dogfight 犬の喧嘩
前回の更新(1時間前 では、まったく感想をもらえませんでした。
残念です。
スロープ直下の空間を中心として、最下層からは八方に区画が伸びていた。
エリアとエリアの仕切り。柱と少しだけ低くなった天井で区切られたその区画の入り口に、木製の可愛らしい犬型の看板が立てかけられていた。
看板には、筆記体の見慣れぬ文字でなにやら記されている。
「……外国語だな」
『アーネイの部屋。お嬢さま立ち入り禁止』
下段には『頼まれても入らないのだ。悪趣味』と書いてあったが、二人とも帝國語は読めなかった。
地下に住んでいる人間がいるとの噂は、モヒカンも耳にしたことがあった。
噂では、地下鉄跡に築かれた居留地もティアマット各地に存在しているそうだ。
キースも、幾度かは、地下を住処とする人間と邂逅したことがある。
単に地下に住む廃墟居住者か、或いはバンディットであっても相手によっては取引できるであろうが、完全に頭のいかれたカルト狂信者や人食いの習性をもつ地下鉄部族だとしたら、待っているのは殺し合いだけだった。
友好的な出会いを願いながら、覚悟を決めて踏み込んだ2人は、2秒で後悔した。
壁に巨大な怪物が横たわっていた。
しゃがみ込んだ姿勢でさえ天井に届きそうな巨体。全長10フィートはあるだろうか。
巨大な牙と複数の眼を備えた昆虫と深海魚の合いの子のような顔面は、それだけで人間より大きそうだった。
そんなおぞましい怪物が死んでいる。巨大なかぎ爪の生えた腕はズタズタに切り裂かれ、体に幾本もの槍を突き立てられ、巨大な頭蓋の脳天に根元まで槍が埋め込んであった。
「最悪だな……地下鉄部族らしい」
太古の神殿のように広がった地下の空間には、かがり火が燃え盛っていた。
そして真正面の祭壇らしき場所に、恐ろしい数の頭蓋骨の山。変異獣の頭蓋骨が綺麗に重ねられている。
「……なんだよ、これ」
震える声で呟いたモヒカンの横で、キースが呻きを漏らした。
「……ガーニー」
歯を剥き出して獰猛な笑みを浮かべているガーニーが祭壇にいた。首だけになって。
額には、矢印に似た古代北欧の勇気を示すルーンが血文字で描かれている。
「兄貴!!やばい!ここは地下鉄部族の縄張りだ!しかも、とびっきり凶暴な連中だ!すぐに逃げ出さないと!」
喚きだして入口へと走りかけたモヒカンだが、キースは立ち尽くしたまま笑っていた。
「ちょくちょく見られているような気配を感じていたが……そういうことか」
裂帛の大音声でキースが突然に叫んだ。
「……出てこい!見てるんだろ!?それとも恐いか?卑怯者!出てきて勝負して見せろ!」
「兄貴?」
愚かしい挑発と理解しつつ、キースは半ば確信を抱いて相手を待ち受けた。。
戸惑うようなモヒカンの呟きと裏腹に、駐車場の何処からか人の足音が響いてきた。
周囲を取り囲んだ螺旋状のスロープから、変異獣の遠吠えが幾重にも重なって鳴り響いてきた。
信じられないことに雄叫びに怯えるような響きが混ざっていた。
反響する足音が高くなるにつれ、変異獣たちの気配が泡を喰ったように遠ざかっていく。
「逃げていく?」理解不能な状況でのモヒカンの呟きをかき消すように、張りのある若い女の声が響いた。
「獣は本能に忠実だ。彼らは肉体の声に耳を傾け、自分より強いと感じとった相手からは素直に逃げ出す」
キースが首だけを動かして、声の聞こえてきた方向に視線を向けた。
「だが、人間は違う。得てして、面子だの、見た目だのを重視して、肉体の声に耳を傾けることを忘れてしまったものもいる」
