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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
☆ティアマット1年目 その1 ギーネ ティアマットの地に降り立つですぞ
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ACT 16 プロフェッショナルの条件

 町での定宿としているホテル『ナズグル』に足取りも重く疲れきった様子のギーネたちが戻ってきたのは、陽も落ちる直前の頃合いであった。

 町近郊の狩場で夕暮れギリギリまで粘った挙句、蟹虫一匹も捕まえられなかったギーネは疲労感のにじみ出た呻きを上げていた。

「なんで今日に限って蟹虫が全然、見つからなかったんでしょうかね?」

 アーネイも口を半開きの疲労困憊しきった表情で天を見上げている。

「……他のハンターも殆ど見つからなかったそうです。

 彼らの話から察するに、時たま、そういう時期もあるようですね」

 

「それは良かった……季節によって出ない時期があるとなったら、他の仕事を探さないといけなかったところです」

 ホテル入り口に設置されたベンチに腰掛けたギーネは、肩を落として吐き捨てた。

「怪人には追いかけられるし、蟹虫は見つからないし……参りました。

 蟹虫の出ない日があるとは……全く無駄骨を折りました」

「体力はまだ残っていますが、もう少し粘りますか?」

 アーネイの提案に、ギーネは俯いたまま首を横に振った。

「どうかな。もう一度、逃げられる位の体力はありますが、兎に角、疲れましたよ。

 それにパンツも穿きたいですし……今日の狩りは、もう終わりですね」

 

 ホテルで休もうとベンチから腰を上げたギーネだが、ホテルに入ったところで亡命貴族に気づいて駆け寄ってきたシャルの姿に、今朝した約束を思い出した。

「ああ、そう言えば……ハンターについて説明すると今朝方、言いましたね」

 疲れた口調で洩らした主君に、アーネイが気遣わしげに尋ねた。

「明日以降に伸ばしてもらいますか?」

 アーネイの勧めに、ギーネは首を横に振った。

「いいえ、約束は約束です。ずっと待っていた様子を見れば、シャルも色々と切羽詰ってきているようですしね」

 

 ホテルを出た三人は、街路を横切ると空き地に転がる瓦礫へと腰を掛けた。

 日は既に落ちている。ホテルでも消灯の時間になっており、薄暗い片隅の照明しかない屋内よりは、月が照らしだし、ドラム缶の焚き火が燃えている街路の方が話し易かった。

 周囲には、眠れないのか。同様に火に当たっている数名のハンターなどがいる。

 揺れる炎が闇に三人の横顔を照らし出していた。焚き火の前で毛布に包まったギーネが、頬杖をつきながら佇んでいるシャルに視線を送った。

 

「ハンターのことを教えてほしい、ですか」

 実際には、私たちの方こそ教えて欲しい位ではありますが……さて

 水路巡りをしている時点で見当は付くが、恐らくシャルは町に伝手もコネも持ってはいない。

 割合から言えば、町にいる人間の十人に一人はハンターか、関連した仕事に関わっている。

 にも拘らず、見ず知らずのギーネたちに助言を求めてくる時点で、シャルには他に頼れる相手がいないのだと告白したような物だった。

 ろくな知己も町にいない若い娘か。

 ある意味、これほど食い物にされ易い立場もないだろう。

 なるほど。その点では、同じ若い娘であるギーネたちに聞いてきたのは、一応、上出来かも知れない。

 

 微かに苦く微笑んだギーネが、逆にシャルに質問を投げかけた。

「シャルであってますよね?ハンターになる気ですか?」

 ドラム缶の炎の傍に蹲りながら、シャルはこくこくと肯いた。

「ハンターと言ってもピンからキリまでです。

 貴方が望んでいるのは、私たちと同じ虫狩人?」

 一応の確認を取るギーネだが、これは聞くまでもないだろう。

 そもそも蟹虫や軟体アメーバなどごく一部を除いたハンターの標的は、強力な変異生物や犯罪者のような相手ばかりで、到底、素人の娘に相手が務まるような生物ではない。

 蟹虫にしてからが、人間を返り討ちにすることも有り得る危険生物であるが、それでも食うや食わずの小銭しか稼げない、若い娘一人での水路巡りよりはマシなのか。

 自分だけではなく他に子供一人食べさせるには、娼婦に身を落とすか、多少の危険があってもハンターかの二択しかないのだろう。

 必死なのも、弟の為なのかな。

 やるせない想いを抱えつつ、ギーネは首を傾げた。

 

