地下駐車場
連続する発砲音が『ホテル・ユニヴァース』の回廊の淀んだ空気を切り裂いた。
回廊を撤退しながらの、雷鳴党の良く狙いすました銃撃は、今のところ、ゾンビたちを十分に食い止めていた。
硝煙が立ち込める彼方、額を撃ち抜かれたゾンビが崩れ落ちる姿が見えるも、それを踏み越えてさらに新手のゾンビが迫ってくる。
廊下を追ってくるゾンビに対して、殿を守っている雷鳴党のメンバーは、マスケットやリボルバーライフル。パーカッション式リボルバーや弓矢など、飛び道具を駆使して足止めをはかっていた。
「……急げ!急げ!」
まるで湧いてくるように際限なく現れるゾンビたちを相手に、狭い廊下は兎に角、交戦するのに好ましくない。
横合いの扉や曲がり角など、死角から至近に出現するゾンビに対して、素早い対処を余儀なくされる。
しかも、ゾンビ集団に対しては側面に対して廻り込む余地がない為、怪力とまともにぶつからざるを得ない。
広い中庭で余裕をもって対処したのとは打って変わって、雷鳴党の面々は厳しい戦いを強いられていた。
誰もが息が荒い。集団で狭い廊下を進めば速度は落ちるが、相手は歩く死者。
鈍重な動きは、本来であれば早々追いつかれる筈もなかったが、時折、前方や扉からもゾンビが湧いてきては度々、足を止められる。
「糞!弾が残り3発!」
リボルバーライフルを持った雷鳴党員が悲鳴を上げた。
「こっちは10発以上撃てるが……」
マスケットを手にした古参党員は、退却しながら銃口に火薬を注ぎ、カルカで固め、どんぐり状の弾薬を詰めている。
金属薬莢に比してかなり安価。かつ抜群に入手しやすい黒色火薬とマスケットだが、一方で装填に時間が掛かるのは否めない。
【町】の一般人にとって、金属薬莢は入手しづらい。法や価格の問題ではなく、単に町中で出回っている量が多くはないだけの話ではあるが、基本的に先進工業国と違って湯水のように使える代物ではない。崩壊世界では弾薬の製造機械は当然として装薬も、弾頭も、空薬莢さえ割高にならざるを得ない。
文明世界の労働者であれば、1~2日分の所得で1000発入りの箱を銃砲店で購入できるのに対して、ティアマットの下層民では1発の弾薬と引き換えに1週間の稼ぎが必要となる。それも運よく市場にあればの話であって、人口の少なさを鑑みても、弾薬に関しては千倍近くの価格差があるようにも感じられる。
本来、青空市場やギルドに相応の伝手を持つ雷鳴党の構成員でも、気軽に撃てる代物ではないが、今はその弾薬を使い切る勢いで、雷鳴党員たちは追ってくるゾンビたちを足止めしていた。
「とんでもない大赤字だぜ!これは……リロード!」
金を稼ぎに来たのに、命を守る為に金が飛んでいく状況に陥っていた。
最後尾を守りながらパーカッション式の拳銃を撃ち切ったアンリが毒づきながら叫ぶと、弾込めの時間を稼ぐ為に後尾に下がってきた古参党員が盾を構えて隣に並んだ。
曲がり角や扉から突然に飛び出してくるゾンビに備えて白兵を行う盾の役割は、しかし、当然に体力と気力の消耗が激しい。廊下は狭く、見通しが悪い。窓から差し込む僅かな陽光だけを頼りに死闘がいつ終わるともなく続いていた。
盾を構え、互いをカバーしつつ時々、前方の部屋や廊下からも出てくるゾンビを始末して、雷鳴党は脱出経路である地下への階段に向かって歩を進めていく。
背後から響いてくる幾重にも重なったゾンビの唸り声が、全員の神経をやすりでもかけているかのように削ってくる。
前衛のすぐ背後。何時でも最前列に交代と援護ができる位置を保持しつつ、キースが慎重に周囲を警戒しながら進んでいくと、角を曲がってさらに進んだ突き当りの角にようやく地下への階段が見えてきた。
「階段!階段が見えたぞ!キース!」先頭を進んでいたボイドが叫んだ。
「此処までは地図の通りだな!使えそうか!?」
「行ける!大丈夫だ!ゾンビの姿も……うおっ!」
上下へと通じている階段を見回しながら叫んでいたボイドだが、人の気配に誘われたか。ゾンビたちが上階から降りてきて勢いよくボイドたちに飛び掛かってきた。
「くそったれぇ!」
階段から飛び降りてきたゾンビたちの圧力は、まるでなぎ倒しになった人込みのように激しく、屈強のボイドでも、複数の体当たりを受け止めた瞬間には体が軋みを上げた。