燃え盛る熾火で姿を遮るようにして女が立っていた。人の身長ほどもありそうな長さの矛槍を左手に持ち、腰には時代掛かった古風な【角笛】を吊るし、キースをまっすぐと見ている。
「文明は、生存本能を薄れさせ、人間を軟弱にする。嘆かわしいことだ。そう思わないか?」
赤毛を後ろに束ねた長身の女だった。こいつだとキースは確信する。
キースたちが近代兵器を持たないと確信しているのか。堂々と姿を見せて、巨大な長物を手に歩みよってくる。
挑発に乗るかどうかは賭けだった。キースとしては上手く誘い出したつもりだが、女の方は敢えて乗ったと考えていそうな風情を漂わせている。
「てめえ!」叫んだモヒカンがマスケットを構えようとした二の腕に、巨大な鉄の針が突き刺さっていた。
動き出したのは、間違いなくモヒカンの方が早かった。
にも拘らず、映像の早送りのように女は先に構えて、しかも完全に静止させた状態から、無造作に片手撃ちで命中させてのけた。
「意外と当たるものですね」
ぬけぬけと言いながらクロスボウを投げ捨てると、赤毛の女は尚も睨みつけるモヒカンの胸にバックブローを一撃。
通り過ぎるついでとでも言いたげな、無造作に見える一撃で成人男の体が宙を舞った。柱に叩きつけられ、右腕がありえない方向に曲がっている。肺を打たれたからか。声も出せずに悶絶しているモヒカン男を一瞥すると、マスケットを反対側の壁に蹴りつけ、後はもう興味を無くしたようにキースへと視線を転じた。
キースは、赤毛の女をじっと見据えていた。
ああ、膂力が段違いだな。それに目もいい。武器の扱いに習熟している。狙った場所に当てる技術を持っている。肉体を完全に制御している。視野も広い。後は……単純に早くて上手い。そして強い。
戦闘に絶対の自信があるのか。それとも、好き好んで殺し合いに浸りたいのか。
姿を見せる必要もないのに、態々、キースたちの目の前に現れた。その精神性も含めて尋常ではない。
つまり、これが『帝國騎士』って訳か。参ったぜ。心中でバーンズを罵った。
見た目だけで相手を舐め切って、ちょっかいを出したのだろう。
首を傾げ、眼を細めて、リラックスしたようにも見える態度で、キースは女と向き直った。
野生の狼を思わせるような精悍な表情に、血沸き肉躍ると言った印象の獰猛な笑みを浮かべている。
年齢はほぼキースと同年代か、僅かに若い程度だろう。その癖、驚くような戦闘能力を保持している。セシリアを知らなければ、キースとて信じられないような想いを抱いたかもしれない。だが、今は帝國騎士であれば、これくらいはやるだろうとも予想していた。
『スクール』の高級戦闘奴隷であったセシリアでさえ、教官からけして『帝國騎士』と白兵で戦うなと念を押されたそうだ。袂を分かった旧友が、他愛ないお喋りの時にふと漏らした一言をキースは覚えていた。だから、欠片の動揺も見せずに、女騎士と向き合えた。
仲間の傷ついた姿を前に冷静さを保っている愚連隊の男を見て、侮れない相手だなとアーネイは改めて認識する。理性と勇気を兼ね備えた相手を、けして侮るべきではないのだ。
評価を上げはしない。この愚連隊の男を見た時点で、最初から脳裏で警報が鳴りっぱなしだった。
なのに変に気分が高揚している自分を度し難いなと思うも、アーネイは止まらない。この理性と本能のバランスが崩れた時に死ぬかも知れない。強敵と立ち会うには心身のバランスが必須だろう。まあ、それでも負ける時は負けるが、いずれにしても命のやり取りが綱渡りとならざるを得ない相手を前にアーネイは武者震いをしていた。
愚連隊の男を眺めながら、アーネイは考える。