「弱い変異生物なら最低限の装備と体力があれば勤まりますし、蟹虫を狩っていれば、取り合えず暮らしていくだけの日銭はなんとか稼げますとしか言えませんが……」

 佇んで沈黙しているシャルに、ギーネから呼びかけた。

「割ける時間は限られています。質問を……」

「ハ、ハンターについて聞きたいです」

 緊張したのだろうか、それともお馬鹿さんなのか。てんぱった口調でシャルは曖昧すぎる質問を繰り返した。

「だから、ハンターの何を聞きたいのですか?

 狩りの手法ですか?それとも必要な装備?獲物の見つけ方?」

 

「あ、うん……ねえ、ハンターってそんなに稼げるの?」

 シャルが咳き切ったように尋ねてきたのは、まずは収入のことであった。

「まずは其処からですか」

 些か非礼な質問に思えたが、ティアマットとアルトリウスでは色々と文化が違う可能性もある。それに弟を養わなくてはならないシャルにとっては、確かに死活問題だろう。

 ギーネは正直に教えてやることにした。

「私たちの収入は、多い日で3クレジット半。少ない日で2クレジットです。

 けして多いとは言えません。ですが、他の……」

「そんなに……!」

 驚きに小さく叫んだシャルは、それから少し嬉しそうな笑顔を見せて声を弾ませる。

「そんなに、稼げるんだ」

「誤解しないでください」

 アーネイがシャルの喜びを遮ってから、ギーネの説明の続きを補足しだした。

「一般的な虫捕り稼業の大半は、これより大分少ないですよ。

 1日2クレジット行けばかなりいいほうで、ソロの人は大半がよくて1クレジット。

 しかも毎日、獲物に恵まれるとは限りません」

 

「そっ、そうなんだ」

 シャルの表情が曇った。喜んでいる子供に水を差すのはいい気分ではない。

 それでも命に関わることでもあるし、ここは事実を包み隠さずに話した方がいい。

「はい。まず曠野を巡っても、狩りの獲物が必ず見つかるとは限りません。

 ハンターが、手ぶらで帰ってくる日も珍しくないのです」

「でっ、でも、あなた達は……毎日、獲物を」

 焦ったようにシャルが口走ったが、哀れみの眼差しを向けてアーネイは呟いた。

「ギルドに出入りする私たちを観察していたんですね。

 それで勘違いするのも無理はない。

 だけど、他のハンター達も観察するべきでした」

 

 効率よく狩りを行った結果、短期間で認定外ハンターからIランクへと昇格を果たしたギーネたちだが、最下位ランクとは言え、これは相当に早い方であった。

 ハンターにはしょっぱなからDランクに認定されたセシルのような人物もいれば、十年経っても最低のIランクにさえ認定されない虫捕り狩人もいる。とは言え、後者の大半は訳ありである。

 早い話が他の稼業との兼業であったり、余暇の小遣い稼ぎであったり、或いは、一応ギルドに登録したものの、獲物をギルドに卸さないで自分で売る者たちなのである。

 また、一定水準を下回って不器用であったり、頭が悪い者は、比較的早めに見切りをつけるか、死んでしまうことが多かった。

 どのような生き方をしてきたかは分からないが、ギーネたちの目にシャルは、それほど体力があるような娘にも見えなかった。健康そうではあるが、それだけである。

 

 しばらくドラム缶で燃え盛る炎を眺めていたギーネが、シャルに向き直った。

「獲物となる変異生物などには、各々の種類によって棲息してる領域。言わば、狩場とでも呼ぶべき場所が在るのですが、そこに言っても必ずしも見つかるとは限りません。

 数時間から半日を狩場で待機しても、まったく現れない日もあります。

 私たちも今日は空振りでした。それに獲物を見つけても、手に負えない数であったり、手強い怪物が傍らについて一緒に行動していることもあります」

 