巧みな足捌きで衝撃を分散し、鉄板の盾でゾンビたちの引っ掻きと噛みつきを防ぎながら踏ん張っていると、横に駆け込んできたガーニーが、オートマチック拳銃を引き抜いてゾンビたちの頭に叩き込んだ。
耳元での突然の銃声に頭を振りながら、ボイドが怒鳴った。
「くそっ、耳鳴りが……そんないいもん持ってるなら、もっと早く使えよ!」
危地を救った仲間の愚痴に軽蔑するかのように肩を竦めてみせると、ガーニーは顰め面を保持したまま下の階段を覗き込んだ。
「下にはゾンビは見当たらん!取りあえずはな!急げ!愚図愚図していると置いていくぞ!」
まずは大ぶりの盾を構えた古参団員たちが、ゾンビや変異獣を警戒しながら階段を降りていく。
急く気持ちを抑え、視界内の安全を確保しながら、慎重に、しかし、可能な限り早く着実に一歩一歩階段を降りていく。
この可能な限りというのが曲者で、やや速足な移動速度は、視界外からゾンビの奇襲を受けた場合に犠牲が生じる恐れもあるのだが、同時に急いで降りなければ、背後から迫るゾンビに追いつかれてしまい、チーム全体が壊滅する可能性もあった。
階段に設置された赤色の非常灯が照らす下、鉄板性の盾は重く嵩張り、知らず軽い汗が衣服を濡らしていた。
厳しい状況にも拘らず古参党員たちは不敵な笑みを口元に張り付け、暗闇の地下へと大胆に降りていった。
背後からは、途切れることなくゾンビの呻きが追ってくるが、密集している本集団の速度は遅く、距離はかなり離れており、孤立したウォーカーの2、3匹であれば歴戦の古参団員に対処は容易であった。
今すぐに大群に追いつかれる心配はないと見切った古参団員の幾人かが、傷ついた者たちに手を貸して次々と階段に吸い込まれていった。
「さあ!下の階へ進め!急げよ!」
行き止まりだったら、という恐れを敢えて無視して、キースは仲間たちを誘導した。
最後まで殿に留まって、仲間たちを援護し続ける。
本集団が角を曲がったのを見届けて、キースも階段へと踏み出した。
階段の途中、人の骨を手に持って齧っていたラーカー(待ち伏せ獣)が小さく悲鳴を上げて階下へ逃げ出していった。
「ラーカーがいたぞ。地下は連中の巣になってるか?」
「幾らかはいるだろうな。ゾンビがいれば、餌には困らん。
だが、この人数には襲ってこないだろうよ。連中は基本的に、臆病だ」
世話しなく階段を降りながら、古参隊員が世間話でもするように意見を交わす一方、新参隊員には途中の踊り場で立ち止まって息を整えている者もいた。
精神的に追い込まれていた。銃弾飛び交う血みどろの抗争も経験しているとはいえ、廃墟から受ける圧力は質が違う。なにより、気を抜くことが許されない。抗争がどんなに長く続こうとも、30分か1時間もすれば、安全な場所で一息入れる事くらいは出来るが『ホテル・ユニヴァース』ともなれば、気の弛みすら許されない。怪物やゾンビの気配に肌がピリピリと粟立っている。周囲は全て怪物の縄張りで、いわば敵地。一瞬の油断が命取りになる。探索中は、間断なく緊張を強いられるのだ。
全員が階段を降り切ると、目の前には地図にしるされた通りに地下駐車場が広がっていた。
階段から届く弱々しい赤色灯が、薄闇に無数の車両の影を浮かび上がらせていた。
「地図は当たりだったか」
キースは頬を緩めた。地図が間違っている恐れもあった。だが、地図が正確なら退路を見つけてホテルから脱出することも不可能ではないと思えた。
キースは、既に目的を揉めた相手への押し込みから、可能な限り大勢の仲間を脱出させることに切り替えている。この期に及んで帝国人に拘泥すれば、赤字どころか遠征部隊の壊滅もあり得ると悟っていた。黒影党との対立が激しさを増す現状、これ以上の団員の喪失は、雷鳴党そのものの崩壊に繋がりかねない。
「よし……よし」
命綱が繋がったことにホッとしながら、キースは地下空間に視線を走らせて仲間の様子を窺った。座り込んで息を整えている団員が少なからずいる。一息つかせてやりたいが中々、そうもいきそうにない。雷鳴党の匂いを辿るように、今も階段の上から不気味な死者のうめき声が迫ってきていた。