僅かな動作だけも、情報を抜いて、分析してくるタイプだろう。白兵でも、銃撃戦でも、闘争の本質はさほど変わらない。
主君のギーネも戦いながら敵を分析する。無論、戦士なら誰でも行うだろうが、其処には精度の違いがある。
思考型か、本能型か。愚連隊の男は、恐らく思考型に寄っている。本能型でも勿論分析してくるが、愚連隊の男は、眼に理知的な光が強かった。
理知的な人間は、得てして思考に寄りすぎてやや反応が遅れることがある。長期戦になると手強いが、短期決戦ならばむしろ命取りとなる。そこが付けいる隙。とアーネイは踏んでいたが、愚連隊の男が闘志を秘めた静かな眼差しを保ちつつも、呼吸を整えているのに気づいて眉を顰める。
スイッチを切り替えたか。そう悟って、緊張と共に唇の端を舌でちろと舐める。
一瞬で愚連隊の男の雰囲気が変わっている。本能のままに肉体を操作する。否、霊感に身を委ねてのける百戦錬磨の戦士の猛々しい魂の匂いは、隠しようもない。
闘争には、命懸けの蛮勇が必要な瞬間がある。死線を越えるとも言う。
死神の息吹を身近に感じるとき、敢えて死とすれすれの領域に踏み込まねば、命を拾うことが出来ない。それは、ギーネ・アルテミスには出来ない芸当だった。主君を弱いとは思わないが、本質において戦士ではない。思考を止めることが出来ぬのだ。言い換えれば馬鹿になりきれない。
戦場では、脳のクロックアップをして対抗してくるが、それでも霊感に導かれるままに動く相手に後れを取ることがままあった。
最高の時のアーネイ・フェリクスにとっては、脳のクロックを高めたギーネ・アルテミスさえ隙だらけに見える瞬間が訪れることがある。
『刻が見える』『力の流れ』『死域』昔から様々な武芸や戦場でのフィクション、ノンフィクションで言及された言葉ではあるが、アーネイはそうした領域を知っている。そして、今、自身と同じく死線に片足突っ込んでるような相手と相まみえることの出来た幸運に望外の喜びを感じながら、歯をむき出して笑った。
この男の前に立つのが、ギーネでなくてよかったと思いつつ、肉体が賦活していた。
罠を破れるはずのない状況で、尚、喉笛を食い破ろうと食らいついてくる獣だと直感し、そして心底の高揚を覚えている。
キースは、女騎士を眺めていた。一目見た時から、命懸けの戦いになると理解していた。
「他の連中は……」
尋ねかけたキースに応えようとしたのか。女騎士が口を開きかえた瞬間、キースの手元に魔法のように現れた二本のナイフが光のように閃いた。虚を突いた完全な不意打ちのタイミングだった。
喉元と心臓へと投げられたナイフは、しかし、予期していたかのように女騎士の矛槍で薙ぎ払われる。
巨大な矛槍が、まるで慣性のモーメントを無視したかのような機動で、曲がったかのようにナイフを弾き、返す刃で、燕返しに跳ね上げられた矛槍を、キースもまた尋常ではない反射神経で躱し、距離を取った。
あっさりと凌いでのけたキースを眺めた赤毛の女は、ひどく楽しそうに瞳を細めた。
「いい反応だな。ティアマット人」
卑怯とは罵らない。むしろ感嘆の響きがあった。楽しげでさえある。
挑発に乗って、態々、姿を見せた事といい戦闘狂か。或いは危険を楽しむ人種
「まるで小枝みたいに振り回す。体を弄ってるな?」
キースは、平坦な口調で呆れたように呟いた。
対峙した二人は、円を描くように動きながら、まるで示し合わせたように距離を保ちながら、同じ速度の歩調で柔らかく踊るように、しかし視線は相手を射抜くように鋭く外さずに。
「遺伝子を少し。しかし、一応は天然ものですよ」女騎士が囁くように言った。
「嘘つけ」おかしそうにキースが笑う。