 ギーネたちの獲ってくる獲物の量と、狩りは難しいとの説明は矛盾しているように思えた。

「そ、それだと……でも、どうしてあなた達は、殆ど毎日、五匹も、六匹も蟹虫を狩れるんですか?」

 シャルは遠慮がちな口調で、二言、三言とそんな風に疑問を差し挟んできた。

 

『ああ、そう思うよね』

 ギーネたちも、怪物の分布データを調査した地図に関してまでは、教える心算はなかった。

『地図を作った上に、行動パターンを分析していますからね。それでも『狩場』が空振りだったり、手が出せないで、数箇所を巡る足が必要とされます』

 ギーネとアーネイが交わした帝國語での小さな囁きは、シャルの耳には届かなかった。

 

「んー。狩人たちにとって、いい狩場の情報はかなり重要です。

 それを見つける為に歩き回るのも、弱くて数がいる生き物を狙う狩人には重要ですね。

 狩場に行ってそれでも見つからない時は、半日近く掛けて数箇所を廻るんですよ」

 ギーネの言葉に納得した様子を見せたシャルが、肯いてから聞きたかった質問を口にした。

「あなた達みたいに、沢山の獲物を持ち帰るにはどうすればいいのかな?」

 

 眉を顰めたギーネは、やや鋭い口調でシャルを嗜めた。

「急には無理ですよ?よい狩場を探したり、自身にあった装備を整えたり、経験を分析して、積み重ねがなければ……」

 焦りを覚える気持ちは分からないでもなかったが、しかし、シャルはあまりにも性急に答えを求め過ぎているようにもギーネには思えた。

 しかし、一刻も早く弟と自分を養えるだけの目処が欲しいシャルからは、必死さのあまり視野狭窄に陥っているのか。焦っているような気配が感じられた。

 焦燥に駆られたような呻くような声を洩らすと、懇願してきた。

「日に1クレジット。それ以上は望まない。だけど、それだけ欲しいんです。

 それだけは稼げる虫狩人にならないといけないんです。

 かっ、覚悟はある。あります。後はなにが必要ですか?なんでもします!」

 

 1クレジットあっても、まともな生活は送れないが、弟と二人だけなら最低でも餓えることはなくなる。必死な形相で訴えかけてくるシャルが抱えた事情や動機については、ギーネは敢えて聞かなかった。

 聞いてどうなるわけでもない。手助けできるわけでもない身で、心に同情や重さを抱え込むような話は、気持ち的に聞くのを避けた方が無難だろう。

 

「覚悟……か」

 哀れんだように、ギーネは目を伏せた。

 シャルの気持ちは買う。痛いほどまでとは言わないが、いくらかは共感を覚える。

 しかし、覚悟で動かせる状況もあれば、打開できない状況もあるのだ。

 蟹虫を二匹狩れば、1クレジットは稼げる。

 しかし、女性や老人では、二、三匹の蟹虫に不覚を取ることもは少なくない上、単に棍棒で蟹虫二匹を潰せる力があれば済むという話でもない。

 幾ら歩き回っても獲物が見つからない時もあるし、ギーネたちでも挑むのに躊躇うほどの群れで集まっている時もある。

 探し回って疲れきった状態で仕掛ければ思わぬ不覚も取りかねないだろうし、足場の良し悪しで諦めるべき時もあるだろう。

 兎に角、怪我をしないのが狩りにおける最優先事項の一つだと、ギーネは考えていた。

 それに長期的な狩りの成果の向上に重要なのは、覚悟とは異なる要素。装備の向上や戦術の工夫、体の動かし方、計画性や観察力、注意力の維持などであろう。

 

「……ちょっと待ってくださいね」

 頭を掻いたギーネが、傍らにいるアーネイと帝國語で相談し始めた。

『アーネイ、この子をどう思いますか?率直な感想が聞きたいです』

『町の娘さん……ですね。それ以上でもそれ以下にも見えません』

『ですよねー』

 

 ギーネたちの母国である帝國の教育水準はそれなりに高かった。教育分野における国民全体の底上げ志向と、12年間の義務教育が徹底された社会であったから、富裕層と平均的な中層にさしたる教養の差がないとはいえ、ギーネたちはそんな帝國でも一応、エリートに属していた。

(帝國のエリートは良きエリートですぞ!民を庇護しているのですぞ!

