AssassinGINE アサシン・ギーネなのだ
ドーカーを始末したギーネは、渡り廊下に出て落下防止の手摺りに歩み寄ると、ひょいと乗り越えた。
そのまま無造作に宙に踏み込み落下。手を屋上の縁に引っ掛けると、指先だけで体重を支えながら渡り廊下の一階下、七階部分へと窓からするりと入り込む。
帝國貴族は『ホテル・ユニヴァース』の構造の過半を把握し、記憶していた。
コンピューターのように死角も厚みも脳内で完全に再現できるし、材質の構成や経年劣化。ある程度までは、発生する音響までシミュレーション出来る。逆算して発生する音からの標的の靴の材質や体重、体格、速度まで推測することも可能だった。
今回の戦闘でも、敵集団の挙措、反応速度から、筋力や反射神経、役割分担や性格まで割り出しつつある。
伊達に忍者に憧れている訳ではないのだ。今さっきの戦闘で、ドーカーの体格と立ち位置から視覚を割り出して間合いを詰めたように、戦うにつれて相手のデーターを蓄積すれば、意識と視覚の空白、呼吸までも読み取って戦闘データーに生かすことも可能となる。
銃やその他の荷物を背負って再び、八階部分の渡り廊下屋上にひょいと上がると、ゆっくりと本館八階へと踏み込んだ。
「アサシン・ギーネですぞ」呟いてから、廊下を歩いて裏庭に面した南向きの窓に辿り着くと、散歩にでも出かけるかのように気軽に外へと飛び出した。
落下中、外壁の見切りの部分を幾度か手で掴んで減速しながら、直通ルートで裏庭へと降りていくが、しかし、最後に指が滑って体重を支え損ねる。
「のわあ」
間抜けな悲鳴を漏らして、無様に地面にたたきつけられた。土の部分なので無傷であった。
「いたた、受け身を取らねば即死していましたのだ。ティアマットの重力がアスガルドよりちょっと強いのを忘れていたのだ」
埃を払いながら立ち上がると、こそこそと本館裏口へと可及的速やかにかつ優雅に急いで移動した。
「ややっ、なんたること。ギーネさん謹製の看板が蹴り倒されておりますぞ」
早いところ暫定首都を定めねばなるまいと決意しながら、看板を立て直して扉をくぐった帝國貴族。ホールをちょこまかと二十日鼠のように駆け回りながら、フロントやら柱の陰に装填済みマスケットやクロスボウを立てかけてから、スイス製の腕時計を眺めた。
「移動速度と体力から割り出すに、あと十五分±三分ほどで先頭集団がホールに差し掛かりますのだ」
ギーネの予測した通り、ドーカーの徒弟たちは、廊下の闇を越えて全速力で走り抜いてきた。障害物を飛び越え、彷徨うゾンビや変異獣を振り切り、襲われた仲間を見捨ててまで漸くに脱出口であるロビーへと辿り着いてみれば、そこで待ち受けていたのは仲間を皆殺しにした賞金首であった。
「お、どんぴしゃー」椅子に座り、足をプラプラさせて、壁に立てかけたマスケットを手に取りながら、ギーネは嬉しそうにほざいている。
「そんな。全力で駆けてきたんだぞ!」
「どうして!」
「まさか、別のルートが……」
立ち止まり、見当違いの言葉を吐いている一団を前に、胸から取り出したサングラスをかけるとマスケットライフル両手持ちというバカな構えをしたギーネ・アルテミス。
「え、たった一人で愚連隊を迎え撃つんですか?」
「できらぁ!」
「よし、たった一人で愚連隊を迎え撃ってもらおうじゃないか」
「え?たった一人で愚連隊を!?」
一人芝居である。体力を使い果たし、緊張からの虚脱状態で怯え、立ち竦む少年少女を前にして、セルフボケと突っ込みをしている。頭おかしい。
油断しきっている。目の前の賞金首は、徒弟たちが全員で立ち向かっても到底、歯の立つような相手ではないと先刻思い知らされたばかりであったが、それでも、生き残った少年の一人は冷静さを保って仲間たちに目配せし、意図を伝えてきた。或いはバラバラに散れば、誰かは逃げられるのではないか。
肯き合った徒弟たちが一斉に散って走り出し、ギーネが左右の手でそれぞれ別の目標を狙い、発砲した。
反動から見ても普通、まず当たらない二発の弾頭は、二人の徒弟の首と側頭部に命中。床に倒れるよりも早く飛翔したギーネが近くのテーブルからマスケットを取って、スメタナのモルダヴの鼻歌に奏でながら後ろ向きに発砲。腹側を撃ち抜かれた少年が横転し、椅子に掛けてあった鉄パイプマスケットを足に引っ掛けて手に取ったギーネは優美に回転しながら四発目を発砲。脛から下が消し飛んだ少女が叫びながら横転する。