「研鑽の結果です。先祖代々、一日も欠かさず千年の鍛錬を積んできました。なので、殆ど普通の人間です。だから、急所を貫けば、あなたの勝ち」
キースが眉を寄せると、今度は女が笑った。
「不死身の怪物なんてオチはないから安心して殺し合いましょう」
「それを聞いても、少しも嬉しくないのはなんでかな?」
言葉とは裏腹に、眼を細めたキースの口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
「恐いな。ティアマット人。なにを考えて笑ってる?」女騎士が問うた。
「見逃してくれるといいなって考えてる」
「ふふ、この期に及んで生きて帰れるとお思いで?」
「俺、君になにかしたかな?」
「情熱のままに我が家に押しかけてきた癖に、つれない……殿方だ!」
命を狙ったのだ。命を奪われても文句は言えまい。と、女騎士が踏み込んだ。前触れも予備動作もなく、刃先を揺らすように空気を刻みながら細かく斬撃を繰り出すのを、キースは大ぶりのコンバットナイフで辛うじて捌き、逆に一気に踏み込もうとして、急停止。キースの膝のギリギリ手前の空間を女騎士の踵が空気を割いてえぐり取っていった。
慌てて引き下がった彼に、斬られることを恐れないかのように下半身の爪先に蹴りを送る。
キースは反撃しない。女騎士の上半身と二本の腕は、いまだに巨大な矛槍を完全に保持し、制御している。
迂闊にナイフで足に切りかかれば、上から致命的な斬撃が振るわれるだろう。
女騎士は上半身と下半身を交代するように切り替えながら、攻撃を繰り出してくれるが、いずれも致命へと繋がりかねないコンビネーションの最初の一撃。小刻みに繰り出される矛槍の刃。薄暗い空間に鋼の刃が噛み合う火花が散った。
地面擦れ擦れにアーネイの足が奇怪に動き回り、キースを追い詰める。
キースの背中がドラム缶に当たった。キースはドラム缶を跨いでバク転。近くの車のルーフに着地する。
一瞬遅れて女騎士の蹴りの爪先がぶち当たったドラム缶が完全に凹んで宙に浮かび、床に激突してごろごろと転がっていく。
距離を取ったキースは大きく肩で息をしながら呼吸を整える。
必殺の威力を秘めた矛槍を、しかし、女騎士はあっさりと背後へと投げ捨ててから、巨大で恐ろしく邪悪な形をしたナイフを二本引き抜いた。
一体化した鋼の刃には柄が存在せず、真ん中に空いた穴に手を通して握っていた。
アフリカ投げナイフに似ているが、遥かに機能的で人を殺すことに特化したそれは、持ち手も刃で覆われている上、よく見れば赤毛の女はご丁寧にも対刃繊維だろう手袋を身に着けている。
最低でも1キロ、合わせれば3キロ近くはありそうだ。普通の人間が扱えば振り回される重量も、帝國騎士ならば小型のナイフのように使いこなせるのか。
赤毛の騎士は、じっとキースを見つめてから、口を開いた。
「……今のを凌ぐか。少し好きになりましたよ」
「俺は、お前さんみたいのは嫌いだよ」
女騎士は、くっくっと含み笑いした。心底、命のやり取りを楽しんでいるように見える。
「……愚連隊にしておくには、勿体ない」
「雷鳴党は……いや、愚連隊か。そして俺もただのチンピラだ」
胸に湧いてきた万感の想いを呑み込んで、キースはそう嘯いた。
キースを見つめる女騎士の翠の瞳が暗闇の猫のように濡れて輝いていた。小刻みな低い呼吸音が互いの緊張感を否が応でも高めてくれる。
女騎士の膂力は尋常の人間のそれを大きく上回っている。そしてその膂力を十分に発揮できる白兵戦技も高い水準を維持していた。