 でも、帝國の民は、教育水準が高いのであまり庇護する必要がないですぞ……)

 ギーネたちと平凡な町娘のシャルでは、土台となる肉体のスペックからして全く違った。

 幼少時から栄養学に考慮した食事を取り、マーシャルアーツの修練や各種高等教育を受ける機会に多く恵まれた上、サバイバル課程も軍事教練も修了している。

 その上、ギーネたちは、教養の一環として歴史や文化に触れており、ゲームやアニメ、TRPGなどを好んできたから、想像力の豊かさに基づく発想の柔軟性や順応性も段違いであった。

 戦争映画やホラー映画に馴染むことも、己の発想や油断の穴を埋める為に意外と馬鹿にならない。ちなみにギーネは、マンチキンである。

 

 暫く考え込んでいたギーネが、ようやくシャルに向いた最低限の答えを思いついた。

「……そうですね。まずは練習すべきです」

「練習?」

 予想外の言葉に、シャルは不思議そうに呟いた。

「朝夕に最低でも百回、棍棒やバットを狙った場所に正確に振り下ろせるよう、木に叩き付けなさい。兎に角、反復練習することです」

 シャルの期待していた答えとは違うのだろうな、と思いつつも、ギーネは大事!練習!と念を押した。

「脳内で怪物をイメージすることも、重要ですからね」

 淡々と説明しているギーネだが、見ず知らずの他人にここまで親切になるのは珍しかった。

「行くなら、町近くの下水道跡がお勧めですよ。防壁の入り口で門番に聞けば、教えてもらえるでしょう。惑星時間の午前9時から午後3時くらいまでの時間帯なら、日差しも暖かいし、大抵、周囲に幾人かの狩人が見かけられます」

 周囲に人影があれば、窮地に陥っても助けてもらえる可能性もあると補足しつつ、ギーネはそう告げた。

 

「出入り口付近で二、三時間粘っていれば、1匹や2匹の蟹虫や小さな軟体アメーバも見つかりやすいですよ。ただし、通路の奥は大群が棲息しているのでお勧めしません。

 私たちも、最初のはそこで狩りをしたこともありました」

 アーネイも知る限りの知識の経験をシャルに伝えようとしている。

「出る日もあれば、出ない日もありますが、中には2、3クレジットを稼いでいる者もいましたよ」

「……出ない日もあるんですか」

「不満そうに言われても困りますよ。それでも1日当たり1クレジットなら、稼げないことはないと思います」

 

 暗い瞳を揺らしながら、やや不満げに地面にうつむいているシャル。

 もしかしたら、ギーネのアドバイスは、彼女にとっては期待外れだったかも知れない。

 しかし、上手い話なんてものが、早々に転がっている筈もない。

 あまりに見通しが甘いと思いつつも、ギーネはシャルの弱さと愚かさを何とはなしに理解できた。

 人間というのは不思議なもので、得てして恵まれていない不運な人間の方が、判断が極端から極端に走りがちになったり、情勢に甘い見通しを持ったりすることがある。要するに好機慣れしてないのだ。

 

 ギーネ・アルテミスは不幸や貧困が嫌いである。出来るかぎり、自分の国から解消したいと思っていた。

 一度、酒の席で不幸な人や貧しい人を無くしたいとオフレコで語ったら、その場に潜り込んでいたリベラル派ジャーナリストにすっぱ抜かれた上に新聞記事にされたことがある。

 曰く『アルテミス次期侯爵がまた失言。この世から貧乏人と恵まれない人間は消えろと語る』との見出しは大反響を呼び、恐らく領土の失陥には、捏造記事を読んで真に受けた領民たちの失望も関わっているかも知れない。

『パンがないならお菓子を食べればいいじゃない』と発言して弾劾されたマリー・アントワネットの気持ちが理解できた瞬間である。なお、革命当時のフランスでは、低い等級の焼き菓子は、良い小麦に限られるパンよりずっと安価だった模様。

 

 

