応は、ギルドで依頼するくらいには、危険を伴う大人の仕事だからね」

 セシルは苦笑して肯いた。

 

「そうそう。ギルドの認定といえば……」

 思い出したギーネが、胸元からハンタータグを取り出した。

「そう言えば、見てください。ふっふふ、I級になりましたよ」

 ソロ最高峰といわれるD級ハンターを前にして、さも自慢げにI級のタグを掲げてみせたギーネ・アルテミス。

「もしランクが追いついたら、約束どおり私のチームに入ってくださいね」

「そんな約束はしていないぞ」

 腕組みしたままのセシルに断言される。

 

「んー、つれない人ですね。まあ、今の私たちでは、まだ色々と役不足ですか」

 断られたことを気にした様子もなく、胸元から取り出したタグを眺めてギーネが呟いた。

「まあ、ここから先は簡単には上がらないんでしょうがね」

「どうかな。案外、君らなら簡単に上がるんじゃないかな?」

 セシルの言葉は力量を評価してだろうが、ギーネはさして嬉しそうな反応は見せなかった。

 溜め池に腰まで使っている子供たちを見つめながら、憂いの光を瞳に帯びたまま沈黙を守っている。

 

 

 やがて子供たちの中に探し求めていた相手を見つけたギーネが、目当ての子に向かって手を上げながら歩み寄っていった。

「あー!ねいちゃん!」

 少女も気づいてギーネの元に転がるようにして駆け寄ってきた。

「おや、ティナ。上手くやっていけてますか?」

 取った虫を篭に入れて得意げに見せると、少女は満面の笑顔を浮かべてた。

「おお、大したものですね」

「へへへー」

 賞賛するギーネと嬉しそうな少女の姿は、微笑ましい。

「困ったことはありませんか?」

「ないー!セシルもよっく来てくえるからー!」

 セシルも、意外と面倒見がいいのだろうか。

 町に孤児は幾らもいるが、敢えて深く考えずにギーネは深々と肯いた。

「おや、おや。セシルはティナルートにフラグを構築中のようですね。

 ギーネさんのお勧めは、帝國貴族ルートなのですが」

「フラグってー?」

 不思議そうな顔で見上げてくる少女を眺めつつ、ギーネがポケットを探った。

「そうだ。これ上げますぞ」

 ギーネは、包み紙に包んだ直径3cmほどの円形の塊を少女に向かって差し出した。

「飴ちゃんですよ」

「うわああああ!」

 飴を差し出されたティナは、まるでギーガーのエイリアンエッグでも押し付けられたかのようにムンクの叫びを思わせる衝撃的な顔で叫んだ後、ギーネの掌からひったくるようにしてお菓子を掴んだ。

「あ!こら!人に物を貰ったら、お礼はちゃんと言いなさい。

 さもないと共和主義者みたいに道徳的に退廃した人種になってしまいますよ!」

 少数の大貴族による寡頭制育ちでガチガチの団結主義ファッシー信奉者であるところのギーネは、己の常識と良識に従って厳しい口調で子供に躾をした。(ナレーション)

 ちなみにギーネが歴史上で尊敬している人の第七位が、なぜかドゥーチェである。

 

 

「ありがとうー!」

 まるで宝物のように飴を握り締めて、ティナは顔を輝かせている。

 どれだけ甘味に餓えているのだろう。

 ストリートチルドレンにとっては、貴重というより希少といった方が良さそうであった。

「素直な子は好きですよ。今すぐ食べちゃいなさい。他の子にとられる前に」

 ギーネが忠告してやるが、ティナは頭を振った。

「んーん。取っとくー!」

 半裸のまま、木の下に置いた荷物のところへ駆け寄っていくと、ティナは服の下にそっと飴を忍ばせた。

「なら、もう一つ上げましょう」

「えー!えへっへっへ」

 驚愕したティナだが、包み紙を破って巨大な飴玉を取り出すと、口に含んだまま、ずっと笑顔で固まった。

 

「案外と優しいところがあるな」

 背後から歩み寄ってきたセシルが感心したように話しかけたが、ギーネは聞いていないようだった。

「ふふふ、少女たちが半裸で戯れる光景は、何時見てもいいものです。

 ここがわたしのアルカディアだったのですね」

「うわあ。なに、この吐き気を催すような邪悪。

 駄目だ。こいつ。早くなんとかしないと」

 ドン引きして呟いたセシルの言に、深刻そうな表情でアーネイが首を振った。

「手遅れです」

「ちっ、ちっ、ちっ、違いますぞ。今のは別によこしまな想いが吐露したのではなく、ただ単に微笑ましいと思っただけでござるですぞ?」

 