なによりも、高い身体能力を前提として組み立てられた体術は、ティアマット人のキースには見慣れぬ異質な技だが、しかし、恐るべき破壊力を秘めた体系的な代物であることに間違いはなかった。
人間大の肉体にゴリラの膂力をそのまま閉じ込め、高い知性とよく練られた技術を基に肉体を制御してのけたら、このような破壊力を出せるのだろうか。女騎士の足技は、地を這う毒蛇のようだった。
遠い昔に耳にした惑星アスガルドの警句を思い出していた。
「『帝國騎士は遠距離から嵌め殺せ。白兵に持ち込まれたら、諦めろ』か。なるほど」
「ご期待に添えましたか?」楽しげに女騎士が訪ねてきた。
「噂の方が控えめだとは思わなかった」
素手で変異獣とやり合えそうな怪物だとまでは、流石に思っていなかった。
「ところで、それ、何処で売ってたんだ?」
女騎士の手元の邪悪な形のナイフに視線を定めたまま、キースが尋ねる。
「恥ずかしながら、お手製です」
「鍛冶も出来るんだ、いいね」
減らず口を叩きながら、頭を高速で回転させる。が、打開策がなにも浮かばない。
周囲に利用できそうな障害物や武器がない。仲間の応援は期待できそうにない。むしろ、時間を掛けたら、もう一人がやってきそうな気もする。武器は……ない。退路も塞がれている。
女騎士が距離を詰めてくる。いっそ無造作と言いたげに、しかし、一定の距離で止まり、円を描くように斜めに慎重な踊るような足取りで、斜めに動き出した。
何故、俺はこんなゾンビ山盛りの遺跡の地下で『帝國騎士』なんかと殺し合ってるんだろうな。
とは言え、因縁をつけたのは雷鳴党の方からに違いない。自分もその一員だった。バーンズなんぞのいいなりになって、惰性で生きてきた報いが来たという事だろうか。
所詮は、野良犬だったか。
キースも円舞に応じるように、足跡が刻む描く円周の対角上をなぞり、互いの呼吸を窺いながら、少しずつ距離を詰めていく。
2人の間合いは、二メートルにまで縮まっていた。
仮に銃を持っていても、引き抜いて狙いを絞るよりも刃の届く方が早い。
冷たい大気の中、二人の頬を伝って滴り落ちる汗が床に黒い染みを生み出した。
「家に帰りたいよ」キースがぼやくように呟いた。
「女がデートに応じたのだから、最後までエスコートするのが誘った側の礼儀というものでは?」
「あいにく門限が迫ってきてね。犬がお腹を空かせてるから、餌をやらないとならない」
「おや、犬派。気が合いますね。これはますます逃がす気にはなれない」
「女の子には、慎みも大事だと思うんだよ」
軽口を叩きながら、一切の油断なく互いの挙措を見据えている。
脳裏では、敵手がどう動くか、対応する幾通りもの思考が忙しく飛び交っていた。
「尻尾と犬耳付けたら、夜まで付き合ってくれますか?」女騎士が誘うように言ってみた。
「実は既婚者なんだ。誤解させてしまったなら申し訳ない」
「それはそれは。お子さんがいらっしゃる?」
「死んだよ。女房と一緒にミュータントに喰われてね」
愚連隊の男の回答に、帝國騎士が沈黙した。
隙とも言えない微かな隙を勿論、帝國騎士は自覚してすぐに消したが、キースは敵に切り込む代わりに胸元からメモを取り出し、敵手への視線は外さずに、呻いているモヒカンに語り掛けた。
「時間を稼いでやる。今なら、変異獣共も逃げ散っている。生き延びられるかはお前次第だ」
「兄貴、俺は……」
「行け。速くしろ」
キースが地図を写したメモを手首だけで横手に投げた。
女騎士は仕掛けては来なかった。
「私の姉妹も異星人に喰われています。どこかに平和な惑星はないものですかね」
帝國騎士がぼやくように言って、愚連隊の男が笑う。