木製の槍を手に取ると、アヒルに似た槍投げ機にセット。手の延長のように運動エネルギーを叩き込みながら、走っている徒弟の背中から投擲した。
昆虫採集の虫みたいに壁に縫い付けられ、弱々しく呻いている少女に歩み寄ると、斧で喉を切り裂いてから、床でもがいているもう一人の少女を眺めた。
「……あー、一発外した。信じられない。この距離で。
酷い銃ですよ。まったく。道具に対する愛情が欠けているとしか思えない」
「なに……を」少女は苦痛に喘ぎながら、ギーネを見上げた。
周囲は静まり返っていた。まだ徒弟たちは数人残っているはずだが、彼らは一斉に隠れ、息を殺して潜んでいる。ギーネは近くにあるマスケットを手に取ると、回転させて横向きに発砲。
バーのカウンターからそっと顔をのぞかせていた少年が、顔半分を吹き飛ばされて崩れ落ち、恐怖に耐えきれず、一緒に隠れていた片割れの少年が飛び出すと、帝國貴族。素早くカウンターまで駆け寄ってから棚の上に隠しておいたマスケットを手に取って発砲した。
「マスケットの方が大分マシですね。持ち主がよく手入れしていたのが分かります。暴発しないといいですけど、まあ、今回限りですから」
ギーネは油断しきっているように見えた。だけど、そんな帝國人一人に徒弟たちは遊戯のように殺されていく。口惜しさと哀しみに少女は、ギーネを睨みつけた。
「なにが……なにが面白いんだよ。なぶるなよ。殺すならさっさと殺せばいいじゃないか」
「うんざりなんですよ」
言ってから槊杖を口に咥えたギーネが、マスケットの銃口に黒色火薬を注ぎ込んだ。
「さっきのフォコンという奴の集団がそこそこ手強かったので、疲れてるんです。もうさっさと片づけたいから、自殺して欲しいのだ。加えて、片づけたらすぐに町に戻らないといけないのだ」
弾を奥に込めながらホールを見回すと、憐れむように、おどけるように紫の瞳をキュッと細めた。
「……なにを言ってるん」
「もう一仕事残ってると思うと、憂鬱になりますぞ。お前たちが殺しに来たのだ。好きで殺してるんじゃないのだ。子供の癖に戦場に出てきて、派遣した部隊が壊滅したと【町】の雷鳴党に伝わっても困るから見逃すこともできないし。わずか二人では捕虜にして見張ることも難しいのだ」
淡々と隠れている徒弟を処理しながら、ギーネは口元に皮肉さと残酷さの入り混じった笑みを浮かべた。
油断といえば油断であり、傲慢でもあったが、一見、軽率にも見える挙措とは裏腹に、ギーネ・アルテミスは揺るがぬ勝利の方程式を確立させている。
30メートルの距離を保ち、時速500キロに満たない速度の兵器であれば、彼らが飛び道具を抜き、構え、狙いを定めようとも、ギーネはそれより早く射殺できる上、銃口の射角から弾道を読み切って九割以上の高確率で命中を回避する事ができる。
そして、この距離ならば。銃器の固有の癖を把握し、火薬と弾薬を調整したマスケット銃ならば、ギーネ・アルテミスは、ほぼ確実に狙いを外さない。普通の人間がすぐに目の前に置かれたオレンジを手で取り損なうことがないように、健康な人間が一々、歩くのに転ぶことを心配しないように、ギーネは好きな場所に鉛玉を叩き込めた。つまり、徒弟たちはすでに詰んでいた。
「逃げる奴は殺し屋だ!逃げない奴は訓練された殺し屋だ!本当にティアマットは地獄だぜ!」
それでも敗北の確率は零ではないが、ギーネは狂える王の如く、怯える観衆の前で一人芝居を垂れ流していた。
スーとユニの二人がロビーに辿り着いた時、先に逃げたはずの徒弟たちは影も形もなかったが、しかし、吐き気を催すほどの血腥い匂いが硝煙の残滓とともに一面から漂っていた。
そして二人の逃走劇は其処までだった。少女たちの体力は既に限界に達していて、これ以上は一歩でも走るのが難しかったし、そして何より生理的な拒絶感を伴うほどの血と臓物の香りが二人の足を止めた。止めてしまった。
ホールの北側入り口に立ち止まったユニの呼吸は激しく乱れていたが、喘ぐように大きく息を吸い込んでから、スーの手を掴んだまま無人のホールへと足を踏み入れた。
