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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
☆ティアマット1年目 その1 ギーネ ティアマットの地に降り立つですぞ
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ACT 15 異なことを これは焼き味噌でござる 

「此の侭では追いつかれます!」

 街路を走りつつ、アーネイが小さく叫んだ。

 背後に迫る不気味な振動は、怪人の不気味な唸りと共に徐々に大きく近づいてきている。

「ららら……りりり……」

 恐ろしいことに怪物の唸り自体は、可憐な少女を思わせる美しく澄んだ美声であった。

 それが何の意味も持たずにただ発せられていることが、よりギーネたちに恐怖を感じさせる。

「もう少しです。次の角を右に!あった」

 ギーネが前方に何かを見つけたようだ。走る速度を上げた。

「右?ですが、お嬢さま!そちらは袋小路です!」

「いいから!」

 ギーネが狭い路地裏へと飛び込んだ。仕方なしにアーネイも続いた。

 

 数秒遅れて路地へと到達した怪人が、止まらずにそのまま壁に激突した。

「るるる……ららら……」

 壁に立てかけてあったブリキ製のゴミ箱が怪人の質量に直撃されて、ぺしゃんこに潰れた。

 コンクリートに罅が入るほどの衝撃に建物が揺らぎ、砂煙が立ち昇ったが、まるで応えた様子もなく怪人はぬるりと立ち上がると、その背中が二つに割れて異様な桃色をした数本の触手がぬるぬると這い出てきた。

「ろろろ……れれれ……」

 触手の一本一本には異様に巨大な眼球が付属しており、まるで匂いを嗅ぎ回る犬のように辺りを探り続けている。

 路地裏の壁に設置された巨大なボックス型のゴミ箱、そしてマンホールの蓋の周囲に、触手が集まった。

 怪人はまずゴミ箱に近寄った。

「どどど……どどどぅィィィ」

 躰の何処からか異様な響きを持つ声を洩らしながら、指を伸ばすとあっさりと蓋を破壊して中身を覗いた。

 溜まっている数百年前のごみに触手を突っ込んだ。

 中を探り始めるがいない。やがて触手を引き抜いた怪人は、触手をゴミ箱に叩き付けた。

 それだけで鉄製のゴミ箱が大きく歪んだ。と、怪人は今度はマンホールの蓋へと歩み寄っていった。

 

 怪人がマンホールの蓋に手をかける。触手を添えてマンホールに触れると、さしたる力も入れた様子もないのに、何かが壊れる音がして、固い筈のマンホールの蓋があっさりと空に撥ね飛んだ。

 怪人は、下水道へと触手を伸ばして探り始めるが、やがて汚水に塗れた触手をずぬりと引き抜くと期待外れだったのか。強烈な彷徨にびりびりと大気が震えた。

 怒りを発散するかのように怪人は触手を振るって周囲のレンガの壁をばしばしと叩き始めて、壁に大きな亀裂が走っていった。

 

 ギーネとアーネイの二人は、そこから建物を挟んだ離れた街路に潜んでいた。

 ゴミ箱を土台にしたアーネイがさらに踏み台になりながら、ギーネの足を思い切り上へと押し上げ、二階建ての屋上に掴まって這い登ったギーネの助力を得て、アーネイも屋上へと飛び上がって、二人は、そのまま屋上を駆け抜けると、反対側の路地へと降り立っていたのだ。

 

「……怒り狂ってますね」

 壁に耳をつけて怪人の様子を伺っていたギーネが、震えながら小さく低い呟きを洩らした。

 壁からそっと身を離すと、悲鳴を洩らさぬように己の口元を押さえながら、傍らのアーネイに目配せをする。

 離れた路地からアーネイが拾った鏡の破片を使って様子を伺ってみようとするのを、ギーネは腕を掴んでそっと押しとどめる。

 唇を舌で湿らせてから、離脱しようのハンドサイン。

「あの怪物、目はいいようですが、鼻と耳はそれほどでもないようなので命拾いしました……今のうちに遠ざかりましょう」

 二人は静かに肯き合うと、出来るだけ足音を立てずに旧商店街区域から離脱していった。

 

 街路から離れる際も、ギーネはまだガチガチと歯を鳴らしていた。

「私たちの身体能力が普通の人間並みだったら詰んでいました。

 運動神経のよい躰に調整してくれたご先祖に感謝するべきでしょうね」

 傲岸不遜なお嬢さまが他人に感謝しているということは、本当に怖かったのだろうな。

 思いながらもアーネイは独白を洩らした。

「それにしても……あんなところにゴミ箱がありましたっけ?」

「前に来た時、あそこに在ったら、いざという時、屋上へ逃げる踏み台に使えると思って移動させて置いたんです」

「……用意周到ですね」

「我が深謀遠慮の賜物ですぞ!」

「……声が大きいです」

「……ごめんなさい」

 

