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廃棄世界物語  作者: 猫弾正
ハンター日誌 ライオット
111/117

the Ghost 幻影

題名 英単語の意味は違うけど、格好良さ優先で意訳(知能猫並み


 絶叫が回廊を貫いた。スーの目前。火達磨となった『痩せ犬』が恐ろしい叫び声を上げながら駆け回って窓へと体当たりした。手も、足も、髪の毛まで、『痩せ犬』は全身が燃えていた。

 凄絶な光景を前にスーは恐怖で凍り付いていた。火炎瓶は意外と燃え尽きるのが早い。床に踊る炎は早くも鎮火しかかっていて、炎の壁の彼方、一瞬だけ視線が交わった銀髪の麗人は、そんなスーを見て、一瞬だけ憐れむように目を細めると、素早く階段へと消え去った。

 肉と骨の砕ける重い音が響き渡っていた。頑丈な強化ガラスに体当たりを跳ね返されながら『痩せ犬』はまるで体中の骨が砕けても構わないといった勢いで幾度も己から激突し、ガラスも遂に耐え切れなくなってヒビが走ると、賞金稼ぎの痩せた体が突き破って長く尾を引く叫び声とともに地上へと落ちていった。


 駆け寄ってきたユニが震え続けるスーを強く強く抱きしめた。そのまま後ろに引きずられるスーの傍らをクロスボウを抱えた年嵩の徒弟たちが躍動的に駆け抜けていく。

「姿を見せたぞ。だが、油断するな。奴は罠を……」

『親方』ドーカーが喚きながら、スーの肩を掴んだ瞬間、上階で銃声が響き渡った。

 一発で終わらない。二発。三発。四発。そして訪れた静寂は異様な圧迫感を伴って絡みついてくるようでドーカー『親方』は腹の底にギュッと力を入れた。


 ドーカーの肩を掴む力が急に強くなって、スーは痛みに顔を顰めた。この男らしくもなく焦りを露骨に見せている『親方』は、いささか乱暴な手つきでユニとスーを己の背後へと突き飛ばした。荒事で日々の糧を得てきた『親方』稼業の益荒男が、まるで子犬を守ろうとする母犬のように歯を剥き出している。

 賞金首を追って上階へと飛び込んでいった徒弟たちの足音や叫び声が消えている。

「……ユニ、お前らは背後に下がってろ」

 囁くような『親方』の緊張に強張った声を耳にして、ユニの胃の腑が緊張でキュッと締め付けられた。それでも不安そうなスーに微笑みかけて、後ろに下がろうと腕を引っ張る。

 

 さらに徒弟が二人。何処か困惑しつつも、恐る恐ると階段へ踏み込んでいった。そっと上階をのぞき込めば、硝煙が白く立ち込める廊下に突入した徒弟たちが倒れていた。顔を強張らせて、隣の徒弟と顔を見合わせ、肯いて下がろうとした瞬間、廊下に設置された鏡で動向を窺っていたギーネ・アルテミスが装填を終えて、客室から飛び出した。


 銃声が鳴り響き、上階の階段から頭蓋を撃ち抜かれた徒弟が転がり落ちてくる。顔を真っ青にした徒弟の少女が何ごとか喚きながら廊下を仲間のもとに逃げ戻ろうと駆けるのを、オラウータンのように片手で階段の手摺に掴まった帝國貴族が、片手撃ちのマスケットで狙いを定める。

「これで6人」発射。

 固定も糞もない滅茶苦茶な構えでの発砲は、しかし、逃げる徒弟の心臓を貫いて、少女が涙を流しながら膝をついた。

「……あ」

 仲間の徒弟たちは、恐怖を押し殺すように叫びながら、クロスボウや弓を撃つも、ギーネが敵の射線に何時までも留まっている筈もない。野生の猿のように、撃った直後に片手で自分をひょいと引き上げ、姿を消している。


「……畜生!畜生!」駆け寄って死んだ少女を抱きしめた徒弟の少年が怒りの叫びを上げており、他の少年少女が歯を食い縛りながら、装填している中、『親方』ドーカーは顔を顰めながら叫んでいた。