 

「軽い冗談ですよ、お嬢さま」

「何時も人をからかうからな、やり返しただけだよ」

 言い訳しているギーネに対して、アーネイとセシルは穏やかに笑いかけた。

「……本当に、もうアーネイまで」

 半ば本気ではなかったかと疑いつつ、咳払いして気を取り直したギーネは、改めてティナを見つめた。

「兎に角にも、あの娘が元気そうで安心しましたよ」

「アパートは出たけれども、しっかりした廃屋を見つけて、他の子供と一緒に暮らしている」

 ティナの現状をセシルが説明し始めた。どうやら小まめに様子を見てやっているらしい。

「それに、まだ幾らかの蓄えがギルドに預けてある。あの子の名義でね」

 ふむん、ギルドは金を預けることが出来るのかな?

 アーネイと視線を交わしてから、腕組みしたギーネが軽く握った拳に顎を乗せつつ、セシルを眺めて尋ねた。

「へえ。でも、どうしてそこまで知ってるんですか?」

「職員に教えてもらった。それに、ちょくちょく様子を見に来ている」

 随分と口の軽い職員だと心配になるギーネ。

 それともセシルには、それだけの信用があるのか、と横顔に視線を送った。

 確かに、子供が生きる為の小金を狙うような卑しい人品とも思えない。

 肩を竦めたギーネは、肯いてからセシルの顔を下から覗き込んだ。

「そう言えば、今日はお酒を飲んでいませんね。そのほうが魅力的ですよ」

「ありがと」

 

「しかし、余計なお世話かもしれませんが、此れからどうするつもりですか?」

 少し踏み込みすぎたかな。

 そう思いつつも、ギーネは眼差しを猫のように細めてセシルに問い掛けた。

「随分と入れ込んでいるようですが、ずっと面倒を見るのは大変ですよ」

 

「あの子の道は、あの子自身が決めることさ」

 事も無げにセシルは言い切った。

「それでも、独り立ちできるまでは寄り添ってやることは出来る」

 ギーネも口を挟まずに、溜め池で魚を掴まえてはしゃいでいるティナを静かに見つめていた。

 

「あの子も多分、大きくなったらハンターになるだろうな」

 セシルの言葉を耳にしたギーネは、微かに眉を上げたものの沈黙を守った。

「本人がそう言ったのですか?」

 何故か、憮然とした表情を見せて訊ねたのはアーネイだった。

 苦い笑みを返してから、セシルが口を開いた。

「今は生計を立てるために虫を獲っているが、そんなのだけでは暮らせない。

 他によそ者が、この町でまともに暮らせるだけ稼げる仕事はないからね」

 アーネイは眉根を寄せたまま、額に手を当てると吐き捨てるように言った。

「つい最近も、女の子が一人、弟を養う為にハンターになりました。

 そう言えば、ティナのお兄さんもそうでしたね」

 アーネイの言葉に答えて、セシルが肯いた。

「……いいお兄さんだったんだろうね。きっと」

 

「たとえ蟹虫やアメーバであっても、狩るのは命がけですよ。それでいいのですか?」

 しばらく考え込んでいたギーネが、セシルに射るような視線を向けた。

 セシルもまた鋭い視線を返してきた。

「なにを言いたい?」

「いっそ、手元に引き取ったらどうですか?

 弟子にして子供のうちに一から仕込めば、きっといいペアになると思いますよ」

 

「残念だけど、あの子には、もう仲間候補がいるようなんだ。

 槍やら弓やらの狩りの道具を作ったり集めていてね」

 穏やかな笑みを浮かべながら、セシルが頭を横に振った。

「口に出して聞いたわけではないが、もう少ししたら、他の子供たちと一緒にハンターになる心算だろう。私はそれを手助けしようと思っているよ」

 

「そうですか……まあ、蟹虫なら子供でも狩れないことはないでしょうが」

 ギーネが肯き、アーネイが懸念を口にする。

「しかし、そうなると子供たちを食い物にする大人なども、いそうなものですね」

「いるよ。むしろ絶えない」

 淡々と呟いたセシルの声音には、冷たい憎悪が込められていた。

 自分達に向けられた怒りではないにも拘らず、一瞬だが、背筋が冷えるような感覚をギーネたちは覚えた。

 激しい怒気。或いは憎悪にも似た感情に凍りついたセシルの表情は、蒼白に近い色を示していた。

 ふむ、怒っているな。子供が彼女の逆鱗なのかな。

「……だけど、させない」

 擦れた声で呟いているセシルの顔を下から覗き込みながら、ギーネは微笑みかけた。

「ふふっ、それでこそですぞ。ますます、貴方を気に入りましたよ、セシル。

 貴方さえよければ、私のチームに入れてやらんこともないですぞ?」

 セシルはギーネに向かって手を振った。

「それは、断る」

「……あれぇ?」

 