 30分以上を駆け足で商店街跡から遠ざかり、町を視界に収める場所まで戻ってこれたギーネはやっと息をついた。

 恐怖に痙攣する胃を落ち着かせる為に、幾度か空咳を行いながら、冷や汗を拭い去って呟きを洩らす。

「あまり、人跡未踏の場所に踏み込むべきではありませんね。

 今回は本当にギリギリでした」

 アーネイがくっくっと笑い声を洩らしながら、曇天を見上げて言った。

「小便ちびるかと思いましたよ」

「なっ、なっ、なにを言ってるんですか!アーネイ!へんな言いがかりをつけないでくださいよ!」

「まさか、お嬢さま」

 疑念の目を家臣に向けられた次期アルテミス侯爵が焦った表情で否定する。

「ちっ、ちっ、ちっ、ちびってなんかいませんぞ!これはレモネードですから」

 

 

 

「……町に戻る前に、レモネードを零してしまった下着を洗いたいのですが」

 ギーネの言葉で、二人は街への途上にある比較的、水の綺麗な湖へと寄ることになった。

 ギーネが尻丸出しで下着を洗っている途中、アーネイは遭遇した怪物についての分かる限りのデーターを携帯端末へと書き込んでいる。

 

 曠野に如何な怪物が潜んでいるのか、ギーネたちにも確かなことは分かっていない。

 目撃談や体験談を聞けるようなハンターの知己さえも、殆どいなかった。

 今は精々、曖昧な噂の伝聞と、曠野で遠くから目撃した生物のデーターを日々、蓄えながら、生き延びる為の手段を必死に講じている段階であった。

 ギーネとアーネイは、怪物との遭遇を想定して、手順を確認して、練習して、逃げ込む場所を地図にマーキングして、作業の一つ一つを疎かにせず行っている。

 

 写真と身体能力、覚えている限りの印象を書き添えて、出現場所と共にデーターにアーネイが記録を残している。

 今日は偶々、小細工の一つが生きて、窮地から脱出することが出来た。

 まだ遭遇してもいない脅威に備えている自分たちを馬鹿馬鹿しいとは思わなかった。

 

「あはは……うっわ、すっげ、グロ。突然変異なのか、殺人機械なのかは分かりませんが、こいつ理科室の人体標本みたいですよ。皮むき出しのゴリラですね」

 半泣きで下着を洗っているギーネの後方。

 端末で取った画像を確かめながら、アーネイがなにやら一人で爆笑していた。

「この体躯で恐らく100mを7秒から8秒。とんでもない足の速さです。

 触手の先端には目玉がついていますね。走る時には前傾姿勢か。

 顔には鼻がなくて巨大な眼球が一つ。そして頭頂部に縦方向に牙の生えた口。

 本国の連中に見せてやれないのが返す返すも残念だなぁ。

 腹部に向き出しの臓物みたいになっている器官は、表皮や筋肉でガードしなくていいのかな。これが弱点だったりしたら笑えるけど……ショットガンとか欲しいなぁ」

 

 一方のギーネは、憂鬱そうにパンツを眺めていた。

「こ、これは!この『染み』は!まさか……この年になって……馬鹿な。ありえない。

 どうしてギーネさんの身にだけこんな理不尽なことが!」

 後方で馬鹿笑いをしている家来をチラ見してから、亡命貴族は慌てて下着を洗い始めた。

「ううう、世界を一つの物語にしたら、ヒロイン枠確実のギーネさんがどうしてこんな屈辱を……もしアテナやテュフォン辺りに知られたら、もう生きていけませんぞ」

 文句を言いながら、下着をごしごし洗うギーネ・アルテミス。

「洗いましたかー?」

 背後からの家臣の呼びかけに、噛み付くように返答した。

「まだです!」

「ごゆっくりー」

 言った家臣は、何がおかしいのか、ホラームービーを鑑賞しながら再び爆笑を始めた。

「洩らしても仕方ないんですよ。わたしは、アーネイみたいにホラーゲームやFPSが好きな訳じゃないんですから。

 むしろ、あんな最悪の精神状態で見る悪夢から出てきたような怪物と遭遇したというのに、やたら嬉しそうなアーネイの精神状態の方がよっぽど心配ですよ」

 ぶちぶち言いながらギーネが下着を絞っていると、アーネイがまだ笑いの発作がおさまらない様子で近寄ってきた。

「気になさらずに、新兵が洩らすのは良く在ることです」

「ひあああ、きっ、聞いていたんですか?」

「そりゃあ、聞こえますよ」

「あんな怪物に追いかけられたら、仕方ないではありませんか!

 人間相手に洩らしたことなんてありませんよ。そっ、それに、これは焼き味噌でござる。」

 泣きそうな顔でギーネ・アルテミスが言い訳している。

「……え?その餡子が出ちゃったみたいな言い訳はなんですか?