「ガーニー、ボイド!しばらくでいい。ゾンビどもを抑えてくれ。残りはリロード!急げよ!」
階段を降りて追ってくるゾンビたちを叩きやすい位置に陣取ったガーニーとボイドが次々と片付けていくが、激しい動作に息も上がる。今はまだ休み休みだが、本隊が雪崩れ込んできたら、不味いだろう。
「何時までも持たないぞ!」
「3……いや、2分持たせてくれ!さあ、銃に弾薬を込めろ。水を飲むなら今のうちだ。飲みすぎるな!」
張りのある声で指示しているキースに、新参団員たちはのろのろと動き出したが、その様子はまるで意志を無くしたロボットか、それこそゾンビのような印象を与えてくる。
最初から反抗する態度は見せなかったが、今はむしろ、何も考えていないような無表情を張り付けて従っている。
「初めての遺構探索に『ホテル・ユニヴァース』ではいささか刺激が強すぎたか。次は、そこら辺の雑貨店にしておこう」
冗談を言ったキースは、自分で面白そうに笑った。古参団員たちが笑い声を立て、幾人かの新参も小さくだが笑い声を漏らした。笑いは精神状態を良好に保たせてくれる。今となれば、熟練の廃墟探索者である古参団員たちだけが頼りの綱だが、新参団員も出来るだけ生かして返してやりたい。
「さあ、出立の準備だ。ライト持ってる奴は出してくれ。出来るだけ数が必要だ」
雷鳴党員たちが懐中電灯や腰に吊るしたランタンに火をつける。周囲が強く照らし出されると同時に、誰かが息を呑む音が響き渡った。床には幾つもの白骨が転がっている。
「ひっ!」
新参団員の若い娘が小さく悲鳴を上げた。
ガーニーが骨を拾い上げる。 じろじろと眺めてから、アンリに向かって放り投げる。
「ゾンビがいない訳だ。変異獣が餌にしているようだな」
「ゾンビを餌にするような怪物がいるのかよ?」
呻くように言った新参の若い男をガーニーは鼻で笑う。
「安心しろ。お嬢さん。歯型からするに小さな奴だ。待ち伏せ獣か、噛みつき猿モドキか。
大方、迷い込んだゾンビを群れで食ってるんだろう」
その言葉にホッとした様子を見せた若者に、獰猛に笑って言葉を付け加える。
「もっとも、人間を丸呑みにするようなでかい変異獣がいても不思議ではないがな」
「嫌なことをいうなぁ、あんた」
「変異獣か。小型の連中は、この人数には襲ってこないだろうが」
パーカッション式の拳銃に装薬を詰めながら、アンリが苦しげに歪んだ笑みを浮かべた。
「……走光性がないといいがな」
取り出した地図を眺めながら、キースは囁いた。
陽光は完全に届かない。今は昼を少し過ぎている筈だが、ティアマットの1日は27時間。夕暮れまではかなりの時間がある筈だ。それまでに外に出たいものだ。
ライトの光線が辺りを照らすが、目視できる範囲はそれほど広くない。地下駐車場には、隙間なく車が並んでいた。車と車に挟まれた歩行通路は、正直言ってそれほど広くない。隊列を塊から長く細長い列に変更せざるを得ないだろう。
手元のコンパスを参照しながら、地図を眺めてキースは考え込んだ。
「コンパスが命綱になるな。進むにしても、北回りと南回りがあるようだが……それにしても、狭い通路だ。不意打ちが恐いな」
「生きて帰った連中がいるんだろ?そいつらの使ったルートは使えないのか」
アンリの言葉は尤もだが、キースは苦笑して首を振った。
「連中だって見たこと、聞いたことを全部ギルドに教えてる訳じゃない。
どのルートを取って帰ったかは記録に残ってるが、残念ながら詳細は不明なのだ」
当たり前の話だ。自分たちが探索した遺跡の情報を赤の他人に教えるハンターはいない。
この情報も、ギルドが買い取ったものを、金を払って用意したものだった。
だが、何時までも悩んでいる訳にもいかない。階段の近くにいる限り、ゾンビは際限なく襲ってくるだろう。そして数百体の死者の群れに対処できるだけ体力は、流石に雷鳴党の戦闘員たちにもない。
「さあ!みんな、休憩は終わりだぞ!遠足に出発だ。荷物を忘れるな!行くぞ」
「はいはい、先生」ゾンビを片付けて駆けつけてきたボイドが陽気におどけてみせると、さざ波のように笑い声が広がった。
キースを先頭に一行は静寂に包まれた駐車場に踏み込んでいく。やがて細い隊列の最後の一人が見えなくなってから、階段口から溢れ出るようにゾンビの群れが流れ込むと同時に、天井から音もなく人影が舞い降りた。