「振られたぁ。お堅い人です」

 ぶつぶつ言いながらギーネが町に帰ろうと踵を返した時、アーネイがすっと傍らに寄ってきた。

「ん。どうしました?アーネイ」

 ギーネの呼びかけに、アーネイはまるで何気ない普段通りの表情で囁いた。

「お嬢さま、9時半の方向。

 スラムの方向から、此方を窺っている連中がいます」

 町に隣接している廃墟群の方角にギーネは一瞬だけ鋭い視線を送ってから、アーネイに問いかけた。

「あの百貨店っぽい大きな廃墟の恐らくは三階ですね?人数は5名から7名?」

「御意」

「……ただの通りかかりでは?」

 アーネイの躰に抱きつくようにしてもたれかかりながら、ギーネは微笑みかけたが目は笑っていなかった。

「双眼鏡を使って、複数名でですか?

 連中、既に30分以上、あそこに留まっています」

 怪訝そうにギーネは首を傾げた。

「では、半裸の少女たちを観察しているのでは?わたしも帝都にいた頃、通りかかった学校の女子プールなどでは金網越しに見とれたこともありました」

 アーネイが渋い顔になった。

「覚えています。同好の女志を集めて密かにウォッチする同好会を結成していましたね。

 巡回中の警察官に不審者として留置場にお持ち帰りされて、帝都公邸の者が引き取りに行ったと……」

「違うのです。あれは共和派の連中の陰謀なのですよ?貴族に対する民衆の信頼を落とす為の風説の流布なのだ。わたしは、ただ単に綺麗な肉体美を見たかっただけなのですよ?それなのに教師が誤解して、お巡りさん、こいつです……」

 


「高く売れそうな餓鬼が何人かいるな」

 コンクリートの塊や崩れかけた柱。放置されたカウンターやマネキンにまぎれて、彼らは、見下ろせる位置にある溜め池の子供たちを観察していた。

 落ち窪んだ険しい目をした、花崗岩のように彫りの深い顔立ちの男だった。

 灰色の髪を後ろに撫で付けて黒いコートを纏い、双眼鏡を手に溜め池にいる子供たちを眺めている。

「あの青みのある髪の餓鬼だな?」

 聞く者に不快感と警戒感を呼び起こすような低く掠れた空虚な声に、隣の男が応えた。

「ああ、傷も少ない。今夜中に捕らえる」

「ねぐらは?」

「生活パターンも、寝る位置も把握済みだ」

「よし」

 言葉少なに仲間に手はずの確認をした男は肯くと、一歩下がって200メートル先にある溜め池の全景を俯瞰するように視界を取り直した。

 

 周囲では、男の仲間たちが話し合っている。

「だが、ついでに、もう一人商品を仕入れないか?

 あの手前の小僧なんかも五体満足だ。手ごろだろう?」

「ちょっと年が行き過ぎている。今から再教育は難しいぜ」

「浚うだけ浚ってみようぜ。こんな時代だ。餓鬼は高く売れる。

 あまり反抗的なら、その時に始末すればいい」

「大人たちに何か貰っていたチビも、いいな。

 愛嬌のある顔立ちだ。高く売れそうだ」

「保護者つきじゃないのか?」

「通りすがりさ。気まぐれな施しだろう。連中は町の方から来たし、今いる子供たちは、みんな、親なしの宿無しさ。郊外の廃墟にもぐりこんでいる。捕まえるのも容易い」

 誰かの声に別の誰かが賛同する。

 その時、黒いコートの男が双眼鏡を降ろして、低く擦れた声で仲間達に注意を促した。

「待て、あの迷彩服の女。こちらに気づいたぞ」

「まさか、この距離で?」

 動揺する仲間たち。数人は疑わしそうに男を眺めていた。

「間違いない。目があった。あいつは只者ではあるまいよ」

 言って、黒コートの男は身を翻した。

「おい、何処に?」

 仲間が声を掛けるが、黒コートの男は足を止めない。

「商品の下見も済ませた。あの女は、ライフルを持っている。そして此方に気づいた。

 万が一ということもある。厄介なことになる前に引き上げよう」

 

 