「下がれ!退け!退け!遮蔽を取れる位置まで下がるんだ!」

 少女を放そうとしない青年の腕を掴み、全員をアーチ型の回廊入口まで下がらせる。

「よくも……殺す!殺してやる!」

「……殺し、殺されってのは、この稼業じゃ当たり前だ。頭を冷やせ」

 叫んでいる青年を諭すように冷静に言葉を掛けるドーカーだが、青年は涙に濡れた顔で『親方』を見つめた。

「ミアが殺されたんだぞ……十年以上も付き合ってきて、なんとも思わないのか」

「冷静になれと言ってる。悔しいのは俺も同じだ。だが、ここで焦れば、ほかの連中も失うことになる」

「おっさん!仲間がやられたんだぞ!それに突っ込んだ連中をどうする?見捨てて退けっていうのか!」

『親方』の胸倉をつかんで抗議してくる青年の腕を、ドーカーが細いながらも力強い腕で掴み返した。

「……事前の情報と違いすぎる。此処は一旦、距離をとって様子を窺うぞ。奴は恐らく『伊達男』と『火竜』を片付けた。この分じゃフォコンたちだって怪しい」

 ドーカーは、青年の瞳をじっと見ながら口を開いた。

「いいか、落ち着いて聞け……」

 銃声が響いた。青年の砕け散った頭蓋から、脳漿が噴出してドーカーの陶器の頬を濡らした。

 ドーカーは階段に視線を移す。ギーネ・アルテミスが階段の踊り場から、伏せ撃ちの姿勢で狙っているのが遠く目に入った。

 (踊り場からどれだけ距離がある?50メートル?70メートル?遮蔽を取ってる小さな標的をマスケットで当ててきた?)

 ドーカーは笑いたくなった。ああ、これはダメだ。兎と思って足を踏み入れてみれば、茂みに潜んでいたのは獰猛な人食い虎だった。フォコンも十中八九は死んでいる。『雷鳴党』の馬鹿共も皆殺しになってるかも知れない。


「ひゃ?」かわいらしい悲鳴が『親方』の背中で上がった。

 背後に振り向けば、スーが両手を組んで驚いた表情を浮かべていた。無意識のうちに思わず数歩を後退っていたらしい。

 背筋を総毛立たせ、恐怖に強張ったドーカーの表情に戸惑うスーの視線の先、徒弟たちの誰もが石像のように凍り付いて死んでいる青年を凝視していた。


 マスケット片手にギーネ・アルテミスが廊下に降り立った。背中には六丁ものマスケットを背負っており、愉快な格好とは裏腹に、目は詰まらないものでも見るかのように傲然と一団を見据えている。

 次の瞬間、『親方』が、いかにしてその結論に至ったか。

「餓鬼ども!逃げろぉ!」

 ドーカー親父が叫んだ。廊下を震わせるほどのそれは凄まじい大音声だった。

「此処は奴の狩場だ!俺たちは誘い込まれた!皆殺しになる前に退くんだ!」

 『親方』の指示を、だが、徒弟の幾人かは明確に無視した。明確な怒りに燃えながら、徒弟たちは戸惑う者たちの真横を駆け抜け、仲間の仇を取ろうとギーネの元へと殺到した。

 『親方』ドーカーは、良くも悪くも絶対者ではなかった。それ以上にたった一人を相手と見た徒弟たちにとって納得出来る指示ではなかった。この時、僅かに距離をとって、様子を窺がった者はいたが、逃げ出した者はいなかった。床に無造作に転がった仲間の死体と標的を見比べ、復仇の念もあらわに迫る徒弟たちを前に、ギーネは不敵に笑った。

 廊下は歩いた時に距離を測定済み。銃の癖も掴んでおり、弾は出来るだけ真円に近いものを削って作っておいた。ギリシャ彫刻のように美しい姿勢を保って、ギーネ・アルテミスがマスケットを構えた。手近な者から狙いを定め、効き目と利き腕の先、鷹のように鋭い瞳で標的を捉えて、引き金に指を掛けた。


 戦おうとした者から次々と殺されていく。マスケット銃の巨大な弾は、運動エネルギーも相まって至近では致死的な威力を発揮する。徒弟の少女の右足が吹き飛んだ。泣き叫んで助けを求める声に立ち止まった少年の顔が弾けた。庇うように立ち止まって反撃しようと試みた別の少女の腕がマスケットの一撃で消失した。胸に穴を開けられた青年がもがき苦しみながら、廊下に爪を立てている。