「無理だろ。こうして人間同士でも殺し合っているくらいだ」
キースがのんびりと言って、女騎士が微笑んだ。
「確かに……」
2人の間合いが危険な程に縮まってきていた。
慌てて拾い上げたモヒカンが何かを言いながら、女騎士から距離を取るように大回りして走り出した。遠ざかっていく足音。もはやどうでもよかった。
二人の意識からは、互いの存在以外の何もかもが急速に消え失せていった。
輪の上を後3周、予定調和のように互いにその瞬間を予感していた。
まるでルールで定まっているかのように無意識のうちに暗黙の了解が肉体へと刻まれていた。
後2周、互いに神経が最高に研ぎ澄まされてきている。もはや指先の僅かな動きや瞬き、毛筋に呼吸さえも見逃さない。その一瞬の為だけの予備動作に体に力の流れが生まれ、瞬発力が蓄えられつつある。
後1周、死の螺旋を描いている騎士と愚連隊の動きが緩慢な程にゆっくりとしたものとなった。筋肉に微かな緊張を帯びていたが、二人とも強張ってはいない。むしろしなやかなバレエダンサーのように優雅な足取りを見せて闇の中に相対していた。
異様な静寂。空気がシンと張り詰めている。息が止まりそうなほどの緊張感。アーネイとキースの横顔を揺れる炎が照らした。
心臓の鼓動が大きく耳に響き、やがてそれさえも意識の外に消えて……
その瞬間、アーネイは自分がどう動いたのかを覚えていない。気が付けば、大きく身震いしていた。
指先が震えている。背後で何か大きなものが崩れ落ちる音がした。
振り返れば、キースが胸と頬を大きく割かれて倒れている。
アーネイは痺れの残った右手を上げた。袖口が大きく切り裂かれていた。
……手首を取られていたか。
帝國騎士は着衣の下から、一筋に傷の刻まれた鉄板を取り出して床に落とし、次いでへたり込んだ。
血の泡を吹きながら、アーネイを見つめながら、キースが何かを言おうとした。口が動いたがごぼごぼと溺れるような音だけ出して、動かなくなった。
死んだキースを前に、アーネイは、柱の陰に隠れるように這いずると、震える体を抱きしめて、なぜか意識が苦しくなってきたので、ようやくそこで自分の呼吸が止まっていたことに気づいて口を開いた。
(……息、息ができない!)
肉体が呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、息ができない。
なので無理矢理に大きく喘いで、肺に淀んだ空気を吸い込んだ。
無防備に隙を晒しているのは分かってる。狡猾な敵が残っていたら、まさしく今みたいな瞬間に狙撃してくるだろう。
それでも、今は警戒するよりも、無様でいいから余韻に浸りたかった。
……名前も聞かなかったな。
思い返して、少しだけ休みたくなって柱に寄り掛かった。愚連隊の男は生易しい敵ではなかったのだ。
お嬢さまなら互角の条件に持ち込んだりせず、虫でも踏みつぶすようにさっさと息の根を止めるのだろう。
いずれ私も誰かに敗れて泡のように消えてなくなる。霊魂や魂の国があるかも分からない。思いつつ、眼を閉じた。
猛々しい闘志は波が引くように鎮まり、今頃になって恐怖が押し寄せてくると共に、奇妙な打ちのめされたような敗北感を感じていた。
やりきれない虚しさと胸の悪くなるようなムカつきはすぐに収まるだろう。それでも、呼吸しているうちに気持ちが立て直せると経験則から知っていたが、もうほんの少しの間だけ高揚感に浸っていても罰は当たらないだろうとアーネイは思った。
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(某ふ●ばちゃんねる風に)