「ド素人ですぞ」

 ギーネは苛立ちを隠しきれない辛辣な口調でセシルを責めていた。

「まさか、一々、振り返るなと忠告しなければ振り返るほど、間抜けとは思ってなかったですぞ」

「……なっ」

 呆れたような口調でギーネに毒づかれたセシルは唇を噛むも、様子を窺っていた怪しげな一団を追いかけようと走り出したが、すぐにアーネイが腕を掴んで止めた。

「離せ!フェリクス!奴らを追いかけないと」

 だが、アーネイは恐ろしく強い力でセシルを押しとどめたまま、冷静な声で忠告した。

「今から、追いかけても無駄です。もう、追いつけません。

 それにここからあの廃墟までは遮蔽もありません。最悪、高所から狙い撃ちですよ」

 

「セシルが振り返って睨みつけた時点で、あいつらは撤収を始めました。

 相手に此方が気づいたと態々、悟らせて警戒させるとは。

 連中も次からは工夫して、もっと上手く隠れるようになる」

 苛立ちを隠そうともしないギーネの言葉に、セシルは舌打ちして足を止めた。

「お嬢さま、セシルは対人戦の素人です。それくらいで……」

 顔を強張らせているセシルを、ギーネは鋭い眼差しで見つめていた。

「気づかれたと見た連中は、階段を下りていきました。

 向こうが【気づいていないと気づいていなければ】廃墟を大きく迂回して連中の背後に追いつくことも出来ましたが……」

 銀色の髪をかきあげてから、気分を落ち着けたギーネは口調を和らげた。

「言い過ぎました……セシル」

 セシルもため息を洩らして、首を振った。自分の初動の失敗を、今は理解していた。

「いや。やってしまったんだな……私は」

 

 確かに間抜けだ。大物の怪物ばかりと戦っていて、人間と戦う為のノウハウを完全に忘れていた。

 悪夢を忘れる為の飲酒が、自身の心構えまでも錆びつかせていたことに気づいたセシルは、己の不甲斐なさに舌打ちしてから、廃墟群を睨みつけた。

「それにしても……奴らは何者だろうか」

「少なくとも五名。うち二人が大型の銃器を所持していました。

 形状から見て恐らくアサルトライフルか、サブマシンガン」

 考え込むように目を閉じたギーネも、唇を舐めてから言った。

「恐ろしい武装です……少なくとも、この田舎町ではね」

 

「遠距離から様子を窺うやり方といい、気づかれたと悟るやすぐ立ち去る対応といい、ちょっと普通では有りませんよ。お嬢さまは、どう思われますか?」

 アーネイがギーネを見つめて

「さあ。我らの様子を伺っていたのか、セシルのお客か。子供たちを狙っていたのか。

 連中の位置からして、どうにも一番最後のような気がしてなりません。

 なにか、いやな予感がしますよ。悪漢の類だとしたら……少し厄介なことになるかも知れません」

 人差し指の間接を軽く噛みつつ、不安に捉われたように囁いたギーネにアーネイがぬけぬけとのたまった。

「お嬢さまの同類ですね」

「ぬぬぬ。こ奴め!もう、勘弁なりませんぞ!ギーネチョップ!」

 チョップと叫んだギーネのローキックが、腕を頭の上に十字で組んだアーネイのふくらはぎにビシィと炸裂した。

 

 奴隷商人かもしれない。恐ろしい予感が背中を駆け抜けると同時に、セシルは胃の腑に氷塊が滑り落ちたかのように強烈な不快感を覚えた。

 首を振るって懸念を振り払おうとするが、嫌な予感はセシルの脳裏に蜘蛛の巣のように纏わり付いて離れようとはしない。

 もし、奴隷商人なら。ティアマットの曠野で、もっとも恐るべき存在の一つである彼らが、あんなところで何をしていたのか。

 薄々は分かっていたが、それでもセシルは迫りくる醜悪な危機を直視したくなかった。


「卑劣なり!お嬢さま!チョップと言っておきながらキックとは!」

「愚かなり!アーネイ!我が縦横無尽の策謀の前に沈むがいいのだ!」

 ぎゃあぎゃあと言い争っているギーネとアーネイを放置して、子供たちが虫取りしている溜め池へと歩み寄っていくと、ティナの傍へ寄っていってその頭に手を伸ばした。

「どうかしたー?怖い顔ー」

 髪の毛を撫でられた少女は嬉しそうな顔をしながらも、セシルの表情に気づいて首をかしげた。

「なんでもないよ。ティナ。心配はいらない」

 少女の傍らに膝を付いたセシルは、ティナを抱きしめながら囁いた。

「そう、大丈夫だよ……なにがあっても、守るからね」


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