意を決した表情で太い眉毛をVの字に固め、所々が赤く濡れている大理石の床を前へと進んでいく。
ぬちゃり、と足元で音が鳴った。桃色の蛇に似た視界の隅に転がる何かを直視しないよう、震える妹分を勇気づけるように握った手に力を込めて、出口だけを見つめて真っすぐと歩き続ける。
だけど、ある地点に差し掛かった瞬間、見られている、と背筋がゾクゾクと震えて教えてくれた。おぞましい視線だった。口の中が急速に乾燥していく。死が形をもっていばらのように四肢に絡みつき、心臓が恐怖に凍り付きそうになったけど、スーの掌の暖かさが血管に指を伸ばした氷を溶かしてくれた。
肉食獣が獲物を狩るように、機械が対象を図るように、冷酷で無機質なその癖、粘質に絡みつく視線に、きっと一度足を止めてしまえば、そこで全てが終わってしまうと直感して、頭を空っぽにただ足を動かす。
震えているのは、スーか、ユニか。ホール内に設置されたレストランの真横に差し掛かろうとした瞬間。「駄目……止まって」スーがか細く漏らした。
「あそこに……なにかいる」ホールの一角を指さしたスーの視線の先。
指さされた部屋の片隅、レストランの壁のすぐ後ろ。物陰に半ば隠れつつも丁度、視界に入るギリギリの境界に、目を凝らさなければ分からないほどに背景に解けこんだ迷彩パターンで平らになった何か人型の熱源が伏せていた。
目に映っているにもかかわらず、ユニには分からない。が、指さされた瞬間。見つかったことを悟ったのか。恐ろしい殺気を感じ取ったユニが、直観に従ってスーを押し倒すとほぼ同時に、発砲音が鳴り響いた。
脇腹に灼熱が走った。それでもユニは歯を食い縛ってクロスボウを構えるが。
「オオー!ワザマエ!」
擬態を見抜かれた自称北欧忍者。よく意味の分からない感嘆の声を漏らしつつも、まるである種の虫のミュータントか何かのように素早くキモイ動きで壁を這ってレストランカウンターの背後へと姿を消した。クロスボウを撃っても、きっと当たらない速さだった。
「……先に逃げたはずのみんなは」
呟いたスーを胸元でユニは無言で抱きしめた。すでに仲間たちの末路を悟っていた。
何処からか、声が響いてきた。
「お前たちで最後です。他は死にました」
逃げられない。そして勝てない。とんでもない魔窟だと絶望に涙が零れ落ちそうになった。
「まあ、運が良ければ、何人かは逃げ延びたかも知れません」
嘲るように涼しげな声が続けた。
「諦めるのだ。助けはどこからも来ませんぞ」
声は、北から、南から、西から、二階から、廊下から、柱の陰から。遠くから、近くから。まるで 同じ声をした人物が幾人も隠れながら、二人の少女を嘲っているかのように響いてきていた。
「所詮、下劣な殺し屋風情。帝國の藩屏たるこのギーネ・アルテミスに敵う筈もないのだ」
「お前たちを殺した後は【町】に乗り込んで残りの連中も片づけて差し上げます。それでお終い。雷鳴党は滅びるのだ」
どういうつもりなのか、殺戮者は計画をペラペラと喋っている。猫がネズミを弄ぶように復讐心で残忍な気分となっているのか。それとも衝動を抑えきれないほどに、自己顕示欲が強いのか。
私たちは、雷鳴党じゃない。言おうとしてユニは口を閉じた。
無意味だろう。きっとギーネとやらは、小娘の身元になど興味ないのだ。
自分の世界観と憶測に基づいて、今も好き勝手に言葉をペラペラ垂れ流している。
ある種の狂気に駆られているのか。変質的な固定観念に囚われているのか。だけど、その戦闘力だけは紛れもなく卓越した本物で、どうしようもなく八方ふさがりだった。
虚ろに視線を彷徨わせるユニの視線に看板、建て直された看板が目に入った。
ティアマットの帝王などと記された綺麗な看板だった。
妄想の類。狂気にも思える大言壮語だが、そこにユニは一筋の光明を見出した。
ドーカー本人は地に足を踏まえた『親方』であったけれど、狂信者たちと対峙し、渡り合う時のコツも徒弟たちに教えてくれていたのだ。
狂人は、幻想を共有した言葉を無視できない。ゾンビを崇拝する生命回帰主義者もそうだし、財産を奪い、労役奴隷にしようとするセント・マルクス教徒や、科学技術の一切を否定する狂信的自然派も、同じ土台に立った言葉には、取り合えず耳は傾ける。
あるいは試す価値が在るかも知れない。床に押し倒されたスーが目を瞬いた。