「仲間の仇だ!」叫んだ青年の放ったクロスボウを、弾道を見切ってギーネはあっさりと躱し、反撃は命を穿つ。青年が心臓を抑えて、血を吐いて膝から崩れ落ちた。

 駆け寄った娘の臓腑が、貫通した穴から飛び出て苦痛に悲鳴を上げた。走って逃げようとした青年の太ももが弾けて、転倒する。背中を向けて客室に逃げ込もうとするも、腹を撃ち抜かれる。其の儘走り続けるが、出血の為か、客室をくぐったところで崩れ落ちる。


 信じがたいことに、賞金首の放つマスケット銃は一発も狙いを外さなかった。不発もない。或いは、マスケットに偽装にした高性能のライフル銃なのか。

 苦悶の呻きで満たされた渡り廊下で、恐怖の悲鳴と断末魔が響き渡り、すぐに消えていく。


 いち早く客室に飛び込んだ少女が、手斧を握りしめながら発砲回数を数えていた。

「……今ので八発!これで弾切れ!」

素早く扉の陰から飛び出すや銃を撃ち尽くしたギーネに飛び掛かったが、ギーネは優美な動きで円を描きながら振り下ろされる腕の外側に回避。

「……勇敢だな。だが未熟」少女の顔スレスレで囁きながら、其の儘、無造作に蹴りで一撃。少女の小柄な体が車に撥ねられたように跳ね上がって天井に叩きつけられた。

「……かっふ」

 衝撃で動けなくなった処で、空中で腕を掴んで捻りながら床へと叩きつけ、関節を破壊。止めの踏みつけが降ってきた。回廊が揺れた。ギーネの足に肋骨がポテトチップスのように砕ける感触が伝わってくる。コンクリートの床にひびが走り、少女は口から血と臓物とくもぐった呻きを噴き出しながら絶命した。

「弱すぎる……これで帝國騎士に挑もうとは」

 吐き捨てたギーネ・アルテミスは廊下に転がるクロスボウを拾い上げた。転がって呻いている徒弟たちに取り出した斧で容赦なく止めを刺しながら、異様な足の速さで追ってくる。


 ユニが決断した。他の徒弟が後退りしている中、真っ先に立ちすくんでいるスーの側へと駆け寄った。

「あ、ああ」

「走れぇ!」

 今まで聞いたことのないような恐い声を出したユニが、恐怖にただ震えるスーの腕を引っ張って駆けだした。

「階段だ!階段を目指せ!ホテルから脱出しろ!【町】まで足を止めるな!」

 ドーカー親父も、叫びながらギーネにクロスボウを発射するが、真横からにも関わらず躱される。

だが、それでも僅かに時間を稼いで徒弟たちに離脱する余裕を与えると、自身も階段目掛けて走り出した。


 なんだ、あれは!なんだ、あれは!なんだ、あれは!

 聞いてないぞ!ふざけるな!手練とか……そんな言葉で言い表すこともできない!

 人とも思えない。化け物以上の化け物。悪魔という言葉すら生温い!蟻を潰すみたいに人を殺している。

 ドーカー親父は、逃げながら怒りに吼えた。いまや徒弟たちは誰もが必死になって逃げ惑っていた。


 やはり逃げ出そうとしたココの背中に大柄な徒弟の誰かがぶつかった。突き飛ばされ、よろめいた少女の背からポスターが廊下に転がり落ちる。

「……!」

 ココは足を止めた。なぜそんな代物に執着しているのか。ポスターを見つめ、一瞬の躊躇の後、取り戻そうと駆け戻ったココにユニが悲痛に叫んだ。

「ココ!」

 ポスターを拾い上げ、逃げようと振り返った少女の胸から、クロスボウのボルトの先端が突き出した。

「……あ」

 生えたボルトをまるで祈るように両手で押さえ、泣きそうに顔を歪めてユニを見つめたココが崩れ落ちた。


 歯を食い縛ったユニは、スーの腕を引っ張りながら階段目指して駆け下りていく。

 先回りされるかも。そんな考えが頭の片隅をよぎるも、一瞬たりとも足は止めない。

 スーは泣いていた。ボロボロと涙を零しながら、小さな体で必死に駆けている。


 ギーネは、指を弦に引っ掛けてクロスボウを再装填した。本来、徒弟たちが背筋を使って引っ張り上げる弦を指二本であっさりと引いてのける。そこには絶望的なまでの身体能力の差が存在していた。