 帝國での苦い追憶を打ち切ったギーネは、泣きそうな顔で地面を見つめているシャルを眺めてから、仕方なしに次善の策を考えてやった。

「そうですね。他の方法でそれ以上を稼ぐのは、一人では難しいと思いますが……手っ取り早く安定して稼ぎたいのなら、まずは仲間を探したらどうでしょうか?」

「仲間ですか?」

 冥い表情で沈んでいたシャルが、やや顔を明るくして顔をあげた。

「例えば、あなたと同じくらいの年齢で、多分、水路巡りをしている子の中には、ハンターになりたい娘もいるでしょう。そういった子を誘ってチームを作れば……問題は分配や役割分担です。此処を良く話し合わないと揉めますよ」

「仲間……」

 光明を見出したように呟いたシャルが、何かを思いついたらしい。

 ギーネをじっと見つめながら、おずおずと頼み込んで来た。

「あなたたちのチームに入れてくれないかな?」

 

「ダメ。メリットないですし」

 それなりに可愛い女の子が相手にも関わらず、ギーネは即答。

「なっ、仲間を欲しがっていなかった?」

 シャルは先日のギーネのセシルへの勧誘を覚えていたようだが、亡命貴族は首を振った。

「セシルに振られたあの一件ですか?」

 

「私たちは、セシルには相応の知識と能力があると踏みました。

 仮に彼女が無免許であっても、やはり誘ったでしょう。

 まあ、実際はこちらより遥かに上のランクだったわけですが」

 肩を竦めたギーネは、先日の意図をシャルへと説明した。

「貴方を仲間にしたとして、何が出来ますか?こちらも命が掛かっています。

 迂闊な人物を情けだけで仲間に入れる訳にはいきません」

 

「頑張る。なんでもする……いいえ、なんでもします」

 先刻からの話し合い。頑張るの一点張りで他力本願にも思えるシャルだが、ギーネは嫌いにはなれなかった。

「日に1クレジット頂ければ、絶対にそれ以上の分を働いて見せます!」

 言い募っているシャルは、寄らば大樹とは考えていても悪質な宿り木ではない。

 使ってみてくれと訴えてきている必死の態度は嘘ではないだろうとギーネには思えた。

 ギーネへの懇願も、自身の非力を認識している故か。

 弟を養う為、なりふり構わないでいる人間を無碍にはしたくなかった。

 それでも、ギーネは訴えを拒んだ。

「助言はします。ですが、連れてはいけません」

 

「……なんでですか?」

 情けなさに泣きたい気持ちを耐えているのか。

 歯を食い縛って俯いているシャルに、ギーネは意外なほどに穏やかな眼差しを向けて言葉を掛けた。

「貴方の言葉を、疑ってはいません。きっと懸命に働くでしょう。

 給与以上の働きは間違いないと考えています。

 もしかしたら、かなり役に立つかも知れない。ですが……」

 言葉を濁したギーネの傍らで、アーネイがシャルに語りかけた。

「意地悪で言ってるのではありませんよ、シャル。

 私たちが主に狩るのは蟹虫ですが、曠野で出会うのが蟹虫だとは限らないんですよ。

 手に負えない、ずっと強い怪物に出会うこともあります。

 そもそも、素の人間が戦える怪物なんて、蟹虫と芋虫、軟体アメーバくらいですし、それでも二、三体集まれば、簡単に人を殺したりもします」

 

「ティアマットのような脅威の大地では、人間は余りにも無力な存在です。

「仮に凶暴な人喰いミュータントが眼前に現れた時、貴方は絶対に私たちの指示に従えますか?

 泣いたり、喚いたり、竦みあがったり、逃げ出したり、自棄になったりしないで、一つ間違えれば死ぬ状況で冷静に振舞えますか。

 予め想定が破れた時のために、二段構えの策を提案したり、臨機応変に行動できますか?」

「……いいえ」

 シャルが首を振るう。ギーネの声には穏やかで諭すような調子が含まれていて、話しているうちに大分気持ちも落ち着いてきたようだった。

 

 ぽろぽろと涙が地面に零れ落ちた。シャルは泣いていた。

 静かに、声も立てずに小さな肩を震わせながら、悔しそうに唇を噛んで嗚咽し続ける。

 ギーネたちは、黙ってそれをじっと見つめていた。

「……あなたたちは、それが出来るんですね」

 目を晴らした痛々しい泣き顔のシャルが弱々しく呟いたが、ギーネはあっさりと首を振った。

「さあ、分かりません」

「え?」と、目を瞠ったシャルに、ギーネは冷静な声で淡々と語りかけた。

「それが出来るなら、こちらから頼んで仲間になって欲しいくらいですが……」

 立ち尽くすシャルの前で、苦い笑みを浮かべてアーネイが呟いた。

「ギイ爺さんなら、出来るかも知れませんよ」

「女の子限定ですぞ?」

 