 もしかしてレモネード零しただけではなかったんですか?」

 立ち止まったアーネイが主君を凝視し、ついで気まずそうに顔をそらした。

「……すいません」

「ぼっ、墓穴をほったぁあ嗚呼!」

 ギーネの悲鳴が辺りに響き渡った。

 

 

 

「スースーしますね。でもズボンだから、何とかなりますか。

 今度からは替えの下着も持ち歩くようにしましょう」

 服装を整えたギーネは、少し歩き回った後、憂鬱そうな表情でため息を洩らした。

 荷物を整えていたアーネイが、慰めるように主君に言葉を掛ける。

「お嬢さま、お嬢さま。元気をお出しになってください。

 ホラーの怪物相手に、兎に角にも生き残ったんですから気にすることはありませんよ」

「別に気にしてませんよ。

 それとフラグを立てるような物言いは控えなさい」

 ぷいっと首を逸らしながら、ギーネが腹立たしそうに吐き捨てた。

「はいはい、わたしの責。わたしの責。

 それにしても逃げる為に嵩張るとは言え、袋も捨ててしまいました。

 高い物ではありませんが。町に帰ったら新しいパンツも買わないといけませんね」

「……異なことを。あれは焼き味噌でござる」

「武田信玄に追われた家康公みたいな言い訳を……」

「焼き味噌にござる」

「左様にござるか」

 能面のような表情で繰り返す主君を哀れに想い、追及せぬ情けがアーネイにもあった。

 

 振り返ったギーネが、首を傾げつつも考え込んだ。

「それよりも気になったのは……あの怪人の方です。

 ううむ。どこかで見たような気が」

「あんなものと何処で知り合ったっていうんですか?

 もしかして、お嬢さまの朝のラジオ体操の友だちですか?」

 考え込んでいたギーネは、アーネイの減らず口に反応せずに顔を上げてそっと囁いた。

「ねえ……あれって基は人間だったりはしませんかね?」

「あれが人間?どこから、そんなおぞましい考えが浮かんだんですか?」

 嫌そうに呟いているアーネイ。

「アーネイ……もんじゃ焼き……信楽焼きの狸……」

 視線を遠くに彷徨わせ、何かを思い出そうと呟いていたギーネが指を鳴らした。

「そうだ!思い出した。万魔殿!あれはパンデモニウムの作品群。

 人間を素体とした一連の生体兵器シリーズのデザインにそっくりなんです」

 アーネイが哀しげな表情となってギーネを見つめ、深々とため息を漏らした。

「どうしたんですか?アーネイ。急にそんな顔して」

「遂に踏み込んではいけない領域にまで踏み込んでしまったんですね。

 お嬢さま。それだけはしないと信じていたのに……」

「違います……どれだけ私は信用ないんですか。

 三万年も昔に人類を滅亡させようと目論んだ、狂ったコンピューターが製造した生物兵器群の一種に、あれとよく似たデザインの人造怪人が居たのを思い出しただけです」

 呆れたようにいったギーネが、記憶を呼び起こしながら概要を説明していった。

「おぞましいことに捕虜とした人間たちを改造していたんですよ。

 まあ、惑星規模の災厄とは言え、次元を隔てた全く別の世界の話ですし、似ているだけで別系統の存在でしょうがね」

 結論付けたギーネが歩き出すと、アーネイもつき従って傍らを歩き出した。

 

 

 曠野の全てが、人類にとって危険な領域という訳ではない。

 特に危険なのは未探査領域でも奥深くの領域や各地に残されたミュータントなどの勢力が強い一部地域、何者かが棲まうと噂される巨大な廃墟などで、街道沿いに進めばそれなりに安全に移動することは出来るし、普通は強い変異生物ほど数も少なくなるので早々には遭遇しなかった。

 明白に危険な土地、或いは狩場になる場所も確かにあって、人に知られる怪物の大半は、同時に全力で走れば逃げ切れなくもない相手であるのだ。

 ギーネたちの知る怪物のうちで人より足が速いのは、犬にバッファロー、それに噂で聞いている曠野の覇者・変異熊くらいのものである。

 アイアンバッファローは見た目に反して温厚な性格であり、敢えて接触しなければ襲ってくることはない。そして野犬の類なら、全力で抗えば辛うじて何とかなるだろう。

 現状の装備で危険なのは変異熊である。遭遇したらギーネたちも一巻の終わりだろう。

 

「で、いかがします?」

 アーネイの呼びかけに、ギーネは肩を竦めて結論した。

「少なくとも商店街跡の南側ルートは危険です。

 ハンターでも踏み込んでいないには、踏み込まないだけの理由があるわけです。

 この有様では、近隣の人跡未踏の場所を一通り調査するだけでも考えものですね」

 結論を告げるギーネ。

「未踏地の調査は、しばらく打ち止めにしましょう。

 そして商店街跡も当面、立ち入りは禁止ですね」

「調査打ち止めは賛成です。しかし……当面ですか?」

 あの怪人と遭遇するような危険は侵すべきではないと考えている。

 しかし、ギーネは当面と発言した。

 首を傾げたアーネイは、真意を測りかねて主君を見つめた。

「ロボットが完成したら、あの怪物と当ててみるのも一興かもしれませんよ?」

 人差し指を振りつつ、ギーネはくふふと笑った。


『脱糞しても天下人になれるのだ!』

 ギーネはくじけない。徳川家康が彼女に勇気を与えてくれる。


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