抱き着いていたユニが、頬を優しく撫でてから、両手を上げて立ち上がったのだ。
「……降伏。降伏します、騎士さま!どうか慈悲を!命だけはお助けください。
貴女がティアマットの帝王だというのなら、そこに住む者に慈悲を与えてください」
数秒の静寂が続いた。心臓が破れそうなほどに高鳴っていて、ダメかと思った時、重い沈黙が破られた。
「お前たちを助けて私に何のメリットがありますのだ?」
帝国人が意図を尋ねてくる。初めて此方と意思の疎通を図ってきた。
メリット。ユニは、頭を真剣に働かさせていた。興味を引かなくてはならない。これほど脳味噌を回転させたことは人生において初めてであっただろう。頭のなかの血管が脈打つように熱く感じられた。
「私たちは町です」
意味不明な返答だった。だが、攻撃は来なかった。なので言葉を続ける。
「町で生まれ育ちました。町の人間関係や地形を知っています。そこで生まれ育ったものしか知らない裏路地やお店や街区、どんな人種がいて何を好むか。市民や放浪者やハンターの関係。外からの輸入に頼っているもの。何が町で作られているのか。十数年の人生で見聞きした知識、時間をかけなければ理解できない経験を提供できます」
ユニは、とにかく喋り続けた。言葉を止めた瞬間に攻撃が来るようにも思えたが、不思議と震えは収まっていた。
「どんなに賢明な人であっても、伝聞や書類では把握できない、実際に見聞きしなければ気づけない細かな断片は存在しています。私たちはそれを埋められます」
そこで言葉を区切った。実際には、それほどいい考えではないかも知れない。
でも、ユニはそれ以上喋らなかった。しばらくの沈黙の後、帝國貴族の声が響いてきた。
「中々に面白い提案です。賢明な人と付け加えることで虚栄心をくすぐってもいる。その年齢にしては賢い子です。ティアマット人は皆そうなのかな?」
くすくす笑いが続いた。でも、ユニのロジックの土台は、全てがドーカーの受け売りだった。
親方の手のひらで踊らされてる。とは夢にも思ってもいないだろうアルトリウスの亡命貴族は、提案を受けるだろうか。
「町育ちなら幾つか当てがありますが、お前の提案は中々に興味深く、好奇心をそそられたのは確かです」
「どんなバイアスが掛かっているか分からない情報源はいりません」
即答。ユニの膝から力が抜けそうになったが、それに続いた貴族の言葉には、僅かながらに称賛するような響きが込められていた。
「ですが、お前の土壇場での知恵と弁舌、そして諦めない意思に敬意を払って、二度と私に立ち向かわないと誓うなら命だけは助けてやってもよいのだ」
個人的な資質に関してなにやら拘りがあるのか。封建制の世界からやってきた人間の思考は、やはり平均的なティアマット人とは少しだけ異なっているが、命乞いを受け入れると囁いていた。
ユニは顔を上げて食いついた。迷いなく断言する。
「誓う!誓います!」
「……何に掛けて誓うのかは分かりませんが、まあ、いいでしょう」
ホッとしたユニの膝から力が抜けそうになった。だが、ギーネの声が変化する。
「ただし、立ち去る前に肝に銘じておくがいい。約を違えれば、必ずや償いをしてもらう。地の果てまでも追い詰め、汝も汝の大事なものも恐ろしい運命を辿るということを覚えておくがいい」
ユニはこの時、心が麻痺していたのかも知れない。凡百の脅し文句だとなにも恐れを感じなかった。
涙目で蹲っているスーに手を伸ばす。
「行こう」
スーが微笑んで、手を伸ばしてきた時、床に銃弾が叩きつけられた。
「なっ!約束が違う!」
驚愕にすくみ上ったユニが絶句する。ギーネ・アルテミスは、簡単に殺せる相手を態々、騙したのか。残忍に弄ばれたのかと、憤るよりも絶望に唇を噛んだユニの耳に帝國貴族の玲瓏な声が入ってきた。
「なにを勘違いしているのだ?助けると約束したのは、お主だけですぞ。そちらの小娘は置いていくのだ」
今度こそ、時が止まったようにユニには思えた。
文章入力担当の猫 「ねえ!この子達、助かるよね!そんなひどい展開にしないよね!?」
アイディア担当の脳内の悪霊 「どうかなー?(はなほじー
ああー、どうなってしまうんやー
残酷な展開はワイの責やないんやー
脳内に住み着いた悪霊のあいであなんやー
ワイはこんな展開書きたくないんやー