「一応、場数は踏んでいます。ですが、曠野については分かりません」

 ギーネとアーネイは、阿吽の呼吸を飲み込んでいた。互いが何をして、何が出来るのか。熟知した上で、暗黙の了解で数パターンの逃走と反撃を行えるのだ。

 しかし、それでも不安は常に付きまとっている。

「ティアマットが危険とは分かっていますが、どの程度に危険なのかは分からないのです。

 幸いにして、今まで想定した以上に危険な状況に陥ったことはありませんが……」

 

「だから連れてはいけません。

 私たち自身に余裕もない状況では、一人の間違いが全員の命取りになります。

 そして貴方の安全も保障できないのです」

 ギーネの言葉に唇を噛んだシャルが、ため息を洩らしてからほろ苦く微笑んだ。

「……なるほど。貴方たちにとっては、それが最低条件なんだね」

「はい。自分達が生き残るにも精一杯の状況で、足手纏いの素人は連れて歩きたくないのですよ」

 自嘲と冷笑の入り混じった笑みを浮かべつつ、ギーネはそう告げた。

 シャルは感情を見せずに、冷静に肯いているように見えた。

 

「そう。分かった。ごめんなさい」

 シャルは深々と肯いた。気を取り直した様子で笑顔を浮かべると、胸に手を当てて深々と肯いた。

「それから色々、ありがとうございました。目処も付きましたし、仲間を探してみます」

 踵を返してホテルに引き返していく娘は、ほんの少しだけ肩を落としていた。

「しょんぼりして気の毒です。でも仲間には出来ません」

「ええ、それがよろしいかと存じます」

 

 と、街路の途上で何かを思いついたのか、シャルが立ち止まった。

「あ、最後にひとつ。いいハンターになるのに必要な資質ってなにかな?」

 

 振り返ったシャルの投げかけた質問に、ギーネが鋭く瞳を細めた。

「私たちにそれを聞くんですか?I級ハンターですよ?」

 アーネイが首を傾げ、シャルが応えた。

「あなたたちに聞きたいんだ」

 

 その質問……

 これは、古来から伝わるあの言葉を使うべきだろうか。

 長い間、暖めてきた言葉だが、うん。まさしく今だ。

 私はこの時を待っていたのだな。

 相貌を緩めたギーネが、掌で口元を押さえながら、くふふと笑った。

「ふふふ、仕方ありませんね。ここは親切なギーネさんがハンター稼業のコツを「10%の才能と20%の努力、そして30%の臆病さ……残る40%は…………運だろうな」

 格好良くタバコの煙を揺らしながら、アーネイが物凄く鋭い凄みのある目つきと凛々しい眉毛で先に告げた。

 凄い説得力に納得したシャルが肯いた。

「なるほど、ありがとう」

「実は、古来からの格言ですけどね」

 アーネイが微笑みを返した。

 

 吹っ切れたようにすっきりした笑顔を浮かべたシャルが、立ち去ってから

「お嬢さま、戻りませんと風邪を引きますよ」

 ひどく楽しげなアーネイも、鼻歌を歌いながら先にホテルへと戻っていった。

 暫くして、周囲を圧する大音声でギーネが突然、絶叫した。

「ちっくしょぉおおおおおお!ちっくしょぉおおおおおお!」」

 物凄い悔しそうな表情で歯軋りしながら、ぶるぶると震える。

「こっ、こんなことが!ある筈のないと思っていた悪夢が!

 物心ついた時から、何時か言ってみたかった台詞だったんだぞ!そっ、それを!その絶好の機会を目の当たりにしながら、よりによって寸前で家臣に奪われようとは!

 なんと言う屈辱だ!わたしは!わたしは君主なんだぞー!」

 

「あほー、あほー」

 叫んでいるギーネの頭上で、夜にも拘らず双首カラスが鳴き声を上げていた。


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