幻影のように気配も音もなく着地した赤毛の女は、背後に迫るゾンビの群れをまるで意に返さないように、立ち尽くしていた。右手を軽く唇に添え、左手で右腕を支えた姿勢で、何かを考えるように一行の去った彼方を眺めている女をゾンビの群れが取り囲んだ。新鮮な肉の匂いを嗅ぎつけてか。十数匹、いやそれ以上の数のゾンビがうめき声を上げてよろめきながら殺到し、今にも八つ裂きにされるかと見えた次の瞬間、背に手を廻した女の周囲で漆黒の颶風が吹き荒れた。
十を数える暇もあろうか。血と骨と臓物に分解された死者たちが時ならぬ驟雨となって地面に降り注ぎ、床を濡らした。
他に動く者の無くなった地下空間で、女は吐息一つ乱すでもなく、陽炎のように佇んでいた。
「愚連隊め……思ったより出来るが、さて」
呟いた女は踵を返し、もはや追跡しようもなく死者たちの残骸に攪拌された床の上を歩いた。
元々、痕跡が残りづらいコンクリートの先刻まで雷鳴党の立っていた地面に歩み寄ると、指先を伸ばしてそっと床に触れる。
「戦士が5人、勇士が2人」低く呟いた。
追うべきか、追わざるべきか。それが問題であった。
こんな田舎町にですら人物がいる。そんな事に軽い驚きを覚えた。端倪すべからざる男たちであった。
さすがに惑星の覇権国家ノエルの末裔とでもいうべきか。危地に当たっても勇猛にして冷静沈着。
帝國軍の将兵でも、同年代で振る舞いを同じくできる人物がどれほどいるだろうか。
意外と侮れない。それが愚連隊を密かに観察した感想で、一歩間違えればアーネイが返り討ちに遭いかねないポテンシャルを秘めているようと結論した。主君のギーネならば完封勝ちできるだろうが、生憎、帝國騎士には短時間で嵌める作戦を思いつくような真似は逆立ちしても出来っこない。
戦いは常に何が起こるか分からない。ギーネの方がアーネイより弱いのだが、時間経過で情報の蓄積を許した場合、戦術によって逆転する。
状況をよく分析し、戦闘の構成要素の諸々の確率を変化させうるだけの分析力と洞察力、思考力にギーネ・アルテミスは恵まれている。チェスや将棋と同じように理詰めで戦術を考えるタイプで、思考に偏る余り、一瞬の判断では優れた戦士に遅れを取ることがあるものの、相対的にみると戦況全体では優勢に物事を運んでくるのだ。高言する癖はあれども、あれはあれで、戦士としても指揮官としても一流に近いとアーネイは評していた。
そして恐らく、雷鳴党の指揮官はギーネと同じタイプの指揮官であるとアーネイは感じていた。勿論、性能差はあるだろう(※ギーネみたいなのが、そこら辺にゴロゴロしていたら溜まらない)が、時間を与えると危険な気がしてならない。
追跡と対処は主君より一任されている。殲滅した場合は殲滅した場合、逃がした場合は逃がした場合。
雷鳴党がホテルで壊滅した場合、雷鳴党が主力を残してホテルより撤退した場合、黒影党との抗争に突入した場合に取るべき戦闘計画、どちらかと和解する戦闘計画、戦闘と距離を取る戦闘計画、両方ともに殲滅する場合。
いかな判断を下そうとも、ケースに応じた作戦計画を二人は立案策定していた。だから、後は気持ち一つの問題で、アーネイはあっさりと殲滅を判断した。
追跡し、そして戦力を可能な限り削っておこう。
特に明確な判断の根拠や理由がある訳でもない。強いて言えば、勘と気分だった。
あのキースという男。仕留められる時に仕留めなければ、次は強敵となる気がした。
想定したケースの中でも、雷鳴党の戦力が温存された場合、状況の進行が特に不透明になること。
中途半端に戦力を残した雷鳴党と黒影党の抗争が激化して、町の知人たちに悪影響を与える可能性を嫌ったのと、町の勢力や秩序が混沌状態に陥って読めなくなる可能性が高い。それくらいの理由だが、【町】が混乱に陥った状況で生じるメリットも存在している。だから、勘と気分だけで決めた。悩んで答えが出ない時は、意外と勘が正解の時もある。
私もいい加減、お嬢さまに似てきたかな?
唇の端に微かにほろ苦い笑みを浮かべた女騎士は、雷鳴党一行の後を追うように音もなく闇へと溶け込んでいった。