 年若い賞金稼ぎたちは、恐らくは経験が浅い。敗走を立て直そうとする徴候も見えない。フォコンたちにあった精神的なタフさを持ち合わせていない。恐慌状態に陥った経験すら初めてかもしれない。技術的には未熟であり、肉体においても比較にならない。遺伝子レベルで肉体を戦闘調整され、幼少から訓練を施された科学的蛮族の戦士貴族と、崩壊世界の栄養不良な少年少女の一団。肉体の質と反応速度も考慮すれば、体重百キロの熊とチワワが殴り合うようなものだった。近接戦闘では絶望的な差があった。追撃される徒弟たちに逆襲を目論む精神的余裕もあるまい。偽りの敗走で罠に誘い込む釣り野伏せ、という気配もない。完全に士気は崩壊している。生きるために必死の、正真正銘の敗走であった。足の遅い者。体力の無い者。誰かを逃がす為に立ち止った者、大概は恐怖に顔を引きつらせ、まれに眼に強い光を宿して立ち向かい、しかし、ギーネ・アルテミスに追いつかれた者から、為す術もなく殺されていった。逃げ惑うカモシカの群れを背骨からへし折る獅子のようなものだ。ギーネとて尚武の気風強いアルトリウスの民。普段であれば多少は心躍るはずが、しかし楽しくない。


 逃げ惑う年少の賞金稼ぎたちは、ギーネ・アルテミスの隠形と無音殺人術を前に、一人として影すら認識できずに死んでいった。だが、彼らの持つクロスボウや所持しているかも知れない銃器は、当たりさえすればギーネを殺傷できる。故に、手を抜けない。人の意志はなによりも強い。ギーネ・アルテミスはそう信じている。恐怖しながらも、立ち向かってくる勇士がいないとも限らない。最初に戦った集団は、最後まで諦めずに抗った。故に少年少女にも一人くらいは勇士がいるかも知れない。戦意さえ取り戻せば、身体能力と技術、武装の差を越えて、帝國貴族を仕留めることも今からでも出来る。例えば、ギーネの知性であれば、少年少女程度の戦力でも効率的に運用することでギーネを倒すなど容易いことだった。そして、ギーネは、良くも悪くも臆病であった。故に侮らない。敵に冷静さを取り戻させてはならないと判断する。隠れたり、やり過ごそうとする者たちも、背後から襲い掛かってくるかも知れない。あらゆる可能性を考慮して、逃げたり、隠れたりする敵兵を流れ作業のように淡々と処理しながら、退屈ささえ覚えていた。


「どうした?このギーネを殺したかったのではないのか?」

 途中のトイレに隠れていた二人組。ロープを使って脱出しようとしていた。悪いアイディアではないが、逃げることに神経を集中しすぎて、逃走の痕跡を抹消することが疎かになっていた。

「来るな!来るなぁ!」

 双子だろうか。よく似た顔立ちの少年と少女は、発狂寸前に恐怖しながら、それでも互いを庇うように必死に棒切れを振り回している。中立の立場であれば憐憫の情も覚えようが、しかし、命を狙われた立場としては、見逃すことなどありえない。

 雷鳴のように閃いた槍が彼らの粗末な武器を叩き落した。


「お前たち、金目当ての卑しい殺し屋が、ギーネさんを傷つけて只で済むと思ったのですか?」

 それは冷酷な響きの死の宣告で、ギーネの一面しか知らない者は驚くかもしれない。

 だが、生命の本質が適者生存であり、優勝劣敗であるとギーネ・アルテミスは知っている。それは不滅の神々さえ覆すこと許されぬ、宇宙を統べる唯一絶対の神聖な法であった。

「……お願い、助けてください」

 命乞いをする双子は、十五、六歳であろうか。大人とは言い切れぬ。しかし、帝國人の判断基準によれば、既に分別がついて然るべき年齢であった。そしてギーネ・アルテミスには捕虜を取るだけの余裕がなかった。なにより幸運の女神が賞金稼ぎたちに微笑んでいれば、狩られていたのはギーネであったかも知れない。ゆえに容赦する気はなかった。帝國貴族の表情から如何な感情を読み取ったのか。少年と少女は絶望に顔を染めて互いの手を握りしめた。槍で双子を一つにしてから、追跡を再開する。


 西館八階の廊下を駆け抜けていたスーの足が明らかに遅れがちになっていた。

「スーちゃん」叫んだユニが、腕を伸ばした。

「スーちゃん、スーちゃん」名前を呼びながら、ユニもきっと恐いのだろう。泣いていた。しがみ付きながらスーも泣いている。恐怖に、互いへの想いに、溢れ出そうな感情に脳が真っ白になって、心が灼けるように熱かった。

 汗だくになったスーが足をよろめかせても、ユニは手を放さない。

「絶対におうちに戻すからね、スーちゃんを家に帰すから。諦めないでよぉ」

 スーを抱きかかえて、ユニは必死に走っている。が、元からユニとて体力に恵まれている訳ではない。二つ年下の少女を抱きかかえていては、生来の足の速さも発揮できない。息は荒い。先刻まで絶え間なく聞こえてきた恐怖を伴う断末魔が今は途絶えていた。安心できない。多分、自分たちが最後尾だろう。胸を締め付けるような恐怖に苛まれながら足を進めている二人を背後から伸びてきた腕がひょいと担ぎ上げた。恐怖に叫びを漏らしそうになって、しかし

「しっかりと掴まっていろよ」『親方』ドーカーの両脇に抱えられた二人は、涙ぐみながら無言でしがみ付いた。出口が見えてきた。心強い陽光が差し込んでいる。回り込まれていたら、そんな恐怖を押し殺して暗い回廊を駆け抜けて、渡り廊下へと転がり込んだ。


 少女二人を抱えたまま、振り返りもせずに渡り廊下を超えて、そこでドーカー『親方』が立ち止まった。本館側の入り口に陣取ってクロスボウを持ったまま、動こうとしない。

「行け、ユニ。そいつを家に届けてやれ」

「……親方はどうするの」ユニが震える声で尋ねると、ドーカーは困ったように笑ってから無言で徒弟の頭を乱暴に撫でた。


「……行っちまったな」

 逃げ去る徒弟たちの背中を見送ってから、ドーカーは気持ちを切り替えた。

 遮蔽を取り、撃たれない位置を慎重に見定めてから陣取った。マスケット銃は強力な武器だが、コンクリートの壁を抜くことはできない。露天むき出しの渡り廊下は、長さ20メートルから30メートル。風は強く、マスケットでの長距離狙撃を幾らかは封じることが出来るだろう。

 ドーカー自身の手元には、クロスボウと大振りのナイフ。ボルトの先端とナイフの刃は黒い液体に濡れている。かすり傷でも人を殺せる神経性の猛毒。使うつもりはなかった。一つ間違えばドーカー自身も命を落としかねないが、刺し違えても倒す覚悟を決めている。ドーカーは、鏡を使って慎重に渡り廊下を観察した。誰も来ていない。

 さしもの怪物も一瞬で間合いを詰めるには渡り廊下は長すぎる。待ち伏せを予想しているとしても、西館から本館へと移動するにはこの場所しかない。迎え撃つには、最適の場所だった。

 ちょっとでも迂闊に姿をさらせば、脳天が吹き飛ばされかねない腕前の狙撃手が自分を狙っていると思えば、百戦錬磨の『親方』も緊張せざるを得ない。

 ミュータントにも匹敵するような怪物を相手取る羽目に陥るとは、想像もしていなかったが、徒弟たちを逃がす為に、少しでも時間を稼いでやらないといけない。

 こまめに鏡を翳して、ドーカーは渡り廊下の敵影を確認している。

「よし。まだ来てないな」

 言った後に、もう一度、のぞき込む。と、ドーカーのすぐ背後に銀髪の女が立っていた。

「は?」『親方』は呆けたような表情を浮かべた。

馬鹿な。どうやって?一瞬前にはいなかった。

渡り廊下を一瞬で渡ることなど出来っこない。理解不能な現象を前に背筋が総毛だっていたが、混乱しながらも、素早くナイフを掴んで振り向く、が帝國人が長い腕をガラスのない窓枠から差し込んでくる方が一瞬、早かった。

 親分の腕と首に凄まじい力が込められた指が鋼鉄のように食い込んできた。持ちこたえようと力む『親方』の眼球がピンポン玉のように浮かび上がる。不退の決意も虚しく、ギーネ・アルテミスは『親方』ドーカーを持ち上げると、筋張った首を枯れ枝のようにあっさりとへし折った。


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